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2012.09.16

295 気になる『論語』の事

文化が社会に浸透すると,そもそもの事など気にしなくなる.論語の教えもその一つだが,恥ずかしながら,私自信も,論語の知識が乏しく,中国や韓国で論語がどんな形で生きているのか,日本でどんな歴史を刻んで来たのか,余り知らない.そこで,付け焼刀ではあるが,『論語と日本人の関わり』につて,初歩的な程度だが,改めて勉強してみた.

私は高校時代,漢文の授業を受けた事がある.諸橋轍次博士(漢学者,大漢和辞典・広漢和辞典の編者,三男が三菱商事の社長,会長)の教科書で,確か親戚に当たる方だったと思うが,諸橋先生から,氏曰く『・・・』と学んだ記憶がある.

論語が現在,学校でどうなっているかは知らないが,長い歴史の中で,消える事もなく,現在でも広く引用される事に,改めて論語の偉大さを感じるのである.

日本に論語が伝来したのは欽明天皇の頃と言われている.実際は,中国3大宗教である『儒教,仏教,道教』が渾然として渡来したと思う.敢えて言えば,全てを包含した道教が百済から渡来したと言うのが正しいかもしれない.飛鳥・奈良時代のお寺や仏像を見ると,まさにシルクロードの終着地として,色々な模様やデザインが入り混じっているのである.中国においても,当時,儒教,仏教,道教をどれだけ区別していたかも疑問である.

この時代,百済や唐の文化・文明を積極的に受け入れたり,律令国家を作ったり,中国の都を模して藤原京,平城京を築いたのも,日本が百済や唐の侵略や文化・文明に脅威を持っていたからだと思う.だからなんとしても,国威を示す必要があったと思うのである.

西洋文明が押し寄せた明治時代の文明開化も,これと同じ,列強への国威発揮であったと思う.戦後のアメリカの文化・文明の流入は,アメリカ文化・文明への『憧れ』が牽引したと思う.

ところで,文化を反物で言うと,反物の強さを発揮するのは縦糸である.西陣織などは何千本の縦糸があると言う.そして,模様を編み込むのが横糸である.そこで,今も日本の文化として残る神教や中国3大宗教が縦糸,明治の西洋文化,戦後のアメリカ文化は横糸とすると,まさに,日本文化は『和洋折衷,和魂洋才の反物』だと言える.しかも,この反物は,文化伝来の終着地として,世界の文化のエキスで出来上がっている,とも言えるのである.

さて,論語に話しを戻すと,日常のTPOに応じて,自然に論語が口から出てくると,博識な知識人,教養人と見られたりする.一方,付け焼刃に,論語を引用すれば,逆に見せ掛けの教養人と見られたりする.それほど,論語は日本人の『教養の物差し』として,存在しているのである.

この論語は,2500年前(中国春秋時代の末期)の孔子とその弟子達の言行録である.10巻20編512章からなるが,極めて短い文章ばかりなので,原稿用紙で言うと30枚程度だそうである.しかし,後世の学者がつけた注釈によって,分厚いイメージが持たれていると言うのである.

内容は,政治哲学,人生哲学,を説いた指導書であり,この論語が経典となって,儒学とか儒教となって,更に仏教や道教にも補完的に混ざり合って,世に広がって行ったのである.

儒教は超俗的要素がない事から,宗教ではないと言う学者が多い.一方,他の宗教と同じような,独自の死生観を持っている事から,宗教であると言う学者もいる.

儒教が宗教と言われる理由は,先祖祭祀,葬儀,墓,と言う概念を持っていたからである.しかも,『輪廻転生』と言う死生観で,この概念を持っていない仏教が,これを取り入れたのである.

又,儒教にとって重要な施設として,孔子廊(孔子を祀った霊廊)が,朝鮮半島,ベトナム,日本,東アジア各地に建設されている.この施設も寺院のようであり,宗教色を感じさせるのである.

さて,この論語であるが,独特の概念を持っている.

『考,仁,徳,礼,中庸,和,義,君子,小人,忠』などの概念である.儒教思想の根幹は社会の基本単位である家族と,その祖先の祭祀にある.それが『考』の概念であり,祖先祭祀,子孫繁栄,親への敬慕,等が教えになっているのである.この家族,先祖への『考』が,社会に向けられた時,『仁』,『礼』と言う概念に広がって行くのである.ちなみに,神教にも先祖祭祀,子孫繁栄の教えがある.

ところで,哲学とか宗教は,個人の思考や言動に大きな影響を与えるだけではなく,社会の『秩序や統治』の為に使われてきた.そこで論語,儒教の教えが日本社会に,どのように影響を与えて来たのか興味が湧くのである.

そこで,『日本人と論語の関わり』,『日本の資本主義経済と論語』,『現代の政治家,経営者と論語』,について,浅学ながら,自分なりに要約してみたのである.(参考文献『おとなの論語』徳間書店発行)

①日本人と論語の関わり

論語は日本に伝来以来,朝廷の漢文,教養,哲学,書として読まれていた様である.聖徳太子の憲法17条にも論語の影響がある.

その後,室町時代の武家政治において,武士の教養が求められるようになり,関東に最高学府足利学校が設立され,本格的な儒学の教育が始まった.全国から数千人の子弟が集まって英才教育を行ったと言う.乱世が始まると兵学教育中心の士官学校に様変わりして行った.

戦国時代,武闘派の肥後の加藤清正は論語の教えに従って乱世を生きたと言う.家康は天下の統治に当たって,この儒教による『徳による政治』を考えた.儒教は『礼』を重視し,これによって,天と地が絶対に入れ変わらないように,君主と家臣,父と子,は永遠に逆転しない,事から下剋上を防止できると考えたのである.

8代将軍吉宗は実学や蘭学を奨励した為,儒教(朱子学)は衰退するが,11代将軍家斉は幕府の再建の為に,役人の教育機関を直轄し,朱子学を正当の学問としたのである.

その後,『知行合一』の精神を大切にする陽明学が理論優先の朱子学を批判し,大塩平八郎の様な幕府に不満を持つ人々に受け入れられた時期もあったようである.

幕末のペリーの来航で,幕府の権威が失墜する事になるが,朱子学の『将軍は天皇の臣下』と言う教え(尊王思想)の影響もあって,大政奉還につながって行くのである.

明治維新後,急激な近代化によって,道徳が乱れたことを憂いた明治天皇は小学校の『修身』(道徳教育)に儒学的要素を盛り込んだ.私学でも,漢学を専門にする学校が設立された.

東京では,『安井息軒の三計塾』,『三島中州の二松学舎』,岡山では,『山田方谷の刑部塾』,京都では『草場船山の敬塾』等である.この中で長く存続し,大きな影響力を持っていたのが『二松学舎』である.

この『二松学舎』は『洋学盛行,漢学絶滅,に慨し漢学の為』に,三島中州(最高裁判事)が開校した学校である.西洋の文化を認めながら,古来より大事にして来た『仁』,『義』,『礼』を失ってはならないと考えたのである.

この学舎で学んだ人に,夏目漱石,犬飼毅,加納治五郎,がいる.又,『道徳経済合一』を説いた渋沢栄一は第3代舎長に就任している.三島中州が唱えたの『義利合一』と同じ考えであったからである.第5代舎長は吉田茂である.学舎の顧問であった岳父・牧野伸顕(吉田茂の妻,雪子の父,大久保利通の2男)の関係だと思うが,本人も幼少期から漢学を学んでいたと言う.吉田茂が政治家として長期間,活躍できたのは漢学の影響だと言われている.

②日本の資本主義経済と論語

『左手に論語,右手に算盤』を持った日本資本主義の創始者,渋沢栄一は幕末,明治,大正,昭和初期,を駆け抜けて,『道徳と富は相反しない』『道徳と経済は不可分の関係である』,いわゆる,『道徳経済合一』を説き,日本経済発展の基礎を築いたのである.

この『道徳経済合一』の系譜をたどると,二宮尊徳の『経済道徳融合説』に行き着く.二宮尊徳は『道徳を忘れた経済は罪悪だ』と提唱していたのである.これを実践したのが渋沢栄一と言う事になる.

渋沢栄一は『富をなす根源は仁義道徳』,『正しい道理の富でなければ,その富は永続出来ない』と端的に述べているのである.

日本の近代化を主に教育面で方向づけた人物が福沢諭吉なら,近代日本資本主義で富国日本の基礎を作ったのが渋沢栄一だと言えるのである.

③現代の政治家,経営者と論語

論語は,世の中の動乱期に,よく学ばれてきたと思う.儒学者は日本の戦争,戦後の政界・財界にも影響を与えてきた.政界の黒幕と言われて来た儒学者,安岡正篤は『日本精神の研究』,『天使論及官吏論』を表し,昭和初期の近衛文麿,北一輝,山本五十六,蒋介石,等に親交を持った.

又,安岡正篤は戦後の自民党政治家のアドバイザーとして,帝王学を説き,岸,池田,佐藤,各首相を支えたと言われている.財界にも多くの信奉者を持ち,三菱,住友の各グル-プの指南役を務めたと言う.

又,現代経営学の始祖であるドラッカーも渋沢栄一経由で,論語の中の『リーダーの責任』に関する概念に感銘を受け,自らの論理の支柱にしたと言う.

出版物でも,『論語に学ぶ』(安岡正篤著),『使う論語』(渡邊美樹著),『稲盛和夫の論語』(皆木和義著)等が発刊されたり,論語の信奉者が経営者に多い.このように,今も論語は生きているのである.

以上論語について,整理してみたが,どうやら日本人は現在,冠婚葬祭,催事などは仏教,神教,キリスト教の作法に従い,企業経営や行動の道徳は論語に従う感じである.特に,渋沢栄一の『道徳経済合一』の教えは,ビジネシの世界で,『生きた規範』になっていると思うのである.

ただ,日本文化は,西洋文化や経済論理,あるいは法制度との葛藤を続けながら,又,政治・経済の状況に応じて,今後も変化していくと思う.

又,中国,韓国の文化が,どう変化しているのかも気になるところである.もし,現在も,仏教や儒教の文化が色濃く残っていたら,文化は相互に共有出来ると思うのである.さしづめ,中国に渋沢栄一の『道徳経済合一』を逆輸出したらどうだろうか.儒教は中国が本家なのだから.

しかし,当ブ゙ログNO293の緊迫する領土問題で述べている様に,『文化には寛容だが人間関係は排他的』と言う血統主義の特性の通りになっているのも現実である.歴史認識もこの特性の上に乗っかっているのである.このことを知った上で,相互に血統主義を乗り越えた知恵が必要なのである.

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