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2007.07.05

104 『しょうがない』 心理

久間防衛大臣の発言,’原爆投下によって悲惨な目にあったが,これで終戦になったと頭の中の整理で,今はしょうがないなと思っている’が物議をかもし,原爆投下を容認している発言だとして辞任に追い込まれた.

原爆廃絶を願う日本の現職の防衛大臣の発言としては,まさしく、唐突、無防備、被爆者への配慮を欠いた,発言だと思う.

一方,『原爆投下を容認できない』とするなら,日米双方の戦争の大義、米国への糾弾、核の抑止論、核廃絶の取り組み等に対して,見解と行動が求められるが,『しょうがなくはない』見解と行動が見えていない感じもする.

自分自身も下記のような断片の認識・思いを繋いだ全体的の見解は持てていない.日本人の日本人による戦争総括が出来ていない事と同じである.

断片的に順不同に認識を上げてみた.

・日露戦争後、軍国主義が日本全体を覆っていた
・欧米はアジアの植民地政策を進めていた
・欧米人は黄色人種への差別意識があった

・中国人・朝鮮人への差別意識が日本にあった
・日本は中国で列強と伍して侵略を行った
原爆投下,全土空爆は国際法違反の無差別大量殺人である
・原爆投下は実験であり,米国の国威発揮の為だった
・大量破壊兵器(化学、細菌、原爆、など)の研究を各国がしていた
・原爆投下が、その後の世界の軍事政策を変貌させた
・原爆投下でソ連の北海道占領を阻止した
・原爆投下で日本の一億玉砕、徹底抗戦に終止符を打った
・原爆投下に対する世界の批判、日本への同情はあまりなかった
・原爆投下の違法性は東京裁判で不問となった
・敗戦をもっと早く決断すれば原爆投下はなかった

・敗戦によって日本の軍国主義は解体された
・ソ連は多くの日本人をシベリアに抑留し、北方四島も占拠した

・東京裁判で二分論による戦争責任のけじめをつけた
・二分論(指導者と国民の分離)は国民の中では曖昧である
・軍国主義の犠牲者では戦没者は浮かばれないとの感情がある

・米国及び戦勝国の同意によって日本憲法が制定された
・日本の秩序維持は天皇制、行政組織を残した事が幸いした
・講和条約で日本の賠償責任、日本への賠償要求は放棄された

・米国統治によって,日本を南北分裂せずに済んだ
・米国統治は反共の砦として米国にとって重要であった
・米国の豊かさ,自由な文化が敵国感情から憧れに変えた
・米国を嫌いな国民は少ない
・平和憲法、日米安保、米国との連動が日本の復興、繁栄を支えた
・日本は復興・繁栄とともに、謝罪外交、ODA外交を展開した

・極東諸国の反日感情が根強く残っている
・日本の軍国主義、諸外国への侵略に対し自責の念が国民にある
・平和憲法、核廃絶の主張は米国の傘の下では説得力がない
・友好国の米国、原爆投下した米国、の感情整理が出来ていない

このように日本を総括する心理は複雑である.日本人自ら、戦争の総括をしていないと言われる由縁である.しかし、戦争で起こる異常な事、悲惨な事を個々に総括するのではなく、全面降伏、新憲法、戦後の謝罪外交、ODAなどの態度、行動が日本の総括であり、未来志向の中で対応して行くと考える人は多い.

日本では総じて戦争の事にあまり触れたくない心情がある.原爆投下や全土空爆も、この心情に埋もれるのである.これだけ取り出して議論すれば、戦争全体の議論、歴史認識のエンドレスな議論に発展するからである.

したがって,極東における反日感情、原爆を落とした米国に対する感情、米国への憧れ、友好を望む感情、等に歯切れが悪くなる.勿論、明確に反日、反米の日本人はいると思うが.

一方,他国は'軍事国家日本を滅ぼした’との明確な認識である.さらに、日本の戦後の繁栄や米国との友好関係は米国の戦争の大義の正しさを立証している、と思われている.

いづれにせよ、『しょうがない』の感情は戦争に対する、日本人のゆれる見解、原爆を投下した米国との同盟関係が背景にあると思う.もし中国やソ連が原爆投下したら、まったく違った見解になると思う.

大臣の発言としては勿論、久間流認識そのものが大問題とする識者、マスコミが多いが、是非、掘り下げた見解を教えて欲しいと願うのである.

原爆投下を徹底的に糾弾するとはどう言う事か,
戦争の評価をどう考えるか、
米国の論理に勝てるのか,
友好関係をどうするのか,

いまだ識者やマスコミからは掘り下げた論評が聞こえてこない.『原爆はけしからん』と言っているだけでは感情論に留まる.『しょうがない』としない論理と行動が見えてこないのである.

又、この『しょうがない』は精神文化・宗教とも関係があると思う.

’自力’では解決できない絶望的状況に対し,断腸の思いではあるが、’しょうがない'と先ず、現実を受け入れ,寛容になる事で心を落ち着かせる心理がある.其の上で、次の行動が起こせるのである.仏教で言う'他力'の教えと似ている.久間発言の’原爆投下はしょうがない’はこんな仏教的・自虐的・寛容的、精神文化から来ていると思われる.

キリスト教の文化では’しょうがない’の心理はない.神との契約が前提である以上、’しょうがない’と勝手に神の救いを放棄してはならないと考えるからである.NEVER GIVE UP、目には目をである.本心から逃げてはいけないとの、’自力’の徹底をする心理である.'しょうがない’と寛容的にはならないのである.アングロサクソンのDNAである.

日本人は日頃、よく『しょうがない』を口にする.気を落ち着かせる言葉である.自然災害、病気などに対峙した時など、そうなった事への不幸、不運に落ち込む気持ちを和らげるのである.

其の上で、大事な事は'其の次どうするか'である.何もしなければ『しょうがない』は許容とあきらめに留まる事になる.

起こってしまった原爆投下を『しょうがない』あるいは『どうしようもない』と立ちすくんで、こんなひどい事は許せない、原爆反対と思っても、其の行動が伴わなければ、許容とあきらめ,米国の大義は正しい'事になってしまうのである.そう言う状況であれば、久間発言は現実的な見解と言う事になってしまう.悩ましい日本なのである.

久間問題を声高に言う識者、マスコミも、その思考レベルでは結局、あきらめの『しょうがない』に行き着く感じもする.

このブログを書きながら、次のように私見を整理してみた.

『世界の列強がぶつかる中で、日本の軍国主義、覇権主義の指導者が侵略と戦争を引き起こした事は、日本国民に対しても、諸外国に対しても、正当化できるものではない(指導者と国民の二分論).しかし.日本は無条件降伏によって、生まれ変わったのである.
一方、米国の広島、長崎への原爆投下は東京裁判で不問にされたが、戦争終結を導いたとは言え,人類史上最大の虐殺であり、正当化できるいかなる理由も存在しない.米国は其の非道を認識し、原爆投下の主導者を糾弾すべきである.そして原爆を落とした者と落とされた者が核拡散阻止、核保有廃絶に取り組むことは、人類への責務だと考える.』

どうだろうか.悪かった事を率直に認め、これに対応しながら、主張もして行く態度が必要だと思う.戦後62年、明確さが不足してはいるが、反省にもとづく行動は充分やってきたと思うのである.『しょうがない』と口に出す事はあるが、決して呆然としていた訳ではないと思う.

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