« 174 スロージョギング の薦め | トップページ | 176 自民党の凋落要因 »

2009.06.21

175 死の判定と臓器移植を考える

死の判定と臓器移植について,浅学ではあるが,自分なりに考えてみた.

先日,子供を除いて,脳死を死として臓器移植を可能とする現行法から,本人の意思表示が難しい子供も一定条件で可能とする臓器移植法改定案が衆議院を通過した.

子供の海外での移植をなくしたい為である.ところで,臓器移植法は,臓器提供前提なら脳死を死と認め,そうでなければ,脳死状態は死ではない(心配停止で死とする),と言う事で死生観上の問題が古くから議論されている.

ところで脳死を死とした時,どの段階で死亡診断書を書くのだろうか.常識的には,脳死の判定後,臓器摘出手術前になるのだと思うが.理屈の上では,短い時間であっても,心肺は停止していない状態で死亡診断書が発行される事になる.あるいは,脳死判定は犯罪を回避する為に必要であって,死亡診断書は心肺停止を持って発行されるのだろうか.

これらの法案の背景に,移植によって多くの命を守りたいとの切実な願いがある.それゆえに,臓器提供を増やす為に,脳死を死とした考えが出てきたのだと思われる.現実は法律を作っても,欧米と違って,脳死で臓器提供は極めて少ないと言う.

この様に,臓器移植法によれば,死の定義が二つ存在する事になり,その選択は苦渋の判断になる又,心肺停止を死と思っている人からすれば,臓器提供に限って脳死を死と認める事は,積極的安楽死を選んだとの苦悩が付きまとうのである.

一方,あくまでも,人の死を心肺停止と思う人にとって,脳死状態からの臓器提供に限って尊厳死(積極的安楽死)を認めれば良いとの考え方も,論理としてはある.脳死を死とする事と尊厳死を認める事は医療行為は同じだからである.唯,尊厳死が認められれば,法律的に死の定義を心肺停止一つに出来る.但し今度は尊厳死を選ぶかどうかの苦悩が付きまとう事になる.

勿論,苦痛からくる尊厳死や安楽死と同じように,尊厳死は絶対許せないと言う根強い意見もある.この議論に発展させない為に,脳死は死としても良いとの法律が出来たのかも知れない.

はたして,臓器移植に限って脳死を死とする考え方と,心肺停止を死とするが,脳死状態からの臓器提供に限って尊厳死を認める考え方と,どちらが問題が少ないのだろうか.

もう一度整理すると,医学的にはよく分からないが,脳死状態,死亡診断書,摘出手術と心肺停止,となるか,脳死状態,尊厳死,心肺停止,死亡診断書,摘出手術となるのか,である.

臓器提供を許容した時,脳死状態者側も医者側も,尊厳死を決断するより,脳死は死と法律で決めてくれた方が,割り切りができると,なるのか,尊厳死の価値感が変わり,尊厳死への抵抗が低くなり,これを選ぶ様になるのか.あるいは心肺停止という自然死の後でなければ臓器提供は考えられないのか,

これらの問題は常に個人差が出る問題である.ならば,法律で一律に決める問題ではないのかもしれない.いや,いろいろな考え方に対応できる様にする事が法律の役割だとすべきなのか,

いずれにせよ,臓器を提供して他の命を救うという倫理感,死生観の普及がない限り,臓器移植法はむなしい議論になるし,適格な法律もできない感じがする.

そんな思いで,参議院での審議の行方を注目したい.

.

|

« 174 スロージョギング の薦め | トップページ | 176 自民党の凋落要因 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134518/45407115

この記事へのトラックバック一覧です: 175 死の判定と臓器移植を考える:

« 174 スロージョギング の薦め | トップページ | 176 自民党の凋落要因 »