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2006.02.27

36 IT産業の経済的特質

デジタル革命とともに,IT産業の発達,普及は顕著であるが,かつての家電や車のように産業を牽引するものではない.IT産業の特質について整理してみた.

①IT設備投資の経済波及効果は少ない

半導体や液晶などの工場建設で設備投資は何千億と発表される事がたびたびある.最先端技術やデジタル技術に共通する事であるが,部品は高密度高精細のプリント板やウエハーに搭載され,多くの資源,部品,労働力を使うわけではない.又,産業城下町を形成するほど末広がりの企業郡を必要とするわけではない.設備も国内だけで調達するわけでもない.従って,設備投資の波及効果は従来モデル(産業連関モデル)とは違った見方が必要なのである.

②消費拡大でも国内経済効果は少ない

大画面テレビ,デジタル家電,パソコン,携帯電話,等個人消費を牽引していることは確かである.しかし,IT関連製品は国際企業分業が発達し,その需要効果は全世界に薄められる.又,IT関連商品はデジタル化,ソフト化されている為構成部品はきわめて少なくなり,これも需要波及効果が少ない理由である.

③IT関連商品が他の商品需要を抑える

個人消費は可処分所得と使用時間の奪い合いである.デジタル家電やパソコンや携帯電話の購入は他の消費が減少する事を意味する.上記のようにIT関連商品の売り上げ増は②の通り,経済波及効果の少ない商品に個人消費が移る事を意味する.

従来の多くの労働時間や資源,部品を使う,波及効果が大きい商品が減少するのである.又,パソコン等IT関連商品を使う時間が多くなれば,他の商品を使う時間が減少する.そればかりか通信料,サ-ビス料,手数料に消費が移るのである.

④情報社会はオーバーカンパニーを許容しない

IT関連商品は劇的なスピードアップとコストダウンを実現する.社会全体が効率化され,人件費,物流費,在庫投資,設備投資,経費あらゆるものが減少する.この意味でスリム化,効率化,低価格化する分,オーバーカンパニーが淘汰され,全体の経済サイズは縮小し.デフレ圧力になるのである.

⑤ソフト・システム開発の経済波及効果は少ない

ソフト・システム開発は労働集約,非拡大再生産,労働力の低流動性,需要の変動,等の特性がある.基本ソフト,ミドルソフトはマイクロソフトに代表だれるように多くは輸入であり,国内はシステム開発需要であるがパッケージの発達,ソフト技術の発達,スキル人口の増加で事業者の仕事量は減少方向である.

又,デジタル家電,デジタルカメラ,産業機器,車,ゲーム機,携帯電話などへの組み込みソフトの需要は急速に伸びているが,国際競争,国際分業の中で激戦が繰り広げられている.

又,今後のソフト開発の膨大な需要先はロボット分野である.認識,動作など頭脳部分はすべてソフトの力である.産業機器も含めて,この分野は基本ソフトも含めて,今後極めて重要になる.

以上の如く,IT産業には他の産業にはない経済的特質がある.IT産業が経済を引っ張るのではなく,あらゆる産業がITを屈指して,効率化,競争優位,新市場開拓をし,ローテク商品も差別化をしない限り,パイの拡大にはつながらないのである.

IT産業は,かつての重工業,造船,家電,車等のように雇用や景気をを牽引する産業と言うより,産業や個人を多様化,個性化し,経済や資源を効率化する産業であると認識すべきなのである.

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2006.02.21

35 ライブドア事件と守旧派

ライブドア事件の論評が多く語られているが,違法性の問題と錬金手法(ビジネス手法)の問題が,感情,道義,人物評価と混ざり合って,論じられる事が多いように感じる.

一般に,株式時価総額は本業の成果で増加させるものであるが,ライブドアは株式分割,株式交換前提の新株発行と企業買収,自社及び買収先企業の株売却益取得,これを繰り返す手法で時価総額を高めていった.これで資金600万から8000億の時価総額を作ったのである.若さ・度胸も含めて,すごいとしか言いようが無い.随分と研究したのであろう.大学サークルの延長のような感じもする..機関投資家はいろんな手法を熟知しているはずであるが,ほとんどサラリーマンであり,量的金融緩和時代の新人類の出現に違いない.

一方,株価を上げる為に,企業買収に関する風評,偽装,子会社との架空取引,利益操作などの違法性が問われている.さらに,これに輪をかけて,本業ではなく上記のような株操作による資産拡大はけしからん,金が全てはけしからん,仕事も知らない,事業計画も無い企業買収は問題だ,買収で株価を上げて売り抜けるのはけしからん,等の論理性の乏しい論評が起こっているのである.

検察の’汗を流さず巨額の利益をあげた者は許さない’等の正義感も,論理性に欠けた時代錯誤の感じもする.ちなみに,利益は汗の対価だけではなくリスクの対価,価値増加の対価,買い手の満足度の対価,戦略戦術の対価と,いろいろあると思うのだが.金利,配当,投資,投機で利益を得る事を禁止した宗教もあるが,これを信仰している識者が多いのかもしれない.

ようは,ライブドアをファンドと見れば何の不思議でもないのである.ファンドビジネスをけしからんとするなら筋は通る.しかし,年金も貯金も保険もマネーゲームに大きな役割りを果たしている事,誰しも直接,間接を問わず自分の資金はファンドと関係している事を,どう説明するのだろうか.けしからんと言う大学教授,評論家に是非,聞きたいのである.感情ではなく論理で論評して欲しいのである.

感情,道徳で論じているうちに,外資に完璧に負けるのである.公的資金を投入し,国営化された銀行を外資が安く買い取り,巨額の利益をあげた事を’ハゲタカファンドはけしからん’’外資に国の富を売った’と論評した人が多かったが,国内で買い手がいなかっただけである.早く卒業しなければならない風潮である.失われた10年を作った人はこの人たちではないかと思う.

勿論,現場のプロはこんな幼稚な識者の論評に気にも欠けないはずである.多くの国民もきっと論理性の乏しい論者を軽蔑していると思う.大衆を見損なった大衆迎合がマスコミにまん延している感じがする.

もう一つ,ライブドア手法で注目すべき事は株式分割による株主及び株売買の大衆化,小口化である.ネット取引の発達,規制緩和,株式市場の開放,ゼロ金利による間接金融から直接金融へのシフト,の中で,銀行・証券・取引所の膨大な手数料収入とともに,この新たな株取引が出現した.大衆化によって,リスクの分散,株価の安定化,資本と経営の分離,など一つの姿が現れる.成熟した形だとも思う.勿論,貯金,信託,債権を選ぶのも,人気やファン心理で株を買うのも自由である.大衆化は金融に関する国民の知識や高い貯蓄性向を,大きく変化させるのである.

この大衆化に関する賛否の論評が少ない.分割や売買単位に規制を復活する事になるのだろうか.株式市場を機関投資家だけの世界に戻すのだろうか.専門家の論評が欲しいのである.

株取引,や金融商品は素人が手を出すなとの風潮があるるうちは入り口の議論から脱しられないと思うし,むしろ,大衆化を前提にした制度設計が経済や金融の健全性を高める上でも必要だと思うのである.

デイトレードを仕事とする人や増加を簡単に許す仕組みが,けしからんと言う論者もいる.これも論理性が乏しい.むしろ株の教育が重要なのである.車を禁止するのではなく,運転の仕方を教育する事と同じである.

日本は長い間,貯金と間接金融,公共事業によって経済を運営してきた.資産バブル崩壊後15年立つが,市場経済,金融工学,ファンドビジネス,直接金融,法制度,監視能力,価値観など,まだ未熟だと言う事だろうか.

けしからん族は日本型社会主義的資本主義(混合経済,公私のダブルスタンダード経済)に帰れと言うのだろうか.800兆の借金で,もうそこには帰れないのだが.

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2006.02.19

34 意味不明の’慎重に’

最近,政治家の発言に’慎重に’の発言が多い.同時に’拙速すぎる’とも言う.

この発言は'反対だ,異論がある,反対だけれども対案が無い,良く理解していない,今議論すべきでない,あるいは,内外ともに影響が出るので明言を避けたい',など,真意が良く分からないのである.一見,真面目な言い方のようだが,言質を問われない為,無策を隠す為の政治家特有の言い方なのかもしれない.古手の政治家に多いように感じる.

’貴方の意見は’の問に’慎重にやるべきだ’はかみ合ない.意見の内容,所見を聞いているのに,進め方を答えているのである.一昔前は’前向きに検討したい’が多かったように思う.これは明らかに’やらない’’棚上げ’を意味した.’慎重に’が多くなったのは,最近,専門的でかつ難問が多くなり,立論が難しくなったからなのだろうか.改革にいらだつ,守旧派の枕詞なのだろうか.

昨今,有識者による諮問会議での立論が多くなって来た.それに対し,政党,代議士は’慎重に’と言ったり,賛否の手を上げるだけの役割りに向かっているように感じる.ならば政党政治はいらないのである.案件ごとに代議士個人として賛否を判断すれば良い事になる.

いづれにしろ,’慎重に’との発言は進め方を言う時に使う言葉であり,所見にあたらない.私の意見はこうだ,あるいは,十分意見を整理できていない,とした上で,どのように進めるのか,と率直に意見を言う政治家の方が透明性や信頼感を持てるのである.問題点も明らかになるのである.

靖国問題,中国問題,韓国問題,北朝鮮問題,皇室典範問題,米軍基地問題,憲法問題,財政問題,行政改革,公務員改革,金融・証券問題,等,’慎重に’どうするのだろうか.政党,政治家は主張をはっきり言って欲しいのである.

資産バブル崩壊後,ソフトランデング論の財政出動で対応しようとしたが,結局本質的な構造問題に手が打てず10数年経過した.その間に,長期不況と莫大の国債残高を残す事になった.’慎重に’が国民が好む傾向でもあった.変化を好まない国民性の現れでもあった.この経験から,はっきりものを言い,英断する事の重要性と改革意識が芽生えたのである.

本当に時間をかけなければならない問題と時間をかければ問題が大きくなる問題とを仕分けし,対処しなければならない.’慎重に’の意味を’慎重に’使って欲しいのである.難問山積みのなか,改革(現状否定,秩序の変更),改善(現状肯定,秩序維持),優先順位を切り分けて政策を立案して欲しいものである.

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2006.02.17

33 経済事件と経営者

法令違反や事故で司法の手が入ったとき,経営者の犯罪性が問われる.管理責任が問われるのは当然だが,知らなかった/知っていた,報告を受けていない/受けている,決済をしていない/している,指示をしていない/している,そして,しているとしても,違法性を認識していない/認識していた,などの論争がおこる.

良くあるケースは,厳しく,利益を上げろ,コストを下げろ,と経営者なら当然指示する事はある.その事が事故や犯罪を主導したような印象になる事がある.経営者は当然,法を犯してまでやれと指示していない,と言う.

又,粉飾決算などの事件で,違法性を認識できず,そんな知識も無い,詳細は知らない,と言う.

これらの事が,経営者の無罪,有罪,量刑にどのような影響が出るのかよくわからないが,確信犯は別にして,経営者は大変なリスクの上で経営している事になる.

大きな事件なら,マスコミ報道、任意調査,起訴で,企業の信用,株価,事業に大きなダメージが発生する.倒産になる事もある.株主代表訴訟も起こり得る.まさに、築城は難し,落城は安しである.

経済事件は裁判が始まる前に取り返せない制裁が起こるのである.もし無罪だったら,誰が責任を負うのだろうか.

経営者は経営姿勢として,目に見える形で,コンプライアンス運動やチェック制度を実施し,未然防止に努めなくてはならない.又,万一に備えて,マスコミ対応や広報の訓練も必要である.

特に経営者は過去に修羅場の未経験者が多く,発生時の対応が,幼稚であったりする.ましてやマスコミに突き上げられた経験も,マイクやテレビカメラに囲まれた経験もない事が多い.これらも含めて,リスクマネージメントが極めて重要な時代なのである.

鳥インフルエンザ事件で,養鶏場のご夫婦が自殺した事があった.うそを言ってしまった事,責任感が原因かも知れないが,これなども,純朴な人へのマスコミの追求が少なからず影響していたと思われる.夫婦で自殺など乃木将軍以来の出来事であったが、この心境を報道したマスコミはもない.自殺の原因に,マスコミは口をつぐんだ印象がある.

経済事件は,これからも,後を絶たないと思う.日本版SOX法もでてくる.経営者は業績だけに注力する時代ではないのである.マスコミも言論や報道の自由にかこつけて,人権を踏みにじったり,犯人探しに終始し,視聴率を狙った,商業報道に走ってはならないのである.

もう一つ、不適切な事案に対し、業務停止などの行政指導、決算書や納税額の修正申告、逮捕・訴求など、その処置の程度がファジーに感じる.見せしめ的処置もある.官尊民卑を感じる事もある.官、司法の恣意的なところが気になる.

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2006.02.07

32 競争と和の混在から分離共存の社会へ

当多事論戯で葛藤する日本の精神文化について2回,所見を述べているが,再度,’競争と和’について整理したい.

これは,政治でも仕事でも個人の行動においても,その相手が複雑に絡み合いながら,常に付きまとう悩ましい命題である.競争原理による経済的合理性,論理的合理性,と精神,感情との葛藤がいつも起こるのである.

’理と気’が一致する事はきわめて重要であるが,理は分かっているけど,そんな事はやれない,信義に劣る,クールすぎる,風土・慣習に合わない,合理性が既得権益にまで及ぶと,今までの和が崩れる,有利な立場にある者が競争原理を積極的に主張する,と,言った事が起こる.

結局,損得や人情で使い分けたり,曖昧な決着にしたり,結果,合理性の論理に負ける事が多いのである.’真理は中庸にある’ではないが,いろいろな仕組みや行動の中に,競争と和,公と私を足して2で割る中庸な文化が存在し,中途半端になるのである.

例えば,会社は利益を追求する機関であるが,社会的責任を担う法人として,税金以外に健康保険,年金保険,福利厚生,家族手当,住宅手当,等のコストを負担したり,仕事の中に義理人情が入り込んだり,徒弟制度的人間関係や曖昧な人事評価制度が現存する.

又,個が自立していない為,仕事の評価と人格が一体化したり,公私が一体となった会社人間であったり,するのである.理のわずらわしさを気で補おうとする事が多いのである.

理のない気は衆愚化を招き,競争と和が混ざり合うと,わかりづらく,曖昧さが付きまとう.論理的にも精神的にも,競争と和が中途半端になるのである.

そして,いつもイチゼロの葛藤が起こり,深刻になるのである.中庸な人間にとって,不得手の事かも知れないが,社会が多様化,複雑化,国際化した現在では,この二つの概念を分離し,それぞれを追求し,相互に補完する新しい文化が必要だと思う.そして,競争文化と和の文化がバランスよく発展する必要があると思う.

そんなわけで,伝統的な『競争と和の混在』から『分離共存の社会』にして行く必要を感じるのである.

目いっぱい稼いで,社会福祉やボランティアや寄付を充実させる.公私一体になった会社人間から公と私を分離し,個の自立にも価値を見出す,歴史的文化,行事も大事にする,会社コミュニティだけではなく,個のコミュニティも発達する,こんな競争(優劣の戦い)と和(共生)が両立する社会が活力を生むと思うのである.

このように,競争原理や経済的合理性の追求で,曖昧さや和の精神が追い出される反面,国でも企業でも個人でも,和の文化を追求していく必要がある.企業で言えば,実力・成果主義を取り,1割の社員を処遇するとした時,経営者は9割の社員のモチベーション,活力を考えなければならないし,社員は競争に耐えられる精神的バックボーンを持つ事が必要なのである.

アメリカ流は問題だ,との論調もあるが,競争・合理性を追求する一方で,ボランティア精神,アメリカンドリーム,ファミリー,個人主義,宗教,ナショナリズム,等の文化が根付いている事を見逃してはならない.これらが競争社会の精神的バックボーンとなり,下支えしていると思うのである.

子供の教育も,この2つの大切さを教える必要がある.勉強自身に価値がある事,友達同士の競争もある事,競争に負けじと勉学する事,勉強以外で違った優劣がある事,勝った者が負けた者を助ける事,勝った者をたたえる事,負けた事から次の事を考える事.など競争と和について学ばねばならない.

友情や仲良くする為に,区別を避ける為に,競争をさせない,は教育者の逃げである.試合とノーサイドの概念をしっかり教育する必要があると思うのである.

何よりも,個人の中に,’競争と和’の2つの精神を持ち,両方行動できる人間になりたいものである.心の中で相互に補完し合った方が精神的にも安定し,両方,頑張れる気がするのである.

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2006.02.04

31 地域経済振興策の回帰

日本全体の活力にとって,地域経済の活性化は不可欠である.残念ながら現実は公共事業経済であったり,村全体が社会主義経済(村民のほとんどが公益事業に勤務)になっている所もある.社会資本整備によって自然環境や経済立地,などのハンディを軽減しても,振興は進んでいない.
依然として人口が移動し,地方には長男しかいない,いや長男もいない過疎化が進んでいる.受け入れ側や日本全体で見れば良い事なのかも知れない.地域格差の拡大を止める事はきわめて難しいのである.
               
経済原理に合致しない,人為的な振興策は税金の食い逃げにつながる.効果どころか債務を膨らましただけの従来の地域経済振興策を見直し,経済原理にかなった施策に転換する必要がある.
工業団地やテクノパークを造成し企業誘致を図る,厳冬地域にレジャー施設やテーマパークを作る.無駄な道路を作る,など,もはや財政が許さないし,このような施策をやめなければならないのは当然である.

そこで,歴史的に形成された地域産業集積の形態を参考に,各地域の方向性をあらためて定める必要がある.現在の都市は日本に係らず,歴史上の絶対権力者の力で都市が形成されてきた.民主主義の下では経済原理にかなう努力しか,これを推進できない.そこで次の視点に帰って振興を考えたい.

①地場需要からの発展型(既事業の発展)
②既産業集積からの発展型(既集積産業の振興)
③産地からの発展型(農林漁業,鉱業,エネルギー等関連事業振興)
④産業城下町からの発展型(下請けの特技の振興)
⑤産業立地からの発展型(大都市需要,企業連携からの振興)
⑥地域と無関係な独立企業の発展型(特化企業の勃興)
⑦歴史文化からの発展型(遺跡,偉人,祭り,行事からの振興)
⑧自然環境からの発展型(観光,温泉,長期滞在等からの振興)

各地の産業振興は上記8つの切り口の中で,どの切り口が妥当するのか,足元を見つめながら振興の方向性を見直すべきである.同時に中小零細企業,個人事業は職人気質の発揮やユニーク性の発揮を求めたい.情報ネットの活用も不可欠である.世代交代によって,家業を引き継いだ青年実業家の台頭もあり.国際化の中で,産業構造が大きく変貌する中でこそ,足元に振興の芽があるように思うのである.
農業漁業で言えば特産品,ブランド,安心安全の付加価値追求や,地元産物を使った,食品,薬品,化粧品の第二次産業への進出や,第一次産業と弟二次産業の労働力のワークシェアリング等,特徴ある地域産業集積が考えられるのである.もちろん市場は全世界にあるのである.
又,健康増進,病気予防,介護,福祉,医療等をコストと見るのではなく,この関連製品の開発やサービスの事業化も,どの地域でも考えられるテーマである.
定年退職者のNPOへの行政の委託も行政コスト削減のみならず,人材の有効活用につながるのである.
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最近,大学改革の中で,どの地域も地域経済振興の為に官産学連携が叫ばれている.残念ながら,予算取りや表向きの大義名分が透けて見える.地元企業への技術相談や共同開発はありえても,大々的な先端技術による地場産業振興や企業誘致は他地域や国際的な競争の中で,自治体が思うほど実現性は低い.当事者すら,旧態依然の予算取りや箱物行政が裏にあると感じているのである.
地方大学は地域の人材育成が本職だが,地域産業振興を支援するならば,その地域の特性を踏まえた,次のような活動を望みたい.

①地域公共投資の客観的評価
②上記8つの視点での地域分析
③運賃(鉄道,新幹線,航空,高速道路)と産業振興の関係分析
④交通網整備と地域経済の関係分析
海外も含めた類似地域の活性化事例の分析
⑥地域産業の歴史・人物の紹介
⑦地域社会人への生涯学習の実施

など地域に役立つ大学らしい活動が必要だと思う.
又,地方大学自身の改革も急務である.定年後の教授や公務員の天下りの受け皿であったり,旧態依然の教材,保守的な風土,などから改革せねばならない.
大学の教育目標をマニュフェストにし,それに応じた教科を作り,人材育成への責任ある取り組みが必要である.同時に,民間人の登用も含めて,指導者の適材適所も必要である.今後,大学の淘汰が予想される.マニュフェスト,指導者,塾の精神が存続のファクターになると思う.地方の大学も地域振興の中にあるのである.
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2006.02.03

30 演繹法と帰納法

問題の解決方法として、演繹法と帰納法がある.

演繹法は原理・原則・あるべき姿や行動を定義し、具現化・実行していく方法(理想から具現化の方法)であり、帰納法は目的に沿った具現的行動・成果を積み重ねて,原理・原則・あるべき姿や行動を汎用性のあるものに導いていく方法である.

従って演繹法はトップダウンアプローチであるがゆえに、あるべき姿や行動が定義されていなければならない.この定義作りに時間をかけていたのでは具現化までなかなか至らない危険を秘めている.一方、帰納法は現実の活動の中から理想の形を作って行くやり方であり、ナレッジの形成と活用のプロセスと類似しているのである.

システムの提案や設計は全体構想から始まって必要機能を洗い出し、論理的体系を定義し、DBを設計し、プログラムによって具現化する、まさに演繹法である.形にこだわる日本に多い手法である.米国では帰納法によるシステム化が古来より多く見られる.全体はともかく、各部門や個人の目的に応じてシステムを作る、まさに目的思考の行動である.其の分、全体のシステム体系がよく分からない事が多いのである.

企業における方針や課題・対策を効果的に進めるとき、この二つのアプローチがあることを理解して取組まなければならない.

例えばセキュリテー対策を例に取ると、ウイルス対策・不正アクセス対策・機密保持対策、信頼性対策、個人情報保護対策と非常に広範囲で、かつあらゆる事を網羅した対策はきわめて難しいのである.従って基本的な規約/ルールを造って'守りましょう’だけでは対策にならないのである。もっと帰納法的に’こんな問題もある’’こんな留意・対策も必要’と言った具現的事柄を出し合い、共有しながら、この問題に取組まなければならないのである。全社員の意識の向上と肉付けが必要なのである.

品質向上やコストダウンも、演繹的手法で’どんなやり方が良いのか’を考え、形を整えてから具現化・実行する方法もあるが、往々にして、形を作るのに多くの時間がかかったり、出来あがったものが共通的であるがゆえに、得意技を持った人からすれば、レベルダウンになったりするのである.(これは非常に良くある事)従ってこのような問題は帰納法的に、それぞれの分野で繰り返しの経験から出てきた改善/工夫を次に生かしながら、効果を上げていく方法が効果的なのである.

さらにスキルアップの問題に付いて言えば、企業戦略に応じて、スキル体系を考え計画的に実行する事はまさに演繹法である。しかしながら、時間をかけてスキル体系を考えて行くうちに、学校のような教育体系となり、食えないものになってしまう事が多いのである。個人で学ぶもの、会社として取組むもの、あるいは入門的なもの、専門的なもの、を仕分けしながら、絞りこみながら,あるいはOJTも考えながら、個人別に落とした実行が必要なのである.

情報社会の進展によって,情報格差をなくし,仕事に対する個人能力の最大化が急速に高まっている.したがって,全社員が考え、持ち上げていく,帰納法的発想(ナレッジマネージメントの基本)が重要である.企業の活力は考える人の数に比例する時代に入ったのである.

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