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2007.05.30

101 年金問題の本質

5000万件に及ぶ年金納付記録が宙に浮いていると言う.いくつかの視点で考察してみた.

(視点1)社会保険庁からの説明がない

①どんな問題なのか
社保庁は昔から知っていたのか,何をしていたのか
③最近わかった事で対策が打てていないのか
④昔から知っていて対策打てていないのか
⑤社会保険庁はこれから、どうしようとしているのか
⑥年金改革に使われた年金統計データに与える影響はどうか

さっぱり伝わってこない.ただ聞こえてくるのは社保庁へのクレーム、考察力のないテレビ報道、与党・野党の攻防、だけである.実態はどうなっているのだろうか.

現象から、だんだん分かってきた事は、

①基礎年金番号に名寄せされない納付記録が5000万件である
②上記未名寄せ納付記録の追跡は10年間解決していない

③結局,未名寄せ
納付記録の処置は国民の挙証申請待ち状態
④未名寄せによる給付ミスがあっても時効(5年)で遡及不要になる
⑤膨大な数の減額支給者が発生している可能性がある

との事である.これに当然、国民が怒る.まさに詐欺,業務上過失事件である.保険会社の保険金不払い以上の年金制度の根幹に係る大事件である.

(視点2)問題の切り分け

今回の問題は平成9年に各年金制度共通の基礎年金番号制の導入に震源地がある.加入情報の一元管理を目指した方向は正しいが,10年たった現在も実現できていないのである.10年間,巨額の費用をつぎ込み,年金制度をダメにしたのである.

これは明らかにシステム設計の問題である.多分,空前絶後の巨大トラブルである.簡単に言えば,精度が悪い記録を基礎年金番号に統合しようとすれば,当然,名寄せできないデータや誤名寄せが発生する.

従って

・過去の各種年金制度の納付データの精度を確保する事
・名寄せできないデータが発生した時の処置方法を定める事
・番号統合後の確認方法を定める事

があって初めて番号統合が可能になる.どんなシステム設計をしていたのだろうか.きわめて,でたらめな,無責任な設計であったと言わざるを得ない.基礎年金番号への統合が10年前に失敗だったのである.

この大問題を処置する為に,問題を切り分けて,対処する必要がある.①データ修復の問題,②修復費用の問題,③過小給付の弁済の問題,④修復できない時の処置の問題,⑤社会保険庁・システム開発者の責任問題,に分離して対処しないと,絶対収束しない.野戦病院状態が続く.

(視点3)社保庁の意識

この統合システムのいい加減さを生み出した元凶がシステム関係者の正義感、責任感の欠如、社保庁全体の意識や、たかをくくっった考えにあると思う.

たとえ、いろいろな原因で個人記録の統合が不完全であっても、

①紙台帳(マイクロフィルム),年金種別番号での記録がある
②給付開始時、いづれ個人が自分の記録を確認する
③記録に疑義があれば、個人が申請してくる(申請主義)

④5年の時効があるので遡及調査・給付の必要性がない
⑤不整合なデータを放置しても、死亡によって、データが不要になる

と,積極的に納付データの精度向上には取り組まなかったきらいがある.社保庁は何千万件も洗いなおす気などさらさらなかったはずである.

社会保険庁は過去のデータに記入ミス、漏れがあって、不統合が起こって、未納になっても、給付が減額されても、国民の責任だと思っている.入力ミスの可能性に対する対策も取らず、いづれ国民が気付くまで放置しておけば良いと思っていたに違いない.10年たっても,まだ大混乱が起こっている事が何よりの証拠である.

言うまでもなく,個人記録の保存,データ精度向上,番号統合の未名寄せデータの修復は社会保険庁の重大な責任である.責任者の業務上過失責任,給付不足の弁済義務は免れない.

(視点4)賦課方式が生み出す体質

社保庁の体質は賦課方式の無責任性が関係していると感じる.例えばこんな事になる.

①納付金は自由に使える財源だ(経費、待遇、グリーンピア、財投)
②納付金、給付金、年金資産の将来を心配しても始まらない
③未加入率が増加しても、将来年金が破綻しても社保庁の問題ではない
④150兆と言う世界最大の資金,毎月降ってくるお金で責任のない大金持ち気分

と言った賦課方式がもたらす緊張感や責任感のない風土が今回のトラブルを10年も隠蔽させた元凶かもしれない.まさに'行政が国を滅ぼす'類の大問題である.

(視点5)自治労との対立

又,行政事務のシステム化に対し,自治労は合理化反対,労働強化反対,キーボード・ブラウン管による労働衛生悪化反対,新しい技能習得の反対等を全国で展開していた.社保庁はその急先鋒であった.今回の問題はこれとも関係していた感じもする.

(視点6)誤入力は素人騙しの原因

さて、今回の問題は,前述の通り実態が見えないが、統合以前に紙台帳からコンピュータに入力した時の精度の問題、名寄せの問題、個人の異動・届けの問題、等が原因と言われているが、素人騙しの説明である.

直接的問題は運用を含めたシステム設計の問題である.入力や名寄せ問題は自治体業務システムによくある基本的な設計要件であり、設計の中にデータ精度対策が打たれて当然の問題だからである.10年たって言える原因ではない.

システムに何千億も使って一体、社保庁は何をやっていたのか.この仕事を請けたシステムエンジニアーは恥ずかしくないのか、口を閉ざしている関係者も社保庁と同じ体質ではないかと不信感が募る.

(視点7)あるべき統合システムの概要

氏名のカタカナ入力の問題は、間違いを前提に、厚生年金番号、国民年金番号入力の精度確保、氏名の音読み(運転免許のダブり防止に使用)入力は常識である.入力内容の確認を経て、記録を整備する事が先ず大前提である.

次に、基礎年金番号と厚生年金番号、国民年金番号の関連付けを行う事になる.これが統合である.それぞれの番号にぶら下がっている記録の中に同一氏名、同一生年月日、があれば同一人の国民年金番号、厚生年金番号である可能性は高くなる.勿論、物証確認が必要である.

尚,国民年金番号,厚生年金番号の重複発行、それに伴う,基礎年金番号の重複も,これらの手順を踏んだ後,重複のチェックが必要となる.

もっと素朴に言えば、加入全個人から厚生年金番号、国民年金番号を聞くのも,急がば回れのやり方である.いずれにせよ王道はないのである.

統合も含めて年金システムの全体の設計内容が見えないが、現象から見れば、きわめてお粗末なシステムと言わざるを得ない.決して入力問題ではない.運用も含めたシステム設計の問題である.

中央官庁に係る情報システムは大丈夫だろうか.情報システムの設計、開発能力は公務員自身の問題である.外注するにしても、この能力なしで、行政は出来ないのである.ましてや電子行政等ほど遠い.

(視点8)今後取るべき対策

そこで今後の対策をまとめると(現行制度を前提)

①実態の解明(統合前も含めたシステム,データ精度の経緯と実態)
②データ修復の方策立案(未納扱い,未給付等)と経過処置
③高年代からの修復と個人確認の実施(優先付け,負荷分散)
③物理的,時間的,費用的,
修復不可時の対策立案(リスク対策)
④再発防止の為の現システムの見直し,早期適用
⑤年金資金の実態報告(納付、給付、経費、融資、投資、残高等)
⑥正しいデータによる年金統計分析のやり直し
⑦正しい年金統計分析による年金制度の見直し

⑧基礎年金番号から住民番号への移行(住民情報連動)

である.

当面、国民の殺到,クレーム対応,国会・マスコミ対応,挙証のみなし申請,データの修復作業,給付の見直し,追加給付等,ばらばらの対応でデータ修復に混乱をきたすと予想される.

収束に向た段取り,日程,体制などを確立し,権限と予算をを持ったプロジュエクトリーダーのもとで,順序立てて,この難局に取り組まねば成らない.トラブル時の鉄則である.又、名寄せロジックの改良、再名寄せ、個人確認、不備の修復を年代別に進める必要を感じる.国民も、この段取りに乗って行動する必要がある.

野戦病院状態の難破船,プロマネ不在のオペレーション、沈没しないと叫ぶ大本営,では不毛な戦いを続けながら玉砕する道を進む事になるのである.

(視点9)国民総背番号制

この際、もう一度議論すべきは⑧である.個人番号に年金情報、健保情報、住民情報、税金情報、免許情報などを関係付ける制度の利便性、コストダウンを取るか、情報管理社会を嫌うかの問題である.

現実は基礎年金番号、健康保険番号、住民番号に加え税の番号制も議論されるはずである.今回、縦割りの目的別番号制の弱点が露呈した訳だが、番号制が出来る都度、同じ問題が発生するに違いない.将来の日本にとって、行政のみ使う国民総背番号制(住民番号の利用)は避けられないと考える.

(視点10)前途多難な年金制度

又、新年金制度の議論もあるが、移行問題は至難である.新規加入から始める方法、既資金とともに一斉に移行する方法などが浮かぶが簡単ではない.現行を続けるにしても、少子高齢化、賦課方式の崩壊、加入者の減少など頭の痛い問題が待ち構えている.

今回の問題を10の視点で述べたが、現年金制度をどのように建て直すか、国民は大きな宿題を背負ったのである.各政党は政争の具にするとしても建設的な策がなければならない.

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2007.05.28

100 100号を振り返って

当ブログの発信が100回目を迎えた.思いつくままに,回を重ねてきたが,バブル崩壊、資産デフレに伴う、社会の激変に対し感じた事を発信してきた感じがする.

振り返ってみれば、バブル崩壊は’美しい湖の水が引いたら、湖底はヘドロだらけであった’如くである.資産価値の暴落によって、政治、行政、経済、精神、のヘドロ(不正、ムダ、馴れ合い、利権 等)があぶり出されたのである.

①過度な債権債務残高
②金融機関、企業の大型倒産、リストラ

③地方・国家財政の逼迫
④健保・年金資産問題

⑤麻薬化した
公共事業経済
⑥行政不祥事の露呈
⑦天下りと公共事業(仕送り)の構造
⑧政官財癒着構造

これに対し

①行政構造改革(省庁・特殊法人の再編等)
②公的資金による金融不良債権処理
③金融機関再編
④産業再生機構新設
④ゼロ金利政策(銀行救済、貯金から株、投信へのシフト)
⑤他人資本(借金)から自己資本(資本金調達)へのシフト
⑥規制緩和、国際化
⑦官から民へのシフト(道路公団、郵政、社会保険)
⑧財投の抑制(郵貯、社会保険等)
⑨特別会計改革(目的税、利権、外郭団体の見直し)
⑩市町村合併(広域行政化)

などの対策が着手され、戦後の成長モデルからの脱却、高度成長で蓄積されたヘドロの除去が序序に進められた.又同時に

①デジタル革命、情報化社会の進展
②消費行動の変化(大量生産大量消費の終焉)
③集団から個への価値感シフト
④株の大衆化
⑤ファンドマネーの台頭と企業買収
⑥株主重視(配当性向・株価の向上)
⑦中流意識の安心感の終焉(格差の広がり)
⑧中国の経済発展、経済の国際化等による景気回復
⑨産業・意識の縦構造から横構造へのシフト(フラット化)

等が起こっている.今後に残る大きな問題としては

①少子高齢化問題(経済力、医療、介護、年金)
②国・地方の財政破綻問題
③安全保障(国防、災害、地球環境)問題
④憲法問題

等の難問が目前に控えている.

こんな激変の中で、当ブログを発信して来たのである.発信したブログで言っている事は、日本人特有の曖昧の合理性、微妙なバランスを許容する感覚、美意識,、横並び精神、が、美しくもあり、奥ゆかしさもあり、だが、その事が考え方、経済的合理性、立論力、理論武装、自己確立を弱めているのではないか、との危惧である.これからの世界は個人にとっても国家にとっても、両方の価値観、政策を持たなければならないと思うのである.

聖徳太子の'17条憲法’は和を持って尊しとする’など、ルール以前の政治をつかさどる者の心得を定めた.

こで言う’和’は集団主義、村社会、馴れ合い、長いものに巻かれる、を言っているのではなく、多くの意見を合議せよ、と言う事である.決して合理性、競争、理論、主張、を排除する事を言っているのではない.もう一度、政治・行政に携わる人に、この憲法を熟読して欲しいのである.

長い封建時代を打ち破った明治維新も、新たな国作りや自立の精神に燃えていた.戦後の復興、経済成長がバブル崩壊によって大きな区切りとなった.今まさに、蓄積されたヘドロの除去、次世代に向けた国や経済の仕組みが求められていると思う.

こんな思いを背景に、物の見方、考え方を、自分なりに整理して来たように思う.

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2007.05.19

99 サミットと北京五輪

地球環境問題が異常気象,海温の上昇,回遊魚種の変化,等で,身近に感じるようになってきた.08年7月洞爺湖サミット(主要国首脳会議)でも,この問題が取り上げられるとの事.

其の1っケ月後,08年8月,北京オリンピックが開催される.私見によれば,今回の北京オリンピックは中国の地球環境問題が良くも悪くも,世界に露呈される事になると思っている.オリンピックが終わってから洞爺湖サミットが開催された方がサミットの意義がもっと高まると思うのだが.

真夏の北京で高温,黄砂,水不足,大気汚染で,はたしてオリンピック競技が出来るのか,きわめて心配である.車の廃棄ガスは日本の30年前と同じだと言う.中国は独裁国家の威力を遺憾なく発揮して,大気汚染問題に取り組んでいると思うが,はたして,どこまで改善されるか心配である.

黄砂とスモッグで薄暗くなった街並みを,防塵マスクをしたマラソン選手が苦しそうに走る,酸素ボンベが用意された給水所に選手が次々に飛び込んでくる,けたたましい急救車のサイレンが街中を駆け巡る.そんな光景が頭をよぎる.

選手の合宿場所を日本に置き,競技出場期間だけ中国に滞在する国が増えるかもしれない.北京と日本の空港を結ぶ期間限定の便が必要になる.

こんな想像から,北京オリンピックは中国の環境問題の実態を世界に示し,オリンピック以上に意義深い大会となるかも知れない.これによって,中国は勿論,世界の主要都市も厳しい環境対策が求められるきっかけになる.

環境対策のない中国経済の膨張は思想や武力以上に地球の脅威になる.他の国も発展途上国だからと言って,野放しで良いわけがない.先進国も途上国も後進国もない.地球の問題なのである.

中国のオリンピックに向けた社会資本投資,経済投資が急速に進んでいるが,環境問題の視点で北京オリンピックを注目したい.

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2007.05.06

98 宗教に見る自力と他力

宗教に関しては,全く無知であるが,断片的な話や神社仏閣を見るにつけ,其の壮大な理論体系や人間への影響力に感心する.物は言いようだと,つくづく思ったりもする.

多くの信者や観光客を集めるマーケテングの仕掛け(縁起,由緒,御利益,花,名園,札所,仏像,美術骨董品,歴史資料,建築遺産,門前町,など)も,大したものだと感心する.

一方,私事であるが,父が亡くなった時,’無’になった実感だけで,延々と続く儀式が,むなしく感じた事を覚えている.

宗教は言うまでもなく,往生の道,苦しさからの救い,秩序の維持,生活や儀式・歳時の様式,などの教えである.時として,決意や願望の聞き役にもなる.心の安らぎ,気の持ち方,行動の仕方を教えていると理解している.

御利益は信仰する心,行動によって,本人が感じるものであり,願掛けも本人の安らぎを得るものである.先祖への尊厳や来世の極楽や地獄を説くのは,現世の行動を戒める為に考えられた論理だとも思う.そして,神社仏閣,は神・仏と人間との接点の役割りを担っているのだと思う.

さて,宗教で言う'自力’は自らの努力で信仰し,修業し,行動して困難と対峙する事であるが,なんとしても,救われた気持ちにならない事がある.絶望感,失望感である.僧侶で言えば,どんなに難行苦行をしても悟り(静寂)が開けない状態である.

法然,親鸞(浄土真宗)は,このような状態に'他力’が必要だと考えた.宗教で言う他力とは阿弥陀仏であり,人間は他力の中で生かされていると,とらえたのである(他力本願).

従って,絶望,失望に際し,生かされていると気付く事が自力をもう一度よみがえらせ,絶望感が安らぐと教えたのである.大衆に対しては,只,お経を唱えれば,往生の道が開かれると説き,大衆に広く普及したのである.(私なりの理解)

軽薄に言えば,願望に,がむしゃらに向かう心は,ともすると,ますます苦しく,心がすさんで来る.他力を信じて,現状を認め,寛容になれば楽になる.と言う事か.

アメリカ(アングロサクソン)は,神との契約の元に’自力’で頑張る民族である.希望・願望が行動のモチベーションになる.その反面,苦しさは神が受けるとし,その苦しさを和らげるのである.自由,競争,自己責任の強い国ならではのメンタリティである.

一方,日本は上述の通り,’自力’が及ばない事に対して,現状を容認し,寛容になる事で心を保とうとする.あきらめたり,慰めたりする傾向である.日本的な悲観論,謙虚,感謝,忍耐,我慢につながるメンタリティかもしれない.

この様に,世界の宗教はそれぞれの民族の環境に応じた生き方のバイブルであり,其の徹底の為に,神・仏,先祖,来世とリンクした論理体系を作り上げたのだと思う.

しかし,古代の宗教の論理体系は今となっては無理があるように感じる.宗教の形式,様式の意味はあっても,昔ほど,心の問題,人間力向上につながっていないのではないか,との問題である.

そこで,今後の宗教および心の支えについて,三つの方向があると考えられる.

①歴史遺産,冠婚葬祭の様式,お祭りや歳時などとして存続する.(古典文化)
②教義を現代風に改革し,存続する(新宗教)
③宗教に変わって,人間力や行動を律する教えが出てくる.(道徳・倫理など)

このように考えると,①は今後,顕著になる傾向だとすると,人間力の向上の為に③が大事になる.

例えば,人間,人生,先祖,お墓,親,兄弟,友達,地域,国家,学校,文武,友情,自由,平等,競争,和,奉仕,貧富,死などに対する考え方,行動,マナーである.一律にはならないと思うが,選択可能な指針があれば,人間力を学べると思う.現在,既に存在する多くの教えを集大成するだけでも立派な指導書となるに違いない.

もはや,心の問題を政教分離,宗教の自由などと宗教に丸投げしている場合ではなく,現代にふさわしい,指導書が必要ではないかと感じる.神,仏,先祖,来世を持ち出すまでもなく,人間の行動を律する教えがあって良いのではないかと思う.

ところで,仏教,道教,儒教,朱子学などの教えが,現在の中国で,どの程度思考や生活に溶け込んでいるのだろうか.共産主義が消してしまったのだろうか.政治,経済ばかりが話題になるが,中国人のメンタリティについて,ほとんど聞く事はない.中国人を理解する上で是非,知りたいものだ.同じく,共産主義を取ったロシアについても,其の国民性を知りたいと思う.

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2007.05.01

97 地球環境と経済

経済の発展,パイの拡大,個人の自由,私有財産,経済的合理性,等を可能とする自由主義経済,資本主義経済,市場経済が社会の仕組みとして発展してきた.同時に公共性の高い事業,社会保障,安全保障,文教,等は自由主義経済が生み出したパイによって支える仕組みを作ってきた.

この自由主義経済のアクティビティに,かつては公害,最近では自然環境,資源・エネルギー,食料の壁が立ちはだかっている.

はたして自由主義経済,市場経済の仕組みが制限される方向になるのか,現在の自由主義の仕組みのままで,この問題を解決できるのか,そんなレベルの問題ではない事なのか.

さらに,先進国,発展途上国,後進国,それぞれのアクティビティをどのように調整するのか,地球規模で考えなければならない時代に突入した.

自然環境や資源・エネルギー,食料に影響を与える消費を抑制する,商品を買わない,競争によって技術が発達し,其の商品が売れる,と言う事であれば,自由主義経済のメカニズムが,この問題に機能することになる.

ただし,消費を抑制したり,商品を買わないと言う消費行動が自由経済の中で実現しなければ,限りなく地球がパンクに向かう.実現できるとしても,経済の縮小を意味する事から,先進国やインド,中国などの経済発展国いかんに,かかってくる.

又,中国の16億人が日本と同じ一人当たりエネルギー消費をすると,それだけで地球がパンクすると言う.地球規模でエネルギーの分配問題も発生しそうである.

温暖化抑制の京都議定書どころか,消費の抑制の議論がいつか起こる気がする.

もう一つ,今,地球の人口は年間1億人増加していると言う.65億の人口が50年後には100億人を超す.これだけで地球の重量がオーバーするそうであるが,そうであれば,消費や商品を抑制する程度では支えきれない.ましてや技術革新が救う程度でもない事になる.

そこまで考えると,漁獲制限のように,地球規模で統制・計画経済が考えられるが,どうやって実現するか,そもそも間に合うのか,と言った深刻な問題もある.

地球を一つのシステムとして,人口,消費,自然環境,資源・エネルギー,食料をシミュレーションし,国同士のいがみ合いなど棚上げして,地球規模の政策を本当に検討しなければならないと思う.このスキームが新しい国際秩序を作り出すかもしれない.そうしないと人類が滅亡するからである.

生き物の大先輩である動物や植物は何億年も生きてきた.人間はこれからである.これから50年,人類の英知が求められる.争いなどやっている場合ではないのである.いや,戦争で人類が自ら淘汰する事で解決していくのだろうか.

心配するな,地球は自由主義・市場経済を制限するほど,小さくない,100億人位,地球で住める余地はまだある,と思いたいのだが.

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