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2009.06.29

178 コンビニ再販価格と独禁法

公正取引委員会がコンビニ業界の最大手のセブンイレブン・ジャパンに対し,加盟店の’見切り販売’を制限しているのは,独禁法違反に当たるとして,排除処置命令を出した.

たしか,法律によれば,書籍や新聞など,一部の商品を除いて,販売側に再販売価格維持を強制できない事になっている.メーカー希望価格で売ろうと,値引き価格で売ろうと,見切り価格で売ろうと,販売価格は販売側の自由である.家電や情報機器などはオープン価格(自由な価格設定)であり,正確に言うと,正価や値引き価格という概念はない.

さて,今回のように,日配品,生鮮品が売れ残った時,見切り販売で売り切るか,廃棄するか,はファーストフードのフランチャイズチェーンなどで常に起る.

チェーン店全体の鮮度・品質の維持,企業姿勢から廃棄をルール化している例もある.これは,見切り販売するなという指示ではなく,チェーンオペレーションとして廃棄をルールづけているのである.

そこで
,
・廃棄ルールが価格維持の強制となり,法律違反になるのか.
・廃棄せず見切り販売した事へのペナルティー行為が法律違反になるのか.
・同一価格を義務付けるフランチャイズ契約は価格カルテルになるのか.
・フランチャイズ契約,オペレーションマニュアルは独禁法上の問題になるのか
・独禁法はフランチャイスザー(本部)とフランチャイジー(加盟店)の間に存在しえるのか.

等の素朴な疑問が湧いて来る,

そこで,なぜ今頃,こんな問題が出たのか,創業時の事業コンセプトから考えてみた.

そもそも,このビジネスモデルは,米国のコンビニであるセブンイレブン(発祥は氷屋)や,ローソン(発祥は牛乳屋)から輸入したものであるが,今や,日本のビジネスが本家を追い越し,日本が本家だと思っている人がいる位である.

日本におけるビジネスコンセプトは,’顧客の利便性に応える’事である.その為に,ナショナルブランドの日用品を少量でも,きめ細かく品揃えし,深夜も販売する.まさに,大量生産大量販売の量販店でもなければ,小規模小売店でもない,サービス業を目指したのである.この考えから,近年のATM,料金の振込み,宅配の取次ぎ,など,まさに地域住民のコンビニエンス・ステーションとして,定着して行ったのである.

又,この事業の展開においては,立地条件,投資資金,転用物件,をいかに早く確保するかが重要となる.そこで,古来の街中にある,酒店,米店,雑貨店,菓子店,などとフランチャイズ契約し,新事業を拡大して行ったのである.

勿論,旧来業態からの脱却・近代化を進めるも,商売の特質から,加盟店の売上高や収益は旧業態と比べて安定はするが,高い設定はしなかったはずである.オーナーの資金運用,小遣い銭稼ぎ,程度の軽い転業を進めたと思う.

本部は開店までの一連の準備(事業計画,法的手続き,店舗建築,販売設備・資材,商品仕入れ,経営と運営の教育,等)をバックアップし,開店後は商品の安定供給,経営分析,経営指導,本部との清算(商品代金,ロイヤリティ,貸与代金の回収,など)を行う.

更に本部は,加盟店舗にPOSなどの情報装備によって,店舗情報の完全掌握,補充発注や販売,サービス取引,販売管理,商品管理,店舗経営分析などをシステム化した,さらに,店舗の経営情報をもとに,不良店舗のチェックと改善・排除を進めながら,優良加盟店を拡大し,良質な加盟店の募集に繋げて行くのである.

このビジネスのもう一つの特徴は,本部が商品代金とは別に加盟店の利益から,一定の率でロイヤリティを取る事である.会社や加盟店契約によって違うが,運命共同体として,成功報酬として,荒利益もしくは営業利益からロイヤリティーが計算される.

ところで,一般小売店で発生する見切りロス(値引きによる荒利益減),棚卸しロス(万引きや,処理リミスによる在庫減),廃棄ロス(不良品処理,期限切れによる廃却)は荒利益,営業利益を大きく左右する.

ところが,ロイヤリティ計算には,このロスは店側の責任であり,特に見切り,廃棄はコンビニのコンセプトからすれば,ありえない(そんな商品は扱わない)として,加味されていない様である.

この様に,コンビニビジネスは利便性提供のサービス業ではあるが,もっと引いて見ると,デベロッパー業,金融保険業,店舗建築業,店舗設備業,販売資材業,商品・サービス開発業,商品製造販売業,商品共同仕入販売業,物流業,経営コンサル業,ロイヤリティ業という多岐にわたる加盟店サポート事業の姿が見える,

簡単に言えば.’何でも支援するから,商売してください’と言うビジネスである.加盟店の資金と労力を使うわけだから,加盟店を増やす程,安定的なストックビジネス(店舗・設備・商品の供給とロイヤリティ)になるのである.これが,フランチャイズ方式の神髄である.

一方,加盟店は本部指導とマニュアルに従って,作業を行い,毎月,清算書を給料明細のように受け取る事になる.加盟店側は自営で商売している感覚より,使われている感じになると思う.そして,アルバイトを入れてもペイする店になるまで,複数店舗を持つまで,あるいは,競合店次第で,過酷な仕事とリスクを常に背負った仕事になる.競合が少なく,恵まれた立地にある店なら,安泰だと思うが.

以上の様に,コンビニのフランチャイズチェーン加盟店は法的にも財務的にも独立した共同事業者であり共同経営者ではないが,独自に他社から商品の仕入もできず,全ての商品を価格交渉もなく本部から仕入れ,マニュアルに従った本部主導のチェーンオペレーションが行われているのである.特定商品の供給を主体としたボランタリーチェーンとは全く違い,加盟店は実質,リスクを背負った本部の店舗と言っても過言ではないのである.

さて,このようなコンビニビジネスで,今回起こった見切り販売の制限問題であるが,次のように類推される.

コンビニのコンセプで述べた如く,コンビニは,ナショナルブランドの小額の日用品を少量・多品種に品揃えする事で,利便性に応えることである.従って,一般の小売業のような,見切ロス,廃棄ロスはビジネコンセプトにも,処理手順にも,利益計算にも,ロイヤリティ計算にも,ないと類推される.そんな中で起こった.

競争の激化,店舗の大型化,等で売上拡大が重くのしかかるようになり,俗にいう2毛作,3毛作(時間帯によって品揃えを変える)をする程である.又,まったく異質な日配品(デイリーフーズ)のおにぎりや弁当にも手を出すようになったのである.コンビニコンセプトや加盟店契約の見直しもなく,変化して行った感じである.

当然,日配品は売れ残った商品の処置が必要になる.小売業では,見切ってでも,売り切る.ところが,見切り販売はコンビニの辞書にはなく,しかも,見切り販売が常習的な値引販売となり他の商品に広がったり,加盟店同士の価格の不一致を招く恐れがあり,ファーストフード業界の様に廃棄を指示したのではないかと思う.多発した食品偽装事件もあって,そうさせたのかもしれない.

しかし,上記のように,廃却もコンビニの辞書にはなかった事から,廃棄ロスは加盟店負担になる.当然,加盟店は廃却より見切りで売り切りる方に動く.かくて,見切り販売,値引き販売反対の本部と衝突が起ったのである.

この様に,廃却も見切り販売もコンビニ経営の辞書に無いまま,おにぎりや弁当を売り出してしまった事が問題の発端だと思う.事前の協議はなかったのだろうか.排除命令が出るまで,何をしていたのだろうか.

今回の排除命令も含めて,フランチャイズ加盟店の再販価格の問題点をもう一度,整理すると,

①日配・生鮮品の廃棄のルール化は再販価格維持の強制になるのか.
②本部は売れ残り品の回収を行い,見切り販売の必要性をなくすのか,
③本部は
何もせず見切り販売を黙認するのか.
④そもそも,全
商品の全加盟店での同一価格販売は価格カルテルにならないのか.
⑤フランチャイズ契約,オペレーションマニュアルは独禁法上問題はないのか
根本的にはフランチャイザーとジーの間に独禁法が存在しえるのか.
⑦同じく,代理店,連結子会社への再販価格維持の強制はどうか,

フランチャイズビジネスに限らず,再販売事業全体に影響する事であり,公取の排除命令を機に見解を明らかにすべきだと思う.

私見によれば,独禁法とは優位的立場で販売価格維持を行う事を禁止する法である.コンビニでいえばザーの自社ブランド商品には法が存在するかもしれないが,仕入商品はコンビに以外の小売業でも売られているので,独禁法は及ばない感じがする.どうだろうか.

一方,この再販価格問題以上に,コンビニビジネスが大きな転換期に来ているのではないかとも感じている.

コンビニエンスストアーは取り扱い商品にしても,サービス商品にしても,あるいは広大な駐車場にしても,店舗の大型化にしても,開店資金の拡大にしても,競合や立地による店舗コンセプトの多様化にしても,当初描いたコンセプトやイメージが大きく変貌していると思うのである.

利用者の利便性は増すものの,店舗の大型化で加盟店の資金回収,リスク,過酷な作業の問題が重くなっていると思う.昔の様なオーナーでは開業も難しくなってきた.加盟店の確保・撤退の問題もある.フランチャイズ契約内容も多様化する事も考えられる.これらに対し,どのように変遷していくのか,きわめて興味深い.

弁当がコンビニビジネスの今後を考える突破口になった感じである.

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2009.06.25

177 もう一度改革路線を

1991年のバブル経済崩壊,折からの経済のグローバル化で,明治以来の日本の統治機構,護送船団方式,政治風土,の脆弱性,不効率性,無駄,が一気に露呈した,当然,リストラクチャリングが叫ばれたが,’失われた10年’と言われた通り,改革は進まず,景気回復を大義に,膨大な借金,多くの無駄使いを繰り返した.

そして,やっと小泉政政権誕生で改革が動き始めた.改革なくして成長なし,聖域なき構造改革,小さな政府,官から民,を宣言し,同時に,ヘドロのようにたまった不良債権の処理に着手したのである.

しかし,小泉政権後,選挙のないままに,3代総理が変わり,改革への反動もあって,保守回帰が起り,改革は停滞するどころか,世界的経済危機に見舞われて,逆戻りさえし始めた.

こんな中で,今度の総選挙は小泉政権以後初めての総選挙になる.もう一度,改革か保守かを国民が審判する絶好の機会になるのである.

そこで,過去にも当ブログでたびたび取り上げているが,選挙を控えて,この問題をもう一度振り返ってみた.

日本は日本的社会主義,あるいは日本的資本主義,ダブルスタンダード,の国と言われてきた.その理由の一つに,官業の多さがある.金融,保険,運輸,交通,道路,レジャー,ホテル,旅館,保養所,住宅,美術館,博物館,図書館,スポーツ施設,学校,病院,介護,等などあらゆる分野に官業がある.

官業拡大のおかげで,建設土木事業が支えられ,官業周辺に利権組織が形成される,官僚の天下り先も潤沢になる.官僚の支配域も拡大する.資金は官業で集めた資金(貯金,保険料,料金など)と税金である.そして,これらの官業と公共事業を中心とした官・民の巨大な利権組織が出来上がった.

それが選挙の組織票の役割を担ったのである.かくて巨大な官僚国家,役人天国,と安定政権が出来上がったのである.これがまさに日本的社会主義と言われる所以である.

ある山村で,見事に,これに乗じた社会主義村がある.村民のほとんどが村営も含めて官業に勤めている.全員が公務員・職員である.病院,保養所,レジャ―施設,ホテル,農協,郵便局,学校,介護施設,などなど.だが資金は国の公金である.ある種,見事な村社会であるが,この様な社会主義村が全国に広がれば,資金が枯渇し,国の活力はなくなる.

国民の為と言う大儀に隠れて,肥大した官僚国家(大きな政府)は国民の負担と資金の不効率さを増大させる.官業は中止できないばかりか,身ずから改革も出来ないまま存続する組織なのである.

この問題に切り込んだのが,小泉政権である.’官から民’’小さな政府’論である.’旧態の自民党をぶっ壊す’’改革なくして成長なし’とも主張した.勿論,膨大な借金問題が背景にある.社会福祉を充実させる為にも,小さな政府にする必要があったのである.

まさに,'政府がやるべき事'の議論は通り越して‘政府が出来る事'の議論に追い込まれているとの現状認識があったと思う.思想的にも,小さな政府論には,歴史が示す通り,全能の政府を作る事など不可能であり,社会主義・共産主義のように,それを追い求めれば国が滅ぶ,との考えがあったと思う.

この政策は今までの秩序を壊す事から,当然,改革派と保守派の対立が起る,特に,郵政民営化の賛否が保守派か改革派かのリトマス試験紙になると言われた.過去の国鉄の民営化に引き続き,国民の多くの支持を得て,道路公団民営化,郵政民営化,政府系金融機関の民営化,行財政改革などの改革が始まったのである.一方,改革旋風の中で,伝統的保守派は改革に違和感を持ちながら,改革を装う様になったのである.

小泉政権のあと阿倍政権で参院選挙で大敗した事,衆院の大議席を使って,戦後レジュームからの脱却(憲法改定手続き法や教育基本法など)に取り組んだ事が,保守派を取り込む事となり,保守回帰が起ったのである.改革で得た議席が保守回帰に動いた事で政府与党の軸が揺れ始めたのである.

具体的には道路民営化の骨抜き,郵政民営化の見直し,政府系金融機関の民営化の見直し,積極的財政出動,道路族の復活,財政健全化の先送り,などの動きである.加えて,世界的経済危機による景気対策で保守派が回帰から主流派になって行った.

日本の保守派は国家観においても,原理原則より感情論が先行する.理論も苦手である.国の借金など気にせず,バラマキで選挙に勝ってきた経験者でもある.109億の事業価値しかない’かんぽの宿’を2400億もかけて作っても平気な人達である.

こんな箱物をどれほど作ってきたのか.国民の要望に乗って政治家を続けてきた人達かもしれない.まさに,地盤.看板,かばんを持った,おらがふるさとの代表者達である.その成果は850兆の借金を残した事である,こんな古いタイプの政治家は今度の選挙でご辞退願いたいものである.

ところで,改革の大きなテーマに地方分権で国の統治機構を変えよう,と言う議論が古くからある.最近,財政難,官僚国家批判の中で,にわかに,この議論が活発になってきた.

小泉改革路線で行政改革を徹底して遂行していれば,日本の未来は少し開けていたと思うが,日本の脆弱性を早急に取り除かなければ,ますます難題解決が遠のくと思うのである.

そんなわけで,明治以来の国の統治機構の改革(行政構造・政治構造の改革)は待ったなしだと思うが,現在,地方分権による国の統治機構改革論はまだ入り口段階である.地方からの改革の声は自由に使える金をくれ,国一律の規制を撤廃せよ,と言っているが,国全体の姿が見えない.

論理的に言えば,税の無駄使いを少なくし,有効活用する為に,国の仕事,地方の仕事を再定義し,統治機構の全体像を描く必要がある.勿論,国家,地方の予算はどう変化するのかの概算も必要である.その上で,移行方法や議員制度や選挙制度の検討も必要になる.

議論の中で,個々の役割分担や膨大な国や地方の借金,地域差,税の再配分,税体系をどう整合させるか,が悩ましい問題となる.分散を集中させることは簡単だが,集中を分散させる事は至難の業である.単に,自由になる金と権限と人を地方に渡せ,と言った表面的議論では済まないのである.

現状は残念ながら,有識者,政治家ともビジョンとロードマップを描き切れていないと感じる.単純にいえば,徹底した集中で効率を考える事が先だと思う,そして,集中の無駄を徹底排除する事から取り組む事が現実的だと思う.極端な分権論は国全体としては不効率になる事もよく吟味すべきなのである.

こんな中で,総選挙を控えて,各党がどこまで,この問題への考えを発信するか不明だが.国民としては,立候補者,政党が改革思考が強いのか,保守思考が強いのかで選択するしかない.テーマの奥行きが大きいだけに,今回の選挙はその程度のジャッジしかできないと思う.

しかし,NO172政権交代より政界再編で述べているが,ゴッタ煮状態の現政党では党を選択できないのである,選挙の前に政界再編を望みたい所だが,それが出来なければ,せめて,多くの立候補者,特に論客は,個人の信条をを元に無所属で立候補して欲しいのである.

そして選挙後,この人達が中心になって,政界再編をし,構造改革を進めて欲しいと思うのである.政権交替可能な2大政党を作る上でも,政界再編は必要なのである.

いや,やっぱり,ゴッタ煮の政党であっても,そこに属し,内部から改革すると言うかもしれない.その背景は,しがらみ,保身,資金,がからんでいるからだと思う.それなら小選挙区制はどちらかのゴッタニ政党を選ぶだけで,政策を選んだ事にならないのである.せめて,政治を志す人の信条に期待するだけである.

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2009.06.24

176 自民党の凋落要因

総選挙を真近に控えて,政府与党の支持率低下が著しい.多くが語られている事であるが,その要因を自分なりにまとめてみた.

バブル経済崩壊後,不良債権による金融・経済危機が起った.,巨額の借金をして,積極財政出動をすれども,金融・経済危機は回復しないまま,失われたた10年が経過した.その後,日本の構造的脆弱性の改革,不良債権処理,を掲げた小泉政権が誕生し,景気回復と空前の議席を確保した.

米百俵の精神,小さな政府,官から民,聖域なき構造改革,行財政改革,改革なくして成長なし,守旧派及び自民党をぶっ壊す,と,そのリーダーシップは日本の政治史にも特筆されるほどであった.05年確保した空前の議席は,そのまま現在まで続いているが,なぜ支持率が凋落したのか,独断と偏見で,その要因を整理してみた.

①選挙の洗礼を得ず,阿倍,福田,麻生と短期間で政権をタライまわしにした,
②長期に内在していた年金問題が発覚した.
③年金問題,大臣の失態で参院選に大敗した.

④改革政策で議席を得ておきながら,改革の停滞,保守回帰が起こった.
⑤世界的経済危機に際し,大規模な財政出動をするも,ビジョンが希薄と映った.
⑥与党内に改革派,保守派が入り混じって,政治路線が揺れ動いた,
⑦親・反小泉路線の狭間で選挙の洗礼を受けていない政権の弱さが露呈した.
伝統的派閥政治,支持団体組織が時代に合わず,党の政治力も低下した.
⑨多くの難題について,当事者ゆえに守勢にまわり,歯切れが悪くなった.
⑩麻生総理の軽薄さ(性格なのか演技なのか不明)が信頼感を損なった.
⑪国民の小泉氏の様な強力なリーダー待望論に答える人材が見当たらない.
⑫結局,大議席を得た事が,党内をバラバラにした.
⑬世代交代が進んでいない.保守回帰も古い自民党をイメージさせる.
⑭中央集権,公共事業の自民,福祉,地方分権の民主,との構図からくる不人気.

およそ以上であるが,この状態では,野党に問題があっても,一度,野党に政権を渡しても良いと国民が思っても仕方がない状態である.小泉政権後,このような危惧を発信し06年が日本の分水嶺になると予想した.残念ながら,悪いシナリオ通りになった感じである.もう党の分裂しか解決しないと思う.あるいは選挙結果で分裂せざるを得なくなると思う.

ところで,たびたび当ブログでも発信しているが,重要な政治課題に対して,与党も野党も党内がまとまっているわけではない.そんな状態で選挙をしても,権力者を選ぶ事になるだけで,国民が政策を選んだことにはならないのである.

又,選挙公約も党内でまとまっていない重要政治課題は公約に載せない事が多い.これも政策で党を選べない理由である.

そんなわけで,政策論争による政権交代の前に,政界再編が先だと思うのである.それが出来なければ,今度の選挙は無所属で立候補するという良識を期待する.国民は立候補者の政治信条に注力して,人を選ぶしかないのである.そして,選挙後に政界再編を行うシナリオしかないと思う.

この事態に政治家はどう思っているのだろうか,国のことより,自分のことしか眼中にないのだろうか.

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2009.06.21

175 死の判定と臓器移植を考える

死の判定と臓器移植について,浅学ではあるが,自分なりに考えてみた.

先日,子供を除いて,脳死を死として臓器移植を可能とする現行法から,本人の意思表示が難しい子供も一定条件で可能とする臓器移植法改定案が衆議院を通過した.

子供の海外での移植をなくしたい為である.ところで,臓器移植法は,臓器提供前提なら脳死を死と認め,そうでなければ,脳死状態は死ではない(心配停止で死とする),と言う事で死生観上の問題が古くから議論されている.

ところで脳死を死とした時,どの段階で死亡診断書を書くのだろうか.常識的には,脳死の判定後,臓器摘出手術前になるのだと思うが.理屈の上では,短い時間であっても,心肺は停止していない状態で死亡診断書が発行される事になる.あるいは,脳死判定は犯罪を回避する為に必要であって,死亡診断書は心肺停止を持って発行されるのだろうか.

これらの法案の背景に,移植によって多くの命を守りたいとの切実な願いがある.それゆえに,臓器提供を増やす為に,脳死を死とした考えが出てきたのだと思われる.現実は法律を作っても,欧米と違って,脳死で臓器提供は極めて少ないと言う.

この様に,臓器移植法によれば,死の定義が二つ存在する事になり,その選択は苦渋の判断になる又,心肺停止を死と思っている人からすれば,臓器提供に限って脳死を死と認める事は,積極的安楽死を選んだとの苦悩が付きまとうのである.

一方,あくまでも,人の死を心肺停止と思う人にとって,脳死状態からの臓器提供に限って尊厳死(積極的安楽死)を認めれば良いとの考え方も,論理としてはある.脳死を死とする事と尊厳死を認める事は医療行為は同じだからである.唯,尊厳死が認められれば,法律的に死の定義を心肺停止一つに出来る.但し今度は尊厳死を選ぶかどうかの苦悩が付きまとう事になる.

勿論,苦痛からくる尊厳死や安楽死と同じように,尊厳死は絶対許せないと言う根強い意見もある.この議論に発展させない為に,脳死は死としても良いとの法律が出来たのかも知れない.

はたして,臓器移植に限って脳死を死とする考え方と,心肺停止を死とするが,脳死状態からの臓器提供に限って尊厳死を認める考え方と,どちらが問題が少ないのだろうか.

もう一度整理すると,医学的にはよく分からないが,脳死状態,死亡診断書,摘出手術と心肺停止,となるか,脳死状態,尊厳死,心肺停止,死亡診断書,摘出手術となるのか,である.

臓器提供を許容した時,脳死状態者側も医者側も,尊厳死を決断するより,脳死は死と法律で決めてくれた方が,割り切りができると,なるのか,尊厳死の価値感が変わり,尊厳死への抵抗が低くなり,これを選ぶ様になるのか.あるいは心肺停止という自然死の後でなければ臓器提供は考えられないのか,

これらの問題は常に個人差が出る問題である.ならば,法律で一律に決める問題ではないのかもしれない.いや,いろいろな考え方に対応できる様にする事が法律の役割だとすべきなのか,

いずれにせよ,臓器を提供して他の命を救うという倫理感,死生観の普及がない限り,臓器移植法はむなしい議論になるし,適格な法律もできない感じがする.

そんな思いで,参議院での審議の行方を注目したい.

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2009.06.16

174 スロージョギング の薦め

先日,NHK「ためしてガッテン」でスロージョギングが紹介された.

運動不足,走ることは苦手,生活習慣病,メタボの標本の様な体,なのに,食欲旺盛で飯は旨く,元気だと,さして気にしていない自分にとって,惹きつけられる内容であった.自分なりに理解した内容は次の通りである.

スロージョギングとは`疲労しない(乳酸値が高くならない)ジョギング’であり,長時間走り続けられ,運動量も毛細血管も増えると言う.

そもそも動物の筋肉には持続力を司る赤い筋肉(赤筋)と瞬発力を司る白い筋肉(白筋)があると言う.マグロのように止まる事のない回遊魚等は赤身(赤筋)で持続力を,普段は動かず,獲物を取る時のみすばやく動く,ひらめ等は白身(白筋)で瞬発力を,発揮している.

人間はこの両方の筋肉を持ち,女性は赤筋ガ,男性は白筋が多い.女性が長寿なのは赤筋が多いからだと言われている.この赤い筋肉(遅筋)は歩くなどの日常の動作に,白い筋肉(速筋)は緊急事の動作に使われる.但しこの白い筋肉は使い続けると,乳酸値が急速に高くなり,動けなくなる筋肉である.

そこでスロージョギングとは,白い筋肉(瞬発力)を使わない,赤い筋肉(持続力)だけで走る方法と言う事になる.乳酸値も2以下を保ち,余り疲労感も感じられない走りである.勿論,赤い筋肉の強さで,スピードに個人差が出るが,初心者なら,歩く程度のスピードである.ただし,スロージョギングのエネルギー消費量は5割ほど歩くより高いのだそうだ.従って,スロージョギングは疲れず,長時間続けられて,運動量が多い,という事になる.

実際,毎日30分程度続けた結果,血糖値,血圧,コレステロール,などが下がり,メタボも解消したと言う.更に,赤い筋肉が強くなり,フルマラソンを完走した人も番組で紹介されていた.

マラソン選手はきっと赤い筋肉で30キロを走り,残り10キロは白い筋肉をフル動員するのではないか.一流選手の完走した後の驚異的な回復力には驚かされる.

たしか,マラソン選手,シンクロの選手,ボクシングもそうであるが,,持続力を高めるために,外から見えない内筋(赤い筋肉)を鍛えていると言う.逆にウエイトリフテングや短距離走の選手は瞬発力が勝負であり,筋骨隆々の外筋を作っている.このことからも,2種類の筋肉がある事がわかる.

さて,早速,今回のNHKの番組を実証したくなり,スロージョギングに挑戦してみた.まず,自分の疲労感を感じない程度のスピードはどれくらいか模索してみた.その結果,歩くより少し早い程度のスピードであった.これで,なんと,10分,20分,と走り続けられたのである.大した疲労感もなく,これが白い筋肉を使わない走りだと確認できた.次は30分に挑戦しようと思っている.

どうやら,スロージョギングの大事な事は,走る距離ではなく,スピードではなく,走っている時間の長さである.当然,歩くより,運動量も多い.但し,あまりのノロさで,見た目はカッコ悪い.だからと言って,格好をつけてスピードを上げたりすると,たちどころに息が切れてしまう.マイペースで黙々と走る精神的な持続力も必要だと実感した.

さて,このスロージョギングから連想する事は,スローライフである.どちらも,持続力だけで生活する,瞬発力はほとんど使わない行動を言うのではないかと,改めて感じる.勿論,この持続力には,経済力も関係するが,環境,価値観,生き様,信念,生活スタイル,人間関係,そして健康などが必要になる.特に第二の人生には不可欠だと思うのである.

また,経済危機は苦しさを招くが,加熱した経済を冷やし,持続力に立ち帰れ,持続力を鍛えろ,と見えざる手が社会に言っている様にも感じるのである.危機は持続力の弱点を露呈させる.その弱点を日頃においても,危機においても,察知し,改善して行く事が政治や企業の仕事である.多額の借金までして,瞬発力で対処療法するだけでは,いつか,財政赤字という乳酸がたまり,息詰まるのである.

企業における持続力は顧客資産,ブランド資産,知的資産,の簿外資産で決まる.従って,この3つの資産を増強する事が経営である.この持続力の上に売上げや利益,あるいは瞬発力が乗っかっているのである.

これらの簿外資産に評価項目を設定し,毎年,評価・改善していく事が成長に必要である.決して売上,利益,従業員数などの推移だけで企業の成長を判断できないのである.数字の膨張と成長は意味が違うのである.

スロージョギングは脳も活性化すると言う.ボケ防止にも利きそうだ.そこで,社会や生活にとって,持続力とは何か,持続力を強くする方法とは何か,それとも,やっぱり,瞬発力で必死に頑張るしかないのか,走りながらゆっくり,考えてみたい.

どうやら,スロージョギングタイムは優雅な,Thinking timeにもなりそうである.持続力による生活作りは,スロージョギングから始まった感じである.

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