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2010.02.11

199 本日は『建国記念の日』 国の祝日を考える

本日は『建国記念の日』である.1966年佐藤政権で制定された祝日である.ただし,各国の様に歴史的な史実に基づいた『建国記念日』『独立記念日』『革命記念日』ではない.

『建国記念の日』とは『建国をしのび,国を愛する心を養う日』であり,特定の史実を指していない.ただし日付は,政令で定めるとし,紀元節の日を指定したのである.

そんなわけで,法令通りの意味で本日を迎える人,2月11日は日本書紀(神話)による初代神武天皇の即位の日(紀元節)であり,紀元節を日本の建国の日として迎える人,単なる休日と思っている人,色々だと思う.

結果,世界に例のない祝日となり,外国人や日本国民に,『今日は何の日ですか』と尋ねたら,よくわからないとか,まちまちの答えが返って来る祝日になったのである.だとしたら,少し,さびしい感じもする.

ところで,戦前は立憲君主制のもと,皇室の祭事の日を『国民の祭日』としていた.『建国記念日』も紀元節にしていたのである.戦後GHQはこれを全て禁止したのである.

そこで名前を変えて祝日とし,日付は祭日に合わせたのである.占領下で苦肉の策だったと思う.戦前の『建国記念日』(紀元節)の復活を願う運動に対しても,同じ発想で『建国記念の日』を制定したのである.

そんな経緯から『建国記念の日』も含めて『日本の祝日』には法の趣旨と祭事の趣旨が併存しているのである.国民の中の意見の対立も,この苦肉の策,玉虫色の決着に一定の理解を示していると思うが,祝日のコンセプトが二つある為に,趣旨が曖昧になっている感は免れないのである.

例えば元旦(1月1日)は四方節,成人の日(1月15日,ハッピーマンディに移行)は小正,建国記念の日(2月11日)は紀元節,春分の日(3月21日)は皇霊祭,昭和の日(4月29日)は元は昭和天皇誕生日,みどりの日は御崩御の日,子供の日(5月5日)は端午の節句,秋分の日(9月23日)は皇霊祭,文化の日(11月3日)は明治節,勤労感謝の日(11月23日)は新嘗祭,等である.

ところで,現在と価値観が近い'戦後の史実'で建国記念日を設定した国は多い.敗戦国で言えば,ドイツは1990年の東西統一の日をもって『ドイツ統一の日』とし,過去の戦争の歴史を持ち出さずに建国の日をリセットした.イタリアも戦後すぐに王制から共和制に変わった事で,国民投票によって,『共和国記念日』としたのである.

そこで,『建国記念の日』をすっきりする為に,どうすればよいのか.浅学ながら自問してみた.

紀元節のように天皇の軸か,飛鳥,奈良,平安,室町,江戸,明治維新,現行憲法制定,等の政治の軸か,あるいは歴史上の人物の軸か,いづれにせよ,現在あるいは未来にも通じる,精神や志の原点であって欲しいと思うと,戦後の悩みの通り,難問である.

世界に類を見ない1500年続いている天皇の始まりを日本の建国記念日にする事は日本人のDNAに合致していると思うが,日本の精神や志の原点とすると,君主制や軍国主義と連動した歴史を連想して異論が出るのだと思う.

飛鳥や奈良時代あるいは平安時代の始まりを日本の建国の時とするには,古すぎて,現在に繋がる,精神や志を何にするか,定まらない感じがする.

明治維新は近代日本の始まりであり,建国記念日にふさわしい史実であるが,その後の戦争の歴史や歴史認識の問題が出てくる.

ドイツやイタリアのように戦後の史実で決めるなら,現行憲法制定をもって,日本の新しい建国記念日(憲法記念日と合体)とする事も考えられる.又,サンフランシスコ講和条約発令(日本国の独立)の1952年4月28日を建国記念日にする事も考えられる.

しかし,300万人の戦没者を出した敗戦によって,新しい国家が出来たと記念してもよいかと言う問題もある.

結局,自分の見識では『建国記念日』をどうすべきか,手に負えない難問だと再認識した.又,『建国記念の日』とその『日付』についても善し悪しが判断できない.

だからと言って『建国記念日』『建国記念の日』ともに不要だとも言いきれないのである.全く,この件はお手上げ状態である.

それにしても,改めて『玉虫色にした知恵』には,感心する.『の』と『日付』で,紀元節が建国記念日だ,ともとれるし,そんなことは決めていない,とも取れるのである.日本人ならではの知恵のすごさ,かも知れない.

この玉虫色の対処には三つのパターンがある.見方によっては,対立する双方の言い分が取り入れられているやり方(例えば今回の祝日),但し書きをつけて逃げ道を作るやり方(役人の作る法制度など),表面的には角が立たない曖昧な表現になっているが,専門家が見ると,明確になっているやり方(政策論議など),である.

まさに玉虫色の決着は日本人独特の文化のようにう思う.相手への『気遣い文化』,『曖昧な合理性の文化』(白黒はっきりするより,曖昧にした方が物事がうまく行く文化),『和の文化』,『腹や行間で分かりあえる文化』,である.

世界に,この文化が簡単に通用するとは思わないが,日本人の英知に違いない.歴史の永い国ほど,このような文化を感じられる事を思うと,『人類の英知』なのかもしれない.

しかし,『日本の祝日』に見られるように,歴史的事実や伝統的催事を伏せて,玉虫色の表現にする事は他国から分かりづらい国と映ったり,国民が歴史認識や伝統的催事から目をそらす事に繋がっている感じがする.

さらに言えば,祝日に限らず,玉虫色の決着は,これ以上,思考や価値観,違いを追及しない,思考を掘り下げない事にも繋がり,『曖昧な国』『主張のない国』『顔の見えない国』から抜け出せない事になる.これも又,頭が痛い問題である.

『建国記念の日』に潜む歴史観や価値観の葛藤,決着の知恵,文化に思いをはせ,何とも,頭が疲れた『祝日を考える日』になってしまった.

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