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2012.05.14

280 マイケル・J・サンデル米ハーバード大教授への反論

本日5月14日,日本経済新聞の『グローバルオピニオン』でMichael.J.Sandel氏のオピニオンが紹介された.日経編集委員の春原剛氏がこのオピニオンに沿って『経営哲学を見直す時』と評していた.

これに対抗するわけではないが,サンデル教授,日経編集委員に疑問,反論がある.先ず本日の日本経済新聞で紹介された内容はこうだ.

『過去30年間,米国では行過ぎた市場原理主義が席巻してきた.政治は問題の本質的な解決に踏み込まず,表面的な管理を重視するようになった.つまり,政治が正義,平等・不平等,家族,コミュニティの存在意義などを巡る問題に取り組まなくなったのだ.それこそ米国,日本などの国々に共通する人々の不満の源泉になっている.

この問題と向き合う唯一の方法は市場が扱う品物について公的な議論を重ねることだ.市場の価値と市場ではないものの価値,すなわち家族やコミュニティ,民主主義といったものとの間で,よりよいバランスを取る必要がある.市場が生み出す公的なサービスとそうでないものに,開かれた議論をしなければならない.

経済成長だけで全ての問題が解決できないにもかかわらず,市場が正義や共通善まで定義できるかのような考えがまかり通っているが,それは間違っている.この市場勝利主義から抜け出し,新たな政治的議論を通じて,市場の道徳的限界を考えなければならない.

大きな政府でも,自由放任の市場(小さな政府)でもない,代替案はある.それは公共的な社会を創設することだ.個人や国家,家族,近隣,コミュニティ,地方組織,労働組合,などあらゆる組織を繋ぎ留め,そこに暮らす人々が確かな絆を感じ,相互に責任感を持てるような社会だ,それこそ,『市場だけを通じた関係』に対抗できる案である.

一方,ミルトン・フリードマンは企業に役割について,利益を追い求め,株(主)の価値を最大にする事と説いた.だが,それだけでが企業の目的ではない.国家にとっても企業の活動を奨励する究極の目的は共通善に資することだ.同時に利益だけを目的とする考え方は,企業の社会的責任を無視し,公的組織として負っている,より大きな共通善への責任をないがしろにしてしまう.

ここで重要なのは,社会的な多元性を評価する事だ.グローバルな資本主義には普遍的な価値観が欠かせない.言い換えれば,グローバル市場の基準だけに縛られると,個々のコミュニティの重要な価値観や国家の独自性をむしばんでしまう.グローバル企業は様々な活動拠点において,その価値観を学び,普遍的な考えを統合していかなければならないのだ.』

春原氏は上記主張を『市場第一主義との決別を』と題し,『経営哲学を見直す時』と評したのである.

ところで,サンデル教授の白熱教室や書物では,『解のないテーマ』(正義とは,等)を取り上げて,色々な考え方や過去の哲学者の言を紹介し,あとは自分で考えろ,で終わる.考えさせる事が狙いの様であるが,解がないだけに,ますます悩みが深まる.そんなわけで,最近,私は教授の書物はあまり読んでいない.

今回は授業ではないので,珍しく自分の主張を言っている様に思うが,何回読んでも,正直,何を言っているのか意味不明である.中世の哲学を勉強するあまり,間違って現代を捉えているとさえ思うのである.(紙面の関係で意図が表れていないのかもしれないが)

大変不遜ながら,いかにもリベラル的思考にありがちな,具体性が見えない,頭の中だけの主張に感じるのである.(記事に中で,疑問の箇所をアンダーラインで示した.)

要するに,市場主義,資本主義の社会を認めつつ,行き過ぎた市場原理,利益追求は,道徳や公共善を破壊するから,ダメだ,と言いたいようである.

しかし,『行き過ぎはダメ』は抽象的過ぎて,『行き過ぎないようにするにはどうするのか』となると,ますます具体性が見えて来ないのである.要は細かな技術的な事は想像できても,哲学が見えて来ないのである.

教授の主張は不当競争防止法ではなく,競争防止法が必要だ,と言うのだろうか.あるいは,非営利事業を増やせとの主張だろうか.それなら管理社会,社会主義社会が良い,と言った方がハッキリする.それとも,いろんな競技のルールに競争や利益追求を抑止する規制を増やせと言うのだろうか.

この様に,サンデル教授の思考に違和感があるのは,『儲ける事は罪悪だ』,『不労所得はけしからん』,『金融ビジネスは虚業だ』等と言う日本の古典的文化人と同じような思考があるからかも知れない.だとすると,ますます,感情が論理につながらないのである.

もうひとつの理由は,現実を誤認して,主張を組み立てているか,主張に合わせて現実を誤認しているか,を感じる点である.デベート訓練用のテーマやケーススタディを作る時,『現実をデフォルメして作る』事とよく似ている.

例えば,現実は,市場原理をあらゆる分野で適用すべきだとか,経済成長や市場が正義や共通善を定義できるとか,利益追求は社会的責任,公共善への責任をないがしろにするとか,誰も思っていないのである.又,企業の利益追求は社会的責任に繋がり,道徳的責任を無視すれば市場から淘汰されると思っているのである.きっと米国でも同じだと思う.

この様に,企業は社会の大きな役割を担っているのであって,これをないがしろにすれば企業は存続できなくなるのである.フリードマンの利益追求論は社会的責任や共通善をないがしろにする論理ではないのである.

さらに,『グローバル市場化』は国の独自性をむしばむと言うが,むしろ独自性を発揮させると思うのである.グローバル化を昔の植民地化のイメージで認識しているとしたら,今後のグローバリズムは論じられないと思う

結局,サンデル氏はどうしろと言うのだろうか,大変失礼だが,感情論に見えるのである.これを取り上て『市場第一主義と決別を』,『経営哲学を見直す時だ』,と,迎合している日経編集委員にも,苦言を堤したい.

『市場第一主義と決別』にも違和感があるが,この主張が『日本的文化,・日本的経営への回帰』に繋がると言うのも,おかしいな論理である.市場第一主義であろうと,なかろうと,米国的経営も日本的経営も,あり得るからである.

そもそも,市場原理,文化,経営はそれぞれ多面的であって,画一的な論理では決まらないのである.失礼ながら編集委員の見方は我田引水的で無理があり論理になっていないと思うのである.

話が変わるが,かつて,当ブログで,『競走と和』について,自論を発信した.そこで,日本の『足して2で割る』考え方,『中庸の文化』はこれからは通用しないと主張した.これではどちらの良さも効果も中途半端になるからである.

この視点で言うと,サンデル教授の『行き過ぎた市場原理主義はダメ』は『足して2で割る中庸の文化』の思考のように感じる.もし市場原理を抑制する制度があったとして,道徳や共通善が担保されるのだろうか.結局,恣意的な不透明な社会になるだけではないかと思うのである.

ラクビーにたとえれば,試合中は激突し合うが,試合が終われがノーサイドの世界がある様に,社会でも,中庸ではなく,『激しい競争の世界』と『自助,共助,公助の世界』を持つべきなのである.日本は中庸の文化で曖昧であるが,米国はこの二つの世界をしっかり持っていると思う.

米国は市場原理,競走社会,弱肉強食,格差社会,と言われる反面,自立心,開拓精神,挑戦意欲,起業精神,マメリカンドリーム,キリスト教,ボランティア,チャリティ,寄付,家族主義,等,日本にはないノーサイドの世界を多く持っていると思うのである.まさに車の両輪になって社会を動かしていると思うのである.

サンデル教授はこの米国の社会を否として,日本と同じ様に,足して2で割れと言っているのだろうか.ずっと以前,孫正義氏が日本文化を皮肉っておられたので紹介したい.

タイタニック号が沈没する時,救命ボートに乗れない男性に船長は海に飛び込めと命令した.その時の見事な説得をしたのである.イギリス人には『貴殿はさすがにジェントルマンです』,アメリカ人には『あなたは間違いなく英雄です』,そして日本人には『どなた様も,そうされています』,これで皆が海に飛び込んだと言うのである.

これは,日本人の『自立心のない横並びの文化,』を皮肉った話である.農耕民族,島国民族,単一民族の村社会文化である日本文化の特徴を突いた話である.

戦争,戦後の復興には具合の良い文化だったかもしれないが,グローバル社会の中で,既に,この文化は大きく変化しているし,今後も,これに回帰する環境はないと思うのである.もはや,『どなた様も,そうされてます』では海に飛び込まないと思うのである.

どうやら,サンデル教授に『市場や競争のない社会』を理想とする潜在意識が心のどこかに潜んでいるのかもしれない.日本文化を彷彿させるが,『争いが嫌い』なインテリ,リベラリストに多い性格である.

私見によれば,市場原理とか競争原理は,少しでも良い方向に行く行動に働く原理であって,自然原理だと思う.グローバル化で,この原理は地球規模で広がると思う.そして,この原理を人間社会で有効に,しかも公平に,発揮できるように,あるいは,危機の未然防止を図る為に,競技のルールが設けられるのである.

もし,政治がこの競争や市場を無視したり,阻害すると,間違いなく,その政策の持続性が損なわれる事になる.従って,人間社会の仕組みは,この原理による『自由な分野』と,『弱者救済の分野』で構成される事になると思うのである.

『行き過ぎた競争や市場主義はけしからん』とする思考は,制度も行動も,哲学としても,曖昧で,社会の発展も弱者救済も,じり貧になる.こんな思考で経営する人はいないし,『現実性のない思考』なのである.

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コメント

春原様へ

石神と申します。
つい先日サンデル氏のことを知りまして
少しネットで拝見しましたところ
一見エキサイティングな講義に釘付けにされて
また、答えが不明瞭な内容であるから
なおさら興味を惹かれる方が多いかと思いましたが
大変に危険な考え方だと思いました

これに関してネットで公表しているものを
読んでいただけないでしょうか

経済経営に全く知識のないわたくしではありますが
自分の観点から指摘してみました

パソコンを始めましてまだ日が浅く、苦手なものですから、ここに上手に切り貼りなどして
載せることができません

読んでいただけましたら光栄に思います

石神 葉子 「シェアリング」で入力していただきますと、紹介してくださっている方のブログにつながります

「正義」というタイトルです

よろしくお願いします

投稿: 石神 葉子 | 2012.11.21 10:14

春原さまへ

パソコンが理解できていなくて、2回も送信してしまいまして
本当に済みません

それから、「地球の大変革に向けて」というブログの「読者の皆さまへ必見」で自著「シェアリング」につながることがわかりましたので、再度よろしくお願いいたします

投稿: 石神 葉子 | 2012.11.22 08:55

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