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2007.09.24

113 自民総裁戦結果

本日,次期自民党総裁に福田氏が決まった.派閥への回帰現象が起こり,選挙前に決着が付いていた選挙であった.当ブログで心配した通り,党としての政策論争はほとんどみられなかった.

振り子現象のように、タカ派からハト派,政策型から調整型、意見を言う人から言わない人,に変わっただけである.したがって、政策はこれから話し合いで決めるとの事である.国民は政治家のリーダーシップを求めながら,政策を主張しない政治家に安定感、安心感を感じている所もある.

どうやら日本は,選挙で勝つ為には,何も言わないか,競争相手を誹謗するか,小泉氏のように熱意をこめて自論を言うかのいづれかである.勿論,政治家の好ましいあり方は自明であるが,ベテラン政治家ほど理想・政策を言う人を好まない風潮がある.対案を持っていない,言質を取られない,リスクを避ける,事が理由だろうか.

又,参院戦の結果から,生活視点の政治,格差是正の政治,が口癖のように飛交うが、構造改革が原因だ,財政出動で日本的社会主義に戻るべきだ,とする風潮になっている事も気になる.

本当に構造改革が原因なのだろうか,改革の影なのだろうか,又,巨大な債務を未来に残した政治責任を棚に上げて,あまりにも無責任な主張である.対価のない返済のみを未来に強いている過去の事業(俗に言う食い逃げ事業)とその総額を明らかにした上で,改革批判をして欲しいのである.

残念ながら,日本の財政実態からすれば,富の拡大とシビアな分配が絶対条件である.これなくして,国民の収入も医療・介護・年金・防災も充実しない.日本の金融危機、財政危機に端を発した小泉改革は先ず国の構造をスリムにし,筋肉質な国家にする事に必死であった.’改革なくして成長なし’は,まだまだ道半ばである.

公務員改革、議員数縮少,道州制,地方分権等による税金の効果的使用,など分配の改革は山ほどある.このような根幹の構造改革なくして社会福祉もままならないのである.

国民への口当たりの良い分配政策で選挙に勝つ構造は絶対繰り返してはならない.本筋をとらえた政策を是非,展開して欲しいのである.国民も本質を見誤ってはならない.

しかしながら,こんな重要な時期に,今回の総裁戦で政策の理念・方向は見えなかった.参院戦敗北で自民の政策論が急速に減退したならば政権を担う資格がない.

衆参のねじれ現象ならばこそ政策で戦うべきである.憲法問題,安全保障問題,外交問題,年金・医療・介護問題,行政改革問題,教育問題,地方活性化問題,税制問題など正々堂々と論争して欲しいのである.これなくしてわが国の’もやっと感’はますます大きくなるばかりである.

とにかく政権与党は政策、行政,全てに責任がある.長年の行政のいい加減さも自ら指摘し対策を講じなければならない.ねじれであろうと無かろうと真剣に取り組んで欲しいのである.野党から見ればすきだらけの政権と言わざるを得ない.

10月3日から国会が再開されるが、’検討します、話し合いをします’の連発になりそうである.まだまだ混迷が続く予感がする.

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2007.09.20

112 憲法と自衛隊の海外活動論争

日本の自衛隊の海外活動は、常に憲法解釈で紛糾する.人道支援、後方支援,平和維持活動などを、現憲法に抵触しない、ぎりぎりの解釈で行っている.
勿論、その中途半端な活動ならではの効果やリスクの問題もあるが、国際的活動に少しでも参加しているとのアリバイ作り、付き合いもある.

自衛隊の海外活動について、解釈論ではもう限界であり、海外活動するにしても、しないにしても、憲法改正が必要である.ねじれ国会で一層,解釈論はデッドロックになる.

しかし、残念ながら憲法を改正する手続き法や具体的方法がいつ決まるか分からない.なによりも憲法改正内容や改正に必要な賛成票がいつ取れるか不明である.かくて、世論も政治家も国家の基本政策についての論議が中途半端に終わるのである.

そもそも憲法改正の方法が確定していない日本は民主主義国家と言えるだろうか.これでは国民の政治意識、立論力、実行力、は育たないのである.日本は世界で唯一、’憲法の放置国家'である.

今回のテロ特措法問題を取ってみても、日本の思考力の弱さを露呈しているように感じる.賛否両方の意見とも、憲法がどうだから、他国がどうだから、国連がどうだから、と賛否の理由を言う.そもそも、日本としてやりたいのか、やりたくないのかと自分の意見を言わない.そこで,まず次の4択で主張をはっきりすべきである.

自衛隊の海外での何らかのテロ対策活動について

①やるべきだ、その為にやれる事を検討する
やるべきだが憲法や国際情勢、財政の問題でやるべきではない
③やるべきではないが国連や他国との関係でやらねばならない
④やるべきではない(戦争・紛争への加担になる)

はたして、政治家、国民はどれを言っているのだろうか.主体的意見を持っているのだろうか.マスコミのアンケートも賛成・反対ではなく4択で調査すべきである.このように、先ず、筋道をはっきりする訓練が必要である.

次ぎに、考えを実現するに当たって、法的な検証が必要になる.法律は与えられたものとしてとらえる遵法精神は必要であるが、作るものだと捉える事も,これから求められる.その為に、まず,主体的意見が必要となるのである.

法治国家は'法を守る事’と’法を作る事’で成立する.憲法で言えば時代に合わないと感じても,変えることなく解釈で済まそうとする危うさを卒業しなければならない.見えづらい日本の考えで国際信用は失墜する.

そこで、当面の憲法解釈問題を整理すると次ぎになる.

そもそも現憲法は.国民の二度と戦争はしない誓いと,日本の軍備復活を阻止したい戦勝国の狙い,で制定された.そのコンセプトに対し,

合憲とする解釈は

①自衛(定義は不可能に近いが)の為の軍隊の保有と武力行使
②武力行使をしない自衛隊の海外活動(後方支援,人道支援など)

違憲とする解釈は

①自衛権行使以外の武力行使(境目はきわめて難しいが)
②集団的自衛活動(同盟国の自衛行使と一体化した武力行使)
③国連や他国と一体化した武力行使

である.結局、武力行使をしない自衛隊の海外活動は合憲とする解釈が長年の政府見解である.一方,後方支援は軍事行動と一体(戦争への加担)で違憲であるとする考え方もあり、曖昧さは拭えていない.

現在激論になっているインド洋上の給油活動の憲法解釈について言えば

①他国の軍事行動と一体であっても,武力行使をしないから合憲
②他国の軍事行動と一体であり違憲(集団的自衛にも抵触)
③他国の軍事行動と一体であっても,国連の発議があれば合憲

に別れる.

①は特定国の軍事行動に対しても,多国籍軍の軍事行動に対しても,武器を使用しない支援(後方支援)であれば合憲とする考え方(憲法で未定義)

②他国の軍事行動を支援する行為(後方支援も戦争への加担と認識)はすべて違憲とする考え方.(憲法で未定義)日本の米軍基地提供もこれに該当するとの意見もある.米軍が日本の傘になるだけではなく、米国独自の軍事行動があり得るからである.この意見は何をやっても違憲になってしまう.

③は,そもそも憲法は戦前のような国の発議による他国への侵略を禁止した物であり,国際社会と一体化した軍事行動を禁止しているわけではないとの考え方.(憲法で未定義)
しかし、国連決議と国内法の関係の問題もあるが,結局は国連決議と言っても,国の意思で紛争解決に武力行使をやる事になり(国の発議),憲法に触れると言う論が強い.

同じように、食料支援、輸送支援、機器修理支援、自衛の予防行為、公海の警備活動、等論争はきりがない.又自衛とは何かの定義もきわめて難しく、解釈論の宝庫になる.それほど憲法は曖昧なのである.

さらに、日米間に限って言えば、日米安保条約と集団的自衛の問題もクリアーしていない.

そもそも、憲法制定時、日本の再軍備の可能性について議論があったが、内閣の文民化を条件に、具体的な事に言及しなかった経緯がある.ここに解釈論の余地、言い換えれば、政治判断の余地を残したのである.その結果、自衛隊が誕生したのである.

かくて、国際貢献しようにも憲法が足かせになったり、血を流さない日本が国際社会で通用するのかと言う問題に直面した.この問題解決は曖昧な解釈論を超えており、はっきりした考え方の憲法を持たなければ対応できない事は自明である.一方、解釈論でもめる事自身が抑止になっているとの意見もあるが.

そこで、解釈運用をやめ,すっきした法整備をするなら(憲法改正),基本的に次の選択になるはずである.(詳細は当ブログ’NO16安全保障と論理的選択肢’で発信)

①軍備は持つ,その行使は時々の民意・国会で決める
②軍備は持つ,その行使可能条件は法律で定める

③軍備は持たない(自衛権行使も放棄) 

①は一番自由度が多い案、
②は自衛、集団的自衛、国際貢献などを行使可能条件の明文化、③は丸腰案、である.

日米安保条約や他国との安全保障条約、国際的活動はこの憲法にもとづいて行われる事になる.(それでも解釈の余地は残ると思うが)

はたして民意はどれになるだろうか.この国民的合意がなければ日本は漂流するだけである.又、安全保障の政党間の基本合意がなければ,政権交代可能な2大政党はできない.先ず上記3択で国民の意思を確認し、その結果で、条文案を作り,民意を問うたら良い.

しかし、やっぱり日本は決断ができず、憲法改正もせず、

国際紛争に対し,
「戦勝国の作った憲法のおかげで、自衛隊の海外活動は出来ません.憲法改正手続きも,改正内容も,改正時期も定まっていません」

あるいは
「日本は米国に守られている国として,憲法が作られています.したがって,日本の自衛軍が海外で活動できる法制度はありません」

と戦後復興に専念してきた時,湾岸戦争の時,と同じように、血を流している国々に経済支援,復興支援と引き換えに,お許しを乞い続けるのか.

さらに,あるいは
「日本は自国の安全の為に,米国の傘の下にいますが,日本としてはあらゆる国際紛争の解決の為の武力行使には賛同しません」

と,あらゆる国際紛争から距離を置く事にするのか,

ただし、日本の外交活動が成り立つ保証はない.日米安保が継続するかも分からない.いずれにせよ、憲法問題は絶対避けて通れない根本問題だと思う.日本国民は意思と覚悟を求められていると思う.識者,政治家の所見も聞きたい.

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2007.09.17

111 自民復活になるかPOST阿倍の自民党総裁選

安倍総理の辞任表明によって、国会が開店休業となり,自民党総裁戦が始まった.総裁戦は,ともすると,人事抗争が前面に出て,党の政策抗争が忘れがちになる.

本来,総裁戦は党の方針を決める意味もあり,立候補者は党の方針の骨格になる憲法問題,外交問題、経済問題、医療・介護・年金問題、社会保障問題、行政改革、財政問題,地方分権問題、教育問題、税制問題などの認識と方向,任期中の重点施策(やる事)に触れなければならない.

国内外ともに,もやっとした閉塞感,多くの重要課題,が重くのしかかっている状態であればこそ政策が重要である.小泉前総理はデフレ危機,不良債権危機,金融危機、財政危機、無駄な構造、外交問題に明確に指針を打ち出した.多くの国民はこれに賛同した.今回、このような姿勢が総裁戦に見えてこない.

党内の政策抗争があって初めて,政策が固まり,他党との戦い,国政選挙に挑む事になる.人事抗争,人柄,だけでは強い党を作れない.小泉総理は例外だったのだろうか.小泉総理前の先祖帰りと言う事になる.

これでは政党の政治理念、ビジョンが曖昧になり、政策にリーダーシップのない党になる.中選挙制度の党の体質では小選挙区制に勝てないし,ビジョンの無い政党は国家国民の損失である.

政策が描けず,描かず,選挙に勝つ事しか頭にない政治家・政党を排除して行く必要がある.鋭い政策集団の形成は日本に強くもとめられているからである.

繰り返すが,総裁戦は人気投票でも,人事抗争でもない.党の政策決定の選挙である.現状の総裁戦で,政策で勝負と立候補者,自民党議員は自覚しているのだろうか.短期間であるが政策論争を期待したい.これからの選挙戦、組閣、臨時国会の推移に注力していきたい.

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110 独占スポーツ番組への懸念

最近、バレーボール、世界水泳、世界陸上、世界柔道など、大会全体をテレビ局が独占放送する事が多くなった.テレビ局としては、視聴率アップに向けて、芸能人を入れたり、盛り上げる為の演出を入れる.客観的なスポーツの実況放送と言うより、バライティ番組のような感覚で独占番組が放送される.

ともすると放映料の見返りで大会内容に介入したりする.大きな競技大会もテレビ番組の為に存在する感じになりかねない.スポーツ界も選手も、人気を盛り上げたり、収入の面から、歓迎している向きもある.

一方、真剣にスポーツを見る方からすると、只で見られてありがたいが、これらのテレビ局の思惑は邪魔である.芸能人のコメントや応援は興ざめである.選手が芸能人のように扱われるのも抵抗感がある.

はたして、競技大会があって各局の放送があるのか、面白い番組作りの為に競技大会があるのか、観戦者にとって、スポーツの発展にとって、スポーツ選手にとって、どちらが望ましい事か考える必要がある.

テレビ局としても、報道の立場で放送するのか、番組作りの立場で放送するのか、を考える必要がある.これによって、放送の内容が変わってくる.

見る方からすると、独占放送より、各局が報道の立場で、放送した方が多面的、専門的になり、純粋に競技が楽しめるように思う.個人競技などは日本人以外の名勝負も見たいのである.

当ブログでテレビの危険性を述べているが、番組視聴率の為に、超えてはならない一線を超えてしまう危険性に触れた.24時間マラソンもしゃれや感動では済まされない.金を出すから、ここから飛び込んでくれ、と同じ、やらせの番組作りである.24時間マラソンが存在していて、それを報道する場合と全く違うのである.

テレビ局が番組作りの為にイベント、コンテスト、スポーツ大会等を主催する場合は報道ではなくなり、作り物になる.これに潜む危険性や報道と作り物の切り分けをテレビ局はどのように考えているのだろうか.

考えている間に、視聴率競争の中で、作り物の企画、番組がコストの面で、衰退するかもしれない.メデアの多様化で安物の番組が多くなり、本来の報道に回帰するかもしれないが.

余談だが、最近の食べ物番組が気になる.安上がりの割りに、ある程度の視聴率が稼げるからかもしれない.食べ物は自己責任と言うものの、いかにも油物、肉物で食料自給率や体を悪くする食べ物を吹聴している感じがする.テレビは放送コード以前に、良識が必要だと思うのだが.

表現の自由、報道の自由、の傘の下で、視聴率至上主義が社会をミスリードしているように感じる.視聴者は政治と同じように、今以上に見識や自立が必要な時代なのである.

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2007.09.12

109 安倍総理辞任の意味するもの

安倍総理が代表質問のある本日、辞任を発表した.所信表明一日後、論争開始直前の事である.国会軽視の異常なタイミングでの辞任表明である.

阿倍政権は戦後レジュームからの脱却を掲げて,小泉政権で弾き飛ばされた保守派の政治家をも取り込んで,憲法問題を取り上た.明らかに,改革(新保守)路線から保守回帰に舵を切ったのである.改革で大議席を得たにもかかわらず,改革路線が後退する事になる.

結局,いつか決着しなければならない憲法問題であったが,現実は社会保険庁問題,閣僚の政治資金問題,保守回帰への反感,などで,参議院選挙で大敗し,直近のテロ特措法継続も暗礁に乗り上げたのである.

選挙の責任で辞職するのではなく,外国と約束した法律で辞職したところが安部総理のプライド,あるいは海外への謝罪の姿勢だったのかも知れない.また,自民党内実力者の安部軽視の動きにも,不快を感じたのかもしれない.

体調を崩したとは言うものの,日本の根幹に触れる憲法改正手続き問題,憲法改正内容問題,集団的自衛権問題,自衛隊の海外派遣問題,教育問題などが参院選敗戦で又,政治課題から遠のいた事に虚しさを感じたのではないかと思う.

参院が野党で占められた現在,衆院で民主が政権を取らなければ,又,政党再編が行われなければ,国会のねじれ状態は長く続く.このねじれは,政策毎の政策協議,参院の党の拘束解除,衆院の再決議がなければ,国会が空転する.日本の政治の試練かもしれないが,国際情勢,国内政治が停滞を許さない.

私見よれば,道半ばの日本の改革,守旧派・古手の世代交代,自民党の体質転換,を後退させてまで取り組んだ,憲法・安全保障問題が,永年の自民党の体質で,足元をすくわれた感じである.結局,折角の小泉改革も道半ばのまま,自民党の今後の政治路線が全く見えなくなったのである.

ポスト小泉政権が日本の,自民党の,分水嶺になると予見し,阿倍政権が極めて重要な役割を持つと思っていたが,残念ながら,政治課題混迷の道に入ってしまったように感じる.

敢えて言えば,安部総理の辞任劇は安部総理自身の問題というよりは,日本の将来像,日本の政治・政策の課題を国民に投げかけたと,捉えるべきかも知れない.

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