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2007.01.29

79 テレビ局の課題

今始まった事ではないが,テレビの報道や番組作りに問題が絶えない.その問題,課題を列記してみた.

①話題を捏造する事がある.

テレビ局が同じ内容を繰り返し報道し,あたかも世間が大騒ぎをしているが如くの演出をする.視聴率を狙った,自作自演の拡声器放送である.嘘は無いかもしれないが,テレビによる'話題の捏造’に値する.

「こんな事が言われていますが」「こんな事が問題になっていますが」と話題沸騰のごとき言い方をして,視聴率をかせごうとする.言いふらしているのは自分なのである.

テレビ関係者はその事を百も承知で,影で舌を出しているのかも知れないが.見ている方も,そんな事は見抜いており,白けている事が多いのである.この事をテレビ関係者は気付いていない.

②テレビは報道機関ではなく放送機関と見た方が良い場合がある.

報道とは客観性の立場で取材し,自分の主張を言う事である.どうも客観性とは他人に言わせて,自分の意見を言わないことと理解しているようである.いや自分の調査能力,見識や自信がないからなのだろうか.

’新聞によれば’とやたら新聞を持ち出す,聞く程でもない事をやたら'専門家’に言わせる,ニュースはほとんど買ってきたものだ,は報道機関ではなく放送機関である.

③面白い番組作りに熱心なあまり,ニュースや事件を作る可能性がある.

ギャラを弾むから崖から飛び降りてくれ,試合で罵倒しあってくれ,反則をしてくれ,人気を出す為,あの選手に勝たしてくれ,など'やらせ’が裏で行われる可能性がある.テレビ局が客観的な報道に徹するか,興行主になるかの問題であるが,興行主になってしまう危険性がある.

又,台風や災害の現地からの報告に視聴率至上主義の姿勢が垣間見える時がある.多分,大変な事が起こっていると放送したいのだろうが,図らずも大した事が起こっていない時,そう言えば良いのに,番組の意図がなくなると思うのか,意地になって,少しでも大げさに言ったりする.明らかに,視聴率重視の姿勢が垣間見える瞬間である.

④報道番組,情報番組,バライティ番組,の垣根がなくなる.

これらの番組で,視聴率を上げる演出が優先し始めている.その結果,捏造,やらせ,演出意図に合ったコメント,が入り込みやすくなった.特に芸能人の発言は無責任で,間違いだらけ,でも許されると思っているのか,これを良い事に,芸能人を使って視聴率重視の番組作りに走っている傾向を感じる.

又,新聞によれば,週刊誌によれば,と伝聞情報に頼って,自ら事実を検証する事も無く,あたかも真実であるかのように,それらをネタにして番組を作っている感じがする.無責任,低コスト,で視聴率を稼ぐ手法なのだろうか.だとしたら,テレビの影響力の怖さを,無視していると思わざるを得ない.

⑤わかりやすさの為に事実が曲がる事がある.

面白く,わかりやすくする為に単純に割りきり,事実とギャップが生じる事がある.これも誤報,捏造,やらせと紙一重になる.バックに流れる映像も,いつの時点で,どんな状況で撮った映像かの注釈なしに,わかりやすさを演出する為,雰囲気を盛り上げる為,に流れている時がある.これも事実と違った印象を与える可能性を秘めている.

⑥建前と実態がかけ離れたて行く傾向がある.

建前で言えば,放送事業は公共性があるゆえに許認可事業であるが,これに基づく放送時間より,圧倒的に公共性とは関係ない,視聴率至上の番組やテレビショッピングの番組が多い.認可を取れば,何でもあり,建前と実態がかけ離れて行く傾向がある.特に,BS放送はテレビショップの為にある感じがする.

だとしたら,キャリア事業者(放送設備,放送網の時間貸し業者)とコンテンツ事業者(ニュース,娯楽等の番組作成業者,),番組放送者(広告と番組の編成)を分離した方が,良いかもしれない.

⑦テレビ局の広告収入は下降線をたどる.

チャネル数の増大,番組作りの重点志向,広告収入の減少で,安上がりの時間つぶしの番組が多くなり,益々軽薄な番組が増える.知恵を出さないと,テレビ業界は衰退するか,格差が広がる.キー局構造も改革が必要になる.そんな中で公共の電波が安物芸人の仕事場になって行く.同時に,番組出演者の中に閥が形成されて行く.

懸念する事は以上であるが,認可制度のあり方,事業者の分離化,放送とインターネットの融合,デジタル化による著作権問題,などなど,テレビをめぐる課題は山積みである.

テレビ関係者はこの問題に,どう答えるのだろうか.表現の自由,報道の自由,マスコミの使命,ジャーナリズム論,等の高尚な議論が’視聴率至上主義’'情報化社会'の中で,むなしく,霞む.’テレビとはそんなもんだ’と思って見るのも見識であるが.

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2007.01.27

78 箱物行政の対策

財政難の中で,なぜ無用な箱物が作られてきたか.その理由を明らかにし,今後の教訓にしなければならない.

こんな無駄なものを何で作ったのか,何を考えていたのだ.当初計画は甘い.などと非難轟々である.それに対し,行政も議員も口をつぐむ.

積みあがった膨大な借金で作った無残な箱物が,人間の業のモニュメントとして寂しくそそり立っている.食い逃げ事業の証拠である.あんな金があったら,せめて病院や老人施設にまわして欲しかった.同じ借金でも,よっぽど価値がある.と思うのは誰しもである.

一体,何の効果も無いのに,借金返済や経費を垂れ流している事業はどれくらいあるのだろうか.これを明らかにし,負担を強いられる後世の国民に説明する義務がある.

よく言われている事だが,こうなった理由を整理すると次の通りである.

①雇用対策,景気対策が目的で工事が欲しかった.予算が付けば,何でも良かった.表向きには,必要な理由をデッチあげた.

(これは公共投資ではなく,金の譲渡であり,これならば,わざわざ箱を作らずに,金をばら撒けばよい.)

②財政出動が景気を支えると間違った経済理論をかざしていた.

(正しくは,公共投資とは波及効果が発揮される事業であり,これが無い投資は金のばら撒きと借金の山を作るだけ)

③予算を取って,使わねば損との感覚が全国に蔓延していた.国の縦割り行政,郵便貯金などによる財政投融資,国債の金融機関引き受け,などがそれを加速させた.

(リゾート施設を作ったり,中身の無い美術館が出来たり,膨大な工業団地が野ざらしであったり,港湾と河川の隣接地帯に別々に橋が出来たり,災害で利用度が低い国道がすぐに復興したり,金の使い方が必要性と乖離,予算がつきやすいものを作っているだけ)

④予算を取って,金をばら撒く事が,選挙に有利であった.

(国政選挙で,中央とのパイプで地方に予算を持ってくると言う政治家が現在もいる.国政選挙は地方から国政をやる人を選ぶのであって,地方への利益誘導者,江戸屋敷の主を選ぶのではないはずだが)

以上4点である.これが箱物行政である.

戦後の経済がどん底,社会資本も未発達の中で,何をやっても,借金しても,公共事業の経済波及効果は大きかった.列島改造論は有効であった.これが日本の経済成長を引っ張って来た.

しかし,いつしか,公共事業経済にどっぷりつかった社会,社会主義経済社会を作り出して行った.もはや公共事業の波及効果と関係なく,公共事業なくして地域経済が持たない事態になったのである.その結果,公共事業に名を借りた,金のばら撒きが起こったのである.これが箱物行政であり,選挙手法になったのである.

さて,日本全体に覆いかぶさるこの事態に対し,どんな対策があるだろうか.何で,こんなムダをやっているのだと騒いでも解決しない.

明確な事は

①上記4つの箱物行政(ばら撒き予算,縦割り行政,財政出動,財政投融資,利権政治)を排除する事.

②さらにムダは勿論,行政,公務員,公共事業の改革等よって,歳出の徹底削減を行い,必死に民需の事業開拓をする

③その場限りの雇用対策,景気対策が政治判断され時は借金財源でやらない事.(後世の負担の先食いになるから).又,借金による公共事業は,その効果,意義が借金返済と見合う事.

である.小泉政権はこれに取り組んだはずであるが,道半ばである.

増税は短絡的であり,予算を収入と思う感覚の延長線であり,質的な変化を弱め,国を衰退に向かわせる気がする.

限られた歳入で,パイの拡大,弱者の救済,両面で真剣な税金の使い道の議論が必要である.又.税調は現行税の改良を議論する事は良いが,歳出計画が無い税制議論は無意味である.

今年は選挙の年である.厚顔なうさんくさい人,主張がなく,当選しか考えていない人は排除したいものである.

さらに対策を付け加えるなら

④地方議員,参議院議員は無所属とする

衆議院は政党政治で良いと思うが,地方議員,参議院議員は無所属で人物中心が良いと思う.議案毎に自由に賛否を表明することが,チェック機能として重要だからである.国民の変わりにチェックできる事になる.党議拘束のかかった地方議員や参議院議員ではチェックする立場にならない.その証拠に,無駄な案件が大手を振って通過するからである.

法律,予算を作る国民の代表(衆議院)と,それをチェックする国民の代表(参議院,地方議会)が存在すべきなのである.

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2007.01.24

77 損得の前に善悪を

言うまでもなく,人生においても,企業活動においても,'損得の前に善悪'を考える事は当たり前である.’善・悪’の判断はマナーの良し悪しもあるが,最低限,'合法・違法’の判断である.法の判断が難しければ,'常識・非常識’の感覚である.

倒産等の瀬戸際で苦し紛れに善・悪の判断なしに損・得に走ることはあるにせよ,問題は日常の中で,善・悪の感覚を失う事である.この’善・悪’の感覚が失われた状態は,業績悪化による倒産より,高いリスクの中で経営している事になる.

リスクマネージメントの基本は'善・悪''常識・非常識'さらに言えば`これはおかしい`と言う感覚を失わない事にある.違法覚悟の確信犯のリスクマネージメントは,これを発覚させない事であるが,通常のリスクマネージメントは'これはおかしい'と初期の段階で発覚させる事である.

小さな悪の見逃しの繰り返しが,感覚の麻痺を助長させ,慣習化した悪は公表より隠蔽に傾き,いつしか確信犯になる.リスクマネージメントがまったく逆になる.挙句,内部告発で終わりになる.

このように,'損・得'に決定的ダメージをあたえるのが,'善・悪’であり,これを忘れると’損・得’どころの騒ぎではなくなるのである.残念ながら長期に及ぶ’善・悪’の感覚の麻痺が起こした不祥事が絶えない.信用失墜は一夜にして窮地を招くのである.

自由・競争社会ほど’善・悪’には厳しいのである.自由・競争社会はフェアーな社会を求めるているのである.勿論,政治も行政も,この社会の感覚から隔離された特殊な世界ではないのである.

’損得の前に善悪を’心に刻んでおきたいものである.善悪に疎い人は,徹底的に損得を追求して欲しい.悪ほど損であると気がつくはずである.

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2007.01.21

76 労働多様化と残業問題

ホワイトカラーエグゼンプション法案が棚上げになったが,労働時間問題について整理してみた.

サラリーマンの残業時間の運用は,おおよそ次の通りである.

①呼称はともかく,管理職とされる人に残業が付かない.

組合がある場合は非組合員となり,裁量労働者として,残業は付かない.組合が無い場合は裁量労働者とみなしている.管理職の定義(権限委譲程度,部下のいない管理職,手当て,組合の有無)で法廷論争もある.

②非管理職に裁量労働者認定を行い残業をつけない.

研究者,営業などに裁量労働制(個人の了解付き)を導入しているケース.原価部門の人は見なし残業時間で原価計上.ただし,個人の裁量で仕事が出来ない場合(トラブル対応,長期残業が必要な仕事量の発生など)は裁量労働を中止.裁量労働者は想定残業程度の手当てを支給する場合もある.

生産性が低い,ミスが多い人の残業代削減策の側面もある.これは残業代の問題ではなく,マネージメントの問題だと思うが.

③非管理職で見なし残業相当の手当てを支給し残業をつけない.

会社内の資格制度で規定.

④管理職いかんにかかわらず,成果主義による年棒制,歩合制,嘱託制などでは残業概念がない.

①から④共通で,残業と言う概念が無い事から,長時間労働,過労死,定時間外の事故などでサービス残業問題がクローズアップされたり,反面,時間労働から解放されて,自主的に,積極的に,仕事に取り組むケースもある.

大体以上であるが,これと,ホワイトカラーエグゼプション制度(一定以上の報酬支給者に残業をつけなくても良いとする制度)の関係がよく分からない.この法律によって,一定報酬以下の人には,残業代を必ず支給する事が義務付けられるのだろうか.裁量労働制はどうなるのか.識者やマスコミは突っ込んだ所見を言わない.表面的な論評だけである.

以上,残業をつけない場合の議論であるが,残業をつける制度の中でも,運用上の問題もある.現法律では,会社の管理下における時間外作業はすべて残業代になるとの事だが,現実には,判断が難く,判例主義で補われているケースも多い.

又,残業指示・申請なしのサービス残業の問題もある.特に始業前の準備作業,朝礼や時間外の勉強,研修,会社行事,自主判断の作業など悩ましい.あくまでも自主的であれば,残業にならないのだろうか.

私見によれば,仕事によって,労働条件の多様化は当然であり,労働条件が変わるつど,個人ごとに何らかの雇用契約(もしくは規約)をしっかりすべきだと思う.労働賃金・報酬が労働時間だけを物差しにした時代ではなくなったからである.

従って,労働条件の多様化に対応できる労働基準法の全面見直しが必要だと思う.法律の立場としては,労働条件の下限を規定する事であり,法律の規制を拡大すると,社会主義になってしまい,企業や産業が成り立たなくなる危険性もある.基本はあくまで企業と従業員(組合)で決めていくものだと思う.

一方,多くの企業においても,就業規定,賃金規定,人事評価・昇給・昇格制度,退職金制度,年金制度など,歴史的に引きずった複雑な規定になっていると思う.シンプルな方向に改革すべきである.又,優秀な人材はストックからフローの時代向かっているように思う.それに対応する仕組みも必要である.

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2007.01.19

75 今後の自治体webサイトの考察

自治体において,住民とのコミュニケーション手段としてホームページが活用され,利用者の増大とともに,役割りも大きくなっていると思う.

又,電子行政システムに対し,

`便利なものは危険で不公平だ,不便なものは安全で公平だ’とする保守的発想が電子化へ消極的になる事があったが,’便利なものは安全で公平だ,不便なものは危険で不公平だ’に変わりつつある.

この変化の中で,自治体ホームページの今後について考察した.

現在でも既に,掲載情報は膨大になり,今後も議会情報,災害情報,事故・事件情報などもリアルタイムに掲載される事も予想される.又条例や予算への賛否,提案,苦情など住民の行政への発言も取り入れる自治体も出てくるかもしれないコンテンツもテキストだけではなく,画像,映像,あるいは,インターネットテレビ,インターネットラジオも考えられる.

将来的には自治体のホームページはデジタルデモクラシーのサイトとして位置づけられると思う.単なる掲示板にとどまらないのである.

この様に考えると,自治体のホームページ運営はテレビや新聞のような報道機関と同じように,記者,カメラ,編集などの機能,組織が必要になる.又サイトの設備は自治体共同利用の方向(自営でも委託でも)になる.当然,役所の中に`報道局’クラスのセクションが必要になる.同時に,自治体のホームページとマスコミの報道との関係も変化するはずである.

これらの変化は,伝統的な役所文書の表現力の改革を促す事になる.律令国家以来,文書を作り保管する事が役所の仕事として続いているが,この意味で,文化革命に相当する変革になる.

当然,ホームページはユニバーサルデザインを心がけ,文章も簡潔な表現,言葉が使われる.マスコミと同じように表現力の研鑽も必要になる.役所内文書もホームページと連動する事から,役所内文章表現も変化が必要となるのである.

自治体のホームページの意義が拡大していく中で,革新的な自治体が出てくる事を大いに期待したい.自治体のホームページを成長させて欲しいのである.情報化社会は面倒だと'知らしむベからず`に舞い戻ってはならないのである.

これらの変化をきっかけとして,日本語文章作成ソフトの開発が待たれる.漢字の管理,誤字,脱字,漢字のチェック機能,英語への翻訳精度が高まる文章チェック機能,など,によって,役所文章,ビジネス文章が分かりやすく,簡潔になると思う.日本語戦略としても,必要な気がする.

ネット社会は誰でもが発信する時代である.情報も膨大に蓄積,活用される.これを有効にする為に,文章力,表現力がきわめて重要となる.米国では国際的,多民族の視点で,日本の中学英語程度で理解できる文章に努め,ワープロもこれをチェックできるという.分かりやすい日本語表現力は個人の力量に頼るだけではなく,ツールで補完しても良いと感じる.

もし,このようなソフトがあれば,多分,現在の役所の文章は,いたる所,チェックにかかると思われる.英語への翻訳,通訳を前提に資料やスピーチ原稿を考える時,主張のポイント,論理性,センテンス,などが普段とは全く違う簡潔な文章になる.普段から,このような文章を書きたいものである.

電子行政システムは日本語処理,表現力,セキュリティ,あるいはデジタルデモクラシー等多くのテーマを持っており,この認識で施策を講じて欲しいものである.

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2007.01.15

74 骨抜きを法律で許す放置国家

法律の趣旨に沿わない権限・裁量を温存させる為に,言葉の使い方で,これを紛れ込ませる事がある.特に政治家や公務員の行動に係る法律にこれが多い.これでは,骨抜きを法律で保護する法治国家,いや放置国家になる.

最近の話題で言えば,政務費,調査活動費,事務所費などである.言葉はいかにも必要な経費を表しているが,領収書不要とした瞬間,この費用は使途不明金,裏金,使途の隠蔽,私的使用等の科目に変貌する.せめて,領収書の取れない支出のみ計上する科目を別に設けた方がカモフラージュが少なくなる.

このように,透明性を掲げた法律が簡単に骨抜きになってしまうのである.それなら,いっその事,経費は全てこの科目を使えば良い.報告書も一行で済む.領収書も不要となる.

法律に問題があると言う論評が多いが,その法律を作って,思惑通りに利用している政治家の精神・品位が大問題なのである.'立法する者の行動を立法する者が決める'ゆえに,立法者への信頼感と品格が問われるのである.

社会保険庁で言えば,税金ではなく保険料の中から事業費,人件費や事務所費を支払う法律が出来たとたん,保険制度の破綻など気にせず,使い放題になった.リゾート施設が全国に作られた.そこには保険料資金の運営に対する責任,あるいは自助努力が感じられないのである.合法的に金を好きなように使ったとしか言えない.

責任の無い者にお金を渡すと容赦なく使ってしまうあさましさは,公務員に共通している生態かもしれない.交付金,補助金,予算さえ取れれば,その原資が借金であろうと,なかろうと,効果があろうと,なかろうと,気にしないで使ってしまう精神に似ている.

官から民への政策も移管ではなく委託になったり,行政機構改革のもとで焼け太りになったり,とにかく既得権の温存,予算の分捕りが仕組まれる.針の穴くらいの条文や言葉に既得権が群がるのである.油断も隙もあったものではない.

道路公団民営化でも,道路目的税の問題でも,社会保険庁問題でも,政府系金融機関の問題でも,建築基準法や検査機関でも,公務員改革の問題でも,魑魅魍魎の駆け引きが行われ,抜け道が仕組まれ,法律の目的・趣旨が骨抜きになる気がする.

最大の骨抜きは財政法である.財政法の精神を法制化しても,例外として簡単に借金が許される.この例外が900兆の借金になったのである.これでは例外の借金する事が精神で,借金しない事が例外になる..

立案者は法律が成立した事によって,公約を果たしたと言い,反対者は要求を入れたと内心ほくそ笑む.結局,法律を通す為の妥協の産物であったり,責任回避や裁量権,解釈の余地を残す為に,玉虫色の法律が頻発するのである.

法制化には,法律の目的・趣旨に反する抜け道の条文,単語,あるいは`等`が必ず仕組まれているとの前提でチェックが必要である.又,変に具体的に,細かく規定している法律も危ない.そこに抜け道が紛れ込む.

いっその事,趣旨・目的だけの法律にした方が,趣旨を常に意識し,合法かどうかを考える事になるかもしれない.抜け道だらけの法律は法治国家の品位を落とし,放置国家に転げ落ちる事を合法化するだけなのである.

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