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2005.09.06

05 7・5・3の不思議

この数字には不思議な説得力がある.和歌・俳句・民謡・演歌の七五調、七五三のお宮参りや仏事のように、多くの風習・慣習や諺に,この数字が出てくる。

それぞれに、英知があって、現在に至っていると思うのだが、その事を超えて、日本人のバランス感覚やリズムにまで、この数字が浸透し、更に無意識のうちに、その数字を受け入れてしまう程に無防備になるのである.

例えば'新入社員には七五三があり、新婚さんにも七五三という節目がある'と言うと誰からも反論が出ず、納得するのである。これが六四二と言うと全く説得力がないのである。

又仕事の面では、'仕事がどれくらい進んだか'と問われた時、6割と言えば'なにやってんだ'と言われ、8割と言うと'本当か'と言われ、7割と言うと納得するのである。更に'この商談取れそうか'と問われた時、'5分5分です'と答えると納得するが、上の数字を言えば'甘い'と言われ下の数字をいえば'なにやってんだ'となるのである。'シェアーはどれくらいか'と問われたら、3割と答える。これ以上でも以下でも反論が来る。'ウソだろう'とか'低すぎる'とか.

この様に反論されたくない時に,この数字を使うのである.この数字は妙に説得力があるのである(私には通用しませんが) 一方バランス感覚の面でもこの数字が出てくる.

例えば、箇条書きで物事をまとめる時、五とか三が落ちつくのである.四とか二は何か不安である。整理しきれていない感じがするのである。私見によれば、三が究極の姿である。もっと言えば真理は三つ存在すると思っている。3つに絞りきれていない時は、まだまだ追及が出来ていないとか、考えが浅いと思うのである.

例えば、ある坂道に対し'下り坂'と言う人と'上り坂'と言う人がおり、立つ位置によって、真理は2つしかないと考えた時、3つにする為に、もう一つ違った見方があるはずだと更に考えるのである。はるか遠くにいる人は水平に見えるかも知れないと気が付くのである。

'真理は三つある'といつも自分に言い聞かせているのである。いろいろな選択も、2択や4択や5択ではなく3択が究極の選択肢であると思うのである。

これはタバコの節煙の方法であるが、夕方、家に帰るとき、箱に5本残しておくのである.次にタバコを吸うとき、これを吸うと朝までになくなってしまうので吸うのを控えようと思うのである.出来たら箱を別の部屋に置いておくとその日はタバコを吸わなくて済むのである。5本以下だとタバコを買いに行ってしまうし、5本以上だと気にせず吸ってしまうのである。5と言う数字は微妙なバランスにある数字なのである。節煙したい人は試す価値があると思うのである.

日本人は微妙なバランス感覚を好む.色彩,構図,あるいは、物事の考え方,等にそれが現われている.7、5、3を好む感覚と同じである.

7、5、3、の持つ不思議な力は多分中国に由来し,日本的なものとして定着したように思う.詳しく勉強してみたいとは思うが、多分西洋では通用しないと思われる。リズム感がそれぞれ違う事からも推測できる。

7、5、3は不吉な数字と思っている民族もいるくらいである。奇数派・偶数派や好き・嫌いの数字を国別に分類すると、文化圏がわかるかもしれないのである。

余談だが,言語で見ると,英語は単語そのものに単数と複数を意識する.音楽で言えば2拍子のアフタービートが基本である.ちなみに仏語は男か女を常に意識しているが,日本語は単一民族で経験知識の共有を前提に,相手の創造力を期待した抽象的な表現言語である.単語も抽象的にする為に単数表現なのである.’テーブルに卵がある’と言っ時,卵が1個か複数個かは気にしないが.英語ではそうは行かないのである.

'古池や蛙飛び込む水の音’は誰もが静寂な世界をイメージするが、欧米人は経験知識から蛙は複数形、騒々しい世界をイメージするのである.

日本における,この数字やリズム感が持つ不思議な力も、民謡や演歌の衰退,グローバル化、洋楽の流行、英語の普及、合理性の追求などと共に、少しずつ弱まり、多様化に向かっていると思うのである.

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