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2006.10.23

62 根本的教育テーマ

今、教育問題がクローズアップされている.学力低下,いじめ,少年犯罪,教員の質・評価,学校・地域社会・家庭,教育委員会,歴史教科書,国歌・国旗,独立法人化,少子化,教育格差,公立と私立,など教育と言うゴールのないテーマに問題は尽きない.しかも,保育園・幼稚園から小中高大,社会,生涯学習に至るまで、教育問題は国民全体にかかわる問題なのである.

そもそも,教育のやり方は国家主導の政治的,政策的意図を持って行う考え方と国家の介入を極力排除し教育の独立性,平等性重視する考え方がある.

戦後の教育は戦前教育の反省,自信喪失もあって,後者の考え方を取り入れたと理解している.その結果,規範や学力の問題が発生したのか,社会経済や家庭環境の変化,あるいは価値観の変化が起因しているのか,俄に判断できない.

はっきりしている事は主義主張が多様化したり,薄くなったり,迷ったり,社会全体が羅針盤を失って漂流している状態が教育に現れている事である.

国家にしても,個人にしても,夢や目標を失った中で教育が漂流する事は当然の帰結と考えられる.又,自由平等の影の部分が露呈しているのかも知れない.しかし,独裁国家のスパルタ教育,一糸乱れぬ行動よりは良いと思うが.

これらを踏まえて,今後の教育再生については,次のように整理し,議論すべきだと思う.

①学力向上の問題(育成と入試の問題)
②行動規範の問題(競争/和,学校/家庭の問題)
③教育行政,制度の問題(多様化社会への対応)

まず①の学力の問題であるが,小中高の学校間あるいは私学と公立の間で学力の差が出ることは防げない.むしろ健全である.学校の選択が可能であれば,なおこの格差は広がる.学力がどんなに高くても問題はない.お金をかけて学力が上がっても問題はない.問題は学力が低い学校対策である.公立であれば適材の先生を配置し,全力で学力向上に努めるべきである.決して生徒の質を理由にしてはならない.

もう一つ,なにをどの程度学ぶかの問題は子供に育成と言う側面と入学試験の側面に関係する.特に卒業に必要な履修科目と入学試験科目をどのようにバランスさせるのか.試験科目への集中は,予備校等の学校外勉学とするのか,等の検討が必要である.公立,私立の学校の入学試験科目の検討も必要となる.

尚,試験内容で学ぶ範囲,深さを誘導できる事を忘れてはならない.医師試験で言えば,臓器別学会,医局,医者の下では,試験問題も臓器中心になる.医学生もこれに集中する.結果,臓器を横断する免疫とか臨床の身体全体の学力が抜けてしまう.事実,日本の医学の弱点になっている.免疫や緊急医療を医師試験の内容に加えれば,医学生の勉強内容を誘導できるのである.

②は生徒に対する行動規範(しつけ)の問題である.欧米ではキリスト教,日本では朱子学あるいは道教,仏教,神教,中近東ではイスラム教がこの問題を支えてきた.

戦後日本の人間形成の教えは学校教育の外として来た.その結果,家庭も含めて,その指導は曖昧になった感じがする.競争,ルール,公平,和,道徳,人格,人間性などのしつけの問題を改めて議論する必要がある.

儒教や宗教,政治思想の教えをどうするか.自己主張,デベート力などの非日本的能力・文化についての教育方針をどうするのか,の論議から始める必要がある.

大げさに言えば日本的なもの,米国的なものをどう扱うかの論議が根本的に必要である.英語を例に挙げれば,言葉は究極の文化であり,英語教育は米国文化を身に付けることと等しいのである.どんな文化に向けて教育するのかの議論が必要なのである.

アメリカ文化を見ると歴史が浅い分,合理的考え方,個の自立性,がきわめて強い.反面,アメリカンドリーム,ファミリー,ボランテアー,宗教,ナショナリズムの精神文化も持ち合わせている.胸に手を当てて,アメリカ国家を歌う国民に感動すら覚えるのである.音楽的なすばらしさもあるが.このように,アメリカには競争と和,公と私の2面性が個人,社会に内在しているのである.どちらもはっきりしない日本文化では未来の子供を育てられない気もする.

③はそもそも,これからの教育機関,教育行政のあり方の議論である.私立と同じように教育内容を公立学校単位で②の論議も含めて,自由にしてはどうか,もちろん生徒の学校選択も自由となる.

教育方針は学校単位に公表,公立校は公費で学校をまかなうが先生の公務員制は廃止,教員資格も廃止,教員の採用は学校の自己責任,教員数は全学校で標準化,地域の教育委員会も廃止,いわゆる塾への回帰である.ただし学校監視は強化,人気のない公立校は必死で盛り立てなければならなくなる.生徒数の激減で人気が出る可能性もある.これらによって,地域も住民も学校を応援する構図が出てくる.

教員像は高度社会,高学歴社会のなかで,相対的に地盤低下してきた.教職と言う職業意識と職人としての実力を学校は開発していかねばならない.教職の人材開発は学校経営の基本としなければならない.

教育とは学習意欲と教育意欲と教育投資がなければ成り立たない,これを促進する事が制度の基本だと思う.義務教育だからと言って,生徒も教員も右から左では教育にならないのである.又,日本全国,均等な教育を行うなどと思わないことである.無理,無駄の平等主義が国を滅ぼす可能性があるからである.

大学問題もきわめて大きいと思う.亡国論を当ブログですでに発信しているが,教育の名のもとで200万人くらいの遊び人と10万人くらいの教職員を抱えている感じがする.

教育は高校までを基本とし,その後の教育機関は専門学校と生涯教育機関とする.大学はきわめて狭き門として,優秀者の選抜と育成を行う期間とする.このフレームが国力や少子化対策,国民の幸せを増やす事につながると思うのである.特に生涯教育機関は技術,専門性を高めるため,学習意欲のある社会人に開放された機関とすべきである.もちろんインターネット学校でも良い.個人,企業が大いに助かるはずである.

以上,乱暴ではあるが,国家として,教育再生を考えるなら,これくらいの本質的議論が必要である.現象的な問題は現場で考えればよいと思う.

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