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2011.07.26

250 私なりの福島原発事故対策の状況認識

事故から4ヶ月過ぎた.政府は福島第一原発事故対策のステップ1(循環冷却・冷却水の除染,等)が予定通り実現したとして,自らを評価しているようだが,多分,被災者から見て,まったく進んでいない,何も解決していない,と思っているに違いない.素人目でも,まったく同感である.

政府,特に菅総理は,震災対応が遅いとの批判に,いつも,このステップ1を持ち出して反論する.今回の循環冷却,冷却水の除染は事故対策の偉大な第一歩(入り口)として,大いに評価したいらしいが,もしそうであったとしても,これは技術者や現場作業者の評価レベルである.少なくとも総理たる者は,もっと大局的な視点での状況認識が必要だと思うのである.信じられない事だが,こんな基本的な事が分かっていないようである.

自分は原子力に詳しいと言ったり,事故翌日早朝,現地に行ったり,わけのわからない本部を乱立させたり,一連の震災への言動を見るにつけ,一般人にも劣る,『視点の狭さ』,『マネージメント能力の無さ』を感じてきたのである.

むしろ,ピュアーな被害者や素人の方が大局的で,的を得た認識・評価をすると思う.そこで,素人の一人として,素朴に私の事故対策の状況認識を述べてみたい.

認識1:福島原発は依然と,マグマが息づいている活火山状態である.

現実は原子炉の中や建屋の中がどうなっているか把握できていない.又,放出した放射能の分析によれば,核燃料が圧力容器或いは格納容器から間違いなく流出していると言う(メルトダウン,もしくはメルトスルー).

最後の砦の格納容器に穴が開いていれば循環冷却で温度の上昇を抑えていると言えども,放射能の土壌・地下水への流出,水蒸気爆発,再臨界の可能性はゼロではない筈である.又,大きな地震に対しては,このメルトダウン,メルトスルー状態(圧力容器,格納容器が弱い状態)は極めて危険な筈である.冷すことだけではなく,この対策を考えているのだろうか,打つ手がないのだろうか,思わず神頼みをする状態だと思う.

その意味で,いつマグマが流れ出るか,爆発するか,分からない,制御の効かない,活火山状態だと言えるのではないか.心配しすぎだろうか.政府としては最悪のシナリオは言いづらいだろうが,余り第一ステップを自画自賛する話しではないと思うのである.

むしろ,この最悪の事態をどう防ぐか,原子力保安委員,原子力安全委員会,東電,世界の関連技術者の英知を結集して,最悪の未然防止に取り組んで欲しいのである.

認識2:放出された大量の放射能が放置されている状態である.

水素爆発,ベント(排気)によって大量に放出された放射能に対し,的確な対策が打たれているのか,その結果,4ヶ月たった現在,放射能被害がおさまってきたのか,が評価のポイントである.そこで,放出放射能に対し次の2点で対策の評価をしてみた.

①汚染マップによる的確な対策が打たれているか.

汚染マップについては,現在,色々な機関がを作っているが,政府として,このような汚染マップによる先手先手の対策を講じているわけではない.相変わらず同心円のマップがまかり通っているのである.米軍は,水素爆発やベントで,ただちに放射能汚染マップを作って,米軍のオペレーションに使っていたと聞くが,雲泥の差である.

特に汚染マップによる住民の避難誘導をしなかった為に,避難民が被爆した可能性がある.もしそうだと判明したら,国家賠償問題になる.総理初め政府関係者は辞任では済まない事態である.

今も,汚染マップによる先手の汚染対策がない為に,農畜産物,土壌,地下水,海水,海産物,等の汚染が,モグラ叩きのように発覚する.最近の稲ワラによる全国的な牛の汚染問題もその典型である.直接的被害も甚大だが,国産牛の信用が大きく失墜したのである.この放射能汚染放置状態では第2,題3の稲ワラ事件が発生すると思う.

そこで汚染マップの整備が求められるのだが,次に述べる第二の規制値の設定と,判断基準が伴わないと,対策に繋がらない事になる.

言うまでもなく,マップが示す放射能濃度,規制値に従って,エリアを封鎖したり,汚染食物・飼料を測定し,封鎖したり,広域に除染や放射能取り除き作業をしたり,等を行う事になる.はたして,実際のオペレーションが出来るだろうか.簡単ではない事は想像できる.今のところ,汚染マップの作成やその利用方法について,政府の方針は出ていない.

勿論,早く汚染マップを作って,少しでも合理的に汚染対策をやるべきであって,第2,第3の放射能大量放出にも備えておかなければならないと思う.

②放射能汚染の規制値を設定し,的確な対策が打たれているか.

放射能汚染対策のもとになる放射能の規制値(物や食料等の放射能値,人間の外部・内部被爆値)がはっきりしている事が重要だが,現実は極めて曖昧である.これでは不安や風評,あるいは無作為が横行する.

医学的,科学的に未知の領域もあり,厳しくすれば安全だが,それでは現実がついていけなくなる,とのジレンマの中で,不安だけが蔓延しているのである.又,政府の発言や施策の責任を回避するかのような,曖昧な言い方も,これを増幅させているのである.

結局,放射能汚染地域はゴーストタウンになるのだろうか,除染とガレキ処分がされて,もとの町や田畑になるのだろうか.農産物や海産物あるいは畜産物の汚染がなくなるのだろうか,今の所,全く見えていない.

以上,放射能汚染マップや放射能規制値による対策が打たれていないと認識する.従って,放置されていると言わざるを得ないのである.今後も同心円のマップとモグラたたきの様な放射能対策が続くのだろうか.

認識3;原発事故に対する政府の態度が煮え切らない状態である.

政府が原発事故対策に対し,煮え切らない態度が散見される.例えば,

・事故対策への政府批判が怖いのか
,
・被害者への厳しい対応をしたくないのか,
・政府の事故対応の失政を隠す為か,
・曖昧な賠償問題の矢面に立ちたくないのか,
・賠償費用の膨大さ,財源の当てのなさ,に慄いているのか,

とにかく,東電の責任を事さら言って,政府は逃げている感じがする.結果,
放射能汚染問題に先手を打たず,賠償範囲・金額の算定は委員会に任せ,賠償金の支払いは東京電力にさせる,等,自ら動こうとしないのである.ただ,東電への資金供給をすればよいと思っているようである.いかにも官僚が考えそうな事ばかりであるが,誰が事故対応の責任者なのだろうか.

私見によれば,福島原発対応,放射能汚染対応,損害賠償含む被害者支援制度,それぞれに,政府のしっかりした体制を作ることが必要だと思うのだが.

更に煮え切らない事に拍車をかけているのが,総理の進退問題である.『脱原発依存』を自慢げに言うが,震災対策,原発事故対策,放射能汚染対策など国民に語りかけた事などない,被災地に行っても,現地から信頼されているようには見えない.

退陣をちらつかせながら,好きな事は言う,現実の厳しい状態からは目をそらす,そんな総理は全く震災対策のガレキである.政治空白をなくす為に早く撤去する必要がある.

以上のように福島原発事故対策の中間評価としては,

福島原発が抱えるリスク対策は進んでいるか,
・放出された放射能の汚染対策は進んでいるか,
・政府の政策が被災者,国民に効果を上げているか


の3つの視点で率直に述べてきたが,結果は
,

・原子炉は依然,活火山状態であり,事故当時のリスクは減っていない,
・放出された放射能の事前の汚染対策はなく,放置されている状態に等しい,
・政府の態度は相変わらず,煮え切らず,腰が入っていない,

状態であり,総括としては,『考えられるリスクが減って来た』とは,とても言えないのである.政府・与党は復興計画を検討中との事であるが,この原発事故問題を,どう解決するつもりなのだろうか.

これが素人の感想である.ただ,現場の皆さんを非難しているわけではない事を申し添えておきたい.

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2011.07.15

249 今後の原発政策『論戯』

福島第一原発事故の対応のさなか,総理の浜岡原発の停止や玄海原発の再稼動問題で,にわかに原発のそもそも論議に火がついた.しかし,将来の原発政策やエネルギー政策の見直しが決まっていないだけに,電力不足への不安,原発事故への恐怖が前のめりで,社会不安を煽っている形になったのである.

先ず,そもそもの原発に対する主張は次の3つに集約される.

①今後も原発を推進する(原発推進派)
将来に向けて原子力の平和利用は不可欠であり,今後とも研究開発は必要だと主張.他国で原子力の利用や研究がある以上,日本だけ,やめるわけにはいかない,とも言う.特に,電力不足の影響を現代社会では無視できないし,原発に変わる,エネルギーは今のところ存在しない.未解決課題の研究開発,安全性の向上をしつつ,運用を継続すべきである,としている.

しかし,放射能汚染リスクや使用済み核燃料の処理などの課題に解決策が見いだせなければ,原発推進は難しくなる.

②原発は継続する,但し徐々に他のエネルギーに移す(継続・縮少派)
電力不足を起こさない為に原発は継続するが,将来のエネルギー政策としては他のエネルギーの開発,省エネ技術の開発,によって原発依存度を下げて行く,との主張.但し,将来,原発を一定依存度で残す事になるのか,原発をなくす所まで行くのかは,今のところ不明.いづれにせよ,原発の抱えるリスクがある以上,依存度を低くして行こうとする案.

継続運転に際しては福島原発事故を踏まえた更なる安全基準の改良,想定外のストレスに対する対応力の評価によって,安全性を向上して行く事になるが,問題は原発依存度の軽減の方法である.

A 安全基準,ストレステスト,で問題ありの原発を廃止して行く方法
B 原発以外の発電量の増加に応じて原発を廃止して行く方法


A の判断で廃止したいが,電力不足が起こる時、A、B 共に廃止が地域経済・雇用に大きな問題を起こす時,総論賛成各論反対の激論が起こる可能性がある.

③早期に原発を廃止する(原発廃止派)
科学的に,技術的に原子炉は完全に人間が制御できないし,高濃度放射性物資の処分の方法も確立していない.又,事故による放射能汚染,被爆の可能性は否定できず,その時の社会への影響は計り知れない.特に,もう一回,原発事故で放射能が飛び交えば,日本は破滅する,そうならない前に,即刻,廃止すべきだ,とする主張.

この原発反対を言う人は,科学技術の観点で言う人,核武装反対,軍備反対,基地反対,安保反対,と左翼運動と同心円で言う人,条件闘争で反対運動をしている人,支持率を上げるために主張している人,等が散見する.この事が,逆効果になって,原発を容認せている側面もある.

原発再稼動に関しては,高い安全基準を掲げて,実質,再開させない事を考えると思う.これをやれば来春には稼働している原子炉がなくなる.但し,その時,日本はどういう事になるのか,原発以外の発電で,どれくらい供給が出来るのか,等,言わない.原発事故の被害を考えれば,電力不足による影響など,小さな事だとしている様である.また原発を停止しても,使用済み核燃料処理に,リスク,時間,専門家,長期の人材育成,資金,が必要になる事もあまり触れる事はない.

以上の三つの主張が議論されているわけだが,そもそも原発は万が一の危険性や使用済み核燃料の処分方法等の未解決課題を持ちながら,次の目的で国家戦略として推進されて来た.

『原子力の平和利用にむけた研究開発』(世界の認知)
『核保有可能国家としての抑止力発揮』(戦勝国承認)

『経済発展に必要なエネルギーの確保』(安定電源の確保)
『エネルギー防衛の確立』(輸入エネルギー依存からの脱却)
『原発誘致による地域経済の維持発展
』(税収,交付金)
『地球温暖化対策』(近年CO2排出抑制で原発化推進)

この原発は約40年を経過し,日本の技術と経済を牽引して来た.この国家戦略を踏まえて,今後どうするのか,冷静な建設的な議論を期待したい.

とは言うものの,原発が持つ,万が一の危険性と原発で得られる効用のトレードオフと言うジレンマがあるだけに悩みは大きい.

ジレンマが伴う科学技術に対し,人類は科学技術を封印する事はなかった.その結果,科学技術の進化を遂げて行くわけだが,万が一のリスクは残る.国際的には原発も例外ではなく,研究途上の分野である.

世界の趨勢としては,少なくとも,原爆保有国は原発廃止の方向は出さないと思う.原発も核兵器も一体的に捉えているからである.安全技術や放射能対策,あるいは廃棄対策などの技術や課題が多くの点で共通しているからである.

BRICS諸国も莫大なエネルギーを確保する為に,原発開発途上であり,原発は拡大方向である.原発の普及に際し,国際的な安全基準や相互監視体制が叫ばれている.

ドイツ,イタリアは原発廃止の方向を打ち出した.これに日本が加われば,戦前の日独伊三国同盟,ファシズム国家,敗戦国,原爆非保国と言う事になる.『原爆非保有=原発非保有』と言う構図になる.だとしたら,『原子力の平和利用』『いつでも核武装できる日本』の旗を降ろしても良いのかと言う議論も出てくる.

そんな中で自分の意見が定まらない.あえて言えば,実際,原発が存在し,即やめられない以上,②が現実的対応と言う事になる.

とは言うものの,巨大地震,巨大津波,福島第一原発事故を踏まえた安全性評価は定かではない.

・福島第一の潮防堤の低さ以外,安全性は確保できている,と見るのか
・各原発に尚,対処すべきリスクが内在していると見るのか
・原子力行政や事故発生事の対応に問題があるのか
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又,縮小して行くとしても,

・原発リスクになる要因は?
(設置台数,稼働台数,場所,原子炉の改良・廃止,他)
・原発リスク軽減の具体的方法は?(技術革新,工夫,稼働台数減,他)
・廃止から廃炉までのプロセス,リスク対策は?
・使用済み核燃料の処分方法は?
・今後の廃止,廃炉に向けた人材・資金の確は?

など具体的方法とか実施時期も不明な事が多い.

以上,①②③のどれを選択するにしても,原発問題は,まだまだ言葉だけが先行している問題の様に思う.

それにつけても,方向性の問題も結構だが,現存する原発に対し,取り組むテーマが二つある.もしこのテーマが実現できれば原発はすばらしいエネルギーになる.禅問答もなくなる.

第一は,事故発生時,放射能の飛散を完璧に防ぐ方法はないのか.

自動車のエアバックなど衝突と同時に開くが,なんともアナログな発想である.空中に噴出した放射能をバルーンで受けるとか,いろんな工夫があっても良い,とにかく,『放射能を絶対飛散させない』事が出来ればよい.

原発と言うと原子力の学者ばかりがイメージされるが,飛散防止の問題等は専門分野が特定されない分野だと思うし,世間には多くのアイデアがあるように思う.廃止を議論するより,原発が現存する以上,この対策の方が大事な気がする.

第二は,飛散した放射能の可視化,吸着化,無害化が出来ないのか.

放射能による医学的影響もまだはっきりしていないが,それより早く,これが可能なら放射能の恐怖から一気に解放される.この研究開発は放射能を生んだ人類の責務だと思う.原子炉の研究だけではなく,放射能対策に力を入れて欲しいのである.それとも,絶対不可能な事なのだろうか.

特殊なメガネで放射能が光って見えるとか,航空写真を撮るように,広域に放射能分布・濃度が分かるとか,何かの物質に磁石のように放射能が吸着するとか,粉末を水や海水に撒くと放射能を吸着して沈着するとか,地上のどこでも,薬品を放射能に散布すると短期間で無害になるとか,薬を呑むと人間でも動物でも内部被爆が無害になるとか,とにかく,識者の皆さん,人類の為に,お願いします.

追記(7月13日記

玄海原発の再稼動に対し,許可を与えた経産省と,新たなストレステスト後,判断するとした総理で対立.結果,ストレステスト後,再稼動の可否を判断する事としたが肝心のストレステストの内容,実施方法,評価方法は,これからつめる事となった.

又,本日,菅総理は『従来のエネルギー政策の白紙撤回』と『原発依存の段階的下げと将来の脱原発』を記者会見で発表した.『あんたに言われたくない』との感想が世論に多いと思うが,それ以前に,ストレステストもそうであったが,相変わらず中身のない発表であった.政府,民主党の統一見解でも,議論した様子も,なかったようである.総理の記者会見と言いながら,私的な『思い』を言っただけのようである.

ひょっとすると,段階的と言ったが,総理は『被害の大きさを考えれば,即廃止すべきだ』と原発廃止論者であり,一気に廃止に舵を切って,国民の絶賛を浴びたいと思ったのかもしれない.総理ではなく,市民運動家に戻った瞬間である.

鳩山総理の『最低でも県外』もそうだったが,菅総理も,世間が喜びそうな事を根拠無く発言する事は同じ癖である.裏づけは無いが,世間が喜びそうな事を言って選挙に勝った『民主党マニフェスト』と同じDNAである.どうも根っからの野党精神,無責任精神,良く言えば『バカ真面目な観念主義,原理主義』がそうさせているのかも知れない.

更に,この人達の大問題は,ウソつき,詐欺,と言われない様に,間違った事が明らかになっても,責任もとらず,も修正しようとしない,むしろ無理に実現しようとする事である.

間違いを認めようとしない精神はウソを自覚している程,強くなる.罪の大きさを知っているからである.ウソではないと本当に思っているなら,堂々と理由を挙げて,間違いを修正できるはずである.

『民主党マニフェスト』や,いろいろな『思い』に,根拠がなくとも,実効性がなくとも,『方向性は間違っていない』と釈明すれば,嘘にならない,政治的詐欺にならない,と思っているのかもしれない.世間では通用しない,こんな釈明が通るなら,『政治には嘘が存在しない』事になる.『政治家は嘘をつかない』事が真実味を帯びてくる.

話しを戻すと,エネルギー問題は思いだけで決まる物ではない.電力需要予測にもとづいて,時間軸の上に,エネルギーの供給計画を示す必要がある.その為の施策も必要である.勿論,脱原発と言っても,使用済み核燃料の問題や廃炉に至るプロセスは無視できない.エネルギー防衛問題も見通しがいる.

『原発に依存しない社会を作りたい』『原爆や核兵器のない社会を作りたい』『戦争のない社会を作りたい』・・・・など言えば切がないが,そんな事は子供でも言う.歌ってこれに酔っている純真な大人もいるが,残念ながら,その先がない.

鳩山総理は’思い’を言って退陣させられたが,退陣に条件を付けて続投している菅総理はルンルン気分で,気軽に好きなことを言っている.

しかし,中途半端な総理の職責が続く限り,政治は停滞し,復旧・復興のみならず,経済や外交も含めて,日本の多くの難題が深刻さを増して行く.この罪の重さを感じないのだろうか.東日本巨大震災の復興も進まず『最大不幸社会を作った総理』として,歴史に名が残るかも知れない.

そんな菅総理に言いたい,将来の事を言うより,『現在のガレキ問題,仮設住宅問題,放射能汚染問題に全力を発揮する事が,あんたの仕事だ』 と.

特に放射能汚染被害はスピーディを使わなかった住民の退避誘導,スピーディを使わなかったベントに原因があり,国家賠償責任に値する失政である.情報の隠蔽も本部長としての責任は重大である.

住民訴訟が起これば,確実に有罪であり,国家賠償になる.これを恐れて,東電に責任を押し付けている感じがする.損害賠償スキームが国会で議論されているが,訴訟を待たずに,国会で本部長の責任をはっきりさせておく必要がある.

総理としては,この放射能汚染と震災復旧の遅れを詫びて,公債特例法と2次補正を国会に身を伏してお願いする事が最低の仕事だが,どうも,他の論争を仕掛けて,国民の目をそらし,得点を挙げようとしている様に見えるのである.

ところで,今後の原発に対する主張だが,本心は③がよいと思っているが,表面的には②を言う,『隠れ原発廃止論者』はいないだろうか.

どうもリベラルっぽい人に,こんな人が多いように思う.政治理念も政策もハッキリ言わない人が多いからである.左翼,右翼,保守,新保守を標榜している人はハッキリ本心を言うが,リベラルっぽい人は,いつも主張の所在が不明である.自分の言論に責任を取りたくない人なのである.

菅総理は原発の再稼動はありえると言うが,本心は,いろいろ条件をつけて再稼働させない,いわゆる『隠れ原発廃止論者』かもしれない.資本主義を許容していると言いながら,社会主義的政策を推し進める,『隠れ社会主義者』と同じ手法である.

だとしたら,社会不安は常に付きまとうし,政治に信頼は生まれない.政治家を見る時,いつもこの事が気になる.民主党が与党になってから,選挙対策や大衆迎合で本心を言わない『隠れ何々』の政治家が増えた感じがする.

その結果,本心を隠して,ひな壇に座っている人がいたとしたら,議院内閣制はウソの組織になる.本人はどんな心境なのだろうか.国民をだましている罪悪感はないのだろうか.それとも,権力の魅力に身震いして,これまでの政治活動や本心など,どうでもよくなっているのだろうか.

現行制度に反対していた人がそれを隠して,現行制度の責任者になれば,その人の話しは聞きたくないどころか,任せられないと思うのが普通である.それでも内閣を続けていれば,内閣への信頼感など得られるはずがないのである.

例を挙げればきりがないが,前述の『隠れ原発廃止論者』もそうであるが,別のたとえで言えば,パイの分配の事しか言ってこなかった人が,経済や財政の建て直しに取り組むと言っても、結局,分配を重視するのである.信用できるわけがないのである.

自民党内閣でも『隠れ郵政民営化反対』の大臣がいた.それを本人が吐露した瞬間,信用が失墜した事があった.それほど,『隠れ何々』は国民から見れば軽蔑されるのである.一度,国会質問で,大臣一人ひとり,『隠れ何々』ではないのか,問うて欲しいのである.本来なら政権交代直後にやる事であるが.

ついでながら本心を焙り出すシナリオを書いてみた.『隠れ何々』とおぼしき大臣に是非聞いてみたい.

『以前,こんな事を言っていたが,今でも,その考えは変わらないか
と聞く.

それは個人的な理想,考えだ,その思いは今も変わっていない
と答える.すかさず,
それでは,この政策はあなたの考えに反するが,本心は反対なのか
と詰め寄る.反対だとは言えず,
現実の策としてやむをえないと考えている
と言うはずである.そこで,
思いより現実を優先すると言う事か
と確認する.その上で,
あなたは,都合によって,思いと現実を使い分けているのか』
と畳み掛ける.すると,多分こう言うと思う.
『理想と現実を持つ事は間違っていないし,矛盾はしていない』
ならば,こう切り返す.
『本心は違うが,現実的に,やむを得ない案だ,と公言すべきだ』
『ようするに,本心を隠して,権力の座にいる事が大問題なのだ』

迫る.そして,決め言葉は
『言行不一致では大臣の資質がない.本心を隠してまで,権力に付きたいのか』
となる.

このパターンで,いろんな政治課題について,民主党政権に改めて聞いてみたい.近々,総選挙ではなく,内閣総辞職が行われる.民主党の3回目の政権が誕生する事になるが,『隠れ何々』の大臣は不用である.

それにしても,又,役人上がり,弁護士,松下政経塾,労働組合,左翼運動家,などが中心の政府を作るのだろうか.民主党はまとまらないし,発想力,経験,思考力,行動力,求心力,共に力不足になる.

なによりも,民主党が政権与党の体をなしていない事が最大の問題である.方や内政,外交,震災,原発,と問題山積みである.次の民主党内閣で期待が持てるわけがない.自論であるが,国民に信を問い,新しい体制を作るべきだと思うのである.

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2011.07.07

248 災害大国日本に『有事の備え』が欠落している原因

巨大な震災や放射能汚染災害で,誰しもが想像出来る問題が次から次に起こっている.『どうして,事前に手が打てないのか』と,もどかしさ,いらだちを感じるのである.当然,矛先は政治への不信,怒りに発展するのである.

誰しもが想像できる問題を整理し,それぞれの対策を制度化すべきなのである.ところが,当ブログ『239 欠落している有事の備え』でも,取り上げているが,実際は想定される問題に,あらかじめ,責任体制,制度と実施の仕組み,財源,が決められていないのである.いわゆる,『有事の備え』がないと言っても過言ではないのである.

①救難フェーズ・・・不明者捜索,避難(1次,2次),生活・介護・医療支援,等
②救済フェーズ・・・仮設住宅,ガレキ撤去,ライフライン確保,生活・雇用・事業支援,等
③復旧フェーズ・・・復興計画策定,社会インフラ建設,住宅
建設,会社・工場建設,等
④復興フェーズ・・・産業振興,都市機能増強,等

実際,4ケ月立つ現在,復旧・復興に向けた国・地方の組織をこれから決めると言うのだからあきれる.これでは被災対策が進むわけがないのである.

この『有事の備え』は自然災害だけではなく,戦争,テロ,細菌,などでも考えておく必要がある.平時の制度・仕組みでは対応出来ない事は明らかだからである.しかし,憲法からして,この有事の概念がない事が根本的問題なのかもしれない.

憲法問題以外に,『有事の備え』が出来ない根本的問題について考えてみた.

1.最悪の事態から目をそらす日本文化の問題

当ブログ 29 1頁と100頁の契約書にみる日米文化』で触れているが,日本人同志の契約書では,ほとんどの場合,想定されるトラブルやリスクに触れず,それが発生した時,『誠意を持って別途協議する』で済ますのである.

ギシギシいろんなケースをつめるとすると,きりがなくなったり,時間がかかったり,やる気を問われたり,対立が発生したり,不信感をいだかれたり,挙げくに,成約が出来なくなるのである.契約文化が徐々に浸透しているものの、この様な事から,1頁の契約書(発注書)の方がスムーズに事が運ぶ文化なのである.

多民族文化と言われ,契約文化が浸透している欧米と比較すると,契約書を仕事の前に見るのが欧米人,争いになった時見るのが日本人と言う事になる.又,契約金額も,契約内容によって変わるのが欧米だが,日本では,契約内容とは無関係に金額が決まっている.又,日本では契約以前に,義理人情浪花節,慣習,長い付き合い,と言う不文律があって,これが結構,契約書にない問題を解決してくれるのである.

日本の1頁の契約文化は,欧米では通用しないが,国内同志であれば,相互信頼に守られた合理的な,効率的な文化とも言える.しかし,この日本的文化は危機対応の思考力を停止させたり,トラブルを拡大させたり,泥縄の対応で時間がかかったり,する温床になっているとも言えるのである.

今回の大地震,大津波,原発事故でも,発生している問題の対応は『1頁の契約書』と同じである.先手先手で手が打てる問題ばかりであるにもかかわらず,法制度上は想定外の問題となり,『誠意を以て別途協議』と同じような,震災対応が行われるのである.これでは被害者の苦しさが長引くだけである.救済の費用もかさむ.

毎年のように大きな自然災害に見舞われる日本であるだけに,自然災害に関する『100頁の契約書』にあたる『災害対応マニュアル』を制定しておく必要がある.深刻な事態から目をそらす日本文化から脱却しなければならないのである.

2.法規制に平時,異常時の区別がない問題

憲法で平事と有事の概念がない事もあって,災害対応は平時の体制,法制度,仕組みで対応するのか,平時とは違う体制,法制度,仕組みが必要になるのか,つきつめた検討がされていないと思う.結果,事ある毎に,泥縄となり,膨大な時間と法律が必要になるのである.

今回も,『特区設定による有事制度』が考えられると思うが,それと並行して,平事・有事の法体系を意識し,今後も使える形で,進めて欲しいものである.毎回,一過性の時限立法ばかり作っても,毎回泥縄になるだけで,制度が継承・進化しないのである.

3.法律と予算制度で動く行政の仕組みの問題

公金はすべからく,法律と予算に裏付けられて使われるわけだが,緊急を要する被災対応で,この財源問題が立ちはだかる.現地の自治体が必要だと思うっても,財源の裏付けがなければ,手も足も出ないのである.実際には,運用で何とか出来る事はあると思うが,本質はこの予算制度にある.解決方法は,二つ.必要に応じて国による一括交付を行う方法,国の責任で事後清算を可能とする方法,である.このどちらかを事前の制度として用意しなければ,機動力ある被災対応はできないのである.

これは現実にある話であるが,被災地の役人の仕事は,目の前の救済活動ではなく,予算をとる為の被害状況の調査である.そのうえで,国との交渉が行われるのである.まさに,予算制度が末端の活動まで浸透しているのである.

4..公金を個人・私有財産に使う事に関する制度の問題

住宅や会社の財産被害(土地・住宅・設備・家畜,等)に対する支援問題,借金・ローン,・債務不履行に対する免責問題,など法制度の備えが必要である.従来の基本的な考え方は,公金を私有財産に使わない,と言う事で,せいぜい,お見舞い程度であったり,現物支給である.

時代の要請の中で,公金を私有財産に使う事に対して,しっかりしたガイドラインが必要である.保険制度の見直しも必要だと思う.又,被害対象が巨大であろうと,極小であろうと,被害者個人から見れば,支援の必要性は同じである.この問題も忘れてはならない.いづれにせよ災害発生都度,検討しているようでは,災害復旧に間に合わないのである.

5.救難・救済・復旧・復興の財源の問題

災害復旧は将来への先行投資の意味も含めて,大体,建設国債,地方債によって財源が手当てされる.しかし,災害が財政を圧迫する事は明らかであり,災害国日本の宿命である.今回の巨大な災害は,震災前の国家財政危機に大きくのしかかるのだが,はたして耐えられるのか,綱渡りが続く.従って,国家財政政策,国家予算政策なくして,『有事の備え』も『災害発生後の対応』も出来ないのである.

6.異常時における行政手続き,税,公共料金,行政サービス,の問題

この問題も泥縄対応である.全ての行政制度の有事での対応方法を決めておく必要がある.あるいは平時の手続きも見直す必要がある.これを決めておかないと,『杓子定規のお役所仕事』との批判はなくならないのである.

以上6点を上げたが,これらの事に対する考え方を持たない限り,『有事の備え』を用意する事は出来ないと思う.結局,泥縄の対応を繰り返す事になる.何としても,今回の巨大震災の経験をベースに『有事の備え』を作るべきだと思う.

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