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2010.08.16

223 終戦の日・改めて戦史年表をじっと見た

8月15日終戦記念日(敗戦の日)は65年目を迎えた.毎年,この日に,日本人は,戦争の悲惨さを思い起こし,300万人の戦没者への哀悼をささげ,2度と戦争を繰り返さない決意と平和への誓いを,し続けて来たのである.

今年は,自分なりに,改めて史実を列記し,そこから何が浮かんでくるか,もう一度凝視する事にした.

1894年(M27)・・・日清戦争
・1895年(M28)・・・台湾併合
・1902年(M35)・・・日英同盟(対ロシア満州侵攻阻止)1923年8月失効
1903年(M36)・・・ライト兄弟・動力飛行成功(飛行時間15秒,距離36メータ)       

1904年(M37)・・・日露戦争  
1910年(M43)・・・朝鮮併合(~終戦,今年併合100周年)
1914年(T03)・・・第一次世界大戦
・1917年(T06)・・・ロシア革命

・1929年(S04)・・・世界大恐慌
1931年(S06)・・・満州事変(軍部の大陸侵攻),(ドイツ・イタリアのファシズム台頭)

・1932年(S07)・・・満州国誕生
・1933年(S08)・・・国際連盟脱退(連盟は満州国を未承認)

・1934年(S09)・・・日米親善野球(ベーブルース・沢村対決
・1936年(S11)・・・二・二六事件(軍事クーデター)勃発,鎮圧
・1936年(S11)・・・3月広田弘毅内閣発足
・1937年(S12)・・・6月第一次近衛文麿内閣発足

1937年(S12)・・・日中戦争突入(抗日戦線攻撃,北京上海,南京へ侵攻)
・1938年(S13)・・・ドイツのオーストリア,チェコへ侵攻

・1939年(S14)・・・ドイツのポーランドへ侵攻(第2次世界大戦勃発)
・1940年(S15)・・・日独伊三国同盟締結
・1941年(S16)・・・日ソ不可侵条約締結

1941年(S16)・・・日本の中国侵攻に対する経済制裁(ABCD包囲網)

・1941年(S16)・・10月東条英樹内閣発足
1941年(S16)・・12月マレー半島・真珠湾・奇襲(太平洋戦争突入)
1942年(S17)・・・6月ミッドウエイ海戦日本軍玉砕
1942年(S17)・・・8月ガダルカナル島日本軍玉砕
1943年(S18)・・・東南アで消耗戦展開(連合艦隊・山本五十六戦死)
・1944年(S19)・・・6月連合軍ノルマンディ上陸
1944年(S19)・・・7月サイパン島日本軍玉砕(B29による日本空爆基地化)
1944年(S19)・・・7月東条英樹内閣総辞職,小磯内閣発足

・1944年(S19)・・10月フィリピン・レイティ島日本軍玉砕(マッカーサーの反撃)
・1945年(S20)・・・3月硫黄島日本軍玉砕
1945年(S20)・・・3月無差別大空襲(東京,大阪,名古屋,横浜,神戸,等)

1945年(S20)・・・4月米軍沖縄上陸
・1945年(S20)・・・4月鈴木貫太郎内閣発足(終戦工作)

・1945年(S20)・・・5月ドイツ敗戦(4月ヒトラー自殺)
1945年(S20)・・・6月沖縄戦玉砕
・1945年(S20)・・・6月ポツダム宣言無視(ソ連仲介の和平工作も失敗)
1945年(S20)・・・8月6日広島原爆投下
1945年(S20)・・・8月8日ソ連対日宣戦布告(
満州侵攻,日本人シベリア抑留)
・1945年(S20)・・・8月9日長崎原爆投下


・1945年(S20)・・・8月10日ポツダム宣言受託通知・無条件降伏
1945年(S20)・・・8月15日玉音放送・終戦(日本の終戦日,今年65周年)
1945年(S20)・・・8月28日ソ連北方領土占拠
・1945年(S20)・・・8月30日マッカーサー日本到着

・1945年(S20)・・・9月2日戦艦ミズーリー号で降伏文書調印(連合軍の終戦日)

・1946年(S21)・・・4月極東国際軍事裁判
・1946年(S21)・・・5月吉田内閣発足(1953年5月まで)
・1946年(S21)・・11月憲法公布(1947年5月施行),戦争・戦力・交戦権放棄
・1948年(S23)・・11月極東国際軍事裁判,判決
・1950年(S25)・・・6月朝鮮戦争(53年7月休戦)

・1951年(S26)・・・9月サンフランシスコ講和条約調印
・1951年(S26)・・12月日米安全保障条約締結(米軍の駐留)
・1952年(S27)・・・4月28日サンフランシスコ講和条約発効(日本の独立)
・1954年(S39)・・・7月自衛隊発足
・1960年(S35)・・・1月新日米安全保障条約締結
・1972年(S47)・・・5月15日沖縄返還

上記史実に抜けている事が多いと思うが,流れ,意味を重視して独断で列記してみた.赤字で日本の激戦を表した.

戦後の様変わりで,遠い昔の歴史のように感じられるが,現在65歳以上の戦中派の方は,自分が誕生した時,幼児の時,何が起こっていたのか,と改めて想像せずにはいられなくなると思う.戦争を経験された方は思わず目をそらす事も多いと思う.それほど現在と隣接した歴史なのである.

この歴史は年表が示している様に,悲惨な戦争の歴史である.戦後の民主化,経済発展の代償だとしても,余りにも大きな戦禍と犠牲を払った歴史である.戦争回避,早期終戦の水面下での工作があったと思うが,これが結果である.

この歴史で300万人の尊い命を失い,悲惨な爪痕を残したのだが,なぜ『戦争を回避出来なかったのか』,せめて『戦禍を小さく出来なかったのか』,と,年表が我々に迫っているように感じるのである.

まず,戦争を回避出来なかったのかについて考えてみた.

大きく歴史をとらえると,日清,日露戦争,朝鮮併合,世界恐慌,満州侵攻,国際連盟脱退,中国侵攻,ABCD包囲網,と一連の伏線があって,太平洋戦争に突入している事が分かる.

戦争回避は,この経過の中で見ると,国際連盟の決議に従って満州から撤退していれば,さらに,石油を止める等のABCD包囲網に対して,満州,中国から撤退していれば,可能だったかもしれない.しかも,米国との戦争に勝ち目はないとの認識のもと,戦争回避に向けた水面下の交渉があったのである.

しかし,いまさら,撤退など出来ない,今までの多くの犠牲を無に出来ない,との感情や勝ち目がない等と言えない軍部の立場が,短期決戦なら勝てる,との仮説にすがるようになる.この様に,いつの間にか,『戦争回避』から『戦争やむなし』『短期決戦』『早期講和』の機運になって行ったのである.

当時の経緯を振り返ってみたい.

日独伊三国同盟,日ソ不可侵条約などの手を打つも,経済孤立化とロジステックの弱点を抱えたまま,戦争の引き金を引いたのである.

そんな中,戦争に対し理性的な判断力を持っていた連合艦隊司令長官山本五十六は,日本の国力から見て,短期決戦(6,7ケ月)しか出来ないと考えていた.その前提で,マレー半島・真珠湾への奇襲作戦を敢行したのである.

そして,7ケ月後,ミッドウエイ,ガダルカナルの戦いで日本の国力は予想通り,限界を迎えたのである.しかし,この段階で国家が講和に動く事はなかった.ずるずると悲惨な消耗戦の戦いに突入して行ったのである.

一方,奇襲作戦が米国の正当性,ナショナリズムを高める事になり,短期講和も困難になったのである.元来,戦争回避論者の『山本五十六の無念』は計り知れない程,大きかったと思う.

連戦連敗,続行不可能の状態になっても,またしても,『今までの多くの犠牲を無に出来ない』,『いまさら,引き返せない』の感情が『一億玉砕』にまで突き進む事になるのである.これで,戦禍をますます拡大する事になったのである.

そこで次の問題であるが,戦禍の拡大を防ぐ事が出来なかったのだろうか,この事を考えてみた.

1944年,日本の生命線であったサイパン島の日本軍玉砕,東条内閣総辞職の時が最大の時期だったと思う.サイパン島(日本の委任統治領)の陥落は日本本土への直接空爆が可能になり,首根っこを押さえられた形になったからである.本来なら,これで投了である.

この時,終戦もしくは敗戦の決断をしていれば,1945年の各地への大空襲,沖縄掃討作戦,広島・長崎への原爆投下は無かった筈である.しかし,最後の最後まで,投了の決断が出来なかったのである.

では,なぜ,勝ち目がないと分かっていたにもかかわらず,敗戦を決断できなかったのだろうか.

いつもの,国が滅びる事の恐怖心や,今さら敗戦を言い出せない心情,が原因だったのだろうか.それとも,戦争を続ける理由があったのだろうか.

どう考えても,人間の命や理性的判断より,辺境な感情(辺境人ゆえの根性)が日本を支配していた,と言わざるを得ないのである.結果論で言うわけではないが,少しの理性が働けば,こうはならなかったと思うのである.つくづく,悔やまれるのである.

この偏狭な感情とは日本のナショナリズム,大和魂,の影響を受けた『玉砕思想』が上げられる.これは’生きて虜囚の辱めを受けず’’一億玉砕’と言っていた様に,生きて敗戦の屈辱を受けるより,徹底抗戦で死ぬか,自決する事を’誇りある勇敢な死’と’死を美化’したのである.国民全体の戦意高揚の言葉が,死の恐怖を軽くする為に使われていったのである.

この思想が,戦禍の拡大を加速して行ったと思うのである.

例えば,捕虜になった時を想定した教育はなかったと言う.その結果,捕虜になった人は,自分を責め続けたり,捕虜の几帳面な日記によって,日本軍の行動や情勢を筒抜けにしたり,があったと言う.


又,敗戦が明らかな状況であっても
,若年兵の動員や特攻隊,人間魚雷による攻撃に繋がって行った事もこの思想の影響である.

一方,この思想による戦い方は米国の戦い方と大きく異なっていた.米国では,一個師団で2割か3割の戦死者が出た時,司令部の命令を無視して,降伏するか,撤退するかは,各師団に任されていたと言う.

捕虜になった時の行動も教育されていたと言う.'生きる事を優先’した選択肢を現場に持たせていたのである.戦い方として論議が分かれる所かもしれないが,日本とは全く違っていたのである.

日本の'生きる事を優先しない思想' は,もっと大きな影響を与える事になる.

性の情報を封印して,大本営発表を繰り返したり,戦いの無意味さや敗戦を口にすれば,非国民にされる風潮を作った事である.何よりも,この事が冷静さが求められる国家戦略にも,蔓延し,終戦,敗戦の判断力を失わせ,悲惨な戦禍を生んでしまった事である.

もう一つの大きな影響は,連合国の日本人に対する感情である.日本人は野蛮で,残酷で,好戦的で,降伏しない国民,だとする偏見と異質な民族への差別と脅威を増幅させたのである.今で言う自爆テロへの恐怖と似ていると思う.これが米軍の執拗な無差別攻撃に繋がったのではないかと思うのである.

まさに玉砕思想と言う戦意高揚の為の『戦う美学』が,劣性の戦いが続く中で,『破滅の美学』になって行ったのである.これによる戦禍の拡大は計り知れないのである.

最後に,この年表は,国を守る為に国民,兵士,戦没者が必死に戦った事を示している.一方,玉砕戦が次から次と起こった事を見れば,軍国主義,玉砕思想の被害者,犠牲者であった事も示していると思う.

歴史認識の問題が今でも議論されるが,表面的であっても,戦史年表を眺めるだけで,新たな発見もある.調べたくなる事柄も出てくる.今さらながら,年表を見る事の意義を実感したのである.

2006年8月,NO54歴史認識問題 を,又,2007年7月,NO104 『しょうがない』心理 を発信した.

・日本の軍国主義,海外侵攻の問題,
・韓国・中国の歴史認識の問題,
・米国の無差別攻撃の問題(沖縄及び各都市,原爆投下),
・ソ連のシベリア抑留,北方領土占拠の問題,
・第2次世界大戦,太平洋戦争,における米国の考え方,

等々に対し,世のいくつかの諸説・評価を上げながら,自分なりの思考整理を試みたのである.

専門家の間で,語り尽くされているテーマだと思うが,自分としては,すべて,はっきりと整理出来たわけではなかった.勿論,浅学では無理だと思うが,戦史年表が語っている事を通して,思考整理が一歩前進したように思うのである.

その上で,この戦争は何だったのだろか,どうして,戦争し,占領した米国を多くの国民が受け入れたのだろうか,どんな方法で,日本が戦後復興をし,経済大国になったのだろうか,自分なりに,思考整理をしてみたいと思うのである.

いづれにしろ,戦前,戦中,戦後の日本の歴史は,国民性,思想,政治,政策のどれをとっても,後世に引き継ぐべき貴重な史実,教訓が詰まっていると思うからである.教育の場だけに,この問題をあずけてはダメだと思うのである.

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コメント

そのように思います。なぜ戦禍を減少できなかったのか。1944.11から本土爆撃が始まりながら、国民、平民の無駄な犠牲はそのままに、進められていった。御前会議では何が議論されていたのか、そのことを知りたい。8.15終戦といい、9.2敗戦は語られないままに、何故なのかと思っているのですが。

投稿: 白壁 | 2014.06.29 18:47

年表に抜けが多くて分かりずらいです。

投稿: | 2016.03.07 23:59

論立てが雑すぎませんか?
石油禁輸に対していきなり満洲、中国からの撤退ですか?
山本聯合艦隊司令長官が戦争回避論者であるならばロンドン軍縮会議での言動はどのように解釈すればいいのでしょうか?
また、対米戦が6、7ヶ月しか出来ないと考えていたなら、ミッドウェイ攻略の意図は奈辺にあるのでしょうか?どのように講和を進めていくかについて嶋田海軍大臣と具体的に申入れをしたんでしょうか?

投稿: | 2017.06.05 17:08

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