« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

2006.06.23

51 W杯で見えた事

サッカーワールドカップの試合を見るにつけ,組織と個人の関係,個人力の育成の仕方,試合展開の方針,親善試合やテストマッチのあり方,等について,色々考えさせられる事があった.

まず組織と個人の関係である.
役割り,動き方を決めた組織(フォーメーション)に個人を割り当てて,全体の戦力を高める考え方(組織サッカー,組織があって人がいる考え方)と個人技を生かす攻撃パターンを作って,それを組織がバックアップする考え方(人を生かす為に組織がある考え方)がある.選手の選抜,試合に,
二つの考え方が如実に現れる.

どちらの考え方に立つかは個人能力の高い人がどれくらいいるかによる.強いサッカーチームは高い個人能力を組織でバックアップする考え方を取っているようである.個人技が弱い場合は組織サッカーを取る事になる.

日本代表チームにおいては,ジーコ監督はブラジル流の個人技に期待したサッカーを目指すも,組織サッカーをせざるを得ない実力に困惑したと思う.

トルシェ前監督はヨーロッパ流の組織サッカーが日本に合っているとして,組織に合う個人を選び,チームを編成したように思う.

次に個人力についてである.
上記のサッカースタイル如何に関わらず,一対一の強さ,スルーパスやラストパスの精度,決定力など最後は個人力に大きく依存する.

日本チームで言えば,一対一の状態で積極的に自らシュートに持ち込もうとせず,苦し紛れのパスでチャンスをつぶす場面が多くあったように思う.技術,体力,精神力をどう高めるかの問題がクロージアップされたと思う.

体力は個人の肉体的成長期にあわせて鍛えた方が良い.技術は肉体の成長期前に身に着けておく方が良い.優秀な選手は子供の時にすでに高い技術を身に着け,自信につながっている様に思う.

全てのスポーツに共通する事であるが日本では必ずしもこのような育成が行なわれているとは思えないのである.掃除や玉拾いから始まるような,年功序列の練習等,昔の軍隊の風潮が色濃く残っている感じがする.

今後日本はチーム編成,戦い方,個人技,体力,を組み合わせて,どのように狩猟民族の闘争心,自立心と戦っていくか,興味のあるところである.

次に大事な事は試合展開の方針である.
試合の時間帯,試合状況によって,守るのか,攻めるのか,マークをどうするか,などチーム全体の方針,戦略をどのように考えるかの問題である.チーム間の実力の差があるとき,特にこの戦略が重要になる.

特に1ー0で勝っている時の試合が極めて重要である.オーストラリア戦で言えば同点にされたときの精神的肉体的ダメージと相手の気勢を考えれば,1-0後は守りの戦い方を指示すべきではなかったか.2-0にするのは理想だが,それに向かった結果,1-1で予想通り,自らのダメージと相手の気勢を高めてしまった.

願っても無い虎の子の1点を死守し,重苦しい試合になるが1-0で勝つ試合運びが弱者の戦い方の様に思う.実力のあるチームは一気に2-0にできるだろうが.1-0のハーフタイムで,ジーコ監督は’勝ってる時の戦い方をしろ’と指示したそうだが,指示が具体的であったかどうか.

次に国際親善試合(練習試合)の考え方の問題である.
オーストリア戦敗退の震源地はドイツとの国際親善試合にあったと思う.全力で必死に戦って,本戦以上の歴史に残る最高の試合をした.しかし何人かの主力選手の負傷者を作ってしまった.結果,万全の体制でオーストラリア戦に望めなかったのである.

本線前の国際親善試合の考え方がはっきりしていなかったと思う.先発メンバーを選ぶ為なのか,戦術を試す為なのか,試合に慣れる為なのか,勢いを付ける為に勝ちに行くのか,勝ちにこだわらないのか,目的をはっきりさせる必要があったと思う.

いずれにせよ本戦前に必死の戦いをする事は得策ではない感じがする.ドイツの本戦での活躍を見るにつけ,未熟さ,余裕の無さを感じる.マスコミもサポーターも解説者も,ただ盛り上がれば良いだけのレベルから脱しなければならない.

ところで,決勝トーナメントはサプライズは無く,順当に実力チームが出揃うはずである.組織サッカーか個人技サッカーか,攻めか守りか,基礎体力の強さ,運動量の緩急のつけ方,などじっくり激戦を見届けたい.

このように,サッカーは会社経営に多くの示唆を与えてくれる.会社とサッカーチームを単純に比較できないが,組織の方針,編成,戦い方,人の育成,生かし方,など,経営の基本に通じるヒントが多いのある.

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.06.20

50 昔の肩書を必ず付け日本の文化

マスコミなどでは個人名に必ず’元△△’’△△役’などとつける.政治家には10年間役職についていなくとも元△△と10年前の肩書きを付ける.一ヶ月程度の役職でも同じである.

サラリーマン世界でも’◇◇会社の・・’・・部長’など言う.新入社員も’□□大学から来ました・・・です’と言う.

どんな活動,仕事をしたか,なにが出きるか,より,どこの出身で,どの大学を卒業して,どの会社に入り,どんな肩書きを持ったかを重視する.60歳70歳の人にも学歴が書かれる.たかが数年いた学校など関係ないのだが

個人名に学校や所属,役職をつける風潮はそれで品定めができてプロフィールが分かるからだろうか.それらをつける事が失礼にならないからだろうか.

ところで,日本の履歴書は生まれたところから書く.米国の履歴書は現在から書く.過去より現在を重視する現れである.生まれ育ちに価値を持つ日本の感覚とは違うのである.

まさに日本の血統主義,村社会のDNAが肩書き,略歴,履歴書に現れているのだと思う.

そんな文化の中ではあるが,個人名に職業や所属や肩書きを必ず付けるマスコミ報道の風潮は再考してはどうだろうか.私見によれ,個人名だけを基本と考えるべきだと思う.

例えば交通事故等では職業を言う必要はないと思う.'教諭の△△が買春をした'も職業はいらないと思う.もし,意外性や公僕の犯罪を強調するのであれば,記事の中で言えば良い.常套句のように常に名前に職業や肩書をつける必要はないと思う.

肩書きや職業で名前を修飾し,それで品定めをするような社会の風潮は好きではないし,間違ったイメージを与えかねない.是非マスコミから是正して欲しいのである.

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.06.17

49 『儲ける事』を卑下する風土の不思議

昨今の経済問題論議で忘れている原理について,自明の事ではあるが触れてみたい.

経済原理は難しい事を言わなければ’儲ける事’である.これによって経済活動(富の生産・分配)が営まれ,お金が回り,社会秩序が形成される.儲けにつながらない公共事業の肥大化は結局は財政を破綻させ,公共事業を出来なくさせる.経済原理ではなく思想で社会秩序を維持する事は歴史が証明しているように限界が来る.結局,儲ける行動が社会秩序を保つ基本原理として作動し続けているのである.

この儲ける行動が競走を生み,儲けられない事業・企業は淘汰され常に産業の代謝が起る.かくて,この単純な原理が多様な価値観,多様な産業を産み,人間の欲する富・科学・文明・文化を導いて行く.この経済原理によって得られた富で,社会保障,安全保障,社会資本,などが支えられるのである.

一方,この経済原理は行動の自由を求めつつも,国の文化,歴史,慣習,法制度,資源,エネルギー,自然環境,産業保護,などの制約・ルールの中で作動している.したがって国際経済活動で国毎に異なる制約があるが,同じ土俵を求める経済原理がいずれ国際スタンダードの形成に向かわせる.

制約があるものの,経済原理はグローバル,フェアー,フリーに向かう.合理性に乏しい国の独自文化や価値観,法制度は国際化の進展とともに薄まって行くのも必然である.

かつての護送船団方式,公共事業経済,他人資本経営,年功序列,終身雇用などが経済復興,経済成長の原動力になったのも,経済原理にかなう効果があったからである.

資産バブルの崩壊でその冗長度が許容できなくなり,こんどは,規制緩和,市場経済,競争原理,効率化,合理化,金融自由化などの政策が打ちだされた.そして産業再編、経済の再生を進めた事は.これも又,経済原理にかなう行動なのである.効果的な儲け方は状況によって変わるが原理は変わらないのである.

時として儲ける事が弱肉強食,拝金主義,経済格差,貧困層の増大などの批判を浴びる.しかし経済原理を弱めたり否定する事は,ますますパイの確保もパイの分配も悪化させ,社会を崩壊に向かわせる.

’パイを増やせ,但し分配は均等だ’の原理は今のところ存在しない.’儲けることは良い事だ’の経済原理に変わる新しい原理は出現していないのである.

儲ける事に取り組んだり,儲けた者を賞賛する健康な社会でありたい.儲け方に品格を持ち出す人がいるが,経済原理に品格と言う言葉は存在しない.品格を持ち出す人は’士農工商’的物指しか実業,虚業の識別を持っている人である.

経済原理からすれば,新技術で儲けようと株で儲けようと品格差などない,評価するならば,儲けの大きさ,経済的波及効果,持続性,リスクなどの視点で論じるべきものである.’不労所得は搾取だ’といった古典的な思考回路しか持ち合わせていない人がいるようだが,そんな事で社会は営まれていないのである.

株で言えば売買差益が税金,再投資,配当,消費,寄付などに回わる事は他の事業でも同じである.一方,その株の購入者は更なる儲けを企業に求め,企業活力を後押しする.

又,多くの国民の資金(貯金,年金掛け金,保険掛け金など)は産業や国債,金融商品に投資され,その運用益(いわゆる不労所得)で貯金,年金,保険を支えているのである.

株式市場や株取引はバーチャルの世界であって実業とは無縁の賭博場だと卑下する人は経済の仕組みの理解が少ないように思う.株取引は産業の上で存在し,バーチャルではない.金利,為替等の金融市場やM&Aの影響で短期的に株価が実業と遊離して動く事もあるが長期的には連動するのである.

儲けるとは金回りを良くする事につながる.これが経済原理である.’儲ける事は良い事である.’儲けよう’'儲け方を考えよう’は決して卑しい言葉,行為ではないと思う.

儲けるには我利我利では持続できず,自利利他(自分の利益は相手の利益の中にあり相手の満足の対価)にのみ存在し,儲け続ける事は大変な知恵,努力,仕組みが必要である.自利利他で得た社会全体の儲けが増える事は社会全体の満足が増える事につながるのである.

’儲かりまっか’’ぼちぼちでんな’の挨拶は経済原理を踏まえた含蓄のある挨拶だと思う.

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.06.10

48 国家運営の効率化

時代の潮流に乗って登場した小泉政権はバブル崩壊後の迷走に手を打ちながら,小さな政府を旗印に政治改革,行政改革,財政改革など聖域なき改革に着手した.同時に国民と政治を近づけた事も歴代にない変化であった.改革の潮流の中で行政の税金の無駄使いも多く露呈した.国民の目も厳しくなった.しかし改革は道半ばと言うより,始まったばかりである.次の政権での更なる取組みを望みたい.

私見によれば,小さな政府(官の仕事の見直しと廃止,民への移行)の考えも包含して,’国家運営の効率化’が今後とも重要な課題であると考える.経済復興,経済成長に伴って肥大化,冗長化した国家運営の制度,組織,仕組み,機能,を再定義し効率重視の制度・運営を目指すものである.もちろん,ムダを生みやすくする制度は徹底的に排除しなければならない.優先度の低い歳出削減の視点,効率的制度の確立の視点,で国家運営の効率化を前進させるべきである.

特に歳出のプラン・ドウ・チェック・の仕組みは効率化にとって重要である.税金・保険・年金などの簡素化,医療・介護制度の効率化も重要テーマである.公共事業にしても金のばら撒き事業(景気対策や雇用対策の公共需要効果)から完成後の供給効果重視に変える必要がある.地域間の公平の論理が先行して無用の長物ができてしまう事も防がねばならない.無用な長物ほど不公平だと考えを変える必要がある.特別会計制度や公務員制度も効率化の宝の山である.効率化を実現する制度改革は山ほどある.

現在,一般会計80兆のうち,国債費19兆,社会保障21兆,地方交付税15兆,公共事業7兆,文教科学5兆,防衛5兆の歳出であるが歳入は税金50兆,国債発行30兆である.借金をこれ以上を増やさない為には国債費19兆以内の国債発行に抑える必要がある(プライマリーバランス).

この財政問題において,効率化や歳出削減は焼け石に水だ,と増税を唱える人もいるが,効率化に向けた新しい制度仕組みが先である.数字合わせの議論は根本的解決にならない.今後も防災,安全保障,社会保障,など歳出が増加する要因は多い.総裁選でこの国家運営の効率化を掲げて欲しいのである.小泉政権に引きつづき,国の仕組みの再構築に取り組むべきである.国民の圧倒的支持を得るはずである.まさに,’改革を止めるな’の先の総選挙のキャッチフレーズがこれから必要なのである.

改革の不具合を上げながら,政争の具にし,存在感と利権を守ろうとするレガシーな政治家は時計の針を巻き戻す存在である.伝統的日本主義だけでは国家の運営は出来ない.国際協調,競争の中で新しい日本のアーキテクチャーが必要である.次期政権は日本にとって,きわめて重要な局面にあると思う.

以上を踏まえて,日本の重要問題を列記してみた.次期政権を目指す政治家の所見を知りたいのである.魑魅魍魎の総裁選ではなく,政策を掲げて欲しいのである.政策論争こそが民主主義の基本だからである.

  1. 国家運営の効率化(ムダ防止の制度作り
  2. 安全保障の考え方(集団安全保障への対応)
  3. 800兆借金財政への対策

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »