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2008.05.31

141 哲学の道から琵琶湖疎水・京都を見る

京都岡崎から南禅寺,永観堂,哲学の道,界隈を散策しながら,琵琶湖疎水に思いを巡らしてみた.

琵琶湖の水が流出する川は唯一,湖南端にある瀬田川である.瀬田川は宇治川となり,山崎の地で木津川,桂川と合流し淀川となり,大阪に流れる.

宇治川が京都に接近した所に伏見がある.京都と大阪を結ぶ地として,秀吉が直江兼継(上杉藩)らに命じて,伏見城,大名屋敷,城下町を建立した.秀吉は間もなく,この伏見城で亡くなるが,伏見は水運の港として,酒造などの商業都市として発展した.幕末,竜馬が襲われた寺田屋は,この伏見港にある.伏見は幕末の内乱で時々登場する所である.

一方,日本の動脈,東海道は,大津から東山を超えて三条に至る大津街道が難所である.京都は東・西・北を山で囲まれた内陸部の盆地で四神思想に適した地形であり,当然,交通は不便である.飛鳥,藤原,奈良,京都と続いた内陸部の都の特徴である.平清盛が海洋国家を目指した事もうなずけるのである.

明治維新による遷都,廃仏毀釈によって,京都は衰退すると心配した人達によって,明治中期に,一大京都活性化事業が進められた.岡崎地区を中心に,京都博覧会の開催,平安神宮・岡崎公園・美術館・別荘庭園群,等の建立,そしてメインとなる琵琶湖疏水事業である.

この琵琶湖疎水は,琵琶湖の水を大津から山科経由で東山を突き抜け,三条(岡崎)に引き込む水路である.かくて琵琶湖の水の流出口は二つになった事になる.

この琵琶湖疏水事業の意義について,いくつか思いを巡らして見た.

①京都の飲料水の確保(疫病対策)
②水運ルートによる大津街道の輸送力向上(内陸部の都の欠点対策)
③水力発電の導入と路面電車の運行(電力の事業化)

山間部に水路を作るという土木技術の革新(国土開発の先鞭)
⑤南禅寺界隈の別荘庭園群の建設(政財界による伝統文化の継承)

まず①の飲料水の確保であるが,そもそも鴨川,桂川,白川,豊富な地下水があり,その必要性に疑問が残る.これに対し,水量が極めて不安定だとする説が一般的である.

一方,京都の長い歴史で,たびたび起こる疫病の原因が水にあると思われていた節がある.この事が疎水を必要とした本当の理由ではないか.人口や墓が多かったせいだろうか,そこで飲料水を琵琶湖に求めたのではないか.公家の葵祭りや庶民の祇園祭りは,厄除けの祭りであり,疫病は古来より,京都の大問題だったのである.

現在でも北大路の北,高野川に近い松ヶ崎浄水場に琵琶湖の水が引き込まれ,飲料水として使われている.まさに,わが国の水道事業が京都から始まったのである.現在も琵琶湖は京都の水ガメにもなっているのである.

次ぎに②は京都の中心三条につながる東海道の最後の難所,大津街道に水運を作り,輸送力の向上を計った.さらに,京都から宇治川の伏見に至る水運ルートを作る事で,大津・京都・大阪を水運で結ぶ事を計画した.元来,大津街道は北陸,東海,滋賀と京都を結ぶ重要な街道であったのである.

しかし,大津街道の水運は東海道鉄道線の発達で,長く続かなかった.ただ,インクライン(水路のトンネル部で船を陸で運ぶ路線)等,水運の開発経験は,運河の技術として残ったと思う.

③の水力発電であるが,何も疎水でなくても,他の河川で可能だったと思うが,疏水の多目的利水として計画され,電力を京都博覧会の大きな目玉として計画されたと思う.これによって,発電技術の輸入,電力事業者や路面電車事業者を生み,京都及び日本の近代化に大きく貢献したのである.

④の日本の土木技術の革新に,この疏水事業は大きく貢献したと思う.山科から東山を横断する山間部の難工事は,その後の日本の土木工法を作り上げたと思う.又,鴨川や白川の流れとは逆に,北に向かってゆっくり流れる哲学の道の疎水は土木工事の精度の高さを今にも伝えている.琵琶湖疎水を指揮した設計技師・田辺朔朗はその後,多くの人材を育成したと言う.

そして,明治後期以降の全国の鉄道建設事業,新潟の大河津分水事業,上越線の清水トンネル事業,全国の治水・利水・土地改良事業,ダム建設事業等,日本の大事業に琵琶湖疏水の経験・技術が波及して行ったと思われるのである.

最後に,⑤の別荘庭園群は当時の政財界の発案によって,東山山麓の南禅寺界隈に,疎水を利用して作られた.東京の洋館などの西洋化に対して,茶の湯,庭園,日本建築などの伝統的日本文化を継承したい,とのねらいである.数千坪のいくつかの別荘,別邸が,当主を変えながら今も生き続けている.

これは余禄であるが,琵琶湖の水が東山界隈の庭園に引き込まれた事によって,今や琵琶湖では絶滅種になった生物が庭園の池に生息していると言う.琵琶湖の生態までも継承した事になる.

桜並木のトンネルをゆっくり流れる疎水に目をやりながら,琵琶湖疎水と我が国の近代化,国土開発の歴史,あるいは,今日の京都に思いをはせたのである.私なりの哲学の道の散策であった.

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2008.05.20

140 行財政の集権と分権

統治機構のあり方として地方分権論がよく話題にあがる.しかし,機能分担,税財政,選挙制度,地域間格差調整,など体系的な議論は聞こえてこない.

単に中央集権の権力や無駄はけしからん,自由に使える金を地方に渡せ,と言う,相変わらずの中央官庁と地方行政の金の分取り合戦や利権の綱引き,に終始している感じもする.

その中で,分権派の多くは地域の事情で税金を使いたいとの主張である.国の予算で美術館や図書館を作る金があるなら地方の介護施設や病院あるいは従事者の手当に回したいと言った願である.縦割り行政の弊害に対する分権論である.

一方,国や地方は借金まみれの中で,そんなに分権というなら,自己責任で地方で好きにやってくれ,と中央官庁の開き直りも見え隠れする.従って,安易に分権されたら,地方はやっていけない,と困惑する地方の気配もある.

ここで,冷静に国家統治の仕組みとしての集権と分権の問題を考えるべきである.

明治維新以来,日本の近代化を急ぐ為に,中央集権国家を作り上げた.戦後の復興を加速する為に田中角栄は道路や住宅の公団を作り,中央集権で列島改造,日本経済,国民生活を牽引した.このように,それぞれ明確な考えがあったと思う.

資産バブル崩壊で,日本を支えてきた政治・行政・経済・産業構造の脆弱性,既得権が露呈した.資産バブル崩壊対策で莫大な公共投資(600兆ほど)をするも'失われた10年'となった.結局その後,合理性,効率性を軸に構造改革,不良資産処理,低金利政策を取り,なんとか経済をた立て直したのである.

しかしながら,900兆に膨らんだ借金財政はさらに,少子高齢化,年金・介護・医療対策,自然環境対策,防災対策などで,ますます逼迫度を増しているのである.

そもそも,国家の統治機構は,平和で好景気なら,小さな政府,自主自立,自己責任,自由主義,地方分権,等が起こる.一方,国家の危機,大不況期なら,大きな政府,集団主義,中央集権,混合経済と考えるのが自然である.

現実は,経済復興,高度成長の経験のまま,資産価値がバブル状態になっても,途上国の発展とグローバル化が進んでいても,右肩上がり前提の感覚と制度仕組み,巨大な官業,政官財の護送船団,産業構造,等を温存したまま,資産価値の暴落,巨大な借金残高に直面し,国の根底を揺るがす事になったのである.

結局,破綻するまで,構造改革に着手しなかったのである.まさに,ゆで蛙のたとえ通りの事が政治・行政・産業・企業で起こったのである.

80年代の米国不況期にBPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)旋風が起こったが日本では,バブル崩壊の90年代初頭,このBPRが叫ばれたが,この着手に10年以上の年月を要したのである.

国家の状況や課題によって,集権と分権,規制と緩和,官と民のバランスを取るべきところであるが,上述のように,,ひとたび取得した権力は,固定化し,保守的な政策が破綻するまで引きずるのである.

そこで,改めて,ゆで蛙にならない為に,’パイの拡大とパイの分配’について,しっかりとした論議と方針作りが必要だと思う.

・財政危機であればこそ,集権が必要ではないか.
・集権の無駄,利権問題は集権の中で解決出来ないのか
・分権で国力は低下しないか
・分権で財政問題が解決に向かうのか

・分権で無駄,不効率がなくなるのか
・地域間で有効性と平等性を調整できるのか
・パイの分配方法は国家の状況によって集権・分権の調整が必要では

など根本的な議論が必要である.

情報システムは国の統治方式と同じ様に,開発と処理の仕方について,集中・分散の議論をする.その時の思考方法は,まず徹底した集中方式を考える.集中が効率的だからである.そこで,集中で説明ができない事が出てきた時,初めて分散を考える.この思考手順によって,全体の開発方式,処理方式を決めるのである.

私見によれば,この思考手順と同じように,パイの拡大と分配について,中央集権の在り方を徹底して詰める必要があると思う.もちろん不要な機構,制度は廃止である.この上で,分権論を議論した方が良いと思う.

実はパイの分配については,集権であっても分権であっても,国全体として,社会福祉・文教財源は平等性を,経済対策や研究開発財源は有効性を,災害対策は想定被害規模でといった予算配分の考え方が必要である.分権で交付金を拡大するにしても,交付金一本ではなく,分野毎に,地域毎に査定し,分野毎の地域間調整が必要だと感じる.

又,経済対策など有効性が他地域と比べて低ければ,交付されない事(地域の切り捨て論)も許容する覚悟が必要である.単純に割り算するような平等主義の無駄を許容するほど財源はないし,経済環境の良い所に人口や社会資本を集積し,国全体の効率・活力・税収を上げなければならないのである.せめて,政令市に人口や社会資本を集積して行く国家100年の計が必要だと思う.

こんな壮大な行政の改革が本当にできるのか,はなはだ悲観的になるが,単なる財源と利権の取り合い,道州制の線引き,が集権・分権の議論ではないのである.

行財政改革は明治維新の廃藩置県に匹敵する改革であるが,高度情報社会にふさわしい行政システムと新たな国家の仕組み作り,都市国家作りを目指したいものである.

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2008.05.16

139 大災害こそ国威の発揮を(北京オリンピックを前にして)

5月2日,ミヤンマーの巨大なサイクロン,5月12日,中国四川省の大地震によって,未曽有の自然災害が連続して発生した.それぞれの被害規模は日増しに明らかになってきているが,四川では10万人規模の死亡,千万人規模の被災者,千の学校・数百万規模の家屋倒壊,道路・病院などの社会インフラの全滅,ミヤンマーでも様相が見えてこないが,10万人規模の死亡,が予想される.日本では想像もできない規模である.

数千万人の国が丸ごと被災地になったようなものである.もう立ち上がれない程の絶望感と悲惨な惨状,悲劇が全世界を震撼させた.

ちなみに記憶にある近年の災害は,1964年(東京オリンピックの年)の新潟地震は死者26人,1976年の中国唐山地震は死者24万人(文化大革命中で実態不明),1993年北海道南西沖地震・津波は死者230名,1995年の阪神淡路大地震は死者6434人,2004年の新潟中越地震は死者68人,2004年から2007年のスマトラ沖大地震・津波は20万人規模の死亡,などである.

今回のミヤンマー,中国の災害によって,防疫問題,被災者の救済問題,社会インフラ・住宅等の復興問題,生活物資・食糧問題など,苦難な道が待ち構えている.自然の脅威を改めて人類に示す事態となったのである.被災国はもちろん,世界が力を出し合って,この惨事に立ち向かう必要がある.

一方,中国は3ヶ月後に北京オリンピックを控えている.国威発揮の一大イベントとして,中国は取り組んできた.中国の経済発展も牽引して来た.世界の経済もこれに連動して来た.今回の巨大災害によって,中国は難しい局面を迎えたと思う.ミヤンマーも新たな憲法が国民投票によって決められる直前であった.

私の頭をかすめる事は,オリンピックの中止,もしくは,やるとしても運営の変更である.中国が言いづらければ,IOCが助言してもよい.多数の選手団を送り込む国も考える必要がある.巨大な選手村も見直す必要がある.海外からの観戦者も同様である.

あるいは,何も無かった様に,オリンピックに熱狂するのだろうか.オリンピック後中国は'つわものどもの夢の後’になるのだろうか.

緊急を要する災害復旧に全力をつくす事が真の国威発揮ではないか.オリンピックで国威を発揮する事より大事ではないか.災害を乗り越えてオリンピックを,と言うほど災害は小さくない.むしろ,この中止の英断が中国に対する世界の評価を高くするのではないか,中国の国民はどのように思っているのだろうか,ミヤンマーも軍事政権が世界から非難されている中で,諸外国の協力も得ながら,災害復旧に国威を発揮すべきではないか,と思うのである.

歴史的には,どの国もナショナリズムと連動して,国威発揮に努めてきた.軍事による国威発揮は現在でもある.オリンピックの開催国も参加国のメダル争いも国威発揮の場になっている.日本の歴史にも飛鳥・奈良時代の唐の脅威に対する都や仏閣の建立,明治維新の鹿鳴館外交,富国強兵,たび重ねた戦争,東京オリンピックなどがあった.

過去に災害復旧は内向きに処理する事はあっても,陽に国威を発揮する場になる事はなかったと思うが,地球環境問題がクローズアップしている現在,自然災害対策や災害復旧が,もっともふさわしい国威の発揮の場になるのではないかと思う.

さらに,安全保障のテーマが軍事問題から自然環境問題に,軍事費が自然環境費に,軍事産業が自然環境産業に,軍事の集団安全保障が自然の集団安全保障に,シフトすれば,人類にとって極めて有益な活動になる.

特に,自然には国境がなく,近隣諸国同士での自然の安全保障体制作りは地球温暖化対策を含めて大事だと思う.自然情報・予報情報の共有,防災技術・対策の共有,生活物資の確保,災害復旧部隊の編成,などいくらでもテーマがある.

洞爺湖サミットで温暖化ガス削減目標や削減の仕組みの議論の前に,’人類の平和の為に軍事対策から自然災害対策へ’と日本が世界に発信してもよい.今回の大災害の人類へのシグナルを見逃してはならない.

自然の脅威を前にすれば,人為的な戦争,軍事防衛などで争っている場合ではないと誰でもが実感する.どの国も,自然の脅威と軍事の脅威に対応出来るほど財力はない.これはこれ,あれはあれ,とさばけるものではない.

今回の巨大な自然災害がきっかけとなって,人間同士の争いが,いかにむなしい事で無駄であるかを実感すれば,人類にとって不幸中の幸いになると思うのだが.

こんな思いから,国威発揮の転換,国際政治の転換,北京オリンピックが中止されたら,世界の賛同が得られると思う.人類にとって意義深いオリンピックイヤー,洞爺湖サミットになる.

自然災害は忘れたころにやってくる,ではなく,災害,復旧の大きさから,被災者は忘れる事はできないし,地球規模で見れば,常に自然災害が発生し,頻度も増えている感じがする.文明の発達とともにリスクも被害も復旧も大きくなる.人類の大きな宿命である.

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2008.05.15

138 組織論理の危うさ

真実や正論から,明らかに,かけ離れている組織の論理・主張が散見される.

組織論理の危うさは,組織,立場の保身や既得権の確保が露骨に働き,それに都合の良い論理が作られる事である.政治・行政・企業の組織に付きまとう危うさである.立場によって言う事が変わる人が多いが,それぞれに組織論理が存在している証拠である.勿論,真実や正論がそのまま組織の論理になる事もあるが,少ないように思う.

道路問題で言えば,道路建築の必要性から公共事業があるのではなく,公共事業をやりたい組織(土木建築業界,地域経済界,政治家)があって,論理が作られる様なケースである.

財政危機の中で利権や政党支持を得る為に,10年間の財源を確保したいと言う本音を隠して道路計画を作ったなら,きわめて危うい組織の論理である.それが見え隠れする,苦しい国会答弁で国民の反感を招いたが,そうであるならば,この法案を国会に出した,空気を読めない政治家’’危うい組織論理を言う政治家’は責任を取るべきである.

組織の主張として,道路予算を確保したいなら,景気対策で工事が欲しい,土木建築雇用人口を維持したい,選挙対策で必要だ,膨大な官僚組織と出先機関及び天下り機構の維持が必要だ,と率直に言うか(言うわけがないが),真剣に道路の必要性とコストを説得するか,である.

本音を隠して,公共事業の効果をでっち上げ,正論のごとく主張し予算を確保した事は過去にたびたびあったと思う.900兆の借金の中に多くあると思う,しかし,財政難で,しかも,やるべき事が山積みしている現在,このようなことは,断じて許してはならない.

このような事は,国民の金を嘘を言って奪う詐欺行為.民主主義の空洞化,あるいは,民主主義という市場で政官財がインサイダー取引をするようなものである.これでは国会は私利私欲を正当化する機関になってしまう.

政治において,国家国民の視点で組織の論理がぶつかり合って当然である.その意味で各省庁間で税金の取り合いは健全である.但し,組織の論理の中に組織の利権・保身を隠していたら大問題なのである.

一方,この危うさは世間の常識とかけ離れているかで,見抜ける.例えば,独立行政法人改革で,世間の常識とかけ離れているにもかかわらず真面目にその存在理由を言う法人に,組織論理の危うさを感じ,唖然とする事がある.心底そう思っているのか,組織の論理で,.おかしいと思いつつ.言っているのか心配になる.

又.天下り先の独立法人に,仕送り目的を隠して,適当な仕事をでっち上げて発注する事は,背任,公金横領(空発注もしくは過剰発注)のはずだが,発注の正当性を主張する組織の論理に官僚はむなしさを感じないのだろうか.

経験・能力を生かして,転出先で仕事をするのであれば,最後まで出向扱いにすべきである.渡りで厚遇と何回も退職金を貰う,うまみはなくなるが

さらに言えば,先の戦争で.勝てると主張した軍部という組織の論理より,勝てるはずがないと言う,田舎で農作業をしている老婆の感覚が正しかった.これなどは,最悪の組織の論理の危うさである.

このように,政党,政治家,役人,外郭団体,あるいは企業の存在価値は’組織の論理の危うさ’の濃度で判断できる.

坂道を上から見れば下り坂,下から見れば上り坂,地球規模で見れば平坦である.立場によって主張があってもよい.政治問題で言えば,国家の繁栄に向かって,国民の立場,業界や企業の立場,税財政の立場,人道的立場,あるいは効率性の立場,などで諸説があってもよい.

ただ立場を隠れ蓑にして,組織の利権・保身の立場で作られる危うい論理は排除しなければならない.大幅増税論が出始めたが,その中に危うい組織の論理が紛れ込んでいないだろうか.その濃度をウオッチしたい.

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2008.05.05

137 後期高齢(75歳)の意味

後期高齢者(75歳以上の高齢者)医療制度がもめている.発案の原点は財政赤字対策である.もっと源流をたどれば,900兆の借金の重さがある(年25兆の償還).借金を増やせない中で,国家としては,国民に流れた900兆の資産をいかに取り戻すかが財政赤字対策の根幹である.

日本の経済は900兆の借金の上で成り立っている上げ底経済である.投資の効果で返金するなら健全であるが,効果の出ていない無駄な公共事業の借金返済は国民経済を疲弊させていく.900兆の内,これがどれくらいあるのかが,真の財政問題なのである.

さて,この構造の中で,'なぜ75歳か’について,誰も指摘していない理由(私見)を述べたい.

年金の給付は75歳で累計払込保険料と累計給付額がほぼ一致する.75歳以降は年金資産は持ち出しになる.又,定年退職者の組合健康保険加入者は75歳までには国民健康保険に移管される.本人に先駆けて75歳以上の扶養家族は組合健康保険から脱会することになる.この様に75歳は制度的に国家負担が大きくなる切れ目の年代なのである.

医療費が増える理由で75歳の設定は弱い.上記の様に既存の制度から75歳が設定されていると思う.900兆の借金,高齢化を前提にしていない現制度の限界を少しでも埋める為に,現制度をいじらずに,後期高齢者を切り出し,新たな財源にしたのである.医療保険の危機対策で生まれた介護保険も同じ手法である.

抜本的議論に結論が出ないまま,75歳以上の扶養家族から保険料を取ろう,年金から取ろう,(年金財源の一部を医療財源に流用しよう)と単純に発想した感じである.

元来,医療財源問題は少子高齢化が進む中で,900兆借金問題,経済成長問題,年金・介護問題,安全保障問題,災害対策問題,などと関係した問題である.省庁を超えたグランドデザインなしには方向を打ち出せない問題である.

財源領域を新たに切り出して,現制度の穴埋めをする官僚的視点では済まない問題である.どんな新たな切り出しをしてみても,負担は国民だ゙からである.

そもそも,社会負担が増加すれば社会主義化に向う.社会主義に向かうと個人・法人の自由度や経済活力が疲弊する.ますます年金・医療・介護の財源がなくなる.この’経済活力と負担増’’パイの拡大とパイの分配’をどのように両立させるか,日本が抱えた大きな難問である.財政難の中で,徹底した無駄の排除,活力の向上を目的にした小さな政府論,構造改革論は一つの方向であったが,現在曖昧である.

日本は年金・医療・介護の社会保障問題だけではなく,安全保障問題,憲法改正問題,財政赤字問題,政治・行政問題など,思い切った議論と決断が必要になっていると思う.先送りするほど,問題が肥大化する.選択肢もほとんどなくなる.

何とか’世界から憧れるジパング像’を描きたいものである.魑魅魍魎,権力闘争,利権・地位確保,直面の選挙対策,地元への公共事業誘致に走る政治家が小さく見える.

日本が抱えたいくつかの問題にグランドデザインはおろか泥縄の対応すらも的確に出来ないとすると,すでに,国民・政治家の意識,能力を超えた問題になっているのかもしれない.

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