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2005.09.28

18 植物に学ぶ

あらゆる生物は地球の自然環境の中で壮大な生態系を形成している.その生態系は個々の生物の生き延びる為の仕組みで出来上がっている.植物でも動物でも何十万種類が存在しているが,それぞれ相互に依存しながら,独自の生きる仕組みを持っている.この生きる仕組みは何億年,何千年の経緯のなかで確立して来たのである.

最近,道草を見ても,葉の形,花の形,色彩,香りにその花,ならではの仕組みがあり,あらためて関心や感動をする.『お前は,こんな考え方で,こんな風になっているのか』と.しかも何十万種類の植物が,たとえ同じような自然環境の中であっても,それぞれ独自のコンセプトを持っているのである.

恥ずかしながら,植物に全く知識がない小生は,こんな事を思ったりもしている.

高山植物は小さくて,花が美しいのは,強風の中で身体を小さくして,数少ない虫を受精の為に呼び込むために,派手な美しい花びらにしているに違いない.同時に少ないチャンスで受精を確実にする為に,花びらを深くして,蜜の香りで取り込もうとするもの,いや浅くした方が良いと考えているもの,等さまざまである.

とすると,『花びらへの美的センスは虫も人間も同じに違いない』とか『紫外線で反射した時の花びらの模様が,虫に分かりやすいように競いあっている』とか『高山植物の花の色に青がないのは,青空と区別が付かないからだ』とか『日当たりの悪い所では色ではなく香りで勝負だ』とか素人なりの仮説を勝手に立て,観ているのである.

木なども,養分の取り方,葉の形,種の形,種の落とし方,などすべてコンセプトが違うし,果物の実も,どこに運ぶために,どんな鳥を使うかによって,形状や大きさが違う.どれを取っても,生き延びてきた事実からすれば,そのコンセプトは完璧なのである.

動物のコンセプトと違って,動く事ができない植物ならではの,生き方やその生き方の多さに,すばらしい知恵を感じる.この知恵が植物の生命を支えているだけではなく,地球全体の生態系を支えているのだと,その偉大さに,つくづく敬服するのである.

ところで,人間にしても企業にしても,残念ながら植物のように生き方を確立しているわけではない.『我社は,こんなやり方で生きるのだ』と少しでも植物にあやかりたいと思う.何百年と,この道一筋でやっている仕事に接した時,ただそれだけで感動や尊敬をしてしまう.そこには仕事の必然性や確固たる社会的存在価値があり,同時にそうあり続ける為のたゆまぬ努力があるからである.その意味で会社の事業コンセプトや取り組みを観る時,植物を見る目と同じになるのである.

そんなわけで,植物の生き様を学ぶ中で,事業化や事業の仕組みへのヒントがあるかも知れないと思うのである.最も精巧に出来ていると言われるランや,群生しているセイタカアワダチソウや,生命力のあるタンポポや,水芭蕉や座禅草等,その生き方のコンセプト,仕組みに興味が尽きないのである.

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2005.09.27

17 NHK受信料への指摘

NHK受信料の未契約者,未払い者が合わせて1000万世帯あると言う.NHKは未払い者に対し法的処置を取るようである.果たしてこのメッセージが,未払い者,ひいては未契約者の減少につながるのか推移を見たい.

元来,NHKは国民の受信料によって運営される放送機関であり,放送法で受信機を持つ世帯は契約と受信料支払いが義務付けられている.しかし,これは普及率が途上の時の制度である.しかも,普及が進むほど,契約率が低くなるはずだが,未契約者が増えて行くと,受信料は高止まりになる.そこで,次の指摘をしたい.

①受信機ベースの受信料制度は複雑で時代に合わない

携帯電話,パソコン,インターネットテレビ放送,集合住宅,寮,ホテル,ケーブルテレビ,など受信形態は多様化し,その制度も複雑で,認知度も低い.そもそも,受信機ベースの契約制度は時代遅れだと思う.

②受信料金は全国の所帯数で設定すべきである

契約者の負担で番組が出来ている事は,正直者が負担する事であり,不公平.これが未契約者,未払い者の存在を許している.放送法では国民の義務としている.ならば100%契約前提(全国の所帯数)で,一所帯当たりの受信料を設定すべきである.多分,受信料は大幅に安くなるはずである.

③未契約はNHKの契約促進の問題である

未契約,未払い野「問題はNHKの契約促進の問題である.そこで,上記安い受信料で,例えば電力料金と同時に集金すれば,未契約,未徴収は激減し,受信料収入は安定し,徴収コストも削減され,トータル収入も増えると思うのだが.

繰り返すが,電気,ガス,水道などの公共料金と同じ様に,受信料を考えるべきだと思うのである.電気代に受信料を加えて徴収する方法が良いと思うのだが.

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2005.09.21

16 安全保障に関する論理的選択肢

憲法議論が今後活発になりそうだが,第9条について,禅問答や言葉の遊びを避けるために,論理的選択肢を整理してみた.

まず,現行の安全保障体制は日本に戦争・武器・交戦権を放棄させ,その代わりを米国が行なう,いわゆる戦勝国の思いと,2度と戦争はいやだ,とする日本国民の思いが,相まって出来ている.

その姿は,日本の防衛を米国に委ね,その代償として基地を米国に提供する,と見える反面,米国の国際戦略の一環で,日本を米国軍の重要拠点にする,とも見えるのである.更に言えば,日本は独立したように見えるが,実質的には米国の従属国だ,とも見える体制なのである.

その一方で,朝鮮戦争の影響から,自衛権と言う固有の権利を根拠に自衛隊が発足し,米国一辺倒の日本の安全保障体制を補完させたのである.その結果,自衛隊違憲論,日米同盟違憲論,あるいは,自衛隊の有事行動の制約など,多くの議論がなされ,現在でも続いているのである.

但し,この憲法と日米安保によって,多くの基地を提供しつつ,日本は一発も銃弾を発射せず,日本人の戦死者もなく,他国の人を殺傷せず,に来た.又,自衛隊は米国の装備を輸入し貿易不均衡を是正して来たのである.同時に国民は戦争絶対反対の願望,一国平和主義の憲法から,一歩も思考が進まない,停止状態を続けているのである.

こんな中で,有力な憲法改正案は平和憲法(戦争・武力保持・交戦権の放棄)を堅持しつつ,自衛目的の自衛隊と武力保持を明文化する案である.言い換えると,侵略戦争は放棄するが自衛の為の武力行使は出来る,と,歴代政府見解を追認する修正内容である.

しかし,現憲法下でも改正案でも,自衛と言う言葉が文面に出てくると,とたんに難しくなるのである.精神論としては分かるが,具体的に定義不能だからである.

例えば,自衛権行使による交戦,集団的自衛や国連決議による交戦,あるいはテロの予防・制圧の為の交戦,など自衛権行使に含まれるのか,と言った問題である.

そもそも,自衛権発動と言っても,日本が攻められた時,あるいは攻められようとした時,と定義しても,攻められるとは何か,攻められそうだとは何か,どの程度過去へ自衛権発動の理由を遡及出来るのか,とか切りがないほど,曖昧で主観的になるのである.

ともすると,自衛権は拡大解釈すればすべての戦争の大義になり得るのである.たとえ専守防衛であっても,戦争が始まれば,動機はどうあれ,交戦状態になり.国際紛争解決に武力が行使される事になるのである.戦争現場は自衛戦だと言っても,撃たれたら撃つを徹底するわけではなく,先制攻撃も行なわれるはずである.

過去の多くの戦争を見ても,自衛の為,平和の為を大義として,行なわれているのであって,国際紛争解決や自衛の区別はつかないのである.このように考えると,国際紛争解決はNGで,自衛目的ではOKはきわめて曖昧なのである.この場合,有事に際し,いつも憲法解釈論争が起こるのである.

その意味で,有力な憲法改正案は改正前と本質的に変わらない,曖昧さを持つのである.或いは,自衛と言う言葉でハンドフリーを得る事が目的かもしれないのである.

定義困難な自衛と言う言葉を使う感覚は,幼稚で哲学や立論力・自立のなさを感じるのである.要は次の二つの選択しかないし,その決断が必要なのである.

①どんな戦争もしない,従って交戦権,軍備は持たない
②抑止や万一の事を考えて,交戦権,軍備は持つ

そして②を選んだ時,武力行使にあたっての,理由・行使方法・内容はシビリアンコントロールの領域になると思うのである.この選択いかんによって,日米安保条約との組み合わせは4つになる.

①交戦権,軍備を持たずに安保を堅持(米国依存型)
②交戦権,軍備を持って安保を堅持(米国対等型)
③交戦権,軍備を持たずに安保を破棄(非武装中立型)
④交戦権,軍備を持って安保を破棄(独自型,武装中立型)

①は戦後のレジュームに近い形だが,引き続き米国の属国になる覚悟と血は流さないが金を出す,の国際処世術が通れば,立派な選択肢になるのである.米国が飲むかどうかは不明である.

③も,どう言う事になるのか,結果の覚悟があれば,有力である.但し,国や民族が滅びてもよしと覚悟するのだから,まったく無責任な決断になる.

②③世界の集団体制に呼応して行く為にも,交戦権,軍備を持って自立すると言う意味で同じである.

今後の憲法は,いつも法解釈が発生するような文面ではなく,交戦権,軍備を持つのか,持たないのか単純明確にすべきだと思うのである.

もし,持つとしても,使うか使わないかは国民が判断して行くしかないのである.従って,思考停止状態ではいられなくなるのである.同時に,どんな選択であっても,世界に信頼される日本国民でなければならないのである.

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2005.09.18

15 私の発想・語録

 私の発想・語録を紹介します.

 1.いくらやるかより何をやるかが大事だ
 2.何をやるかよりどうあるべきかを先に共有する事が大事だ
 3.社員一人一人の成長が良い会社を作る原点だ
 4.企業力は必死に考えている人の数に比例する
 5.経営とはブランド資産,営業資産,知的資産,を増殖させる事だ
 6.理は方向性,気は行動力,理のない気は停滞・衆愚化を招く
 7.意思・意義を自覚してやる仕事の成果は大きい
 8.1%の思考・認識が99%の作業の成否に繋がる
 9.徹底すると見えてくる,徹底した人の意見には感動がある
10.積極的な行動や議論・切磋琢磨に,知恵や数字がついてくる
11.事業計画や行動計画は人材開発の為でもある
12.否定文の多い人から発想・工夫・行動力が生まれない
13.真の専門家は,常に改善・改革をくりかえす
14.専門家への努力は個人・家族・会社・社会に利益をもたらす
15.専門家の組織は教育機関でもある
16.継承なくして創造なし、創造なくして継承なし(K.M.の基本)
17.ナレッジとは次に役立つものを情報化し行動と連動したものだ
18.ナレッジを増殖させる意識や仕組みが大事だ(企業進化論)
19.専門家の成果物は顧客の利益・次へのナレッジ・会社の利益である
20.ソフト産業は規模の経済が働きにくい,働くのはナレッジと能力だ
21.『情報』とは情(非数値)と報(数)の意味,これが経営情報だ
22.生産性と戦略性,改善と改革は,現状の肯定か否定かだ
23.品質は厳密な設計・厳密な段取り・厳密なテストに尽きる
24.工期短縮の発想が原価削減の原点だ
25.難問対策や改善は演繹法より帰納法が大事だ
26.市場は成熟,商品は未熟,これがマーケテングの原点だ
27.可能性より必然性が大事だ
28.受動的消極的行動は感染しやすい伝染病だ
29.失敗から本質を学び,成功からやり方を学ぶ事が大事だ
30.思考力,
図・文章の表現力は,書かないと絶対に向上しない

いづれも,体験の中で実感し,取り組んだ事です.一つ一つ説明したい所ですが,含蓄は状況によリますし,読み手の感性にお任せします.

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2005.09.17

14 不便な事と便利な事の功罪

’不便な事は安全で公平,便利な事は危険で不公平’これは医学にしても,ITにしても技術革新が急速に発展して行く途上で起こる現象・感情である.この関係は政治や行政にも存在している.

技術の利便性とリスクは天秤の中で使い分ける事になるが,技術革新がさらに進み,危険性が減少し,普及が進んで行くと,こんどは,’技術を使わない事が不便で危険で不公平’になって行く.これが文明の歴史である.

電子化やネット活用は民間では当たり前であっても,行政では危険で不公平と思われる事が多い.結果,常に不便な高コストのレベルにとどまる.便利になる事への危険論・不公平論に自己の損得・利害が隠れている事もある.

例えば,医療費明細(レセプト)を病院で電子化されているが,そのデータをそのまま保険料審査や請求,医療統計に使えば,劇的なコストダウン,期間短縮,効果的な医療につながる.だが,再入力業界の反対や統計的に過剰診療や過剰投薬が,病院や医師毎に,たちどころに判明する事になり,医師会の反対もある.

これは’便利な事が安全で公平’を阻止している典型例である.多分,医療機関では’便利な事は危険で不公平’を隠れ蓑に自身の損得を基準にしていると思わざるを得ないのである.行政内部全般に,このような力学が働く傾向がある.

国民背番号制を考えると住民情報,税,保険,年金等個人情報がひも付きになる危険性がいつも主張されるが,これなどはまさに’不便な事は安全で公平,便利な事は危険で不公平’の立場である.

情報技術の利用においては,利便性をいかんなく発揮していく立場でリスク対策を議論すべきである.不便のまま高コスト社会を続ければ,もっと良い事がやれなくなる事を論者は認識して欲しいのである.

’効率化は人類を堕落させる’と英国の産業革命に反対した哲学者がいたが’効率化をしなければ利便性も,富の拡大も,人道的活動も出来なくなる’事を認識すべきである.

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2005.09.16

13 行政改革と電子行政

e-japanに代表される電子行政システムは思ったほど進展しない.まさに日本的な原因がそこに存在しているのである.

システムは元来,中央集権的性格を持っている.それを遺憾なく発揮したのが韓国である.全国一律に行政システムを統一し,一揆に導入したのである.わが国は古くから,地方自治の建前の中で,あらゆる行政システムは個別に取り扱われているのである.最近の電子入札,電子申請なども同じである.

地方自治の建前と,情報産業振興の狙いから,このような事になっていると思われる.地方自治体の規模や制度あるいはシステム化予算の関係,あるいは職員の考え方で各自治体がバラバラになるとしているが,実際はほとんど類型化できるのである.また自治体が協力すれば共同開発やソフトの流用が可能なのである.税源の関係でムリなのだろうか.

情報産業にしても,自治体毎にバラバラなだけにパッケージ化に苦労しながら,労働集約作業の競争入札で苦しい仕事になっているのである.さらに進展しない原因は情報システムの設計・開発あるいは運用は職員の仕事だと思っていない事である.

役所の仕事は情報処理そのものである.その電子化を自らできない事は,製造業で言えば,設計技術や生産技術を持たない工場のようなものである.

大企業であればシステム部門を経営の中枢にし,情報戦略を進めているが,なぜ市役所と言う大組織で局レベルのシステム部門がないのだろうか.不思議であり,その重要度からすれば,考えられない.

又,情報システムの開発における問題は,現行の法制度,仕組み,慣習,手続きを前提にする事である.行政改革の目的に反しているのである.現行業務をシステム化するだけで,業務改革は進まないのである.電子申請にしても従来通りの書式で,縦割りで,それをネットでやるだけである.元来,電子申請や電子入札,電子納税,どれを取っても住民,企業からすれば自治体,国を意識する必要がないはずである.一つに見えなければならないのである.

以上,電子行政システムが進展しない原因を述べたが,行政コスト削減,住民サービス向上,あるいはシステム化コスト削減の為に,遅まきながら将来にむけて,次の対策を講じなければならないと考えるのである

①市町村合併を契機に行政業務・事務の標準仕様を策定する
②標準仕様に基づいて,情報産業各社はパッケージ化を推進する
③行政の基礎である文書管理についても上記2つを実施する
④インターネット経由処理の処理方式を統一する
⑤これらと連動した役所の仕事の仕方,法令を準備をする
⑥パッケージの選定やカスタマイズは自治体の仕事とする

とし,OS、DTPソフト、DBソフト、言語 等の国産化も長期視点で検討する.ただしぱ業務パッケージはこれに依存しないようにする必要がある.これらの施策によって,

・職員も含めて情報システムスキル人口の拡充,
・システム開発・維持費用の削減
・品質の確保,短納期化

を進めるべきである.情報産業各社もシステム化領域の拡大によるビジネス参入機会の増大,新技術・操作性・信頼性などの創意工夫によるパッケ-ジ競争力強化、等前向きな事業に取組めるのである.もちろん電子行政システムによって行政改革や効率化が飛躍的に進むのである.特に公務員削減も含めて,行政コストの削減が可能になるのである.

現状の行政の電子化は,膨大な費用と期間がかかり,実現できてもバラバラのシステムと,自治体間、国との整合性が乏しいシステムが出来上がるのである.

是非,国家戦略として、行政改革の一貫として,電子行政システムへの施策を講じるべきなのである.又デジタルデモクラシーに代表される議会や選挙,あるいは住民投票などへの情報技術の活用,報道機関化する自治体ホームページの活用,情報公開など行政の電子化は急がねばならないのである.

行政がデジタルデバイドになっては行政の効率化は出来ないのである.

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12 フラットな産業構造

資産バブルの崩壊,グローバル,フリー,フェアーの風潮と共に,日本の高度成長を支えた縦型産業構造の弱点が露呈し,一揆にフラットな産業構造に変貌し初めている.

すべての企業が世界の風波に身をさらしながら,自らの生きる道を探し始めたのである.大量生産大量販売の時代に許容された類似企業郡,大企業郡,あるいは下請け中小企業郡は社会的存在価値を問われながら,個性ある事業の自立化に向けて歩み始めたのである.

元気な中小企業においては,

・ビジネスモデルを再構築した事、
・商品もしくは客層を絞り込んでいる事、
市場を地域のみならず,全国・世界をみている事,
・社内風土がフレンドリーである事,
理(方向性)と気(行動力)がよくバランスしている事,
・ホームページやネットをうまく使いこなしている事
・特に経営者自身が熱き志を持ち合わせている事、
・社長自身が自社の製品分野に関して専門家である事、
・問屋を通さない直販志向である事,
・付加価値重視である事、

と言った企業が多く台頭しているのである.まさに,それぞれ特徴を持った企業がフラットに多く存在する産業構造が進展しているのである.

今後とも,イタリアの街で見かける,多くのピザ屋,惣菜屋,靴屋,かばん屋,装身具屋などが個性豊かに,しかも世界にも通用する職人と商品があるように,こんな姿を願うのである.消費者の価値観やこだわりにも答える事にもなる.決してGNPは高くはないが,生き生きしている,持続している事が大事なのである.

そんな方向で産業構造が変化していくと思うし,これに向かって夢を実現して欲しいと切望するのである.全国地域の農業,製造業,商業が企業規模を問わず,それぞれが生きる道を探求し,自らの事業の社会における存在価値を見出して欲しいのである.そこには必ずニーズが存在していると思うのである.情報ネット社会はこんな社会を加速していく筈である.
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2005.09.14

11 小泉政権圧勝(戦う構図の勝利)

総選挙は小泉自民党の圧勝であった.圧勝の理由は政策やプレゼン力などいろいろあると思うが,もっとも重要な事は’戦いの構図’(論法)をどう作るかである.私見を述べてみたい.

小泉自民党の今回(前回も同じだが)の論法は,民主党の’自民党では改革できない’との主張に対し小泉はその’自民党をつぶしてでも改革をする’と言う,さらに小泉は郵政民営化というリトマス試験紙で守旧派をあぶり出し,選挙区に落下傘部隊の投入までして,守旧派を締め出す強力な意思表示を行ったのである.

民主党は自民党の政官財癒着構造では改革できないと言う,しかし,小泉自民党はその色彩の色濃い抵抗勢力・守旧派を追い出すと言うのである.国民は自民党の改革の足を引っ張っているのは守旧派・抵抗勢力だと認識し,小泉を喝采したのである.

この構図で,民主党がいくら自民党はダメだと攻撃しても,だから自民党の守旧派・抵抗勢力を排除すると言う小泉自民党とは勝負にならないのである.小泉自民党が先手を打った事になる.民主党の攻撃が空回りするだけでなく,逆に小泉の論法を後押ししている構図になるのである.

又,自民党の守旧派・抵抗勢力が小泉批判をすればするほど,オールドファッションの色彩を自ら色濃くし,文句しか言わない,みっともない姿をさらけ出し,小泉の引き立て役になるのである.見事な戦い方である.

このことから,今回の小泉自民党圧勝の功労者は民主党であり,元自民党の守旧派と言う事になる.これは主義主張以前に戦い方で,すでに勝敗が決していたと思うのである.前回もそうであるが,自民党の賞味期限を問題にするほど,小泉人気が上がる構図なのである.

民主党側に立って戦い方を考えると,まず守旧派を切った小泉自民党を評価し,新しい自民党と対等の位置関係にした上で,政策論争に行くべきなのである.政策においては,難問ばかりで,対立軸を立てることに走りすぎるとボロが出やすく,自滅する,

政策での戦い方としては自民党と似ている程度で良いのである.壁を低くしなければ政権交代など許容されないのである.業界の労働組合と前向きな議論が出きる程度のアドバンテージを主張できれば良いのである.

このように対等な位置関係,似たような政策でまず戦う土俵を作らねばならないのである.これが出来なければ政権交代可能な野党にはなれないのである.やたら相手の批判や,政策を振り回しても信頼を得る事は難しいのである.

今回の自民党のキャッチコピー’改革を止めるな’は郵政民営化を止めると日本の改革がすべて止まってしまうと言う危機感から発っしられた強い言葉だと,誰しもが分かるが,

民主党の’日本をあきらめない’は’非常事態の日本をあきらめないでがんばる’という意味かもしれないが,否定文であったり,主語が不明であったり,あきらめていたのかと後ろ向きな姿勢の印象を与え,きわめてインパクトのない,思いの中身が伝わらない,コピーなのである.街頭演説でも使えないコピーである.民主党らしいのかも知れないが,戦い方が出来ていない証拠である.

’改革を止めるな’,に対峙するなら,’改革を止めろ’か’改革のスピードアップ’となる.これが対決の構図である.当然,閉塞感ある国民の期待からすれば’スピードアップ’である.言葉の上では優位に立つのである.

もっとも,民主党がこれに即した政策がなければ,うそを言う事になるが.いずれにしろ’止めるな’に対し’あきらめない’では口喧嘩にもなっていないのである..

どんな競争でも,相手はダメだ,我々が優れている,と言う戦い方だけではなく,相手の良い所,当方の良い所を並べながら,まず選者から見て対等の選択肢にする必要がある.小が大と戦うときの鉄則である.その上で,少しでも優位性や性格を認められれば勝つのである.

どんなすばらしい提案でも実現性やリスクに問題があれば選択されないのである.こんな時,提案内容を1段落としてでも,競合相手と似たような物にし,それ以外のところで戦う事を考えるのである.

以上,現状や競合相手の状況を踏まえた戦い方がある事を,今回の選挙でも強く感じ,同時に民主党の戦い方の未熟さを感じたのである.真面目さだけでは政権交代政党にはなれないし,真面目さの持つ弱さ,厳しさの欠如,を反省する必要がある.

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2005.09.11

10 『情報』の語源と『今後の情報システム』

『情報』と言う言葉は明治の軍人が作った軍事用の造語である.決断に必要な敵軍の実態を知るには,武器・弾薬・兵隊などの『報』(数)のデータだけではなく、疲労困ぱいしているとか,血気盛んだとかの『情』のデータも必要だと考えて『情報』と言う言葉を作ったのである.(下図をクリックで拡大)

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『情報』を『インフォメーション』と翻訳されているが『インフォメ-ション』は『インフォーマル』に由来している言葉であり,本来『情報』とは全くコンセプトが違うのである.

そして,情報技術やネットの発達によって,『情』(テキスト,画像,音声,図解,などの非数値データ)の電子化が可能になり,明治時代に考えられた『情と報』のコンセプトが今,コンピューターシステムで実現できる様になったのである.

従って,今後の経営情報システムにおいては,受注・売上・在庫・債権・債務・決算など『報』だけのシステムではなく,顧客の苦言や要望、障害内容,改善改革状況,あるいは,現場の意見など,テキスト,図解,画像,映像,音声,等の『情』を取り込んだ『情報』システムが出現し,更に経営に役立つ『真の経営情報システム』が実現する事になる.

日ごろ無意識に使っている『情報』と言う言葉のコンセプトをあらためて認識し,判断の為の情報の中身を見直す必要がある.又,『情報』のコンセプトを世界に知らしめ、『カイゼン』と同様『ジョウホー』を国際語にし,優れた日本の非数値情報処理技術を武器に,真の経営情報システムを世界に発信すべきだと思うのである.

余談になるが,プレゼンや資料をタイプライター文明国と比べると,日本人の資料は図や絵が極めて多い事に気づくはずである.そうなるのは,日本語は表意文字であり,図形で伝えるという習性が身に付いているからだと思う.

その習性の上に,日本語や図形,映像が簡単にコンピューターで扱えるとなると,タイプライター文化で発達してきた『報』のコンピューター利用技術が,今度は日本人の得意な『情』のコンピューター利用技術に移って行くと思うのである.

そんな分けで,自信を持って『情報』と言う言葉と,これを実現する『情報システム』を国際語にし,そのコンセプトと技術を世界に発信して行きたいものである.

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2005.09.10

09 経営に求められる状況認識の視点

会社の経営状況を認識する事は経営者はもちろん、社員もきわめて大事である.(下図はクリックで拡大)

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経営の状況を表す言葉に,私見だが,盛り場,踊り場,正念場,土壇場,修羅場,墓場』,がある.その説明を要しないが,例えば正念場とは

・市場がすでに変化している,
・収益構造が悪化し赤字決算が数年続いている,
・売上死守が存続条件になっている,
・資金が火の車である
・数字の会議が頻繁に行なわれている

こような状況を言うのである.この正念場にならない為に、踊り場の認識がきわめて重要である.正念場に落ちない,再び盛り場に向かう施策をこの踊り場で手を打たねばならないのである.

しかしながら,この踊り場の認識が極めてむづかしい.盛り場の成功体験や自信,放漫の感覚がこの認識を見逃させるのである.結果、正念場になって後悔する事になる.

踊り場の認識は,市場,受注,売上,収益,技術,競合などの変化,あるいは社内の根本的問題の露呈,などによって敏感に認識する必要がある.この対策を放置すると、たちどころに正念場と化すのである。

又,日々,正念場だと認識し,ひたすら数字の確保に必死な企業が実際には多いと思われるが,過去の経営を振り返って,

・振り返ってみて,盛り場,踊り場はいつだったか
・盛り場・踊り場と現在とで,同じ所,違う所は何か

を改めて認識し直し,土壇場に落ちない施策を講じなければならないのである.

ひたすら景気回復をじっと待ち続けていても,すでに風景や舞台が変わっていると思うのである.激動の時代,変わらないリスクが変わるリスクより大きいと思うのである.

転ばぬ先の杖が踊り場の大事な仕事である.身の丈の経営,特徴ある事業,社会・顧客から存在意義を認められる事業に軌道修正しなければならない.世の常に,’急速に大きくなった企業は急速にへたる’があるが,これも踊り場すら認識できずに,身の丈以上に突っ走った結果,起こるのである.

変化へのヒントや事業化の宝は現実の仕事の中に存在し,これを見逃さない感受性や行動力が企業経営には不可欠なのである.

CHANGEはCHANCEに,EVOLUTIONを繰り返すとREVOLITIONになる.英語の語原も,たまには良い事を教えてくれる.

もうひとつ,会社の状況を認識する視点ある.①過去からの視点(成長しているか),②顧客からの視点(評判はどうか),そして,③未来からの視点(方向性に手を打っているか),である.

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往々にして,会社の評価は過去からの視点になり易いが,事業の改革・開拓には数年かかる事が多い事を考えれば,③の視点は極めて重要である.③の評価が低ければ,いくら①②が評価できても,未来がない事になる.

最後に会社の状況を認識する視点が簿外資産である.簿外資産とは,①顧客資産(市場)②知的資産(ノウハウ・技術・人材など)③ブランド資産(企業評価)である.業績はこの簿外資産に依存し,この資産を増殖する事が経営なのである.

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以上,年に一回ぐらい,上記の視点で会社の状況を認識する事で,次の手が打てると思うのである.

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2005.09.08

08 企業活力の源泉

私の好きな言葉に「けしの花にも宇宙を見ることが出来る」がある.どんな仕事でも,その切り口を極めていくと、真理や世界が見えてくるという意味である.

伊丹映画監督の作品作りのコンセプトに「節穴から出ている紐が気になって,其の紐をひいてみたら,だんだん重くなって来て最後に象が出てきた」とのたとえがあるが,これとよく似ている.

どんな仕事であっても,その専門家になる事を求められる時代だが大事なことは意識の問題である.マンネリにおちいり,今の仕事から次につながる知識,ノウハウを得ようとしない,昨年の自分と何が成長したのか気にしない,と言った態度である.

意義・意識を持ってやる仕事の成果はきわめて大きいと実感している.よく言われるようにホテルのドアマンにしろ,ウエイトレスにしろ,ガソリンスタンドマンにしろ立派な専門分野である.会社人間になっているホワイトカラーの人たちも,それぞれの担当の中で,ブル-カラーのような専門家になる必要がある.

一方,組織は経営目標達成のために有るが,もうひとつ重要な機能は教育機関である.学習は個人の意識に依存していると思われがちだがスキルアップは重要なマーケテング戦略であり拡販戦略である.自己啓発は事業戦略とリンクする必要が有る.この意味で組織は重要な役割をになっている.

成長の秘訣は,みんなの為、会社の為、国の為を考える事だ.自分の為だけで取り組みは必ず限界や壁に突き当り,自分に甘くなり,挫折する.みんなの為が自己を律し,ひいては自分に帰ってくる.

企業の成長にとっても個人の幸せにとっても常に専門家たりうる学習は欠かせない.学習意欲がなくなった時,企業も個人も滅びる.専門家を目指して,常に強い探求心と専門家同志との意見交換を積極的にやる行動が必要である.

ITの展開やネット社会においては個人の力量が裸で世の中にさらされる.もちろんフラットな産業構造化によって会社も競争社会にさらされる.これは大きなチャンスとなる.困った社会になったと思う企業,個人は滅びる.

学習を常に心がける風土や行動,専門家集団の形成が,新しい時代の会社の姿だと思う.

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07 全体主義と個人主義

経済が発展し,生活が豊かになり,加えて情報化社会になって行くと,貧しい時の全体主義から豊かな時の個人主義へと移って行くのである.これが人間の自然の姿である.

住宅や団地さらには膨大な宅地開発と持ち家,マンションなど住環境の変化,人口の都市への移動,家庭内の個人部屋化,寝具革命,台所革命,風呂・洗面台革命,トイレ革命,の進展と共に,私生活も個人主義に移っていったのである.

さらに,家電革命から個電時代へ,デジタル革命による情報化社会への急速な進展,家庭に1台から個人に1台になった車社会の出現などによって,価値の多様化を起こし,個人主義への潮流を加速して行ったのである.社員旅行など,皆で行なう行事がきわめて少なくなっている事もその卑近な例なのである.

個人の自由・自立・権利・責任などへの意識変化は,封建的社会への反動,知的変化,自我の目覚め,だけではなく,文明の発達と連動しているのである.社会主義国が文明の発達で崩壊する事は当然の帰結なのである.

逆に言うと,災害や危機で文明が使えなくなった時,個人主義が引き下がらざるを得なくなるのも,又,当然なのである.

問題は文明が発達した社会で災害や危機が発生した時,全体主義への復帰ができるかどうかである.都会では地域村社会は崩壊しているし,制度面では,民主主義制度のもとで,全体主義的法制度(有事法制度)が用意できていないのである.

個人の立場と全体の立場を状況に応じてどの様に使いこなすか,が文明の発達が進むほど,問題になる.文明の利便性や自由を謳歌できる社会を望む一方,常にこの事を考えなくてはならないのである.まさに,自由・競争と和の概念は,どちらかではなく,状況によって使い分ける文化・制度が必要なのである.

子供の教育でもこの事をしっかり教えておく必要がある.仲良くしましょう,人の為になりましょう,だけでは矛盾や迷いを与えている事になり,指導力が問われる事になる.競争する事の意味,意義,和する事の意味,意義を社会全体の視点で教える必要があると思うのである.

走り競争を短絡的に廃止してしまう教育は哲学がなさ過ぎである.勝者・敗者それぞれに多くの事や価値観を学ばなければならないのである.競争の意識と和の意識は状況によって必要だと言う事を教えなければならないのである.

二律背反の事をどちらかではなく,時と場合によって,両方必要であり,制度面でも精神文化面でも,これを確立しておかねばならないと思うのである.文明の発達,競争社会や貧富の差の出現,個人主義の発達などの反面,社会保障や弱者対策,災害などの危機対策が精神面も含めて必要なのである.

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06 継承と創造

伝統職人の世界は,継承なくして創造なし,創造なくして継承なし,とよく言われる.企業においても,企業進化論の基本理念にあたる行動原理だと考えられるが,はたしてどうであろうか.

企業の栄枯衰退を見るに付け,かたくなに継承するだけで長い間,持続出来ている企業は,よほど社会的存在価値が確立された,まれな企業であり,ほとんどの場合,創造・変化ができずに衰退して行くのである.

この創造・変化は大きな事業転換の場合もあるが,むしろ日常の創意工夫が原動力であり,1年前より今の方が成長進化している現実が極めて重要なのである.

情報技術やネットワークの発達で,リアルタイムマネージメント,情報共有,が急速に普及定着し,効率化,スピードを劇的に変えてきたが,ナレッジのすばやい継承と,その上での新たな創意工夫,言い換えれば,個人・企業の能力をいかんなく発揮させる道具としても,その威力は甚大なのである.

パソコンは継承と創造の道具であり.企業の情報装備は社員の能力の最大化だとも言えるのである.

日常の仕事の中で,情報装備を活用しながら,継承と創造の切磋琢磨を続けながら,自然に個人や企業が成長・進化させ,企業の社会的存在価値を発揮し続けたいのである.

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2005.09.06

05 7・5・3の不思議

この数字には不思議な説得力がある.和歌・俳句・民謡・演歌の七五調、七五三のお宮参りや仏事のように、多くの風習・慣習や諺に,この数字が出てくる。

それぞれに、英知があって、現在に至っていると思うのだが、その事を超えて、日本人のバランス感覚やリズムにまで、この数字が浸透し、更に無意識のうちに、その数字を受け入れてしまう程に無防備になるのである.

例えば'新入社員には七五三があり、新婚さんにも七五三という節目がある'と言うと誰からも反論が出ず、納得するのである。これが六四二と言うと全く説得力がないのである。

又仕事の面では、'仕事がどれくらい進んだか'と問われた時、6割と言えば'なにやってんだ'と言われ、8割と言うと'本当か'と言われ、7割と言うと納得するのである。更に'この商談取れそうか'と問われた時、'5分5分です'と答えると納得するが、上の数字を言えば'甘い'と言われ下の数字をいえば'なにやってんだ'となるのである。'シェアーはどれくらいか'と問われたら、3割と答える。これ以上でも以下でも反論が来る。'ウソだろう'とか'低すぎる'とか.

この様に反論されたくない時に,この数字を使うのである.この数字は妙に説得力があるのである(私には通用しませんが) 一方バランス感覚の面でもこの数字が出てくる.

例えば、箇条書きで物事をまとめる時、五とか三が落ちつくのである.四とか二は何か不安である。整理しきれていない感じがするのである。私見によれば、三が究極の姿である。もっと言えば真理は三つ存在すると思っている。3つに絞りきれていない時は、まだまだ追及が出来ていないとか、考えが浅いと思うのである.

例えば、ある坂道に対し'下り坂'と言う人と'上り坂'と言う人がおり、立つ位置によって、真理は2つしかないと考えた時、3つにする為に、もう一つ違った見方があるはずだと更に考えるのである。はるか遠くにいる人は水平に見えるかも知れないと気が付くのである。

'真理は三つある'といつも自分に言い聞かせているのである。いろいろな選択も、2択や4択や5択ではなく3択が究極の選択肢であると思うのである。

これはタバコの節煙の方法であるが、夕方、家に帰るとき、箱に5本残しておくのである.次にタバコを吸うとき、これを吸うと朝までになくなってしまうので吸うのを控えようと思うのである.出来たら箱を別の部屋に置いておくとその日はタバコを吸わなくて済むのである。5本以下だとタバコを買いに行ってしまうし、5本以上だと気にせず吸ってしまうのである。5と言う数字は微妙なバランスにある数字なのである。節煙したい人は試す価値があると思うのである.

日本人は微妙なバランス感覚を好む.色彩,構図,あるいは、物事の考え方,等にそれが現われている.7、5、3を好む感覚と同じである.

7、5、3、の持つ不思議な力は多分中国に由来し,日本的なものとして定着したように思う.詳しく勉強してみたいとは思うが、多分西洋では通用しないと思われる。リズム感がそれぞれ違う事からも推測できる。

7、5、3は不吉な数字と思っている民族もいるくらいである。奇数派・偶数派や好き・嫌いの数字を国別に分類すると、文化圏がわかるかもしれないのである。

余談だが,言語で見ると,英語は単語そのものに単数と複数を意識する.音楽で言えば2拍子のアフタービートが基本である.ちなみに仏語は男か女を常に意識しているが,日本語は単一民族で経験知識の共有を前提に,相手の創造力を期待した抽象的な表現言語である.単語も抽象的にする為に単数表現なのである.’テーブルに卵がある’と言っ時,卵が1個か複数個かは気にしないが.英語ではそうは行かないのである.

'古池や蛙飛び込む水の音’は誰もが静寂な世界をイメージするが、欧米人は経験知識から蛙は複数形、騒々しい世界をイメージするのである.

日本における,この数字やリズム感が持つ不思議な力も、民謡や演歌の衰退,グローバル化、洋楽の流行、英語の普及、合理性の追求などと共に、少しずつ弱まり、多様化に向かっていると思うのである.

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04 情報化社会で問われる日本的表現力

言葉で伝えるには,言語知識と経験知識が共有されている必要がある.まさに文化の共有が必要なのである.従って、異文化間で’伝える’事はきわめて難しいと言う事になる.

'古池や蛙飛び込む水の音’で日本人は静寂な世界を思い描くが,米国人は騒々しい古池を思い浮かべ,蛙は複数形になると思う.

文化の塊である古典落語を英語に翻訳しづらいし,したとしても米国人は理解できない事も同じである.

又,伝える為に文化の共有が必要だと言っても,それに依存しすぎると,文化そのものが元来,曖昧な概念であるだけに,伝わったと思っても,意味や論理が曖昧だと気づく事がある.文化の持つ曖昧さが,思考力や立論力の掘り下げを阻害しているからである.

以上のことから,情報化社会,インターネット社会では,言語知識,経験知識の共有もさる事ながら,たとえ共有していると思われる相手に対しても,意味,論理,をしっかり伝える為には,細心の留意が必要になるのである.その努力が,ひいては思考力,立論力,文章力を高めて行くと思うのである.

情報化社会は,情報の大衆化と同時に,表現力の研鑽が求められていると思うのである.特に日本人の文化は

①主語がはっきりしない
②説明ばかりで主張がない
③玉虫色の言いまわしが多い
④語尾の言いまわしで論旨がボケる

であり,日本語表現も,この表現が得意である.これに慣れてしまうと,言葉で逃げて,説得力や立論力が育たない事になる.

日本文化が持つ曖昧の合理性(曖昧にしていた方が白黒はっきりする,よりうまく行く)は,情報化社会では通用しないと思う.論理や主張をはっきりし,それを日本語で表現する訓練が必要だと思う.

又,理解を補足する図解の活用も重要である.ただし,未熟な図解は逆効果になる.完成度の高い図解は早く,正しく伝わるのである.

総じて,日本的なウエットな表現・文化からドライな表現・文化も取り入れていかねば,世界の人々と交われないと思うのである.思考力も発達しないのである.日本独自の文化だけでは,情報化社会,グローバル社会に取り残されると思うのである.

情報化社会では『翻訳出来ない文章表現』では通用しないのである.翻訳できる日本文を書いて行きたいと思うのである.

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2005.09.05

03 生産性と戦略性

生産性は,仕事の仕方や製造技術等を工夫する事,改善する事をイメージする.発想の根底には現在の秩序を肯定する意識がある.一方,戦略性は差別化,独自化などをイメージする,その発想は現状打破・否定にある.

まさに生産性は現状肯定で改善,戦略性は現状否定で改革,と全く視点が違うのである.

又,生産性は戦略性の前で,無意味になる事がある.その競技には強くなったが,競技種目が変わってしまうような関係である.

この二つの概念は日米比較にも出てくる.日本のテクノロジーやカイゼンは国際的に優れていても,アーキテクチャーの発案,普及と言った戦略性は苦手である.結局,国際標準アーキテクチャーに従って,価格競争と戦いながら物を作るだけになる.アーキテクチャーを握らないと,マーケテング,商品開発,物作りの主導力は発揮できないのである.

今後は生産性追求と同じくらい,戦略性を重視しなければならない.’市場は成熟,商品は未熟’の考えで,独自性を大いに発揮して行きたいものである.成熟市場ほど,独自性が発揮しやすいと思うのである.

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2005.09.04

02 葛藤する日本文化①

農耕民族,縦社会,島国根性,単一民族性に総称される日本文化は,歴史的には中国,ヨーロッパさらにはアメリカの文化の影響を受けながら和洋魂才の独特の文化を形成してきた.

そしてさらに,日本のバブル崩壊,グローバル化によって,日本の社会や企業の根底に流れていた不合理性が露呈し,新たな経済的合理性の追求が政治,経済,文化をも巻き込んで始まったのである.一枚一枚日本的な制度,仕組みを剥がしながら,合理性に向けて構造改革が本格化し始めたのである.

各国の歴史,文化によって経済的合理性の程度は違うが,グローバル化や途上国の発展によって,世界的にも経済的合理性に基づくグローバルスタンダード化は避けられないのである.(下図はクリックで拡大)
  Photo
経済的合理性の強いアメリカにはもう一つの側面がある.貧富の差を許容したアメリカンドリーム,ボランティア,寄付,ナショナリズム,自立自己責任,宗教心などである.これらはアメリカの経済的合理性を支える必然的な価値観なのかもしれない.又これらは会社と個人,公と私,競争と和,富と施し,など,はっきりと使い分ける文化に根ざしていると考えられるのである.

日本では和,義理,人情,浪花節,しきたり,慣習など秩序を維持するための人間の英知だと考えられるが,それがあらゆる事に顔を出し,経済的合理性との葛藤がいつも起こるのである.ともすると合理性の対抗軸になるのである.個人の中で上記2つの行動を使い分ける文化,並存する文化がないと経済的合理性は中途半端になってしまう可能性がある.

社会制度で言えば,経済的合理性にのった制度作りと,人道的制度・文化の充実の2本立てで考える必要がある.日本人がやりそうな,どちらつかづの1本立てではダメだと思うのである.

企業経営においても,合理性をどこまで徹底できるかは,世の中の精神文化や制度に関係している.企業に企業内失業者や,福利厚生まで求めるより,企業の役割り,社会の役割りを区別し,それぞれに徹する方が全体としては活力が発揮され,国の社会福祉も充実させられる様に思う.同時に国民も会社人間ではなく,個の自立に勤めなければ,経済的合理性を追求する社会にはならないと思うのである.

日本の産業は戦後の大量生産大量販売で許容されてきた多くの類似企業や下請け企業が淘汰され,特徴ある企業が多く存在するフラットな構造が求められているのである.企業の社会的存在意義を再定義しこれに取組む時代なのである.景気をひたすら待ち続ける企業は時代の大きな変化から取り残されるのである。地方経済の振興も公共事業による社会主義経済から脱しなければ,国全体の活力が出てこないのである.

日本はバブル崩壊後10数年,やっと政治も経済も文化も次世代の姿に向け胎動しはじめた.保守的な考えがこれを妨害してはならないのである.経済的合理性の追求とフェアー・フラットな社会がこれからは必要なのである.

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2005.09.02

01 政党に問う

歴史に残る意味深い総選挙(郵政民営化に代表される構造改革を問う選挙)が始まった.今回に限らず,各政党の施政方針には,最低,次の事を表明してもらいたいと思う.

①国の今後のあり方についての党の方針
②国の不良債務残高に対する認識とその対処策
③800兆の借金返済計画
④任期4年間の歳入・歳出計画と取り組む政策

各党から,このように整理された発信がない.断片的な発信が多いように思う.

①は党が考えている施政の構想,例えば小さな政府,大きな政府,安全保障,憲法改正,等,を明らかにして欲しいのである.

②は,一体どのくらい不良債務(効果なく借金だけが残っている債務残高)があると思っているのか,その上で,その防止策を打ち出して欲しいのである.

不良債務とは供給効果の無い事業,需要効果狙いの事業,人件費,等の為の借金残高である.言い換えると不良債務は散々食った食事代の未払い分である.未来の国民からすれば,自分が食べていない食事代を払うようなもので,まさに不良債務なのである.

これは明らかに,未来の主権在民権を奪う事になる.出来るだけ早く返済しなければならないのである.この食事代と言う不良債務をなくす事が真の借金問題なのである.

800兆の借金の内,どれくらいこれがあるのだろうか.この食事代を算出し評価できないとしたら,行政の仕組みの大欠陥である.どんな方法でも,これを開示する事は,政治や行政の義務だと思う..

③の問題は,借金残高をどのように減らし行くのか,素朴な質問である.その見識なくして,いかなる政策も無意味だからである.

④は借金残高と今後の歳入・歳出計画の問題である.政治のもっとも重要な予算構想の問題である.

この財政状況の中で,行政改革問題,地方分権問題,社会保障問題,少子高齢化問題,税制,等を論じなければリアリティがない.平和で安全な社会,暮らしやすい社会,と叫んでいるレベルではないのである.

ところで,どう考えても,政策は財政の限界から官業・規制を小さくして民力を高め,防衛・災害・医療・介護・福祉に重心を移すと言う選択肢しかないと思う.選挙に勝つ為に大盤振る舞いをする発想は極めて無責任と言うしかないのである.

それどころか,そんな政権が出来たら,確実に財政破綻に陥り,取り返しが付かなくなる.それを国民が判断する為にも,党が考える予算概要を明らかにする必要がある.

以上,財政問題を直視した政策と国民の覚悟が今回の選挙に求められる.その意味で,今回の選挙には,党や政治家の考え方を明らかにする必要がある.そうなれば,今回の総選挙は過去に例を見ない政策中心の選挙になるかも知れないのである.

国民も’おらが代議士’に政治を任せるのではなく,政策への賛否を意思表示する時代に入ったと思う.それで初めて,小選挙区制度,政権交代可能な2大政党化の意味が出てくるのである.

’あの政党・政策は良いがあの人はいやだ’あるいは,その逆をどう投票行動につなげるか悩む所だが.

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