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2006.02.07

32 競争と和の混在から分離共存の社会へ

当多事論戯で葛藤する日本の精神文化について2回,所見を述べているが,再度,’競争と和’について整理したい.

これは,政治でも仕事でも個人の行動においても,その相手が複雑に絡み合いながら,常に付きまとう悩ましい命題である.競争原理による経済的合理性,論理的合理性,と精神,感情との葛藤がいつも起こるのである.

’理と気’が一致する事はきわめて重要であるが,理は分かっているけど,そんな事はやれない,信義に劣る,クールすぎる,風土・慣習に合わない,合理性が既得権益にまで及ぶと,今までの和が崩れる,有利な立場にある者が競争原理を積極的に主張する,と,言った事が起こる.

結局,損得や人情で使い分けたり,曖昧な決着にしたり,結果,合理性の論理に負ける事が多いのである.’真理は中庸にある’ではないが,いろいろな仕組みや行動の中に,競争と和,公と私を足して2で割る中庸な文化が存在し,中途半端になるのである.

例えば,会社は利益を追求する機関であるが,社会的責任を担う法人として,税金以外に健康保険,年金保険,福利厚生,家族手当,住宅手当,等のコストを負担したり,仕事の中に義理人情が入り込んだり,徒弟制度的人間関係や曖昧な人事評価制度が現存する.

又,個が自立していない為,仕事の評価と人格が一体化したり,公私が一体となった会社人間であったり,するのである.理のわずらわしさを気で補おうとする事が多いのである.

理のない気は衆愚化を招き,競争と和が混ざり合うと,わかりづらく,曖昧さが付きまとう.論理的にも精神的にも,競争と和が中途半端になるのである.

そして,いつもイチゼロの葛藤が起こり,深刻になるのである.中庸な人間にとって,不得手の事かも知れないが,社会が多様化,複雑化,国際化した現在では,この二つの概念を分離し,それぞれを追求し,相互に補完する新しい文化が必要だと思う.そして,競争文化と和の文化がバランスよく発展する必要があると思う.

そんなわけで,伝統的な『競争と和の混在』から『分離共存の社会』にして行く必要を感じるのである.

目いっぱい稼いで,社会福祉やボランティアや寄付を充実させる.公私一体になった会社人間から公と私を分離し,個の自立にも価値を見出す,歴史的文化,行事も大事にする,会社コミュニティだけではなく,個のコミュニティも発達する,こんな競争(優劣の戦い)と和(共生)が両立する社会が活力を生むと思うのである.

このように,競争原理や経済的合理性の追求で,曖昧さや和の精神が追い出される反面,国でも企業でも個人でも,和の文化を追求していく必要がある.企業で言えば,実力・成果主義を取り,1割の社員を処遇するとした時,経営者は9割の社員のモチベーション,活力を考えなければならないし,社員は競争に耐えられる精神的バックボーンを持つ事が必要なのである.

アメリカ流は問題だ,との論調もあるが,競争・合理性を追求する一方で,ボランティア精神,アメリカンドリーム,ファミリー,個人主義,宗教,ナショナリズム,等の文化が根付いている事を見逃してはならない.これらが競争社会の精神的バックボーンとなり,下支えしていると思うのである.

子供の教育も,この2つの大切さを教える必要がある.勉強自身に価値がある事,友達同士の競争もある事,競争に負けじと勉学する事,勉強以外で違った優劣がある事,勝った者が負けた者を助ける事,勝った者をたたえる事,負けた事から次の事を考える事.など競争と和について学ばねばならない.

友情や仲良くする為に,区別を避ける為に,競争をさせない,は教育者の逃げである.試合とノーサイドの概念をしっかり教育する必要があると思うのである.

何よりも,個人の中に,’競争と和’の2つの精神を持ち,両方行動できる人間になりたいものである.心の中で相互に補完し合った方が精神的にも安定し,両方,頑張れる気がするのである.

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