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2012.01.04

267 今も続く白州次郎の『プリンシプルのない日本』

『敗戦,占領,独立』を『日本の革命』ととらえ,『新しい日本のプリンシプル』を求めていた人物がいた.白州次郎である.

2012年の新春にあたり,当時,彼が何を思っていたのか,改めて,『日本のプリンシプル』の問題について,思いをめぐらす事にした.

当時,沈黙を守ってきた白州次郎は,サンフランシスコ講和条約が結ばれ日本が占領から解放された1951年(昭和26年)から約5年間,堰を切ったように文芸春秋,等にエッセイを発表している.

50年後の2001年(平成13年)『プリンシプルのない日本』と言うタイトルで生前発表したエッセイが一冊にまとめられた(株式会社メデア総合研究所),2008年第13版が出版されている.一方,2006年(平成18年)文庫本が新潮文庫から出版され,2011年(平成23年)28版が出版されているのである.

何故,白州次郎のエッセイが,現在も注目されているのだろうか,多分,こうだ,

吉田茂の側近として,米国交渉で奔走した人物である.
②英国仕込みの思考で日本の本質を痛快に叱責した人物である.

③政治思想に左右されない『プリンシプルな思考』を生涯貫いた人物である.
④高い身長(185㎝),英語堪能,愛車が高級外車,のカントリージェントルマンである.
⑤今でも残る問題に対し,当時,彼が何を言っていたのか知りたい
⑥白州次郎の生き様が2009年NHKドラマスペシャルで放送された
.

からである.焼け野原の日本に,よくも,こんな人物がいたものだと驚くばかりだが,これも白州を登用した,国際派吉田茂の眼力の賜物かも知れない.

そこで,『日本人離れした白州次郎』を改めて知る為に,まず,プロフィール,活動内容を記載しておきたい.(エッセイ集,wikipedia,参照) 

次郎の父,白州文平は米国ハーバード,ドイツのボンに留学,帰国後,三井銀行,鐘紡に勤務後,独立.綿貿易商『白州商店』を営み,財をなしたが,1928年(昭和3年)金融恐慌のあおりを受けて倒産.

白州次郎は1902年(明治35年)文平の二男として誕生.神戸一中卒業後,1919年(大正8年)から1928年(昭和3年)の家業の倒産まで,英国ケンブリッジ大学に留学.この英国時代の9年間で『プリミテブな正義感』,『プリンシプルの重要性』,『英国風紳士道』を身に付け,生涯,自分の信条として貫く事になる.

帰国の翌年,樺山伯爵の令嬢,正子と結婚.英字新聞記者,英国資本の商社を経て,日本食品工業(日本水産)の取締役として海産物の貿易に従事.海外での活動が多く,英国大使であった吉田茂と,この頃から親交を結ぶ.

正子は後年,随筆家となるが,学習院女子部,米国留学,聖心語学校を経て,白州次郎と結婚.父,愛輔は実業家,貴族院議員,薩摩出身の海軍大将伯爵樺山資紀の長男.13歳で渡米.アーマスト大卒業後,ドイツのボン大学に学ぶ.帰国後,国際人として活躍.1922年襲爵,1925年貴族院議員,1946年枢密顧問官.

吉田の妻,雪子は薩摩藩の牧野伸顕(大久保利通の2男)元外相の長女,白州の妻,正子も同じ薩摩藩の樺山家の令嬢,と言う事で,妻同士の繋がりもあったと思われる.

ちなみに,吉田の三女,和子は福岡の飯塚で炭鉱業,セメント業の麻生家に嫁ぐ.長男,麻生太郎は家業を引き継いだ後,政界に進出,後年,総理就任.明治以来,九州の地縁が政界に生きている感じがする.尚,三女信子は三笠宮寛臣親王と結婚.

白州次郎は1943年(昭和18年),日本の敗戦,食糧難を予想して,東京町田,鶴川村に疎開し百姓をやる.住処を'武相荘’と呼び,後年,記念館になる.

1945年(昭和20年),吉田茂に請われて,終戦連絡中央事務局参与となり,日本国憲法成立,サンフランシスコ講和条約,などに関与.日本の出直しの土台作りに奔走.語学力もさることながら,筋の通った気骨がある態度に,GHQからは,一目置かれた人物になる.

当時,米国は日本を『反共の砦』として位置づけ,日本の独立には否定的であったようである.吉田茂は『反共の砦』論をテコに米軍の駐留を認める事を条件に,戦争賠償を軽減して,出来るだけ早く独立を勝ち取る事を考えたと言う.

結果,吉田茂の意図通り,日本国憲法,サンフランシスコ講和条約,日米安保条約が揃い,戦後賠償も求められず独立を勝ち取り,経済復興への体制を整えたのである.

(日本の独立やその後の経済復興支援に米国が寛容だったのは,終戦直前にやった無差別攻撃(空襲や原爆)への謝罪の念があったからか,そんな気持ちはなく,吉田の言う反共の砦として日本が大事だったからなのだろうか.)

さて,吉田茂の経済復興路線に従って,白州次郎は貿易庁長官に就任.貿易立国に向け通商産業省を誕生させる.以後,政治家を要請されるが,公職から身を引き,産業界に転身.

ちなみに吉田茂は外交官であったこともあって党人派の人脈が少なく,高級官僚を中心に人材を確保し,日本の復興を図る事になる.その筆頭格の池田勇人は白州とともに吉田の側近として活躍するが,後に所得倍増論で総理になる.以降も佐藤総理はじめ,多くの人材をこの吉田人脈から輩出する事になるが,この人脈は後に『吉田学校』と呼ばれる.

産業界での白州次郎は東北電力会長として電源開発を推進.退職後,荒川水力電気会長,大沢商会会長,大洋漁業,日本テレビ,ウオーバー証券の役員や顧問を歴任.80歳まで高級車ポルシェとゴルフに興じ,1985年(昭和60年)83歳で逝去.生涯,プリシプルを口グセにしていたと言う.

さて,戦後の日本の体制作りに奔走していた白州次郎が当時,何を思っていたのか,冒頭に述べた通り,極めて興味が湧くところである.

そこで,『プリンシプルのない日本』のエッセイ集から,いくつか発言を列記し,そこから何が見えてくるのか,読み取る事とした.長文になるが,ご容赦願いたい.

【1950年8月(文芸春秋座談会)】(昭和25年)

(河上徹太郎氏,今日出海氏との座談会での白州次郎の発言の列記)

・アメリカからお偉方がたくさん来るが巨人ばかりだ.英語が出来て,背の高い,自分がお相手する事が多い.

・日本人はジイドやボードレイトやカントやゲーテがこう言ったとよく言うが,自分は何も持っていない.

・税金が高いなどと言っているうちは花だよ.百姓は金に困っているんだ.

・小さな嘘がだんだん大きくなって,しまいには嘘が本当だと思うようになった.こんな風に自己陶酔して,戦争に突入してしまった.本当に日本はバカな事をしたと思う.

・今後戦争があるかないかはソ連次第だ.米国は損だから開戦はしない.

・自分の似顔絵を書くのに,自分を見て書く人と,写真で書く人がいる.人物評論も同じだが,自分を知らない人の人物評論は馬鹿げているし,無視する.

・日本人は原理的な物事の考え方をしない.例えばアメリカ人が新しい仕事を日本の企業としようとした時,別会社を作ってやると言う.日本人は今の会社でやると言う.

アメリカ人は日本の案で行けば,今の会社が新しいし仕事の足を引っ張る可能性があるから,今の会社の借金とか,業績を調べる事になる.と日本案に賛成しない.

アメリカ人は会社の良し悪しではなく,論理的な可能性をベースに考えるのである.多分,ほとんどの日本人は,こんな原理的な考えをしない.

・日本人の『まあ,まあ』は丸くおさまった様に見えるが,問題の先送り,臭いものに蓋をしただけだ.原則をはっきりさせた上での妥協ではないから,後で揉める.

・戦争が始まった原因にアメリカの生産能力への無知がある.知っている人が3人,日本の中枢にいたら,戦争を始めなかった.日本全体が海外をもう少し知っていれば,軍人の暴走を止められた.


・アメリカへ行った技術者が学ぶものがないと報告すると,日本人は偉いと思って喜ぶ.最近は何でも感心して帰ってくる.

・自分は英米思想にかぶれていると言われるが,アメリカの産業家の気魄は日本の比ではない.知らない事の方が大問題だ.

・日本でも明治維新の時,政治家,実業家に熱意があった.今は甘い.組合に対しても誠意が足らん.

・日本は教育が重要だ.文部大臣は教育行政をやることが仕事だから,教育者や人格者である必要はない.

・現代をあまり早く掴み過ぎた奴はいつも不幸になる.ちょっとばかり早くつかんだ奴が成功児になる.

・今日本で,いけないのは,すぐ人の足を引っ張ることだ.だから,何かのトップになる奴は,ものを言わなかった奴になる.薬にも毒にもならない奴だ.

・痛烈にものを言ったり,表で議論する事を避けるのは,相手への配慮と言うが,戦後の日本に,そんな余裕はない.

【1951年9月(文芸春秋)】(昭和26年)

・英国人は,澱みなく喋る雄弁な人には,特に政治家には,反射的に警戒心や疑惑を持つ.むしろ一語一語を探しているような,品の良い,ずうずうしさのない,話に好感を持つ.大向うの拍手を強いるような,例えばヒトラーの様な演説は頭がおかしいと思うのである.

・斜陽の英国だと言われるが,英国的人間がいる間は崩れない.身分に関係なくお互いに人間的な尊敬を払うからだ.城主の子供でも,小作人のおじさんに『グッドモーニングミスター何々』と挨拶する.子どもと親は別々に見られる社会なのである.

・日本の輸出産業の重要性を強調すると,今後の事を考えるのではなく,戦前の産業の復活をするような議論ばかりである.

・基礎産業と言う意識の中に,戦前の補助金を出していた産業をイメージする.政策と言えば不良在庫による資金の停滞を解決する為の政府の資金融資(滞貨金融)の話ばかりである.経営者の心構えを変えなければ経済は発展しない.

・電気事業は公益事業と言うのだが,家庭用電気は公益事業,大口の需要者に対しては営利事業だと思う.従って電気料金の決定も二面性があって良いと思う.

・家庭の電気料金の滞納に厳しく,大口需要者の滞納には寛容な電力会社の態度はおかしい.又,相手の都合も考えず,自分の都合で,集金に行くのもおかしい.まるで税務署の態度だ.

・どうも電力とか製鉄とかの事業は独占事業の安易に慣れて,考え方が温室育ちで,一人前ではない.商売人がそろばんを持ってやる印象がない.

・電力会社の経営に合理化とか倹約や無駄の排除が弱い.公益事業の部分は特に,この取り組みがなければ,電気料金値上げは大衆から認められない.

・北欧の国々は小さな国でも,平和的に暮らしているが,国民の多くが国際的に物事を考えているから出来るのである.地理的条件もあって日本では北欧のようになるには勉強するしかない.

・六三制の義務教育は,アメリカの指示で無反応に,腹が空っているのにスタートした.だから失敗だと思う.

・日本語は綾とか含みとかと言って,ものを表現するのに,正確度が著しくかけている.日本人はその含みに酔ってしまうところがある.この魔術に引っかかるのは教育が足りないからだ.

・政治家の政治思想は本や人の言うことを鵜呑みにしている程度だ.それは政治思想と言動にギャップがある事でわかる.はっきり言えば,本人は思想だと思うっているかもしれないが,思想など持っていないと思う.

・論争を見ていると,思想をぶつけ合うわけだが,それが鵜呑みの思想だから,歩み寄る事はない.感情的な喧嘩に発展する.そして言いっぱなしで終わる.思想があるなら,お互いがそれを理解し合い,そのうえで,妥協点を探すのだが.そんな論争はない.

【1951年9月(週刊朝日)】(昭和26年)

・忘れられないシーンがある.吉田総理が,講和条約の調印が終わって,午餐会に出席して,食事が済んだあと,細長いシガーを一本取り出して,実においしそうに喫った.

大役を果たすまで,好きな葉巻を断ったと言う事情を知っているらしく,居合わせたアチソン長官,ダレス全権,ジョンソン陸軍次官補らが,お互いに顔を見合わせて,愉快そうに笑った.この時である.

・吉田総理は調印の時も,演説の時も,態度は立派だった.昔の人は,出るべきところに出ると,堂々とした風格を出すものだ

・総理の演説は原稿を英文で書き,演説も英語だと思われたが,それをイヤホーンに流し,演説は日本語で行った.調印のサインも持参した自分のペンを使ったが,いかにも吉田らしいこだわりであった.

・日本からの全権団の中で,私設秘書の和子さん(吉田茂の三女,ローマ,ロンドン留学,麻生太賀吉の妻,麻生太郎元総理の母)の活躍ぶりが目立った.パーティの応対,テレビ出演,新聞記者対応,などを通じて日本全権団の評判を上げた.

しかし,全権団は総じて国際会議の雰囲気に慣れていない.戦争で10年間のブランクがあったことも,なおさら目に付いたのである.

・日本は各国から好意を持って迎えられたが,本当の信頼感はこれからの日本の努力にかかっている.サンフランシスコの歓迎に酔ってしまってはいけない.

【1952年9月(新潮)】(昭和27年)

・中共貿易問題に合点がいかない.外務省は中共貿易を禁止しているが,さりとて東南アジア貿易をどうしていくのか策を持っているわけではない.この問題は中共貿易に熱心な大阪商人なら抽象的な議論ではなく,具体的に取り組み,解決すると思う.

・中共貿易は日本も中国も戦前と違った国になったわけだから,昔を復活する幻想にとらわれてはならない.

・電源開発を東北電力で熱心に推進中であるが,社会的に問題なのは,出来た電力を全て大都会に持って行き,地元は何の恩恵も受けられない事である.

発電所がありながら,石油ランプを唯一の灯火にしている村もある.単純な社会正義感からすると我然反発感を覚える.

・国際関係において長続きする友情は双方が腹を打ち明けて話すことである.遠慮はいらない.人間も国家も完全ではないからである.

残念ながら現在の日本には米国人のご機嫌取りが多くいる.米国にも,日本が以前,満州で日本語を流暢に使う満州人の言う事を満州大衆の意見だと,したが,全く違っていた事を教えてやりたい.

【1952年10月(文芸春秋)】(昭和27年)

・自由党も社会党も,主義主張以外の事で内紛が絶えない.今の日本に利己的な事を考える余地があるのだろうか.来るべき総選挙で小党分立して政局の安定を欠いた時の国家の運命を想像しないのだろうか

・吉田総理の後継を誰にするのか政界で,もめているが,後継者をだれにするのかは国民のみが決める権利をもっている.しかし,官僚全盛時代が随分続いた事から,国民がものを考える能力がないから俺が考えてやる,と言った大それた自惚れが蔓延している感じがする.

・政治家がよく口癖のように言う言葉に『政治は腹だ』がある.これは自分の無能無策を自ら言っているようなものである.ハラだと言っているうちに再建は遅れ,腹芸による闇取引は横行し,しまいには腹を切っても申し訳が立たない事態に行き詰る.

【1952年11月(文芸春秋)】(昭和27年)

・立派な例外があると思うが,選挙運動はよくも,出鱈目をがなりたてるものだ.きっと当選したい一心の善良な人達だと思う.悪党程の知恵は感じられないからだ.

・新憲法は米語翻訳憲法であることは周知の事実である.前文の『我々日本人は・・』の書き出しだけでも,米国人が作ったと分かる.日本人が作ったなら,わざわざこんな前文は書かないはずである.

・新憲法の翻訳で間違ったところが二つある.『内閣の首班は国会議員でなければならない』(第67条),『内閣の構成員は過半数が国会議員でなければならない』(第68条)とある.

もし,国会議員が参議院議員だったとしたら,6年間,解散すれど身分は保障される事になる.大臣は国民の信を受けない事になる.国会議員ではなく衆議院議員か参議院議員かの区分が必要である.

・又,『政府には議会の解散権がない』ことになっている根本問題もある.(苦肉の策で吉田総理が第7条で解散した,以降これが使われる)

・この憲法の根本は結構なことだと思う.ただし,独立回復後の日本においては,日本人の手で改正ではなく,『新規に制定』すべきである.特に,現在の憲法は事務的な部面が多すぎる.根本を示すことで充分である.

原文が事務的規定が多すぎるのは,頻繁に変える米国のやり方の影響かもしれない.現憲法を金科玉条の如く振り回している政治家の無節操に憤慨する.

・憲法制定に際して,議員の任期を衆議院2年,参議院3年,参議院議員の数を百から百五十名程度,参議院議員の大臣はなし,予算及び関連法案の参院の審議権を認めない,(解散のない参院は権限を制限)を検討すべきである.

思いきって一院制で300人程度の小選挙区制にする案もあるが,国会議員の3分の2の賛同を得られるかが問題.

・再軍備問題であるが,第9条はマッカーサーが自画自賛した条文である.本国に対し,完全に日本を無力化させた,と自分の成果を鼓舞したのである.時代背景としても米ソ親善が信じられていた事も非武装を強調できた.日本国民の感情にも合致していたのである.

・朝鮮動乱,米ソ冷戦時代に入ると,米国が無防備は自殺行為だと言い始めた.日本国民は再軍備が可か否か論じる前に,米国のご都合主義をやめさせる必要がある.

そこで,対ソの見通しが間違っていた事,共産陣営の脅威が強まっている事,日本が自衛力を持つまで,米軍が駐在する事,米国の軍頼りより,自国の軍隊の方がましな事,を説明し,国民は納得する必要がある.

・学生運動をする左傾向の学生を採用しないと言う経済界の動きがある.民主主義を標榜しながら性根は危険思想排除だ.若者は単純な,純粋な気持ちで活動する事が多い.無理やりに追い詰めると,逆効果になる.

気に入らない思想持ちなら,採用して根性をたたき直すぐらいの気概と親切さを経営者に望みたい.

【1953年6月(文芸春秋)】(昭和28年)

・欧州に行って見て痛感する事は日本の復興のたどたどしさである.占領中に司令部の米軍高官が日本の復興の目覚ましさを謳歌した.本国向けの宣伝であるが日本の国民も鵜呑みのした.日本の復興ぶりは、いわばクリスマスツリーだ.根がない木に豆電球をぶら下げているだけだ.

・日本お復興がたどたどしい原因は日本国民が現状に対して盲目であるからである.この甘さは経済界,政界,にもある.一番大切なことは戦後の日本と戦前の日本の違いを認識する事だ.

・行政面でも,評判を気にしたり,皆に言い顔をする.摩擦回避主義で公共事業も総花的になる,その分,復興が遅れる.もっと重点主義にすべきだ.国の存亡がかかっているのだから,ガムシャラに驀進する様な人が指導者に付くべきだ.

・国家の予算を年々増額する国はあまりない.支出の増額は税金の増額を希望する事になるからである.本来なら議会は予算を削る所であって増やすところではない.これは日本が敗戦で破綻していると言う認識が足らないからだ.

・予算の執行については役所の当事者以外,ほとんど無関心である.当然,予算の執行具合を管理する部署が必要である.数合わせの,おざなり監査ではなく,民間の投資管理のように,効果も含めて徹底すべきである.

・税金を使って,官官接待は許せない.数字的には小さいことだが,文化的には大きな悪習だ.

・経済界に国家の現状認識の不足がある.終戦後の短期間を除けば,安易主義に陥っている.朝鮮動乱の特需がこれに拍車をかけた.人の不幸を喜んでいるようだ.

動乱が終わると,今度は再軍備に向けた軍事産業再成を叫んでいる.国民の税金でこの産業を支える事になる事の認識がない.これで永久に食っていけるわけがない.

・事業が苦しくなると国家補助を求める気分が頭をもたげる.補助金には反対だが,出すとすれば,会社の経理を厳重に監査する事,利益が出た時,累進的に増税する事,人事に政府が発言権を持つ事,勿論,事業内容の審査も行う.これ位の事が必要である.

・最悪な事は破産会社を救済する為に多額の資金を供給する事である.一時しのぎのいい加減な政策は辞めるべきである.

・鳴り物入りで輸出振興を言うが,根本的施策も実施内容も疑問である.時々見受けられる事だが,一産業を有利にするために,他の産業が犠牲になるやり方は長続きしない.

・我々の時代にしたバカな戦争の責任をもっと痛烈に感じ,根本的な経済の立て直しが必要だ.戦争の悲劇の何分の一でも取り返して,我々の子供や孫に引き継ぐべきだ.その責任を私は感じる.

【1953年7月(文芸春秋)】(昭和28年)

・政権移動に左右されず,安定した方針の下で政策が実行できるよう,経済団体が超党派の官民合同審議機関の樹立を提唱した.なんと言う特権意識だろうか.国民に認められた内閣が責任を持って政策を立案し,実行すべきなのであって,およそナンセンスな提唱である.

・日本の輸出促進策だが,芳しくない.例えばエジプト,パキスタンへ工業製品を輸出し,但し,先方は外貨が無いので,年賦で綿花で回収する.国内市場一辺倒の企業の感覚を案じている.

・日本の食糧輸入は大変無駄が多い.高く買ったり,外商・海運・保険等に利益を取られたり,不効率である.信頼にたる民間業者を指定して,秘密裏に買い付けさせた方が良い.

・新憲法で沢山の皇族が整理され,親王家だけになったが,天皇家の家庭事務所である宮内庁が,なぜ行政機関の一部になって千人もの人がいて,何をしているのだろうか.純粋の家庭事務所なら国民がとやかく言うべき筋合いではない.従って,行政府に置く必要が無いと思う.

・憲法を変えるなら一院制で議員が300人程度の小選挙区制が良いと思う.一院制はあらゆる面で安上がりで貧乏国にふさわい制度である.

しかし,憲法変更には,衆参議員の3分の2の賛同が必要だから,自らの首を切る案には賛成するわけが無い.(これも日本にとって不幸な事である).つくづく我々の作った憲法を持ちたいものだ.『強制的贈り物』を後世に引き継ぎたくない.

・法定選挙費ほどヒポクリシー(偽善)はない.こんな実態とかけ離れた法律があるから,ウソが横行したり,選挙違反で警察にご厄介になる.法律を作るにしても,実態を無視してはならない.

【1954年1月(文芸春秋)】(昭和29年)

・終戦直後の真剣な気持ちも,朝鮮動乱のアブク銭ですっかり消えうせ,神風期待論法が蔓延している.この頃,腹の立つような合点甥かない事はいくらでもある.

・例えば,造船に対する国家補助,造船費用が高くなるのは鉄が高いからで,これを解決する方が根本対策なのである.

又,労働基準法の行き過ぎた適用も船会社の国際競争力を阻害している.日本の船乗りの実力なら,法律の半分くらいの人数で操船できる事を和y足しでも,知っている.

・造船があまりにも厳重に政府の権限下にある為に,造船の設備が一杯になったり,空になったりする.事業経営上極めて不能率である.

・このところコスト高の為に,輸出不振が目立つ.そこで,コストが国際水準以上に高い産業はやめる.最も有利な産業に集中する.生きたいなら決断が必要だ.

・保安隊の構想が持ち上がっているが,戦力であろうと,なかろうと,軍隊であろうと,警察であろうと,そもそも合憲であろうと,違憲であろうと,国家の経済,財政にどんな影響を与えるのか考えてから議論をしよう.

・池田特使の対米交渉(MSA協定)の評判が悪いが,彼ほど勇気を持って,率直に交渉した人はいない.自分もそうだったが,戦争に負けたとはいえ,理屈が通るアメリカならばこそ,正論を主張する事に,何のためらいも抱かなかったと思う.彼の交渉が成功だったと分かる時がきっと来る.

・池田の苦労した事は,アメリカも一部の産業界も希望している『国防の充実』に対し,経済的余裕が無い事を説明する事であったと推測する.日本にイエスマンが多い事も苦労に拍車をかけたはずである.

【1954年7月(文芸春秋増刊)】(昭和29年)

・米国の占領政策は本国目当てである.憲法などは日本の環境に合わなかったり,論理矛盾があっても,GHQが作ったと,本国に自慢するのである.

特に戦争放棄の規定は自画自賛をしたのだが,ソ連との冷戦時代に入ると,自衛権まで放棄させたのではないと苦しまぎれの言い逃れをするのである.いづれも,本国にいい顔をすることだけは一貫しているのである.

・占領政策のやり方は,建前は日本政府がやり,重要な事はGHQから最高司令官の名において指令し,外の事はGHQは助言するということであった.しかし事実は事細かに,人事に至るまで,指示,干渉した.

無条件降伏を地で行かぬ連中は排除された.石橋前大蔵大臣もこの一人である.坊さんらしい気骨を発揮していた人である.

・GHQの大部分の人は無経験の幼稚な理論を丸飲みした人ばかりである.集中排除法(独占企業の解体)なるものは一局一員の手で威丈高に作られたものである.後に日本のクレームでこの思い上がりが粛清され,法律は大修正される事になる.

・GHQが高級邸宅を接収して住んだのだが,自分の田舎の家庭料理しか知らない人が多く,優秀なコックが,腕を振るうどころではなかったり,床の間が風呂場になったり,檜の材木が青ペンキで塗られたり,庭の池がプールになったり,庭石に彩色されたり,大広間の真ん中に大ストーブを建造されたり,散々であった.これは,まさに占領政策そのもを象徴している.

・日本の占領を受け反日感情がある外地の人は,GHQの横暴などは序の口だと言って笑うかもしれないが.

【1954年11月(日本経済新聞)】(昭和29年)

・農業は毎年,田畑の水が漏れないよう,アゼ沿いに『クロ』(畔ぬり)という左官仕事みたいな事をやる.大変な労力がかかる作業で,しかも,耕作面積を狭めてしまうのである.是非,コンクリートのアゼにしたいと思っている.

・全国に農業試験場があるが,所在地の農家と直結していない.いろんな実験報告は所轄の官庁に行くだけである.もっと農家と直結して新技術の普及を図るべきである.

・農民の生活の向上には余暇が必要である.生き物の栽培に余暇など無理と言われるが,農地の改良,技術の改良,器具の改良,等による余暇の抽出が必要だと思う.

【1954年12月(文芸春秋)】(昭和29年)

吉田内閣は随分長く続いたが,サンフランシスコ講和条約締結後,早期引退を進言した理由は,独立回復と同時に,これから,本当の一新が始まると言う事と国民に示したかったからである.吉田に非があって,言ったわけではない.

・電力会社はダムの建設では莫大なセメントを買う,高速道路建設などの公共事業でも同じである.復興資材として需要は拡大しているが,新たなセメント事業者の出現やセメント工場の建設には,業界,政界から有形,無形の強力な圧力がかかる.セメント業界はもうけ放題なのである.そのもうけは税金なのである.

・通産省か建設省か忘れたが,セメント業界とのセメントの値下げ交渉を始めたと言う.一般より公共事業の値段を下げる交渉である.結局,わずかな値下げの協定価格が出来てしまい,挙げくに,独禁法違反を黙認する事になったのである.何のことはない,値下げ防止の交渉だったのである

・大規模の土木建設事業には『セメントの自主生産』を考えるべきである.考えるだけで,セメントの値段は合理的な値になる.

【1956年12月(文芸春秋)】(昭和31年)

・鳩山総理がモスクワに乗り込んで日ソ交渉をしているが,国交再開が鳩山総理の悲願とは言え,共産主義のソ連に,北方領土占領問題,戦犯扱いのシベリア抑留問題がある中で,交渉は苦しいものがある.個人的悲願にとどまらず,国民への説明が必要だと思う.

・私の考えではソ連と言う国が存在している以上,いやな国だから,付き合いはしない,なんて事は国際的に通用しない.中共の問題も同じである.中共を認めることが台湾政府を否定する事にはならないので,両方とも認めればよい.

・中共と国交がないことは東洋の平和達成に致命的な障害になる.このプリンシプルを日本は米国に説得しなければならない.

(1956年,鳩山総理とブルガーニン首相で国交正常化交渉を行った.北方領土問題の見解の相違で平和条約締結には至らなかった.但し,共同宣言で国際法上の戦争状態が終了し,国交を回復した.帰国後,鳩山は政界を引退)

・鳩山後継問題で首相公選論が出ているが,一介の書生論だと思う.選挙などしたら,シコリが出来て,除名だ,脱退だ,の騒ぎになる.これが日本の政治の実態だ.

【1969年9月(諸君)】(昭和44年)

・戦争が厳然たる事実である限り,戦争と言う歴史の1頁は永久に残る.そして戦後に終わりの時があるとするならば,,憲法のプリンシプルは何か,デモクラシーとはなにかを,心底,自分のものにした時ではないだろうか.(それを追求しなければ戦争の犠牲に答えられないし,戦後は終わらないのである)

・国際社会の中では,全ての言動に,プリンシプル(原則)が求められる.明治維新前の武士階級は全ての行動にプリンシプルがあったと思う.今はプリンシプル不在の言動の連続である.

・プリンシプルが見えないのは,例えば,省の方針を記者会見で,とうとうと事務次官が述べたりする事である.大臣も新聞記者も読者も不思議と思わない事である.民主主義のプリンシプルがどうなっているのか,疑われても仕方がない.

・下田駐米大使が失言をしたとして,社会党が大騒ぎをした.個人的発言でなければ外務大臣を追及すべきである.これもプリンシプルが欠如しているシーンである.

・日米航空協定の協議が延期になった.日本側は占領下の不平等な協定だから,これを平等にしたいと言う.一方,米国は,当初,不平等だとは聞いていない.急に,あれは不平等だと言われて,それを理由に協議できない,と言う.日本側に明らかに,プリンシプルが欠けている.

・『筋を通す』と言う事はプリンシプル基準に似ていると思うが,筋を通したからと言って,喝采する事は,筋を通す事が,いかにも稀少であるかを物語っている.

・プリンシプルは一つの事に固執しろと言うのではない.妥協もあってよい.ただプリンシプルの無い妥協は妥協ではない.一時しのぎにしかならない.プリンシプルがどこにあるのかも分からなくなる.西洋人とプリンシプルを持たない議論をすると不幸な結果になる.

・ジュネーブの軍縮委員会に日本が参加するというが,おかしい.日本は憲法上,軍備はない事になっている.本来なら,参加の資格が無いとすべきである.それでも,参加せよと言う事であれば出席すればよい.憲法のプリンシプルや認識を曖昧にしている結果である.

・日本が軍縮委員会への参加資格がない事を宣言すれば,日本が戦争を放棄し,軍を持っていない事を世界に知らせる絶好のチャンスになった.日本の憲法など,ほとんどの国は知らないのである.

・日米経済戦争が始まったと,野次馬的に騒ぐ評論家がいる.どこのバカが一番のお得意様に喧嘩を吹きかけると思うのか.日本の繁栄は米国の協力なしには出来ないのである.安保条約による米国の負担も協力の一つである.この事を国民にも知らされていない.余りにも基本的な事を知らなさすぎる.

・国際協定下において,無防備の国家の存在の可能性を認める連中はスイスに行って聞いてみるが良い.中立維持の為に,どれだけ予算を割いているか.日本も安保を廃止して自分で防備するとなると,いくら税金が増えるか.それでも,安保反対なら,それも選択脂になるが,現実の答えは明らかであり,ヒステリーな喧嘩のような議論はやめるべしと思う.

・憲法調査会が憲法のできるまでの事実を調査しているが,占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった.後年,歴史をごまかしたと重大な罪悪になる.私の記憶によれば,原案は米軍が進駐以前に,オーストラリアに司令部があった時分に草案があったと思う.日本側の案に目もくれず,強圧したことは間違いの無い事実である.

・強圧された理由が天皇主権であったからだとも言われている.日本側の認識の甘さ,新時代に対する認識の不十分さがあったと思う.画期的なものでなければGHQに拒否されると忠告したが,明治に生まれ,明治に育った当時の学者の感覚では無理からぬ事だったかもしれない.

・この憲法では天皇を日本国の象徴として残し,法的には前代未聞の曖昧な憲法が出来上がった.そうなったのは,憲法などズブの素人の米国の法律家がでっち上げたからである.

しかし,マッカーサーが考えたのか,幣原総理が考えたのかは別にして,戦争放棄のプリンシプルは圧巻である.押し付けられたものであっても立派である.(国民の意思も,お金も,軍備を持てる状態ではなかった)

・連合国側は日本側から満足できる憲法法案が自主的に出てくる筈がないと予期して英文で書かれた憲法の案文を手渡された.外務大臣公邸で吉田外務大臣,松本国務大臣,と私であった.GHQはホイットニー以下民生局の一行だった.折衝の余地など残されている感じはなかった.ソビエットの動きを察してこれ以上待てないと言うのが言い訳である.

とにかく私と翻訳官二人でGHQの一室で和訳を始めた.徹夜になったが,アメリカ兵用の食事とタバコが支給されたことを覚えている.こうして『日本人が自主的に作った』新憲法の草案が出来上がったのである.

・幣原内閣及び閣僚は『終戦』が『革命』であると言う認識に立っていなかった.この事を吉田外務大臣に訴えていたが,外務省の大先輩である幣原総理に取りついぐ事はしなかった.

総選挙で鳩山一郎率いる自由党が第一党になっても,幣原内閣は総辞職しなかった事に腹を立てて,鶴川村に帰ったが,吉田外務大臣の『ウエルカム・ホーム』と人懐っこい笑顔によって,引き戻されてしまった.

・日本が非武装で米国が駐留する体制は,米国にとって甘かったと思う.雨にぬれないように,傘をさしてやった相手が手ぶらで金儲けしたのでは,傘をさした方は愉快ではなくなるからである.安保廃止とか安保改正とか米国人が言いそうな事を日本人が叫んでいるのは不思議な事である.

・日米貿易摩擦の中で,日本が自動車をインフォント.・インダストリーとして保護している事に米国の不満が上がっている.米国への輸出が増えている割に米国車の輸入が制限されているからである.私も日本側の態度に不満がある.保護を受けている自動車産業の儲けは保護のおかげであるが,その保護の代償を国民の税金でまかなっているのである.

・自動車を守ろうとすると,カメラや家電など,保護なしに対米輸出している他の産業に迷惑が掛かる.保護が無ければやっていけない産業は経営者が変わるか,産業をやめるべきだ.国民の犠牲による保護の下で,利益を得ている産業は不とどきである

・対米問題の重要な課題に沖縄返還がある.よくある事だが,うまくいって当たり前,失敗すれば非難ごうごうである.この沖縄問題は,サンフランシスコでの平和会議ではタブーであった.

確か吉田の演説原稿を書き直した時も,この問題を避けた記憶がある.米国も委任統治とはいえ,占領している事に若干良心をとがめていたと思う.沖縄の悲劇を思うと一刻も早く還れと祈ってやまない.佐藤総理の奮闘を期待し,国民的声援を送るべきだと思う.

【1969年10月(諸君)】(昭和44年)

・悲劇の政治家,近衛文麿氏は非常に印象深い人であった.あの人ほど頭脳明晰な政治家はいなかったが,公卿の特性か決断力に欠けていたと思う.戦前に度胸と実行力の吉田と知能の塊の近衛がコンビを組んだら,戦争は避けられたかもしれない.

・五摂家筆頭の当主として,近衛は皇室の将来に関して終戦後,頭を悩ましたという.結論らしき事は皇室の京都移住である.武家政治の時代に,皇室が京都に存続しえたからである

・近衛はマッカーサーとの面談した時,憲法改正があると感じた.早速,京大の佐々木惣一教授に試案作成を委嘱した.しかし時間が足りず,そのうち戦犯容疑がかかり,逮捕前夜に『神の法廷において正義の判決がくだされよう』と遺書を残し自殺.近衛家の当主として牢獄につながれる恥辱と不当裁判への最後の抗議であった.

・真珠湾攻撃が日本の歴史の恥辱なら,戦争裁判はアメリカ史上の汚点であったと思う.ドイツの国際軍事裁判では不正義な復讐裁判だと戦犯のタフト氏が言ったが,東京裁判ではインドのパール氏と近衛氏が勇気ある発言をしたのである.

・サンフランシスコ講和条約締結の帰路,私は吉田に『政治的にあなたの役割は終わった』と辞任を提言した.機嫌は悪くならなかったが,帰国後,池田の続投要請があって,居座ることになる.後日,池田から,続投は誤りだったと謝罪された.池田はやはり愛すべき友人だ.

・政治が悪い,与党が悪い,反対党が無茶だ,と批判すれば切りがない.私はマスコミの反省を望みたい.一番大切なマスコミの使命は真相の報道であると.

・議会政治のプリンシプルを冷静にそして具体的に考えた人はいるだろうか.多数政治という政治のあり方の遂行方法をご存知だろうか.言うまでもなく,提示された政策,法案に対し,与えられた時間の中で明確に賛成,反対の主張をする事である.

その結果多数決で決議されるのだが,多数を持つ政権与党が採決に持ち込むことは国民から与えられた権利・義務である.反対だからといって実力行使にでる権利は野党にはない.審議拒否や実力行使は,強行採決より悪い議会政治否定になる.

・その国会活動を通じて,政治の良し悪しを国民が判断するのである.反対の法案は多数を取ってからしか,やめられないのである.

【白州次郎のエッセイから読み取れる事】

エッセイを通して感じる白州の性格は一口で言えば,しがらみにとらわれない合理主義者,リベラリストである.若干,唯我独尊のところがあるが,正義感が加わって,物おじせず,はっきりものを言う人であったと思う.

語学もさる事ながら,当時の日本人にはない性格,国際感覚が外国との交渉に必要だとして,吉田は白州を登用したのである.

そして,吉田茂は白州次郎を側近として使いながら,新憲法制定,サンフランシスコ講和条約締結,日米安保条約締結によって,日本の独立と復興の体制を作ったのである.

一方,白州次郎は日米の交渉に奔走しながらも.日本人の島国,農耕民族,村社会の文化と国際感覚や国際知識に疎い事を憂慮するのである.又,自分の考えや主張を言わない事にも,大きな危機感を持つのである.その事はエッセイの随所に現れている.そこで,白州は次の三つの事が必要だと,考えたと思う.

一つは,国際社会で,生きて行く為の人材育成,二つ目は政府に依存しない民業の振興,三つ目は日本人の手による憲法制定,である.

一つ目の人材の育成の問題は,時間がかかることもあって,その成果には,白州は悲観的だったように思う.現在もこの問題の深刻さは続いている.

二つ目の経済の問題は,70年代,80年代の奇跡的な発展に驚いていると思う.しかし,彼の発想からすれば,官民護送船団方式や選挙対策でケインズ経済理論を振り回している事に大不満を感じていたのではないかと思う.現在も,その不満を解消するどころか,巨大な借金を積み続けているのである.

三つ目の『日本人の手による憲法の制定』の問題であるが,エッセイを通して読み取れる事は次のとおりである.

①日本人が占領下で新しいコンセプトの憲法を考える事など所詮無理であって,ましてや,GHQが認める憲法など,作れない,と白州も吉田も思っていたと思う.

②GHQが作った憲法は『日本の戦争放棄』をうたっている.軍事費の負担など,不可能な財政状況のなかで,渡りに船だったと思う.国民のもう戦争はいやだとの感情にもあっている.

③吉田の狙いは,戦後賠償を少なくして,早く独立をする事であって,日本人による憲法制定は独立後やればよいと考えていたと思う.(その割りに憲法改正のハードルが高いが)

この通りに,日本は独立を確保し,前述の通り,経済復興に向かう分けだが,この憲法問題は,現在に至っても,未だに,第9条の問題,議員内閣制の問題,参院の問題,等,憲法の改定内容の検討も進んでいない.なによりも,憲法を変える方法すら決まっていないのである.

憲法改定については,当ブログ171 憲法第96条(憲法改定)でも触れているが,

憲法改定内容もさる事ながら,国会発議が出来るのか,国民の合意をどうやって取るのか,憲法制定と既法律との整合性をどうするのか,等,憲法を変える具体的な方法がはっきりしていないのである.

かろうじて,阿倍政権が国民投票法を作っただけである.そんなわけで,いつも,憲法論議をしても,結局,無責任な中途半端な議論を繰り返して終わるのである.いくら議論しても,それを実現する方法がないのだから,議論が無意味でむなしくなるのである.

こんな国は民主主義国と言えないのだが,GHQは日本人は信頼が置けないから,憲法改定のハードルを高くしておいたのか,今後の憲法改定は日本国の問題であって,GHQが決める問題ではないとしていたのか,あるいは,変える事など想像もしなかったのか,白州次郎のエッセイからは読み解けていない.

その後の日本の政治も,『憲法改定の手続きのない日本』を放置してきたわけだが,『民主主義のプリンシプルの欠如』,『日本のプリンシプルの欠如』を,黙認し続けて来たと言う事になる.戦後の憲法を変えていない事を自慢する人がいるが,変える方法がないからだと失笑を買うのである.

以上,吉田茂,白州次郎が後世に託した,教育,経済,憲法の宿題に対し,60年たった現在,残念ながら正しい解答を導き出していないし,憲法問題などは,未回答である.

戦後を『日本の革命』と,捉えていた白州次郎の考えからすれば,『日本の革命は終わっていない』どころか『全く進んでいない』と言われても反論できないのである.『プリンシプルのない日本』が今も続いているのである.

追記

尚,日本始め極東アジアの情勢も戦後ほとんど変わっていない.日本は沖縄返還はあったものの,憲法問題,米軍基地問題,北方領土問題,等は変わっていない.アジアで言えば南北朝鮮問題,台中問題なども変わっていない.

イタリアが共和国になったり,東西ドイツが統合したり,ソ連が崩壊したり,ヨーロッパの戦後体制が変わっている事と比較すれば,極東の多くの政治課題が凍結状態に置かれているのである.政治の未熟さが起因しているのだろうか.

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