« 225 音楽の好みと政治思想 | トップページ | 227 ナショナリズムとグローバリズムと中国 »

2010.09.08

226 中央集権か地方分権か

明治以来の中央集権国家から地方分権国家(地域主権国家)に移行しよう,との掛け声がかかって久しいが,遅々として進んでいない.民主党政策でも地方分権を掲げているが,政権奪取後1年,何も進んでいない.

今回の代表選立候補者の発言も,地方分権で財源確保を,と本質とずれた事を言うし,補助金を一括交付金にすれば良いとも言うが,根拠も,時間軸も,地方分権の全体像も,見えないのである.介護問題を失業対策ととらえる感覚に似ている.本質をわざと逃げているのか,分かっていないのか,政治家への信頼感はどんどん失われる.

一方,分権論の検討が進まないのは官僚の抵抗があるからだと伝えられているが,違うと思う.政治家が整合のとれた分権国家のグランドデザインが描けていないからだと思う.集中の不具合を分権で解決すると言っても,詰めていくと,説明が出来なくなる事が多いからである.
結局,分権論は,人気取りの道具になっているだけなのかもしれない.

このように,議論の進まない集中・分散の論議に対し,2年ほど前に,本質的な議論の必要性を当ブログで発信した.『NO140行財政の集権と分権』

そこで,余りにも検討されていないこの問題に対し,極当たり前の事になるが,再度,行政の在り方の基本的検討課題を整理してみた.ここでは,行政の役割(官と民の役割),行政の人事制度,公益法人の在り方,等に触れず,集権と分権に限って述べたい.

1.中央集権国家を論じる場合

一般的に,集中.分散の問題は,まず集中を徹底的に考えて,集中では説明できない問題に対しては分散を考える.と言う思考過程をとる.社会のシステムに酷使している情報処理システムも同じである.

中央集権国家の仕組みも,これと同じ思考過程が必要である.まず集中のメリット(公平性,効率性,戦略性など)が発揮されているか総点検する必要がある.特に中央集権だから無駄が多い,と良く言われるが,そうであれば中央集権の狙いに反する事になる.この無駄はやむを得ない事なのか,排除出来る事なのか,論じる必要がある.

多分,中央集権国家論は,中央集権のメリットをさらに発揮させつつ,分散可能な政策決定や施行は地域で行う,と言う,『集中的分権国家』のグランドデザインになると思う.

それでも無理だという結論が出て,だから連邦国家に近い地方分権(地域主権)だ,と言う事になっても,次に述べる様に簡単ではないのである.

2.地方分権国家を論じる場合

そもそも,地方行政の単位にもよるが,分権は同じ機能,要員が各地域に分散する事になり,不効率になる側面を持っているが,この事を別にしても,多くの課題がある.

地方とはどういう行政単位を言うのか,権利とはどう言う権利を言うのか,司法,行政,立法の権利も含めて考えるのか.既にある国や地方の借金をどうするのか,国会議員と地方議員をどうするのか,税制をどうするのか,予算配分をどうするのか,地域間格差をどうするのか,等,課題山積みである.たとえ,『役割と財源の移動』に限って分権論を検討しても,この様な問題が発生するのである.

地方分権論者はこのような問題に答える必要があるが,今のところ,まとまった話は聞こえてこない.’もっと自由になる金をくれ’’地方でやれば無駄が出ない’等,表面的で個別の話しばかりで,トータルの話しはない.

結局の所,地方分権論は詰めていくと,上記1.の中央集権国家の改善版の『集中的分権論』になるのではないかと思うが,是非とも分権論者は具体的なグランドデザインを書い上で発言すべきである.

私見を言えば,今後の日本は大きな危機に直面して行く.ならば,上記1.の中央集権で,効率性,公平性,戦略性をいかんなく発揮する必要がある.国際競争時代や少子高齢化時代,財政難時代,を考えれば,資源を分散する余裕など無い思う.ただし,中央集権で発生する不具合が分権化で解決するのであれば,その部分の分散を進める事は当然である.

一方,2.の地域主権論は課題が多い割に,地域が発展する見通しや,国や地域の予算がどうなるのか定かではない.国家全体に公平性と言う不効率が出そうである.

長期的には,地方は国家戦略のもとで,政令市を中心とした都市機能・産業基盤・防災対策の集積(コンパクトシティ化)と経済発展に取り組む事が大事だと思うのである.

又,集中・分散論議に共通する事だが,不要な規制を排除し,シンプルな制度にする事も行政改革の大きなテーマだと思う.

以上,国家運営の仕組み論議は国と地方のどちらが主役か,と言った禅問答ではなく(地方分権論者に観念的主張が多いように思うが),政策の決定権及び執行主体を国と地方でどちらにするか,具体的に仕訳する事から始める必要がある.過去に行革委員会等で,この作業が行われた記憶があるが,中途半端になっている感じである.

是非,集中・分散の仕訳においては,国家の戦略性,公平性,効率性,制度的整合性の観点で仕訳して欲しいのである.これなくして,地域行政単位,議員制度,税制,予算配分,借金問題,公務員人事制度,公益法人などの『国家運営の仕組み議論』は進まないのである.

.

|

« 225 音楽の好みと政治思想 | トップページ | 227 ナショナリズムとグローバリズムと中国 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134518/49389062

この記事へのトラックバック一覧です: 226 中央集権か地方分権か:

« 225 音楽の好みと政治思想 | トップページ | 227 ナショナリズムとグローバリズムと中国 »