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2007.04.29

96 今でも残る戦前の残像とこれからの文化

現在の北朝鮮の映像を見るにつけ,いつかの日本を思い出す人は多いと思う.7,80年前のタイムカプセルを覗いているような感じがする.

一方,現在の日本の中にも戦前の残像を見ることがある.先日,宝塚音楽学校の入学式をテレビで見た.80年の格式と伝統の式典だと言う.式次第,生徒の立ち居振舞い,制服などは,まるで北朝鮮の喜び組の入学式の映像を見ているようであった.

同じ様に,格式と伝統が重んじられる行事,式典に戦前の残像を見かける,例えば,高校野球や国体の行進,直立不動で歌うNHK合唱コンクールなど,戦前の風景を感じるのである.

一矢乱れぬ行動は,きちっと訓練された行動として,北朝鮮の軍隊パレード程ではないが,秩序正しく,美しく見える.しかし,一糸乱れぬ統制による全体主義の姿,戦前の軍隊の文化や,現在の北朝鮮を彷彿させて,違和感を感じる.

賛否両論があると思うが,礼儀や秩序を守りながら,もっとフランクな文化でよいのではないかと思う.あまりにも個を殺した考え方,様式は一見,綺麗に見えるもしれないが,あまりにも全体主義的で其の内容も乏しく,形式重視に見える.

もし,今でも,一矢乱れぬ様式,文化が良しとするならば,現在の北朝鮮や戦前の日本とメンタリティが同じだと言う事になる.

全くそんな時代ではないと思う.社会でも学校でも,セレモニー,発表会など,フランクなオープンな様式の方が好きである.大事なことは,人間の英知である形式を使うにしても,大事なことは,心に通じる中身だと思う.

それとも,日本はまだ,型にはめなければ動けない,型にはめた方が無難で面倒くさくない,やっぱり横並び文化が依然強いのか,結婚式披露なども,型通りの宴が多いと言う.成人式などは中身重視に動きつつあるようであるが.

オリンピックの入場行進は,お国柄がよくわかる.日本は一糸乱れぬ行進をするが,ドイツなどと少数派である.

大リーグの試合前のセレモニーや記録達成の選手表彰,ゴルフの優勝者表彰など,アットホームで楽しい雰囲気で行われる.式次第に従った入れ替わり立ち替わりの型通りのスピーチや表彰状の読み上げなどはない.`国家斉唱’などと号令をかけなくとも,観客,選手全員が胸に手を当てて国家を歌う.合唱コンクールなども,リズムに乗って,体を動かし,ハートフルに表現する.

大相撲の表彰式で小泉首相が'痛さに耐えてよく頑張った,感動した’と貴乃花を表彰した事があったが,これなども,形通りの表彰状を読み上げるより心が通じた.

茶道でもジャズでも合唱でも,基本(理論,形式)の上で,自由なフランクな,ハートフルな世界が存在する.一矢乱れぬ行動は心が通じない,堅苦しいだけ,横並び精神そのものである

余談だが,何百人,何千人が集まるセレモニーで全員が黒の服,当然黒髪の風景は欧米人からすると,全体主義的な恐怖をおぼえると言う.言われてみれば,其の通りだと思う.せめてカラフルな服装にしたいものだ.

それにしても,北朝鮮の軍事パレードは精巧なロボットの行進を見ているようで,その無機質ぶりに驚く.日常も国威を発揮する時も底流に流れている’人間をロボットにする’北朝鮮の文化なのだろう.今でも日本で見かける戦前の残像も含めて,そんな文化から卒業すべきだと思うのである

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95 強まる『すっきり』への欲求

人間の性格や文化には

①'もやっと’の状態でも許容できる性格,文化
②'すっきり’しないと気が済まない性格,文化

が存在する.それ故,夏目漱石ではないが’理は角が立ち,情は流される’事が発生する.農耕民族文化と狩猟民族文化,縦社会文化と横社会文化,和の文化と競争の文化,精神的合理性(情)と経済的合理性(理),などの葛藤は,この二つの性格・文化に起因していると思う.

ところで,’もやっと’に偏っていると矛盾や問題の解決が停滞し,社会の活力が失われて行く.かと言って’すっきり’は其の実現が難しかったり,精神の荒廃などの問題がある.しかし,論理性や合理性の追及,あるいは競争によって,②が①を駆逐する事になる.

特に,複雑化・多様化・国際化,あるいは財政問題,安全保障問題,社会保障問題,等,大きな問題は’もやっと’のままでは動きが取れなくなる.’もやっと’しているうちに立論力や決断力が低下し,政策を打ち出せない事になりかねない.そんなわけで,今,’すっきり’しようとする機運が強まっている様に思う.

この’すっきり’願望は,’もやっと’に対する危機感から来るが,'すっきり’出来ない’もやっと’状態への苛立ちとも取れるのである.

例えば,典型的な議論は9条の改憲問題である.軍備は一切持たないとするなら論理としては’すっきり’である.しかし,'自衛の為に武力を持つ’はもやっと’である.自衛の大義でいつも国際紛争が起こっているし,そもそも自衛の定義は不可能に近いからである.集団的自衛を持ち出せば,自衛の為の武装論はますます'もやっと'になる.

’国家として武力を持つ,其の行使はシビリアンコントロールで行う’は'すっきり’である.これは世界の常識である.

又、市場原理、効率化、競争原理、利益追求などの局面と和・道徳・協力・ボランティア・集団活動・感情などの局面に対し、足して2で割る文化は’もやっと’である.結果、どちら付かずの行動になる.それぞれの局面で徹底する文化は’すっきり’である.格闘はするがノーサイドの付き合いもする行動である.

さて,日本が抱える大きな問題に対し,'すっきり'することが出来るだろうか.'もやっと’の日本文化が根強いだけに心配である.それとも,'もやっと’が日本人の英知とすれば,戦略的に'もやっと'のままにする可能性もある.

この'もやっと'文化は大きな問題だけではなく,日常,論理性が求められる表現にも入り込んでいる.卑近な例を挙げてみた.

日本では社外取締役(アウトサイドデレクター)と言うが,アメリカではインデペンデントデレクター(独立取締役)と言う.利害関係がない取締役と言うなら,アメリカの言い方が論理的である.

社外と言う言葉は日本の`内と外`を分ける文化(血縁・地縁・村社会の文化)から来ており,会社にとって,利害関係のない意味であるが,異文化の人からすれば,社外にいくらでも利害関係者はいると思うし,利害関係がない人という意味にはならないのである.従って,社外取締役は’もやっと’,独立取締役は’すっきり’である.

外資という言葉も金融,株式のグローバル化とともに,曖昧な言葉になった.筆頭株主が外国の人・法人である場合を言うのだろうか.トヨタ,ソニーを外資企業というのだろうか.ファンドが株主の場合,その資金源は個人,法人,国内外,大多数であり一概に言えなくなる.この定義もなく,従来の感覚のまま,外資を嫌ったり,外資規制の論議が行われたりする.

そんなわけで,言葉は文化であり,歴史的経緯の中で概念化され表現である.従って,日本語で論理を表現する場合,単語の定義が常に必要になる.上記の例の通り,日本人同志ですっきり表現したつもりでも,使われた言葉が昔の概念(暗黙知)のままなら,その論理は簡単に崩れるのである.

’もやっと’’すっきり’問題はあらゆる分野で存在し,今後も避けて通れない問題である.そして,’もやっと’から’すっきり’に移行して行く為には,考え方・言葉の使い方から訓練して行く必要がある.同時に決断と覚悟も必要になる.日本はそんな試練に直面しているのである.

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2007.04.27

94 天下り問題の本質的対策

省庁職員の天下り問題が話題になっているが,論点がはっきりしていない.問題を整理してみた.

天下りは官の人事制度(昇進制度)を支える方法として存在し、転出公務員の処遇確保として,実施されている.その為に,天下り先の行政法人が多数存在し,仕事の発注と言う仕送りによってその法人が運営される.かくて,退職金を含めたキャリア官僚の厚遇が一生保障されるのである.身分制度の名残が残っている感じである.

各省庁が予算の削減に徹底抗戦するのも,行政改革に抵抗するのも,この構造があるからだとも受け取れる.まさに税金の無駄使いにつながるのである.

現在、各部門での天下りの口利きを禁止し、人材センターで管理する法案が国会を通過したが、具体的な制度はこれからであるが、天下りを前提にしているだけに,中途半端さは否めない.

天下り問題に対し、世間の意見の方がよほど,まともである.

①天下り目的の行政法人は廃止
②定年までの勤務を可能とする人事制度・人員計画を実施
③定年前の行政法人への転出は出向扱い
④定年後の行政法人への再就職は処遇の大幅ダウンが前提
⑤定年前、後の民間への再就職は個人問題
⑥行政法人への随意契約の厳密なチェック

等である.もちろん、諸手当、人事評価、昇給、昇格などの改革も、これに伴い必要である.公務員の天下り構造をなくすだけで、税金の無駄使い、役人天国が防げるのである.上記①から⑤は民間では当たり前の制度である.官僚を冷遇する制度でもない.公務員の労働権に抵触する話でもない.大騒動する問題ではないと思う.

官僚からは省庁の人件費が増大する,との反論が来そうだ.もちろん人件費は上がるが,過剰な仕送りが減ったり、余計な法人を増殖する事が無くなり,総費用は減ると思う.

さらに言えば,仕送り目的で,適当な仕事を作って毎期,随契で,割高な発注をすれば,背任,公金横領,空発注である.検挙される前に、こんな危ない,天下り構造を,早くやめた方が良い.

もうひとつ,行政を補完する,専門集団としての行政法人が必要だ,との反論も想像できる.外部に作る理由があれば,法人の存在に反対ではない.人材活用で官僚がその法人に転出するなら,上記③④のルールで実施すれば良い.ただし,②をやれば,行政法人の数は減るはずである.

政治家も何をもたもたしているかわからない.何年,議論しているのだろうか.

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2007.04.20

93 音楽の薦め

退職金で高級一眼レフカメラや楽器を買うおじさん族が多いと言う.今,おっさんバンドが花盛りである.団塊の世代は仕事一筋が一段落し,学生時代以来眠っていた楽器演奏の夢がよみがえっているのである.

私の場合は最後の奉公で単身赴任した時,この夢がよみがえった.昔から音楽は聴くより演奏した方が何倍も楽しい事は知っていた.現役時代,ナットキングコール,フランクシナトラ,プレスリー,アンディウイリアムスなどのスタンダード曲をよく歌っていた.その後,単身赴任を機に一人でも遊べる,カントリーの弾き語りを始めた.

最初,数曲レパートリーを持てば良いと思っていたが,次から次と気に入った曲に遭遇し,片っ端から覚えた.マイ楽曲集は多分150曲くらいになったと思う.ハンクウイリアムス,ハンクスノー,プレスリー,ジョンデンバー,ケニーロジャース,アランジャクソン,ドリーパートン,パッシークライン,ウイリーネルソン,ヨーカム,ジミー時田,チャーリー永谷などの楽曲が多い.

ネットで歌詞やTABを探し,CD,ネット配信,インターネットラジオ,ユーチューブ,で曲を覚える.その曲が身につくのに多分100回ぐらい歌っている.勿論,発音やブレスの場所は細心の注意を払う.音楽を楽しむのにインターネット,パソコンは必需品である.パソコンやウオークマンの中はマイ楽曲集でいっぱいである.カントリー以外にジャズ,ラテン,ハワイアンを加えると300曲は超えていると思う.

このカントリーは黒人のゴスベルをルーツとして白人で盛んになった.ゴスベルはカントルー以外にも,ブルース,R&B,デキシー,ジャズに発展して行く.クラシック・カントリーはほとんど,このゴスベルがベースになっている.ランダムに好きな曲をレパートリーにしているが,結果的に,クラシック・カントリーが多くなっている.カントリーのシンプルさが,そこにあるからだと思う.

余談だが,音楽プレーヤーはパソコンが主流になると思う.パソコンにスピーカーをつければ,音に遜色はない.好きな曲は150円でダウンロードすればよい.自分流の音楽アルバムが出来る.楽曲をダウンロードする時,歌詞やTABも付いていると便利である.又,自分に合ったキー゙を指定したら,その音程で聞こえてきたりしたら,さらに便利になる.

カントリーのコードはメジャー3コード(トニック,サブドミナント,ドミナント),拍子は2ビートであり,単純である.ジャズの原点であり,カントリー出身のミュージシャンも多い.カントリーは,ほとんど片思いか,失恋の歌であるが,やさしく,美しいメロディがいい.カントリーロックのようにノリノリの曲も楽しい.西部劇に見られるようなファッションも雰囲気がある.多分,昔見た西部劇のかっこよさが頭に染み付いているのかもしれない.

カントリーは一人でも楽しめるが,ベース,ドラム,リードギターもしくはキーボードが入れば立派なバンド演奏が出来る.ほとんどぶっつけ本番で楽しめる.若者に負けず,劣らず年をとっても,かっこよく振舞いたいとも思っている.

こんなわけで,音楽に挑戦したいなら,カントリーの弾き語りがお勧めである.何よりも簡単でかっこいい,楽譜もない.耳コピーだけである.カントリーの発祥はまさにこれだったのである.ついでながら,Gパンがはけるようにウエストを絞る努力もすれば一挙両得である.

カントリーファッションでファミリーや,おっさん連中でバンドが組めたら,こんな楽しい事はないと思う.カントリーライブバーでピーナッツをかじりながらバーボンをかたむけるのもいい.

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2007.04.18

92 絵画の薦め

音楽でも陶芸でも,ゴルフでも勿論,絵画でも,少しかじっていると,見方や興味や感じ方がまるで違ってくる.達人のすごさも,嫌と言うほど感じる.

少しかじっている『絵画の歴史』,『絵画の表現方法』,『絵画薦め』等について紹介したい.先ず,西洋絵画の歴史であるが,下記のように,絵のパトロンと共に変化して来たと言える.簡単にその変遷を述べたい.

15世紀頃のゴシック絵画はキリスト教寺院がパトロンである.当然,絵のモチーフはキリスト教の教えである.絵を飾る場所が,院内であることから壁画や何百号のキャンバスになる.

16世紀はイタリア中心に発展したルネッサンス絵画である.ダビンチ,ラフェロ,ミケランジェロが排出された時代である.パトロンは寺院に加えて貴族になる.当然,貴族の肖像画が多くなる.絵も立体的になって行く.美術品は宮廷の調度品として,宮廷内に,多くの絵画と彫刻が飾られる事になる.絵の表現は静的な宗教画から能動的で色彩豊かな宗教画に移って行く.『人間復古』と言われた時代である

17世紀はバロック絵画である.バロックとは『ゆがんだ真珠』と言う意味だが,感情の表現が重視された.主にオランダで隆盛した.ルーベンス,レンブラント,フェルメール,ベラスケスなどが活躍した時代である.パトロンは貴族に加えて,実業家が多くなり,絵のサイズも小さくなっていくのである.

18世紀はロココ絵画である.パトロンは貴族であるが,肖像画と言うより,娘の見合い用の絵画である.今で言う美人画の走りである.ブーシェ,フラゴナールなどが活躍した時代である.

19世紀は印象派絵画である.フランスを中心にモネ,ルノワール,マネ,ゴッホなどが活躍した時代である.パトロンは実業家や一般市民,或いは画商である.家庭に飾ることから,大きな絵はほとんどない.チューブの絵の具が発明されたり,写真機が登場した事により,モチーフは外で描くことから,自然や自然の中の人物に移って行く.描き方も写実的ではなく,光を意識した雰囲気の表現を追求する事になる.

20世紀以降は,これらの絵画や技法は生きているが,モチーフが心象画や抽象画に移って行く.個性を求めた結果であるが,その割りに,大衆が知るような画家は余りいない.

次に,一般的な現在の絵の表現方法について述べたい.絵は構図,色彩,インパクトで,出来栄えが決まる.勿論そのベースに描写力が存在する.これらが揃って,絵は人をひきつける.何よりも,飽きない絵になる.展覧会の評価も,これが決め手となる.絵を並べるて見ると,その存在感の差が歴然とわかる.

描写力はデッサンで常にトレーニングされ,形,明暗,等の観察ポイントや被写体の構造がナレッジとして,蓄積される.特に人物は顔や人体の構造,寸法がほぼ決まっており,これを体得(教則本あり)することで,より描写力を向上させる.この描写に色彩を加えて,精密に写実的に表現したり,雰囲気,特徴で印象的に表現されたりする.これが画風になる.この描写力はプロとアマの決定的な差がでる所である.ちなみに人物なら顔,目,手やドヌーブ(布のひだ)にその差が現れる.

構図は,とりわけ,風景画にプロとアマの差が現れやすい.空,建物,木々の大きさ,視点などが,構図のとり方で決まる.雲や木々の葉っぱの表現などに,描写力や色使いの力量が試される.

総じて,引き付けられる絵は感性だけで描いていない.考え抜かれた構想と,テクニックが裏に潜んでいる.一枚の絵は舞台と同じように,役者,照明,色彩,演出などが仕組まれているのである.

とは言うものの,画く方も,見る方も主観的な好き嫌いがある.私見によれば,’飽きない絵’が自分にとって良い絵だと思う.独断と偏見で良いと思う.決して絵の値段で決まるものではない.そもそも,一般に売られている絵の値段は画家の値段なのである.

展覧会で何百点もある絵画の中で,目に留まった絵,見続けた時間で自分の好きな絵が決まると思う.きっと写真のような写実的な絵は一瞬息を呑み,写真より迫力を感じ,その描写力に圧倒される.画く側の力量は計り知れない力があると思うが,その感動が永く続くとは限らない.

岸田劉生のように,写実の追及が本質をあぶりだす,本質の追求は写実を究める事である,との考えもある.麗子像は,写実の追求によって人間の本性を表現した典型例である.正直言って,気持ちの良い絵ではない.

印象派の絵が好まれるのは,雰囲気をかもし出し,物語を感じるからである.まさに’すばらしい絵には詩がある’たとえの通りである.宗教色がない,日常のモチーフも好まれる理由である.またアート(芸術)はアーティフィッシャル(手作業)であり,写真やCGとは違う世界がある事を,これらの絵に感じるからである.写真機の登場が印象派を際だたせたと言われている.

個人的に言えば,セザンヌ,ルノワール,モネ,モリゾが好きである.自分にも画けそうな錯覚を覚える.これぞ油絵と言う感じで,こんな絵を目指したいと思ったりもする.これもまた錯覚の上塗りであるが.

さて,最近のアマチアの展覧会の入賞作品がほとんど心象画である.人物,静物,風景などは画き尽くされて,個性や独創性の発揮が難しいからである.

しかし,多くのアマチアは心象画を画こうと思っていない.人物,静物,風景,とジャンルを分け,描写,構図,色彩,インパクトを,評価して欲しいのである.この方が勉強になり,励みになる.アマチアの展覧会はプロの展覧会とは違うのである.

ついでに絵の飾り方について触れたい.どんな絵でも,飾る場所の雰囲気と合う必要がある.無機質な美術館に飾るより,宮殿や私邸に飾った方が雰囲気が出るし,同じように,無機質なオフィスでは油絵は似合わない.絨毯が引かれた,木彫の応接室なら,ぴたっと来る.

家庭では,マンション等で絵の飾る場所が少なくなった.以前,マンションの壁の上の隙間用に,横長の絵を百貨店に提案した事がある.いずれにせよ,家庭ではせいぜい8号どまりである.

もう一つ,絵をお祝いにあげる時,絵より額にお金を使うべきである.(1~2万円)絵を差し替えて楽しめるからである.但し,差し替えた絵と額が合わない事があり,余り個性的な額は避けた方が良い.婚祝い,新築祝いなど,絵の裏にメッセージを書いたプレゼントはすばらしいと思う.お勧めである.

さて主題に戻ると,プライベートの生活の中に,一心不乱の時間を持つ事はすばらしい事である.厳しい仕事の気分転換はボーとする事ではない気がする.

数ある趣味の中で,絵を描く事は最も手っ取り早くやれる趣味である.何よりも,観察力が高まる事で,世の中がよく見えるようになる.今まで,ほとんど見ていなかった自分,既成概念で見ていた自分,に気が付く.絵画への興味で,人生が少し豊かになった感じもするのである.

最後に絵を描くときのアドバイス(自分に言い聞かせている事)

①何を表現したいかイメージする(モチーフ)
②キャンバスの大きさに従って,構図をしっかり決める
③下絵をしっかり描く
④構図,下絵に従って明暗の面を意識して,薄く色を乗せていく

絵画の陥りやすい所は,(いつも失敗している事)

①絵を描くうちに,構図や対象物の大きさが変わって行く.
②筆をおく度に,変なところが気になる.
③修正が修正を呼び結局,絵をつぶしてしまう.

事である.これを避ける為に,上記①~④を厳守したいのである.実は絵で難しいのは,『妥協と終わりの決断』をする事である.

何か,難しいそうで絵画の進めどころではなくなって来たが,何かにつけ,表現とは簡単ではないと思う.だから面白いのである.

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2007.04.12

91 私の紳士ファッション考

紳士ファッションのコーデネートパターンは私見によれば,次の通りである.これで,随分役立つと思う.

①ビジネ・ファッション
スーツは紺系無地で秋冬用と春夏用を用意し,白と青のカッター,ネクタイを数本,で組み合わせる.典型的なビジネススタイルである.

②シティ・カジュアル・ファッション
ブレザー,替えズボン,ワイシャツ,ネクタイ,革靴,のファッションをシティカジュアルと呼び,会社のカジュアルディ,休日出勤,等の時に使うファッションである.ブレザーとズボンの色あわせが重要であり,ブレザーが紺系ならズボンはグレー系,ブレザーが明るい色ならズボンは紺系で良い.このスタイルを着こなす事が男子の最大のテーマである.

③スポーツ・カジュアル・ファッション
ゴルフなど,プレー用の服を持って,出かける時や街に出かけるときのファッションである.このファッションは
シティカジュアルファッションからネクタイを取ったスタイルである.ポロシャツでも可.最低,紺ブレを一着,持ちたいものである.

④レジャー・カジュアル・ファッション
ジーパンや替えズボン,ティシャツ,ポロシャツ,セーター,ジャンパー,ブレザー,靴はスニーカー,のファッションである.普段着,アウトドアー・レジャーのスタイルである.これで会社に行くのはおかしい.又,中高年にとって,かっこよくこのスタイルを決めるのは難しい.腹が出ていれば選択は狭まってしまう.思い切って,色に挑戦する事も大事である.

中年,壮年,男子にとって難しいファッションになるが,自分に合った何通りかのスタイルを持つ事が大事なのである.一度,自分の好みから離れて,専門家にコーデネイトしてもらうのも大事である.

日頃,服を着こなす事があまり上手ではない人には,これで随分助かる筈である.すくなくとも,場違いのファッションにはならないよう,中高年はもとより,社会人一年生も,すっきり決めたいものである.

ところで,かねてより,アメリカのカントリージェントルマンに関心している.農業,牧畜,技術者,職人,サラリーマン,などの人達が,仕事着もカジュアルスタイルも格好が良いのである.どんな時でも,人柄,雰囲気にマッチして,格好が良いのである.休日をジャージ,或いは,ジャージパジャマで過ごす日本人とは随分違う気がするのである.

紳士服店で,紳士ファッションのコーデネートを提案してはどうだろうか.需要喚起するはずである.男性のファッション感覚も育つはずである.少なくとも,団塊の世代のファッションを刷新してはどうだろうか

又,昨今の紳士服店はリスク排除が優先してか,どの店も,売れ筋の狭い品揃えにしている事が多いように思う,これは逆に需要を細めている感じがするのである

.いずれにせよ,VAN以来,男性ファッションの旋風が無いよう思う.その為に,日本男子のファッションセンスがさび付いている感じがするのである.

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