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2007.07.18

106 新潟を語る

長文であるが、地震災害で日々報道されている新潟について紹介したい.

新潟は最近で言えば,3年前の新潟豪雨と県央水害(2004年7月),中越地震(2004年10)、そして,今回の中越沖地震(2007年7月),さらに遡れば昭和38年の大豪雪,39年の新潟地震と災害が頻発している地域である.

また高温多湿の夏、雨天、曇天、豪雪の秋冬春と日常の自然環境も人間にとって,きわめて厳しい所である.一方,近年の温暖化の影響か,暖冬冷夏の年が多く,平野部の降雪量は一昔前からすれば、随分少なくなっている.

この雨天,曇天,豪雪の新潟から谷川岳をぶち抜いた清水トンネルを抜けると,そこには,まぶしいばかりの晴天の関東平野が広がる.新潟人は,いつも羨望の眼差しをトンネルの向こう側に向ける.

新潟の気候は越後山脈が大陸からの雲の流れをさえぎり,雲の吹き溜まりを作ることで発生する.海岸から山に向かうと,この事が手に取るように分かる.飛行機からもはっきり見える.

雲や風は数百メーターの地表の起伏で,流れが変わる.確かに雨や風には通り道がある.ならば,雲のたまり場の山を少し削るだけで,雲は流れて,溜まりがなくなるかも知れない.そんな事を誰しもが想像出来るほ,越後山脈は分かりやすく存在しているのである.

一方、雪に覆われた厳しい冬,雪解けの豊かな水,緩やかな気温の上昇,が元気な農作物や植物を育てる.米だけではなく、山菜などは新潟産は格別である.自生している木々の緑も深く、勢いがある.雪国の桜は美しいのもうなずける.

このように新潟は300KMの海岸線と越後山脈に囲まれた,’新しい潟’の地である.新しいと言っても,はるか平安時代からの言葉である.新しく出来た潟の意味ではなく,越後山脈を乗り越えて,初めて人間が住み付いた所、新開地と言う意味だと思う.石器(縄文土器)などは山間部に少しあるだけで,越後平野からは出土していないのである.

’新しい潟’に入植して以来,農民は腰まで埋まるほどの湿地の田、畑で作物を作りながら水害と戦ってきた.今もいたるところに散在する地蔵さまがそれを物語る.地形的にも越後山脈と海との距離が短く,大雨,雪解けによる激流が毎年多くの河で氾濫を起こすのである.

この自然環境の中で、明治後半から大正、昭和初期にかけて,地盤の弱い所を避けるようにして鉄道が開通した.当時としては世界的大事業として、技術や労力を結集して、清水トンネルが作られ,又,信濃川の日本海へのバイパスとして,大河津分水が作られた.

清水トンネルで上信越線が開通し、東京との交通を激変させ,大河津分水で信濃川水域の氾濫を防ぎ,肥沃な越後平野へと変えて行った.この清水トンネルと大河津分水が現在の新潟の基礎なのである.

『新潟の土木事業は福祉だ』と田中角栄が言ったが,まさに,厳しい自然環境から生命を救う事業だったのである.明治後期の大竹寛一,昭和中期の田中角栄の偉業は新潟にとって計り知れないのである.

ところで江戸時代、米や佐渡の金をどのように江戸に運んだのだろうか、興味あるところである.

米は陸路は不可能、北前船で下関経由瀬戸内海で大阪に運ばれた.その後、船で江戸に行ったのである.福井で陸揚げし、琵琶湖経由淀川ルートも考えられたが、実現しなかった.当時、北前船(北海道と大阪間の海運ルート)の利権が強く、日本海側の海運を独占していた.

この利権が大阪に全国の産物を集め,全国に分配する商都の原動力になったのである.北海道産の昆布が大阪の特産品になったのである.今でも、日本海沿岸に積荷の拠点跡がある.必ず川と繋がっており、内陸部の水運ルートと連動していたのである.

金はどうか.答えを先に言えば、直江津、りんご街道、長野、中仙道、群馬、利根川ルートである.長岡経由湯沢、三国街道で山越えし、群馬に出る最短コースも考えられたが、越後山脈超えの厳しさや、山賊の出没が多く、このルートは通らなかった.

ちなみに,上杉謙信が毎年行った『小田原攻め』は三国峠超えルートを通った.これを『越山』と呼んだ.田中角栄の『越山会』はこれに由来する.武田信玄のいる長野ルートはもちろん通らなかった.

秀吉の命で,会津若松藩主、蒲生氏郷の後任として上杉景勝が国替えしたが、この時は阿賀野川(只見川、阿賀河,猪苗代湖から新潟市に流れる大河)ルートで行った.今で言う磐越ルート、49号線である.

予談だが会津の地について触れておきたい.

会津藩主・蒲生氏郷は近江出身で松阪藩主であった.その経験で商業,牧畜の実績を会津にも持ち込んだと類推している.若松の名,商業,米沢牛は松阪から来ていると思う.

この会津においては,現在でも蒲生氏郷を名君として人気が高い.国替えになった上杉はむしろ侵略者の評価である.この会津の地は,内陸部の要所であるだけに,最上,伊達,織田,豊臣,徳川,官軍,と時代の流れの中で翻弄されて来た.特に幕末には近藤勇とともに,薩長と戦い,戊辰戦争,鶴ヶ城落城,白虎隊の悲劇へと続いたのである.

関が原の後、石田三成と組んだ上杉景勝,直江兼続は米沢に移つされる.新潟の経験から米沢の産業育成に努める事になるが,その精神は上杉鷹山に続く.上杉家は米沢の名君となったのである.現在でも上杉神社や上杉記念館が米沢にあり,新潟市とも交流が続いている.

上杉後の新潟は江戸時代は幕府の直轄地になった.佐渡の金山があったからだと思われる.又,幕末の開港の一つに新潟港が指定された.しかし遠浅の港の為,大型船が寄港できず欧米から非難された史実もある.戊辰戦争では新潟長岡藩は官軍に破れ、河合継乃助は只見川ルートで会津に、米百表の小林虎三郎は窮乏の長岡で人材育成に取り組んだ.現在も長岡の学研風土は色濃く残っている.その後、会津は野口英夫、長岡は山本五十六を拝する事になる.

さて、昭和40年代に入り、先輩地元政治家や県民の意を受けて、田中角栄が政治の表舞台に登場した.表日本中心の戦後の復興、社会資本整備に遅れを取りながら、明治・大正以来の『新潟の第2期大改造』が始まる.

信濃川流域の刈谷田川などの暴れ川の治水事業を皮切りに、北前船以来大型船が寄港出来ず、長い間、海運時代から取り残されていた港に大型コンテナ船が寄港できる『新しい港(東港)』が,ようやく開港した.その後、『上越新幹線』、『関越自動車道』、『磐越自動車道』、『北陸自動車道』、『原子力発電所』等,社会資本整備が進められた.

かつて湿地帯の越後平野に新幹線,高速道路が走る.まさに,日本列島改造計画の実践であった.かくて新潟は明治から大正の『第一期,』昭和40年代からの『第2期』で,治水、利水、土地改良、土地造成,交通網が整備され.『新しい潟』以来の『新潟』が誕生したのである.

越後山脈に囲まれた新潟が,上越(群馬),信越(長野),磐越(福島),羽越(山形)と放射線状の高速交通ルートで結ばれ,港湾,空港,東京との新幹線も整備され,遅れていた裏日本で始めて近代都市が誕生したのである.

『越後山脈を削って新潟の自然環境を変えたい』と願った田中角栄や新潟県民の思い,が新潟を作ってきたのである.

国土の7割が山の日本は治水・利水・土地改良、海岸の埋め立て、によって穀倉地帯や都市空間を作ってきた.新潟の歴史もまさにその歴史である.土木国家と揶揄される日本ではあるが、欧米や中国大陸と比べ,土木建設コストが10倍かかる地形を持った日本の宿命なのである.

さて、この新潟には,三つの特徴がある.

第一の特徴;新潟はどこにも属さない地域だ.

北陸でもない、東北でもない、関東でもない、甲信越でもない.しかし、どの地域にも属したりもする.

行政のくくりで言えば、上杉謙信没後、景勝の会津、米沢への国替えによって、新潟は天領(幕府の直轄地)となった.明治以降は、財務は関越、郵政は信越、建設は北陸、文教、のど自慢、野球は甲信越、である.現在も続いている.又、作っている電力は東京電力、使っている電力は東北電力である.各会社の新潟支店は会社によって、東北、関越、信越、北陸、それぞれの支社に属している.

第二の特徴;明治以来,現在も,首都圏に労働力・米・電力を供給している.

米の事は言う必要も無いが,労働力は今でも長男を残してほぼ全員が東京に出る.盆暮れの帰省は,まるで民族大移動の如くである.電力で言えば,東京山手線の電力は小千谷の水力発電が供給している.刈羽原発は7基あるが、わが国最大の発電所として、首都圏の電力を支えている.かつては石油、天然ガスの供給もあった.地盤沈下で廃止されたが,現在も石油の備蓄基地がある.

上記の如く,首都圏の発展は新潟が支えてきた.この相互関係は今後も続くと思われる.この意味で行政のくくりで言えば、2時間以内の時間距離でもあり、関越のくくりが強い.道州制なら、この単位が望ましい.太平洋、日本海に接した日本の横断地域となる.

関東平野のポテンシャルも大きく、出来るだけ関東平野に人口移動することも、防災上必要だと思う.新潟と関東圏は通勤圏になる.群馬に日本海の鮮魚センターがあっても、おかしくない.関越の交通政策はきわめて重要である.

妙高に沿った高田(上越市)、新井市の地域(元は新潟県ではなかった)は武田信玄との戦いの歴史はあるが、長野と関係を強めた方が、地勢学的に望ましい.米山で新潟県が分断されているし、高速道路は長野と北陸道が繋がっている.長野新幹線が高田経由富山に繋がる事も関係する.

その上で,新潟は、農業圏、漁業圏、エネルギー圏、温泉圏と位置付けてはどうだろうか.又,新潟ならではの100年、200年持つ住宅の開発、被災グッズの開発,介護製品や介護体制の先駆的な取り組みも望まれる.

第三の特徴;'新潟は首都圏から『近くて遠い所』だ.

言い換えると『すぐ近くに来たのに、遠くに来たような,ローカリティがある』と言う意味である.ローカリティとは自然,人情,風景,方言,食文化,酒,美人などである.酒の蔵元は100もあり,それぞれの持ち味を競っている.うまいはずである.全国に売り出す事もなく,かたくなに持ち味を保っている.

そんなわけで,現在も医師会や産業界の全国会議が新潟でよく開催される.『近くて遠いローカリティ』を感じるからである.訪れる人々の人気は高い.又,転勤族の思い出に新潟時代の良さが必ず話題に出る.地形、歴史から村社会的人間関係は残るが,厳しい自然の中で培われた,やさしいさ,食文化は豊富なのである.

以上,新潟の度重なる自然災害の報を受けて、新潟の事を書いてみた.最後に,新潟を激励して筆を置きたい.

新潟の特徴を再認識し,今後とも,首都圏・関東平野と連動しながら,新潟の役割を構築していく事が新潟の姿だと思う.そして,太平洋と日本海に接したベルト地帯(東京・埼玉・群馬・新潟)として発展して欲しいと思うのである.

終わりに、恒例の『新潟祭り』のメインイベント『民謡流し』の情景をお届けしたい.

 老若男女浴衣一色に染まった町並みに民謡流しの夜が訪れた.
  万代橋から古町に渡る目抜き通りに,二万人の踊り手が集結した.
  
新潟甚句のお囃子が一斉に町に流れると,町並みは清流に変わった.
 髪をあげた浴衣姿のうなじや空を舞うしなやかな指先が美しい.
  真夏の夜の涼風が民謡流しに心地よい.

 
 櫓で奏でるお囃子も,いよいよ佳境に入り,夜空に熱き甚句がこだました.
  
9時近くになると人波が目抜き通りから横道に流れた.
  それぞれの街角で今度は佐渡おけさが始まった.
  町の名人が歌う正調佐渡おけさには味がある.
  踊り手もなかなかの達人ばかりだ.
 10時近くになると哀愁漂うおけさの歌声が静かに夜空の中に消えて行った.
  8月9日万代橋の花火大会で新潟祭りはクライマックスを迎える

将来,新潟がどんな姿になっているか,注目していきたい.

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受信: 2007.07.18 23:25

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