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2009.05.03

171 憲法第96条(憲法改定)

昨年9月,当ブログNO152で日本人が抱く究極の閉塞感を3つ上げた.

①憲法の改定方法のない日本は自立した民主国家と言えるのか
②国の借金の限界と返済計画はあるのか,未来の国家財政はどうなるのか
③日本文化の葛藤をどう考えるのか(競走と和,縦文化と横文化)

この三つの問題に見通しを持たない限り,日本はじり貧になって行く感じがする.識者や政治家の所見も聞こえてこない.知った事かと無視する力も無い,自虐感,悲壮感,閉塞感,だけが漂う.私だけの感情だろうか.

現在,経済危機,変貌する国際情勢の中にあって,この3つの閉塞感が,またしても,重くのしかかる.社会や政治の問題が発生するつど,この閉塞感が思考停止状態に追い込んでしまう.国や国民が,よく分かりませんと,のらりくらり生きて行く方が,世渡り上手なのかもしれないと,一瞬,逃避感が頭をよぎったりもする.

しかし,本日は憲法記念日という事で,余り話題にならない憲法の基本的な問題(憲法96条憲法の改定)について再度,発信したい.(専門家が議論し尽くしていると思うが)

憲法論議で,集団的自衛権や海外武力協力の問題,有事の時の問題,日米安保との関係,などの多くの議論があるが,現行憲法を変える方法がないのに,その議論は何なんだろう,解釈論を議論しているのだろうか.むなしくなる.変えられると言う覚悟があって,初めて世論を巻き込んだ真剣な議論ができると思う.

そこで,憲法改定に関する現状,問題を整理してみた.
まず憲法第96条は次の通りである.


『この憲法の改正は,各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会がこれを発議し,国民に提案して,その承認を得なければならない.この承認には,特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において,その過半数の賛成を必要とする.』

たったこれだけである.そこで,いくつかの懸念,問題,所見を述べたい.

まず
衆参それぞれの3分の2以上ないと国会が発議出来ない点である.言いかえると,3分の一の反対で発議できなくなる.多数決に反する感じがする.

憲法制定者が発議そのものを実質不可能にし,改正をさせないと考えたとしか思えない.ハードルを低くして,国民に信を問う事は危ないと考えたに違いない.

いずれにせよ,占領時代のなごりが今も憲法を凍結させているのである.革命でもない限り,永久に変えられないかもしれない.何よりも,変える,変えない以前に,民主主義をかなり抑圧している点が問題だと思う.

次に

’その過半数’の問題である.遅ればせながら2005年に,やっと国民投票法が制定されたが,それによると’有効投票数の過半数’である.’その’を’投票数’を指しているとの解釈である.これだと投票率は無関係になる.しかし,憲法文面からは’有権者’の過半数ともとれるのである.念の為,国民投票法が違憲か合憲か決着しておく必要がある.

さらに難問は提示された新憲法案への賛否のとり方である.多分,国会発議の提案は新憲法一式である.この一式に対しYES,Noを言う事になる.国民は一部でもNOなら,あるいは欠けている部分があるなら,全部NOとするか,重要な部分がYESなら全部YESとするか,現行憲法よりましだとしてYESとするか,悩ましさがついて回る.あるいは,NOを減らすために,国会の発議を,条文ごとに小出しにする事になるのだろうか.

新憲法が成立した時,新憲法と整合する法律にする為に,現法律を焼き直す作業が発生する.改正内容にもよるが,膨大な作業を新憲法発令までに終わらせねばならない.

勿論,改正法律はすべて国会審議となる.ここで審議がもめて,長期化し,新憲法発令に間に合わない可能性も出てくる.又,新旧法律を長く並存させる必要性が出てきたり,新たな法律も出てくる可能性もある.

並大抵の事ではないが,避けては通れない問題である.永年,放置して来た付けかもしれない.それにしても,付けの難題が大き過ぎる.

現時点でも,憲法改正の手続き法は完了していない.国民投票法によれば,2010年から実施可能だとしているが,③④等,細部が詰められていない.早急に手続き法なのだから決着しておくべきである.

しかし,現憲法では,永久的に改正発議が出そうもないから,又,改正手続きが先送りになり,憲法改正が出来ない国.が続くのだろうか.

憲法改定方法を持たずにきた事が,長い間の憲法議論を中途半端にし,解釈論,禅問答だけを繰り返し,国民も決断を迫られる事もない状態,を作ってきたと思う.

その結果,憲法への愛着や国民の自主性・思考力・立論力の育成を弱め,考え方(顔)が見えない国,世界の常識とかけ離れた国,半人前の国,になっている感じがする.ここに閉塞感がいつも漂うのである.

戦後63年間,憲法を変えていない国はあるのだろうか.憲法改定の手続きが決まっていない国はあるのだろうか.それでも日本は民主主義国家と言えるのだろうか.世界に憲法を変えていない事を誇れても,世界に類を見ない平和憲法を誇れても,改正の手段を持っていない事で失笑される.

憲法制定時,憲法改正のハードルを高くした理由

・戦争放棄を永久化したいから,
・日本を信用できないから,
・占領下で憲法改正の重要性の認識がなかったから
・手が回らなかったから


かも知れない.改正方法について,議論した形跡は知らない.

又,改正のハードルが高いなりに,憲法改正手段を,現在まで作らずに来た理由

・日本国民は自ら憲法を作る熱意も,考え方も,決断力も,経験も,ないから,
・憲法改正の必要性が無いから,
・改正手段の策と,憲法第9条改正論とを一対で考えていたから
憲法改正と言う難事業に政治力もエネルギーも使えないから
・現憲法下で憲法改正発議が出きるとは思えないから

かも知れない.いずれにせよ政治の怠慢である.

結果的に,自ら憲法を変えられない半人前の国家のまま,憲法全体が凍結状態になり,日本人の思考停止状態を招いていると感じるのである.

民主主義を標榜する以上,憲法の内容より,最も大事な事は,改正手続きである.民主主義は手続きだからである.一般の契約書でも,改正の仕方を定める事は,きわめて重要である.改正条項が不明確な憲法は放置国家,崩治国家ならいざ知らず,法治国家,民主主義国家ではあり得ないのである.

そこで
まず民主主義のルールとして,第96条の改正だけで,国民投票をやるべきだと思う.その為に,発議の条件はこれでよいか,’その過半数’の意味は何か,を議論し,3分の2以上にまとめて,発議すべきである.

そして,憲法改正の手段,経験を踏まえて,手続きを明確に確立した上で,現実問題としての憲法問題を論ずるべきである.国民も真剣に,リアリティを持って論議に参加出来ると思う.改定手続きもないのに,発議もできないのに,憲法論議をするのは無責任な時間の浪費に等しい.

憲法内容の世論を形成するにしても,その前に,ルールを作っておかねばならない.憲法改正に反対する為に,ルールを作らない,改正する為にルールを作る,では,民主主義ではないのである.

今頃こんな事になっているのは,わが国は先進国どころか,敗戦直後の政治的後進と言われても返す言葉が無いが,今の状態では,戦後100年たっても,改正されないかもしれない.

憲法を国民の手にするのは,いつの日なるのだろうか.10年に1回くらい憲法が変わるほど,国民の政治参加とシビリアンコントロールが働く国になりたいものである.

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