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2005.09.04

02 葛藤する日本文化①

農耕民族,縦社会,島国根性,単一民族性に総称される日本文化は,歴史的には中国,ヨーロッパさらにはアメリカの文化の影響を受けながら和洋魂才の独特の文化を形成してきた.

そしてさらに,日本のバブル崩壊,グローバル化によって,日本の社会や企業の根底に流れていた不合理性が露呈し,新たな経済的合理性の追求が政治,経済,文化をも巻き込んで始まったのである.一枚一枚日本的な制度,仕組みを剥がしながら,合理性に向けて構造改革が本格化し始めたのである.

各国の歴史,文化によって経済的合理性の程度は違うが,グローバル化や途上国の発展によって,世界的にも経済的合理性に基づくグローバルスタンダード化は避けられないのである.(下図はクリックで拡大)
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経済的合理性の強いアメリカにはもう一つの側面がある.貧富の差を許容したアメリカンドリーム,ボランティア,寄付,ナショナリズム,自立自己責任,宗教心などである.これらはアメリカの経済的合理性を支える必然的な価値観なのかもしれない.又これらは会社と個人,公と私,競争と和,富と施し,など,はっきりと使い分ける文化に根ざしていると考えられるのである.

日本では和,義理,人情,浪花節,しきたり,慣習など秩序を維持するための人間の英知だと考えられるが,それがあらゆる事に顔を出し,経済的合理性との葛藤がいつも起こるのである.ともすると合理性の対抗軸になるのである.個人の中で上記2つの行動を使い分ける文化,並存する文化がないと経済的合理性は中途半端になってしまう可能性がある.

社会制度で言えば,経済的合理性にのった制度作りと,人道的制度・文化の充実の2本立てで考える必要がある.日本人がやりそうな,どちらつかづの1本立てではダメだと思うのである.

企業経営においても,合理性をどこまで徹底できるかは,世の中の精神文化や制度に関係している.企業に企業内失業者や,福利厚生まで求めるより,企業の役割り,社会の役割りを区別し,それぞれに徹する方が全体としては活力が発揮され,国の社会福祉も充実させられる様に思う.同時に国民も会社人間ではなく,個の自立に勤めなければ,経済的合理性を追求する社会にはならないと思うのである.

日本の産業は戦後の大量生産大量販売で許容されてきた多くの類似企業や下請け企業が淘汰され,特徴ある企業が多く存在するフラットな構造が求められているのである.企業の社会的存在意義を再定義しこれに取組む時代なのである.景気をひたすら待ち続ける企業は時代の大きな変化から取り残されるのである。地方経済の振興も公共事業による社会主義経済から脱しなければ,国全体の活力が出てこないのである.

日本はバブル崩壊後10数年,やっと政治も経済も文化も次世代の姿に向け胎動しはじめた.保守的な考えがこれを妨害してはならないのである.経済的合理性の追求とフェアー・フラットな社会がこれからは必要なのである.

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