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2009.01.29

164 私の景気の見方

科学技術や経済が発達すると,万が一のリスクは幾何級数的に大きくなる.今回の世界的経済危機もそうであるが,大きなリスクほど,単純な原理で現実化する.単純であるがゆえに,防止が難しいとも言える.

日本の資産バブル崩壊は

資金融資と不動産価格がキャッチボールする形で増幅し,担保価値の上昇がさらに借金による需要を押し上げた.これが’バブル経済’の構造である.

しかし,不動産価格が限りなく上昇し続けるわけがない.資金供給の抑制気配で一気に,このバブル経済は崩壊.そして担保割れの膨大な債権債務が残ったのである.日本独特の土地神話が崩れた出来事であった.

アメリカ発の今回の金融・経済危機は

借金(ローン)で物を買う文化が定着している中で,ローンを証券化した金融商品を世界に販売.その販売資金で,さらにローン貸出を増やす.このローン貸出の拡大で需要を維持し世界の経済・貿易を牽引した.これが世界の金を集めて需要を起す’ローン経済’の構図である.

しかし,ローンの証券化,ローン貸出競争が低所得層にまで及び,不良債権が増加.世界に不良な金融商品がばらまかれ,ドル・金融資産の暴落,信用収縮(融資の縮少),需要・貿易の激減.と言う負の連鎖が世界を駆け巡った.アメリカ独特のローン社会,金融社会が崩れた出来事であった.

方や不動産価格,方やローン(金融商品)と,お国柄の特徴・神話が裏目に出た不況である.共通している事は

’価格・債務額の上昇なくして好景気なし’しかし’価格・債務額の上昇は暴落まで続く’

と言う経済原理が働いた事である.まさに’山高ければ谷深し’である.一方,山を低くして谷を浅くする事が,果たして人間が出来る事なのか,議論を呼ぶ大きなテーマである.

ところで,日本はもちろん米国も,家計,企業,国の長期債務残高はすでにGDPの数倍ある.(米国での家計の借金残高は14兆ドルだという.GDPは13兆ドル,日本の家計の借金残高は未調査だが,政府の借金残高はGDPの1.5倍).

従って,現在の実態経済はこの長期債務の上で営まれていると言わざるを得ない.現金を貯めて投資や購買をする現金ベースではなく,将来の収入を先取りして投資や購買をする借金(信用)ベースで需要を生んでいるのである.

今回の金融・経済危機は債務残高(信用)が危険水域を超えたからだと認識せざるを得ないのである.(景気と長期債務残高推移の関係は検証の価値あり)

従って,私見によれば,景気動向は長期債務残高の推移で占なう事が出来ると思う.

だとすると,今後,財政破綻をしない程度に企業・個人が債務の増加に転じるかどうかが景気回復の決め手になると思う.公共投資の波及効果もこれでわかる.勿論,国の財政がその前に破綻しない事が大前提である.

そんなわけで,今後の景気動向は次のように思う.

当面,不良金融商品・債権の償却が優先し,長期債務残高は減少傾向になると思う.さらに世の中の不安や物への価値観の変化を考えると,長期債務残高が増加に転ずるのは残高が底をつくまで長期間かかると思う.だとすると,需要の増加は限りなく先になる感じがする.

現実問題として所得の中間層の人達は,これから,耐久消費財,車,大型家電,住宅,などのローンを組むだろうか,来年から消費税が10%になるなら今年,思い切ってローンを組むだろうか.あるいは10%になってもローンは組むだろうか,ローンを組めないなら景気回復は困難となる.

厳しい予想通りだとすると,せめてローンを組みやすくする景気刺激策も必要だと思う.

例えば経済効果の大きい住宅建築についていえば,技術革新やローンの改革が必要である.ローンの改革は現在の住宅控除の他にローンの2世代化,消費税免除,利息の公費負担はどうだろうか.同様な発想で車ローンの税控除,消費税免除なども考えられる.

要するに需要回復には時間がかかるが長期的なマクロ政策と短期的には上記のように,不良化の危険性を低くして,借金で大型物件を買いやすくする施策が有効だと思う.

やっぱり返済負担や将来の不安があって,手が出ない,と思うなら,景気回復は絶望的である.結果,経済規模が縮小し,国家財政も福祉も雇用も株価も,所得も,瀕死状態になる.今後とも動向に注力して行きたいと思う.

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2009.01.20

163 原点を探る(音楽・絵画・オバマ新大統領)

私の音楽や絵画の好み,原点について紹介したい.同時に本日誕生するオバマ新大統領の政治の原点にも触れたい.

私の音楽の好みは昔からプレスリー時代で止まっている.ビートルズ以降はほとんど興味がなかった.1940年代,50年代,60年代の,いわゆるスタンダードナンバー,スイングジャズが好きであった.若い時,シャワーのように米国の音楽を浴びたせいかもしれない.

ここ10年は,それらの音楽のベースになったカントリー,ブルースに趣向が移った,最近では,その中でも,ゴスベル系に惹かれている.

言うまでもなく,ゴスベルはヨーロッパ系白人の賛美歌を離れて,アフリカ系黒人で歌われた霊歌,ソール音楽である.このゴスベルがその後,カントリー,ブルーグラス,ブルース,R&B,ロックンロール,デキシーランドジャズ等のベースになり,白人の世界にも広がって行ったのである.

例えば,よく知られる’When the Saints Go Marching In’’Just a Closer Walk with Thee’は葬儀で歌われる黒人霊歌である.埋葬前は静かに,埋葬後は明るく演奏される.名曲であるだけに,カントリー,ブルーグラス,デキシーランドジャズ,などにアレンジされ,葬儀とは無関係に演奏されるている.他の多くのゴスベルも,いろいろなジャンルでカバーされているのである.

あのプレスリーの中に,これらの変遷が見える.彼は黒人のR&Bと白人のカントリーを融合して新しいロックを誕生させたが,多くのゴスベル,R&B,カントリーも歌っている.少年期に教会で培ったゴスベルが彼の音楽の土台になっていたのだと思う,彼に孤独感,さみしさ,生真面目さを感じる瞬間があるが,それ故,彼のゴスベルに違和感はない.又,彼のロックが,ほとんど3コードである事も,その影響の大きさが感じられる.

と言う事で,好きな音楽を聞いている内に,自分の好きな音楽が無意識に,源流を逆登って原点に向かっている事に気づく.その原点には,簡単ではあるがハートがあったり,好きなアコーステックギターがあったり,奏法や音楽理論の原点(3コード,2ビート,12小節)があったり,勿論,演奏のしやすさもある.こんな事が,源流に向かわせるのかも知れない.

次に,私の絵画の好みは多くの日本人と同じく印象派の絵である.その後の近代絵画は独自性を追求する余り,共感を覚えることは少ないと感じている.

ところで,西洋絵画の歴史はイタリアのビザンチン,ゴシック,ルネッサンス,オランダ・スペインのバロック,フランスのロココ,フランス革命後の印象派と流れてきた.教会,貴族,実業家,とパトロンの変遷で明らかである.モチーフや絵のサイズもこれに影響されて来た.

写真の登場とともにモチーフ,表現方法を一変させたのが印象絵画である.パトロンの依頼ではなく,画家自身の表現力で描くようになった事が大きいと思う.

私の好きな画家は印象派のセザンヌ,モネ,ルノワール,モリゾなどであるが,彼らに影響を与えたバロックのルーベンス,レンブラント,フェルメール,ロココのブーシェ,フラゴナール,ラツール等も良い.

ルノワールがルネッサンスのラファエロに大きな影響を受けたと言う.改めて,ラファエロの絵を見ると,ダビンチ,ミケランジェロにはない現代風の画風である.小磯良平の絵にもラファエロの面影があるように思う.

印象派の絵画はモチーフが身近な風景であったり,人物である.しかも,色彩も豊かで,自由な感情表現がされている.それまでの宗教画,貴族の肖像画,戦争画とは大きく変わったのである.映像や画像が発達した現在ならばこそ,ますます,彼らの絵が際立つのである.

音楽も絵画も古くから宗教とともに歩んできたが,ゴスベルや印象派を現在の原点と感じるのは,個人の意志や感情表現が主流になった事,表現手法も現在まで受け継がれ,生きている事である.現代と断絶した過去の古典芸術ではないと思うからである.

まさに原点とは’継承なくして創造なし''創造なくして継承なし'と成長・変化して行っても,その面影や技法は残る.そのような原点が日本文化にあるだろうか.極めて少ないと思う,ほとんどが,衰退し,古典になっている感じがするのである.

ところで,本日,オバマ米大統領が誕生する.ワシントンはじめ国中がお祭り騒ぎだと言う.どんなスピーチになるのか,リンカーンやケネディの様な歴史に残る名演説を期待する人も多いが,興味ある所である.

私から見ると,オバマはアフリカ系黒人のせいもあるが,コスベル風表現者に見える.YES WE CAN. WE ARE ONE, CHANGE,等いかにも簡単で,スピリチュアルではあるが自身のリアリティもある.ゴスペルの歌詞そのものである.

彼の演説も朗々とリズムがある.彼に限らず,人の心を揺さぶる演説は子供の頃からゴスベルで培われているからではないかと思うのである.

金融・経済危機やテロとの戦いの中で,米国民は建国の精神,ゴスベルの文化,国民の希望をオバマに見たのだと思う.

そんなわけで,本日の大統領就任演説は,きっと,過去の苦難の道を振り返りながら,現在直面する問題に対し,希望と決意を,ゴスベルを歌う様に宣言すると思う.深夜まで起きていられるか分からないが,歴史的な彼のゴスベルに注目したい.

ところで,趣味の世界でゴスベルや印象派を原点と考えるのは個人レベルの考えで済むが,我が国の建国の精神,国民が立ち返るべき原点は何かと自問すると,にわかには出てこない.幸せな事なのか不幸な事なのかも悩む.日本の歴史,欧米文化,日本文化が頭を駆け巡るのである.

米国は米国料理,フランスはフランス料理,イタリアはイタリア料理,ロシアはロシア料理,中国は中華料理,韓国は韓国料理しか食わない.日本は全部食べる.結果,家庭にある食器の数,調味料や食材の種類は世界一だと言う.何を食べるか,いつも悩む如くである.

それどころか,やっぱり日本人だと,日本食を食べたいと思っても,食材が高かったり,売っていなかったり,作るのに手間が掛かったり,とにかく原点は遠く,消えそうなのである.

音楽でも絵画でも,もっと言えば,文化でも,価値観でも,政治でも,日本の古典はあっても,現在に流れる源流・原点はない,と思うのは私だけだろうか.

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2009.01.10

162 財政出動への懸念

当ブログで度々財政出動の問題を発信してきた.言うまでもなく,財政出動(公共事業)は消費需要,民間企業の設備投資とともに,当面の需要や雇用を支える側面と将来の生活や経済に役立てる側面がある.ケインズ理論はこの両方の効果を説いたのである.

経済危機対策で,この公共事業が拡大する.箱物行政批判,財政悪化で抑圧されて来た積極財政論者が,久し振りに元気になってきた.

この論者は積極財政出動が改革より先だと言う.'経済成長なくして改革なし'と言う論者である.90年代と同じ主張を繰り返している.しかし,好景気の時でも財政出動を減らすべきだ,改革すべきだ,とは言わない人たちである.古参議員に多い気がする.

要するに経済の好不況に関係なく,いつも工事が欲しいと言う本心を隠して,将来の必要性,効果をでっちあげて来た人達である.役立っていない道路,港湾,空港,土地造成,巨額の借金,公共事業経済等を作ってきた多くの実績(箱物行政)がこれを証明している.

まさにケインズ理論を傘に工事という飯を食ってきただけ,と言えるのである.本来の公共事業の目的が公共事業経済を維持する為に変わって来たのである.結果.,地域振興の大儀は,いつも達成されず,工事が減ったから地域は苦しいと,工事を要求し続け,そのツケを将来にまわして来たのである.

その人達から,90年代の事業評価や膨大な借金への所見は聞こえてこない.救済事業,先行投資の区別も見えない.ましてや,国家戦略としての先行投資ビジョンも全く聞こえてこない.

今や,火をつければ経済が燃え盛る復興経済時代ではないし,そんなに経済規模は小さくない.そんな打ち出の小槌もないし,理論もない,成功実績もない.エゴも,無駄も景気対策の内と言うなら,予算は青天井となり,国家の財政破綻,超インフレを招くだけである.

しかし,今回の米国の新ニューデール政策も,我が意を得たりと,得意満面である.彼らが無用の箱物と巨額の借金を生んだ事など,まったく意に返さないのである.自分は生きていないから,将来はどうでも良いのかもしれない.

このような人たちが集まって,意味ある財政出動に向けた選択と集中,国家財政の維持が出来るのだろうか.空虚なピカピカの箱物が全国に散在し,本当に必要な事業に金が回らない風景はもう見たくないのである.経済不況対策が箱物行政に戻ったら,明日の日本はない.

各省庁縦割りの予算の積み上げにメスを入れられるのは,国会議員しかいないのだが本当に大丈夫だろうか.是非,公共事業のコンセプト,評価を厳密にすべきである.救済効果,先行投資効果を明示すべきである.ごまかしで予算をとれば,横領・詐欺である.国会を通たったとしても,免責にはならない.

NO159経済危機対策でも述べているが,公平,人道を軸にした救済事業と経済波及効果を軸とした公共投資とを識別して,メリハリを付けた対策が必要である.特に公共事業は当面の需要・雇用の救済的色彩を持つ事業(公共消費)と,上記の公共投資に分けて論議すべきである.

経済危機対策で,使える金が増えたとばかりに,過去の例のように,ルーズな,公共事業(投資ではなく公共消費)になれば,膨大な借金で国は滅びる.

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2009.01.07

161 労働問題への私見

売上不振で製造業の派遣労働者が多数,派遣切りに合い,社会問題化している.派遣切りした企業がけしからん,そもそも製造業向けに派遣労働を許可した法律も間違っている,等の非難が上がっている.

又,人間を物としか扱っていない,非正規社員は人事部ではなく購買部で扱っている,などの避難も上がっている.

はたしてこの批判だけで解決するのだろうか.自分なりに考えてみた.

そもそも企業が他社に仕事を依頼する場合,請負契約,委任契約,派遣契約がある.それ以外に,本人との直接契約(パート,アルバイト,等の契約)がある.

この中で,派遣契約は企業の求人に基づいて派遣会社が要員を確保し,受け入れ企業の管理責任で仕事を行う契約である.派遣は専門特化した要員の派遣から日雇い要員まで,いろいろな分野がある.

派遣要員は派遣会社の社員の場合もあるが,ほとんどの場合,派遣募集で集めた者である(派遣会社の登録社員).この場合,派遣事業は,まさに手配師的事業になる.

この派遣労働制度は,企業・個人のニーズに基づいており,そのマッチングの役割を派遣会社が担っている,反面,派遣労働者は身分が不安定で,不況になれば,まっさ先に雇用調整の対象になる.

勿論,企業の状態によっては,外注も切られ,正社員も雇用調整の対象になる.いくら雇用維持といっても,仕事がなくなれば,失業者は発生するのである.

だとすると,派遣切りをした企業が悪い,製造業への派遣制度が悪い,と批判するだけは雇用問題は解決しない.そこで,次のような事を検討すべきだと思う.

まず,派遣会社の社員ではない登録社員の場合(登録型派遣).

雇用調整がある前提で,派遣先の臨時社員,契約社員,あるいは準社員として扱う.受け入れた企業は,もともと管理責任があるわけであり,社会保障制度(健保,年金,雇用保険など)や社内制度,組合にも乗りやすくする.当然,給料は受け入れ企業が直接,本人に支払う.

雇用調整のしやすさと言う企業のニーズを残して,雇用機会の幅を維持しつつ,待遇の改善,諸制度の適用を実現する方法である.

派遣会社の社員が派遣労働者となる場合.

派遣契約の解除は請負,委任などの外注契約の解除と同じ扱いとなる.

要するに,派遣制度を派遣会社の社員に限定する.社員ではない人は受け入れ企業と直接契約する.従って,派遣会社は社員による派遣事業と派遣労働者の募集・紹介事業になる.この考え方で思考シミュレーションしてみてはどうだろうか.

派遣会社の社員が増えるか,受け入れ企業の契約社員が増えるか,あるいは,派遣会社が紹介収入はあるものの,ピンハネ収入が減って,事業者が激減するか,どうだろうか.

ちなみに,ワークシェアリングは一人当たりの作業時間と賃金を落として,首切りを回避したり,常時の雇用数を増やそうとする方法であるが,不況程度によっては雇用調整はなくならない.又,パートの様な作業形態で仕事ができるか,短時間・低賃金で雇用が維持されるか,という問題もある.

一方,雇用問題は必ずしも楽観できない.少子化傾向にあるとは言え,国内外の競争の下で,科学技術の発達で労働集約,単純労働は減少したり,事業の興廃も起こる,

ネットワークや物流の発達で流通チャネルも短縮している.省力化も常に進む.かくて,多くの労働力を吸収する企業・産業は少なくなる.ましてや,他国に出稼ぎする風土もない.

従って,失業者を減らす為にも労働者の技量の向上や自前の商売立ち上げが必要である.商売立ち上げに少額でも融資制度があれば有効である.

イタリアで職人や総菜小売店が多いが,個性豊かな小さな商売が多くある社会も有効な姿である.すでに始まっているが,大量生産大量販売に対する消費者志向の変化も必要である.

同時に,一次産業,サービス産業,なども含めて,経済と雇用を支える産業の創出や弱者の雇用対策,救済対策を国家として考えなければならないと思う.但し,雇用促進名目で介護等の福祉への労働力確保は注意が必要である,厚遇前提で性格,知識,技量,人間力を落としてはならない.福祉人材育成の教育機関の充実がまず必要だと思う.

ところで,いつも雇用問題というと,終身雇用,不況時の過剰人員の保有など日本的経営を是とする論調が起こる.簡単にレイオフする米国型経営への批判である.各企業の考え方もあるが,マクロで言えば,どちらが社会にとって良いかは単純ではない.

日本型,米国型の比較は社会保障の企業負担の問題,企業の生産性・活力・競争力の問題,人材はストックかフローかの問題,労働力の固定化,・流動化の問題,社会全体の活力・産業形成の問題,倒産,失業率,格差の問題,国の社会保障のあり方,など考えなければならない.

古来,終身雇用が失業率を下げているように見えるが右肩上がりの経済成長期であった側面がある.これからの変化の時代では許容されなくなったり,倒産による,大量失業者が出るかもしれないのである.
又,企業の社会保障コストや福利コストを軽くする方が税収を増やし,社会保障がよくなり,正規・非正規格差をなくす事になるかもしれないのである.

米国経営は過剰人員をレイオフし企業力を維持しつつ,社会全体としては,労働力の流動化を進める形である.しかし,失業率は確実に高くなる.反面,それが個人・企業の活力の源泉になっている側面もある.労働市場の創出,社会保障制度の充実が強く求められる事にもなる.

私見によれば,医療・介護・年金の制度の検討は必要だが,日本的経営か米国的経営かは,企業毎の考え方,労働者の考え方,で良いと思う.国で決める問題ではないし,日本的経営が企業力,競争力ひいては国の経済発展に望ましいと言う確証もないのである.米国型経営も同じである.

又,東欧にあるような高負担高福祉の考え方もある.簡単に言えば,個人で失業や病気や老後の心配をしなくて済む制度である.従って貯金や保険が不要な社会である.税は国への貯金・保険料なのである.雇用契約もフルタイムとパートタイムの2形態あり,変更も可能である.さらに複数企業で働く事もできる.社会保障制度は一つである.勿論,日本のように正規社員,非正規社員と言う区別は無い.家族手当や扶養控除の考え方もない.但し失業率が高くなり,社会保障費も青天井になったり,国力が衰退する危険性もある.

これを日本で実現する為には,社会保障の考え方,労働法,企業の人事制度など多くの検討が必要である.何よりも,個人生活や仕事に対する考え方も変化が求められる.

ところで,制度とは別に,欧米では宗教が個人個人を下支えしていると思う.国民のボランティア精神も根底にある感じがする.これに比して,日本は宗教界の下支えが少ない感じがする.檀家の村社会風土が残っているからだろうか.

どうやら日本は,悪いことが起こったらどうするか,という視点が弱い感じがする.耐震偽装問題,不良建築問題,薬害問題,医療問題,年金・介護・医療保険問題,安全保障問題,自然災害問題,環境破壊問題,など,泥縄の対応やこれからの難題も多い.

文明の発達,経済の発達で,リスクは幾何級数的に増大するが,悪いことは考えたくない,考えたら何もできなくなる,と避けては通れない時代に来たと思う.

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