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2011.03.12

237 東日本に巨大地震・巨大津波・原発破壊が発生

巨大地震・巨大津波・原発破壊が発生(3月12日土曜日)

ニュージーランド地震(2011年2月22日,約200人の犠牲者,内日本人28人)の悲劇に日本中が包まれている中で,昨日,2011年3月11日金曜日午後2時46分,東日本太平洋沿岸部部,長さ500キロ,幅200キロを震源地とする,巨大地震・巨大津波・原発破壊が発生した.

この地震は大平洋プレートの圧力で蓄積された北米プレートのひずみが反発して跳ね上った地震だと言う.思わず,『猛暑,豪雨,豪雪の後に,大きいな地震がある』と言う自論が頭をかすめ,心臓がドキリと脈を打った.

日本の観測史上最大のM8.8の強震が東日本,関東を激しくゆすり,その傷跡に,情け容赦なく,数十メートルの巨大津波が何度も襲いかかったのである.その牙は,福島第一原子力発電所も破壊し,日本は,一瞬にして,巨大な災害と『冷却機能を持たない火の玉のような原発』を抱えてしまったのである.

更に,深夜,長野,新潟にも震度6の地震が起こり,地震の連鎖や巨大余震の兆候をうかがわせ,一瞬に日本を奈落の底に落としたのである.

不安と恐怖の一夜が明けた今,災害の爪痕が刻々と明らかになって行く.東京の九段会館の天井が落下し死傷者が出た事も,東京の交通がマヒした事も,かすんでしまう程の計り知れない被害の大きさが,少しづつ,見え始めたのである.

津波が町を容赦なく襲うシーンやガレキの山と化した町や田畑の惨状をテレビで見るにつけ,茫然と絶句する.どの町も,壊滅された日本沈没が頭をよぎった.情け容赦の無い自然現象が人間社会を破壊した瞬間を目の当たりにしたのである.

どれくらいの人が津波に飲み込まれたのだろうか,どれくらいの町が津波で壊滅したのだろうか,地震でビル,家,橋,ライフライン等の被害はどれくらいあるのだろうか,原発事故はチェルノブイリや,スリーマイル島になるのか,等,阪神大震災をはるかに超える悪夢をイメージするだけに,心配は尽きない.しかも,今,地震や津波の危険が去ったわけではない.余震も,まだ続いている.

いずれにせよ,1995年の阪神大震災,2004年の新潟中越地震,2007年の新潟中越沖地震に,大津波,原発事故を加えた,巨大で,しかも広域な,想像を絶する大災害が発生した事は信じがたいが,まぎれもない事実なのである.

『目が覚めた時,昨日見た事は夢であって,いつも通りの町があると思った』 と言う,九死に一生を得た被災者の気持ちがよく分かる.それほど有り得ない悪夢だったのである.

津波に持っていかれた町を見つめながら,戦争で焦土になった町からの復興になぞらえる人もいる.その時のように,政府,省庁,県,市町村,警察,消防,自衛隊,企業,ボランティア,,国民が結束して,この悪夢から立ち上がりたいものである.世界も日本の底力に注目している.

津波の映像に驚嘆(3月14日月曜日)

大震災発生以来,被害の拡大が伝えられる中で,マグニチュードが8.8から世界最大級の9.0に修正された.又,津波が町を飲み込む住民が撮った多くの映像が次々と放映され,改めて震災の凄まじさに驚嘆させられる.

南相馬,名取,若林,多賀城,女川,南三陸,気仙沼,陸前高田,大船渡,釜石,山田,宮古,等々,世界に冠たる『防潮の町』を飲み込む映像はパニック映画のシーンではないのである.週明けの今日,いくつか追記しておきたい.

現在報道されている被害状況(3月14日月曜日)

死者は1800人(安否不明者15000人,死者が1万人を超えるとの予想もあり),ライフライン停止は電力180万戸,水道140万戸,ガス40万戸,
2000箇所以上の避難場所に50万人,壊滅町村や倒壊家屋数等は不明,幹線交通網(陸海空)マヒ,被災地区内道路もガレキでマヒ.

日本全体に出始めた震災の影響(3月14日月曜日)

計画停電の実施による生活・産業・交通への影響,原発事故を除いて,数10兆規模の経済的損害,農産物・水産物の品不足,3月末本決算や株価・為替レートへの影響(本日の日経平均株価633円暴落で9620円),政治・選挙・文教・スポーツなどの日程への影響,等々広範囲に影響が出始めている.

世界の市場は,震災や原発事故のダメージで日本売りになるか,復興経済で日本買いになるか,しばらくジッと見ている感じになると思う.

期待したい政府の対応(3月14日月曜日)

政府は,『お見舞金』として,県に200億とか,市町村に20億とかを渡したらどうだろうか.財政的な制約を少しでも緩和し,首長も元気に采配が奮えるようにする為である.それを被災者に配っても良い.早いほど,生きた金になる.使える場所がなくとも,着の身,着のままの人の懐を暖めるのも大切な配慮である.避難場所からの移動にも助かる.

被災者の救済には勿論,仕組み作りが大事だが,一方では,『お見舞い金』と言う,曖昧だが,『人間が作った英知・文化』をもっと活用してもよいと思う.恒常的な現金のバラマキ政策とは全く違う.

次に,政府は,被災地の自治体に予算と権限を早く与える事,事後決済を認める事である.民主主義を守る役人は,費用の裏づけが無ければ動けないからである.

救済や復興の法律はいくつかあると思うが,条件が付きすぎて,その適用が難しかったり,あらたな策が必要になっても,調査,立法予算,執行に,どれほど救済を遅らせた事か,この轍を踏んではいけない.

一方,国会は,平成23年度予算を審議中であるが.民主党のばら撒き予算は廃止して,ここは救済,復興の予算に組み替える必要がある.各政党は早期に建設的政策案を立案すべきである.

そして,次の方針が策定される事を期待したい.

①救済は行政機構に金と権限と人を渡し,機動力を発揮させる事,
②復興は自治体主体で策定し,各省庁は予算,法制度でバックアップする事,

③復興経済で持続的に景気を持ち上げ,復興を支える事

勿論,日本の難問である,社会保障,国家財政と税制の問題とは無関係に論じられない.これらの遂行には,国民の支持を受けた政治体制が不可欠となる.

世界各国からの,激励,応援(3月14日月曜日)

世界には巨大地震,巨大津波,甚大な被害,原発事故発生,と衝撃的に伝えられた.世界各国の反応は早かった.各国のメッセージや応援もさることながら,国内の自衛隊,消防隊,警察隊の結集は国民を大いに励ます.海外の応援は国際親善を深める事にもなる.内外の救援部隊の健闘を期待したい.

遅々として進まない救援活動(3月18日金曜日)

大震災発生後一週間が過ぎた.被災地は寒波と,つらく悲しい日々が続く.つい先日の穏やかだった日々には戻れない.しかし,もうすぐ先に,残雪の山を背に,桜や菜の花が爛漫に咲き乱れる,美しい東北の春が待っている.のどかな故郷の春に思いを寄せながら,今週,感じた事を追記したい.

時間の経過とともに,俯瞰的な視点の被害状況から被災地,避難場所,被災者のそれぞれの悲劇,被災状況が見え始めた.深い悲しみの中で,避難場所の確保,安否の確認,消息不明者の捜索,道路からのガレキの撤去,生活物資の確保,など現地の必死の姿に胸が痛む.

福島原発事故に伴う20キロ~30キロ圏内の屋内待機エリアが孤立化していると言う.放射能汚染の風評が原因だと言う.救済どころか,物資も人も来ない事態に今のところ対策がない.結局,屋内待機ではなく,他の地域に移動する事になると思う.今後,屋内待機エリアの設定に問題が出そうである.

ところで,今日から気候が寒くなると言う.暖房対策も気がかりである.神戸でもそうだったが,この頃から,避難場所での死亡が増えてくる.しかも神戸より早く,2重遭難,3重遭難が起こりそうである.救援組織の強化を急ぎたい.

救済に必死の中で,余り悪い方に考えたくないが,このままで,被災地の避難所や自宅にいる人達にライフライン,燃料,道路,物資,食料,医療,等が届くのか,と言う心配がある.余りにも多くの場所や人数が広域に分散し,道路もガソリンも情報も無い状態を容易に想像できるからである.

この手の回らない問題は,もう待てない.環境がそろった安全な所に早く避難所と人を移すしかない.まさに地域ぐるみの疎開である.

時間とともに,『被災地に避難場所がある限界』が多発する.次の集団疎開先の確保が至急の課題である.

現在,500キロの沿岸部に約2300ケ所の避難所があり,,30万人以上の人が分散して避難している.これに,10万人の原発事故避難者が加わる.明らかに神戸の数十キロ位のエリアに1200程度の小規模避難所が密集している場合とは雲泥の差がある.例えば,その差を有効な交通手段で言えば,東日本ではヘリコプターに対し,神戸では単車となる.

ところで,当面の避難生活にも問題だらけであるが,その先に,住む場所,仕事,病気治療,介護,など,生活不安は山ほどある.又,町の復興などの難問も山積みである.この事態に当然,自助,共助に限界がある.公助に比重がかかる.しかも,過去の対応程度では,救済も復興も,とても追いつかない感じがする.

この公助の先行きを早く示す事も被災者の精神的負担を軽くする上で必要である.仮設住宅の建設や借り上げ住宅の確保,町の復興事業等による地元雇用促進,起業化支援,企業復興支援,等,公助の踏ん張りどころである.

国民の地震への感覚麻痺の怖さ(3月18日金曜日)

11日深夜の長野,新潟の震度6の地震に引き続き,昨夜,静岡方面で地震(富士宮で震度6強)が発生した.幸いに被害が少ないからか,報道はほとんどない.又,16日昼1時前にも,千葉東方沖で震度5弱の地震が発生した.これも被害報道はほとんどない.何か日本中が地震に驚かなくなった感じである.

気象庁によれば,東日本沿岸の長さ500キロ,幅200キロの面積で,震度7が3回,震度6が49回,震度5が247回,の地震が発生していると言う.震度9の前では,どんな地震でも,かすんでしまう感じである.そんなわけで,国民の地震への感覚がマヒする怖さと,地震が頻発している被災地住民の怖さ,が今,日本を覆っているのである.

東電の電力供給不足と計画停電問題(3月18日金曜日)

東電福島第一原発の事故の影響で,電力供給力が落ち,月曜日より混乱の中で計画停電が始まった.勿論,生活,商業,産業,病院,交通,等に大きな影響を与えるだけに突然の停電は絶対避けなければならないが,計画停電も出来たら避けたいのである.

夏場に向けて,停止中の火力発電の再操業,あるいは,震災で中断した福島第2原発,女川原発の再稼働,柏崎原発のフル操業化,等が議論されると思う.

一方で利用者サイドとしては,使用目的別制限,大口需要家の分散操業化,等で地域毎の計画停電を避ける検討もされると思う.公平性もしくは社会全体の効率性の視点でもう一段の工夫が必要になる.中・長期的には原子力政策が,もう一度,大議論になって行くと思う.

放射能汚染による避難エリアの日米差の問題(3月18日金曜日)

避難エリア(危険エリア)の設定は危険度の現状及び今後のリスクの予想から設定されるはずである.今回,日本は20キロ以内は避難,30キロ以内は屋内待機の指示を出した.米国は在日米人に対し,80キロ以内からの避難を指示した.

今の所,現状の放射能に危険性がないのだから,避難が必要だと考える距離は,リスク予想に元ずいたものとなる.そうなると日米差が起こる原因は次の3つである.

①放射能汚染リスク予想は同じだが,必要もしくは可能な避難距離が違う
②必要と考える避難距離は同じだが,リスク予想が違う
③リスク予想も必要と考える避難距離も違う

さて,今回はどう言う理由で差が出たのだろうか.日本政府やメデアの論調は福島第一原発の事故内容を知らないまま,チェルノブイリやスリーマイル島のトラウマからくる,過剰反応だとしている.上記で言えば②③となる.

しかし,国民からすれば,日本の方は大本営的な控えめな発表,米国の方はより安全を求めた発表と映り,混乱や風評が起こっても不思議ではない.

ところで,日本の避難エリア(危険エリア)の設定はどうやって決めるのだろうか.

基本的には避難エリアの設定は現在及び今後の危険度(被害の大きさ,被害が及ぶエリア,確率)の判断によると思うが,実際には,避難の方法,避難の時間,社会的混乱,移動先の状況,などで政治的に実現性を加味して決めざるを得ないのだと思う.尚,エリアの設定は本来なら原発との距離や行政単位ではないのである.

だとすると,①の可能性もある.米国は在日の自国民への指示で80キロと言えるが,日本はなんとか可能な距離の設定であって,とても80キロは指示できない,と言う差かもしれない.

だとすると,日本の原発設置場所で言えば,40キロとか80キロの避難エリアの設定など,とても無理だと言う事になる.安全優先で避難エリアを設定できず,政治的な,物理的な制約を受ける事になる.さらに原発のある場所によって,さらに制約が大きくなる事になる.

ちなみに,米国の80キロの設定は米国本土での基準に従っているのかも知れない.と言う事は米国内では,安全優先で,危険エリアを指定できる所にしか原発を作っていないのかも知れない.

現在日本の原発は冷却用に海水を大量に使う事から沿岸に設置されている.放射能リスクから見れば,危険エリアの半分が海になったり,海が風下になるメリットはある.しかし,現実的に指示可能な避難エリアの条件をつけると,日本の原発の場所は限られてくると思う.そんなわけで,

今回の『避難エリアの日米差』に『原発の設置場所の差』を感じるのである.

日本に何十キロの避難エリアを設定できる地域がなければ,避難が必要になる危険の発生をゼロにするしかない.多分,この方針で信頼性,安全性を追求してきたと思う.その追求をあきらめる事なく,これ以上被害を出す事なく,事故を封じ込めて欲しいものだ.

同時に,冷却能力を失うと言う,あってはならない事が起こったわけけだが,.もし完全に防げないなら,原子力をあきらめるか,リスクを承知して持つのか,になる.次の総点検の大きな視点である.

世界的な原子力発電の見直(3月18日金曜日)

残念でならないのは,結果として,冷却機能を失った原発を存在させてしまった事である.原発としては明確に欠陥である.元来,いかなる想定外の事が起ころうとも,冷却機能を失わない工夫がされてしかるべきである.それが出来なければ原発を造ってはならないのである.

地震も津波も想定を超えていたと言う話しは,原発の何の慰めにもならないのである.その意味では原発事故は人災だと思う.原発の建設・運用には厳しい規定だらけだと思うが,根本的な所の弱点が露呈した感じである.

原発の冷却機能停止も計画停電の混乱も,『電力を作っている会社は,電力がない状態を想像できない』のかもしれない.

そんな中で,海外では早くも,既設原発の点検や今後の原発計画の見直しを発表している.国内より海外の方が厳しい見方をしている感じである.国内でも信頼性や上記避難エリアの問題について,早く総点検をすべきだと思う.

原発事故状況説明から見える組織の問題3月18日金曜日)

原発事故に関わる組織は,設備及び運営を担当する安全保安院(経産省)と東電,チェック機能を担当する原子力委員会(内閣府),そして,国民の立場で政府,自治体がある.これに多分,政府のいろんな新設された本部があるのだと思う.

しかし,誰が責任者として原発事故の対応をするのか,誰が事故の状況を国民に説明するのか,誰が住民・地場産業のへの影響を検討し,誰がその状況説明や指示をするのか,まさに,原発事故に対する,国全体のスキームが旨く作動していないと感じる.

現実は,政治主導をアピールしたいのか,官房長官が頻繁に状況説明の記者会見をし,一方で,保安院も東電も別に記者会見を行っている.テレビはそれぞれを報道しつつ,国民に向けに専門家が解説しているのである.

いつまで,これを続けるつもりだろうか.これでは情報の差やニュアンスの差が出る.聞く方は要するにどうなるのだと,思わず短絡的になってしまう.こん形が続くわけがない.

驚く事に,原発事故を想定した組織や対応策が事前に用意されていない事である.この際,泥縄でも早急に国家全体のスキームを決めるべきである.多分,原発先進国では,事前に決まっている事ばかりだと思うが.つくづく日本は安全保障には無頓着な,幸せな国だと思う.

なんてたって,目の前が火事だと言うのに,ビルの上から放水できる放水車を探しまわったり,消防レスキュー隊組(総務省),機動隊組(警察庁),自衛隊組(防衛省),を手当たり次第集めたり,それらの纏(まとい)が忙しく動き回ったり,フランスやアメリカから見れば,江戸時代の日本を見ている様だったと思う.

この事故対策組織であるが,オーバーヘッドの縮小,責任者不在や冗長さの防止,の為に組織を出来るだけ結集し,少数精鋭にする事が望ましいのであるが,民主党政権は逆の様である.

政権発足時から気にしていた事だが,問題解決を考える時,中身より,組織と言う形を優先する傾向がある.原発事故に関わらず,多分,今回の大震災への対応で,多くの横断的な組織が乱立すると思う.

結局,縦,横の調整ばかりで,責任と行動が曖昧になって,『船頭多くして船,山に登る』,あるいは,『船頭いなくて船,山に登る』になりかねないのである.『船が山に登るのは津波だけでたくさん』なのである.

もう一つ,説明者は記者会見と国民への直接的な説明を区別してプレゼンしているのだろうか.きっと,記者会見が国民への説明だと思っているに違いない.しかし,記者会見で配布した資料の補足説明をしているところを,テレビで放送されても,国民への説明にはならないのである.

当事者以外の説明者,記者,テレビ,は何の為に行動しているのか,自問する事はないのだろうか.それがあれば,もう少し日本はシャキットする.何となく,右から左に,やっている人間が多すぎる感じがする.

巨大津波の爪痕(安否不明者,身もと不明者の増大)(3月「23日水曜日)

もう10日が過ぎているが,被災者からすれば,10日たっても,まだ,苦しさが続いている,体力的にも,精神的にも日毎に苦しくなる,状態ではないかと思う.災害の巨大さもあるが,非常事態時の国家の対応の弱さも,随所にあると思う.気になった事を記載しておきたい.

東日本大地震の凄まじさが,改めて,ハッキリして来た.10日過ぎた時点で,安否不明者13000人,遺体8000人のうち約半数が未だ身元確認ができないと言う.今後,死亡者が2万人を超える可能性もある.安否不明者,身元不明者もさらに増えるかもしれない.住民台帳に生存者の消し込みを始めたと言う.

阪神大震災の時は早朝の地震で被災が自宅と言う事で,同じ10日過ぎた時点で,安否不明者は51人,死亡者6433人のうち,5500人が家屋や家具による圧死である.当然,身元確認が困難になる事は,ほとんどなかったわけである.

この差は発生時刻もあるが,広域の大津波が大きな要因である.まず多くの安否不明者を生む.海に流される事も含めて,被災者の居場所が分からなくなるからである.さらに交通も通信も遮断され,町も壊滅状態になり,安否捜索が困難になるのである.安否不明を申請していない人がいれば,もっと不明者が多い事になる.

身元不明が多くなる要因は遺体の遺留品が少なかったり,遺体が流れて来た事もあって,遺体の身元確認が難しくなるからである.勿論,身元確認者がいなかったり,確認に行けない事もある.今後,遺体の発見とともに,この身元不明者がもっと増える可能性がある.

安否不明者の中に残念ながら身元不明者がいるかも知れないし,被災地以外から来て死亡した人が身元不明者にいる事も考えられる.とにかく.安否不明者も身元不明者も減らないどころか増えたままになるかもしれないのである.

従って被災者捜索,身元確認も長期に渡る可能性がある.当然,捜索をいつまで続けるのか,増加する身元不明者の埋葬やDNA鑑定も必要になる.この問題と,被災地のガレキの撤去,整地等の復興をどうするかも課題になって来る.

影響が広がる放射能汚染問題(3月23日水曜日)

放射能汚染問題は大気,農水産,畜産,水道,地下水,雨水,土壌,海洋,等,地球上の全てのものに広がってい行く.原発事故の恐ろしいところである.

現在,時間の経過とともに,汚染への対応が変化してきた.避難エリアからの退去から,食物,飲み物への影響である.今のところ,全く人体に影響がないとしているが,県単位の商品単位で出荷停止が始まった.

大気中の放射能測定は定常的に実施出来ても,商品の汚染測定はすべて,常時,出来ない.当然,発表は唐突で部分的になる.従って,日増しに対象品目が拡大するかも知れない.更に,土壌汚染,海洋汚染,の問題に発展する可能性もある.

原発事故の収束が長引けば,この問題は深刻さを増して行く.風評被害を含めて,生産者を直撃し,買いだめや物価へも,大きな影響が出る.勿論,海外は国内以上に警戒を強める事になる.政府の言い方も問題がある.

『ただちに害がない』,『自粛をお願いしたい』,『屋内待機をお願いしたい』,『自主避難をお願いしたい』,等は言語明瞭意味不明の言い方である.もう一歩ハッキリしない原因は,言う側の保身本能が働くからである.責任や行動や賠償を,自分で決められない立場の人の本能である.役人や弁護士に多い言い方になる.

だから,聞く方からすると,『それで,どうしろと言うのだ』『費用や手段をどうするのだ』と言いたくなる.挙げ句に『責任者出て来い』となる.信頼が薄れて行くのも当然である.具体的に例をあげると,

①『害が無いが,念のため自粛(避難)をお願いする』は役人用語の典型である.
対応を明確にする為に,一歩進めて言うなら,責任,行動が伴うが次になる.
②『害が無いが,今後の危険を考えて,制限(避難)する,その為に・・・』
③『害が無いから,制限(避難)しない,しかし,監視は続ける

④『害があるから,制限(避難)する,その為に・・・』

政府の発表は役人視点ではなく,国民視点にする必要がある.マスコミも国民視点で言葉を確認する必要がある.役人用語のままでは,国民が混乱するのである.

いづれにせよ,放射能汚染問題は身体にどの程度の影響を与えるのか,それによって,消費,販売,出荷,生産のオペレーションをどうするのか,風評をどう防ぐか,賠償をどうするのか等,難しいオペレーションなのである.

危険産地と避難エリアの関係も,難問となる.汚染食品問題は測定値によって即時に禁止出来るが,避難エリアの設定は大気汚染であるだけに,予測に基づいて事前に設定する必要がある.悪い測定値が出てからでは遅いのである.従って,エリア的に一致したり,しなかったり,きめ細かくするほど,ややこしくなるのである.

又,食品衛生法は静的な含有物の禁止を定めているが,放射能汚染の問題は,拡散が天候(雨,風)で左右されたり,濃度も物資によって変化の仕方が違ったり,基準値の意味付けが国民生活から遊離していたり,異常値への対応に,いろんな見解があったり,はっきりしない事が多いのである.それだけに,疑心暗鬼になるのである.

感動した被災地の卒業式(3月23日水曜日)

被災地の小中学校の小さな卒業式がテレビで紹介されていた.被難所の学校の急ごしらえの式場に,着の身,着のままで避難されている多くの人達が見守る中で,地域ぐるみの卒業式が行われた.家を失った子も,家族を亡くした子も,あるいは出席できなくなった子も,子を亡くした親も,悲喜こもごもの思いを抱きながらも,まぶしいほどの子達への愛情に満ちた卒業式であったと思う.

子達の素直な感謝や希望に,親達の涙の顔が崩れる.親達からの先生へのお礼の一言も,心がにじむ.先生も,感慨深い思いであったと思う.形どおりの式典が多い中で,こんな感動的な卒業式を見た事がない.改めて,子供たち,先生,親御さんに,おめでとうを言いたい.子たちの前途を祈りたい.

感動した選抜高校野球開会式(3月23日水曜日

開幕が危ぶまれた甲子園大会が,3月23日,『がんばろう日本』の力強い選手宣誓で幕が開いた.高校生の国歌独唱に新鮮な,新しい国歌のイメージを感じ,心をこめた,堂々とした選手宣誓にも,思わず目頭を押さえた.

こんな感動的な選手宣誓はあっただろうか.全国民が,どんなにか励まされただろうか.ニュースで流れる度に感動がよみがえる.卒業式もそうだったが,子供は社会の宝だとつくづく実感する.選手には思いっきり野球をして欲しいものである.

止めろACジャパン(旧公共広告機構)のCM(3月23日水曜日

大震災で自粛されている民間企業のCMに変わり,14日からACジャパンのCMが洪水のように流れている.同じCMがこれだけ繰り返し流れると,いやになる.チャネルを変えても,同じCMに出くわす.最近はNHKに避難する.苦情が殺到していると言う.当然である.出演者も,さぞかし,困っているに違いない.

どんな考えで,どんな費用負担で,ACジャパンのCMが流れているのか知らないが,とにかく,しつこく同じ内容が繰り返されるたびに,ACジャパンとテレビ局の無能・無感覚さに腹が立つ.

民放テレビ局の品質の劣化振りは今始まった事ではないが,唖然とする.ACジャパンも,何が公共広告機構だ.広告を語る資格もない.

テレビ局はCM自粛で少しでも金さえもらえれば,内容など,どうでもよい,まさにデフレ番組,デフレCMと同じ発想なのだろうか.民間企業のCM自粛なら,そのCM枠を大震災の救済ために使うとか,もっと有効に使う事を考えなかったのだろうか.

こんなにテレビ局がコンテンツに無関心,無責任なら,単なる放送設備を動かすだけの放送事業者に転じるべきである.それならそれで,コンテンツ事業と放送事業の分離と言う業界の理想的な分業体制に近づく.

テレビ局が生き残るためにも,早くそうした方が良い.中途半端に従来のテレヒ業界の構造を残していると,コンテンツがどんどん劣化し,国民から見れば,テレビ文化が衰退する.

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2011.03.04

236 評価に関する英語表現と日本語表現

政治がらみの発信が多くなって来たので,今回は気晴らしの話をしたい.評価に関する英語表現と女の子の日本語表現の話である.

英語にしろ,日本語にしろ,評価基準が制定されていれば別だが,評価の言葉が一体どの程度の評価レベルを表しているのか,分からない事が多い.評価対象によっても,場面によっても,言った人によっても,聞く人によっても,評価レベルがまちまちになるからだと思う.

そこで,評価する時の英語表現は一体,何点ぐらいをイメージしているのか,昔,外人飲み屋で調べた事を紹介したい.但し,正しいかどうかは保証の限りではない.

90点~100点
出来栄えは Excellent,Perfect, 美人表現は Stunning, ゴルフは Fantastic
80点~90点
出来栄えは Very Good, 美人表現は Gorgeous, ゴルフは Grace, Good
60点~80点
出来栄えは Good, 美表現人は Beautiful, ゴルフは Good
50点~60点
出来栄えは Nice Acceptable, 美人表現は Good looking, Pretty, ゴルフは Nice
40点~50点
出来栄えは Poor, 美人は Cute
30点以下
出来栄えは Very Poor, Terrible

これによれば,女性には Cute, Good Looking, Pretty は禁句である.ゴルフは Nice Shot より Good Shot の方が無難である.実際は低い評価(50点~60点)でも英語表現では『励ましを含んだ楽観的な言い方』をするのである.日本的感覚で Nice とか言うと,相手はムッとするかもしれないのである.

ところで,日本語で,それぞれのレベルをどう表現するのだろうか.意外と思いつかない.上から『すごい,素晴らしい,うまい,良い,もうちょっと,まだまだ』,だろうか.

元来,曖昧の合理性を尊重する日本文化は露骨な表現を避ける事が多い.その分,英語より抽象的・情緒的・俗人的表現が多くなるのは当然かも知れない.

そんな中で,多くの日本人は,優・良・可・不可,位の評価レベルを想定しつつ,相手への配慮をしなが,気を使って表現していると思う.勿論,誉めるにしても,うそを言わず,歯の浮くような事は言わず,感じた良い点を率直に言うようにしていると思う.聞く方も,そのニュアンスを謙虚に受けるようにしているのである.

もう一つ,評価に関して,欧米人と日本人で違う事がある.ビジネスでよくある事だが,目標に対する達成率の評価の違いである.日本人は100%を超えるほど評価は高くなるが,欧米人は100%達成が最高であり,100%以上はむしろ減点になる事がある.目標が低いか,やりすぎと見られるのである.欧米人の価値観はコミットした通りやる事が大事なのである.混成チームの人事評価をした時,もめた事を思い出した.

ところで,随分以前から,若い子の間で 何に対しても,’超何々' とか,,’やばい’とか,’かわいい’とかの言い方が流行っている.それがどの程度の評価になるのか分からないが,日本語として,かなり違和感がある.言っている人の品格も損なわれる.

’やばい'とか’やばくない?'は良い意味で,信じられない,想像以上だ,と感じた時,使うらしい.感嘆した時,'ウソ!'と言い,'ホント!'とは言わない事に似ている.どちらも,強調したい時,反対の事を言う感じである.おじさんとしては’やばい’とか’ウソ!’はお嬢さんに使って欲しくないのである.不良っぽく聞こえてしまう.

何に対しても,'かわいい'と言うのも呆れてしまう.それを言う自分が'かわいい'と見られると思っているのか,その場を盛り上げようとしているのか,定かではない.連発されるとアホに見えてくる.

B級グルメのテレビ番組で,出てきた料理に'かわいい'を連発した女の子がいた.確か食べた後’やばい’とも言っていた.流行に乗って言っているのだと思うが,料理に’かわいい’も’やばい’もあるわけがない.

誰が見てもアホ丸出しだが,誰も注意をしない.タレントのおしゃべりは芸の一つで,治外法権なのだろうか.これでは,変な言葉があっという間に子供に伝染する.

又,この’かわいい’’やばい’は,おじさんに使われると,確実に混乱する.例えば,女の子に『おじさん,かわいい』などと言われたら,おじさんはとたんに幼児言葉になって,’かわゆいの’等と言って,ハグしたくなるのである.

又,女の子に『おじさん,やばい』などと言われたら,怖がられたと思い,ひどく落胆する.女の子にすれば,おじさんは思った以上に素晴らしいと,よいしょしているのに.勿体ないすれ違いである.

折角なら,’かわいい’’やばい’ではなく, 『おじさん 素敵』 とか『おじさん 大好き』 と言って欲しいのである.おじさんは確実に舞い上がる.何よりも,そう言っているあなたが,素敵に映る.プレゼントもしたくなる.言葉は正しく使った方が間違いなく効果があると思う.

そんなわけで,短絡的言い方は絵文字やボディランガージに近く,若者の間では伝わるかも知れないが,一般的な表現としては伝わりにくいと思う.評価の程度も分からなくなる.照れくさくとも,正しい日本語で願いたいものである.曖昧な言い方をするにしても,正しい日本語の方がむしろ得意なのである.

いづれにしても,怖いのは,流行語に慣れてしまうと,言い得て妙な,的確な言葉を探さなくなり,どんどん言語表現力が退化して行く事である.又,『言葉使いに,その人の品格が現れる』 とすると,品格の向上どころか,品格が退化して行く事にもなるのである.

’かわいい’と言っても間違いではない時に,無意識に’かわいい’を連発していないだろうか.他の言い方があっても,思わずこれが口から出るのは言葉使いや品格の退化が既に始まっている証拠かも知れない.

実は既に,言語表現力も,品格も,相当,退化しているのではないか,と感じる事も多い.明治の人や戦前の人の文章,あるいは,しっかりした言葉を使う現代の若者に接した時,驚きや新鮮さを感じるのは,この裏っかえしのような気がする.

ところで,日本人は,言いづらいとか,恥ずかしい事を英語で言ったりするが,同じように,言い方が難しい評価に関する事を冒頭の英語で言うようになるかも知れない.

日本的趣を失うが,国際感覚を共有できるメリットはある.ひょっとすると日本語の荒廃も日本語の修復に向かわず,英語化,外国語化を加速する事になる,かも知れないのである.

さて,今後,言語教育をどうすべきなのだろうか,気晴らしどころの話ではなくなって来た.

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