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2008.08.31

148 柔道とJUDOにみる併存文化論

北京オリンピック柔道で日本は惨敗した.世界の力が強くなった事もあるが,

・一本を取る’柔道’がポイントを取る’JUDO’に
・組んで始まる’柔道’がレスリングもどきの’JUDO’に,
・武道としての’柔道’が勝敗を争う’JUDO’に,

柔道の国際化で想像した事であったが,今回’柔道’と’JUDO'がはっきりと別物になったと感じた.

国際化とともに,すでに日本的なものが一枚一枚剥がされている中で,柔道もその一つとして露呈したと感じる.

そんな傾向の中で無差別級で優勝した石井選手は’JUDO'に徹した.前半は徹底的に動き回り相手から消極ポイントを取る,中盤は相手の反撃を交わしながら,体力消耗を待つ,後半は相手の疲労に乗じて動き回り,ポイントを守る.その為に徹底的に体力を鍛えたのである.技を決めに行く柔道は捨てたのである.

結局,武道としての’柔道’と競技としての’JUDO'が併存し,畳の上でガッツポーズをしない'柔道’とガッツポーズをする’JUDO'が併存する事になると思われる.

ところで,日本文化の葛藤は当ブログでも何度か発信しているが,日本文化の根底にある仏教の教えにもかかわっている問題だと感じている.浅学であるが私なりに理解している所をまとめて見た.

人間には煩悩(心を乱し,悩ませる諸悪の根源)があり,これを取り除く事を悟りとした.その為に,仏教は生活すべてにおいて,五感の規制を説き,煩悩を制する事,耐える事,が心の安らぎにつながると教えた.他力本願の思想も生きる苦しさを和らげる知恵であったと思う.決して争いに勝つための教えではく心の持ち方を説いたのである.

その結果,消極的,受動的,謙虚,没個性を良しとする価値観を生み,現在にいたる,日本の文化の基礎を形成している.日本文化は農耕民族の特性だけでなく,宗教の影響が大きいと思う.

先のオリンピックマラソンの優勝者は’日本で耐えることを学んだ’と言ったが,まさに教育現場に仏教の耐える教えが無意識のうちに,浸透している証だと思う.

この様に,仏教の影響が日本的なものを形成してきたわけだが,一方,日本の社会が欧米の合理性に押し切られて行く傾向にあり,仏教の教えによる精神文化も,国際社会や科学技術の発達,経済や民主主義,法社会の進展によって,なじまなくなっている感じもする.

結局,日本の文化は今後,柔道と同じように,日本的なものと,国際的なものとが,併存する形で推移して行くのではないかと思う.文化の並存とは,従来の和魂洋才や和洋折衷と言った足して二で割るような日本独特の文化の受け入れではなく,二面性が併存し,場面によって使い分ける文化である.’融合から並存’の時代に行くと思うのである.

社会の仕組みで言えば,場面に応じて切り分けが必要になるが,競争原理に基づく仕組みと和の精神に基づく仕組みを作ることである.教育においても,この二面性を併存させ,それぞれの指導が求められる.

最も文化の根本になる言語も従来のように,造語,合成語,外来語で対応するのではなく,日本語と英語の併存になる.仏教も古典的な教えに加えて今風の教えが必要になるかもしれない.あるいは寛容な日本ならではの多神教が加速するかもしれない.

ところで言語について,こんな話がある.同じ日本人が日本語で話すと曖昧になり,英語で話すと明確になると言う.言語によって鮮明さが変わるのである.日本でははっきりものを言わない人が,米国では,てきぱきと頼もしく見える事もある.同じ人間でも,言語によって考え,行動,印象が変わる例である.

又,外国人が日本語を話すと日本人が忘れていた感覚を思い出したり,日本人以上に日本人らしさを感じる事もある.日本語は常に相手を配慮する言葉だからである.どの言語でも,それを身につける事は,その文化を無意識であっても,身につける事になる例である.

この事は,元来人間には柔軟な資質があって,使う言語によって,その資質が言語の特質に染まるのではないか,まさに言語は文化そのものだと実感する.だとしたら,日本人は,米国人は,と一意に人間の資質を言う事は間違いと言う事になる.日本語と英語を並存させる理由がここにある.

以上,’柔道’と'JUDO'の例のように,日本は異文化が並存する社会になりそうである.従来の足して二で割る文化や仕組みはもう限界だと思うからである.わかりづらく,活力も損ねる.

この様に考えると,日本にとって21世紀は新たな文化の世紀になる予感がする.世界的に見ても,古代は宗教を作り,中性は芸術を作り,近代は科学を作ってきた.21世紀は世界にとっても新しい文化創造の世紀になるかも知れない.100年後の日本を見てみたい.

以上,柔道の敗戦を通じて,日本的なものの行く末,文化の変貌に思いをはせてみた.

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2008.08.26

147 身長別競技種目の新設

オリンピックの役割の一つにスポーツ振興,競技人口の拡大,があると思うが,この趣旨に沿って,柔道,レスリング,ボクシング等の格闘技,あるいは重量上げ等に体重別を取り入れている.勿論,体重別にしないと試合が成り立たない事もある.

これと同じように,バレー,バスケット,ハンドボール,短距離走,幅跳び,高跳び,短距離競泳,などに身長別があっても良いのではないか,と思う.

上記競技は近年,競争激化の中で,鍛えあげた,背の高い選手ばかりになり,超人の戦いを見る面白さ,驚きはあるが,反面,競技人口の減少,参加国の固定化が進んでいるように思うのである.

体重はコントロールできるが身長は出来ない.上記競技は,背の低い選手が,いくら鍛えても,2メートルを超える俊敏な選手には勝てないのである.従って,無差別はあって良いが,180センチ以下,あるいは170センチ以下の選手で戦う試合があっても良いと思う.通常の身長者の超人振りも見たいものである.何よりも,競技人口の拡大や参加国の増加が期待できる.メダルを取る国も流動的になるはずである.まさにオリンピックの趣旨にかなうのである.

身長差が勝敗を左右する競技について,是非,各競技団体で身長別試合を考えて欲しいのである.特に小柄な人の多いアジアのスポーツ振興には必要だと思う.先ず,国内,アジアから導入してはどうだろうか.

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2008.08.18

146 オリンピック選手の出場交代がない不思議

誰をオリンピック選手にするか,きわめて難しい問題である.選ぶ方も,俗人的判断の割合が多ければ,結果次第ではその判断が非難される.最近,どの競技でも,選考対象試合を設定し,その上で総合判断されるようである.

今回の北京オリンピック女子マラソンで.怪我による野口選手の出場中止と土佐選手の途中放棄が発生した.いずれも突発的な怪我ではない様である.多くのファンは貴重なオリンピックの出場チャンスを生かすべく,’交代選手を出してやれよ’と思った筈である.

ラクビーで言えばノットリリースは反則である.選考後の選手の意識・状態管理や補欠選手の扱いは,どうなっていたのか,きわめて疑問である.

どんな選手も怪我持ちと言う事で,出る出ないは選手の意思に任せられているのだろうか.あるいは,試合日から逆算して,最終確認日を設定し,客観的に,選抜選手,補欠選手の状態チェックと出場選手の最終確認を行っているのだろうか.言い換えれば,補欠選手が準備を続けるか否かのチェックポイントを設定しているのだろうか.

例えば,チェックポイントが3ヶ月前に設定され,選抜選手の状態に問題がなければ,補欠選手の準備は終了する.その後,怪我や病気が発生すれば,選手交代をあきらめる.あるいは,懸念される事があって,選手交代可能日まで,様子を見るのなら,補欠選手を引き続きスタンバイさせる.勿論,補欠選手は任命期間中,選抜選手と同じ処遇をされる.

といった,リスクマネージメントがあったのだろうか.もしあれば,大事な試合を無駄にしなくて済んだのではないかと思う.土佐選手の場合は,本人の意思なのか,周りの意思なのか,わからないが,リスクマネージメントが作動していれば,こんな悲惨な事は避けられたと思うし,補欠選手の出場も可能だったと思う.

いや現実には,一度決めた選手はシガラミが出来て,選手交代など出来ない,よっぽどの事がない限り,突っ込むしかない,と言うことなのだろうか.そんなシガラミに,協会はかかわりたくない,一度決めた以上,後は選手に任せた,と言う事なのだろうか.

しかし,せっかくの大試合を有意義にする為にも,選考試合による出場選手,補欠選手の選定だけではなく.補欠選手の処遇とチェックポイントでの監督・コーチによる最終選考といったリスク対策が必要だと思うのだが.

どんな競技でも選考段階より,はるかに体調や実力が落ちている選手がいるはずである.減量,怪我,病気,調子,モチベーション,心理状態,など原因は多くあると思う.その中で,とても試合など出来ない状態になる事もあると思う.是非,上記のようなリスクマネージメントを実施し,直前の試合放棄,無理な出場による惨敗は避けるべきである.

これから,本格的に競技が始まる.女子マラソンと同じような事態が発生するかもしれない.出場選手のリスクマネージメントがどうなっているのか注力したいと思う.

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2008.08.10

145 北京五輪開会式の感想

国の威信を懸けた北京オリンピックが.8月8日開幕した.5月12日の数千万人の被災者,数万人の死亡者を出した四川省の大地震に際し,オリンピックの中止もしくは自粛した運営を願ったが(当ブログ139国威の発揮),悲惨な現実を覆い隠すように,国威発揮一点に集中した,全体主義国家ならではの,空前絶後のオリンピックオープニングショーが漆黒の夜空の中で繰り広げられた.

スケールの大きさに,度肝を抜かれたが,私なりの感想を述べたい.

①開会式アトラクションショー

運動会でもそうだが,開会式は,昼間行われ,参加各国の選手が一同に会し,開会の式典を行う事が原点であるが,最近では開会式が演出しやすい夜間に移り,開会式アトラクションに工夫を凝らす様になった.又,大会全体としては,オリンピックの巨大化,財政負担の増大から,五輪の商業化,既存施設の活用が主流となっている.

一方,今回は,国威発揮とばかりに,数兆円をかけた国家事業としてオリンピックが位置づけられ,開会式に於いても,国家による巨大なショーを繰り広げたのである.漆黒の夜空に9万人収容の鳥の巣スタジアムが煌々と浮かび上がり,そのスタジアムで照明,映像,花火,音響,を屈指したショーが繰り広げられた.

その内容は中国で発明された紙,印刷,羅針盤,火薬を歴史絵巻仕立てで表現し,中国5千年の歴史,中華人民の優秀さを鼓舞したのであった.近年にない異例な開会式となった.

テレビ画面からの印象であるが,何か古代王朝の力を鼓舞する,どこかで見たスペタクル映画のシーンを見ている感じであった.又,2000人規模の人海戦術による演出も民を下部とする古代王朝の姿を彷彿させた.

国威発揮などという中世的感性に違和感もあったが,たとえ中華人民を鼓舞したいとしても,未来へのメッセージがなく、ONE WORLD、ONE DREAM のテーマも浮いた感じがした.世界が注目していたのは,急速な経済成長と民主化問題を抱えた巨大国家中国の未来へのメッセージだったはずである. 

いかにも中国らしと言えばそれまでだが,次回のロンドンは国威発揮などと言わないと思うし,オリンピックの原点に回帰した,スポーツの祭典らしい開会式を期待したい.同時に,健全なスポーツ文化,スポーツスピリットの発展を願うのである.

②開会式アトラクションショーのテレビ放送のあり方

テレビを通じて映画を見ているようだと述べたが,こんな事が頭をよぎった.
アトラクションショー等を放送する時,例えば放送局が実況放送する様な場合と,ショーの製作者側が映像を作り,放送各社に配信する場合がある.今回は,何億人と見るテレビの映像であり,国威発揮のイベントであることから,当然,後者のはずだったと思う.

従って,シナリオ,カメラワーク,色彩,照明,すべてがテレビ映像作りの為に行われたはずである.有名な映画監督が指揮した事からも,この事が想像できる.現場のショーを作るだけでなく,テレビ映像を作ることが,製作者の最終的な仕事であったはずである.従って,現場にいた人とテレビを見ていた人では違ったものを見た事になる.

製作者側が映像を作るとなると,ショーの内容を非公開に出来るし,演出も計算通りになる.映像用のシナリオにもとずいて,効果的なカメラワーク,映像の挿入,映像の合成,CGの利用,など考えられる,アクシデント対策も,バックアップ映像を準備し,実時間よりタイムラグを持って放送すれば,例えば,花火がミスや天候で失敗しても,一瞬で正常な映像に差し替えられる.放送局の実況放送なら,失敗した花火を映す事になるが.

タイムラグを持った放送は,スポーツ番組などで,コマーシャルの効果的挿入などにも使えるし,ライブ放送であっても.映画のように映像合成やCG合成しながら演出効果を高めて,魅力的な映像を配信できる.この様な手法は今後増えるかもしれない.

ただリアル映像(実写)だと思っている視聴者をだます事になりかねない.多くのリアル映像も偽装された映像だと疑われる事になる.真実を伝える放送と演出された放送の区別が付きにくくなる.

製作者側の作った映像,放送局が意図を持って作った映像を報道のように放送することは,報道の信頼を失う事につながり,要注意である.今回の開会式ショーも実況放送なのか,演出をした放送なのか明示する必要がある.

従って,テレビ局は食品表示や映画・ドラマと同じように,番組作りの内容を明記する必要がある.番組によっては番組の趣旨を明示する必要もある.このオリンピック開会式ショーの放送で言えば,映像製作者は誰か,映像に実写・合成・CGが使っているか,タイムラグがあるか,などを明記する事になる.

今回のテレビ放送がどの様に行われたか知らないが,開会式のテレビを見て,以上の様な,日頃,懸念している事が頭をよぎったのである.テレビ関係者はどう思っているのだろうか.

③開会式の各国の入場

今回の開会式で一番良かったと思う事は,各国の入場である.昔のように,国威発揮とばかりに,一糸乱れぬ軍隊のような行進をする国がなかった事である.個性豊かに,数人の参加国から千人を超える国まで,200を超える国が,それぞれのスタイルで和気あいあいと行進していた.

そのせいもあって,これ程,世界の多くの国々の存在を認識できた瞬間はなかった.スポーツの祭典にふさわしい,入場であった.

皮肉にも,必至に国威発揮に向けて作り込んだショーとは裏腹に,ライブがかもし出す感動が漂っていたと思う.これこそ開会式のメインイベントであり,オリンピックの真髄だと思う.国威発揮ショーが長すぎて,200国を超える選手入場の途中で,テレビの前で眠った人も多かった思うが,もったいないと思った.又,選手達も,長時間,入場を待ち続けた事も配慮不足の感じがした.

蛇足ながら,エスコートの多くの女性陣が容姿端麗・八頭身美人揃いであった事も雰囲気に花を添えた.国の権力で全国の美人を集めたにせよ,この美人たちの方が,国威発揮ショーより,中国のイメージアップになった感じである.

④中国の民主化

国威発揮に国を挙げて,全力で取り組んだ反動が心配である.いかに装うとも,中国の本質的問題が解決するわけでもないし,問題を覆い隠した反動で,鬱積した問題が噴出するのではないかと懸念するのである.この本質的な問題について触れたい.

中国の本質的問題は,13億人の国の統治と,自由・平等の政治・経済・社会の仕組み,をどのように両立して行くのかである.

人口の多い中国は中央集権国家,全体主義国家でなければ13億人は統治できない,自由・平等など規制しないと国家の運営など,とても出来ないと思っているに違いない.戦後世界の近代政治の波も,共産主義という思想で統治する手法で消えた.文化大革命も時代の流れに逆行した.現在でも、愛国無罪、報道の自由より統治優先と聞く.威信をかけたオリンピックも報道規制があると言う.

自由・平等に対する統治者の恐怖心が思想や権力の統一を強め,結局,国家の近代化を阻害して来たと思う.近年の開放政策と経済成長,ネット社会の到来で,有史以来初めて,自由・平等への風穴が開き始めた感じはするが.

そんな中で,中国国民が世界の人々に触れるオリンピックが,新しい中国への脱皮,民主化の進展を加速すると思いたいのだが,残念ながら,そんなに簡単ではなさそうである.

経済が成長し,国民の生活も向上し,世界との交流も多くなり,民主化機運が高ったとしても,13億人相手の民主的政治制度作りは簡単ではない.

共和国としている現在の体制から,思い切って,国家の分割,あるいは分権国家にしなければ民主化は難しいと考えるからである.13億人は民主的政治体制にとって大き過ぎると思う.(1億の日本ですら中央集権に課題だらけ,2億の米国でも連邦国家である)

この問題に方向性を持たない限り,民主化機運は,行き場を失い,混乱を招くだけになる.混乱を防ぐ為に政治圧力がさらに強化される.結局,一党独裁の中央集権国家,全体主義国家から,ますます脱出できなくなる.せっかく始まった民主化機運も後退する事になる.

ましてや,現体制の素晴らしさをオリンピックが証明した事になれば,一党独裁の現体制は堅持される.こんな懸念を心配するのである.

以上の如く,オリンピック後のむなしさ,多くの鬱積した問題,上記の民主化の問題,さらに.四川省の大地震の惨状もある.北京オリンピックが政治・経済・文化にどのように影響するのか注目したい所である.かつての東京オリンピックは経済成長を,ソウルオリンピックは民主化を加速したのだが.

この様な事が交錯し,手放しで楽しめ,希望の持てる開会式でなかったのである.きっと,中国の賢明な指導者も同じ思いではないかと思う.

以上,国威発揮の為のオリンピック開会式であったと思うが,さて,このオリンピックが一党独裁国家の堅持に働くのか,崩壊に働くのか,オリンピック後の中国国民の民意に注目していきたい.

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