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2009.01.07

161 労働問題への私見

売上不振で製造業の派遣労働者が多数,派遣切りに合い,社会問題化している.派遣切りした企業がけしからん,そもそも製造業向けに派遣労働を許可した法律も間違っている,等の非難が上がっている.

又,人間を物としか扱っていない,非正規社員は人事部ではなく購買部で扱っている,などの避難も上がっている.

はたしてこの批判だけで解決するのだろうか.自分なりに考えてみた.

そもそも企業が他社に仕事を依頼する場合,請負契約,委任契約,派遣契約がある.それ以外に,本人との直接契約(パート,アルバイト,等の契約)がある.

この中で,派遣契約は企業の求人に基づいて派遣会社が要員を確保し,受け入れ企業の管理責任で仕事を行う契約である.派遣は専門特化した要員の派遣から日雇い要員まで,いろいろな分野がある.

派遣要員は派遣会社の社員の場合もあるが,ほとんどの場合,派遣募集で集めた者である(派遣会社の登録社員).この場合,派遣事業は,まさに手配師的事業になる.

この派遣労働制度は,企業・個人のニーズに基づいており,そのマッチングの役割を派遣会社が担っている,反面,派遣労働者は身分が不安定で,不況になれば,まっさ先に雇用調整の対象になる.

勿論,企業の状態によっては,外注も切られ,正社員も雇用調整の対象になる.いくら雇用維持といっても,仕事がなくなれば,失業者は発生するのである.

だとすると,派遣切りをした企業が悪い,製造業への派遣制度が悪い,と批判するだけは雇用問題は解決しない.そこで,次のような事を検討すべきだと思う.

まず,派遣会社の社員ではない登録社員の場合(登録型派遣).

雇用調整がある前提で,派遣先の臨時社員,契約社員,あるいは準社員として扱う.受け入れた企業は,もともと管理責任があるわけであり,社会保障制度(健保,年金,雇用保険など)や社内制度,組合にも乗りやすくする.当然,給料は受け入れ企業が直接,本人に支払う.

雇用調整のしやすさと言う企業のニーズを残して,雇用機会の幅を維持しつつ,待遇の改善,諸制度の適用を実現する方法である.

派遣会社の社員が派遣労働者となる場合.

派遣契約の解除は請負,委任などの外注契約の解除と同じ扱いとなる.

要するに,派遣制度を派遣会社の社員に限定する.社員ではない人は受け入れ企業と直接契約する.従って,派遣会社は社員による派遣事業と派遣労働者の募集・紹介事業になる.この考え方で思考シミュレーションしてみてはどうだろうか.

派遣会社の社員が増えるか,受け入れ企業の契約社員が増えるか,あるいは,派遣会社が紹介収入はあるものの,ピンハネ収入が減って,事業者が激減するか,どうだろうか.

ちなみに,ワークシェアリングは一人当たりの作業時間と賃金を落として,首切りを回避したり,常時の雇用数を増やそうとする方法であるが,不況程度によっては雇用調整はなくならない.又,パートの様な作業形態で仕事ができるか,短時間・低賃金で雇用が維持されるか,という問題もある.

一方,雇用問題は必ずしも楽観できない.少子化傾向にあるとは言え,国内外の競争の下で,科学技術の発達で労働集約,単純労働は減少したり,事業の興廃も起こる,

ネットワークや物流の発達で流通チャネルも短縮している.省力化も常に進む.かくて,多くの労働力を吸収する企業・産業は少なくなる.ましてや,他国に出稼ぎする風土もない.

従って,失業者を減らす為にも労働者の技量の向上や自前の商売立ち上げが必要である.商売立ち上げに少額でも融資制度があれば有効である.

イタリアで職人や総菜小売店が多いが,個性豊かな小さな商売が多くある社会も有効な姿である.すでに始まっているが,大量生産大量販売に対する消費者志向の変化も必要である.

同時に,一次産業,サービス産業,なども含めて,経済と雇用を支える産業の創出や弱者の雇用対策,救済対策を国家として考えなければならないと思う.但し,雇用促進名目で介護等の福祉への労働力確保は注意が必要である,厚遇前提で性格,知識,技量,人間力を落としてはならない.福祉人材育成の教育機関の充実がまず必要だと思う.

ところで,いつも雇用問題というと,終身雇用,不況時の過剰人員の保有など日本的経営を是とする論調が起こる.簡単にレイオフする米国型経営への批判である.各企業の考え方もあるが,マクロで言えば,どちらが社会にとって良いかは単純ではない.

日本型,米国型の比較は社会保障の企業負担の問題,企業の生産性・活力・競争力の問題,人材はストックかフローかの問題,労働力の固定化,・流動化の問題,社会全体の活力・産業形成の問題,倒産,失業率,格差の問題,国の社会保障のあり方,など考えなければならない.

古来,終身雇用が失業率を下げているように見えるが右肩上がりの経済成長期であった側面がある.これからの変化の時代では許容されなくなったり,倒産による,大量失業者が出るかもしれないのである.
又,企業の社会保障コストや福利コストを軽くする方が税収を増やし,社会保障がよくなり,正規・非正規格差をなくす事になるかもしれないのである.

米国経営は過剰人員をレイオフし企業力を維持しつつ,社会全体としては,労働力の流動化を進める形である.しかし,失業率は確実に高くなる.反面,それが個人・企業の活力の源泉になっている側面もある.労働市場の創出,社会保障制度の充実が強く求められる事にもなる.

私見によれば,医療・介護・年金の制度の検討は必要だが,日本的経営か米国的経営かは,企業毎の考え方,労働者の考え方,で良いと思う.国で決める問題ではないし,日本的経営が企業力,競争力ひいては国の経済発展に望ましいと言う確証もないのである.米国型経営も同じである.

又,東欧にあるような高負担高福祉の考え方もある.簡単に言えば,個人で失業や病気や老後の心配をしなくて済む制度である.従って貯金や保険が不要な社会である.税は国への貯金・保険料なのである.雇用契約もフルタイムとパートタイムの2形態あり,変更も可能である.さらに複数企業で働く事もできる.社会保障制度は一つである.勿論,日本のように正規社員,非正規社員と言う区別は無い.家族手当や扶養控除の考え方もない.但し失業率が高くなり,社会保障費も青天井になったり,国力が衰退する危険性もある.

これを日本で実現する為には,社会保障の考え方,労働法,企業の人事制度など多くの検討が必要である.何よりも,個人生活や仕事に対する考え方も変化が求められる.

ところで,制度とは別に,欧米では宗教が個人個人を下支えしていると思う.国民のボランティア精神も根底にある感じがする.これに比して,日本は宗教界の下支えが少ない感じがする.檀家の村社会風土が残っているからだろうか.

どうやら日本は,悪いことが起こったらどうするか,という視点が弱い感じがする.耐震偽装問題,不良建築問題,薬害問題,医療問題,年金・介護・医療保険問題,安全保障問題,自然災害問題,環境破壊問題,など,泥縄の対応やこれからの難題も多い.

文明の発達,経済の発達で,リスクは幾何級数的に増大するが,悪いことは考えたくない,考えたら何もできなくなる,と避けては通れない時代に来たと思う.

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