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2008.05.16

139 大災害こそ国威の発揮を(北京オリンピックを前にして)

5月2日,ミヤンマーの巨大なサイクロン,5月12日,中国四川省の大地震によって,未曽有の自然災害が連続して発生した.それぞれの被害規模は日増しに明らかになってきているが,四川では10万人規模の死亡,千万人規模の被災者,千の学校・数百万規模の家屋倒壊,道路・病院などの社会インフラの全滅,ミヤンマーでも様相が見えてこないが,10万人規模の死亡,が予想される.日本では想像もできない規模である.

数千万人の国が丸ごと被災地になったようなものである.もう立ち上がれない程の絶望感と悲惨な惨状,悲劇が全世界を震撼させた.

ちなみに記憶にある近年の災害は,1964年(東京オリンピックの年)の新潟地震は死者26人,1976年の中国唐山地震は死者24万人(文化大革命中で実態不明),1993年北海道南西沖地震・津波は死者230名,1995年の阪神淡路大地震は死者6434人,2004年の新潟中越地震は死者68人,2004年から2007年のスマトラ沖大地震・津波は20万人規模の死亡,などである.

今回のミヤンマー,中国の災害によって,防疫問題,被災者の救済問題,社会インフラ・住宅等の復興問題,生活物資・食糧問題など,苦難な道が待ち構えている.自然の脅威を改めて人類に示す事態となったのである.被災国はもちろん,世界が力を出し合って,この惨事に立ち向かう必要がある.

一方,中国は3ヶ月後に北京オリンピックを控えている.国威発揮の一大イベントとして,中国は取り組んできた.中国の経済発展も牽引して来た.世界の経済もこれに連動して来た.今回の巨大災害によって,中国は難しい局面を迎えたと思う.ミヤンマーも新たな憲法が国民投票によって決められる直前であった.

私の頭をかすめる事は,オリンピックの中止,もしくは,やるとしても運営の変更である.中国が言いづらければ,IOCが助言してもよい.多数の選手団を送り込む国も考える必要がある.巨大な選手村も見直す必要がある.海外からの観戦者も同様である.

あるいは,何も無かった様に,オリンピックに熱狂するのだろうか.オリンピック後中国は'つわものどもの夢の後’になるのだろうか.

緊急を要する災害復旧に全力をつくす事が真の国威発揮ではないか.オリンピックで国威を発揮する事より大事ではないか.災害を乗り越えてオリンピックを,と言うほど災害は小さくない.むしろ,この中止の英断が中国に対する世界の評価を高くするのではないか,中国の国民はどのように思っているのだろうか,ミヤンマーも軍事政権が世界から非難されている中で,諸外国の協力も得ながら,災害復旧に国威を発揮すべきではないか,と思うのである.

歴史的には,どの国もナショナリズムと連動して,国威発揮に努めてきた.軍事による国威発揮は現在でもある.オリンピックの開催国も参加国のメダル争いも国威発揮の場になっている.日本の歴史にも飛鳥・奈良時代の唐の脅威に対する都や仏閣の建立,明治維新の鹿鳴館外交,富国強兵,たび重ねた戦争,東京オリンピックなどがあった.

過去に災害復旧は内向きに処理する事はあっても,陽に国威を発揮する場になる事はなかったと思うが,地球環境問題がクローズアップしている現在,自然災害対策や災害復旧が,もっともふさわしい国威の発揮の場になるのではないかと思う.

さらに,安全保障のテーマが軍事問題から自然環境問題に,軍事費が自然環境費に,軍事産業が自然環境産業に,軍事の集団安全保障が自然の集団安全保障に,シフトすれば,人類にとって極めて有益な活動になる.

特に,自然には国境がなく,近隣諸国同士での自然の安全保障体制作りは地球温暖化対策を含めて大事だと思う.自然情報・予報情報の共有,防災技術・対策の共有,生活物資の確保,災害復旧部隊の編成,などいくらでもテーマがある.

洞爺湖サミットで温暖化ガス削減目標や削減の仕組みの議論の前に,’人類の平和の為に軍事対策から自然災害対策へ’と日本が世界に発信してもよい.今回の大災害の人類へのシグナルを見逃してはならない.

自然の脅威を前にすれば,人為的な戦争,軍事防衛などで争っている場合ではないと誰でもが実感する.どの国も,自然の脅威と軍事の脅威に対応出来るほど財力はない.これはこれ,あれはあれ,とさばけるものではない.

今回の巨大な自然災害がきっかけとなって,人間同士の争いが,いかにむなしい事で無駄であるかを実感すれば,人類にとって不幸中の幸いになると思うのだが.

こんな思いから,国威発揮の転換,国際政治の転換,北京オリンピックが中止されたら,世界の賛同が得られると思う.人類にとって意義深いオリンピックイヤー,洞爺湖サミットになる.

自然災害は忘れたころにやってくる,ではなく,災害,復旧の大きさから,被災者は忘れる事はできないし,地球規模で見れば,常に自然災害が発生し,頻度も増えている感じがする.文明の発達とともにリスクも被害も復旧も大きくなる.人類の大きな宿命である.

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