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2011.11.21

263 政策論議に使われる『要注意の言葉』

最近の政治を見ていると,『言葉遊び』が目に付く.言葉の使い方で,その場を言い逃れる,リスクを避ける,後の責任を回避する,曖昧にして先送りする,などの意図が見え隠れするのである.特に野田総理の当たり障りのない言い方には,イライラする.

例えば,消費税増税策に対して,素案とか大綱とか法案とか,段取りを言うが,肝心の民主党党首として,マニフェストとの関係とか,社会保障と税制の変更方針とか,行政改革の方針とか,自分の考えを言わない.

自分の主張をはっきり言う小泉総理や大阪維新の会の橋下氏とは大違いである.今,主張型のリーダーの出現を望んでいるところに,調整型のリーダーでは場違いな感じがするのである.

この様な調整型の政治家は,自身の保身本能から,当たり障りのない言い方を好むタイプである.自分の主張がない事がそうさせている事もある.その人達は言葉の意味を曖昧にして議論をする傾向がある事も特徴である.

しかし,国民からすれば,意味をきっちり確認しないと,『こんなはずでは』となりかねないのである.いくつか要注意の言葉を例示したい.

『国家財政危機』

財政破綻を心配する人は,借金がGDPの2倍,1000兆もあるし,毎年,40兆の借金が発生するし,借金返済の為に借金をするし,このままでは,いつか破綻すると思うのは当然である.

一方,日本は世界最大の借金王国でもなければ,財政破綻も心配ない,と言う人がいる.いくつかの理由がある.

まず,債務者は日本国政府,債権者は日本国民である.日本全体としては借金していないと見えるのである.しかも,日本国政府には資産が650兆,対外純資産が260兆ある.従って,借金大国ではないと言うのである.

世界からも,日本は,財政危機だとは思われていない.クレジット・デファルト・スワップ(CDS)のレート(保険料)で評価するそうだが,G7の中では,米国,英国,ドイツ,に次いで低いリスクだと言う.また日本の国債の金利が安定している事も,財政危機とは程遠い証拠である.財政危機の気配があれば,国債の買い手が付かず,金利が上昇するからである.

このように,現状の財政の見方は両極端あるが,最大の問題は,あと,どれくらい借金しても大丈夫なのか,いつ,買い手がいなくなって,金利が上がるのか,など,財政の危機的状態がいつ来るのか,誰もわからない事である.財務省が常に増税を言うのも,財政危機の芽を市場から摘んでおこうとする狙いかもしれない.

この問題で注意すべき事は,国内金融資産が国債を買い支え続け,財政破綻を防いだとしても,金融資産の運用効率が低下し,かつ国内経済に資金が回らなくなって,経済が先に疲弊する事である.これがデフレであるが,このデフレから脱却しない限り,経済が疲弊し,財政も破綻に向かうのである.

こう見てくると,デフレ脱却,規制緩和による成長分野の活性化しか財政問題は救えないのである.単純に言えば,『返済出来る経済力』を持つ事に尽きるのである.債務者の政府から見れば『返済出来る税収が入る』事,『返済できる国債が発行できる』事である.

以上,国家財政危機とか財政破綻という言葉を使う時,何を持って危機,破綻と言うのか,確認する必要がある.この認識を誤ると,政策によっては,国家の命取りになりかねないのである.

『増税による財政健全化』

よく,財政健全化とは『基礎的財政収支の均衡』を取る事であるとしている.その意味は下記の通りだが,これは,借金を増やさない状態にするだけであり,借金を減らすところまで行く話ではない.

『基礎的財政収支(プライマリーバランス)の均衡とは,毎年の政策的な経費が税収などの毎年の収入でまかなわれている状態を言う.国債償還の為の国債発行は,利払い分だけ債務が増加するが,利子率と経済成長率が同じであれば,公債の対GDP比は一定となる.』

ところが現実は,毎年,40兆から50兆の赤字国債発行をしている現状からすると,基礎的財政収支を均衡(赤字国債を発行しない)の為には,消費税換算で20%から30%の増税が必要になる.明らかに,増税だけで均衡させる事は絶対不可能である.こんな事をしたら,経済が疲弊し,極貧の社会主義国家に陥るのである.

従って,『増税による財政健全化』はウソである.財政健全化には『経済成長』と『金融緩和(通貨増発)が必要なのである.

ちなみに,GDP,借金残高の推移は,昭和45年(1970年)はGDP75兆,借金残7兆(10%),39年後の平成21年(2009年)はGDP480兆,借金残816兆(169%)である.

今さらではあるが,小泉政権での『小さな政府論』に元ずく,『行財政改革』『歳出削減』『社会保障費増加分の抑制』『官から民への事業移転』『規制緩和』『減税』『不良債権処理』『金融緩和』などは全く正しかったのである.

小泉改革路線に反対した政治家,政党,学者,有識者,マスコミ,は,どの様な意見を持っていたのだろうか.その人達は現在も,小泉路線は間違っていたと言うが,未だ対案が聞こえて来ない.

多分『大きな政府論者』なのだろうが,莫大な借金で,そんな選択肢は,もう日本にはあり得ないのである.所見がないのなら,世間に無責任な主張をした事をお詫びし,肩書を返上すべきである.専門家なら最低のマナーである.

そんな情勢の中で,財務省は何が何でも消費税増税をしたいようである.私の察するところ,財政再建の為でも,社会保障の為でもなく,日本の国債の格付けが下る事を何としても回避したい為だと思うのである.

いつ起こるかわからない財政危機の芽を摘んでおきたいのだと思う.財務省の守備範囲からすれば,半ば当然の主張だと思う.又,海外からの増税圧力も,円高と企業力の減衰を意図していたとしても不思議ではない.

以上,この財政問題の本質的な解決策には,小泉路線のような方策が正攻法だと思うのである.日本を筋肉質の体質,構造にしない限り,財政問題は解決しないと思うのである.

『社会保障の為の増税』

団塊の世代230万人と言う,突出した人口が社会保障費(年金,医療,介護,等)を圧迫する事は自明の事である.この事もあって,2015年には,社会保障費が4兆円増加すると言う.社会保障費の削減(1.2兆)をするとして,消費税増税5%のうち1%(2.7兆)をこの増加費用に充てたいと政府は考えているようである.

厚労省への不信から,本当のところ,社会保障資金がどうなっているのか,何か,とんでもない事を隠していないか,心配するのだが,もともと社会保障制度が崩壊すると言われ,その対策も見えていない中で,この『社会保障の為の増税』は『予算主義』の餌食になりそうで心配なのである.

『社会保障の為の増税』は『新しい社会保障制度の為の増税』ではない.新しい社会保障制度の姿も無ければ,やるとしても長期に及ぶ制度であり,その為の増税などと言える分けが無いのである.

単に,『社会保障費用の財源不足』を,とりあえず増税で,手当てしたいと言う意味である.加えて,増税に相当する予算を他の予算に回したいと言う思惑が見える.社会保障で増税と言うと,国民は納得すると思うが,その陰で,間違いなく,社会保障以外の事業の予算が組みやすくなるのである.

全体の歳出削減が前提でなければ,増税は『ゆるさ』を温存させ,歳出削減努力を減衰させるのである.多分,『増税しても国債発行は減らない』現象が起こる.今までがそうだったからである.

この事は,後述で指摘する『無駄の削減による財源確保』と同じ現象である.決して『歳出削減』にはならないのである.同じように,増税によって賄なわれる予算枠も他の事業に使われるのである.折角確保されていた予算枠を,みすみす手放さないのである.

これは予算主義の習性であり弊害である.かくて,無駄をいくら撲滅しても,国家予算は減らず,いくら増税しても,国債発行は減らないのである.

この『予算主義の弊害』を防ぐ為に,現税収を優先的に社会保障に回し,他の事業の財源不足を増税でやるのか,事業を辞めるのか,と議論した方が良いと思うのである.全体の事業計画が格段と引き締まると思うのである.

『持続可能な社会保障制度』

この言葉も,財政健全化と同じように,よく言われる言葉の割に,姿が見えない,持続可能な費用とサービスの内容を誰も言わずに,この耳触りのよい言葉だけが飛び交っているのである.

我が国は,いまさら言う話ではないが,医療の発達,経済の発達,国民健康皆保険制度が貢献して,世界最大の長寿国になった事は素晴らしいのだが,

・歳出の面では,人口の多い団塊世代の高齢化もあって,医療費,介護費,年金給付額が増加し,
・歳入の面では,少子化,現役世代の減少化もあって,社会保障財源が大きく不足する事態に陥っているのである.

これは世界に先駆けて『長寿国日本』が突破して行く問題であるが,残念ながら,今後,社会保障制度をどうするのか,その時,健康保険料,介護保険料,年金保険料,医療料金,介護料金,年金支給額,そして税金(増税)をどうするのか,トータルの姿が描けていないのである.簡単に『持続可能』などと言えないのである.

どう見ても,年間100兆円を超え,毎年1兆円の増加がある社会保障費用は国家を破綻させる規模である.制度運営の効率化,無駄の削減,或いは経済成長,増税,保険料増,等では,とても対応できるとは思えないのである.

日本の社会保障の問題は『長寿化に社会が追いついていない』証拠であり,『長寿国に見合った社会全体の再デザイン』が求められていると思うのである.そんなわけで,『持続可能な社会保障の為に消費税の増税を行う』は全くデタラメである.

『無駄の削減による財源確保』

本当に無駄,不効率なら予算から削除すべきである.その予算額を既得権のように,他の予算に回そうとするのは間違いである.予算主義の習性,弊害である.もし予算枠を他に回すなら,これは無駄ではなく,優先度の高い予算に回すと言う,『予算の組み替え』と言うべきである.この優先度を事業間で戦わせる事が予算編成の基本行動なのである.

従って『無駄の削減による財源確保』は間違いであって,『無駄の削減で歳出削減』が正しいのである.『財源確保は予算の組み換え,もしくは借金』しかないのである.

『無駄の削減による財源確保』は,いかにも国民の喝采を狙った言い方である.国民を騙してはいけない.国民は騙されてはいけない.

『消費税率,国民負担率』

日本は先進諸外国に比べて消費税率が低い,増税する余地がある,とよく言われている.本当にそうだろうか.

まず,消費税率だけで比較できない例をあげると,英国は20%だが,税収全体の比率は25%程度だと言う.実は日本の比率と同じである.英国に軽減税率を施しているからである.だから英国20%,日本5%,と比較してはダメなのである.

同じ様な主旨で国民負担率がある.これは税と社会保険料の所得に対する比率であるが,これも欧米に比べて,日本は低い(08年40.6%)と,負担増の余地があるとよく言われる.これは行政サービスとの関係で言う話で,数字だけ比較しても意味がないのである.

もうひとつ,国民負担率に電気・ガス・水道などの公共料金や各種手数料,あるいは学費などを加えた,もうひとつの国民負担率も必要である.ただし,この数字は調査されていない.多分,この負担率を調べれば,日本国民は世界的にも高い負担をしていると思うのである.

そんなわけで,広い視野で数字を捉えないと,判断を間違うのである.大方の場合,数字を言っている場合は我田引水の数字だと思って間違いない.

『自衛権』

これほど曖昧な言葉はない.過去の戦争もそうだったが,自衛権は交戦する理由になっても,客観的に自衛権を文章で定義する事は不可能に近い.何を持って自衛と言うのか,何を持って自衛権の発動をするのか,自衛権の時効をどう考えるか,自衛権行使とは何か,例え専守防衛と言っても,事象や認識を挙げれば切りがないのである.

従って,『自衛の為の軍備』『自衛の為の交戦』との言い方は自衛が定義できない以上,いかにも文学的であり,法律や論理には使えない言葉になる.

そこで,武力を保有するとした時,法律の要旨は『戦争の抑止と交戦の為に武力を保持する,武力の機能,規模,及び,その行使はシビリアンコントロールで行う』としか言いようがないのである.

現在,日本の憲法では,交戦権と武力を放棄しているが,これは戦前の日本の侵略や軍国主義を放棄させる連合国の意図で作られた条文である.しかし,日本の自衛権まで放棄させるものではない,との解釈(自然権)で自衛隊が存在し,連合国も認めているのである.

しかし,この解釈は,憲法の外で,自然権として,武力保持と自衛と言う大儀の交戦権がある事になり,この自然権の内容も曖昧な上に,憲法との境目も問題になる.結局,日本の防衛問題,安全保障問題が曖昧になるのは,この自然権と憲法とが整理されていないからなのである.

そろそろ日本も,普通の国のように,『国家の意思で動く武力を持つのか,持たないのか』,はっきりすべきだと思う.

『所得の再分配』

世の中はパイの拡大と,パイの再分配によって運営されている.この再分配は,経済活動と経済原理に従って,行われる再分配と『税金及び借金による再分配』がある.

この『税金及び借金よる再分配』の考え方は,『大きな政府論』と『小さな政府論』に分かれる.現実には『パイの拡大にとって』,或いは,『パイの分配にとって』,どちらが良いか,まさに適当な接点を求める事になる.一方では,財政赤字によって『小さな政府』を,所得格差によって『大きな政府』を,余儀なくされる現実もある..

日本の1000兆の借金,GDPの2倍の借金,で文句なしに世界最大の『大きな政府』である.残念ながら,あれも,これもと,新たな歳出を要求できる余地など,全く無いのである.今も尚,『大きな政府論』を論じる政治家がいるが,無意味なだけではなく,国家を破綻させるのである.

日本は先ず『小さな政府』に向けて資産,債務を小さくする事,デフレからの脱却をする事,経済成長をする事,歳出を削減する事,がまず必要なのである.

当然,あれもやる,これをやると,再分配を言う国会議員,増税しか言わない国会議員は不要である.これからは,歳出削減と経済成長を両立させる議員と政策が必要なのである.日本には,そんな針の穴に糸を通すような選択脂しか残っていないのである.

私見を整理すれば,『税金による所得再分配の増加(大きな政府論)』は,いづれ財政破綻,経済破綻を招く道であり,財源的にも,その道はあり得ないと思う.唯一『経済発展によるパイの増加(小さな政府論)』と言う細い道しか日本には残っていないと思うのである.

『行政の裁量権』

行政の裁量権は経済事件での金融庁の裁量,裁判官,検事の訴訟,裁判における裁量,厚労省の薬剤などの認可の裁量,など,極めて大きな影響力を持っているのである.

この行政の裁量権で国が実質的に運営されていると言っても過言ではない.まさに官僚国家の根源は官僚の裁量権にあるのである.しかし,脱官僚国家,行政改革,公務員削減,と言っても,この裁量権が議論される事はない.いくつか列記してみたい.

まず検事の裁量であるが,かつて,ライブドア事件の時,マネーゲームによる不労所得は許せない,見せしめだ,と言った検事がいた.そんな法律外の個人的正義感で裁量権が行使されては国家の法秩序は崩壊する.実際,罪の有無に関係なく,検事の強制捜査,起訴,逮捕で巨大な経済的ダメージが発生するのである.しかも,その賠償方法はないのである.その事の処置を考える必要があると思う.

裁判官の判決もまさに裁量権行使である.どうも量刑の判決には無罪を主張していると不利のようである.改心していないとして情状酌量がない判断になるからである.これは量刑に厚生の目的があるからのようである.これでは無実を主張する事が一層不利になりかねないのある.これは明らかに間違った裁量だと思う.

裁判員制度が始まったが,聖域と言われている量刑の決め方について,もう一度見直す必要があると感じるのである.

経済事件に関する監督庁の金融庁の裁量も,よくわからないところがある.粉飾決済で言えば,修正申告で済む場合,罰金で済む場合,あるいは,刑事告発まで,さまざまである.その基準がよくわからない.しかし,これも検事の裁量と同じ様に,裁量によって,大きな経済ダメージが発生するのである.

又,証券取引所の上場廃止か否かの判断も裁量である.上場に値しない企業だと判断しても,廃止によって善意の第三者である株主に大きな不利益をもたらしてもよいのか,が衝突する.これなども,裁量の物指しが曖昧なのである.

この様に,行政の裁量権は,巨大な権利であり,大きな影響を与えるわけだが,裁量の根拠がよく見えないだけに,恣意的に,俗人的に,行使されているのではないか,心配するのである.行政訴訟もあるが,国民から見れば,極めて大きな壁なのである.

立法府は法律,予算の執行監視に加え,実質,国を運営している行政の裁量権についても,常時,監視すべきである.又,行政改革の中でも,この裁量権のあるべき姿を論じるべきである.

巨大な行政の裁量権は有史以来『お上意識』を国民に抱かせて来た.官僚国家,役人の身分,特権意識,等の根幹がこの裁量権にある.これにメスを入れない限り,行政改革とか規制緩和は出来ないのである.

『国益』

外交論議で,いつも『国益』と言う言葉が出てくる.ところが,『国益』とは何か,が必ずしも共有されているわけではない.個別の利益を国益と言ったり,既得権益が侵されるから,国益に反すると言ったり,さまざまである.

従って,TPP問題で,『国益を損なう協定はしない』等と総理が言っても,言語明瞭意味不明である.意味があるとすれば『国益を損なうが協定をする』との案に反対する時である.果たして,そう言う案が既にあるのだろうか.

実は,この『国益とは何か』は外交問題に関わらず,国内政治においても,大きなテーマである.いろんな立場の主張は勿論大事だが,その中から,『国にとって有益な事』を選ぶ事が政治なのである.この『国益とは何か』と言う命題を政治家は是非,自問して欲しいものである.特に,選挙対策で,この事がゆがめられている感じがするのである.

国家財政がひっ迫している現在,真の国益をフィルターにした政治が極めて大事になっていると思うのである.

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