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2006.10.31

64 いじめ問題

ふざけ,意地悪,苛め,誹謗,中傷,仲間はずれ,暴力等は本能的に持っている,征服欲,顕示欲,嫉妬心,等の感情が根底にある.子供の世界だけではなく,大人の世界でも,勿論存在する.

集団生活,社会の秩序の為に,道徳や法律で規範を作っているが,主観的な判断もあり,全くなくなる行動ではない.ましてや子供の世界は限りなく猿山に近く,残酷な行動が行われる.やる方もやられる方もこれらの経験を通じて理性が培われ,大人になって行く側面もある.幼児性が抜けない猿のような大人もいるが.

大人の世界はハラスメントや人権の法律で抑制したり,発生後の処置を行う事となるが,子供の世界でも,これを適用すべきとの意見もあるが,それ以前に,次の対策が必要だと思う.

①相手を傷付ける事は悪だとする教育の徹底
②征服欲や顕示欲を充足させる機会の増加
③苦痛を受けた時の対応方法の教育指導
④子供の話相手作り
⑤苛めが分かった時の子供への教育指導内容,処置の事前準備
⑥苛めがあった時の先生の結果責任論の排除

これらを親や学校が行う事になるが,この中で,一番の問題は④である.子供にもプライドがあり,言い付ける事に,大きな抵抗感がある.表面的に隠す傾向もある.結果,一人で抱えてしまう.特にメールや雰囲気と言った‘静かないじめ’は目配りしていても気付きにくいのである.

苛められる子供は多分友達もいなく孤独な感じもする.①③の指導を徹底して,親,親戚,ご近所,友達,先生,学校外のカウンセラー,等が愛情を持って子供と接する日常が全てである気もする.勿論,メールの方が言いやすいのであれば,それも有効な手段とすべきである.

子供の世界は大人の世界の鏡だと言う.昔,軍隊の風土がやくざの風土,会社の風土,運動部の風土,等だけでなく,不良グループや子供の世界にまで表れた.学校のクラスにも番長や子分がいた.大きな被害が表沙汰にならない限り,先生は立ち入らなかった.苛めなどいくらでもあったはずである.苛められた子供はそれに耐えたり,上下の秩序を許容していた.子供の成長や,クラス替え,進学によって,その子供同士の秩序は薄くなっていったのである.

現在,昔と比べれば,目に見えるような上下関係や喧嘩・暴力の風土が少なくなった半面,本能的行動が陰湿な形で現れるようになったと考えられる.陰湿なだけにその悪さの度合いも分からない.簡単にできるだけに,手加減も分からない.メール一本で心の傷になり得るのである.される方も心の傷だけに見えずらくなる.

この陰湿な行為に関して改めて,免疫をつける為の上記予防接種を打つ必要があると思う.

一方,トラブル防止のあまり,徹底した管理体制で厳しく子供を鍛える方向に行くのか,リスクを抱えながら,予防接種と言う教育指導で子供の理性を辛抱強く育てていくのか,親は考えなくてはいけない.先生が猿山で苦悩している挙句に結果責任を追求される状況ては,進歩がないのである.

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2006.10.26

63 光IP電話大障害

NTT西日本は24日、光回線を利用したIP電話の「ひかり電話」がつながりにくくなる大規模障害が23日,24日の両日に起きた原因は受発信を振り分けるサーバーの容量不足だったと発表した.ひかり電話サービスは加入者が急増しており,ピーク時のサーバー能力を読み切れなかった.設備への過信があったと説明.(日本経済新聞25日記事)

文面だけで判断すると,全くおかしい.

「かかりにくくなる」「23日,24日に発生」「原因はピークに対する容量不足」「設備能力への過信」ではつじつまが合わないし,説得力もない.

利用者から見れば「かかりにくい」のではなく「かからない」の状態であり,電話の不通より通信の不通が極めて重大な影響を与えたのである.

過去にないようなピークがこの23日の朝から24日に渡って長時間連続で起こるはずもない。ましてや80万加入者で受発信が集中する程度は,たいした呼量でもない.

インターネットサーバーが容量不足で長時間ダウンすることなども考えられないが,設備能力への過信が間違いだったと,有りそうもない原因への反省まで表明して,

「能力不足と言う思わぬ事態で,つながりにくくなっただけ.ごめんなさい」と,原因の軽さを意図的に印象付けている感じもするし,保身の匂いもするのである.

現象から類推すると,起こったことは

「サーバーが何らかの原因で処理能力が低下し,スローダウン状態になった.これの状態から脱出するために,いくつかの回線を遮断し,トランザクション量を抑制した.サーバーから見れば縮小運転,遮断された回線の利用者から見れば,「つながらない」状態となった.

さらに,「振り分けサーバーの動的負荷分散や障害時のバックアップなどの仕組みの弱さが,長時間の西日本全域に渡る大障害を招いた」ではないか.ピークとか容量不足,とか,かかりにくい,話ではないはずである

今回の事はネット社会への重大な警告である.容量不足などと素人のような事を言っている場合ではないのである.こんなレベルではネット時代のキャリアー(第一種通信事業者)をやる資格はあるのかと思わざるを得ない.トラブルはゼロに出来ないが,せめて発表はごまかしてはならない.ごまかし体質から成長が生まれないからである.

又,今回の障害は電話の不通のように報じられるが深刻な事は電話ではない.「ひかり電話」の名前も本質を見逃してしまう.深刻なのはメールやネット利用への影響である.電話は携帯電話で代替できるがネット利用はストップするのである.今後も,家庭からのネット利用が増大する.家庭であっても,データ通信としての信頼性確保を忘れてはならないのである.

家庭への光通信導入はNTTの網の整備もあるだろうが,従来の電話線のADSLから光へのシフトによって,信頼性が落ちるのでは大問題である.今回の光網障害の原因究明と並行して,ダウン対策,迂回対策の総点検も必要である.

ネット社会では,長時間の通信網の停止は電気,ガス,水道が止まる以上に広域にわたる被害を与えるのである.NTTやマスコミの反応に注力していきたい.

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2006.10.23

62 根本的教育テーマ

今、教育問題がクローズアップされている.学力低下,いじめ,少年犯罪,教員の質・評価,学校・地域社会・家庭,教育委員会,歴史教科書,国歌・国旗,独立法人化,少子化,教育格差,公立と私立,など教育と言うゴールのないテーマに問題は尽きない.しかも,保育園・幼稚園から小中高大,社会,生涯学習に至るまで、教育問題は国民全体にかかわる問題なのである.

そもそも,教育のやり方は国家主導の政治的,政策的意図を持って行う考え方と国家の介入を極力排除し教育の独立性,平等性重視する考え方がある.

戦後の教育は戦前教育の反省,自信喪失もあって,後者の考え方を取り入れたと理解している.その結果,規範や学力の問題が発生したのか,社会経済や家庭環境の変化,あるいは価値観の変化が起因しているのか,俄に判断できない.

はっきりしている事は主義主張が多様化したり,薄くなったり,迷ったり,社会全体が羅針盤を失って漂流している状態が教育に現れている事である.

国家にしても,個人にしても,夢や目標を失った中で教育が漂流する事は当然の帰結と考えられる.又,自由平等の影の部分が露呈しているのかも知れない.しかし,独裁国家のスパルタ教育,一糸乱れぬ行動よりは良いと思うが.

これらを踏まえて,今後の教育再生については,次のように整理し,議論すべきだと思う.

①学力向上の問題(育成と入試の問題)
②行動規範の問題(競争/和,学校/家庭の問題)
③教育行政,制度の問題(多様化社会への対応)

まず①の学力の問題であるが,小中高の学校間あるいは私学と公立の間で学力の差が出ることは防げない.むしろ健全である.学校の選択が可能であれば,なおこの格差は広がる.学力がどんなに高くても問題はない.お金をかけて学力が上がっても問題はない.問題は学力が低い学校対策である.公立であれば適材の先生を配置し,全力で学力向上に努めるべきである.決して生徒の質を理由にしてはならない.

もう一つ,なにをどの程度学ぶかの問題は子供に育成と言う側面と入学試験の側面に関係する.特に卒業に必要な履修科目と入学試験科目をどのようにバランスさせるのか.試験科目への集中は,予備校等の学校外勉学とするのか,等の検討が必要である.公立,私立の学校の入学試験科目の検討も必要となる.

尚,試験内容で学ぶ範囲,深さを誘導できる事を忘れてはならない.医師試験で言えば,臓器別学会,医局,医者の下では,試験問題も臓器中心になる.医学生もこれに集中する.結果,臓器を横断する免疫とか臨床の身体全体の学力が抜けてしまう.事実,日本の医学の弱点になっている.免疫や緊急医療を医師試験の内容に加えれば,医学生の勉強内容を誘導できるのである.

②は生徒に対する行動規範(しつけ)の問題である.欧米ではキリスト教,日本では朱子学あるいは道教,仏教,神教,中近東ではイスラム教がこの問題を支えてきた.

戦後日本の人間形成の教えは学校教育の外として来た.その結果,家庭も含めて,その指導は曖昧になった感じがする.競争,ルール,公平,和,道徳,人格,人間性などのしつけの問題を改めて議論する必要がある.

儒教や宗教,政治思想の教えをどうするか.自己主張,デベート力などの非日本的能力・文化についての教育方針をどうするのか,の論議から始める必要がある.

大げさに言えば日本的なもの,米国的なものをどう扱うかの論議が根本的に必要である.英語を例に挙げれば,言葉は究極の文化であり,英語教育は米国文化を身に付けることと等しいのである.どんな文化に向けて教育するのかの議論が必要なのである.

アメリカ文化を見ると歴史が浅い分,合理的考え方,個の自立性,がきわめて強い.反面,アメリカンドリーム,ファミリー,ボランテアー,宗教,ナショナリズムの精神文化も持ち合わせている.胸に手を当てて,アメリカ国家を歌う国民に感動すら覚えるのである.音楽的なすばらしさもあるが.このように,アメリカには競争と和,公と私の2面性が個人,社会に内在しているのである.どちらもはっきりしない日本文化では未来の子供を育てられない気もする.

③はそもそも,これからの教育機関,教育行政のあり方の議論である.私立と同じように教育内容を公立学校単位で②の論議も含めて,自由にしてはどうか,もちろん生徒の学校選択も自由となる.

教育方針は学校単位に公表,公立校は公費で学校をまかなうが先生の公務員制は廃止,教員資格も廃止,教員の採用は学校の自己責任,教員数は全学校で標準化,地域の教育委員会も廃止,いわゆる塾への回帰である.ただし学校監視は強化,人気のない公立校は必死で盛り立てなければならなくなる.生徒数の激減で人気が出る可能性もある.これらによって,地域も住民も学校を応援する構図が出てくる.

教員像は高度社会,高学歴社会のなかで,相対的に地盤低下してきた.教職と言う職業意識と職人としての実力を学校は開発していかねばならない.教職の人材開発は学校経営の基本としなければならない.

教育とは学習意欲と教育意欲と教育投資がなければ成り立たない,これを促進する事が制度の基本だと思う.義務教育だからと言って,生徒も教員も右から左では教育にならないのである.又,日本全国,均等な教育を行うなどと思わないことである.無理,無駄の平等主義が国を滅ぼす可能性があるからである.

大学問題もきわめて大きいと思う.亡国論を当ブログですでに発信しているが,教育の名のもとで200万人くらいの遊び人と10万人くらいの教職員を抱えている感じがする.

教育は高校までを基本とし,その後の教育機関は専門学校と生涯教育機関とする.大学はきわめて狭き門として,優秀者の選抜と育成を行う期間とする.このフレームが国力や少子化対策,国民の幸せを増やす事につながると思うのである.特に生涯教育機関は技術,専門性を高めるため,学習意欲のある社会人に開放された機関とすべきである.もちろんインターネット学校でも良い.個人,企業が大いに助かるはずである.

以上,乱暴ではあるが,国家として,教育再生を考えるなら,これくらいの本質的議論が必要である.現象的な問題は現場で考えればよいと思う.

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