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2007.07.23

107 相次ぐ新潟の自然災害に思う事

3年前の新潟中越地震(2004年10月),今回の新潟中越沖地震(2007年7月)はともに,かつての田中角栄の選挙地盤で発生した.皮肉にも、ここは,角栄政治の列島改造の原点の地である.

中越地震は小千谷地区,数十箇所の山間部の集落を襲った(山古志村など).豪雪地帯であり、多く点在する集落は、病院、消防、学校、役場、郵便など過疎化も含めて,行政サービス・コストの面で課題が多い地区であった.田中角栄は人道的施策として、道路、トンネルを整備し、この集落の課題を解決して行った.

人口に比して、膨大な公共事業に,不公平であるとの批判や、道路を作るより、お金を渡して市街地に引っ越してもらう方が、はるかに合理的だとの意見も多かった.

中越地震はこの道路、トンネル、集落を一瞬にして崩壊し、昔の過疎集落に戻ってしまった.集落ごと移転する意見もあったが、結局、再度の大掛かりな公共事業で復旧する事になる.

山間部に多くの集落が存在している以上、過疎対策公共事業、地震発生時の復旧事業は続く.日本全国各地に類似の課題は多い.

又、7月16日の中越沖地震は柏崎、刈羽地区に被害が集中した.その西山町に田中角栄の実家がある.刈羽原発も角栄の一声で決まった.北陸高速道路も近くを走る.柏崎市は補助金,事業税で財政問題はないが,安全確保への監視は続く.

2回の地震は田中角栄の足跡を思い出させる.田中角栄が生きていたら、角栄政治の強い思い入れがあるだけに、自然の非情さ、残酷さ、不条理,自然の前の無力さを嘆いたに違いない.

阪神淡路大地震を見るまでもなく,社会資本が整備するほど、人口が密集するほど,便利さ、快適さが高まるほど、防災コスト、災害被害、復旧コストが大きくなる.同じ規模の地震でも、地域によって、その被害の大きさは変わる.自然からすれば、そんな事は知った事ではない事だが、人間が抱えた防災対策の大きな命題である.

自然災害に対して,いくつかの対策を述べたい.

①水害はハザードマップを元に対策立案を.

水害は地形,土地の高低,雨量,治水能力によってハザードマップがあり,ダムの貯水状況,放流状況を加えれば水害発生条件は、はっきりしている.したがって、防災には治水、遊水能力を充実させるか,低い土地に住まない事しかない.発生条件、発生場所が事前に分かっているだけに、水害は人災に近い災害である.土地の評価選定に,この事を忘れてはいけない.

そこで,現在の住居地域,宅地造成地域のハザードの確認と覚悟が必要である.地価には,リスクが必ずしも反映していない.3年前の新潟中越大水害(7月発生,地震は10月に発生)でも,宅地造成地に新築した家屋の多くが水害にあった.勿論、購入時,水害リスクなど知らされていない.役所もチェックせず認可している.

②地震は耐震化,警報システムの充実を.

地震はどこでも突然発生する.発生を防げない.意味ある地震予知は不可能だと思う.又、余震の発生確率が発表されるが、1週間に震度4程度の余震発生の確率は30%、と言われてどう判断するのだろうか、20%、60%だったらどうか、余震は発生しない、あるいは、するとの予測以外、確率を聞いても、一見科学的なようだが、被災者はどうしようもない.

やれることは振動の時間差を利用した警報システム,地盤・住宅・建築物の耐震化,地震発生時の迅速な人命救助対策や火災,ガスの対策となる.

③土砂崩れは防災に限界,危険な場所の回避を.

土砂崩れは危険場所は、ある程度はっきりしているが、発生条件は分からない.防止策をとるにしても,日本全国、危険な場所は無数にあり,対策に限界がある.危険な場所を避けるしかない.

④被害調査の前に救出行動を.

災害発生時の初導動作は,マグニチュードの大きさ,水害の発生条件で自動的に警告や自衛隊,消防等の救命出動を行うべきである.組長が実態を調査してから動く,従来のやり方を変えなければならない.災害発生のたびに,被害調査に奔走する役所の動きが気にかかる.実態が分からないと何もできない行政制度は災害では通用しない.

⑤マスコミは懸念される事の報道を.

マスコミ報道の、けが人、死者、半壊、倒壊などの件数ばかりを追っているような報道に違和感を感じる.震度6強の地震なのに、初期の地震報道で、転んで一人がケガをしたとニュースにする神経が分からない.もっと大事な報道があると思う.震度の大きさで、おおよその被害規模が想像でき、それで懸念される事を追って、報道して欲しいのである.震度とはその為にある.

⑥民間,マスコミ,行政の総動員で被害情報収集を.

災害発生時,通信網,情報収集,報道が大事になる.行政,マスコミ各社の動きはバラバラな感じがする.ヘリコプターも何台も同じ所に飛び交う.マスコミの設備,要員を行政も活用する体制はとれないものか.

⑦安全保障は軍事だけではない.

文明の発達とともに、自然災害対策,安全保障対策は重要になる.しかし,この二つの巨大化する安全対策は両立できるほどに、財政的に、時間的に余裕はない.

人間同士の’いさかい’にお金を使う事など、早くやめにして,どの国も,自然保護や自然災害に労力やお金を使う世界にすべきだと思う.

軍事費から自然対策費へ、軍事技術から自然環境、防災技術へ.軍事行動から災害救助行動へ,集団的武力自衛から集団的自然保護へ,こんな事が極東地区で必要ではないか.

地球環境や防災意識が低い国があれば,人類にとって脅威となる.自然災害は対岸の火事では済まされない.地球温暖化や自然災害をきっかけに、安全保障の’軍事から自然へのシフト’が起これば,不幸中の最大の幸いである.

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2007.07.18

106 新潟を語る

長文であるが、地震災害で日々報道されている新潟について紹介したい.

新潟は最近で言えば,3年前の新潟豪雨と県央水害(2004年7月),中越地震(2004年10)、そして,今回の中越沖地震(2007年7月),さらに遡れば昭和38年の大豪雪,39年の新潟地震と災害が頻発している地域である.

また高温多湿の夏、雨天、曇天、豪雪の秋冬春と日常の自然環境も人間にとって,きわめて厳しい所である.一方,近年の温暖化の影響か,暖冬冷夏の年が多く,平野部の降雪量は一昔前からすれば、随分少なくなっている.

この雨天,曇天,豪雪の新潟から谷川岳をぶち抜いた清水トンネルを抜けると,そこには,まぶしいばかりの晴天の関東平野が広がる.新潟人は,いつも羨望の眼差しをトンネルの向こう側に向ける.

新潟の気候は越後山脈が大陸からの雲の流れをさえぎり,雲の吹き溜まりを作ることで発生する.海岸から山に向かうと,この事が手に取るように分かる.飛行機からもはっきり見える.

雲や風は数百メーターの地表の起伏で,流れが変わる.確かに雨や風には通り道がある.ならば,雲のたまり場の山を少し削るだけで,雲は流れて,溜まりがなくなるかも知れない.そんな事を誰しもが想像出来るほ,越後山脈は分かりやすく存在しているのである.

一方、雪に覆われた厳しい冬,雪解けの豊かな水,緩やかな気温の上昇,が元気な農作物や植物を育てる.米だけではなく、山菜などは新潟産は格別である.自生している木々の緑も深く、勢いがある.雪国の桜は美しいのもうなずける.

このように新潟は300KMの海岸線と越後山脈に囲まれた,’新しい潟’の地である.新しいと言っても,はるか平安時代からの言葉である.新しく出来た潟の意味ではなく,越後山脈を乗り越えて,初めて人間が住み付いた所、新開地と言う意味だと思う.石器(縄文土器)などは山間部に少しあるだけで,越後平野からは出土していないのである.

’新しい潟’に入植して以来,農民は腰まで埋まるほどの湿地の田、畑で作物を作りながら水害と戦ってきた.今もいたるところに散在する地蔵さまがそれを物語る.地形的にも越後山脈と海との距離が短く,大雨,雪解けによる激流が毎年多くの河で氾濫を起こすのである.

この自然環境の中で、明治後半から大正、昭和初期にかけて,地盤の弱い所を避けるようにして鉄道が開通した.当時としては世界的大事業として、技術や労力を結集して、清水トンネルが作られ,又,信濃川の日本海へのバイパスとして,大河津分水が作られた.

清水トンネルで上信越線が開通し、東京との交通を激変させ,大河津分水で信濃川水域の氾濫を防ぎ,肥沃な越後平野へと変えて行った.この清水トンネルと大河津分水が現在の新潟の基礎なのである.

『新潟の土木事業は福祉だ』と田中角栄が言ったが,まさに,厳しい自然環境から生命を救う事業だったのである.明治後期の大竹寛一,昭和中期の田中角栄の偉業は新潟にとって計り知れないのである.

ところで江戸時代、米や佐渡の金をどのように江戸に運んだのだろうか、興味あるところである.

米は陸路は不可能、北前船で下関経由瀬戸内海で大阪に運ばれた.その後、船で江戸に行ったのである.福井で陸揚げし、琵琶湖経由淀川ルートも考えられたが、実現しなかった.当時、北前船(北海道と大阪間の海運ルート)の利権が強く、日本海側の海運を独占していた.

この利権が大阪に全国の産物を集め,全国に分配する商都の原動力になったのである.北海道産の昆布が大阪の特産品になったのである.今でも、日本海沿岸に積荷の拠点跡がある.必ず川と繋がっており、内陸部の水運ルートと連動していたのである.

金はどうか.答えを先に言えば、直江津、りんご街道、長野、中仙道、群馬、利根川ルートである.長岡経由湯沢、三国街道で山越えし、群馬に出る最短コースも考えられたが、越後山脈超えの厳しさや、山賊の出没が多く、このルートは通らなかった.

ちなみに,上杉謙信が毎年行った『小田原攻め』は三国峠超えルートを通った.これを『越山』と呼んだ.田中角栄の『越山会』はこれに由来する.武田信玄のいる長野ルートはもちろん通らなかった.

秀吉の命で,会津若松藩主、蒲生氏郷の後任として上杉景勝が国替えしたが、この時は阿賀野川(只見川、阿賀河,猪苗代湖から新潟市に流れる大河)ルートで行った.今で言う磐越ルート、49号線である.

予談だが会津の地について触れておきたい.

会津藩主・蒲生氏郷は近江出身で松阪藩主であった.その経験で商業,牧畜の実績を会津にも持ち込んだと類推している.若松の名,商業,米沢牛は松阪から来ていると思う.

この会津においては,現在でも蒲生氏郷を名君として人気が高い.国替えになった上杉はむしろ侵略者の評価である.この会津の地は,内陸部の要所であるだけに,最上,伊達,織田,豊臣,徳川,官軍,と時代の流れの中で翻弄されて来た.特に幕末には近藤勇とともに,薩長と戦い,戊辰戦争,鶴ヶ城落城,白虎隊の悲劇へと続いたのである.

関が原の後、石田三成と組んだ上杉景勝,直江兼続は米沢に移つされる.新潟の経験から米沢の産業育成に努める事になるが,その精神は上杉鷹山に続く.上杉家は米沢の名君となったのである.現在でも上杉神社や上杉記念館が米沢にあり,新潟市とも交流が続いている.

上杉後の新潟は江戸時代は幕府の直轄地になった.佐渡の金山があったからだと思われる.又,幕末の開港の一つに新潟港が指定された.しかし遠浅の港の為,大型船が寄港できず欧米から非難された史実もある.戊辰戦争では新潟長岡藩は官軍に破れ、河合継乃助は只見川ルートで会津に、米百表の小林虎三郎は窮乏の長岡で人材育成に取り組んだ.現在も長岡の学研風土は色濃く残っている.その後、会津は野口英夫、長岡は山本五十六を拝する事になる.

さて、昭和40年代に入り、先輩地元政治家や県民の意を受けて、田中角栄が政治の表舞台に登場した.表日本中心の戦後の復興、社会資本整備に遅れを取りながら、明治・大正以来の『新潟の第2期大改造』が始まる.

信濃川流域の刈谷田川などの暴れ川の治水事業を皮切りに、北前船以来大型船が寄港出来ず、長い間、海運時代から取り残されていた港に大型コンテナ船が寄港できる『新しい港(東港)』が,ようやく開港した.その後、『上越新幹線』、『関越自動車道』、『磐越自動車道』、『北陸自動車道』、『原子力発電所』等,社会資本整備が進められた.

かつて湿地帯の越後平野に新幹線,高速道路が走る.まさに,日本列島改造計画の実践であった.かくて新潟は明治から大正の『第一期,』昭和40年代からの『第2期』で,治水、利水、土地改良、土地造成,交通網が整備され.『新しい潟』以来の『新潟』が誕生したのである.

越後山脈に囲まれた新潟が,上越(群馬),信越(長野),磐越(福島),羽越(山形)と放射線状の高速交通ルートで結ばれ,港湾,空港,東京との新幹線も整備され,遅れていた裏日本で始めて近代都市が誕生したのである.

『越後山脈を削って新潟の自然環境を変えたい』と願った田中角栄や新潟県民の思い,が新潟を作ってきたのである.

国土の7割が山の日本は治水・利水・土地改良、海岸の埋め立て、によって穀倉地帯や都市空間を作ってきた.新潟の歴史もまさにその歴史である.土木国家と揶揄される日本ではあるが、欧米や中国大陸と比べ,土木建設コストが10倍かかる地形を持った日本の宿命なのである.

さて、この新潟には,三つの特徴がある.

第一の特徴;新潟はどこにも属さない地域だ.

北陸でもない、東北でもない、関東でもない、甲信越でもない.しかし、どの地域にも属したりもする.

行政のくくりで言えば、上杉謙信没後、景勝の会津、米沢への国替えによって、新潟は天領(幕府の直轄地)となった.明治以降は、財務は関越、郵政は信越、建設は北陸、文教、のど自慢、野球は甲信越、である.現在も続いている.又、作っている電力は東京電力、使っている電力は東北電力である.各会社の新潟支店は会社によって、東北、関越、信越、北陸、それぞれの支社に属している.

第二の特徴;明治以来,現在も,首都圏に労働力・米・電力を供給している.

米の事は言う必要も無いが,労働力は今でも長男を残してほぼ全員が東京に出る.盆暮れの帰省は,まるで民族大移動の如くである.電力で言えば,東京山手線の電力は小千谷の水力発電が供給している.刈羽原発は7基あるが、わが国最大の発電所として、首都圏の電力を支えている.かつては石油、天然ガスの供給もあった.地盤沈下で廃止されたが,現在も石油の備蓄基地がある.

上記の如く,首都圏の発展は新潟が支えてきた.この相互関係は今後も続くと思われる.この意味で行政のくくりで言えば、2時間以内の時間距離でもあり、関越のくくりが強い.道州制なら、この単位が望ましい.太平洋、日本海に接した日本の横断地域となる.

関東平野のポテンシャルも大きく、出来るだけ関東平野に人口移動することも、防災上必要だと思う.新潟と関東圏は通勤圏になる.群馬に日本海の鮮魚センターがあっても、おかしくない.関越の交通政策はきわめて重要である.

妙高に沿った高田(上越市)、新井市の地域(元は新潟県ではなかった)は武田信玄との戦いの歴史はあるが、長野と関係を強めた方が、地勢学的に望ましい.米山で新潟県が分断されているし、高速道路は長野と北陸道が繋がっている.長野新幹線が高田経由富山に繋がる事も関係する.

その上で,新潟は、農業圏、漁業圏、エネルギー圏、温泉圏と位置付けてはどうだろうか.又,新潟ならではの100年、200年持つ住宅の開発、被災グッズの開発,介護製品や介護体制の先駆的な取り組みも望まれる.

第三の特徴;'新潟は首都圏から『近くて遠い所』だ.

言い換えると『すぐ近くに来たのに、遠くに来たような,ローカリティがある』と言う意味である.ローカリティとは自然,人情,風景,方言,食文化,酒,美人などである.酒の蔵元は100もあり,それぞれの持ち味を競っている.うまいはずである.全国に売り出す事もなく,かたくなに持ち味を保っている.

そんなわけで,現在も医師会や産業界の全国会議が新潟でよく開催される.『近くて遠いローカリティ』を感じるからである.訪れる人々の人気は高い.又,転勤族の思い出に新潟時代の良さが必ず話題に出る.地形、歴史から村社会的人間関係は残るが,厳しい自然の中で培われた,やさしいさ,食文化は豊富なのである.

以上,新潟の度重なる自然災害の報を受けて、新潟の事を書いてみた.最後に,新潟を激励して筆を置きたい.

新潟の特徴を再認識し,今後とも,首都圏・関東平野と連動しながら,新潟の役割を構築していく事が新潟の姿だと思う.そして,太平洋と日本海に接したベルト地帯(東京・埼玉・群馬・新潟)として発展して欲しいと思うのである.

終わりに、恒例の『新潟祭り』のメインイベント『民謡流し』の情景をお届けしたい.

 老若男女浴衣一色に染まった町並みに民謡流しの夜が訪れた.
  万代橋から古町に渡る目抜き通りに,二万人の踊り手が集結した.
  
新潟甚句のお囃子が一斉に町に流れると,町並みは清流に変わった.
 髪をあげた浴衣姿のうなじや空を舞うしなやかな指先が美しい.
  真夏の夜の涼風が民謡流しに心地よい.

 
 櫓で奏でるお囃子も,いよいよ佳境に入り,夜空に熱き甚句がこだました.
  
9時近くになると人波が目抜き通りから横道に流れた.
  それぞれの街角で今度は佐渡おけさが始まった.
  町の名人が歌う正調佐渡おけさには味がある.
  踊り手もなかなかの達人ばかりだ.
 10時近くになると哀愁漂うおけさの歌声が静かに夜空の中に消えて行った.
  8月9日万代橋の花火大会で新潟祭りはクライマックスを迎える

将来,新潟がどんな姿になっているか,注目していきたい.

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2007.07.14

105 accoutabilityの強化(政治風土改革)

日本の民主主義の欠点はaccountabilityの認識や制度が弱い事である.先進国の中では最低だと言う.まさに,やっと始まった国や自治体の財務諸表作り,かつての無駄な公共事業や政治資金問題がこれを象徴している.

それに輪をかけて,社保庁問題などは日本の民主主義の程度の低さを決定的にしたのである.恥ずかしくて,先進国の一員などと言っていられないのである

(accountabilityとは資産の運用を委託された者が委託者に職務遂行の結果を正しく報告する事、会計責任と訳される.又、国民のお金を使う政治家・役人が国民に行う説明責任との意味もある)

日本は明治維新によって、官僚政治が始まった.もっと遡れば、中国の唐の影響を受けながら、律令国家を目指した飛鳥、奈良時代以来の風土かもしれない.欧米のような市民革命を経験していない事も律令国家、官僚国家の風土が色濃く残っている理由かも知れない.このような風土ではaccountabirlityの概念など不要なのである.

こんな風土の中で、税は封建時代の感覚で厳しく徴収される反面、税の使用については、権力者がaccountabilityと言うプレッシャーもなく、使い得になる.税金は為政者のもの、お上感覚が、政治風土の根底に生き残る.

民主主義とは政治の責任が国民にある制度である.その分,政治家や役人の責任が曖昧になる制度でもある.だから民主主義では為政者の説明責任が絶対条件として必要なのである.国民もそれを求める権利,義務がある.

実権を官僚が持ち’知らしむベからず’の不文律で国を動かしていれば、選挙も選ばれた代議士も、形だけとなり、主権在民は空洞化する.ならば官僚国家は国民に失政の付けを回す論拠も無いはずである.失政は官僚自ら切腹してもらう事になる.

国や行政に説明責任の義務を課す事が主権在民、間接民主主義の第一歩であり、ここから国の民主主義のあり方や政策がスタートする.日本は民主主義の根本的な所の踏み絵を踏んでいない感じがする.

いっそのこと、税金をなくして、全て任意の寄付行為にするところからやり直す必要があるかもしれない.寄付で行う事業の方が、真剣であり、無駄もなく、accountabilityと言うマナーが守られるからである.米国の病院はほとんど寄付で運営されている事が頭をよぎる.勿論、寄付がなければ、政治が出来ない、単純な理屈が国民にも浸透する.

国民から強制的に金を巻き上げて、自分の金のように使い、報告もしない、無駄使いの付けを国民に回す,そんな国家より,よっぽどクリアーである.

繰り返すが、accountabilityとは言葉の定義にあるように、公金を使う上での義務である.この義務によって、代議制民主主義が成立する.予算が議会を通ったからと言って、公共事業の結果説明や失敗責任が免責になるわけではない.大義に潜む私的魂胆もあるし、政策の間違いもある.勿論、状況の変化もある.説明責任は常に必要なのである.

又、国会の調査権や政治家のチェックやマスコミやNPOがあるから済む問題でもない.国民の責任とする条件としてaccountabilityがある.これによって、国民の政治意識も高まり、国民の監視、責任による真の民主主義が営まれるのである.

バブル崩壊以来17年、湖底のヘドロが露呈するように、政治・行政の問題が噴出した.厳しい財政問題も露呈した.国民の不信もピークである.政治行政改革とともに、accountability制度を至急に確立する必要がある.立法、行政、司法と並列に存在しても良いくらい重要な機能なのである.

そこで、accountabilityの義務を先ず発揮すべき事は、当ブログでも何回か発信しているが、800兆の借金の説明である.

①借金返済に見合う効果が出ている事業の借金額
現在効果がなく、借金返済のみ残っている事業の借金額(不良債務)

を明らかにする事がaccountabilityの第一歩である.①は財政問題ではない.将来の国民も納得できる.②が真の財政問題である.この事業の顛末を明らかにする事は将来の国民に対しても不可欠の義務である.②の借金額が不明では税制議論は成り立たない.

次ぎにやるべき事は、上記も含めて、全公共事業の目的、資金調達方法、資金使用実績、返済計画をデータベース化し、返済が終わるまで、毎年、事業の評価をするシステムを作る事である.勿論このデータベースは公開される.これで、大金を使った公共事業が目的と比して、成果を出しているのか、いないのか、が明らかになる.

社会保険庁問題はじめ、国民が知らない、とんでもない事、例えば、郵貯、簡易保険、年金、健保などの資金運用状況と資産残高、財投の回収計画と税金負担・国債発行の関係など心配事が多い.

又、よく税制改革や増税が議論になるが、先ず無駄をなくしてから、と言うのも当然だが、accountabilityの仕組みがあっての議論でなければならない.国民はこの担保がなければ、税制の根幹である政治に対する信頼感も責任感も得られないからである.

この仕組みが担保されていない税制議論は、たとえ国会の場であっても、窃盗団が金の巻き上げ方を議論している事と大差がない事になる.

現在、企業でも、社会的透明性の発揮がきわめて大事になっている.悪い事を保身的に隠す事は、もっと大きな問題に発展する.この事はいくつかの事例で明らかである.

企業でもそうであるように、ましてや、公的機関はそれ以上に、社会的透明性の発揮は義務だと言う事を再認識すべきなのである.税金の使用に関するaccountabilityは代議制民主主義の基本なのである.

予算主義(予算を取る事が仕事)の政治・行政の仕組みでは、日本は経済も民主主義も崩壊する.accountabilityの認識、制度、システムがあれば、無駄な公共事業も社会保険庁問題も小さな問題の段階で処置できたのである.

いや、いまさら怖くて、実態など言えない、国民の不安を煽るだけだ、accountabilityなどと言う青臭い事を言っている状況ではない,わかったところで対策など考えられない,もう手遅れだ,知らぬが仏で黙っていよう,ともかく,安全安心の大本営発表で行くところまで行こう,と言うことだろうか.どこかで,あった話のような気がする

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2007.07.05

104 『しょうがない』 心理

久間防衛大臣の発言,’原爆投下によって悲惨な目にあったが,これで終戦になったと頭の中の整理で,今はしょうがないなと思っている’が物議をかもし,原爆投下を容認している発言だとして辞任に追い込まれた.

原爆廃絶を願う日本の現職の防衛大臣の発言としては,まさしく、唐突、無防備、被爆者への配慮を欠いた,発言だと思う.

一方,『原爆投下を容認できない』とするなら,日米双方の戦争の大義、米国への糾弾、核の抑止論、核廃絶の取り組み等に対して,見解と行動が求められるが,『しょうがなくはない』見解と行動が見えていない感じもする.

自分自身も下記のような断片の認識・思いを繋いだ全体的の見解は持てていない.日本人の日本人による戦争総括が出来ていない事と同じである.

断片的に順不同に認識を上げてみた.

・日露戦争後、軍国主義が日本全体を覆っていた
・欧米はアジアの植民地政策を進めていた
・欧米人は黄色人種への差別意識があった

・中国人・朝鮮人への差別意識が日本にあった
・日本は中国で列強と伍して侵略を行った
原爆投下,全土空爆は国際法違反の無差別大量殺人である
・原爆投下は実験であり,米国の国威発揮の為だった
・大量破壊兵器(化学、細菌、原爆、など)の研究を各国がしていた
・原爆投下が、その後の世界の軍事政策を変貌させた
・原爆投下でソ連の北海道占領を阻止した
・原爆投下で日本の一億玉砕、徹底抗戦に終止符を打った
・原爆投下に対する世界の批判、日本への同情はあまりなかった
・原爆投下の違法性は東京裁判で不問となった
・敗戦をもっと早く決断すれば原爆投下はなかった

・敗戦によって日本の軍国主義は解体された
・ソ連は多くの日本人をシベリアに抑留し、北方四島も占拠した

・東京裁判で二分論による戦争責任のけじめをつけた
・二分論(指導者と国民の分離)は国民の中では曖昧である
・軍国主義の犠牲者では戦没者は浮かばれないとの感情がある

・米国及び戦勝国の同意によって日本憲法が制定された
・日本の秩序維持は天皇制、行政組織を残した事が幸いした
・講和条約で日本の賠償責任、日本への賠償要求は放棄された

・米国統治によって,日本を南北分裂せずに済んだ
・米国統治は反共の砦として米国にとって重要であった
・米国の豊かさ,自由な文化が敵国感情から憧れに変えた
・米国を嫌いな国民は少ない
・平和憲法、日米安保、米国との連動が日本の復興、繁栄を支えた
・日本は復興・繁栄とともに、謝罪外交、ODA外交を展開した

・極東諸国の反日感情が根強く残っている
・日本の軍国主義、諸外国への侵略に対し自責の念が国民にある
・平和憲法、核廃絶の主張は米国の傘の下では説得力がない
・友好国の米国、原爆投下した米国、の感情整理が出来ていない

このように日本を総括する心理は複雑である.日本人自ら、戦争の総括をしていないと言われる由縁である.しかし、戦争で起こる異常な事、悲惨な事を個々に総括するのではなく、全面降伏、新憲法、戦後の謝罪外交、ODAなどの態度、行動が日本の総括であり、未来志向の中で対応して行くと考える人は多い.

日本では総じて戦争の事にあまり触れたくない心情がある.原爆投下や全土空爆も、この心情に埋もれるのである.これだけ取り出して議論すれば、戦争全体の議論、歴史認識のエンドレスな議論に発展するからである.

したがって,極東における反日感情、原爆を落とした米国に対する感情、米国への憧れ、友好を望む感情、等に歯切れが悪くなる.勿論、明確に反日、反米の日本人はいると思うが.

一方,他国は'軍事国家日本を滅ぼした’との明確な認識である.さらに、日本の戦後の繁栄や米国との友好関係は米国の戦争の大義の正しさを立証している、と思われている.

いづれにせよ、『しょうがない』の感情は戦争に対する、日本人のゆれる見解、原爆を投下した米国との同盟関係が背景にあると思う.もし中国やソ連が原爆投下したら、まったく違った見解になると思う.

大臣の発言としては勿論、久間流認識そのものが大問題とする識者、マスコミが多いが、是非、掘り下げた見解を教えて欲しいと願うのである.

原爆投下を徹底的に糾弾するとはどう言う事か,
戦争の評価をどう考えるか、
米国の論理に勝てるのか,
友好関係をどうするのか,

いまだ識者やマスコミからは掘り下げた論評が聞こえてこない.『原爆はけしからん』と言っているだけでは感情論に留まる.『しょうがない』としない論理と行動が見えてこないのである.

又、この『しょうがない』は精神文化・宗教とも関係があると思う.

’自力’では解決できない絶望的状況に対し,断腸の思いではあるが、’しょうがない'と先ず、現実を受け入れ,寛容になる事で心を落ち着かせる心理がある.其の上で、次の行動が起こせるのである.仏教で言う'他力'の教えと似ている.久間発言の’原爆投下はしょうがない’はこんな仏教的・自虐的・寛容的、精神文化から来ていると思われる.

キリスト教の文化では’しょうがない’の心理はない.神との契約が前提である以上、’しょうがない’と勝手に神の救いを放棄してはならないと考えるからである.NEVER GIVE UP、目には目をである.本心から逃げてはいけないとの、’自力’の徹底をする心理である.'しょうがない’と寛容的にはならないのである.アングロサクソンのDNAである.

日本人は日頃、よく『しょうがない』を口にする.気を落ち着かせる言葉である.自然災害、病気などに対峙した時など、そうなった事への不幸、不運に落ち込む気持ちを和らげるのである.

其の上で、大事な事は'其の次どうするか'である.何もしなければ『しょうがない』は許容とあきらめに留まる事になる.

起こってしまった原爆投下を『しょうがない』あるいは『どうしようもない』と立ちすくんで、こんなひどい事は許せない、原爆反対と思っても、其の行動が伴わなければ、許容とあきらめ,米国の大義は正しい'事になってしまうのである.そう言う状況であれば、久間発言は現実的な見解と言う事になってしまう.悩ましい日本なのである.

久間問題を声高に言う識者、マスコミも、その思考レベルでは結局、あきらめの『しょうがない』に行き着く感じもする.

このブログを書きながら、次のように私見を整理してみた.

『世界の列強がぶつかる中で、日本の軍国主義、覇権主義の指導者が侵略と戦争を引き起こした事は、日本国民に対しても、諸外国に対しても、正当化できるものではない(指導者と国民の二分論).しかし.日本は無条件降伏によって、生まれ変わったのである.
一方、米国の広島、長崎への原爆投下は東京裁判で不問にされたが、戦争終結を導いたとは言え,人類史上最大の虐殺であり、正当化できるいかなる理由も存在しない.米国は其の非道を認識し、原爆投下の主導者を糾弾すべきである.そして原爆を落とした者と落とされた者が核拡散阻止、核保有廃絶に取り組むことは、人類への責務だと考える.』

どうだろうか.悪かった事を率直に認め、これに対応しながら、主張もして行く態度が必要だと思う.戦後62年、明確さが不足してはいるが、反省にもとづく行動は充分やってきたと思うのである.『しょうがない』と口に出す事はあるが、決して呆然としていた訳ではないと思う.

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