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2007.03.17

86 堀江判決

ライブドア事件で堀江元社長への判決が出た.

事件の全容は省略するが,浅学ではあるが,遠目でみた感じでは,ライブドアはネット事業とファンド事業をやりながら,株で資産を築いた.近鉄球団買収を思い立ち,球団保有の審査を通る為にも,楽天との競合で決算を良くしなければならなかった.当たり前のように,社長は売上と利益の上積みを指示した.結果,良い決算が上がってきた.こんな方法もあるのかと喜んだりもした.

そこに,自分としては違法性も犯意もなかったと主張しているのである.創造的,積極的人物によくある言動であり,会計制度に疎いのも事実のようである.しかし,有罪であれば経営者としての結果責任は逃れられない.

一方,経営者を支える経理責任者や会計監査法人が違法性や犯意をどのように認識していたかは定かではない.(特に問題との意識はなかったようだが)

この判決に対し.

虚偽記載の事例からして重すぎる,儲け方が気に入らない,反省・謝罪がない,莫大な財産を持っている,等で軽すぎる,米国の例から,きわめて軽すぎる,などの感想があると思われる.裁判の争点以外の日本的な,感情的な感想が多いように思われる.

ライブドア事案で国民は証券取引やファンドやM&Aの学習をした,引き続き裁判についても,学習の機会を得ていると思う.そこで,この裁判を通じて,素人ながら,経済裁判を考えてみた.

①反省の度合いと量刑の問題

量刑は〔動機・犯罪内容・反省度合い〕で決まるようだが,この中で動機に対しては裁量があっても良いと思うが反省度合いに対しては違和感がある.

今回,反省がない事が実刑になった理由だと言う.無罪を主張し,否認しているから反省する訳もないのだが,反省のない者を世に出してはいけない.じっくり反省と厚生をさせる必要がある.と言う考えが裁判にあるようだ.

日本における実刑は罪の償い(罰)以外に厚生(指導)をさせる目的があるようだ.裁判所と刑務所は罪人の厚生機関と捉えているようだ.償い(罰)の機関でよいのではないかと思う.

反省したら罪が軽くなるとしたらグレーの問題や有罪になる可能性のある問題に無罪の主張が出来づらくなる.真っ向対立で裁判を戦う事で真実をあぶりだす事が難しくなる.妥協で罪を認めれば冤罪の温床になる.

反省の証として謝罪,私財の放棄,弁償等が行われ,減刑されるとしたら法の下の平等が崩れる.

捜査や逮捕と言う国家権力の行使には間違いがない,と言う前提で,反省したら許そう,反省しなかったら許さない,と言う文化が根底にあるように思う.

量刑は〔動機,犯罪の内容〕で決めるべきだと思う.’罪を憎んで人を憎まず'の考えにあるように,犯罪を裁くべきだと思う.反省度合いを量刑に影響させる事は'人を裁く'事になる.人の反省や厚生は少なくとも,経済裁判では裁判所の仕事ではない気がする.

②真実を明かす事と量刑の問題

事実の証拠の提出などは反省に基づくものとされ減刑の要素になるようであるが,それでは黙秘権行使が心象を悪くする事になる.

刑を軽くしてでも真実追求や犯罪防止につながるなら司法取引の制度を考えるべきである.重要証拠を出す,出さないが反省している,していない,と置き換える事は黙秘権や①と同じ問題になる.

③分離裁判の問題

今回,同一事案に対し被告人毎の分離裁判でが行われているが他の裁判の被告人が当裁判の検察側証人になっている.もし,求刑を軽くするから他の裁判の検察側証人になれと言う事があれば,金をやるから証人になれと似た事になる.弁護側は分離された裁判に参加していないのであれば検察側と多勢に無勢になる

そもそも同一事件を分離裁判し,整合性が取れるのだろうか.

④裁判官と検事の関係の問題

検察の求刑が裁判官の重要な判断材料になるようだが,はたして,国家権力を持つ裁判官と警察・検察が独立しているのだろうか.求刑が量刑の上限を裁判官に示唆し,裁判官は求刑の掛け率で判決を出す,と言う事になっていたら大問題である.冤罪のリスクに係る問題である.

⑤社会的,経済的制裁と量刑の問題

罪が確定する前(事情聴取,家宅捜査,逮捕など)に本人の意思とは無関係に起こる社会的経済的制裁の度合いが情状酌量に影響を与える事がある.

制裁が自業自得と見るか,裁量に反映すべきか,法の元の平等の観点で議論すべき難問である.識者の見解を聞きたい.

又,大きな制裁が発生した時,いまさら無罪に出来ないと国家権力側は考えるかもしれない.何が何でも有罪に持ち込もうとした挙句,冤罪になりはしないか心配である.

勿論,無罪が確定した時の社会的,経済的制裁の国家弁済の問題もある.

事情聴取だけで白眼で見る国民性,お上意識が根本的問題なのかもしれない.判決が確定するまでは無罪という教科書のような考え方は国民意識や司法制度に反映しているとは思えない.これも識者の見解を聞きたい.

⑥国家権力の行使の問題

確実な事は⑤の事を考えれば,警察・検察・裁判所の国家権力の行使は慎重でなければならない.個人的な思想や恣意的な判断あるいは世直し奉行の自負で国家権力を行使してはならない.

あくまでも違法性と証拠での行使が求められる.国家権力が正義の覇者を振りかざしたら法治国家ではなくなるのである.

又,経済事案は会計監査法人,行政・証券取引の監視機関などで未然防止や修正申告指導などが行われ,経済的混乱を避ける意味合いがあるが,今回はどうであったのかの検証が必要である.特に今回は証券取引監視委員会を飛び越えて,いきなりの虚偽記載の逮捕であり,他の虚偽記載事案と比べて議論を呼ぶ所である.

年寄りが若者を懲らしめているように,法の眼を盗んで錬金をしている事は許せない,哲学・言動も許せない,Tシャツが無礼だ,と時代のヒーローに祭られた人物を見せしめの為に国策捜査をしたとの印象が拭えない.他の経済事案と比較しても違和感がある.

⑦世論,マスコミの反応

司法の判断の尊重からか,一時はヒーロー扱いしたマスコミや世論が手のひらを返すように,司法判断に迎合しているのも気がかりで危険である.マスコミなど見識を問いたい.検察が怖いのだろうか.コメンテーターの薄ぺらさもいい加減だ.

いくつか上げた問題のように,堀江哲学・言動・錬金方法の賛否より,風説の流布や粉飾決算が意図されたのか,他の類似経済事案と何処が違うのか,量刑に恣意的な要素が入っていないか,そもそも検察が介入する前に,会計監査法人,行政,証券取引のチェック機関は何をしていたのか,どのような役割りになっているのか,国策捜査ではなかったか,等の議論を深めて欲しいのである.

経済事案は影響が大きいだけに,国家権力行使によって善意の被害者が発生する.何らかの保護策が必要だと思う.経済裁判が増えてくる中で,伝統的な考え方,制度,仕組み,慣習,用語,形容詞の多い判決文など,改革すべき課題は多い.

さて,堀江被告の法廷闘争は,2審では一転,罪状を認め,反省し,日本的減刑作戦にでるのだろうか,あくまでも無罪でつっぱるのだろうか.世論やマスコミから,この問題は風化してしまうのだろうか.

法治国家である以上,感情,倫理,正義感ではなく,起訴に係る法律と証拠のみで合法・違法の法廷闘争を進めて欲しいものである.それが裁判の使命であり,それ以上の使命や期待は警察国家につながる.この為にも,ここで上げたいくつかの問題の論争も期待したい.国民も論理的な物の見方を鍛えなければ,'お代官様文化'を改革できないし,陪審員制度や国際社会に伍していけないと思う.

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コメント


はじめまして、独りよがりのコメントを書かせていただきますが、よろしくお願いいたします。

 一流企業が巨額の粉飾を行い、テレビ会社が視聴率のために捏造情報を流し、裏金作りを内部告発をした元検事に懲役判決を下す世の中ですから驚く判決ではないですね。
 
 この裁判で岡山県出身の鳥人こと浮田幸吉さんを思い出しました、世界で始めて空を飛びながら世間を騒がせたと裁きを受け国を負われることになりました。
 
 新興企業の株の価値は、教科書通りの決算書が書けるこてではなく、どんな夢が描けるかに有ると、僕は思います。東証マザーズの株は若者が描いた夢を実現するために夢を買う気持ちが無ければ日本の将来は明るいものにはならないと思います。

日本の若者から宇宙に乗り出す夢を聞きたいです、一株買いますよ200円で !!
ぼくは、この裁判結果が日本の将来の企業を育てるために決して正しい役割を果たすとは思えません。

それでは、失礼します。

投稿: ももたろう | 2007.03.17 15:08

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