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2012.09.28

299 現・民主主義政治の限界か『第三者機関依存症』

民主主義とは国民の意思,責任によって,政治を行う事である.それを実現する方法として,代議政治による間接民主主義をとっているのである.制度の意味するところは,国民は政治の責任をとる事を覚悟して負託する政治家を選ぶ事になる.言い方を変えると,民主主義は国民が政治家を選ぶ事で,政治の責任を負わされる制度なのである.

この民主主義制度はポピュリズム(大衆迎合)政治も許容される.国民がどんな判断をしても,その政治の責任は国民に帰属するからである.従って,政治が間違わない為に,国民は政治意識を高め,政治家は的確な選択肢を国民に示す事が必要になるのである.

この民主主義の制度は,勿論,国によって違うように,歴史,考え方,割り切りで,作られている.日本では,代議政治と言う間接民主主義の形をとっているものの,実質は奈良時代以来の官僚による政治が受け継がれていると思う.

この『官僚政治』に加えて,最近,第三者機関(委員会や有識者会議)に依存する事が増加し,『第三者機関政治』になりかねないのである.政治家は選挙や政局に明け暮れ,ますます本来の代議政治が空洞化するのである.

この第三者機関は建前で言えば,行政機関として法律(国家行政組織法・第8条)で位置づけられ,その委員は政治家の任命責任で選ばれ,その審議結果の最終決断は政治家が行う.たとえ,審議の結果を政治家が丸呑みしたとしても,その決定責任は政治家,最終的には国民になる,とのロジックで出来上がっているのである.

しかし,政策議論は政治家から第三者機関に移るわけで,政治家の役割は確実に空洞化して行くのである.

第三者機関の数は調べていないが,最近,増えていると思う.問題が起こるたびに第三者機関に依頼する風潮を感じるからである.勿論,複雑で専門性が問われる難問が増えている事も,その要因だと思う.

ただし,客観的お墨付きを得る為,国民の政治家への不信感をかわす為,政治家の責任逃れの為,政治家の力量不足の為,弱小政党の意見反映の為,などの為に,第三者機関が増えているなら,代議政治の根本が崩れる事になるのである.

そんな中で,最近,どう見ても,設立目的,役割,責任が,はっきりしない第三者機関が出て来た.その一つが『原子力規制委員会』である.委員会の役割,権限が不明確なのである.結果的に,再稼動可否の意思決定プロセスがはっきりしないのである.これに設置自治体や原発事故に対する有事体制の問題が絡むと,さらに意思決定プロセスが混沌となるのである.

そもそも,原発は高度な専門性を含む上に,国際政治とも関係する.何よりも,国民生活に密着しているのである.こんな広範な関係を持つ原発問題に対峙していく為には,当然,規制委員会を立ち上げる前に,有事の事も含めて,組織全体のデザインや意思決定プロセスの設計が必要なのである.

福島原発事故で露呈した,日本の原発関連組織のお粗末ぶりに反省もなく,付け焼刃で原子力規制委員会を作る事を見るにつけ,この国は原発を持つ資格もないのかもしれない.余りにも米国などの組織体制と比べ,お粗末すぎるのである.

又,先の国会で決まった社会保障国民会議も同じである.政党・政治家に左右されない客観的な立場と専門的な立場で,将来の社会保障の在り方を議論し,方針を出す事の様だが,今のところ,原子力規制委員会と同じように,さっぱり,国民会議の仕組みが見えていないのである.

この二つの例は,どうやら,緊急の追求をかわす為に,とりあえず,第三者機関を作って,そこに検討を振った感じである.政治家の敵前逃亡に等しいやり方である.こんなことを繰り返すなら,あらゆる難問に対し,『第三者機関で考える』と言ったらどうだろうか.政治家で決められないなら,代議政治が空洞化しても仕方がないのである.まさに『政治家が招く民主主義の限界』である.

この二つの例と同じ事が,既に,東日本大震災や福島原発事故の時にあった.無秩序に,泥縄で,本部や委員会を多く発足させ,混乱を招いた事は記憶に新しい.どうやら,第三者機関や委員会を立ち上げ,防災服を着て会議をする事で,政治家の取り組みのアリバイ作りにしたかったようである.まさに有事の統治機構が全く出来ていない恐ろしい実態を露呈したのである.

ちなみに,各国の第三者機関の扱いであるが,イギリス,カナダは行政機関に属さず,外部に独立して存在する.この第三者機関はあくまでも行政の監視を目的にしており,行政権には介入しないと言う原則がある.オーストラリアは独立して権限を行使する内閣に置かれた政府機関である.アメリカは行政機関に属する第三者機関は設置されていないのである.

以上,民主主義の限界を示唆している『第三者機関依存症』の問題を取り上げた.民主主義の精神,制度の中で,平時・有事を含めた,日本の統治機構の見直しが絶対必要だと強く感じるのである.その上で,しがらみを断ち切って,平時も有事も安心できる統治機構を構築すべきなのである.

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