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2008.08.10

145 北京五輪開会式の感想

国の威信を懸けた北京オリンピックが.8月8日開幕した.5月12日の数千万人の被災者,数万人の死亡者を出した四川省の大地震に際し,オリンピックの中止もしくは自粛した運営を願ったが(当ブログ139国威の発揮),悲惨な現実を覆い隠すように,国威発揮一点に集中した,全体主義国家ならではの,空前絶後のオリンピックオープニングショーが漆黒の夜空の中で繰り広げられた.

スケールの大きさに,度肝を抜かれたが,私なりの感想を述べたい.

①開会式アトラクションショー

運動会でもそうだが,開会式は,昼間行われ,参加各国の選手が一同に会し,開会の式典を行う事が原点であるが,最近では開会式が演出しやすい夜間に移り,開会式アトラクションに工夫を凝らす様になった.又,大会全体としては,オリンピックの巨大化,財政負担の増大から,五輪の商業化,既存施設の活用が主流となっている.

一方,今回は,国威発揮とばかりに,数兆円をかけた国家事業としてオリンピックが位置づけられ,開会式に於いても,国家による巨大なショーを繰り広げたのである.漆黒の夜空に9万人収容の鳥の巣スタジアムが煌々と浮かび上がり,そのスタジアムで照明,映像,花火,音響,を屈指したショーが繰り広げられた.

その内容は中国で発明された紙,印刷,羅針盤,火薬を歴史絵巻仕立てで表現し,中国5千年の歴史,中華人民の優秀さを鼓舞したのであった.近年にない異例な開会式となった.

テレビ画面からの印象であるが,何か古代王朝の力を鼓舞する,どこかで見たスペタクル映画のシーンを見ている感じであった.又,2000人規模の人海戦術による演出も民を下部とする古代王朝の姿を彷彿させた.

国威発揮などという中世的感性に違和感もあったが,たとえ中華人民を鼓舞したいとしても,未来へのメッセージがなく、ONE WORLD、ONE DREAM のテーマも浮いた感じがした.世界が注目していたのは,急速な経済成長と民主化問題を抱えた巨大国家中国の未来へのメッセージだったはずである. 

いかにも中国らしと言えばそれまでだが,次回のロンドンは国威発揮などと言わないと思うし,オリンピックの原点に回帰した,スポーツの祭典らしい開会式を期待したい.同時に,健全なスポーツ文化,スポーツスピリットの発展を願うのである.

②開会式アトラクションショーのテレビ放送のあり方

テレビを通じて映画を見ているようだと述べたが,こんな事が頭をよぎった.
アトラクションショー等を放送する時,例えば放送局が実況放送する様な場合と,ショーの製作者側が映像を作り,放送各社に配信する場合がある.今回は,何億人と見るテレビの映像であり,国威発揮のイベントであることから,当然,後者のはずだったと思う.

従って,シナリオ,カメラワーク,色彩,照明,すべてがテレビ映像作りの為に行われたはずである.有名な映画監督が指揮した事からも,この事が想像できる.現場のショーを作るだけでなく,テレビ映像を作ることが,製作者の最終的な仕事であったはずである.従って,現場にいた人とテレビを見ていた人では違ったものを見た事になる.

製作者側が映像を作るとなると,ショーの内容を非公開に出来るし,演出も計算通りになる.映像用のシナリオにもとずいて,効果的なカメラワーク,映像の挿入,映像の合成,CGの利用,など考えられる,アクシデント対策も,バックアップ映像を準備し,実時間よりタイムラグを持って放送すれば,例えば,花火がミスや天候で失敗しても,一瞬で正常な映像に差し替えられる.放送局の実況放送なら,失敗した花火を映す事になるが.

タイムラグを持った放送は,スポーツ番組などで,コマーシャルの効果的挿入などにも使えるし,ライブ放送であっても.映画のように映像合成やCG合成しながら演出効果を高めて,魅力的な映像を配信できる.この様な手法は今後増えるかもしれない.

ただリアル映像(実写)だと思っている視聴者をだます事になりかねない.多くのリアル映像も偽装された映像だと疑われる事になる.真実を伝える放送と演出された放送の区別が付きにくくなる.

製作者側の作った映像,放送局が意図を持って作った映像を報道のように放送することは,報道の信頼を失う事につながり,要注意である.今回の開会式ショーも実況放送なのか,演出をした放送なのか明示する必要がある.

従って,テレビ局は食品表示や映画・ドラマと同じように,番組作りの内容を明記する必要がある.番組によっては番組の趣旨を明示する必要もある.このオリンピック開会式ショーの放送で言えば,映像製作者は誰か,映像に実写・合成・CGが使っているか,タイムラグがあるか,などを明記する事になる.

今回のテレビ放送がどの様に行われたか知らないが,開会式のテレビを見て,以上の様な,日頃,懸念している事が頭をよぎったのである.テレビ関係者はどう思っているのだろうか.

③開会式の各国の入場

今回の開会式で一番良かったと思う事は,各国の入場である.昔のように,国威発揮とばかりに,一糸乱れぬ軍隊のような行進をする国がなかった事である.個性豊かに,数人の参加国から千人を超える国まで,200を超える国が,それぞれのスタイルで和気あいあいと行進していた.

そのせいもあって,これ程,世界の多くの国々の存在を認識できた瞬間はなかった.スポーツの祭典にふさわしい,入場であった.

皮肉にも,必至に国威発揮に向けて作り込んだショーとは裏腹に,ライブがかもし出す感動が漂っていたと思う.これこそ開会式のメインイベントであり,オリンピックの真髄だと思う.国威発揮ショーが長すぎて,200国を超える選手入場の途中で,テレビの前で眠った人も多かった思うが,もったいないと思った.又,選手達も,長時間,入場を待ち続けた事も配慮不足の感じがした.

蛇足ながら,エスコートの多くの女性陣が容姿端麗・八頭身美人揃いであった事も雰囲気に花を添えた.国の権力で全国の美人を集めたにせよ,この美人たちの方が,国威発揮ショーより,中国のイメージアップになった感じである.

④中国の民主化

国威発揮に国を挙げて,全力で取り組んだ反動が心配である.いかに装うとも,中国の本質的問題が解決するわけでもないし,問題を覆い隠した反動で,鬱積した問題が噴出するのではないかと懸念するのである.この本質的な問題について触れたい.

中国の本質的問題は,13億人の国の統治と,自由・平等の政治・経済・社会の仕組み,をどのように両立して行くのかである.

人口の多い中国は中央集権国家,全体主義国家でなければ13億人は統治できない,自由・平等など規制しないと国家の運営など,とても出来ないと思っているに違いない.戦後世界の近代政治の波も,共産主義という思想で統治する手法で消えた.文化大革命も時代の流れに逆行した.現在でも、愛国無罪、報道の自由より統治優先と聞く.威信をかけたオリンピックも報道規制があると言う.

自由・平等に対する統治者の恐怖心が思想や権力の統一を強め,結局,国家の近代化を阻害して来たと思う.近年の開放政策と経済成長,ネット社会の到来で,有史以来初めて,自由・平等への風穴が開き始めた感じはするが.

そんな中で,中国国民が世界の人々に触れるオリンピックが,新しい中国への脱皮,民主化の進展を加速すると思いたいのだが,残念ながら,そんなに簡単ではなさそうである.

経済が成長し,国民の生活も向上し,世界との交流も多くなり,民主化機運が高ったとしても,13億人相手の民主的政治制度作りは簡単ではない.

共和国としている現在の体制から,思い切って,国家の分割,あるいは分権国家にしなければ民主化は難しいと考えるからである.13億人は民主的政治体制にとって大き過ぎると思う.(1億の日本ですら中央集権に課題だらけ,2億の米国でも連邦国家である)

この問題に方向性を持たない限り,民主化機運は,行き場を失い,混乱を招くだけになる.混乱を防ぐ為に政治圧力がさらに強化される.結局,一党独裁の中央集権国家,全体主義国家から,ますます脱出できなくなる.せっかく始まった民主化機運も後退する事になる.

ましてや,現体制の素晴らしさをオリンピックが証明した事になれば,一党独裁の現体制は堅持される.こんな懸念を心配するのである.

以上の如く,オリンピック後のむなしさ,多くの鬱積した問題,上記の民主化の問題,さらに.四川省の大地震の惨状もある.北京オリンピックが政治・経済・文化にどのように影響するのか注目したい所である.かつての東京オリンピックは経済成長を,ソウルオリンピックは民主化を加速したのだが.

この様な事が交錯し,手放しで楽しめ,希望の持てる開会式でなかったのである.きっと,中国の賢明な指導者も同じ思いではないかと思う.

以上,国威発揮の為のオリンピック開会式であったと思うが,さて,このオリンピックが一党独裁国家の堅持に働くのか,崩壊に働くのか,オリンピック後の中国国民の民意に注目していきたい.

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