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2010.02.20

202 タイガーウッズの去就への願い

多数の女性との浮気が発覚して3か月,タイガーウッズは沈黙を破って,記者会見を行った.世界の注目を集めたが,出席メデアに制限が設けられたり,出席者がタイガー関係者ばかりであったり,質問を受けない事でマスコミの不満もあった様である.

私の見る限り,カウンセリングの一つとして,世界中の人々の前で懺悔をしたのだと思う.スキャンダルを追いかけるマスコミから見れば,記者会見とは程遠く,面白くなかったはずである.

ところで’懺悔’は罪を自白し,悔い改める事であり,神に許しを得る厳粛な行いであると言う.通常は密室で牧師に懺悔するようだが,私的な事にもかかわらず,タイガーは世界的な著名人であるだけに,公開の場での懺悔が必要だったのだと思う.勿論,カウンセリングに沿ったものであったと思う.

私の率直な感想を言えば,タイガーらしく,余りにも厳粛な懺悔であったと思う.マスコミの言う単なるパフォーマンスではなかったと思う.逆に三枚目を演じられないタイガーの性格を心配した程である.

スキャンダルはいつもそうだが,著名人ほど興味を引き,スキャンダルのダメージも大きくなる.まさに名誉や富の代償は高い理性を保つ事だとも思う.

それでも,スキャンダルを起こしてしまうのは,それ程ストレスが大きいと言う事か.あるいは,根っからの好き者が著名人になっただけで,ストレスが原因ではないと言う人もいると思う.

タイガーで言えば,間違いなく,品行方正で,誰からも尊敬される英雄である.決して作られたイメージとは思えない.常に最高のプレーも要求される.名実ともに世界のゴルフを背負っていると思う.

その責任感に加えて,プレーに求められる緊張感,集中力は半端ではない.真剣勝負の連続である.名誉,財力,偉業を得る為の努力もすさまじかったと思う.

その解放感や反動で,度々浮気に走ったのかもしれない.そのガス抜きが次の厳しいプレーを可能にし,好成績につながっていたのかも知れない.勿論,英雄,色を好むではないが,精力が人一倍強く,それが強靭なゴルフを可能にしていた側面はあったと思う.

マスコミが興味を持っているであろう,カウンセリングの内容,夫婦間の問題,浮気相手の言動,等は個人の問題であり,ゴルファーとしては公開の場で懺悔したのだから,スッキリした気持ちで,一日も早い復帰を願いたいと思う.

復帰に関しては明言をしなかったが,今からでも準備に入り,マスターズでの雄姿を見たいものである.出来る事なら,打倒タイガーを目指している若いゴルファーの為にも,人間的に大きくなって,ゴルフを極め続けて欲しいのである.

ところで著名人に限らず一般人も含めて,スキャンダル(反道義的行為,軽犯罪的行為)が命取りになって,その人が社会から葬られてしまうケースが気になる.

その人のけじめ,本人の良心の呵責を社会は重く受け止めてやり,現状復帰を許容する度量が必要な気がする.その為に,他人のスキャンダルを興味本位で楽しむ心の貧しさ,視聴率至上主義のテレビの姿勢,過度な減点主義,等,改める必要があると思う.

聖人君子でもない人間が起こすスキャンダルの代償が,一昔前と比べ格段に大きくなっているのではないかと気になる.その事で本人の懺悔する心を遠ざけてはならないと思うし,社会も懺悔を尊重し,それを受け入れる度量が必要だと思う.

スキャンダルを飯のタネにする社会,それを蜜の味と楽しむ社会,そんな風潮に自制を求めたい.

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2010.02.18

201 国会論戦への疑問

2010年度予算審議が真っ最中だが,どうも国会論争がおかしい.いくつか上げてみたい.

①余りにも裏付けのない民主党のマニフェストに民主党自身が四苦八苦しているが,マニフェスト違反と言われないように,このいい加減なマニフェストに固執しているように見える.民主党内部での論争も聞こえてこない.これでは政権与党を担う資格もない.

国民はマニフェストの変更があっても,民主党が嘘をついた事になっても,国の方が大事なのである.無理や誤りがあったら,即修正する度量が政権与党には必要なのである.

一方,野党・自民党は民主党のマニフェストの問題を指摘するより,政治資金疑惑,マニフェスト違反で攻めたいようである.

本来,民主党のマニフェストが変更されたなら,変更に賛成と言うべきであって,変更はけしからんと言うのはおかしい.マニフェストに賛成していたなら,変更はけしからんと言えると思うのだが.自民党は民主党の失態やうそを待っているだけのように感じる.

自民党なら,選挙の時から民主党のマニフェストは裏付けがないと言ってきた.案の定,その事が露呈してきた.それでもマニフェストに固執すれば日本が危なくなる.即刻,国民に信を問い直すか,マニフェストの見直し,仕訳をすべきである.と言い,政策論争に入るべきである.

残念ながら,そうはならず,政策論争が低調である.野党の責任大である.マスコミや有識者の民主党批判は多いが野党・自民党は何をしているのだろうか.

何を言っても天に唾する事になると思っているなら,自民党は野党の資格さえない.早く解党・再生すべきである.その間,少なくても,民主党政策の問題点を指摘すべきなのである.

総じて,民主党も自民党も自党の事ばかり考えて,日本の事など真剣に考えていないように見えるのである.

②今後の財政政策と言う極めて重要な議論がされていない.6月に政府の考え方を出すと言うが,そんな状態で10年度の予算審議が出来るのだろうか.日本は財政危機の極めて危険な局面にあると思っているが,政治家はどうのように認識しているのだろうか.10年度の予算からも,うかがえない.

③民主党の目玉政策である,子供手当て,高校無料化,農家所得補償,高速道路無料化,に代表される恒常的制度に対し,目的,財源,効果,制度設計,等,根本的な論議がない.国民は極めて不安と思っている政策である.

特に『子育てを社会全体で応援する』と言うが,この抽象的な言葉で,なぜ毎年5兆円を超える『子供手当て』の給付になるのかわからない.金を配ったら何に使われるか分からない金である.もっと効果的な金の使い方はいくらでもあるし,既にやっている事も多いと思う.

財政危機の中で,毎年5.5兆円を超える予算を組む感覚の人に,政治を任せられるのだろうか.経済的救済なのか,需要刺激策なのか,子供育成費用軽減策なのか,目的をはっきりするところから要不要も含めて議論する必要がある.

元来,筋肉質な身体作り,財政政策の立案,の上でこれらの巨額の恒常的歳出の議論をすべきである.従って恒常的歳出案件はひとまず10年度予算から削除すべきだと思うのだが.それでも.やることは山ほどある.

④政治と金の問題で企業・団体の献金禁止の話がよく出るが,どうも話をすり替えて議論しているように思う.癒着の防止なら献金禁止,裏金や迂回の防止なら罰則の強化,政治資金収支報告書の責任問題なら政治家の署名義務化,など,かみ合った議論が必要である.

かつて,政治と金の問題を選挙制度(小選挙区制)や政党助成金制度に摩り替えた歴史がある.政治家はこの種の問題に対しては,ずば抜けた,ずる賢い能力を発揮する.要注意である.

以上4点が現在の国会審議の感想である.なんとしても2010年度は①財政の道筋,②社会福祉の道筋③科学技術・未来産業への道筋,④行政改革の道筋,に専念して欲しいのである.民主党のバラマキ予算は先送りしないと,本当に日本は危なくなる.

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2010.02.14

200 首相の政治資金問題

繰り返し報道され,国会でも野党の攻撃が激しくなっている政治と金の問題について,鳩山首相のケース(政治資金収支報告書偽装問題,贈与税未納問題に首相は全く知らなかったとしている問題)を自分なりに整理してみた.

大金持ちである鳩山ファミリー内の金の動きには昔から無頓着で,親の金は自分の金として,貸し借りも贈与も首相の頭にはないのかもしれない.知らなかったは意識もなかった,と言う事かも知れない.秘書がやった収支報告書偽装も,同じく,知らなかったとして,責任を取っていない.

勿論,無頓着であっても法が適用される.親子の関係を裂くような議論は避けるべきだとの論調もあるが,生前贈与税,相続税がある以上,曖昧には出来ないのである.

当然の如く,世間からは,知らなかったはずはない,知らなくても脱税だ,知らなかったと言えば罪にならないのか等,非難轟々である.

そこで,次の四つの切り口で私見を述べてみたい.

①母親から秘書に渡った金の取り扱い問題(首相の贈与税脱税問題)
②首相の政治資金収支報告書偽装への関与問題
③六幸商会の偽装加担と首相の責任問題
④推測される全体の姿

①母親から秘書に渡った金の取り扱い問題(贈与税脱税問題)

まず,税法で言う贈与とは双方合意の上で,無償で財産を渡すことである.個人から個人の場合は贈与税,企業から個人へは所得税,個人から企業へは法人税,企業・団体・個人から政治資金団体へは献金,の扱いになる.

そこで,まず,この金の流れを正確にしておかねばならない.

(A) 母親ー首相ー資金管理団体へと金が渡った(贈与税発生,首相の献金)
(B) 母親ー資金管理団体へと金が渡った(母親の献金)


首相は7年間,遡って贈与と認めたのだから(A)と言う事になる.しかし,7年間,母親が金を出している事を知らなかったと言う.それが事実なら,合意がなかった事になり,7年間,贈与が成立していない事になる.

だとしたら,首相に渡った金は母親の所有のままの金,あるいは金額に上限がなく税もかからない生活費扱いの金,となる.従って,そのまま政治資金団体に渡った金は母親からの献金となる.だとすると,金の流れは(B)になる.

そこで,7年間の金の取り扱いについて整理すると次の3つのケースになる.

A 首相の生活費(無税扱い)として渡した(使った金や個人献金は首相の金)

B 母親の所有の金として渡した(使った金や個人献金は母親の金)
C 遡って贈与と認めた(遡って使った金や個人献金は首相の金と認識)

のいづれかである.尚,ゴットマザーが,どのような認識で金を渡し続けたのか確認が必要であるが,首相の認識としてC の処置をとり,贈与税を納付したのである.(国税の判断は未決着)

税に関して言えば,国税庁の解釈は積極的に言っているわけではないが,申告税である以上,知らなかった事を知ったから納税した,で通る様である.故意に隠していなければ罰しようがないとの事らしい.

この解釈によって,'知らなかった’事を理由に脱税罪を回避できるとして,もっとも現実に近いCを選んだのかも知れない.

しかし,最大の問題は弟も知らなかったとして遡って贈与税を申告したようだが,本当に兄弟とも知らなかったのか,どうかである.知っていた事になれば,明らかに脱税容疑がかかる.この一点が政治生命をかけた重大なポイントとなる.

知らなかった事を証明する事は不可能だが,知っていた事を証明するには,たった一つの事実で済む.首相は今後,針のむしろに座り続ける事になる.

そんな状態で首相が務まるのだろうか.知っていたとする事実を政治駆け引きや脅迫に使われたら大変な事になる.そんなリスクを排除する事が政治の責務だと思うのだが.本人の意に反していても,身づから辞職する意味はここにある.

②首相の政治資金収支報告書偽装への関与問題

次に,政治資金収支報告書偽装問題であるが.首相の弁によれば,母親の金の存在も,収支報告書の内容も,秘書任せで,偽装など知らないとの事である.母親の金の事も知らなかったのだから,偽装など思いもつかない事だとも言う.

しかし,遡って贈与と認めたのだから,理屈で言えば,自分の金が偽装されたとなる.だとすると,贈与税納税と同時に,収支報告書に自分の金を拠出した事と修正し,個人献金の上限オーバー分を国庫に納付する必要がある.

一方,政治資金規正法では秘書の違法行為に対し,連座制はなく,会計責任者に責任を負わせている.知らなかったとなれば,政治家の法的責任は回避される.そのせいか,ほとんどの政治家は収支報告者を見ないと言う.政治家の作る法律にありがちな法制度であるが,違法行為の政治的責任は回避できないと思うのだが.

今の所,首相は野党時代の主張とは裏腹に政治的責任を取る意識はないようである.偽装の原資が自分の金だったから,との理由を上げているが,理解不能である.

そこで,首相の弁明の信憑性を検証してみたい.

秘書は個人献金者を多く見せたかった事を理由に母親からの金を架空の個人献金にした.との事だが,そんな事で長い期間,危ない橋を渡るだろうか.極めて疑問である.

秘書は,母親から受け取った金が首相への贈与金であるか,あるいは,母親の個人献金であるかは当然認識していたと思う.

その認識の上で,秘書は母親の金が流れている事を隠す為に,母親の金を他の献金に見せかけたのではないかと思う.裏金に慣れている人からすれば,法を犯す抵抗感があまりなく出来そうである.

又,当然,母親からの金を偽装などせず,裏金のままにする事も考えたと思うが,余り巨額な金の為,発覚を恐れたのではないかと思われる.ごく自然な推察である.

一方,首相は鳩山家の金が裏金になる事も含めて,色々な形で使われる事は暗黙的知っていたはずである.少なくとも,母親から金が出ている事や収支報告書に鳩山家の名前が出ていない事は知っていた筈である.

だとすると,企業が絡む話ではないだけに,首相の知らなかったとの弁明に説得力がない.偽装の内容は知らなかったとしても,偽装の責任が首相にもある事は自明である.

又,収支報告書偽装の修正申告によって,個人献金限度額オーバー分の国庫納付の問題が発生するが.どのような修正をするのか,オーバー分の納付はどうするのか,話題に上がっていないが,注目したい.

③六幸商会の偽装加担と首相の責任問題

六幸商会は鳩山ファミリーの個人毎の資金管理をやっている会社である.各人の依頼にもとづき,個人の財産,収入,支出,税金などの処理を代行していると言う.

六幸商会は母親の了解で,毎月,六幸商会は首相秘書に金を渡していたと言う.六幸商会も秘書と同様,常識的に,これは母親からの贈与に当たると認識するはずである.

だとすれば,六幸商会は首相の税務処理の一環で,なぜ贈与税申告をしなかったのだろうか.

収支報告書の偽装と整合させる為,母親からの金は裏金にせざるを得なかったのではないか,当然,贈与税申告もできない事になる.これは明らかに贈与の隠ぺいである.

これも鳩山家の資金を表に出さずに使う慣習を首相は知っていたから,あえて首相の了解を得なくても良いと判断したのか,報告しても,聞き流す程度で終わっていたのではないか,と思われる.

だとすれば,首相の知らなかったとの弁明が苦しくなり,脱税の責任が及ぶ事になる.

さらに言えば,たとえ,知らなかったとしても,事務方の意図的な不正を知らなかった首相の責任はあるのではないか.この実務者を法的に罰する事はできないが,首相が責任を問われるのではないか.

知らなかったは政治資金規正法は許されても,税法では実務者が違法をしていた場合,管理責任が問われると思うのである.

ところで,発覚後,首相は六幸商会を厳しく叱責したのだろうか.していないなら,知っていたからと思われてもしようがない.

④推測される全体の姿

以上,自然な理解を繋ぎ合わせると,次のような全貌が見えてくる.

1.鳩山家の金は表に出ない形で政治に使われてきた(鳩山家の慣習)
2.母親からの金も表向き存在しない金(裏金)として処理されてきた(脱税)
3.母親からの金を他人からの献金だと偽装した(規正法違反,限度オーバー)
.首相は裏金の存在を知らなかったと言わざるを得なくなった(虚偽)

こうなると,国税への言い方の『知らなかったから納税しなかった』ではなく,『裏金だから納税しなかった』のであり,この事を首相は,『鳩山家の慣習』として知っていた,と見るのが自然である.

鳩山家の慣習とは,鳩山家の金を勝ってに使って,何が悪い,との感覚のもと,相続税の意識はあっても,貸し借りや生前贈与の意識が無いままに,生活費やポケットマネーの感覚で政治に金を使って来たのではないか,結果的に,表に出ない金として扱われて来たのではないかと,言う事である.

果たして過去に首相や親族は生前贈与税を収めた事があるのだろうか,意識を知る上で,大変興味がある所である.

極めて単純なシナリオであるが,もしこの慣習が事実であれば,首相に税法違反,延滞遅延金・重加算税追徴,政治資金規正法違反,個人献金限度額オーバー分の国庫納付,が問われるのである.

以上,勝手な推理の域を出ないが,誰もが思う一つのシナリオである.これを覆す首相の釈明はまだ聞こえてこない.説明責任を果たしていないと言われる由縁である.

どう見ても,『遡って納税したから終わりだ』,とはならない気がする.このシナリオを覆さない限り,首相には一生,脱税の疑いの目が付きまとう事になる.本人もつらいと思うし,確実に行動力や政治力は落ちると思う.疑惑を無視するほどの図太い神経の持ち主だとは思えないからである.

疑いの目を持たれたままの政治家が重責を担う事は,本人のみならず,国民にとって,極めて不幸な,危険な事である.なによりも,脅迫や政治圧力のネタになりかねない.当然,国家は政治リスクを抱える事になる.

さて,友愛の心,命を守る,コンクリートから人へ,と言葉に酔うが,リアリティに乏しい首相は,どうこの事態に政治的決着をつけるのだろうか.自分へのリーダーシップ,自分への決断をどう下すのだろうか.

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2010.02.11

199 本日は『建国記念の日』 国の祝日を考える

本日は『建国記念の日』である.1966年佐藤政権で制定された祝日である.ただし,各国の様に歴史的な史実に基づいた『建国記念日』『独立記念日』『革命記念日』ではない.

『建国記念の日』とは『建国をしのび,国を愛する心を養う日』であり,特定の史実を指していない.ただし日付は,政令で定めるとし,紀元節の日を指定したのである.

そんなわけで,法令通りの意味で本日を迎える人,2月11日は日本書紀(神話)による初代神武天皇の即位の日(紀元節)であり,紀元節を日本の建国の日として迎える人,単なる休日と思っている人,色々だと思う.

結果,世界に例のない祝日となり,外国人や日本国民に,『今日は何の日ですか』と尋ねたら,よくわからないとか,まちまちの答えが返って来る祝日になったのである.だとしたら,少し,さびしい感じもする.

ところで,戦前は立憲君主制のもと,皇室の祭事の日を『国民の祭日』としていた.『建国記念日』も紀元節にしていたのである.戦後GHQはこれを全て禁止したのである.

そこで名前を変えて祝日とし,日付は祭日に合わせたのである.占領下で苦肉の策だったと思う.戦前の『建国記念日』(紀元節)の復活を願う運動に対しても,同じ発想で『建国記念の日』を制定したのである.

そんな経緯から『建国記念の日』も含めて『日本の祝日』には法の趣旨と祭事の趣旨が併存しているのである.国民の中の意見の対立も,この苦肉の策,玉虫色の決着に一定の理解を示していると思うが,祝日のコンセプトが二つある為に,趣旨が曖昧になっている感は免れないのである.

例えば元旦(1月1日)は四方節,成人の日(1月15日,ハッピーマンディに移行)は小正,建国記念の日(2月11日)は紀元節,春分の日(3月21日)は皇霊祭,昭和の日(4月29日)は元は昭和天皇誕生日,みどりの日は御崩御の日,子供の日(5月5日)は端午の節句,秋分の日(9月23日)は皇霊祭,文化の日(11月3日)は明治節,勤労感謝の日(11月23日)は新嘗祭,等である.

ところで,現在と価値観が近い'戦後の史実'で建国記念日を設定した国は多い.敗戦国で言えば,ドイツは1990年の東西統一の日をもって『ドイツ統一の日』とし,過去の戦争の歴史を持ち出さずに建国の日をリセットした.イタリアも戦後すぐに王制から共和制に変わった事で,国民投票によって,『共和国記念日』としたのである.

そこで,『建国記念の日』をすっきりする為に,どうすればよいのか.浅学ながら自問してみた.

紀元節のように天皇の軸か,飛鳥,奈良,平安,室町,江戸,明治維新,現行憲法制定,等の政治の軸か,あるいは歴史上の人物の軸か,いづれにせよ,現在あるいは未来にも通じる,精神や志の原点であって欲しいと思うと,戦後の悩みの通り,難問である.

世界に類を見ない1500年続いている天皇の始まりを日本の建国記念日にする事は日本人のDNAに合致していると思うが,日本の精神や志の原点とすると,君主制や軍国主義と連動した歴史を連想して異論が出るのだと思う.

飛鳥や奈良時代あるいは平安時代の始まりを日本の建国の時とするには,古すぎて,現在に繋がる,精神や志を何にするか,定まらない感じがする.

明治維新は近代日本の始まりであり,建国記念日にふさわしい史実であるが,その後の戦争の歴史や歴史認識の問題が出てくる.

ドイツやイタリアのように戦後の史実で決めるなら,現行憲法制定をもって,日本の新しい建国記念日(憲法記念日と合体)とする事も考えられる.又,サンフランシスコ講和条約発令(日本国の独立)の1952年4月28日を建国記念日にする事も考えられる.

しかし,300万人の戦没者を出した敗戦によって,新しい国家が出来たと記念してもよいかと言う問題もある.

結局,自分の見識では『建国記念日』をどうすべきか,手に負えない難問だと再認識した.又,『建国記念の日』とその『日付』についても善し悪しが判断できない.

だからと言って『建国記念日』『建国記念の日』ともに不要だとも言いきれないのである.全く,この件はお手上げ状態である.

それにしても,改めて『玉虫色にした知恵』には,感心する.『の』と『日付』で,紀元節が建国記念日だ,ともとれるし,そんなことは決めていない,とも取れるのである.日本人ならではの知恵のすごさ,かも知れない.

この玉虫色の対処には三つのパターンがある.見方によっては,対立する双方の言い分が取り入れられているやり方(例えば今回の祝日),但し書きをつけて逃げ道を作るやり方(役人の作る法制度など),表面的には角が立たない曖昧な表現になっているが,専門家が見ると,明確になっているやり方(政策論議など),である.

まさに玉虫色の決着は日本人独特の文化のようにう思う.相手への『気遣い文化』,『曖昧な合理性の文化』(白黒はっきりするより,曖昧にした方が物事がうまく行く文化),『和の文化』,『腹や行間で分かりあえる文化』,である.

世界に,この文化が簡単に通用するとは思わないが,日本人の英知に違いない.歴史の永い国ほど,このような文化を感じられる事を思うと,『人類の英知』なのかもしれない.

しかし,『日本の祝日』に見られるように,歴史的事実や伝統的催事を伏せて,玉虫色の表現にする事は他国から分かりづらい国と映ったり,国民が歴史認識や伝統的催事から目をそらす事に繋がっている感じがする.

さらに言えば,祝日に限らず,玉虫色の決着は,これ以上,思考や価値観,違いを追及しない,思考を掘り下げない事にも繋がり,『曖昧な国』『主張のない国』『顔の見えない国』から抜け出せない事になる.これも又,頭が痛い問題である.

『建国記念の日』に潜む歴史観や価値観の葛藤,決着の知恵,文化に思いをはせ,何とも,頭が疲れた『祝日を考える日』になってしまった.

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2010.02.09

198 政策に求められる戦略性と平等性

内需とは個人消費,設備・在庫投資等の民間需要と公共事業などの公的需要に大別される.この内需に外需(輸出入差額)を加えたものがGDPである.

さて,政府が行う経済対策とは,GDP(民需・外需)を伸ばす為に,金融政策,財政政策と並行して,経済の波及効果を出す為の財政支出(公的需要)や制度を実施する事である.

しかし,近年の経済対策の多くは,将来の先行投資や制度改革と言うより,直近の景気対策と称して,公共事業と言う仕事を作り,真水を流す事に終始して来た.まさに公金で経済を支える公共事業経済を拡大して来た.

明らかに,公共事業経済を拡大すれば,いつか財政が破綻する事は自明である.そこで,今後の経済対策について,思いをめぐらしてみた.

①戦略性が求められる経済政策

輸出だのみから国内消費拡大にシフトすべきだ,とよく言われるが,グローバル経済の中では,個人消費や設備投資が増えても,輸入が増え,国内に経済波及効果(民需拡大効果)が及ばない,弱い国内企業が駆逐される,という問題がある.

円高下では.この問題が加速するのである.だとすると,消費増大は国内産業を弱める要因になりかねないのである.当ブロクNO185内需拡大より外需拡大,NO191円高・株安・デフレ対策,でもこの問題を取り上げ,根本的には円安誘導が不可欠だと発信したのである.

又,円高でなくとも,常識的には限界効用逓減の法則,低価輸入品の増大,国際分業・調達の増大,生産の自動化,生産性の向上,などで,消費拡大による内需への波及効果が極めて低くなっている事もある.

液晶テレビやエコ製品が売れても,ほとんど国際調達であったり,巨大な設備投資があっても,設備は国際調達で,生産は自動化され雇用拡大にはつながらなかったり.

従って,グローバル経済においては,円高を抑制し,産業を強化しない限り,GDP(民需・外需)は伸長しないのである.GDPの伸長の為の経済政策は,つまるところ,民需も外需もなく,国内産業を強くし,国内外に売る事に繋がらなければならない.その意味でサプライサイド(産業)の強化・活力が絶対不可欠だと思うのである.

その意味で,民主党は給付で消費の拡大を図ると言うが,財政問題だけではなく,本当に消費増大になるのか,なったとしても,上記のように,輸入が増加して,国内企業を駆逐しないか,結果的にGDPの伸長に貢献するのか,等,極めて疑問点が多いのである.これが経済対策ではなく,救済対策,少子化対策,選挙対策なら別の議論が必要になるが.

繰り返すが,政府のやる経済対策とは金融政策,先行投資(戦略的財政出動),制度改革,によって,産業を強くし,GDP(民需・外需)を押し上げる事だと思う.あくまでも投資や事業運営の主体は産業なのである.

②平等性が求められる社会的費用

雇用・年金・医療・介護・教育あるいは災害対策,国防,等は社会的費用の支出と考えて,経済政策とは分離して議論すべきだと思う.

福祉経済は公的財源を投入し続けて,経済の波及効果を期待しようとするものであるが,若干のGDPの押し上げがあっても,恒久的財源が必要になる.まさに公共事業経済を福祉でも拡大する事になる.

福祉経済はその支出を超えて税収があるわけではないし,輸出も増えるわけではない.当然,福祉経済を拡大すれば,確実に財政破綻に向かう.その意味で経済対策とすべきではなく,あくまでも社会的費用として考えるべき政策である.

昔,田中角栄は新潟の豪雪地帯の道路・トンネル,土地改良を福祉事業だと言った.経済効果ではなく,命にかかわる事業だと主張したのである.議論を呼ぶ所ではあるが,少なくとも,経済効果がある等と嘘は言わなかったのである.一方,列島改造論では経済成長に向けた先行投資論を展開したのである.

社会的費用支出も経済対策の一つと,なんでも,まぜこぜに経済対策を議論すると,大義のでっち上げや,役立たない財政出動の温床になってしまう.過去に良く見られた事である.

又,現政権は'コンクリートから人へ’と言うが富を産む真の経済政策とは違うと思う.これを経済政策と位置付けている向きもあるが,この考えで支出を続けると,経済も財政も悪化のスパシラルに陥る可能性がある.成長戦略がないとの批判は当然である.

勿論,福祉分野で必要とされる真の経済対策はある.私見ではあるが,長寿先進国として長寿立国を宣言し,予防や治療の技術革新,設備革新,制度改革,長寿文化などへの投資である.勿論,福祉費用の低減や世界の長寿化への貢献も考えられる.

この様に,福祉への経費支出と福祉への投資支出(経済対策)を分離して考える必要があると思う.

以上,二つの視点を述べたが,要するに,

経済政策は戦略性,社会的経費は平等性が大事だと思う.まぜこぜの議論は効果を薄め,財政支出を拡大させるだけである.又,戦略性のない経済政策は無駄と機会ロスを産むだけである.従って,財政支出は,この二つの概念で考えるべきだと思うのである.

その意味で言えば,飛行場や港湾の建設は余りにも戦略性が欠如した意味のない経済政策だったと思う.国家としての戦略的な先行投資案件と平等性を重んじた社会的費用案件に分けて考えていれば,大分,様相が変わったと思う.

かつて小泉総理が所信表明で’米百俵の精神’を引用し,官から民,小さな政府,構造改革の必要性を訴えた.日本の’ゆで蛙状態’では財政問題の解決や,グローバル時代に生き残れないとの危機感があったのだと思う.国民からも多くの賛同を得た.

しかしその後,改革は停滞し,既に1000兆に近い借金と言う逃げられない高温に国民は浸っている.身体も思うように動かす事が出来なくなり,茹であがる寸前である.日本的公共事業経済,日本的社会主義経済の結果である.これから脱却する事が経済対策だと思う.

そんな中で,企業の大小を問わず,国際市場に通用する産業や製品を形成し,稼ぐ事に必死に取り組まねばならない.日夜の民間の努力に加え,国家としても,真の経済政策を実行する時である.ましてや産業の足を引っ張るような政策は排除すべきなのである.

不況から新しい産業が起った事は歴史が証明している.内向きなパイの分配論に終始している場合ではないと思う.公共事業経済から脱出し,稼ぐ(パイの拡大)為に何をするか,と言う真の経済政策が求められているのである.

民主党は行政の脆弱性を撲滅する改革をやりながら,その削減財源の使い道は社会主義的な大きな政府志向である.これでは財政問題も経済成長も展望が開けない.

真の経済対策とは借金900兆に代表される日本的公共事業経済,日本的社会主義経済,ゆでガエル経済,から脱却する事である.苦しい事ではあるが,これしか選択肢が残っていないのである.合成の誤謬になるような選挙公約は無責任であり,選択肢にないのである.

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