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2006.11.27

69 日本を揺るがすアーキテクチャーとテクノロジー

’日本(人)はアーキテクチャー(考え方,方式,論理)は弱いが,テクノロジー(実現技術)は得意だ’と良く言われる.平たく言えば,’設計は弱いが物作りは得意だ’’基礎技術や独創的な考えに弱いが,それを取り入れるのは得意だ’である.

明治以来,欧米文明の輸入で近代化を進めてきた歴史,翻訳が学者の仕事になっていた歴史,シルクロードの終着地として,常に文明・文化を輸入して来た長い歴史,が現在にも流れている感じである.

このままだと,アーキテクチャーの世界標準が海外に握られ,日本は作るだけ,が続く.その作る仕事も,自動化や途上国の台頭で怪しくなっているのである.

積極的な見方をすれば,最も洗練された文明・文化を日本が受け入れて来た結果,世界の英知が日本を育てたとも言える.この意味でアーキテキチャーは弱くても,テクノロジーが得意なら島国日本の生き方として間違っていないのかもしれない.

しかしデジタル時代への大きな問題がある.デジタル化とは
①ソフトの巨大化(機能の拡大,ハード部品の減少化)
②システム商品化(ネット連携,他商品との連動)

③アーキテクチャーの共有化(方式,インターフェースの標準化)
④ハード製造ラインの装置化,自動化
⑤国際分業化,低価格化

であり,必ずしも日本のお家芸は安泰ではない.テクノロジや,ものつくりが得意なだけでは生きていけないのである.

アーキテクチャー重視の傾向は物作りの世界だけではない.国際政治や憲法,行政,企業経営などにも言える問題である.考え方や視点の重要性が改めて問われるのである.企業で言えば事業の方向性(アーキテクチャー)が定まらなければ生産性(テクノロジー)も追及できない時代なのである.

ある競技種目に秀でていても、その種目がなくなったり、ルールが変わったり、新しい種目が出てきたりする可能性もあるのである.物作りやテクノロジーに技術革新や生産性も重要だが、アーキテクチャーの戦略性が極めて大事になって来たのである.

日本のアーキテクチャーの弱点を克服する為に,次の事を提言したい..

①発想の視点を変える

会社や国の立場に立つと発想が狭まったり,損得勘定が優先されやすい.結果,世界に通用する普遍性が弱くなる.顧客の視点,世界の視点が必要である.

②得意なテクノロジーからアーキテクチャーを創造する

アーキテクチャーがあってテクノロジーが進歩するが,逆に,テクノロジーから高度なアーキテクチャーを創造する,既存のアーキテクチャーをブレークスルーする事を考える.

③ファイテングスピリットを発揮する

日本人は世界的にデファクトになった製品や開発規模の膨大さに,最初から戦意喪失状態になりやすい.

アメリカ人は何十年もこの製品が続くと思っていないし,市場が成熟していても,商品は未熟であり,シェアーが高い製品ほど挑戦しやすいと思っている.戦意喪失どころか,虎視眈々と次を狙っている.敵をリングの外に出すまで戦うのである.アングロサクソンの習性かもしれない.

④自前主義から脱却する

多くの人,企業,国が参加でき,利用できるアーキテクチャーが理想である.何でも独り占めにする事を狙ったアーキテクチャーは孤立する

マイクロソフトの例で言えば,パソコンOSを考えた時,プログラムの動作環境のみ提供する事とした.データベース,言語,表計算・DTPなどのミドルソフトは世界のソフトハウスに任せる戦略をとった.その上に多くのミドルソフト,アプリケーションソフトが開発され,マイクロソフトの世界が世界に普及して行ったのである.まさにオープンアーキテクチャーと言う考え方,戦略が成功した例である.

箱庭文化,自前主義と言う一筆書き発想から,グローバルな視点で,構造的骨太の考え方,戦略が大事だと感じる.家電,携帯機器,車,あるいは産業機器など,既に新たな戦いが始まっているのである.

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2006.11.20

68 堀江氏の法廷闘争

当初,元ライブドア社長堀江氏の法廷闘争は

①風説の流布,粉飾決算に対する反論
②主謀者ではないとの反論

が考えらたが,マスコミを通じて聞こえてくる主張は②である.①の違法性を認めたうえで,②の闘争に絞っているのだろうか.あるいは,ライブドアや宮内裁判で違法性が確定する事を見越して,いるのだろうか.

そもそも,経済事案は一括裁判が望ましい.一つの事案に対し,被告人毎に,裁判を分離したのでは,法的判断や罪状などの整合性が取れないはずである.別の裁判の被告人が違う裁判の検事側の証人として登場する事など,減免につながる危うさを感じるし,判断のたすきがけが起こってデッドロックになる可能性もある.

又,今回の事案で社会的意味があるのは投資組合の扱いなどの法的論争である.見てる方からすると,どっちが首謀者かはあまり興味がない.マスコミも三面記事のような報道ばかりでは能がない感じがする.経済事案らしい法的考察が欲しいのである.

さらに、金融取引等の経済案件に対する行政,司法の対応の問題もある.チェック、勧告、修正、課徴金、等の行政処分や刑事裁判など,対応のレベルが行政や司法の裁量に依存し恣意的になる性格がある.いきなり刑事事件として扱った妥当性も検証する必要がある.

他方,犯罪が確定するどころか,任意の取調べや家宅捜査だけでも,株価やビジネスに極めて大きなダメージを与える.この事を行政や司法はどのように取り扱うのだろうか.行政や司法が恣意的に動けば,企業などひとたまりもない.ダメージを与えた案件はその責任を避ける為に,何が何でも有罪にしてしまう事につながらないだろうか.

経済案件は法制度の不備や解釈問題,ケースバイケースの不平等性の問題などが発生しやすい.きわめて曖昧な難しい案件でも,行政や司法の振る舞いが多くの株主や業界に損失を与える.

司法が正義をかざしたり,自らの主義主張や世直しの気持ちから恣意的に動く事は絶対あってはならない.あくまでも法に照らして,慎重に行動しなければならないのである.

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2006.11.17

67 談合問題(再)

1年前の当ブログで談合問題の本質が発注者・買い手側(役所側)にある事を述べた.再度,この視点で指摘したい.

買い手に適正価格の判断能力があれば、談合があろうと,なかろうと,予定価格に対する契約率が高いと思うなら,買わなければ良い.買ってから,高く売った売り手に文句を言っても始まらない.あるいは安く買いたい意思があるなら,予定価格を落とせばよいのである.

普通,’安く買いたい’と’高く売りたい’の拮抗が取引に発生するわけだが,高く売りたい企業の論理は当然だが,はたして’安く買いたい’と言う意思が役所側にあるかどうかが本質的な問題になるのである.この問題を避けて,売り手の価格競争だけに依存する考えは役所の無責任体質の表れだと思う.

議会を通ったアバウトな予算内で,事務的に競争入札し,業者・価格を決める役所のやり方は,談合で高く売る力学が入り込むばかりか,最低応札価格が高いのか安いのか分からないまま買う事になるのである.競争入札をするにしても,適正価格の判断能力,コストダウンの改善工夫能力が買い手には必要なのである.

さらに,公共事業投資には経済政策(金のばら撒き)の意図がある.効果追求や安く買う意思より,税金をできるだけばら撒く政策である.

談合以前の公共事業そのものの問題であるが,競争入札は形式だけとなり,談合してでも高く落とす事が政策に合致する事になる.まさに役所は予算を事務的に執行するだけで良いのである.

これでは役所の価格判断能力も安く買う意思も不要であり,企業間談合や官製談合の入り込む土壌になっているのである.

このように,談合問題は,談合行為そのものの問題より,買い手である役所に本質的問題がある事を認識すべきなのである.談合問題が出るたびに,それをチェックせず購入している買い手の責任が問われない事が不思議である.認可や監督・検査の責任を問われない事と類似している.

役所には,お上意識と保身意識が強く働き.決して責任を取らない,賢い仕組みで出来ているように感じる.なまじ責任が伴う専門能力など役所には不要であり,専門的な事やリスクは全て外部に丸投げする体質、仕組みが多くのムダの温床になっていると感じる.

プアで無責任な買い手に税金の使途をゆだねている事が本質的問題なのである.

民間では高く買ったからといって売り手に文句は言えないのである.買った側の問題となるのである.公共事業を高く買ったとしたら、高く売った業者が悪いのではなく、高く買った役所の問題にならなければ、理にかなわないのである.

責任を問う事から適格な購買行為が育つのである.官製談合も業者談合も買う側の能力と責任で対抗できるのである.巨額の購買部門の責任はきわめて重いのである.

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2006.11.16

66 タウンミーテング

今,公聴会,タウンミーテングの’やらせ’問題が騒がれている.’国民の声を聞く’との目的に反している,税金を使って’やらせ’の行事はけしからん,との批判である.

タウンミーティングは法案審議のアリバイ作り,形式的行事,政府の広報的行事,であって,国民もマスコミも政治家も黙認してきた行事である.’国民の声を聞く’などの建前は実質不可能な建前であって,いまさら,この不可能な建前が出来ていないと批判してもむなしく感じる.

元来,代議員制度では国民の声を聞くのは代議士経由であり,最終的には選挙しかないはずだからである.あえて国民との接点を持つ必要があるならば政党及びその選挙区の代議士が地域で討論会を主催すればよい.各意見を持ち寄って討論すればよい.その討議内容を代議士が持ち帰れば良いのである.

それでも,’国民の声を聞く’為にタウンミーテングが必要とした時,その具体的な方法が考えられない.素人や論客がテレビ討論のような事をやるのだろうか,誰がやるのだろうか.ネットを使ってアンケートを取るのだろうか.その結果,法案に反映する余地などあるのだろうか.

’やらせ’を批判するより,タウンミーテングや多くの公聴会のあり方を討議すべきだと思う.又,本来の目的が何処かに行って,形骸化していたり,目的が摩り替わっている行事や行政・制度が他に無いだろうか.

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2006.11.03

65 行政の無責任備忘録

最近発覚した事件も含めて,思いい出すままに議会・行政の無責任例を挙げてみた.

①BSE対策でチェックせず損失補填をした行政の責任
②機密費の私的使用をした外務省の責任
③裏金作り(空出張,空残業,水増し請求,監修料)の行政の責任
④事務費名目で社会保険料のムダ使いをした社会保険庁の責任
⑤名義貸しをチェックせず議員秘書給与を出した行政の責任
⑥医師の名義貸しをチェックせず医療補助を出した行政の責任
⑦非常識な公務員諸手当を支給し続けた議会・行政の責任
⑧ずさんな建築確認(耐震強度)を出した行政,検査機関の責任
⑨公共事業予算の妥当性を問われない議会・行政の責任
高校必須履修科目が空洞化した教育行政の責任
⑪金のばら撒き事業の借金に対する議会・行政の責任
⑫予算を収入と勘違いしている行政の責任
⑬天下り用外郭団体を雇用機関として温存する行政の責任
⑭特別会計事業の目的外事業を監視しない議会・行政の責任
⑮許認可すれども監視せず,責任も取らない行政の責任
⑯政務費,事務費を使途不明金勘定科目とする政治家の責任

まだ他にあると思うが,いづれにしろ行政改革の対象になっていると思うが,税金のムダ使い,無責任は徹底して排除しなければならない.

民主主義は責任を曖昧にする制度であり(行政の責任は議会の責任,議会の責任は政治家の責任,政治家の責任は国民の責任,国民の責任は国民の負担増),主権在民とはまさに国民に責任と負担をさせる制度である.

行政,議会,政治家にとってこんな楽な仕事はないのである.封建時代の方が内乱や反逆と背向で命をかけた責任が付きまとっていたのである.国民は現在の官僚,政治家に楽をさせてはいけないのである

又,’権力者が長期に続くと腐敗が起こる‘と知事の任期が問題になるが,任期のない公務員に腐敗が起こる事は当然かもしれない.公務員個人の問題ではないが,’組織風土は腐敗する’事を前提に,常に監視する必要性があると思う.官僚の腐敗で国が滅ぶ歴史の教訓を忘れてはならない.

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