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2005.10.16

21 株買占めへ抵抗感が示す買収への無防備さ

日本企業は株を買い占められないように企業間での株の持ち合いやメインバンクの保有を行なってきた.これが資産バブルの崩壊,年金資産の減損,時価会計制度の導入によって,企業持ち株が放出され,海外の機関投資家やファンドに多額の株が流れた.これによって,企業は新たな買占め防衛策が必要になったのである.

元来上場企業は株主を選べないし,敵対的買収リスクが常に存在している.従って,大口株主が突如出現すると,株価が高騰し,時価総額が大きくなるにも係らず,経営者は真っ青になる.世論,従業員も株売買利益目的の買収には反感を持つ.さらに,経営権を取られる恐怖がある.その背景を上げてみた.

①他人資本中心の企業経営の歴史に一因がある.資産や事業の拡大は融資を受けて行なっており,必ずしも増資によらないのである.従って株主より銀行が大事であり,配当より含み益や内部留保を重視するのである.かくて総資産に占める資本金の占める割合は低くなり,株の時価総額も資産価値より低い状況になりやすいのである.

②ファンドに対する抵抗感も一因である.株主のイメージは個人,一般企業,銀行,保険会社である.ファンドマネーとかファンドマネージャー,トレーデングとかに背広を着たバクチ打との感情がある.バブル絶頂期,マネーゲームがブームになったが,その時も生業とは一線を画していた.ファンドによる買収はマネーゲームだけで仕事を知らないくせにと抵抗感を強めるのである.

③もう一つ,会社は大口株主のものではないとの意識があるからである.会社は顧客,取引先,従業員,納税,福利厚生,雇用,など多くの役割りを担っている.これらはまさに会社の役割りであって,会社を所有しているものはやはり株主なのである.

大口株主の出現は会社の活力を高める可能性を持つが,会社に巨額の損失を与える可能性もある.世論や経営者,従業員の反感は,この損失の可能性に反感を持つのである.買収は業績の悪い会社に取っては救世主であり,業績の良い会社にとっては乗っ取りになるのである.

⑤さらに,経営権を持つ株主がいない状態の会社に突如,物言う大口株主が出現する事への抵抗感がある.

⑥企業は株発行で資金を調達した後の株価の変動や時価総額に無関心な事が多い.これも買占めに抵抗感を持つ背景である.

しかし資本主義である以上,株の所有で買収したり,売買差益を求める行為を批判する論理は無い.

このように,抵抗感がある事は無防備の証拠である.低い配当,安い株価は,金あまり状態で,大金が集まる.ファンドにとって格好のターゲットになる.日本企業は知らない内にマネーゲームや配当圧力の荒波に身をさらしているのである.

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2005.10.15

20 プロセス重視への変化

日米の大学比較で入学と卒業の考え方の差はよく知られた事であるが,入り口重視の日本とプロセス重視の米国の象徴的差である.許認可,資格,与信,あるいは履歴書など,多くの場面で,この差が現れる.クレッジト与信で言えば,資産,収入重視の日本に対し,米国では取引履歴が重視される.履歴書では学歴や資格を重視するか,何をしてきたかを重視するかの違いがある.

許認可や資格の入り口重視は一度入り口を通過すると,その後,見直される事はなく利権化していく傾向がある.プロセス重視は活動内容,監視機能あるいは訴訟によって,見直される可能性を残す.文化的には秩序を重んじる日本と競争社会の米国との差である.資産評価で言えば取得価格か時価かの違いである.

一方,この日本の文化や制度はプロセス重視の方向に動いている.医師免許,教員免許あるいは選挙の関門を通過した政治家も,行政,法制度あるいは予算にしても,民意の向上や環境変化によって,入り口重視からプロセス重視に移るのは自然の流れだと言える.

企業評価にしても知名度より収益性,配当,株式時価総額などによる評価,格付けが重視される時代になっているのである.会社の人事評価においても,結果を重視する事は当然だが,それよりも結果が出る前のプロセスを重視する方向である.サラリーマンの職業意識も寄らば大樹ではいつかリストラされるのである.資産バブル崩壊状態での時価会計制度の導入は多額の含み損や資産売却,資産デフレを招いたが,企業力の客観的状態が分かるようになったのである.

このように入り口重視からプロセス重視へのシフトは,複雑で難解な問題が多い,変化が激しい社会では当然の流れである.依然と入り口重視になっている制度や考えを総点検しなければならないのである.

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2005.10.02

19 葛藤する日本文化②

日本は中国,韓国,ヨーロッパ,アメリカなど多くの文化を取り入れながら和洋折衷の文化を形成してきた.反物で喩えると,強さを表す日本的な縦糸に中国、欧米の文明・文化と言う横糸を入れて日本独特の模様(文化)を描いて来たのである.さてこれからの日本はどんな模様を描いていくのか.いまだ描ききれていないのである.

バブル崩壊,グローバル化によって,戦後の政治,経済を支えてきた,日本的価値観,政治,経済の構造に蓄積された不合理性が露呈し,新たな合理性にもとずく構造改革が急速に起こっているのである.

一方,経済は合理性を限りなく追求するものだが,広い意味での文化(精神文化)と密接な関係にある.経済の持つ最適化行動原理の変数として歴史・文化・国策があり各国の社会・経済システムを形成している

この意味で今起こっている変化は合理性(理)と文化(慣習、歴史、気)との葛藤を伴ないながら、その新たな接点を求めて行くプロセスだと思う.科学技術を中心としたハードから、まさに制度や文化と言ったソフトに変化の焦点が移って来たのである.

経済の政策や仕組みを論ずる識者は多くいるが,歴史・文化から今後の精神文化を考える人は見うけられない.経済・社会の改革によって文化がどのように変わりそれが生きていく上で許容される事なのか,あるいは変えてはいけない事なのか,新ためて哲学や価値観が問われている時代に来たと感じられるのである.

ここで,日本と米国を比較してみた.

縱文化(日本)

曖昧の合理性(曖昧にしておいた方が合理的),単民族国家,農耕民族,村社会,帰属意識,儒教,道徳,調和,合議,年功,血統・世襲,寛容,律令国家(統治)立憲君主制,縦割り行政・団体・企業,秩序,融資,メインバンク,他人資本,企業間での株の持ち合い,会社は徴税・雇用・福祉・株主配当の機関,終身雇用,年功序列,会社別組合,集団主義,生産性,履歴書は生まれた時から記述(どこで生まれて,学歴は)転職暦は不利,人材はストック,日本料理,企業別セミプロスポーツ,お茶,生け花,美術,骨董,古典芸能,料亭,接待,義理・人情・浪花節,御祭り,歳時季,相撲社会,トラブルの時持ち出すのが契約書,俳他的ではあるが寛容で住みやすいがコストがかかる社会,レース的競争社会

横文化(米国)

曖昧の不合理性(白黒はっきり)多民族移民国家,狩猟民族,契約社会,市民社会,大統領制,ルール,競争,フェア-,採決,実力,民法,フロンテア‐,戦略性,訴訟ビジネス,出資,株価,M&A,創業者利益,会社は株主のもの,配当,株主代表訴訟,職種で雇用契約,職種別組合,個人主義,履歴書は現在から過去へ記述(人材時価主義),転職によって実力を高めていれば有利,人材はフロー,ファーストフード,ライフル,プロスポーツ,仕事をするとき持ち出すのが契約書,合理性,オープン,フェアーを目指す社会,勝ち負け貧富のでる社会、ゲーム的競争社会

すでに,上記の日本的なものが,一枚一枚剥がれている経済的合理性と精神文化のバランスを急がねばならないのである.

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