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2008.03.20

134 温暖化ガス削減問題

地球温暖化防止に関する主要20カ国は316,2012年に期限が切れる京都議定書の次の枠組み(ポスト京都議定書)のあり方や中国,インドなど途上国が参加する新たな体制作りを討議した.そして,7月の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)で合意を目指す.

現在の排出量を半減すると,海洋や森林による吸収量とほぼイコールになると言う.そこで日本,米国,英国は2050年までに,これを実現することを宣言.当然,革新的な技術開発,低炭素社会作り,環境保全と経済成長の両立,が必要となる.

この2050年を見据えた目標の合意形成をした上で,ポスト京都議定書(多分2013年~2022年の間)の枠組みの議論がされる事になる.すでに,欧州連合(EU,中国は90年比世界全体で25%~40%削減を提言している.

現在の京都議定書は199712月に議決され,2008年から2012年間に,先進国全体の温暖化ガス排出量を1990年比5%以上削減することを全体目標とし,先進国に対して,国ごとに-8%~+10%の削減目標を定めた(日本は-6%).

この京都議定書ではアメリカやオーストラリアの離脱,カナダの削減目標断念,インドや中国などの大量排出国の目標未設定などがあるが,いくつかのポスト京都議定書につながるメカニズム(京都メカニズム)を定めている.

①グリーン開発メカニズム(CDM,先進国が途上国に投資した時,削減加算),

共同実施(先進国同士の投資分の削減加算),

排出量取引(キャップ&トレード,先進国同士の排出量取引,排出量の上限を決め,過不足取引で補う.削減へのインセンテブ).

排出量取引は200710月に欧州連合(EU)や英,,,米・加の主要州,ニュージーランドなどが調印.国際的な取引市場を目指す予定である.

一方,日本における京都議定書の削減目標は必ずしも簡単ではない.1990年の排出量126000万トン,に対し2005年は136000万トンの実績,2012年の排出目標は119000万トン(90年の6%減)であり,2005年実績から17000万トンの削減(13%減)が必要になる

一方,排出量取引や環境税も消極的,CDMや森林吸収だけでは目標達成は困難な状況である.昨今,政府は排出量の多い企業上位100社で日本の3割)に削減圧力をかけ始めているが,いかに技術を誇っても,目標が達成できなければ,他国を説得できない苦しい立場もある.

さてポスト京都議定書に向けて総論賛成しつつも,各国の思惑が働き,合意づくりが困難を極める事が予想される.何よりも,排出枠設定における先進国と途上国の対立である.

中国は先進国が率先して高い目標を設定し,かつ途上国にGDP0.5%以上のODAをすべきだと主張.インドもこれに近い.反面,先進国はすでに,削減可能量は少なく,これ以上の削減は産業の海外移転か産業の縮小につながりかねない.途上国への削減支援に努めたい,等と国益が衝突している.

日本は産業別に技術的な削減可能量を積み上げて目標設定をし削減可能量の多い国への資金,技術援助はすると提案,米国もこれに同調.欧州連合は温暖化対策が遅れる国に生産拠点が移る事(削減投資の回避)を防止する為の製品輸入規制を主張.ロシアは共同実施方式で削減と技術普及を図ると発表.

いずれにせよ産業構造,経済成長,技術レベルに応じた公平性によって,非参加国を出さない枠作りと地球温暖化防止につながる枠作りでなくては意味がない.その目標の拘束力の問題も出てくる.各国内においても,同じ問題が発生する.目標設定の仕方,公的予算の投入,拘束力や排出量取引などの国内法整備の問題である.

削減コストも大きな問題となる.欧州の試算では年600億ユーロ(約95千億)必要だという.日本の試算では現在から20年まで,企業・家庭合わせて52兆円(年4兆円)必要だと言う.これを温暖化防止のコストとみるか,温暖化防止ビジネスとみるか,思惑が交差する.

この様に地球温暖化による自然環境破壊の恐怖から始まった対策に,懐疑論も根強く存在している.温暖化に関するデータの信頼性,・科学的裏づけの問題,温暖化ガス以外の要因説(紫外線,太陽地場,水蒸気,ヒートアイランド等),予測精度の問題,南極の氷の増減の問題,地球寒冷化説,CO2の吸収先問題,原発や産業の陰謀説,などである.

この様に生産・消費の増大と温暖化防止をどのように考え,方向を出すか,7月の洞爺湖サミットで主催国日本のリーダーシップが問われる.8月の北京オリンピックの自然環境も気になるところであるが.

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2008.03.19

133 道路の一般財源化とは

’道路目的税の一般財源化’の議論が高まっているが,私の理解によれば,一般財源化の意味が三つある.

①目的税のまま一般会計に移す.(特別会計の廃止,財務省への移管)
②一般税にし,一般会計の中で道路計画の財源を確保する.
③一般税にし,道路以外の財源にする.(道路計画の白紙化)

現行制度では’道路財源が余ったら一般財源にまわす’となっている(特例法).そこで,道路以外の事業に,使えると,誤解している人が多い.一般財源にまわす,とは一般財源の道路に回すという意味である.目的税で課税している以上,一般会計にまわしても道路以外に使えないのである.一般会計に回した分,一般会計の道路予算を減額すれば,道路予算総額は減少するが,その保障はない.これで,阿倍政権の一般財源化政策が骨抜きになったのである.あるいは,道路財源を確保しないと借金返済ができなくなる切羽詰まった事情があるのかもしれない.

この経緯を踏まえると,一般財源化とは素直に③を意味していないのである.この魑魅魍魎がうごめく中にあって,一般財源化の論議や各党の主張をチェックする必要がある.

自民党は目的税・特別会計による積極的道路政策,地域経済支援,選挙対策が本心である.従って①②で世論をかわしたいと思っている.一方③の意見も少数意見だが,党内にあるようである.民主は道路の無駄を追求して来た経緯から③である.

マスコミも一般財源化の意味をわきまえて報道して欲しいのである.単純に一般財源化賛成,反対では本質的な議論にならない.政治家や官僚の巧みな抜け道を見逃してしまう

国民の怒りは,目的税であろうと,なかろうと.税の使われ方が,あまりにも放置されてきた.天下り先の独立法人への仕送り,拡大解釈による関連事業の拡大,地域経済・集票を目的とした金のばらまき,数倍に膨れ上がる道路予算,職員の異常な処遇・福利厚生,事務費の拡大解釈,など,どんぶり予算,目的外使用,無駄な使用がいつも問題になっている事である.

そこで私見を述べたい.

900兆円の借金の中に,どれくらい無駄の借金があるのだろうか.当ブログでたびたび発言しているが,日本の民主主義,代議政治が’放置国家’を許容してきた事は事実である.

税制の議論の前に無駄な使われ方を防止する仕組みがなければ,利権者が金の巻き上げ方を議論しているに等しいのである.これでは納税が搾取になってしまう.国家の信頼性がなくなってしまう.税金の無駄使い(公金の食い逃げ事業)防止の仕組みが出来なければ,税金を預けられないし,税金を小さくするしかないのである.

そこで,まず,税制議論の前に,税金を有効に,無駄なく使う精神・制度を強く求めたい.これが政治,行政の民主主義の根本のはずである.

この上で,本質的な問題は膨大な借金,社会福祉財源の枯渇,の中で,道路政策をどうするかである.従って,③の意味で,一般財源化すべきである.当然,10年間の道路計画は白紙に戻す.そして,総選挙で改めて,道路政策,社会福祉政策,温暖化対策などと,税制を国民に問えばよい.

ところで歳出の配分はもはや,各道路計画間の競争ではない.物件ごとに社会福祉や文教等との競争になる.歳出の分権が進むほどシビアになる.道路目的税の廃止はこれを促すことを意味している.

70年代,80年代,正論であった列島改造論や工事のばらまきが地方票につながる時代ではない,残念ながら,それを許容する財源もない.借金もできない(GDP500兆の1.6倍の800兆の残高は世界最高,返済は毎年30兆,ただし債権者が国内,各国の残高はGDP以下),これで政治家を続けてきた人,政党は静かに退場を願いたい.これからやるべき事が山ほどあるのだから.

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2008.03.16

132 食糧自給率向上は食文化にあり

食料自給率40%を根拠に,農業問題が議論されているが,疑問がある.そもそも,この数値は熱量換算ベースであり,飽食の値である.多分,品目別の生産量や必要最低限の食料で換算すれば,自給率は随分高くなると思う.

そもそも,日本の食文化の大きな変化は洋食化(小麦と牛肉)である.これが自給率を引き下げているのである.

ファーストフード店でハンバーガーを貪る若者が,いかに多いことか.朝食もパン食が多い.米を主食としてきた国が,今や小麦文化に席捲されている.

米はそれ自身がおいしいから,そもそも加工する必要がないが,加工しにくい特性がある.加工用の米粉を作ったとしても小麦粉程に用途が広いわけではない.小麦はそれ自身はまずく,米のように直接食べる事はないが小麦粉にすれば,加工しやすく,グルテンの特性から多様な加工食品の食材になる.

もう一つ牛肉である.そのおいしさやエネルギッシュさで嫌いな人はいない.米国戦略からすれば,まず,牛肉の輸出し,肉食を普及させる.その内,各国で牛を飼育する事になる.この時こそ,飼料を輸出したいのである.飼育と言う手作業を全世界に広め,特殊な混合飼料を独占的に供給する事である.牛は確かに国産になるが,飼料は100%輸入となり,はたして肉を自給していると言えるのか,という問題もある.

さらに言えば,和食と洋食の決定的な差は油の使用である,和食の典型はご飯,小魚,味噌汁,漬物,味噌,醤油である.洋食は小麦粉を使った料理も副食の料理も油を多く使う.この油も,当然輸入に頼ることになる.

肉や油の持つおいしさ,エネルギーを口にすると,病みつきになる.子供の時,油,脂肪を口にすると,一生,この味から逃げられなくなる.かくて,小麦,肉,脂・油の洋食文化が日本食文化を凌駕し,体格も大きくなって行ったが,食料自給率は時間とともに,下がったのである.

油や脂肪の大量消費で食器洗いの洗剤はますます大活躍であるが,体に入った脂肪や油は洗剤では落せない.小麦・肉の食文化から脱しない限り,体脂肪は落とせないし,日本の自給率は上がらないのである.

一方,健康食品志向から和食が世界的に見直されている.しかし米や魚を全世界で食べ始めたら,その食材は瞬く間に枯渇する.巨漢が200g,300gのステーキを食べるように魚を食べたら,ひとたまりもない.その食材の生産や漁獲は地域的に限られているからである.

小麦,肉,油は大量生産可能だと思うが,日本食材はそうではない.日本食が世界に普及すると,日本食材が不足し,価格が高騰し,日本食が減る.大量生産の安い洋食が結果的に増え,ますます自給率が落ちる事になる.

そこで,地産地消の,食文化を各国に広めるべきである.この方が自然である.ハンバーガーチェーンやフライドチキンチェーンが世界に展開される事は,地産地消,食文化,食育,健康を破壊する危険性がある.安易に食事が餌を食べる様になってはいけないのである.

従って,日本は日本食に回帰し,小麦,洋食を減らす.又,日本食を世界に広めない,世界のグルメを求めない,同時に世界各国の地産地消,自国の食文化の維持を訴える.これが世界の食糧自給率,自然保護の基本だと思う.

世界の人が,おいしい物,安いものを何でも輸入する事は世界の資源を食い散らすことになる.又,何よりも,食べ過ぎない事である.飽食やグルメ志向は健康にも悪い.食糧の貿易障壁を作るのではなく,消費者側から食糧問題を変えて行く事が大切だと思う.

CO2削減,無駄なエネルギー消費の削減と同じように,地産地消,食文化を守ることが,地球環境,健康にとって必要なテーマだと思う.食べ物を質素にしても,世界の美味しい料理を食べなくても,豊かな文明・文化が損なわれる事はないと思う.むしろ,各国,地域の食文化にとっても良い.健康にも良い.

エネルギー生産や工業製品は世界分業で発展して行く事は必要であるが,食糧は必ずしもそうではない.風土にあった食文化がもともと,あるからである.ただし食糧難の国への食糧援助,農業開拓支援はもちろん必要である

地球上の生物は食物連鎖で自然界のバランスを保っている.人間はその連鎖の外にいる.人間の食べる量は,この自然のバランスの勘定に入っていない.従って,食物連鎖を崩さない程度に,少しだけ,食べさせてもらうのである.その為に,世界各地で地産地消が必要なのである.マグロを世界の人が食べたら,たちまち食物連鎖が切れてしまうのである.

以上,食糧自給率向上,食料資源保護の為に,世界が地産地消の食文化に回帰する必要性を述べた.日本が最もこれを率先すべきだと感じる.世界のグルメを食べあさったり,世界の料理を好んではいけないのである.

日本の家庭にある鍋・食器・調理器具の種類は世界一多いと言う.フランス料理,米国料理,イタリア料理,中国料理,何でも食べるからである.世界の国はそれぞれの国の料理を食べるので食器も調理器具も少ないと言う.この辺から意識改革が必要である.

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2008.03.04

131 イージス艦と漁船の衝突事件に見る稚拙な批判

イージス艦の漁船衝突事件が発生した.なぜ防げなかったのかとか,なぜ救助できなかったのかとか,自衛隊内の連絡が遅いとか,自衛隊内部で保身の口裏合わせをしているのではないかとか,自衛隊内部がたるんでいるとか,避難ごうごうである.

そんな批判や昨今の不祥事を受けて,自衛隊の改革に取り組むと言う.組織人事の改革にとどまらず,有事法制度まで掘り下げた行動基準の議論が進むのだろうか.

自衛隊の車両,船,飛行機などは,単に輸送機器としての側面と軍備としての側面がある.その運行や行使は①一般の法律に従う時②自衛権発動やテロ対策の時(有事の時)③どちらか不明の時,それぞれに行動基準が変わる.

有事立法が過去から話題になるが,依然,断片的(海外活動など),あいまいであると認識している.ましてや現実には③の問題が国内でも起こり得る.

今回の事件で言えば,正体不明(自国・他国限らず)のテロリストからの攻撃を受けたとしよう.最先端のイージス艦なら狙われる事は容易に想像できる.ましてや,今回の事件で簡単にイージス艦に衝突される事が立証された.さてこの時,一般と同じ法律で対応するのか,有事の法律で対応するのか.

②③の行動基準を決めずに,自衛隊はけしからん,と非難する政治家が多い事が気がかりである.

暴言を吐けば,交通事故は自衛隊だって起こる.犯罪も起こる.自衛隊も,そんな事で,わざわざ大臣や総理に逐次連絡を入れるとは思ってもいない,のではないか.政治家は,そのことを問題にする以上に,②③の問題を真剣に考えるべきだと思うのだが.その議論の中で交通事故の対応も定義づけられる筈である.

’こんな交通事故への対応のまずさで国を守れるのか’と叫ぶ前に,国を守る方法を示さなければ,行動も決まらなければ,抑止も防衛機能も発揮できない.憲法の解釈論の曖昧さが,そのまま自衛隊の行動の曖昧さにつながっている感じがする.

これでは膨大な防衛省予算(年間5兆円)は無駄だという事になる.1400億かけたイージス艦が事故後仕事をしていなくとも,誰も気にしないのは,防衛予算も同じではないかとさえ思う.

長い間,日米安保条約の下で,憲法や有事法がはっきりしない防衛という保険に,国民は保険料を払い続けてきた感じがする.幸い有事が起こっていないから,この問題が露呈しないが,本来なら,しっかりした保険にすべきなのである.これなら万一に備えた保険料(税金投入)は意味がある.

このように,交通事故で垣間見た自衛隊のあり方の議論より,もっと本質的な防衛行動の法整備の議論が必要だと思う.これをやると,憲法問題で大議論になったり,きな臭くなり,やっぱり思考停止状態になるのだろうか.

交通事故程度の対応策(海上保安庁との役割問題とか,情報開示の問題とか,連絡方法とか,事故防止策とか)が身の丈の議論だとすると,自衛隊など持つ資格がないのかも知れない.保険料も高すぎる.

いや,有事の行動を曖昧にしておいた方が,中身のない保険になってしまうが,有事がエスカレート(有事の拡大)しなくて済むかもしれない,などと高度な,自虐的な,発想が頭をよぎる.(そんな国はないと思うが)

こんな状態では,ひたすら有事が起こらない事を只々願うだけである.起こったとしても,交通事故程度であって欲しい.

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