« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009.05.31

173 国家財政と民主主義

国家財政問題をたびたび発信しているが,その根底になる国民性や日本の民主主義について触れてみた.

日本の長期債務残高は09年末で850兆を超えて,GDP比174%に達する見込みだという.世界では100%を超えている国はイタリアを除けば皆無である.GDPが落ち込めば,さらに借金の負担は大きくなる.税収と同じ位,国債発行する国も世界に類を見ない.

この天文学的借金の上に,日本の経済,生活がある.上げ底の経済大国といわざるを得ない.正直言って,すごい国なのか,気前の良い国なのか,でたらめな国なのか,よく分からなくなる.

借金の評価について,いろいろな説がある.

・インフレで借金は軽減できる,
・外国債権を差し引けば,実質的な借金はもっと少ない,
・国債は国内(日銀,郵貯,年金,保険,他
金融機関)で保有し,何とかなる,
・国民の資産が1500兆あるから問題はない,
・財政健全化(効果のない不良債務の削減)こそが必要だ
・借金を借金で返していけば,当面大丈夫だ
・借金して国民に渡した金を,吸い上げて返済するだけだ(増税)
・金利上昇で簡単に財政破綻になる危険水域に入っている

等があるが,未だ政府の所見もなければ,財政再建の道筋も見えていない.返済計画のないまま借金を繰りかえして来た証拠でもある.民主主義の持つ怖さを感じる.首が回らなくなって,これも国民の自業自得だと,達観しているわけにはいかないのである.

経済財政諮問会議がプライマリーバランンスをいつ確保するか,と言った,いかにも狭い議論をしている様だが,現在の借金の評価,破綻防止策,安全な借金規模への返済計画,など,国家財政の本質的な議論を求めたい.与党政府の御用会議なら,諮問会議は不要である.

1000兆の借金があっても,大丈夫だと,計算づくで積み上げた借金だと言うことであれば,その事を公言するだけで日本は明るくなる.そんなわけはないと思うが.

今後も財政需要は高まる一方である.どこまで借金は許容できるのだろうか.借金できる許容枠が信用力,リスク対応力とするなら,日本は,きわめて危険な綱渡り状態だと思うのだが,悲観的過ぎるだろうか.

日本は,借金によって,社会資本を整備し,経済復興,高度成長を遂げてきた.一つの成功モデルである.一方,借金が膨れ上がったのは90年代のバブル崩壊以後の失われた10年の時である.10年間で600兆の借金をし,現在の借金のベースを作ったのである.低金利に乗じて借金を加速させわけだが,何も総括されていない.

借金の中に道路,ダム,空港,が多いが,少ない資金で大きな事業ができる優遇された予算制度も関係している.これらの制度は,戦後の社会資本整備,経済復興を目的としたが,経済危機に対する財政出動の手段に変貌して行った.それだけではなく,選挙対策や予算の食い合いの手段にも使われて行った.要するに,優遇制度が利己的な行動に使われ,借金を積み上げた感じがするのである.

この背景に,無駄な公共事業も,短期的に需要,雇用,選挙対策に効果があるとした考え方がある.バブル崩壊後の経済対策,現在の経済危機対策でも同じである.きっと,今回の経済対策はバブル崩壊後の後遺症に引き続き,もっと大きな後遺症(膨大な借金が残り,将来の財政や主権在民権を圧迫する事)を残す事になる.

これも民主主義だとすれば,民主主義を尊重するほど,借金が膨れ上がるのである.民主主義で借金を作る事は簡単だが,一たび無駄な借金をしてしまったら,民主主義では,この借金を消せないのである.民主主義の怖さである.

他国から見れば,世界に類を見ない借金の大きさは,いかに将来を見ていない,その場限りの,セコイ,利己的な国であるかを表していると言われても,返す言葉が無い.日本は我利我利の国で,未来の事など考えていない国だと烙印を押されているかも知れない.

今回の経済危機で,政府は巨大な財政出動をしたと,自慢げに世界に発信しているが,その哲学が見えないだけに,バカ丸出しの感じがする.

米百票のエピソード,改革なくして成長なし,を唱えた小泉政権が懐かしいが,あたかも,山菜を根こそぎ取ってしまうような,漁業資源の乱獲競争をするような,食料を簡単に捨てるような,自分さえよければ,と言う了見の狭さ,島国根性,箱庭文化が借金を拡大してきたのではないかと心配する.

日本の国民性は元来,借金に抵抗感を持っていると思っていた.個人はそうであっても,借金が世界一なのは,

・公の事には,無責任で,天下国家の事などお上にまかせだ.から
・経済成長後も,戦後の中央集権,縦割り行政を変えず来たから.
・政治家,官僚がこの風土を都合よく利用して来たから

だろうか.そんな土壌では,民主主義は利己的な欲求を満足させる合法的な手段になるだけである.借金の大きさは,日本の民主主義のレベルを表していると思う.

いずれにせよ,事実は日本の民主主義と政府与党が850兆の借金を作り出した事である.国土の特質から,道路を作る費用が欧米の10倍かかる国だから,では説明がつかないのである.

昨今の経済危機問題,少子高齢化問題,社会保障問題などで,今後も財政需要は減ることはない.減らそうという人もいない.しかし,従来のように,足りないから増税という短絡的な発想はもう通用しないと思う.

国家財政が膨らむほど,確実に破綻に近づくのである,小さな政府,効率的な政府を目指す必死の努力がなければ,福祉にしても,教育にしても,技術開発にしても,災害対策にしても,必要なことが出来なくなるのである.

今後必要な事は,

①公金を賢く,大事に使うと言う政治への信頼感の確立が不可欠である.
その上で,優先度による歳出先の選択,行政の無駄の排除が必要である
③横ぐしで歳出の優先度を検討できる予算制度が必要である.
④歳出の監視(効果やコストの監視)強化と見直し制度が不可欠である
⑤公金をどう使うかは当然,選挙の争点にすべきである.
⑥国会議員は地方の利益代表ではなと認識すべきである
.
⑦財政が膨らむほど破綻に近づく認識が必要である.


もう一つ,
⑧社会保障目的の消費税アップ論は危険である.

他の歳出の無駄や甘さが温存される危険性があるからである.むしろ,社会保障に税収を先に割り当てて,.国防,文部,産業,国交,金融,外交,などで消費税の論議をすべきである.公金の使われ方を徹底的に見直す好機になるからである..

総選挙も近ずいてきたが,各政党は是非,公金の使い方を明らかにすべきである.経済危機で積極財政出動した後で,自民党,民主党は今後,どうするのだろうか,注目したい.国民に負担が来る以上,どの公金の使い方が良いと思うか意思表示をする絶好のチャンスだと思う.

.

| | コメント (0)

2009.05.15

172 政権交代より政界再編

深刻な政治課題に際し,好みや発想の違いで議論が衝突する.伝統的日本文化である縦文化思考派(保守派)と横文化思考の現状打破派(改革派)の対立である.(当ブログ№002、№019,で’葛藤する日本文化’で縦文化、横文化を比較している)

しかし,この対立は時として見えなくなる.政党内のしがらみ,権力欲,保身から主張を封印するからである.改革旋風の中で,本心は改革に反対でも,迎合するのである.挙句,改革の御旗で大勝しておきながら,いつの間にか,保守回帰に動き出したりする.議員内閣制だからと言って,内閣が勝手に選挙公約を変えてはいけないのである.変えるなら解散総選挙を行うべきである.

現政権でいえば,誰が総理であろうと,徹底して改革をすべきなのである.’改革なくして成長なし’’聖域なき構造改革’で政権を得ておきながら,’成長なくして改革なし’に勝手に変えてはならないのである.

議員内閣制で内閣が変わるつど,政策理念が変わるなら選挙の意味がない.政党も個人も信用できなくなる.改革に期待して投票しても,保守勢力に加担した事になりかねないのである.せめて政党及び立候補者は政治信念を公言し,それを変えるのなら,政治家はバッチを返すか,政権与党は解散すべきなのである.

一方,政党は,国民の迷いを票につなげるため,党の戦略としては,保守派,改革派を混ぜた方が票が取れると思っているに違いない.わが党には幅広い意見があると.まさに中選挙区制の発想である.又,党内意見がまとまっていない重要政治課題は公約に載せないのである.

そんな党のあり方では,権力を手にしたいグループを二つ作るだけであって,政策中心の2大政党にはならないのである.それでも政権交代そのものが大事だとして,小選挙区制を取っているのだろうか.

本来的には,小選挙区制をとった以上,政策理念にもとづいた政党に再編せねば意味がない.そしてその理念の実現に必死で取り組む党員が立候補すべきである.

政策に反対なら,無所属か別の党を作って立候補すべきなのである.国政選挙は,国の政策に賛否を投じるのであって,おらが町の利益代表や業界の利益代表を選ぶ゙わけではないのである.国民も,中選挙区制の頭を変えなければならないと思う.

そんなわけで,小選挙区制度では政策によって,政党や人物を選ぶのであるから,ごった煮状態の政党では選べないのである.政権交代を言う前に,まずを政党の正規化,政界再編が必要だと思う.

あるいは,いっそのこと,全員無所属で立候補し,個人の性格,政治信条,取り組む政策,を選ぶ事にしてはどうか勿論,無所属でも立候補し易い選挙制度が必要となる.その上で,当選議員が個人の判断で総裁を選び,政治課題毎の議員連盟を編成し,案件の賛否,あるいは内閣不信任の判断も行う,当然,解散はない,任期いっぱまで努める.内閣は国会議員の意思で組み替えられる.任期中の議員の行動は選挙で評価される.政権が不安定になるかもしれないが,それも政策次第である.

連想ついでに,政党政治といっても,無所属議員が政党議員より多い状態を作ることも,意味があるかもしれない.この方が現実的かもしれない.今度の選挙でいえば,既存の政党の政策に賛否が入り混じっているから,無所属で立候補すると訴えたらどうだろうか

当選すれば選挙民や自分の判断で案件毎に賛否を決めると言えば良い.政党離れ,無党派が増える中で,意外と信頼が得られるかもしれない.投票率を上げる事になるかもしれない.

論客の政治家の皆さん,無所属で立候補し,当選したら,この指とまれと,仲間を集めたらいかがですか.政界再編のてっとりばやい方法かもしれません.

それもだめなら,小選挙区制度であるが人を中心に選ぶしかない.政党がどうであろうと立候補者の政治信条.重要政策課題への所信で投票し,選挙後の再開再編に期待するのである.

そうでもしないと,政党政治など育たないのではないかとも思う.

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.05.03

171 憲法第96条(憲法改定)

昨年9月,当ブログNO152で日本人が抱く究極の閉塞感を3つ上げた.

①憲法の改定方法のない日本は自立した民主国家と言えるのか
②国の借金の限界と返済計画はあるのか,未来の国家財政はどうなるのか
③日本文化の葛藤をどう考えるのか(競走と和,縦文化と横文化)

この三つの問題に見通しを持たない限り,日本はじり貧になって行く感じがする.識者や政治家の所見も聞こえてこない.知った事かと無視する力も無い,自虐感,悲壮感,閉塞感,だけが漂う.私だけの感情だろうか.

現在,経済危機,変貌する国際情勢の中にあって,この3つの閉塞感が,またしても,重くのしかかる.社会や政治の問題が発生するつど,この閉塞感が思考停止状態に追い込んでしまう.国や国民が,よく分かりませんと,のらりくらり生きて行く方が,世渡り上手なのかもしれないと,一瞬,逃避感が頭をよぎったりもする.

しかし,本日は憲法記念日という事で,余り話題にならない憲法の基本的な問題(憲法96条憲法の改定)について再度,発信したい.(専門家が議論し尽くしていると思うが)

憲法論議で,集団的自衛権や海外武力協力の問題,有事の時の問題,日米安保との関係,などの多くの議論があるが,現行憲法を変える方法がないのに,その議論は何なんだろう,解釈論を議論しているのだろうか.むなしくなる.変えられると言う覚悟があって,初めて世論を巻き込んだ真剣な議論ができると思う.

そこで,憲法改定に関する現状,問題を整理してみた.
まず憲法第96条は次の通りである.


『この憲法の改正は,各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会がこれを発議し,国民に提案して,その承認を得なければならない.この承認には,特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において,その過半数の賛成を必要とする.』

たったこれだけである.そこで,いくつかの懸念,問題,所見を述べたい.

まず
衆参それぞれの3分の2以上ないと国会が発議出来ない点である.言いかえると,3分の一の反対で発議できなくなる.多数決に反する感じがする.

憲法制定者が発議そのものを実質不可能にし,改正をさせないと考えたとしか思えない.ハードルを低くして,国民に信を問う事は危ないと考えたに違いない.

いずれにせよ,占領時代のなごりが今も憲法を凍結させているのである.革命でもない限り,永久に変えられないかもしれない.何よりも,変える,変えない以前に,民主主義をかなり抑圧している点が問題だと思う.

次に

’その過半数’の問題である.遅ればせながら2005年に,やっと国民投票法が制定されたが,それによると’有効投票数の過半数’である.’その’を’投票数’を指しているとの解釈である.これだと投票率は無関係になる.しかし,憲法文面からは’有権者’の過半数ともとれるのである.念の為,国民投票法が違憲か合憲か決着しておく必要がある.

さらに難問は提示された新憲法案への賛否のとり方である.多分,国会発議の提案は新憲法一式である.この一式に対しYES,Noを言う事になる.国民は一部でもNOなら,あるいは欠けている部分があるなら,全部NOとするか,重要な部分がYESなら全部YESとするか,現行憲法よりましだとしてYESとするか,悩ましさがついて回る.あるいは,NOを減らすために,国会の発議を,条文ごとに小出しにする事になるのだろうか.

新憲法が成立した時,新憲法と整合する法律にする為に,現法律を焼き直す作業が発生する.改正内容にもよるが,膨大な作業を新憲法発令までに終わらせねばならない.

勿論,改正法律はすべて国会審議となる.ここで審議がもめて,長期化し,新憲法発令に間に合わない可能性も出てくる.又,新旧法律を長く並存させる必要性が出てきたり,新たな法律も出てくる可能性もある.

並大抵の事ではないが,避けては通れない問題である.永年,放置して来た付けかもしれない.それにしても,付けの難題が大き過ぎる.

現時点でも,憲法改正の手続き法は完了していない.国民投票法によれば,2010年から実施可能だとしているが,③④等,細部が詰められていない.早急に手続き法なのだから決着しておくべきである.

しかし,現憲法では,永久的に改正発議が出そうもないから,又,改正手続きが先送りになり,憲法改正が出来ない国.が続くのだろうか.

憲法改定方法を持たずにきた事が,長い間の憲法議論を中途半端にし,解釈論,禅問答だけを繰り返し,国民も決断を迫られる事もない状態,を作ってきたと思う.

その結果,憲法への愛着や国民の自主性・思考力・立論力の育成を弱め,考え方(顔)が見えない国,世界の常識とかけ離れた国,半人前の国,になっている感じがする.ここに閉塞感がいつも漂うのである.

戦後63年間,憲法を変えていない国はあるのだろうか.憲法改定の手続きが決まっていない国はあるのだろうか.それでも日本は民主主義国家と言えるのだろうか.世界に憲法を変えていない事を誇れても,世界に類を見ない平和憲法を誇れても,改正の手段を持っていない事で失笑される.

憲法制定時,憲法改正のハードルを高くした理由

・戦争放棄を永久化したいから,
・日本を信用できないから,
・占領下で憲法改正の重要性の認識がなかったから
・手が回らなかったから


かも知れない.改正方法について,議論した形跡は知らない.

又,改正のハードルが高いなりに,憲法改正手段を,現在まで作らずに来た理由

・日本国民は自ら憲法を作る熱意も,考え方も,決断力も,経験も,ないから,
・憲法改正の必要性が無いから,
・改正手段の策と,憲法第9条改正論とを一対で考えていたから
憲法改正と言う難事業に政治力もエネルギーも使えないから
・現憲法下で憲法改正発議が出きるとは思えないから

かも知れない.いずれにせよ政治の怠慢である.

結果的に,自ら憲法を変えられない半人前の国家のまま,憲法全体が凍結状態になり,日本人の思考停止状態を招いていると感じるのである.

民主主義を標榜する以上,憲法の内容より,最も大事な事は,改正手続きである.民主主義は手続きだからである.一般の契約書でも,改正の仕方を定める事は,きわめて重要である.改正条項が不明確な憲法は放置国家,崩治国家ならいざ知らず,法治国家,民主主義国家ではあり得ないのである.

そこで
まず民主主義のルールとして,第96条の改正だけで,国民投票をやるべきだと思う.その為に,発議の条件はこれでよいか,’その過半数’の意味は何か,を議論し,3分の2以上にまとめて,発議すべきである.

そして,憲法改正の手段,経験を踏まえて,手続きを明確に確立した上で,現実問題としての憲法問題を論ずるべきである.国民も真剣に,リアリティを持って論議に参加出来ると思う.改定手続きもないのに,発議もできないのに,憲法論議をするのは無責任な時間の浪費に等しい.

憲法内容の世論を形成するにしても,その前に,ルールを作っておかねばならない.憲法改正に反対する為に,ルールを作らない,改正する為にルールを作る,では,民主主義ではないのである.

今頃こんな事になっているのは,わが国は先進国どころか,敗戦直後の政治的後進と言われても返す言葉が無いが,今の状態では,戦後100年たっても,改正されないかもしれない.

憲法を国民の手にするのは,いつの日なるのだろうか.10年に1回くらい憲法が変わるほど,国民の政治参加とシビリアンコントロールが働く国になりたいものである.

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »