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2007.07.14

105 accoutabilityの強化(政治風土改革)

日本の民主主義の欠点はaccountabilityの認識や制度が弱い事である.先進国の中では最低だと言う.まさに,やっと始まった国や自治体の財務諸表作り,かつての無駄な公共事業や政治資金問題がこれを象徴している.

それに輪をかけて,社保庁問題などは日本の民主主義の程度の低さを決定的にしたのである.恥ずかしくて,先進国の一員などと言っていられないのである

(accountabilityとは資産の運用を委託された者が委託者に職務遂行の結果を正しく報告する事、会計責任と訳される.又、国民のお金を使う政治家・役人が国民に行う説明責任との意味もある)

日本は明治維新によって、官僚政治が始まった.もっと遡れば、中国の唐の影響を受けながら、律令国家を目指した飛鳥、奈良時代以来の風土かもしれない.欧米のような市民革命を経験していない事も律令国家、官僚国家の風土が色濃く残っている理由かも知れない.このような風土ではaccountabirlityの概念など不要なのである.

こんな風土の中で、税は封建時代の感覚で厳しく徴収される反面、税の使用については、権力者がaccountabilityと言うプレッシャーもなく、使い得になる.税金は為政者のもの、お上感覚が、政治風土の根底に生き残る.

民主主義とは政治の責任が国民にある制度である.その分,政治家や役人の責任が曖昧になる制度でもある.だから民主主義では為政者の説明責任が絶対条件として必要なのである.国民もそれを求める権利,義務がある.

実権を官僚が持ち’知らしむベからず’の不文律で国を動かしていれば、選挙も選ばれた代議士も、形だけとなり、主権在民は空洞化する.ならば官僚国家は国民に失政の付けを回す論拠も無いはずである.失政は官僚自ら切腹してもらう事になる.

国や行政に説明責任の義務を課す事が主権在民、間接民主主義の第一歩であり、ここから国の民主主義のあり方や政策がスタートする.日本は民主主義の根本的な所の踏み絵を踏んでいない感じがする.

いっそのこと、税金をなくして、全て任意の寄付行為にするところからやり直す必要があるかもしれない.寄付で行う事業の方が、真剣であり、無駄もなく、accountabilityと言うマナーが守られるからである.米国の病院はほとんど寄付で運営されている事が頭をよぎる.勿論、寄付がなければ、政治が出来ない、単純な理屈が国民にも浸透する.

国民から強制的に金を巻き上げて、自分の金のように使い、報告もしない、無駄使いの付けを国民に回す,そんな国家より,よっぽどクリアーである.

繰り返すが、accountabilityとは言葉の定義にあるように、公金を使う上での義務である.この義務によって、代議制民主主義が成立する.予算が議会を通ったからと言って、公共事業の結果説明や失敗責任が免責になるわけではない.大義に潜む私的魂胆もあるし、政策の間違いもある.勿論、状況の変化もある.説明責任は常に必要なのである.

又、国会の調査権や政治家のチェックやマスコミやNPOがあるから済む問題でもない.国民の責任とする条件としてaccountabilityがある.これによって、国民の政治意識も高まり、国民の監視、責任による真の民主主義が営まれるのである.

バブル崩壊以来17年、湖底のヘドロが露呈するように、政治・行政の問題が噴出した.厳しい財政問題も露呈した.国民の不信もピークである.政治行政改革とともに、accountability制度を至急に確立する必要がある.立法、行政、司法と並列に存在しても良いくらい重要な機能なのである.

そこで、accountabilityの義務を先ず発揮すべき事は、当ブログでも何回か発信しているが、800兆の借金の説明である.

①借金返済に見合う効果が出ている事業の借金額
現在効果がなく、借金返済のみ残っている事業の借金額(不良債務)

を明らかにする事がaccountabilityの第一歩である.①は財政問題ではない.将来の国民も納得できる.②が真の財政問題である.この事業の顛末を明らかにする事は将来の国民に対しても不可欠の義務である.②の借金額が不明では税制議論は成り立たない.

次ぎにやるべき事は、上記も含めて、全公共事業の目的、資金調達方法、資金使用実績、返済計画をデータベース化し、返済が終わるまで、毎年、事業の評価をするシステムを作る事である.勿論このデータベースは公開される.これで、大金を使った公共事業が目的と比して、成果を出しているのか、いないのか、が明らかになる.

社会保険庁問題はじめ、国民が知らない、とんでもない事、例えば、郵貯、簡易保険、年金、健保などの資金運用状況と資産残高、財投の回収計画と税金負担・国債発行の関係など心配事が多い.

又、よく税制改革や増税が議論になるが、先ず無駄をなくしてから、と言うのも当然だが、accountabilityの仕組みがあっての議論でなければならない.国民はこの担保がなければ、税制の根幹である政治に対する信頼感も責任感も得られないからである.

この仕組みが担保されていない税制議論は、たとえ国会の場であっても、窃盗団が金の巻き上げ方を議論している事と大差がない事になる.

現在、企業でも、社会的透明性の発揮がきわめて大事になっている.悪い事を保身的に隠す事は、もっと大きな問題に発展する.この事はいくつかの事例で明らかである.

企業でもそうであるように、ましてや、公的機関はそれ以上に、社会的透明性の発揮は義務だと言う事を再認識すべきなのである.税金の使用に関するaccountabilityは代議制民主主義の基本なのである.

予算主義(予算を取る事が仕事)の政治・行政の仕組みでは、日本は経済も民主主義も崩壊する.accountabilityの認識、制度、システムがあれば、無駄な公共事業も社会保険庁問題も小さな問題の段階で処置できたのである.

いや、いまさら怖くて、実態など言えない、国民の不安を煽るだけだ、accountabilityなどと言う青臭い事を言っている状況ではない,わかったところで対策など考えられない,もう手遅れだ,知らぬが仏で黙っていよう,ともかく,安全安心の大本営発表で行くところまで行こう,と言うことだろうか.どこかで,あった話のような気がする

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