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2008.11.26

158 言語表現へのこだわり

そもそも,言葉は暗黙知(経験,知識,概念など)が共有されている時,伝わりやすい.’言葉は文化.’と言われる由縁である.

日本の場合,これらを多くの人で共有し,情緒の文化,思いやりの文化,行間で物を言う文化,阿吽の呼吸,等,日本独特の文化を育ててきたのである.’古池や蛙飛び込む水の音’で静寂な世界を,誰しもが想像できる.欧米人なら,蛙が複数形なら,きっとガチャガチャ賑やかな蛙を想像する.単数形なら,ポチャンで終わるだけである.いずれも,さしたる情感も感じないはずである.

この様に暗黙知は伝える上で便利だが,’言葉は文化’だからと言って,それを前提にし過ぎると,問題が起こる.いくつか上げてみた.

①暗黙知が実態と遊離している問題.

例えば,社外取締役,社外監査役などと’社外’と言う言葉を無意識に使うが,’社外’には他人・よそ者だから客観性があるとの暗黙知があるからである.この暗黙知は内と外を分ける農耕民族の文化,村社会文化,血統主義の文化からきている暗黙知である.

ところが,暗黙知を共有していない人,例えば外国人,にとっては’社外’は言語明瞭意味不明である.’社外’だからと言って,なぜ客観性があると言えるのか理解できないし,現実的にも,利害関係があるかも知れないのである.

そこで改めて,本来の意図を表す言葉を考えると,’社外’より’独立’がふさわしい言葉になる.ちなみに日本ではoutside director,であるが,多民族を前提にした(暗黙知を前提にしない)言い方,例えば,英語ではindependent directorなのである.

形で意味を想像する事が日本語には多い感じがする.これからは,直接意味を表す言葉を使う方が良いと思う.翻訳し安いかどうか,チェックする事も,正しく伝える為には必要だと思う.

他に’外資系企業’,’外人’,等も,よくよく考えてみると,現代では意味不明の言葉になる.’外資’の定義も資本の自由化やファンドの発達で,定義困難である.筆頭株主の国で区別するなら,トヨタやソニーは外資系企業になる.’外人’を国籍で言うのもおかしい.日本国籍の外人はいる.なんとなく,西洋人を指すようである.東洋人を外人とはあまり思わないところがある.

こんな曖昧な言葉でも,日本人同士では,とりわけ違和感を感じない.しかし,これに係わる法律や政策などで,論理を組み立てようとした時,その概念の曖昧さに気づき,改めて定義と妥当する言葉が議論されるのである.

枚挙にいとまがないが,次のような言葉も,日常,使う言葉であるが,そのイメージや意味が,時代によって,曖昧になってきていると思う.

コンサート,演奏会,ライブショー,ミュージシャン,音楽家,アーチスト,芸術家,芸能人,旅行,旅,ツアー,トラベル,エコノミスト,経済学者,政治家,議員,マスコミ,ジャーナリスト,放送,放送事業,専守防衛,集団的自衛,等.

この様に,論理より日本的情緒や当時の理解で概念化された言葉は,ボーダレス化や多様化によって,その概念が現実とかけ離れ,言語明瞭意味不明になってしまうのである.

②無意識に暗黙知が共有されていると思う問題

昔,IBMマニュアルは全世界に普及していた.当然のことながら,中学生程度の英語力で,かつ,暗黙知が共有されていない前提で,言葉,文章が作られていた.

日本では,無意識に暗黙知が共有されていると思いやすく,相手を配慮した伝え方を忘れがちになる.これも弊害である.島国文化の宿命だろうか.

一方,日本人が,日本語で話すより英語で話す方が論旨がはっきりする事が多い.英語を話す娘が日本語で話す時より,はっきりして,たくましく感じたりする.日本語でも通訳を通して話す場合,正しく翻訳されるように論旨をはっきり言わざるを得なくなり,相当の準備が必要になる.

無意識に暗黙知の前提や情緒的な表現が多い日本語で正確な表現をする時,その内容が翻訳し易いか,いなか,を自問し,推敲する事で,思考力も表現内容も正確になるはずである.’社外’の例と同じである.

③日本人らしく,感情優先で分かり合える問題

そこまで言うな,気持ちはわかる,と相手の立場や感情を優先して,曖昧な表現にとどまる事がある,暗黙知・相互信頼の共有が根底にある.これになれると,立論力やコミュニケーション力が発達しない懸念がある.デベート力が弱いのはこのせいではないかと思う.

曖昧さや,玉虫色の表現は時として,激突を避けたり,逃げ道を作ったりする人間の知恵(曖昧の合理性)である.企業で言えば早く,穏便に,契約を結びたい,とややこしい事は別途協議にする事が多い.その分,本質的な問題が議論されずに曖昧のまま爆弾を抱える事になりやすい,

当ブログの’029 1頁と100頁の契約書’でも述べているが,1頁の契約書では,’双方に疑義が生じた時,誠意をもって対応する’で仕事が始まる.100頁の契約書は仕事の内容,想定される疑義の内容・対応,が同意されて,仕事が始まる.

前者は日本であるが,経験知識や信頼を前提にしたり,ややこしいことは発生した時,考える,との玉虫色の契約書である.もちろん,こんな契約文化は海外では通用しない.

さすがに日本でも,玉虫色にするにしても,せめて’誠意をもって対応’とは,どんな内容かを考え,明文化するケースが多くなってきた.今までの感情論から一歩論理に踏み出したのである.

又,サービス業などの企業間取引では,SLA(サービスレベルアグリーメント)という合意が事前になされるようになってきた.支援内容や品質及びトラブル時の対応などを事前に合意する契約である.

明らかに’誠意をもって取り組みます’では通用しない時代,むしろ,明文化によって,経営や業務の仕組みを確立し,人材を育成し,正当な対価を得て,企業力を高める方向に動き始めたのである.感情論だけでは企業力は向上しない例である.

④暗黙知が無いのに,あるように言う問題

このケースは政治家や役人の言い方や政策,あるいは,外来の概念でよく見受ける.意図的に言う場合が多いと思うが,聞く方は言語明瞭意味不明である.政治家や役人が使う言葉は内部では暗黙知があって,明確に伝わるらしいが,国民にとっては暗黙知などはなく,意味不明な事が多い.

例えば,良く使う,前向きに検討する,考えたい,善処したい,等は何もしないとの暗黙知があるらしい.最近の例で言えば,1兆円を地方財源に,道路特定財源の一般財源化,定額給付金,景気対策,など,意味や論理が不明である.

言う方は意味を知った上で,玉虫色の表現をしているのだろうが,本当は意味もわからず言っている事もある.それはどういう事かと注意深く聞く必要がある.

又,外来概念あるいは新しい概念は勿論,暗黙知などはなく,後付で意味や概念が作られる事が多いが,受け売りで,既に暗黙知がある如くに話す人もいる.聞く側が自分なりに理解し,判断する事が大事である.

以上,’言語は文化’に違いないが,正確に伝えるには’言語は論理’である事を,もっと強く意識する必要があると述べてきた.特に論理性が求められる法律や政策はもちろんである.言葉の表現にはもちろん限界があるが,だからといって正確に伝える努力を怠ってはならないと思う.

ちなみに,論理を追求する業務システム設計では,受注とは,受注取り消しとは,受注変更とは,売上とは,値引きとは,原価とは,在庫とは,などなど,企業毎に,言葉の事象を再定義するところから始まる.言葉が表す事象が企業毎に,あるいは企業内でも,結構曖昧だからである.かつて,百貨店の売上の定義で大論争になったケースもある.

まさにシステム設計は’言葉は文化’から’言葉は論理’に再定義する作業であり,これなしに,システムは出来ないのである.論理思考力を高め為にも,言葉には,こだわりたいものである.

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2008.11.24

157 古都の紅葉

京都は今,赤.橙,黄.の紅葉に彩られている.錦秋の古都,まっさかりである.

紅葉は光合成の終わった葉から緑色の色素がなくなって,赤や黄の色素が現れる.葉の紅葉は,温度,湿度,紫外線と関係すると言う.

京都は紅葉に適した気候と多くの神社仏閣にモミジがある事で古くから紅葉の名所になった.京都のお寺にモミジが多いのは,平安時代,一瞬の爛漫の桜より,新緑,紅葉が美しく,静寂さをかもしだす,いろはモミジを好んだからだと言う.

一方,桜は全国各地の河川改修の時,堤防に植えられた.成長が早いからだと言う.今や樹齢を重ねた数キロ続く桜堤が全国に春を告げている.中でも,桜と菜の花が,いっせいに咲き乱れる雪国は春爛漫真っ盛りに成る.雪国の草花も,春野菜も,山菜も,里山の若葉も厳冬を乗り越えた勢いがあって美しい.春を待つ人々の心も,いっせいに,ほころぶ.雪国は晩秋の紅葉より春爛漫がふさわしい.

桜と違って,紅葉は微妙な環境の違いで,その美しさが違ってくる.2,30年前と比べて,京都や奈良の紅葉は美しさがなくなってきた,と言う人が多い.確かに実感することである.温暖化のせいなのだろうか.しかし,毎年紅葉を見ていると,場所によって,変化の度合が違う.

例えば,奈良の紅葉の名所の一つである水谷茶屋(若草山遊歩道の入口にある藁ぶきの茶店を囲むモミジ)の紅葉は年々,南側の大木の葉が生い茂り,モミジに太陽があたりにくくなっている.日陰になったモミジは緑色の葉をつけ続け,太陽の当っている枝先の葉だけが紅葉しているのである.これでは,昔のような,あたり一面の見事な紅葉は望めない.

同じような事が名所で起っているのではないか.紅葉がまばらになるのは,温暖化の影響より,他の木々の成長で日陰になったせいではないのかと思う.もし温暖化の影響なら,全体が影響を受けるはずである.剪定に手が回らないだけの様に思われる.

さて京都の紅葉は盆地を囲むように,東山一帯,西の嵐山・嵯峨野一帯,そして北の大原一帯に分布している.東山でいえば東福寺から北に清水寺,高台寺,円山公園,知恩院,青連院,さらに岡崎に入って南禅寺,永観堂,哲学の道,銀閣寺などがつながる.

西は嵐山の天竜寺,宝厳院,嵯峨野の常寂光寺,二尊院,祇王寺,大覚寺さらに北の清滝,高尾,神護寺などがある.北大路通りの西の衣笠一帯には竜安寺,仁和寺,金閣寺,南に下った花園に妙心寺等もある.

京都の紅葉を楽しむには午前中は朝日が差し込む嵐山・嵯峨野,午後は夕日が当たる東山一帯が良い.夜のライトアップも幻想的である.

今でこそ,京都は紅葉のみならず,歴史,宗教,神社仏閣,建築,美術骨董,庭園,植物,町家,食,織のテーマパークであるが,明治の東京への遷都で,京都は一時荒廃した.

京都御所生まれの明治天皇も憂いたと言う.公家の岩倉具視の働きもあって,公家の跡地に御苑を作り,平安神宮を作り,琵琶湖疎水を作り,発電所を作り,電車を走らせ,京都博覧会を開催するなど,産業や観光の振興が行われたのである.何よりも,3000ある神社仏閣が残り,維持してきた事が今日の京都につながっているのである.

湯豆腐,鱧,京野菜,京料理などの京都商法(歴史も,調度品も,器も,庭園も,雰囲気も,値段のうち)がどこまで通用するか疑問であるが,山の紅葉とは違って,文化の香りを残す京都の紅葉を楽しみながら,歴史に触れられるのも京都の楽しさである.

ところで,最近,京都・奈良を団体でおとづれる中国人,韓国人が多い.ふるさとの香りが自国より,色濃く残っているせいだろうか.だとしたら,中国,韓国,日本の3カ国会議は飛鳥や東大寺で行えばよい.難問も解けて行くかもしれない.

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2008.11.16

156 経済危機で変わる事

90年代の日本の経済危機やその後のグローバル化,途上国の発展は日本の経済成長を支えてきた政治構造・産業構造・精神構造の脆弱性を露呈させた.

’美しい湖の水が引いたら,ヘドロだらけの湖底が露出した’感じである.

この危機に対し,積極的な財政出動(失われた10年で国債残高600兆増)も効果は限定的であったが,金融業界・産業界の再編,リストラクチャリング,自立,横社会への変革,規制緩和,等の質的変化によって,フリー,フラット,グローバルな構造へシフトと,経済活力の回復が始まったのである.

さらに,幸運にも,パソコン,インターネットに代表されるIT革命,その後のデジタル革命が起こり,構造改革や産業の活性化を促す事になったのである.

このIT革命は縦構造のレガシーアーキテクチャーから横構造のオープンアーキテクチャーに切変わるものであり,技術・考え方とも革命に当たる大変化である.今日のITの伸展を見ても明らかである.

この革命は,80年代のアメリカの不況下で生まれた新しいアーキテクチャー・テクノロジーであるが,90年代,本格的に日本に上陸した.日本の社会の変化とITの変化が同じ考え方で同時進行したのである.

この様に,90年代の金融・経済危機は日本に大きな転換を促したと言えるのである.

さて,今回の危機は米国を震源地として世界規模で起こった.その影響も長期化の様相になってきた.日本においても,需要の減少,株・ドル等金融資産の暴落,資産運用の赤字化,相対的な円高,信用の収縮,が起こり,日本経済に大きなダメージを与える事になったのである.

米国はじめダメージの大きい国では,不良資産の買取,資本注入,資金融資,など負の連鎖を断ち切ろうと必死である.国際的にも,これを後押しする事になる.今後の為に金融商品の膨張への監視・規制も検討されると思う.

この危機を通じて,どの様な社会変化が日本に起こるだろうか.

反省すべき事が特に日本にはないとして,只ひたすら,景気回復を忍耐強く持つしかないのだろうか.苦しさから,融資の拡大や景気対策の公共事業を拡大するのだろうか.だとしたら,国の借金が1000兆を超えるのも時間の問題となる.

国際化した金融システムの脆弱性に対する是正が論議されると思うが,90年代の様な日本の社会の質的な変化は起こらないかもしれない.しかし,今後の経済の景色が変わると思う.いくつか上げてみた.

①米国の政治力,経済力の下落
②アジア経済圏へのシフト
ローン・借金による需要拡大の減速
④リベラル政治の台頭(パイの拡大よりパイの分配を重視)
⑤国家財政の逼迫,行政コスト削減,増税

等,かならずしも,経済成長が図られる環境・風景ではないと思う.’消費は美徳’ではなく,’節約は美徳,浪費は悪’の価値観に変化していくと思う.この戦前のような日本の価値観に国も企業も転換せざるを得なくなる.従って,経済全体が縮小し,商品・サービスともに,消費の必然性があるものが生き残る.

消費大国・ローン大国・米国の価値感が変われば,世界が一気に縮小均衡に向う.途上国の発展も減速する.内需拡大と言っても,この価値観ではあまり期待できなくなる.もし拡大しても,かなりの部分,輸入を増やすことになり,国内経済の波及効果は少ない事になる.

そんな風景の中で,経済を引っ張る分野は,願望も含めて言えば,

⑥資源(食料・水・エネルギー・素材)革命

である.社会の根幹である資源に大変化が起こるのではないかと思う.

まず食料は’,国産国消’の方向に向かう.農作物や水産物の貿易拡大は世界の生産の寡占化を進め,天然資源,食文化を崩壊させて来た.

余談だが,日本の家庭の食器の種類,数は世界一多いと言う.日本食,洋食,中華,を食べ,個人ごとに盛り付けるからである.さしづめ,米国でも,フランスでも,中国でも,イタリアでも,世界の料理を家庭で作る事もしなければ,料理の器も大皿と取り皿だけである.

食料の自給率が低いのは,日本の輸入文化や工業製品の輸出と関係していると思うが,日本食に回帰する事で農業・漁業が改革され,地域活性化につながる.この食料の国産国消は消費者がリード出来るのである.

さらに,経済の牽引は

海水を真水に変えるプラントで世界の砂漠を緑化し,水道を普及させる事,
・太陽エネルギーを発電や車に活用する事,
・新素材の開発と切り替え需要を起こす事,

等が予想される.いずれも日本の得意分野である.

これによって,経済の安定化,政治の安定化,自然環境の安定化,さらに,有限資源からの開放が可能になる.

こんな世界を創出して行く事が資源の無い日本のテーマだと思う.日本の資源コストを低減させ,地域活性化にもつながると思うのである.

国の政策としても,金をばら撒くだけの,知恵の無い景気対策では経済危機からは脱出できないし,夢も希望も湧いてこないのである.社会福祉の充実は直接的には税の配分によるが,長期的には価値あるパイの拡大以外あり得ないのである.

90年代以降,IT革命,その後のデジタル革命が起こった様に,今度は資源革命が経済危機をバネに加速するのではないかと思う.また,そうありたいのである.

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