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2012.05.28

281 『一体改革』審議を止め総選挙を

『社会保障・税の一体改革』法案が国会審議に入った.総理はマニフェスト詐欺,党内対立,ネジレ国会,法案の目的と完成度,等の問題を抱えていながら,しかも,難問山積みの国政の中で,不退転の覚悟で,この法案を成立したいと言う.

この法案に対し,草案の段階から,多くの問題を指摘して来たが,さらに『成立したら信を問う』と言う問題を指摘したい.一見,正しいような主張だが,反面,民主党政権が『NO』となれば,国会審議が無駄になるのである.国民に信を得ていない政策だから起こる問題である.これも民主党マニフェストの後遺症である.

そこで,遅まきながら国政を正常に戻す為に,加えて,いつも混迷する民主党政権からの脱出をする為に,日本が抱える多くの難題に対峙して行く為に,法案が成立しても,しなくても,どうせ総選挙になるのだから,無駄になる国会審議を止めて,前倒しで,総選挙をやるべきだと思うのである.

この観点で,いくつかの問題を指摘し,総選挙の必要性を論じてみたい.そこで,まず,消費税の基礎知識から考えてみた.

消費税は竹下政権時の1989年(平成元年)4月,我が国に初めて,税率3%で導入された.仕事柄,消費税の議論が交わされていた段階から,情報システムの対応方法を検討していた.細かな仕組みは忘れたが,当時としては全く新たな,奇妙な税制であった為に,真剣に勉強した事を覚えている.

この税制は基本的にはあらゆる製品やサービスの購入に,消費税を課し,事業者は売上に伴う,税の受け取りと,仕入に伴う,税の支払い,との差額を納税する多段階差額納税制,別名,付加価値税制である.もし輸出や設備投資で差額がマイナス(支払い税が受け取り税より大きい時)になれば還付される事になる.そんなわけで物品税とは全く異なるのである.

ところで,トータルでこの税を負担するのは消費者である.消費者は原価,付加価値,消費税を最後に負担するからである.この意味で消費税と言われるわけだが,納税は事業者が行う事から,直接税ではなく,間接税になるのである.

以上の理屈で言えば,もし国全体で納税される付加価値税がゼロだとすると,消費者が負担した消費税は国に納税されない事になる.又,還付の財源は消費者が負担した消費税になるが,勿論,税収がこの分,減る事になる.ましてや,付加価値税がゼロなら,還付の財源は他の税金になる.そんなわけで,『消費税率と税収の関係』は制度や経済情勢,或いは消費者行動によって変化するのである.

この消費税は消費税を負担する消費者の所得,財産に関係なく,子供も含めて,すべての人の購入物に課税する為,『広く,浅く課税する税制』だと言われている.この特徴から景気に左右されにくい,安定的な財源になると言われているのである.

この税制を有効な税制にするには,税率を低く抑えつつ,経済成長を続ける事である.重税感もなく,パイの拡大に応じて税収も増加するからである.

しかし,その税率が高くなると,本来の特徴が一変する.『広く,浅い税』から『広く,重い税』になり,可処分所得や経済を直撃する事になる.

当然,増税の必要性や負担と給付の関係がシビアに追求される事になる.又,重税に見合った制度設計も必要になる.何よりも,デフレ・不況下で増税すれば,税収増どころか,経済・財政破綻の引き金になりかねない凶器になるかも知れないのである.

私見によれば,税率が5%以下,10%以下,15%以下,とそれぞれにコンセプトも,税制度も,経済への影響も,変わってくると思う.単に率をいじる話しではないと思う.経済情勢に最大の留意が必要だが,次の制度設計もしっかりやる必要がある.

①非課税品目の設定(社会政策的配慮,他の税制との整合)
②逆進性への配慮(軽減税率や税還付)
③高額課税への配慮(住宅,車,等,耐久消費財購入への配慮)
④簡易課税制度(零細事業者向けの見なし課税等)

⑤還付金制度(輸出,設備投資等によるマイナス差額の還付)
未納問題,益税問題,への対策

この消費税の基礎知識を踏まえて,当ブログでは『社会保障・税一体改革』の素案の段階から,
問題点を指摘して来た.

NO276 『日本財政は破綻寸前か』(4月6日)
NO275 『民主党消費税増税法案と政局の行方』(3月29日)
NO274 『消費税10%は広く浅い税か』(3月18日)
NO269 『どこに社会保障と税の一体改革があるのか』(1月20日)

依然として残る,いくつかの問題点を次に列記したが,これを踏まえて,無駄な国会審議を止め,各政党が政策を立て直し,国民にそれを問う事から,国政をリスタートすべきだと思うのである.

問題①民主党政権で大増税を言う資格はない

子供手当て支給,高速無償化,高校無償化,農業戸別保障,等,ばら撒きと言われた民主党政策の財源として『12兆円は捻出できる』と豪語していたが,真っ赤な嘘だった.この総括もないままに,今度は『社会保障の為に12兆円の増税をしたい』といい始めたのである.

結果として,選挙と言う民主主義の原点を揺るがす大きな汚点を日本の民主主義に付けた責任はとらなければならないのである.

いくら社会保障と財政が逼迫し,緊急を要している問題としても,民主党政権は余程の総括をしなければ,これを論じる資格はないと思う.

日本の民主主義を正常に戻す為にも,汚点にまみれた法案審議など止めて,選挙のやり直しから始めるべきである.『急がば回れ』の時間は充分あると思う.

問題②『一体改革』の中身がない


提出された法案は,『一体改革』と言うものの,『何が目的か』,『何が一体化か』,はっきりしないのである.社会保障の改革が目的で増税を言っているのかもしれないが,その姿が見えない.むしろ,増税が目的で,社会保障改革を後付けした感じがするのである.社会保障改革を表紙にすれば,増税がマニフェスト詐欺にならない,とでも思ったのだろうか.

又,表紙にした社会保障改革においても,マニフェストで主張した『最低保証年金の支給』,『後期高齢者保険の廃止』,『年金一元化』等について具体性も,実現性も,その実施時期も,はっきりしないままである.『すぐ実現しそうな,よい事ばかり言って,裏付けがない』マニフェストの特徴がここにも表れているのである.

そんなわけで,社会福祉を後付けした上に,その全体構想も,内容も問題だらけであり,ますます増税案(消費税,所得税,相続税)ばかりが目に付くのである.『一体改革』などとよく言えたものである.

本音は『予算が組めないので増税したい』であって,この言い方の方が率直で,分かりやすいのである.こんな完成度の低い『一体改革』法案は国会審議に値しないと思うのである.

問題③消費税大増税に向けた制度設計が出来ていない

完成度の低さで言えば,消費増税も同じである.政府借金高に対する認識や財政計画も聞こえて来ないが,上記,消費税の基礎知識からみても,今後,税制がどうなるのか,さっぱり,見えないのである.どうやら,法案の本意は現行消費税制度のままで,『率だけ変えたい
』としたいようである.

制度議論になると議論が長期化したり,増税案が吹っ飛んでしまう事を財務省が恐れているのかもしれない.もし,政府も財務省も,8%,10%と率だけ変えて済まそうとしているなら,『官尊民卑の官僚の机上案』だと言わざるを得ないのであ.

問題④与野党協議で民主党の非を誤魔化す魂胆が見える

政府の与野党協議の要請はネジレ対策だけではなく,民主党の非を消す魂胆が見え隠れしている.例えば,マニフェスト詐欺や
法案の完成度の低さを『超党派と言う美辞麗句』で隠してしまいたい,次の選挙で民主党への批判を緩和したい,増税の反感を野党にも向けさせたい.そんな魂胆が透けて見えるのである.勿論,そんな罠に野党は簡単に乗らないと思うが.

問題⑤重大政策を決める順番が違う

最後の大きな問題は,冒頭でも触れたように,国民に信を問う順番の問題である.民主党政権は『成立してから増税実施前に総選挙をやる』としているが,政権に『NO』が出た時,今国会の審議が全く無駄になる事を意味している.

実際,『NO』の可能性が極めて高い上に,成立しなくても総選挙になる事も予想され,いづれにせよ,今国会の一体改革審議は意味がないものになるのである.国民の信を得ていない事をやろうとすると,こんなおかしな事になるのである.ここにも,民主党マニフェストの後遺症が出ているのである.民主党政権のゴタゴタは,いつも民主党のマニフェストが震源地なのである.

あくまでも,『政策の信任を得てから法案審議をする』との手順が正しいのであって,その為に選挙がある.一刻も早く,政治の手順を元に戻す為に,無駄な審議や政局話は止めて,総選挙で政策の信を国民に問うべきなのである.こんな簡単な問題に気が付かないのだろうか不思議である.

従って,野田総理がいくら成立への不退転の決意を言っても,夕日に向かって意味のない事を叫んでいるとしか思えないのである.

本来なら不退転とは,増税などの手段の実現に使う言葉ではなく,目的の実現に使う言葉のはずである.目的がはっきりしていない上に,無意味な成立を叫ぶのだから,夕日に叫ぶ如くになるのである.

もし目的を叫んでいれば,法案がどうなろうと,政治家としてのメッセージになるのだが.すべからく,総理の発信力が乏しいのは,具体的目標が欠落しているからだと思う.原発再稼働でも,エネルギー政策でも,TPPでも,景気対策でも,震災復興対策,でも,具体性が乏しいのである.ドジョウの様に,泥から顔を出さない性格では日本の経営は出来ないのである.

そんな分けで,総理の不退転の発言が繰り返えされる都度,だんだん,むななしく聞こえて来る.著名な政治評論家が人の嫌がる増税を主張する野田総理を真面目な人だと高く評価していたが,余りにも次元の低い,見識も狭い話しだと驚くのである.

以上の5つの問題を一掃する為に,そして,日本が抱える多くの難問に対峙して行く為に,一体改革の無駄な審議は止めて,総選挙による政治の仕切り直しを行うべきだと思うのである.民主党政権発足以来続いている政治の混迷はもう終わりにすべきなのである.

今夏はオリンピックと節電,あるいは停電で暑い夏が予想されるが,『急がば回れ』で日本の政治危機,逆境を乗り超えたいものである.

今まで,民主党政権は総理退陣で延命したり,東日本大震災で延命したり,今度は一票の格差問題で延命するのだろうか.あるいは,任期満了を権利だと感違いして延命するのだろうか.或いは,選挙をやれば負けるから,と目一杯,延命するのかも知れない.

しかし,民主党政権が延命し続ければ,政治危機は続く.日本が抱える難問も深刻さを増して行く.この政治危機からの脱却なくして,日本の前途はないのである.

日本国総理大臣には日本の政治を立て直す為に,政治体制を強化する為に,政策の方向性に国民の信を得る為に,早期に『解散の決断』をして欲しいのである.中期の視点で見れば,『急がば回れ』の大局観が今日本には必要だと思う.

追記(5月31日)日経新聞の昨今の論調への疑念

5月31日の日経新聞の大機・小機コラム:『消費税増税は危機管理』と,社説:『首相は自公と連携へ踏み出す時だ』,を読んで,全国紙,専門誌とは思えない論調を感じたので,ここに指摘しておきたい.

先ずコラムの主張は,『財政問題は危機管理の問題だ.財政危機のリスクを取り除かねば成長はない』,『その方法は増税だ』である.『成長なくいして財政再建なし』を間違いだとしているのである.

この増税優先の主張に呼応しているのか社説でも,『小沢陣営との党内対立より,自公と連携して,一体改革を進めるべきだ』としているのである.

両記事とも,とにかく,何が何でも増税が必要だ,と『素人の断言』のような事を言っているのである.あまりにも短絡的なだけに,世論操作のにおいがするくらいである.

増税による経済・財政破綻のリスクはないか,増税だけで財政リスクが取り除けるのか,社会保障の中身と財源をどう考えるべきか,円高,株安,デフレ対策が先ではないか,電力問題や震災復興は大丈夫か,とか,論点は多くあり,多くの論客が激論しているのである.

それに比べ,今回のコラムや社説は,いかにも断片的でプアである.日経らしくない『素人の断言』である.愛読者として幻滅を感じる.マスコミはもっと読者に正しい選択肢を示す努力が必要だと思う.もっとも,最近は,地方紙のコラムの方が適格な主張をする事が多いように感じる.しっかりした論客がいるからだと思う.

地方から中央を見ると,よく見える.多分,大手マスコミは政治や政治家に近すぎて,森が見えていないのかも知れない.

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2012.05.14

280 マイケル・J・サンデル米ハーバード大教授への反論

本日5月14日,日本経済新聞の『グローバルオピニオン』でMichael.J.Sandel氏のオピニオンが紹介された.日経編集委員の春原剛氏がこのオピニオンに沿って『経営哲学を見直す時』と評していた.

これに対抗するわけではないが,サンデル教授,日経編集委員に疑問,反論がある.先ず本日の日本経済新聞で紹介された内容はこうだ.

『過去30年間,米国では行過ぎた市場原理主義が席巻してきた.政治は問題の本質的な解決に踏み込まず,表面的な管理を重視するようになった.つまり,政治が正義,平等・不平等,家族,コミュニティの存在意義などを巡る問題に取り組まなくなったのだ.それこそ米国,日本などの国々に共通する人々の不満の源泉になっている.

この問題と向き合う唯一の方法は市場が扱う品物について公的な議論を重ねることだ.市場の価値と市場ではないものの価値,すなわち家族やコミュニティ,民主主義といったものとの間で,よりよいバランスを取る必要がある.市場が生み出す公的なサービスとそうでないものに,開かれた議論をしなければならない.

経済成長だけで全ての問題が解決できないにもかかわらず,市場が正義や共通善まで定義できるかのような考えがまかり通っているが,それは間違っている.この市場勝利主義から抜け出し,新たな政治的議論を通じて,市場の道徳的限界を考えなければならない.

大きな政府でも,自由放任の市場(小さな政府)でもない,代替案はある.それは公共的な社会を創設することだ.個人や国家,家族,近隣,コミュニティ,地方組織,労働組合,などあらゆる組織を繋ぎ留め,そこに暮らす人々が確かな絆を感じ,相互に責任感を持てるような社会だ,それこそ,『市場だけを通じた関係』に対抗できる案である.

一方,ミルトン・フリードマンは企業に役割について,利益を追い求め,株(主)の価値を最大にする事と説いた.だが,それだけでが企業の目的ではない.国家にとっても企業の活動を奨励する究極の目的は共通善に資することだ.同時に利益だけを目的とする考え方は,企業の社会的責任を無視し,公的組織として負っている,より大きな共通善への責任をないがしろにしてしまう.

ここで重要なのは,社会的な多元性を評価する事だ.グローバルな資本主義には普遍的な価値観が欠かせない.言い換えれば,グローバル市場の基準だけに縛られると,個々のコミュニティの重要な価値観や国家の独自性をむしばんでしまう.グローバル企業は様々な活動拠点において,その価値観を学び,普遍的な考えを統合していかなければならないのだ.』

春原氏は上記主張を『市場第一主義との決別を』と題し,『経営哲学を見直す時』と評したのである.

ところで,サンデル教授の白熱教室や書物では,『解のないテーマ』(正義とは,等)を取り上げて,色々な考え方や過去の哲学者の言を紹介し,あとは自分で考えろ,で終わる.考えさせる事が狙いの様であるが,解がないだけに,ますます悩みが深まる.そんなわけで,最近,私は教授の書物はあまり読んでいない.

今回は授業ではないので,珍しく自分の主張を言っている様に思うが,何回読んでも,正直,何を言っているのか意味不明である.中世の哲学を勉強するあまり,間違って現代を捉えているとさえ思うのである.(紙面の関係で意図が表れていないのかもしれないが)

大変不遜ながら,いかにもリベラル的思考にありがちな,具体性が見えない,頭の中だけの主張に感じるのである.(記事に中で,疑問の箇所をアンダーラインで示した.)

要するに,市場主義,資本主義の社会を認めつつ,行き過ぎた市場原理,利益追求は,道徳や公共善を破壊するから,ダメだ,と言いたいようである.

しかし,『行き過ぎはダメ』は抽象的過ぎて,『行き過ぎないようにするにはどうするのか』となると,ますます具体性が見えて来ないのである.要は細かな技術的な事は想像できても,哲学が見えて来ないのである.

教授の主張は不当競争防止法ではなく,競争防止法が必要だ,と言うのだろうか.あるいは,非営利事業を増やせとの主張だろうか.それなら管理社会,社会主義社会が良い,と言った方がハッキリする.それとも,いろんな競技のルールに競争や利益追求を抑止する規制を増やせと言うのだろうか.

この様に,サンデル教授の思考に違和感があるのは,『儲ける事は罪悪だ』,『不労所得はけしからん』,『金融ビジネスは虚業だ』等と言う日本の古典的文化人と同じような思考があるからかも知れない.だとすると,ますます,感情が論理につながらないのである.

もうひとつの理由は,現実を誤認して,主張を組み立てているか,主張に合わせて現実を誤認しているか,を感じる点である.デベート訓練用のテーマやケーススタディを作る時,『現実をデフォルメして作る』事とよく似ている.

例えば,現実は,市場原理をあらゆる分野で適用すべきだとか,経済成長や市場が正義や共通善を定義できるとか,利益追求は社会的責任,公共善への責任をないがしろにするとか,誰も思っていないのである.又,企業の利益追求は社会的責任に繋がり,道徳的責任を無視すれば市場から淘汰されると思っているのである.きっと米国でも同じだと思う.

この様に,企業は社会の大きな役割を担っているのであって,これをないがしろにすれば企業は存続できなくなるのである.フリードマンの利益追求論は社会的責任や共通善をないがしろにする論理ではないのである.

さらに,『グローバル市場化』は国の独自性をむしばむと言うが,むしろ独自性を発揮させると思うのである.グローバル化を昔の植民地化のイメージで認識しているとしたら,今後のグローバリズムは論じられないと思う

結局,サンデル氏はどうしろと言うのだろうか,大変失礼だが,感情論に見えるのである.これを取り上て『市場第一主義と決別を』,『経営哲学を見直す時だ』,と,迎合している日経編集委員にも,苦言を堤したい.

『市場第一主義と決別』にも違和感があるが,この主張が『日本的文化,・日本的経営への回帰』に繋がると言うのも,おかしいな論理である.市場第一主義であろうと,なかろうと,米国的経営も日本的経営も,あり得るからである.

そもそも,市場原理,文化,経営はそれぞれ多面的であって,画一的な論理では決まらないのである.失礼ながら編集委員の見方は我田引水的で無理があり論理になっていないと思うのである.

話が変わるが,かつて,当ブログで,『競走と和』について,自論を発信した.そこで,日本の『足して2で割る』考え方,『中庸の文化』はこれからは通用しないと主張した.これではどちらの良さも効果も中途半端になるからである.

この視点で言うと,サンデル教授の『行き過ぎた市場原理主義はダメ』は『足して2で割る中庸の文化』の思考のように感じる.もし市場原理を抑制する制度があったとして,道徳や共通善が担保されるのだろうか.結局,恣意的な不透明な社会になるだけではないかと思うのである.

ラクビーにたとえれば,試合中は激突し合うが,試合が終われがノーサイドの世界がある様に,社会でも,中庸ではなく,『激しい競争の世界』と『自助,共助,公助の世界』を持つべきなのである.日本は中庸の文化で曖昧であるが,米国はこの二つの世界をしっかり持っていると思う.

米国は市場原理,競走社会,弱肉強食,格差社会,と言われる反面,自立心,開拓精神,挑戦意欲,起業精神,マメリカンドリーム,キリスト教,ボランティア,チャリティ,寄付,家族主義,等,日本にはないノーサイドの世界を多く持っていると思うのである.まさに車の両輪になって社会を動かしていると思うのである.

サンデル教授はこの米国の社会を否として,日本と同じ様に,足して2で割れと言っているのだろうか.ずっと以前,孫正義氏が日本文化を皮肉っておられたので紹介したい.

タイタニック号が沈没する時,救命ボートに乗れない男性に船長は海に飛び込めと命令した.その時の見事な説得をしたのである.イギリス人には『貴殿はさすがにジェントルマンです』,アメリカ人には『あなたは間違いなく英雄です』,そして日本人には『どなた様も,そうされています』,これで皆が海に飛び込んだと言うのである.

これは,日本人の『自立心のない横並びの文化,』を皮肉った話である.農耕民族,島国民族,単一民族の村社会文化である日本文化の特徴を突いた話である.

戦争,戦後の復興には具合の良い文化だったかもしれないが,グローバル社会の中で,既に,この文化は大きく変化しているし,今後も,これに回帰する環境はないと思うのである.もはや,『どなた様も,そうされてます』では海に飛び込まないと思うのである.

どうやら,サンデル教授に『市場や競争のない社会』を理想とする潜在意識が心のどこかに潜んでいるのかもしれない.日本文化を彷彿させるが,『争いが嫌い』なインテリ,リベラリストに多い性格である.

私見によれば,市場原理とか競争原理は,少しでも良い方向に行く行動に働く原理であって,自然原理だと思う.グローバル化で,この原理は地球規模で広がると思う.そして,この原理を人間社会で有効に,しかも公平に,発揮できるように,あるいは,危機の未然防止を図る為に,競技のルールが設けられるのである.

もし,政治がこの競争や市場を無視したり,阻害すると,間違いなく,その政策の持続性が損なわれる事になる.従って,人間社会の仕組みは,この原理による『自由な分野』と,『弱者救済の分野』で構成される事になると思うのである.

『行き過ぎた競争や市場主義はけしからん』とする思考は,制度も行動も,哲学としても,曖昧で,社会の発展も弱者救済も,じり貧になる.こんな思考で経営する人はいないし,『現実性のない思考』なのである.

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2012.05.07

279 関越道高速バス事故が大惨事になった原因

4月29日の群馬県の関越道で起きた高速バスの大事故に関して,高速バスツアー業界の無法ぶりや,高速バス会社のずさんな管理,中国人から帰化した運転手の問題,あるいは規制緩和と過当競争の問題などが盛んに報道されているのである.

この様な報道は事故発生の遠因の掘り下げになるかも知れないが,にわかに再発防止につながらない報道ばかりである.いつもの興味本位のバッシング報道に終始しているように感じられる.

こんな報道姿勢に対抗するわけではないが,『大惨事になった原因と再発防止』に焦点を当てて私の感想を述べてみたい.

断片的に聞こえてくる話を要約すると,事故の全容はこうだ.

『バスの運転手の居眠りでバスが90キロ以上のスピードでガードレールに激突した.その激突した場所がガードレールの途切れている直前であった為に,ガードレールとバスは左に押出された状態になり,ガードレールの終端と数10センチ離れて設置されていた防音壁にバスが激突してしまったのである.

そして防音壁は10メートル程バスを串刺しするようにめり込み,バスは大破したのである.この事故によって,45名の乗客が全員,重軽傷を負い,そのうち,左側の乗客を中心に7名が死亡したのである.』

この事故は運転手の居眠り運転が原因て発生しているが,大惨事になった原因はガードレールと防音壁が離れていた為であり,この事によって,ガードレールが助走路になってバスを防音壁に激突させてしまったのである.防音壁がガードレールと繋がっていれば,ガードレールの役割通り,バスは壁をこすりながら減速して行ったと思うのである.

この様に明らかにガードレールの欠陥が大惨事の原因である.しかも,その欠陥は確実に大事故を起こす大欠陥なのである.これではガードレールと言うより,大惨事を招くノーガードレールと言わざるを得ないのである.

バスの乗客からすればまさに『2重遭難』である.『ガードレールへの激突』で終わっていたかもしれない事故が,ガードレールの欠陥によって,『防音壁への激突』と言う最悪の事態に巻き込まれてしまったのである.

事故後,ここに焦点を当てた報道は余り聞こえてこないが,きっと事故調査結果でも,裁判でも,この『確実に大惨事を引き起こすガードレールの欠陥を放置した責任』が問題になると思う.

国交省はガードレールと他の建造物との間の隙間は危険だと認識していた節がある.98年以降,隙間のない作りにしているからである.ただし事故現場になった場所のように80年代に作られた隙間は放置されたままだと言う.その全国的実態も不明だと言う.

『これは,自動列車停止装置(ATS)の設置が後回しになった為に大惨事となった福知山線の脱線事故と同じである.』

車が暴走してガードレールに激突する事やガードレールに車をこすりながら止める事はある.その為に頑丈なガードレールがあって,被害の拡大を防止しているのである.ガードレールが途中で切れていれば,当然,ガードの力が弱くなって,その先に防音壁の様な構造物があれば,確実にその真正面に激突する.こんな危険性を認知していながら,放置してきた国交省の責任は極めて重いと思う.

国交省が高速バスツアー業界やツアーバス会社の実態調査や規制強化に血眼なのは,この事に触れられたくないからだろうか.交通事故防止策は制度等の『ソフト対策』以上に,車,道路,ガードレール,防音壁,或いは他の建造物,等への『ハード対策』が極めて重要なのである.どうも国交省は『ハード対策』を逃げている感じがする.

常識的には,高速道や幹線道で同じ様なガードレールがないか,遅まきながら大至急調べ,手を打つ筈である.又,生活道路や登下校道路で,通行人を守るガードレールがない為に大事故が起こる危険性に対しても,至急,手を打つべきである.

ついでに,頭にきたガードレールの思い出話をしたい.

細い道の左折道路側で信号待ちをしている車を見ながら左折した時,車の左側のボディをガードレールにこすってしまった.頭にきて,そのガードレールを見ると,黒いこすり傷がたくさん付いていた.しかも,随分前の古傷もある.どうやら『必然的にこする場所』のようである.どれほど,このガードレールが板金屋やボディ取り換えの需要を作り出した事か.

この交差点は大型車の左折は禁止しているが,調べてみると,信号待ちの車があると,ほぼ確実に,左折車はガードレールをこすってしまう.明らかにガードレールの位置に欠陥がある.これは損害賠償に値する欠陥である.

役所に怒鳴り込もうと思ったが,その怒りが覚めやらないうちに,そのガードレールの位置が修正された.きっと,怒鳴り込んだ人がいたはずである.しかし,傷の多さから察するに,長い期間,放置されていたに違いないのである.せめて役所は要注意の看板くらい,すぐ出すべきだと思ったのである.そして,全国的にガードレールに傷のある所は手を打つべきなのである.

ところで,交通事故は被害者も,加害者も,不幸の極みになる.なんと,運が悪い,と偶然を嘆いてしまうのである.しかし,事故に潜む,『必然的に起こる要因』を認識し,一つ一つこれを消していく事(ハード対策)が事故の再発防止に繋がるのである.行政,警察,道路業界,輸送業界,メーカーだけではなく,保険会社もリスクを消す取り組みが求められる.

事故後,いつも『再発防止に努めたい』と所轄の行政は言うが,やるにしても制度や啓発,等の『ソフト対策』が多い.『ハード対策』に向かわないのは財政上の問題があるからだろうか.意外と役所の過去の責任を問われたくないから,かも知れない.果たして今度はどんな再発防止策が出てくるのだろうか.

追記(5月24日記)

5月24日の日経新聞に『ガードレールの欠陥を修理する』との小さな記事があった.これによると,国交省はガードレールと防音壁の隙間が今回の被害を大きくしたとの指摘を受けて,調査で判明した全国5100ケ所に対し,隙間をなくす工事を行うよう東日本,中日本,西日本の各高速道路会社に指示したと言う.工事費17億,優先度の高い場所は2年程度で完了するとの事.

素人でもわかる危険なガードレールを5100ケ所も作った事,危険を認知していながら,それを放置していた事,に改めて驚く.その責任は重い.どうしてそうなったのか,これまで被害がなかったのか,を知りたいものである.政治家やマスコミの追求がない事も不可解である.高速バス業界の問題より深刻だと思う.

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