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2008.04.21

136 天引文化を考える

給料から所得税,住民税,厚生年金,失業保険,健康保険,などが天引きで徴収される.集める方からすると,コストをかけずに(企業がコストを負担)取りっぱずれがない,支払う個人の方も,手間いらずで,何もせずに済む.

この源泉徴収制度は世界に冠たる仕組みである.この源泉徴収精神・便利さは,年金にも及ぶ.税金,後期高齢者保険,介護保険の天引きである.

結構づくめの源泉徴収制度に死角はないだろうか.いくつか考えてみた.

・個人は制度の中身に疎くなって行く(ブラックボックス化)
・総額で高い・低いとの評価しかできなくなる
・政治・行政への丸投げ意識が強くなる
・制度の複雑化に抵抗感がなくなって行く
・徴収項目が増えるほど複雑になるほど利便性が増す

・制度に詳しい人が限られてくる
・支払者は税や社会保険の使われ方に甘くなる
・政治家・役人は自由に公金を使いやすくなる
・住民税の会社への通知で確定申告内容(個人情報)が伝わる
・税・保険料の支払が一方的に優先される
・徴収機関としての企業の位置づけが企業負担を強いる
・起業を阻害し,倒産で複雑になる

確定申告をしている人から見れば,サラリーマンは社会人として自律していないと見える.無党派も多い.この源泉徴収制度,天引き文化が原因かもしれない.

源泉徴収を廃止したら,手間が大変だ,取りっぱぐれが多発する,と,まず反論が起こる.しかし上記の逆が起こると思う.制度は単純化に向かい,何よりも社会・制度への参加意識は高まり,税や社会保険料の使われ方がシビアになり,政治意識も大きく変わると思う,国民が目覚める事を嫌う役人,政治家には,いやな事だと思うが.

確か欧米では,源泉徴収の考え方がないと聞く.収入を得る事と収入の中から,税や社会保険料を払う事は別次元だと考えるからである.会計原則から見ても相殺は許されていない.税金は個人が直接払う事を前提にシステムが出来ている.従って社会への参画意識も高くなり,制度も単純になっていると思われる.

現在の日本の源泉徴収・天引き文化が制度・システムの単純化を阻害している感じもする.特に公平性や巧みな課税で制度が複雑になり,国民が理解できない制度になっても,天引きするから問題なし,となっていないか.

これでは,ますます官僚国家の色彩を強めながら,結局,官僚すら制度やシステムがわからなくなり,政策も作れなくなる.複雑な制度が自滅に繋がる危険性を秘めているのである.

そこで,源泉徴収するにしても,まず,源泉徴収・天引き文化を前提にしない制度設計を行うべきである.当然,制度や運営の単純化が必須になる.そこで,公平性追及と複雑化との葛藤が起こるが,例外的な不公平への処置が残っても,本筋は単純化の方向に向かうべきだと思う.

その上で,個人の支払い方法の多様化に対応すべきなのである.お上文化と連動している感じの天引き文化から脱しなければ,民主国家はできないと思うのである.源泉徴収,天引文化に紛れ込んで複雑な制度が作られたり,国民の理解を遠ざける事であってはならないと思う.

繰り返すが,社会コストを国民から召し上げる律令国家の考え方ではなく,国民が社会に参加する民主国家の考え方に変えていくべきだと思う.利便性を理由に国民を盲目にし,金を巻き上げる文化・制度はなくしていかねばならない.民主主義の上に利便性が存在する事を忘れてはならない.欧米の考え方に学ぶべき事は多い.

’制度の簡素化’と’国民の参加意識の向上’さらには'民主政治の推進’その上で’徴収の簡素化’は,これからの日本にとって極めて重要なテーマだと思う.

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2008.04.12

135 供述調書引用本の大問題

報道・出版・表現あるいは言論,宗教等の自由は人間にとって極めて重要な権利であり,そのもとで行われる営利活動も自由な社会を作る社会的機能を担っているのだと思う.一方,この自由な権利がプライバシー,風評,公序良俗,著作物等に被害ををもたらしてはならない事は自明である.

奈良県の医師宅放火事件で逮捕された少年の供述調書を引用した本の出版をめぐり,調書を漏洩した精神科医が秘密漏示罪で逮捕・起訴された.一方,嫌疑不十分で不起訴となった出版社,著者について,出版社は第三者委員会を発足し,取材や出版の経緯について調査報告書を発表した.

新聞報道によれば,発表内容は,秘密漏示罪,無断引用,プライバシー,取材源隠匿,の意識が薄く,営業優先で出版倫理の重大な瑕疵があったと批判した.

小生の感想としては,言論界の割に言葉使いが間違っていると思う.これは,瑕疵ではなく,出版倫理ではなく意識が薄いのではなく,犯罪を覚悟して出版したと言うべきである.身内意識があるのか,嫌疑不十分で不起訴になっているからか,甘すぎる指摘の様に感じる.

供述調書を引用すれば,取材源は簡単に特定するし,供述調書は秘密書類であることは自明である.無断引用やプライバシー侵害も出版業界の人なら,一番気にする事である.決して,意識の薄さや瑕疵の問題ではない.罪を犯す覚悟がなければ,本は出来ないのである.それ程までして,本を出したかったのではないか.

出版の自由を盾にすれば,不問に出来る,営業優先に出来ると,マスコミ特有の体質,特権意識,おごり,が働いていた可能性もある.第三者委員会は自浄努力のアリバイ作りだった感じもする.素人でも感じる疑義を言論の専門家は誤魔化してはならない.専門家ほど恣意的に動いてはならない.

そもそも,検察が出版社・著者を嫌疑不十分としたのは不可解である.報道・出版の内容が違法に取得した物であっても,出版社は善意の第三者として出版出来るのだろうか.秘密内容を無断で写真に撮り,本を書いた著者に秘密情報の窃盗,無断引用,著作権侵害,プライバシー侵害などの罪はないのだろうか.

取材側がよく言う取材源隠匿の厳守は,取材源の保護だけではなく,違法取得を隠す為なのだろうか.取材源に秘密漏示罪が確定しても,出版社が嫌疑不十分であれば,本は流通し続けるのだろうか.自主回収する意志はあるのだろうか.検察は取材源に厳しく,言論界に弱いのだろうか.あるいは,言論界を抑制する為に,取材源を締める意図が働いているのだろうか.

何かすっきりしない供述書引用本事件である.自由は義務と背合わせである.義務のない自由は許してはならない.言論界も検察も義務に対して甘い感じがする.秘密にしたい情報を他人が勝手にネットに流すなようなネット社会を防ぐ為にも,業界も検察も厳しく義務の重要さを社会に発信すべきなのである.

今回の事件で出版社側の罪が問われないとすると,ネット社会では何でもありになってしまう事を識者は想像しているのだろうか.ネット社会は報道・出版とかマスコミと大衆個人とに区別がない.マスコミ特有の悪しき体質をネット社会にまん延させてはならないし,マスコミ業界は今以上に,義務に対しては厳しくあらねばならないのである.

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