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2011.11.17

262 葛藤する日本文化③

当ブログ NO002葛藤する日本文化①, NO019葛藤する日本文化②に引き続いて,久しぶりに,NO262葛藤する日本文化③を発信したい.

11月17日の日本経済新聞の春秋コラムに,演出家の久世光彦氏の文化に対するこだわりが紹介されていた.それによると,氏は『言葉に対する羞恥心が無くなったら,その国の文化は滅びる』との思いから,自から言葉使いに,こだわっていたと言う.羞恥心が,いかに日本文化にとって大事であるか,と,久世氏は言っていたのである.

たしか,太宰治も,『羞恥心のある女性は美しい』『羞恥心は教養で生まれる』従って,『教養ある女性は美しい』と言っていたように記憶している.もちろん教養とは『生きるすべ』の事だと理解している.

又,日本画の余白は『謙虚さの美学』である.『余白にものを言わせる美学』である.この美学は侘び寂びにも,行間で物を言う短歌,俳句にも,合い通じる美学である.全てを塗りつぶす洋画とは全く違う美学,感性なのである.

この謙虚さ,控えめさは羞恥心と同じように,自己抑制,相手への配慮,から来ている心理のように思うのである.全て言わなくても分かりあえる民族同志ならではの価値観,表現方法,行為,なのかもしれない.あからさまに,白黒はっきりさせる文化とは違う文化なのである.

このように,改めて日本文化を考えると,確かに,日本人は『羞恥心』を価値観,美学,行為の根底にしていると実感できるのである.だから,この羞恥心を失ってはならないと言うのが久世氏や太宰氏,あるいは日本文化を大事に思う人達の思いなのである.

こんな日本の文化を,米国の文化人類学者のルーズベネテック(1887年~1948年)は日本文は西洋文化の対局にあって,社会規範への適用行動として,外的な批判を意識する『恥の文化』(SHAME CULTURE)だと定義したのである.ちなみに,欧米文化は内的な良心を意識する『罪の文化』(GUILTY  CULTURE)だとした.

この説に異論反論はあると思うが,米国人が『恥』を日本文化の中心にあげた事に,びっくりする.よほど,『はにかみ屋』の日本人の印象が強かったのかもしれないが,外からの方が文化の特徴が見えやすいのは確かである.このそれぞれの文化の背景を私流に整理すると,次の様になる.

『恥の文化』は単一民族,農耕民族,村社会,帰属意識,血統,道教,仏教,の影響で生まれる集団主義(個人より集団の規範,評価を優先)の縦文化.官僚国家・複合経済国家を形成.

『罪の文化』は多民族,狩猟民族,キリスト教の影響で生まれる個人主義(集団の評価より個人の人格,権利を優先)の横文化.自由な資本主義社会を形成.

以上のように,日本文化は『恥の文化』だと言われると,確かに納得できる感じはする.私見では,ずっと日本文化は,『曖昧の合理性』だと言っていた.『白黒はっきりするより,曖昧にした方が合理的だ』,言い換えると,玉虫色にして,相手を配慮したり,曖昧だが阿吽の呼吸で理解しあったり,の文化であって,人間の歴史的英知であるとしたのである.

事実,歴史のある国ほど,この『曖昧の合理性』が通用するのである.勿論,上記『恥の文化』と同じ背景で形成される文化である.一方,米国流の『罪の文化』の背景からすれば,『曖昧さこそ不合理だ』となる.

米国人とのデベートで,論理に負けそうになると,

『曖昧な方がうまく行く,少なくとも喧嘩や戦争をしない人間の英知だ』と.又,こんな事も言う.『日本の会社では仕事の内容をいちいち契約しないが,事務所のごみは誰もが拾う,米国ではジョブデスクリプションにごみ拾いは入っていないから,誰も拾わない』と.掃除する人が別に契約されている事を知りつつ,どちらが合理的か,と啖呵をきるのである.

又,苦し紛れに,こんな事も言う.当ブログNO0291頁と100頁の契約書にみる日米文化でも触れているが,日本は1ページの注文書で仕事を始めるが,米国人は100ページの契約書を作らないと仕事をしない.日本はトラブルが起こった時,どうするか相談するが,米国はトラブルが起こる前に処置を決める.等,どちらが合理的だ,と啖呵を切るが,この時は声が小さくなっている.若干やけくそである.

さて日本の『恥の文化』が,現在でも生きているのだろうか.

極端に言えば,日本は戦前,戦中の日本文化と結びついた軍国主義から,戦後,『米国文化の大量流入』,『民主主義の導入』,『文明の発達』,『国際化』,『和魂洋才』等によって,『和洋折衷文化』に移り,さらに,現在も,『米国文化』の影響を強く受け続けていると思う.まさに日本は文化の変化期,葛藤期の真っただ中にいると思うのである.(当ブログNO002,NO019葛藤する日本文化①②で詳細に言及)

どうやら,『恥の文化』『曖昧の合理性』の日本文化は国内でしか通用せず,国際社会では,必然的に他民族になり,西洋文化,米国文化が当たり前になるのである.

従って,日本文化の中にある羞恥心も随分失われていると思うし,恥じる内容も変わっていると思う.本能的な羞恥心はあると思うが,もはや日本の『恥の文化』は古典になっていると思うのである.

久世氏のこだわりについて言えば,日本語で言うと恥ずかしい言葉や言い方が,どんどん横文字や別な言い方になっていると思うのである.その分,日本人から羞恥心が薄まって来ていると思うのである.

又,謙虚さや羞恥心の文化は,多様化,国際化の中で,積極性,自己主張,自己責任,独自性,自立,などが要求され,現代では,むしろ邪魔な心理だと言われる時代に入ったと思うのである.

太宰氏の『女性の教養による羞恥心は美しい』との美意識は,男性だけかもしれないが,今でも,あると思う.しかし,昔と違って,教養ある女性が増えている現在,必ずしも羞恥心の美と結び付かなくなっている感じもする.『教養による羞恥心の美』は今や,『希少価値の美学』,『古典の美学』になって行くのかもしれない.

宗教について言えば,日本文化に影響を与えていた仏教の教えや文化は現代社会とますます遊離しつつあり,今や仏事のみならず神事も古典文化に近いと思う.一方,キリスト教文化は洋画や洋楽,あるいは,洋物のイベントの中に存在し,現在も無意識の内に,日常の中で存在しているのである.

卑近な例で言えば,『愛』は仏教では煩悩であり,この言葉に羞恥心も働く事から,余り日本人は口にして来なかった言葉である.しかし,良し悪しは別だが,洋画や洋楽の影響で,無意識のうちに,キリスト教の中心的精神文化である『愛』を口にするようになったのである.

洋楽をかじっている観点で言えば,カントリー,デキシー,ブルース,R&B,ジャズ,等の米国音楽のルーツはゴスベル(黒人霊歌)である.現在でも,これらの楽曲や歌詞にキリスト教文化がびっしり埋まっている.多分,その事は米国人は当然知って,楽しんでいるわけだが,日本人は全く意識する事なく,楽曲として,受け入れているのである.

特に,人気のある楽曲は,多くの歌手にカバーされ,日本でも人気がある.実はそんな楽曲ほど,ゴスベルをルーツにしていたり,歌詞がキリスト教の文化なのである.だから米国では人気がある,とも取れるのである.そんなわけで,日本人は楽曲と共にキリスト教文化のエキスを浴びている事になるのである.文化とはこんな形で,浸透するのかもしれない.

話しは別だが,米国政治家の演説は,ほとんど,このゴスベルを基調にしている.オバマ大統領はその典型である.日本人にとっては,抽象的,情緒的,気障,に聞こえる『WE CAN』の連呼でも,米国人の心を打つのである.プレスリーはロックンローラーとして心を浮き浮きさせるが,もう一方では,ゴスベラーとしての洗礼された顔を覗かせるのである.この振幅の幅が大衆の心を掴んだのである.

次に,こんなに文化が変化している事の問題点について考えてみたい.

文化の変化は思想とか政治とかで強制的に動かせるものではない.多くの人が良かれと思う方に変化して行くのである.そういう意味で,文化の変化は良い事だと思うのだが,日本文化から米国文化への変化は対局の文化への移動であるだけに,個人,集団,国,の中で葛藤が激しく起こるのである.その結果,価値観が定まらず,どちら付かずで,考えが漂流する危険性もあるのである.

しかも,この文化は個人,集団の考え方,価値観,表現力,行動様式,制度,政策を串刺ししているだけに,文化の衝突,葛藤,受け入れは長期を要する事になる.その間,国の活力や人の育成が停滞し,精神的に落ち着きのない社会になるかもしれないのである.

今,日本はそんな中にいるのである.日本の閉塞感の根幹の問題かもしれない.私見であるが,当ブログNO152で『日本の三大閉塞感』で①憲法改定の手段を持たない日本②返済不可能な借金残高③日本文化の葛藤,を上げた.それほど文化問題は深刻だと思うのであるこの状態では,一つの文化に一途な国に憧れる国民が増えるかもしれない.

今後日本は,どんな答えを出して行くのか,大いに気になる所だが,まだまだ文化の葛藤は続きそうである.政治理念の新保守,保守,リベラル,等の葛藤も,まさに,この文化の葛藤そのものなのである.

日本は,このまま,多様な文化が渾然と入り混じったままの国,掴まえ所のない国,になるかもしれない.あるいは,日本の閉塞感に耐えきれず,何か『軸になる精神』が出てくるかも知れない.ただ,はっきりしている事は『日本文化の古典化』が止まらない事である.

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