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2009.03.27

168 WBCで見えた事

WBCは日本の2連覇で終わった.ファインプレー,感動シーン,選手の不調,など一喜一憂に沸いた.日本中が釘付けになった.国民性の違いそのままに,米国流野球と日本流野球の違いもはっきりした.今回のWBCを通じて感じた事を記しておきたい.

①監督の役割

個々の試合での采配より,どんな戦い方をするかを定め,チームを編成する事の重要性を感じた.勿論,その戦略,選考理由は明らかにされていないが,全体の試合を通じて,やりたかった戦略が見えた感じである.単に選手の実力,実績,都合でチーム編成をしていなかった様に思う.従来のチーム編成とは大きな違いだったと思う.

②組織(チーム)の風土

一般に集団力を発揮させる時,縦風土と強力なリーダーシップでまとめ上げる事が多いが,今回は,フラットな人間関係の中で,個人に役割の発揮を求めつつ,相互に助け合う雰囲気が強く出ていたと思う.専門家集団ならではの組織風土を見た感じである.もちろん各選手のプライド,実力,そしてチーム戦略があっての事である.企業組織にも求められる組織風土だと思う.

③投球数制限ルール

今回初めて投球制限の元で試合が行われた.結果として面白いルールだと感じた.日本人では発想できない米国らしいルールである.MLBの理由は別として,短期決戦を特定投手の完投,連投で勝ち抜く高校野球の様な作戦は排除された,

このルールが①②にも影響を与えた部分もあったと思うが,皮肉にも,投手力が豊富な日本に有利に働いた感じもする.特定投手力が勝敗を左右する野球の特性を少なくし,投手の身体保護,チームプレーを促す点で,高校・大学野球にも取り入れるテーマだと思う.

④世代交代

試合内容だけではなく,使命・責任から解放された選手の生の声に本音と個性を感じ,感動的であったが,それらを通じて,指導者層の世代,組織風土などを含めて,長嶋監督,王監督,星野監督の時代から次の時代に移った感じもした.この変化は,他のスポーツ界,あるいは産業界にもある事だと思う.

次にスポーツ事業について触れたい,

⑤日韓の競い合い

近年,野球をはじめ,柔道,サッカー,スケート,ゴルフ,など韓国の活躍はめざましい.スポーツ人口の割りに強い選手を輩出できるのは国民性や英才教育にあるのかもしれない.学生,社会人,プロと機構が分断されている日本とは歴史・考え方が大きく違う.いづれにせよ日韓が競い合って,世界のスポーツ界をリードして行く事はすばらしいと思う.

一方で,ナショナリズムや国威の発揮の為に,スポーツが扱われると,未成熟な社会の証のようで違和感がある.スポーツにはノーサイドの精神と多様化の中の一つ,との位置付けが必要だと思う.

⑥国際的スポーツ事業と国内のスポーツ事業

WBCは世界の放映権市場戦略を進めているMLBが主催している.MLBを頂点として,その下で,国別対抗を盛り上げ,各国の優秀な選手を破格の年棒でMLBに入れ,各国への放映権ビジネスを展開する.これがMLBの世界戦略だと思う.LPGAなども世界の放映権ビジネスを展開しているが同じ戦略である.

このアメリカ流のスポーツ事業戦略はいかにも米国らしい戦略であり,米国の企業戦略そのものである.これに対し,国際あるいは地域機構が対立する最近の構図も同じである.

一方,世界的スポーツ事業が華やかになると,国内の試合の人気が落ちる.経済や技術のグローバル化で頭能が流出したり,国内産業が疲弊する現象に似ている.従って,国内のスポーツ事業は改めて成長戦略を立てなければならない.又,欧米との時差の関係から,日本としては東南アジア圏内での国際スポーツ事業を育てなければならないと思う.これも又,産業界と同じ用に思う.

それにしても,バスケット,ゴルフ等の米国の試合に比べ,国内の試合に興味が薄れて行くのは私だけだろうか.どうやら.視聴者は,一流の選手が出場している試合と'はらはら・どきどき'する強い刺激がないと,体が受け付けない体質になってしまったようである.国内のスポーツ事業は安閑とはしていられないのである.

⑦高齢化社会とスポーツのテレビ観戦

リタイアした人にとって,時間はたっぷりある.野球でもゴルフでも深夜・早朝,海外の試合を見る.国内であろうと国際的試合であろうと,常に興味のある試合が毎週あれば,高齢者の日常的な楽しみになる.高齢者にとって,スポーツ番組は本当にありがたいのである.

それ故,テレビ放送の多チャンネル化,国際化の中で.スポーツ番組は団塊の世代以降の高齢化社会にとって,大事な役割を果たすと思う.ますますスポーツ事業の重要性は高まる.

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2009.03.14

167 政治資金への所見

総選挙間近のこの時期に,政治資金問題がクローズアップされている.今回は虚偽記載問題なのか,斡旋利得問題なのか,贈収賄問題なのか,未だ不明である.政治資金規正法は,過去に事件のある都度,改定されて来たが,民主主義のあり方にかかわる難しい問題を含んでいる.

自分の中で,整合性ある論を作れるか自信はないが,整理してみた.
まず、個人,企業,団体が献金する理由を想像してみた.

①国の為に働く公僕に寄付したい
支持する政治家,政党の政治活動を支援したい
③自分が願う政策の実現を後押ししたい
④公共事業の受注を有利にしたい

政治家の献金に対する意識は

①表向きは,献金の意図,出所を知らない事として受けたい
②出来たら定期的に献金を受けたい
③献金者,資金の使途は出来たら公開したくない

次に,献金の法規正の考え方で言えば大きく次の三つ.

①個人,企業,団体の献金は全て禁止する案
献金は悪(金権政治の温床)との文化にもとづく考え.政治資金は公金や自己資金で行う事になる.公金の額や出し方にもよるが,政治家をやれる人が限定される可能性がある.すべて禁止と言っても,裏金の厳罰,政治資金収支の公開は必要.

②企業・団体
献金を禁止する案
献金した企業・団体への便利供与を根絶する考え方.しかし,法人の献金を悪だとする問題,献金額の大きさ,個人献金の文化の低さ,等の議論があり,この案に否定的な考えが多い.又,競合政党の政治資金を縮小させようとする意図も見え隠れする.

現在は政治家個人への企業献金は禁止.ただし,政治資金団体から政治家個人への献金は可能(合法的迂回の余地あり)

公共事業受注企業からの企業献金は個人・政党とも禁止の案もあるが,献金の自由の問題,迂回献金の可能性の問題,禁止企業のチェックの問題,等もあり制度設計に無理がある.又,該当企業が全産業に及ぶ事から,やるとすれば,実質,企業・団体献金の禁止になる.

公共事業受注企業からの献金禁止案は制度的に実現できない事を承知して,国民向けにポーズを取っているだけで,本心は企業献金を残そうとしているか,あるいは,与党の反対を承知して,この案を突破口に,全面的禁止の風潮を盛りたて,与党を揺さぶり,国民の人気を取りたいと思っているか,である.

③個人,企業,団体の献金は全て自由とする案
収支の正確性,透明性,公開性,を罰則で担保し,特定企業向け斡旋利得や贈収賄を厳しく厳罰されれば問題なしとするシンプルな案.政治資金規正の厳格化に限界がある事も背景にある.

たとえ,献金が土木建築業界や金融業界など,から多額に,定期的にあっても,献金を許す以上,そのこと自体,問題にしようがない.政治家が多額献金業界に優位な政策を進めても,政治家の政策である以上問題にしようがない.政治は主義・主張・利権・予算取り,の戦いであり,献金と政策の連動の問題は,国民が判断すべきだとの考え方.

大体以上であるが,献金に関する規正は公開性・透明性と特定企業・個人への便益を厳しく監視する条件で③案の自由でよいと思う.

③案は過去の金権政治の再来を懸念する向きもあるが,規正に走るより,自由と公開の中で国民の政治意識が高まる事の方が大事だと思うからである.もし,金権政治が起これば,それは,制度の問題を問うより,民主主義の成熟度を問う問題である.そうでなければ,民主主義も投票行動も育たない.

何でも入口で規制しようとする発想は国民の意識レベルの低さを前提とした律令国家のDNAを引きずっているようで好きではない.国民意識による民主主義の成熟度の向上に繋がるようなルール作りが必要だと思う.

一方,政治資金問題は根本的には誰が負担するかの問題がある.幸か不幸か官僚政治によって日本は政策立案費用は少なくて済んでいるはずである.ほとんどが,選挙体制組織の維持資金,選挙運動資金どだと思う.

本当に官僚政治から政治主導にするのであれば,政治家や政党の政策スタッフを強化する必要があり,もっと政治資金が必要になるはずである.当然,議員数削減の問題も出てくる.この上で誰が負担するかである.表面的な問題より,本質的な議論が必要である.

以上,政治資金制度は必要額,議員数,公金支援,献金制度などと関連し,我が国の政治のあり方を問う問題である.ここは,選挙制度もそうであるが,当事者である政治家が政局,政争の具で考えるより,国民主体の論議が必要である.議論を通じて,国民も見識を高める必要がある.与えられた民主主義を国民の手にするプロセスだと思う.マスコミも識者も,この視点が必要だと思う.

さて,今問題の起訴は,実質,企業から個人への献金であり,政治団体経由にしているのは虚偽報告であるとの事である.虚偽とするには,西松建設の政治団体が実態のないダミー団体であるとの証明が必要となる.

政治団体が実態として存在していれば,企業献金の迂回があっても,献金をどんな方法で集めようとも,違法にはならない.その政治団体の正体や原資が何かは法律では問うていないのである.そのように政治家は法律を作っているのである.政治資金規正法違反は観光客の多いお寺が,庭や花の見学料であっても,拝観料として扱っているのに似ている.

現に企業側の政治団体は多数ある.ザル法と言われているところであるが,これもまた法律なのである,正義感だけで検察権力を行使しては危険であり,そんな権限は司法にはないのである.あくまでも法律と証拠でしか権力は行使できないのである.

秘書を斡旋利得で起訴なら,発注者側への口利きがあったのか,あった時,見返りの報酬として献金を位置づけられるのか,献金の理由を識別できるのか,等,証明する事は多い.

入札の競争妨害(談合)で起訴なら,物件毎に談合の立件と,秘書が談合を仕切った証拠が必要になる.

最後に贈収賄に発展するかの問題であるが,発注者側に金品が渡っていたり,職務権限で介入した事実が必要になる.

素人ではあるが,どれも,立件は難しいのではないかと感じる.ましてやプロの政治家は法律をしっかり知った上で行動していると思う.

最近,献金問題が報道される事が多いが,ダーティさを風潮する話,あたかも違法だ,悪い事だ,と言わんばかりの話が多い.興味本位だけではなく,法律の物差しを意識した報道が必要だと思う.

この件に限らず,政治ネタのテレビ報道に危惧を感じている.相変わらず視聴率狙いのワイドショー化,プアな司会者・コメンテーターの発言,討論バトルのショー化,多局同時類似報道とその繰り返し,等が行われている事である.風評を作り出してしまう危険性に危惧を感じている.

ワイドショー,バライティと言えども,特に政治ネタは事の本質を踏まえた,冷静・公平な報道が視聴率より優先すべきだと思う.視聴率が上がらないと報道すらできないとの反論がありそうだが,本末転倒の自分本位の反論である.

政権交代を問う総選挙が間近であるだけに,報道,特捜の動きに注力して行きたい.

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2009.03.06

166 給付金と言う政策の間違い

NO159経済危機対策を考える(08年12月02日)で定額給付金への疑問を発信したが,その疑問が解消しないまま,国会を通過し,給付が始まった.

その疑問を解く為に,国会で次の本質的な質問をして欲しかったのである.

質問   ;病院に給付金を寄付したいのですが,問題はないか.
予想回答;金に色が付いていないので,ご自由に.

質問   ;政治家に給付金を個人献金したいのですが,問題はないか.
予想回答;問題だと思うが,金に色が付いていないので,防げない.

質問   ;ならば生活支援,景気対策を目的とした給付金ではなくなる.
予想回答;厳密に言えば,その通りだ.

質問   ;目的外使用が可能になる政策に公金を使ってもよいのか.
予想回答;良くないと思う

質問   ;さらに,無条件に公金を個人に配る事に違法性はないのか.
予想回答;生活保護,災害救済,各種手当等条件付きの給付はあるが,今回は疑問.

質問   ;給付条件,使用条件,がないなら,国民への’返金’と言った方がよい.
予想回答;なるほど,この方法が法的な問題もないし,コンセプトがはっきりする.

かくて生活支援,景気対策目的の給付金は廃案になり,’返金’の議論がされる.剰余金を国民に返金するとなるのか,返金より介護,医療に使うとなるのか,などの本質的な議論になるはずである.

’返金’ではなく,あくまでも,’目的を持った給付金’とするなら,給付条件を付けたり,目的外使用ができないようにする事が公金使用に求められるはずである.

目的,使用条件の定まらない給付は財政や税制のモラルハザードを招いたり,違法性を感じる.ましてや,その財源を未来に求めれば,公金の食い逃げになってしまう.

国会で,生活支援だ,消費刺激だ,所得制限だ,辞退だ,などの迷走があったように,コンセプトがいい加減のまま実施されてしまった.

それでも,’ありがたい’と,手を合わせて役人から給付金をもらい,仏壇に供える老母の姿に心が痛む.お上が民に施しをしているシーンを連想する.’返金’なら施しにならないのだが.

施しをして,いい仕事をしたと政治家は思っているのだろうか.これで票になると,シメシメと思っているのだろうか.’米百俵の精神’はあるのだろうか.これでは’米百票の精神’だ.

せめて首相は実施にあたって,国民に,お上からの施しではなく’返金’するので自由に使ってください,と宣言すべきであったと思う.思慮が全く浅い.

経済危機対策の大義に乗じて,何でもありの予算の大盤振る舞いと,その取り合いが,いよいよ始まりそうだ.危機だからこそ,無駄な公金使用を徹底排除し,賢い公金の使い方を考えなければならないのだが.そんな感じはない.今こそ’改革なくして景気回復なし’が正しいと思う.

公金バラマキは,無駄を温存させたり,利権構造を蘇らせる.バラマキの要求は切りがない.その内,息切れする.その不安がいっそう経済を委縮させ,国の借金だけが山のようにそびえる.借金がGDPの2倍になるのは時間の問題になってきた.

そんなことでは経済危機からの脱出より先に国も地方も財政破綻をしてしまう.巨額の増税でも追いつかない.こんな最悪のシナリオも現実味が帯びてきた.

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