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2012.09.30

300 現・民主主義政治の限界か『決められない政治』

政治家やマスコミ,有識者,あるいは,テレビ報道番組でのコメンティーターが,昨今の政治に対して,口癖のように,軽々しく,悟ったように,偉そうに,枕詞のように,『決められない政治はダメだ』と言う.単に『政治不信』を煽っている様に感じるのである.

確かに,政治家や政党の問題も多いが,制度,仕組みが要因になっている事もある.そこで,ただ単に,『政治はダメだ』と嘆くだけでなく,『決められない要因』について改めて考えてみた.確かな対策を持っているわけではないが,いくつか要因を列記したい.『民主主義のあり方』とも関係する事から,下記の当ブログ(1)(2)に加えて(3)のタイトルとした.

(1)NO296 現・民主主義政治の限界か『限りなく続く歳出拡大』
(2)NO299 現・民主主義政治の限界か『第三者機関依存症』
(3)NO300 現・民主主義の限界か『決められない政治』

①政府と与党で政策が一致していない.(政権・与党の問題)

現民主党政権の問題であるが,根本的には自民党も含めて,中選挙区のなごりで,政党が烏合の衆になっている事で起こる問題である.特に民主党は反自民で集まった『ごった煮政党』である.政権を取ったものの,思いで作った公約に裏づけがなく,具体的な政策も迷走し,いつも政策で内部対立が起こる.その挙句,分裂を避ける為に,決定を先送りするのである.

こんな『ごった煮政党』は政権与党以前に,政党ではないのである.政解党すべきである.こんな政党に,政党助成金が出ている事すら不思議なのである.

②総理,大臣の任期が短い.(政府体制の問題)

議員内閣制の下で,頻繁に総理が変わったり,内閣も頻繁に改造されてきたのである.まるで,総理,大臣の椅子に順番に座っている感じである.政権交代も含めれば,自民党では,阿倍,福田,麻生,民主では鳩山,菅,野田と総理大臣が一年毎に,変わってきたのである.

民主党政権では,3年間で3人の総理を作り,それぞれの総理が何回も内閣改造を行うものだから,大臣に就任した人が70人になると言う.一つの大臣席に,7~10人が座ったと言う.副大臣,政務官,補佐官,などを含めると,空前の数の議員がこのポストについたことになる.こんな実態では,まともに政策の決定など出来る分けがないし,政治主導など,全く,望むべくもないのである.

ここまで来ると,大臣の椅子は『名誉と尊敬される勲章』から『政治家失格の烙印』になる.そうすれば,元・前・大臣は落選し,政治家が浄化される事になる.

こんな状態で,よくも,官僚政治からの脱却,政治主導,適材適所の内閣人事,等と,真顔で国民に言ったものである.これだけ見ても,『嘘つきで無責任な政府』だといわざるを得ないのである.

国民に正直な総理を標榜するなら,堂々と,『政治は官僚に任せているから,名誉ある大臣の肩書を出来るだけ多くの党員にばらまいた』と言えば良いのである.

しかし,これだと,代議政治,議員内閣制は,完全に空洞化し,建前の上でも,官僚国家を標榜する事になる.そうすると,『決められない政治家』に変わって『決める官僚』,『政治家天国』になる.これでは民主主義も崩壊である.

③政策より,権力,保身を優先する.(政治家の根本的問題)

政治家は政策実行の為に権力を手にする事が必要になるが,手段である権力を手にする事が目的になると,取った後はその権力の保持,保身に走る事になる.そうなると,政党は①の様に,政策集団ではなく,権力欲,名誉欲,出世欲,選挙資金,保身が渦巻く集団になるのである.

手段が目的になると,選挙に勝つ為に,根拠のない公約を掲げたり,保身の為に,解決につながる政策を取りやめたり,その政策を先送りしたり,非を認めなかったり,決められない政治が加速して行くのである.

こんな政治を打破する最大の手段は国民に信を問う解散である.しかし,権力欲,保身に縛られた総理,政治家なら支持率が低迷するほど解散には反対するのである.国民は任期満了まで,こんな政治に耐え続ける事になる.その分,政治不信,政治離れ,が増幅するのである.これも民主主義の姿なのである.

④難問対策の決断ができない(究極の決断の問題)

現在日本では,増税・財政問題にしても,原発問題にしても,難問山積みである.これらの難問の対策は専門的要素も高く,しかも対策案によって,国民や業界が大きく影響を受ける事になる.

それだけに,対策を多数決で決められず,デッドロック状態になってしまうのである.結局,先送りされ,ますます難問の深刻さを増していくのである.こんな事態も民主主義の限界かもしれないのである.

⑤地域住民のコンセンサスが取れない.(政府と自治体の問題)

米軍基地問題,原発再稼働問題,原発廃止問題,放射能汚染物資の廃棄問題,使用済み核燃料保管問題,公共事業関連,さらには地方自治体のごみ焼却場問題,焼場問題,公共事業関係,等,住民のコンセンサスが取れない問題である.

しかも,法律の手続きや優遇措置で決着するほど単純でもないし,強行執行も,なじまない.この種の問題を解くカギは未だ見つかっていないのである.

⑥国会のネジレで決まらない.(二院制の必然的問題)

衆院優位の制度はあるものの,ほとんどの法案は両院賛成を成立条件としている.そこで,ネジレる可能性が非常に高いのである.一度ねじれると,半数議員づつ改選する参院制度では,その解消は2度の参院選挙が必要になる.二院制の再考が言われ始めている問題である.

⑦難問を前に,そもそも論が立ちはだかる

政策立案の前に,そもそもの議論が始まる事で,政策立案に行き届かない問題もある.例えば,右系・左系,保守・新保守・リベラル,等の『政治思想の議論』や『日本のビジョンの議論』,さらには『憲法論議』などが立ちはだかって,本論に行かないのである.安全保障問題などは顕著な例だが,これでは,目前の難問に対策すら立てられない事になる.

この問題は,『政治哲学や方向性』に基づいて政党が進化していない事が原因だと思う.同じ政党内でも,哲学はバラバラである.だから,問題に直面すると,いつも,そもそも論から始まるのである.これでは対策案と言う選択肢が出来るわけがないのである.

その結果,制度・仕組みと問題対策に隔たりが大きくなって,たとえ政策が出来たとしても,いつも『抜本的』となり,言うだけになるのである.さらに憲法を変えないと対策が打てない問題も多く,憲法改定問題が大きく難問の前に立ちはだかるのである.

米国の場合は,『小さな政府』,『大きな政府』と言う『政治の哲学』で共和党,民主党が存在し,選択肢としての政策がハッキリするのである.そして,国民は選挙の時,時代背景に応じて,政党を選択しているのである.

以上,『決められない政治』の背景を述べたが,その解消に向けて,大阪維新の会の言う,明治維新以来の中央集権機構から地方分権統治機構への移行構想は一つの有力な提案だと思う.

又,憲法改正も時代に応じて行えるように改定ハードルを低くする必要がある.いつも憲法に阻まれて,議論が深まらないのである.阻む事の意味もあるが,これでは国全体が思考停止状態になるのである.

これに加えて,私見で言えば,政治理念,政策の方向性を軸とした政党再編を行い,『政治の土台』を出来るだけ早く作る事も必要だと思う.そうでないと,決定に向けた議論が進まないし,国民の選択肢も鮮明にならないのである.

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2012.09.28

299 現・民主主義政治の限界か『第三者機関依存症』

民主主義とは国民の意思,責任によって,政治を行う事である.それを実現する方法として,代議政治による間接民主主義をとっているのである.制度の意味するところは,国民は政治の責任をとる事を覚悟して負託する政治家を選ぶ事になる.言い方を変えると,民主主義は国民が政治家を選ぶ事で,政治の責任を負わされる制度なのである.

この民主主義制度はポピュリズム(大衆迎合)政治も許容される.国民がどんな判断をしても,その政治の責任は国民に帰属するからである.従って,政治が間違わない為に,国民は政治意識を高め,政治家は的確な選択肢を国民に示す事が必要になるのである.

この民主主義の制度は,勿論,国によって違うように,歴史,考え方,割り切りで,作られている.日本では,代議政治と言う間接民主主義の形をとっているものの,実質は奈良時代以来の官僚による政治が受け継がれていると思う.

この『官僚政治』に加えて,最近,第三者機関(委員会や有識者会議)に依存する事が増加し,『第三者機関政治』になりかねないのである.政治家は選挙や政局に明け暮れ,ますます本来の代議政治が空洞化するのである.

この第三者機関は建前で言えば,行政機関として法律(国家行政組織法・第8条)で位置づけられ,その委員は政治家の任命責任で選ばれ,その審議結果の最終決断は政治家が行う.たとえ,審議の結果を政治家が丸呑みしたとしても,その決定責任は政治家,最終的には国民になる,とのロジックで出来上がっているのである.

しかし,政策議論は政治家から第三者機関に移るわけで,政治家の役割は確実に空洞化して行くのである.

第三者機関の数は調べていないが,最近,増えていると思う.問題が起こるたびに第三者機関に依頼する風潮を感じるからである.勿論,複雑で専門性が問われる難問が増えている事も,その要因だと思う.

ただし,客観的お墨付きを得る為,国民の政治家への不信感をかわす為,政治家の責任逃れの為,政治家の力量不足の為,弱小政党の意見反映の為,などの為に,第三者機関が増えているなら,代議政治の根本が崩れる事になるのである.

そんな中で,最近,どう見ても,設立目的,役割,責任が,はっきりしない第三者機関が出て来た.その一つが『原子力規制委員会』である.委員会の役割,権限が不明確なのである.結果的に,再稼動可否の意思決定プロセスがはっきりしないのである.これに設置自治体や原発事故に対する有事体制の問題が絡むと,さらに意思決定プロセスが混沌となるのである.

そもそも,原発は高度な専門性を含む上に,国際政治とも関係する.何よりも,国民生活に密着しているのである.こんな広範な関係を持つ原発問題に対峙していく為には,当然,規制委員会を立ち上げる前に,有事の事も含めて,組織全体のデザインや意思決定プロセスの設計が必要なのである.

福島原発事故で露呈した,日本の原発関連組織のお粗末ぶりに反省もなく,付け焼刃で原子力規制委員会を作る事を見るにつけ,この国は原発を持つ資格もないのかもしれない.余りにも米国などの組織体制と比べ,お粗末すぎるのである.

又,先の国会で決まった社会保障国民会議も同じである.政党・政治家に左右されない客観的な立場と専門的な立場で,将来の社会保障の在り方を議論し,方針を出す事の様だが,今のところ,原子力規制委員会と同じように,さっぱり,国民会議の仕組みが見えていないのである.

この二つの例は,どうやら,緊急の追求をかわす為に,とりあえず,第三者機関を作って,そこに検討を振った感じである.政治家の敵前逃亡に等しいやり方である.こんなことを繰り返すなら,あらゆる難問に対し,『第三者機関で考える』と言ったらどうだろうか.政治家で決められないなら,代議政治が空洞化しても仕方がないのである.まさに『政治家が招く民主主義の限界』である.

この二つの例と同じ事が,既に,東日本大震災や福島原発事故の時にあった.無秩序に,泥縄で,本部や委員会を多く発足させ,混乱を招いた事は記憶に新しい.どうやら,第三者機関や委員会を立ち上げ,防災服を着て会議をする事で,政治家の取り組みのアリバイ作りにしたかったようである.まさに有事の統治機構が全く出来ていない恐ろしい実態を露呈したのである.

ちなみに,各国の第三者機関の扱いであるが,イギリス,カナダは行政機関に属さず,外部に独立して存在する.この第三者機関はあくまでも行政の監視を目的にしており,行政権には介入しないと言う原則がある.オーストラリアは独立して権限を行使する内閣に置かれた政府機関である.アメリカは行政機関に属する第三者機関は設置されていないのである.

以上,民主主義の限界を示唆している『第三者機関依存症』の問題を取り上げた.民主主義の精神,制度の中で,平時・有事を含めた,日本の統治機構の見直しが絶対必要だと強く感じるのである.その上で,しがらみを断ち切って,平時も有事も安心できる統治機構を構築すべきなのである.

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298 迷惑防止条例 (卑猥な行為の禁止)への屁理屈

スカートの中を覗いたり,盗撮して,迷惑防止条例違反(卑猥な行為の禁止)で,自業自得とは言え,どれ程の男性が人生を棒に振った事だろうか.

この種の事件を聞くと,被害者には失礼だが,正直,加害者の人生が心配になる.余りにもダメージが大きいからである.そこで,この種の事件について,何故そんな事をするのか,それを取り締まる条例に問題はないか,との視点で,思考トレーニングをしてみたのである.

①なぜ,スカートの中を覗いたり,盗撮をするのか.

・見えそうで,見えないものを覗きたくなる心理,
・覗いたらダメだと言われるほど,覗きたくなる心理,
・やったらダメと言われるほど,スリルを感じてやってしまう心理,
・嫌がる事をやって,その反応を楽しむ心理,


等は,スカートに限らず,人間が持つ本質的な心理ではないかと思う.勿論,子供にも,女性にも,そんな心理があると思う.
ましてや,スカートをはいた,美しく,性的魅力を感じる女性を見ると,この様な心理が後押しして,スカートの中を覗いてみたくなるのだと思う.

この覗いたり,盗撮したくなる心理が起こったとしても,普通は相手への迷惑や自分にふりかかる罪の大きさから,理性が働いて,行動を起こさないものである.

問題は,それがバレないと思ったり,バレるかもしれないと言うスリルを感じた時,理性が働きづらくなるのである.そんな人は麻薬の様に,バレるまで,理性が働かない常習者になってしまうのである.もちろん,写真の販売目的や脅迫目的で盗撮すれば,迷惑防止条例ではなく,刑法で処罰されるのである.

一方,女性の方だが,覗かれたら不快感や羞恥心を抱く女性でも,スカートの中に,スパッツやホットパンツ等をはけば,法律で罰する程の迷惑を感じないかもしれないのである.フィギュアスケート,テニス,チアガールのコスチームと同じである.それとも,何をはいていようと,覗かれたり,盗撮される事が処罰になるくらい,いやな事なのだろうか.

そもそも覗く男性が悪いのだが,女性も,そんな犯罪を誘発してしまうような服装をひかえれば,女性も,いやな思いをしなくて済むし,男性も,人生を棒に振らなくて済むと思うのである.

ところで,『日本の若い女性は無防備な服装が多い』と,外人から聞く.治安が良いからかもしれないが,『子供の頃からのファッション教育』がないからかもしれない.そうだとすれば,いっその事,公衆の場に於ける,『女性のドレスコード』が必要かもしれないのである.しかし,ジーパンにスカート,車引きスタイルにスカートは勘弁して欲しいのだが.

②迷惑条例と言う法律に問題点はないのか

自治体で制定される迷惑防止条例の中の『卑猥な行為の禁止』に関する条文は,大体,こんな内容である.(自治体によって違う)

(1)人を著しく,羞恥させ,又は人に不安を覚えさせるような方法で,公共の場所又は公共の乗物において,衣服等の上から、又は直接人の身体に触れること.


(2)人を著しく,羞恥させ,又は人に不安を覚えさせるような方法で,公共の場所,又は公共の乗物における衣服等で覆われている人の身体又は下着を見,又は撮影すること.

(3)みだりに,写真機等を使用して透かして見る方法により、公共の場所又は公共の乗物における衣服等で覆われている人の身体又は下着の映像を見,又は撮影すること.

(
4)みだりに,公衆浴場,公衆便所,公衆が利用することができる更衣室その他公衆が通常衣服の全部又は一部を着けない状態でいる場所における当該状態にある人の姿態を撮影すること.

(5))前各号に掲げるもののほか,人に対し,公共の場所又は公共の乗物において,人を著しくしゅう恥させ,又は人に不安を覚えさえるような卑わいな言動をすること

これらの自治体の条例は刑法で定める程の犯罪ではなく,身近な行動に関する禁止事項中心でその分,誰もが,違反行為と隣接しているのである.従って,例え微罪であっても,人生を棒に振る危険性が高いのである.しかも,条文がかなり曖昧さを含んでいる為,解釈によっては違反の有無が左右されるのである.

そこで,スカートの覗き,盗撮を禁止した(2)の条文について,屁理屈を屈指して,曖昧さを指摘してみたい.

A.人を著しく,羞恥させ,又は人に不安を覚えさせるような方法で・・・.

この方法とはどんな方法なのだろうか.じろじろ見るとか,強制的に見る,覗く,事を言うと思うが,条文の上では,一般的に思われている方法を指しているのか,被害者が不快を感じる方法を指しているのか,言い換えると,非親告罪なのか,親告罪なのか,はっきりしないのである.

しかも,一般的な方法とすれば,それはどんな方法が該当するのか,或いは,方法が被害者の『著しく羞恥させ,又は不安にさせる』と言う感情に依存している場合は,どうやって,その感情を証明するのか,不明である.

この条文ではっきりしている事は,一般的にしろ,主観的にしろ,迷惑だと思われなければ違法の方法にならないと言う事である.

更に屁理屈を言うと,この条文の『人』の定義も曖昧である.女性を言うと思うが,一般的な『人』を指しているのか,女か男か,はっきりしていないのである.

B.公共の場所,又は公共の乗物における・・・

場所が犯罪構成要素になっているが,お店や自宅等の私有地の中だったら,罪にならないのか,などの屁理屈が考えられる.

C.衣服等で覆われている人の身体又は下着を見,又は撮影すること・・・・

違法になる方法で,違法となる場所で,覗いたり,盗撮したとして,この文章にも,いくつかの屁理屈的疑問がある.列記してみたい.

『衣服等で覆われている』とはどういう状態を指すのか,ひらひらしたスカートの場合も,これに該当するのか.

『人の身体,又,は下着』の人とは男か女か,年齢は,身体とは,どこを指すのか,更に,下着とは何を指すのか,ホットパンツ,スパッツ,ブルーマも下着となるのか,

『見,又,撮影』とあるが,見る,撮影,とは,行為を指していると思うが,それだと,身体や下着が見えなかったり,映っていなかった場合でも,違法となるのか,『見た』をどうやって証明するのか,『見る』,と『撮影』に罰則の差はないのか.

D.この条文の成立条件(A AND B AND C)

この条文によれば,A(違法な方法で)and B(こんな場所で)and C(これをすると)が成立した時,違法になる.三つの定義が曖昧だと,三条件が揃うのはきわめて難しい事になる.迷惑防止条例を簡単に,意図的に,使われないよう,難しくしているのかも知れない.

一方では,実際は『迷惑な覗き,盗撮行為』は違法だとして,他の条件は厳密に判断されず,裁量次第になっているのかもしれない.

勿論,見えているものを見る場合は,覗きにならず,見られている方の自己責任となる.それを無断で撮影する場合は,肖像権違反か何かになると思う.

このように,迷惑防止条例は,身近な行動に隣接した法律で,微罪だからか,羞恥とか,不安とか,見るとか,人とか,身体とか,下着とか,言葉の定義が曖昧な事が多く,条文も,単純で稚拙に感じるのである.

しかし,いくら,迷惑防止条例が稚拙で微罪だとしても,人生を棒に振るくらい大きなダメージを与える点では刑法と同じである.実際,起こっているスカート覗き事件は法的に微罪とは言え,こんな屁理屈までも吟味して法的判断をしているのだろうか.

常習犯でない人が,衝動的に覗いた事が世間に知れ,恥ずかしさの余り,反論も出来ず,微罪の判決を受け入れて,人生を棒に振った人が,どれ程いるだろうか.自業自得にしては,心が痛む事件である.被害女性の考えも聞きたいくらいである.

そこで最後に,次の例で,この条文の曖昧さ,適用の難しさ,を示しておきたい.

中年のサラリーマンが,『上り階段で,ひらひらとしたミニスカートをはいた若い女性を後ろから見上げた.太ももとホットパンツが見えた.それに気づいた連れの男性が『覗いたな』と怒って,駅員に突き出した.

その女性は羞恥心はなく,助平なオヤジだと軽蔑した態度で,連れの男に従った.中年のサラリーマンは『上を見たら見えただけだ』と小さな声で反論した.

『見られたらいやなら,そんな格好をするな』と内心思ったが,見たいという助平心があった手前,そんな啖呵を切れなかったのである.

さて,迷惑防止条例では,どんな判断がされるのだろうか.少し疲れる話になったが,『屁理屈を含めた,思考力』のトレーニングになれば幸いである.

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2012.09.21

297 尖閣諸島をめぐる独裁国家中国の手口とその対処

2010年9月7日に起こった『尖閣列島における中国漁船の領海侵犯事件』に対し,当ブログNO227 『ナショナリズムとグローバリズムと中国』の中で,『グローバリズムを人質にするナショナリズム』,言い換えると,『自由経済を人質にする独裁政治』,更に言えば『民主政治を駆逐する独裁政治』で起こる,いわゆる『チャイナリスク』を批判し,このままでは,中国は国際的に信用されない,邪魔な国になると予見した.

今回発生した中国による領海・領土侵犯と中国の言い分は前回と全く同じ態度だが,反日感情と報復は前回より露骨で過激さを増しているのである.ナショナリズムを煽って,日本国旗を燃やしたり,日本企業を破壊したり,不買運動を繰り広げたり,政治家同士はおろか民間までも交流を打ち切ったり,何か100年前の時代にタイムスリップした感じである.3000年の中国の歴史からすれば,近代国家に100年遅れていても,些細な時間かもしれないのである.しかし,それに付き合わされる方としては,迷惑千万なのである.

いずれにせよ,『尖閣諸島領有権を主張する中国の一連の動き』は,政界第2位の経済大国,国連の常任理事国,WTO加盟国,とは,とても思えない幼児性を感じるのである.まさに上記NO227の指摘通りである.

そこで改めて今回起こった,日本政府の尖閣列島の国有化に端を発した,中国漁船の領海侵犯,中国運動家の尖閣への上陸,上陸者の逮捕と国外追放,反日感情と一体となった報復,の概要について,備忘録的にまとめてみた.

・中国の正当性,日本の違法性を世界へ発信(中国政府,中国メデア)
・多数の中国漁船監視船の接続領域での巡回,日本領海侵入(中国政府?)
・大量の漁船の尖閣集結と領海侵入の可能性示唆(中国メデア)
・中国各地での一斉の反日デモの発起と一斉の鎮静化(官制デモか)

・在中日本企業,日本大使館の器物破壊,強奪(愛国無罪,警察傍観?)
・日本企業の中国人従業員の職場放棄(愛国無罪)
・日本国旗の焼却や日本総理大臣への侮辱(愛国無罪,警察傍観?)
・在中邦人への恐怖感拡大
・日本企業への『尖閣は中国の領土』の旗掲揚の要請(中国公安?)
・いろんな罪状による邦人の逮捕(中国の公安?)
・レアアースの日本への輸出抑制(中国政府機関?)
・日本品の通関検査の遅延行為
(中国政府機関?)
・日本へのサイバー攻撃(愛国無罪)
・日中催事,会議,政府間交渉,等の中止要請(政府機関?)
・日本への中国人の旅行自粛,日本製品のボイコット

これらの一連の中国の行動は,尖閣の実行支配を日本にさせない為,尖閣諸島の領有権を確実に手にする為,更には,アヘン戦争以来の列強の侵略や日本の侵略に対する復讐と中華思想の復権の為,など,歴史認識とも連動して,中国全土で反日行動が起こっているのである.

どの先進国でも,勿論日本も,政治家の論議は公開され,経済制裁などの報復処置が必要な場合は公表される.一方,中国の公式な発表は報道官による,いつもの,相手に責任を転嫁した,高飛車の言い方の発表だけである.よくもそんな事が言える物だと,あきれるのである.

まさに『政府は絶対謝罪しない,嘘も平気で言う,相手に全ての責任を押し付ける』とよく言われている性格が丸出しである.

国内向けを意識してこんな風に言っているのだと思うが,同時に,こんな風に,国民を洗脳し,国の正当性を鼓舞している事を我々に見せている感じがするのである.北朝鮮,韓国も全く同じだが,政治家がどんな議論をしているのか,全く日本からは見えないのである.

その事もあって,不信感が湧くのだが,上記のような一連の動きは,政府の自作自演のシナリオに見えるのである.そのシナリオはこんな感じだろうか.

デモ,暴徒,反日感情による経済報復など,政府は関与していないとして,何が起こるか分からない恐怖心を相手国にまき散らす.一定の脅迫効果が出ると,今度は政府は,原因は日本にあると言いながら,デモや暴徒の鎮静化に乗り出す.そして,ピタッとデモが止まった事で,正義の覇者のような政府の取り組みを世界にアピールするのである.

こんなシナリオは,今回ばかりではない.歴史認識による反日感情を煽って,外交圧力をかける手法は依然から繰り返されているのである.まさに,独裁国家ならではの戦術である.この精神の根底に,長い戦乱の歴史を生きてきた習性があると思う.

そんなわけで,今回の全ての行動に,中国政府がどの程度絡んでいるのか,政府もマスコミも,是非,調査して欲しいと思う.いずれ損害賠償問題でも,これが必要になるのである.

中国や韓国もそうだが,歴史認識や大衆のデモを絡めて,領有権を露骨に主張する程,無理な,こじ付けの主張に見えて来るのである.いづれの国も,サッカーの試合で,反日感情で判定して,試合に勝とうとしているように見えるのである.

歴史事実やその認識をぶつけあえば,国際社会は成り立たなくなることは世界中の常識である.だから,歴史認識の違いがある事を認めた上で,問題解決に当たる必要がある.領有権問題に対する国際法の考え方も,歴史認識ではなく,国際的な条約や法的証拠で判断する,としているのである.(当ブログNO293緊迫化する領土問題で発信済み).

日本は北方領土でも,竹島でも,尖閣諸島でも,日本が領有権を強く主張する為に,これまで,中国や韓国のような露骨な事はしていない.それは,弱腰だからではなく,あくまでも理性ある法治国家として,客観的な法的事実で平和的に解決をしたいと思っているからである.戦後の歴史を見ても,日本の姿勢は,明らかである.このことを世界にアピールすべきだと思う.

問題は,いかに平和的に,論理的に,主張しても,戦前の思考レベルにとどまっている国に,これが通用するかどうかである.従って,一方では,実効支配をされないよう,防備も必要なのである.

日本としては,そんな国を相手にするわけだから,大変な事だが,愚直に,具体的に,政府やマスコミは次の事をやるべきだと思う.

・中国の一連の行動を日本政府,マスコミ,あるいは有識者が世界に公表する事,
・ナショナリズムむき出しや暴力では国際問題は解決しないと主張する事,
・領有権に関する事実や国際法にもとづく日本の主張を世界に発信する事,
・中国の国際法やWTO違反を世界に公表し,その厳守を中国に要請する事.
・チャイナリスクの実態を世界に公表し,その撲滅を中国に強く要請する事,
・チャイナリスクによって,日本初め世界の企業の撤退もあると示唆する事,

・渋沢栄一の儒教による『道徳経済合一』の教えを逆輸出する事,
・領海・領土侵犯に関する日本の法整備を急ぐ事,
・日米安保体制を示し,軍事的摩擦を抑止する事,

それでも,中国が領有権を主張し,圧力をかけて来るなら,日本は堂々と国際裁判で受けて立つ,と宣言すべきである.

これらを通じて,中国が大国として,世界に信用される国になるよう,厳しく追求して行くべきだと思う.アジアや世界の安定の為に必要だからである.

一方,現体制で13億人を統治する事の限界が根本にある感じもする.上記の様な中国の一連の行動が中国の統治の為に必要な事だとしたら,まさに,統治の限界を超えていると言わざるを得ないのである..

その意味で,ソ連崩壊やベルリンの壁崩壊の様に,中国の民主化や国の分割がなければ,中国は変われないのかも知れないのである.中国の最大の課題である.それが解決するまで,待つのも,日本や世界の選択肢かもしれないのである.

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2012.09.19

296 民主主義政治の限界か『限りなく続く歳出拡大』

財務省が2013年度予算案の概算要求を締め切った.一般会計の要求総額は98兆円に上がり,別枠の東日本大震災の復興支出4.8兆円を含めると,103兆円に達する.復興予算で言えば5年間で19兆の当初の見込みを突破する公算大なのである.

先日,NHK特集で,東日本復興予算の使われ方を取り上げていた.法律の抜け穴を使って,復興とは無関係,或いは,こじ付けたの事業に2兆円程予算が付けられていると言うのである.一般予算では取れない事業が,ハゲタカかのように,この復興予算に群がっているのである.

5年間で19兆の復興予算の財源を25年間の所得税の増税(4%),10年間の住民税の増税(4%)としているのだが,財務省はこの財源に一般予算では取れない事業を振り向けた感じがするのである.

どうやら,赤字国債まみれの一般会計予算を抑制する為だと思うが,増税を財源とする復興特別会計を,一般事業も使えるように,復興基本法のなかに『活力ある再生の為』の文言を加えたのである.この瞬間,国民が思う被災地の復興の為と言う大儀が一般会計の大儀に摩り替わったのである.まさに復興予算は『使途が自由な基金』を経由した『一般会計予算,特別会計予算』なのである.

これでは,19兆の増税が復興の為と思っている国民からすれば,『騙された』と思うのは当然である.こんな事なら,執行停止も含めて,長期の増税も,復興予算もやり直しである.

民間への補助金を目的外使用すれば公金横領である.同じように,役人,議員が復興基本法を悦脱して,予算を使えば,間違いなく,公金横領である.補助金並みに糾弾すべきだと思う.

国民からすれば,過去の予算や増税も,こんな形で国民を騙してきたのではないかと,不信感が募るのである.これでは,建前は『法治国家』だが,抜け穴によって『放置国家』になっているのである.

又,この前の通常国会で決まった消費税増税法案も,全て社会保障に使うと言っているが,それなら,これまで社会福祉に使っていた財源(赤字国債)がいらなくなる筈であるが,どうやら,その財源は他の新規事業に回すらしいのである.

だとしたら,消費税増税は社会福祉の為ではなく,他の新規事業の為とも言えのである.そうなると,増税分だけ,歳出が拡大する事になる.しかも,増税したからと言って,赤字国債発行が減るわけでもなく,財政再建には繋がらないのである.いづれ,消費税増税後の歳出規模,赤字国債発行規模を見ると,国民は騙された事を知る筈である.

そもそも,政治家,役人は予算確保に奔走する事はあっても,必死に『歳出の吟味』や『歳出の抑止』,更には,『歳出の削減』に奔走する事は無いのである.いろんな大義を掲げて良くも悪くも『歳出拡大の政治』を続け,国民も許容して来たのである.当然,政治家,役人の仕事は『事業を拡大する事』になったのである.

だから,借金が莫大になっても,大規模な増税が必要になっても,返済で未来の在民の可処分所得や政策の選択肢を奪っても,財政破綻,経済破綻の危険性が迫っても,彼らの仕事からすれば,本心は『知った事ではない』,『背に腹は代えられない』のである.

このままでは,地獄に落ちるまで,『限りなく歳出拡大が続く』のである.まさに『ゆでガエル』である.今までの『放置国家的民主主義政治』は,もはや限界だと思うのである.

『限りなく歳出拡大が続く』事は『限りない借金と増税を続ける破綻への道』である.これから日本に必要なのは『歳出削減と経済成長への道』である.厳しい選択肢であるが,これしか選択肢は残っていないと思のである.これに向けた,国民,政治家,役人の意識改革と政策転換が必要だと思うのである.

一方では,日本には安全保障,防災,災害復興,社会保障,社会インフラの再整備,原発事故補償,使用積み核燃料処理,等に限りなく青天井の歳出拡大要因がある.『歳出削減』,『経済成長』の実現なしに,これらへの対応は不可能である.その意味で,この政策転換は国の存亡に関わる『安全保障テーマ』なのである.

ところで,借金は,経済理論で可否の判断が出来ても,民主主義理論では『否』なのである.民主主義の理論では,借金で未来の国民の主権在民権を縛ってはいけないのである.勿論,日本の財政法の精神も借金に対しては抑制的なのである.

従って,GDP比で国の借金を見ると,国民の民主主義の意識レベルが判ると言われている.これによれば,日本は,経済が発展しても,民主主義の意識レベルが低いと言う事になる.だから日本的社会主義を形成して来たのかもしれない.『経済は一流,政治は三流』にも符号するのである.民主主義の意識レベルを上げる為にも,この『歳出削減』は不可避なのである.

この『歳出削減』を進める為に,意識改革,政策転換だけではなく,次のような制度面での対応も必要だと思う.

①一般会計予算の経費(固定費,支援費)と投資(期待効果事業)の分離
②予算内容,執行内容の厳密な精査プロセスの確立(行政丸投げの防止)
③総額での赤字国債発行の廃止(事業毎の財源の明確化,意識化)

④国家予算構想を明示した選挙公約(予算構想の信任,公約の裏付け
⑤効果的予算の編成と執行管理の為の地方分権化(集中の限界)

以上,『限りなく続く歳出拡大』を許す今までの民主主義政治はもはや限界である.今後は『歳出削減と経済成長』を目指す意識改革,制度改革,政策実行に,日本の運命がかかっていると思うのである.次の総選挙で是非,この事を国民に問うて欲しいのである.

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2012.09.16

295 気になる『論語』の事

文化が社会に浸透すると,そもそもの事など気にしなくなる.論語の教えもその一つだが,恥ずかしながら,私自信も,論語の知識が乏しく,中国や韓国で論語がどんな形で生きているのか,日本でどんな歴史を刻んで来たのか,余り知らない.そこで,付け焼刀ではあるが,『論語と日本人の関わり』につて,初歩的な程度だが,改めて勉強してみた.

私は高校時代,漢文の授業を受けた事がある.諸橋轍次博士(漢学者,大漢和辞典・広漢和辞典の編者,三男が三菱商事の社長,会長)の教科書で,確か親戚に当たる方だったと思うが,諸橋先生から,氏曰く『・・・』と学んだ記憶がある.

論語が現在,学校でどうなっているかは知らないが,長い歴史の中で,消える事もなく,現在でも広く引用される事に,改めて論語の偉大さを感じるのである.

日本に論語が伝来したのは欽明天皇の頃と言われている.実際は,中国3大宗教である『儒教,仏教,道教』が渾然として渡来したと思う.敢えて言えば,全てを包含した道教が百済から渡来したと言うのが正しいかもしれない.飛鳥・奈良時代のお寺や仏像を見ると,まさにシルクロードの終着地として,色々な模様やデザインが入り混じっているのである.中国においても,当時,儒教,仏教,道教をどれだけ区別していたかも疑問である.

この時代,百済や唐の文化・文明を積極的に受け入れたり,律令国家を作ったり,中国の都を模して藤原京,平城京を築いたのも,日本が百済や唐の侵略や文化・文明に脅威を持っていたからだと思う.だからなんとしても,国威を示す必要があったと思うのである.

西洋文明が押し寄せた明治時代の文明開化も,これと同じ,列強への国威発揮であったと思う.戦後のアメリカの文化・文明の流入は,アメリカ文化・文明への『憧れ』が牽引したと思う.

ところで,文化を反物で言うと,反物の強さを発揮するのは縦糸である.西陣織などは何千本の縦糸があると言う.そして,模様を編み込むのが横糸である.そこで,今も日本の文化として残る神教や中国3大宗教が縦糸,明治の西洋文化,戦後のアメリカ文化は横糸とすると,まさに,日本文化は『和洋折衷,和魂洋才の反物』だと言える.しかも,この反物は,文化伝来の終着地として,世界の文化のエキスで出来上がっている,とも言えるのである.

さて,論語に話しを戻すと,日常のTPOに応じて,自然に論語が口から出てくると,博識な知識人,教養人と見られたりする.一方,付け焼刃に,論語を引用すれば,逆に見せ掛けの教養人と見られたりする.それほど,論語は日本人の『教養の物差し』として,存在しているのである.

この論語は,2500年前(中国春秋時代の末期)の孔子とその弟子達の言行録である.10巻20編512章からなるが,極めて短い文章ばかりなので,原稿用紙で言うと30枚程度だそうである.しかし,後世の学者がつけた注釈によって,分厚いイメージが持たれていると言うのである.

内容は,政治哲学,人生哲学,を説いた指導書であり,この論語が経典となって,儒学とか儒教となって,更に仏教や道教にも補完的に混ざり合って,世に広がって行ったのである.

儒教は超俗的要素がない事から,宗教ではないと言う学者が多い.一方,他の宗教と同じような,独自の死生観を持っている事から,宗教であると言う学者もいる.

儒教が宗教と言われる理由は,先祖祭祀,葬儀,墓,と言う概念を持っていたからである.しかも,『輪廻転生』と言う死生観で,この概念を持っていない仏教が,これを取り入れたのである.

又,儒教にとって重要な施設として,孔子廊(孔子を祀った霊廊)が,朝鮮半島,ベトナム,日本,東アジア各地に建設されている.この施設も寺院のようであり,宗教色を感じさせるのである.

さて,この論語であるが,独特の概念を持っている.

『考,仁,徳,礼,中庸,和,義,君子,小人,忠』などの概念である.儒教思想の根幹は社会の基本単位である家族と,その祖先の祭祀にある.それが『考』の概念であり,祖先祭祀,子孫繁栄,親への敬慕,等が教えになっているのである.この家族,先祖への『考』が,社会に向けられた時,『仁』,『礼』と言う概念に広がって行くのである.ちなみに,神教にも先祖祭祀,子孫繁栄の教えがある.

ところで,哲学とか宗教は,個人の思考や言動に大きな影響を与えるだけではなく,社会の『秩序や統治』の為に使われてきた.そこで論語,儒教の教えが日本社会に,どのように影響を与えて来たのか興味が湧くのである.

そこで,『日本人と論語の関わり』,『日本の資本主義経済と論語』,『現代の政治家,経営者と論語』,について,浅学ながら,自分なりに要約してみたのである.(参考文献『おとなの論語』徳間書店発行)

①日本人と論語の関わり

論語は日本に伝来以来,朝廷の漢文,教養,哲学,書として読まれていた様である.聖徳太子の憲法17条にも論語の影響がある.

その後,室町時代の武家政治において,武士の教養が求められるようになり,関東に最高学府足利学校が設立され,本格的な儒学の教育が始まった.全国から数千人の子弟が集まって英才教育を行ったと言う.乱世が始まると兵学教育中心の士官学校に様変わりして行った.

戦国時代,武闘派の肥後の加藤清正は論語の教えに従って乱世を生きたと言う.家康は天下の統治に当たって,この儒教による『徳による政治』を考えた.儒教は『礼』を重視し,これによって,天と地が絶対に入れ変わらないように,君主と家臣,父と子,は永遠に逆転しない,事から下剋上を防止できると考えたのである.

8代将軍吉宗は実学や蘭学を奨励した為,儒教(朱子学)は衰退するが,11代将軍家斉は幕府の再建の為に,役人の教育機関を直轄し,朱子学を正当の学問としたのである.

その後,『知行合一』の精神を大切にする陽明学が理論優先の朱子学を批判し,大塩平八郎の様な幕府に不満を持つ人々に受け入れられた時期もあったようである.

幕末のペリーの来航で,幕府の権威が失墜する事になるが,朱子学の『将軍は天皇の臣下』と言う教え(尊王思想)の影響もあって,大政奉還につながって行くのである.

明治維新後,急激な近代化によって,道徳が乱れたことを憂いた明治天皇は小学校の『修身』(道徳教育)に儒学的要素を盛り込んだ.私学でも,漢学を専門にする学校が設立された.

東京では,『安井息軒の三計塾』,『三島中州の二松学舎』,岡山では,『山田方谷の刑部塾』,京都では『草場船山の敬塾』等である.この中で長く存続し,大きな影響力を持っていたのが『二松学舎』である.

この『二松学舎』は『洋学盛行,漢学絶滅,に慨し漢学の為』に,三島中州(最高裁判事)が開校した学校である.西洋の文化を認めながら,古来より大事にして来た『仁』,『義』,『礼』を失ってはならないと考えたのである.

この学舎で学んだ人に,夏目漱石,犬飼毅,加納治五郎,がいる.又,『道徳経済合一』を説いた渋沢栄一は第3代舎長に就任している.三島中州が唱えたの『義利合一』と同じ考えであったからである.第5代舎長は吉田茂である.学舎の顧問であった岳父・牧野伸顕(吉田茂の妻,雪子の父,大久保利通の2男)の関係だと思うが,本人も幼少期から漢学を学んでいたと言う.吉田茂が政治家として長期間,活躍できたのは漢学の影響だと言われている.

②日本の資本主義経済と論語

『左手に論語,右手に算盤』を持った日本資本主義の創始者,渋沢栄一は幕末,明治,大正,昭和初期,を駆け抜けて,『道徳と富は相反しない』『道徳と経済は不可分の関係である』,いわゆる,『道徳経済合一』を説き,日本経済発展の基礎を築いたのである.

この『道徳経済合一』の系譜をたどると,二宮尊徳の『経済道徳融合説』に行き着く.二宮尊徳は『道徳を忘れた経済は罪悪だ』と提唱していたのである.これを実践したのが渋沢栄一と言う事になる.

渋沢栄一は『富をなす根源は仁義道徳』,『正しい道理の富でなければ,その富は永続出来ない』と端的に述べているのである.

日本の近代化を主に教育面で方向づけた人物が福沢諭吉なら,近代日本資本主義で富国日本の基礎を作ったのが渋沢栄一だと言えるのである.

③現代の政治家,経営者と論語

論語は,世の中の動乱期に,よく学ばれてきたと思う.儒学者は日本の戦争,戦後の政界・財界にも影響を与えてきた.政界の黒幕と言われて来た儒学者,安岡正篤は『日本精神の研究』,『天使論及官吏論』を表し,昭和初期の近衛文麿,北一輝,山本五十六,蒋介石,等に親交を持った.

又,安岡正篤は戦後の自民党政治家のアドバイザーとして,帝王学を説き,岸,池田,佐藤,各首相を支えたと言われている.財界にも多くの信奉者を持ち,三菱,住友の各グル-プの指南役を務めたと言う.

又,現代経営学の始祖であるドラッカーも渋沢栄一経由で,論語の中の『リーダーの責任』に関する概念に感銘を受け,自らの論理の支柱にしたと言う.

出版物でも,『論語に学ぶ』(安岡正篤著),『使う論語』(渡邊美樹著),『稲盛和夫の論語』(皆木和義著)等が発刊されたり,論語の信奉者が経営者に多い.このように,今も論語は生きているのである.

以上論語について,整理してみたが,どうやら日本人は現在,冠婚葬祭,催事などは仏教,神教,キリスト教の作法に従い,企業経営や行動の道徳は論語に従う感じである.特に,渋沢栄一の『道徳経済合一』の教えは,ビジネシの世界で,『生きた規範』になっていると思うのである.

ただ,日本文化は,西洋文化や経済論理,あるいは法制度との葛藤を続けながら,又,政治・経済の状況に応じて,今後も変化していくと思う.

又,中国,韓国の文化が,どう変化しているのかも気になるところである.もし,現在も,仏教や儒教の文化が色濃く残っていたら,文化は相互に共有出来ると思うのである.さしづめ,中国に渋沢栄一の『道徳経済合一』を逆輸出したらどうだろうか.儒教は中国が本家なのだから.

しかし,当ブ゙ログNO293の緊迫する領土問題で述べている様に,『文化には寛容だが人間関係は排他的』と言う血統主義の特性の通りになっているのも現実である.歴史認識もこの特性の上に乗っかっているのである.このことを知った上で,相互に血統主義を乗り越えた知恵が必要なのである.

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2012.09.08

294 日本の正念場:党首選,総選挙,新政権

赤字国債特例法案,一票の格差是正法案,等,重要法案をいくつか残したまま,参院の問責で,国会は開店休業となり,9月8日,今通常国会は幕を閉じる.

今後の焦点は民・自の党首選,臨時国会,民主党次期政権,そして,最大テーマの解散,総選挙,新政権誕生,連立の新枠組み,に移る.日本の将来にとって,間違いなく,目が離せない重要な政局になる.

この政局で,何と言っても注目されるのは,『日本復活に向けた新政権』が誕生するかどうかである.民主党政権はこの3年間,マニフェスト詐欺,内部抗争,東日本大震災,原発事故,消費税増税,など,国民の信を問うべき事態がいくつもあったが,政権にしがみついて来た.その間,確実に,日本の経済,財政,福祉,エネルギー,安全保障が深刻さを増した.それだけに,新しい権権への期待と注目が集まっているのである.

しかし,民主党は解散したら,政権,議席を失う事を予想してか,解散をせずに,一日でも長く政権や議員を続けたいと,思っているようである.従って,誰が代表になっても,すぐ解散は決断しないと思う.野田総理が再任された場合は,解散するまで『近いうちに』を繰り返すと思う.

『新しい政権への期待』に対して,民主党が,いかに続投の必要性を主張しても,無責任な保身に見えるのである.これまでの『民主党の罪』の前では,もはや何を言っても誰も信じないのである.

日本を思う総理大臣なら,現在の日本の情勢や民主党の罪を考えて,一日も早く,『国民の信を得た新しい政権』を作る事が必要だと考えるはずである.

しかし,総理大臣が自分の党が選挙に負けそうだから解散しないとなれば,日本には総理大臣がいない事になる.総理の専権である『国民に信を問う権利』を自ら放棄する事になる.

そんな民主党政権に対し,自民党にも問題がある.

第一は民主党の党首選前に解散させられなかった事である.自民党は,民主党政権発足以来,民主党の問題を徹底的に攻撃して来た.退陣しなければならない事態も多くあった.

しかし,民主党の『社会保障と税の一体改革』と言う中身のない増税案を三党合意で通してしまったのである.自公は,これを通せば総理は解散すると誤認したのである.しかし,思惑とは逆に,合意以降,自公の迫力が減衰し,民主党の延命を助ける事になったのである.

そもそも,自公は『不退転で取り組む』とした総理の発言を『通したら止める』と誤認した事が間違いだった.普通なら,必死で通す事に取り組むが,『通らなかったら止める』との意味である.ならば,正攻法で民主党の裏づけのない『一体改革案『を攻めて,通さなければ,良かったのである.

第二の問題は,自民党は野党転落を機会に,『自民党の再生』に向けて,自民党長期政権の総括,政治路線,政策,世代交代,等のリセットが必要だった.しかし,小泉政権以後から,今日まで,保守回帰とは言うものの,その姿が見えないのである.

野党と言う折角の『自民党の再生』のチャンスを逃した自民党は,いまだに,賞味期限切れの状態が続いている事になる.これが,民主党の失墜のわりに,自民党への期待が高まらない理由である.この点にも,自民党総裁,執行部の責任は重いと思うのである.

そんな状況の中で,待ちに待った早期解散,政権奪回とばかりに,早くも,自民党総裁選が熱を帯びている.遅ればせながら,上記の問題を認識した上で,党首選の中で,自民党を総括し,政治路線,取り組む政策について,激論を交わして欲しいのである.

単に民主党を批判しても,そんな事は今さらであって,それよりも,今後の事が重要なのである.そうでなければ,総選挙に勝つ大義も生まれて来ないと思うのである.

国民は党首選を総選挙の前哨戦だと見ている.だから,選挙公約以前に,党首選での党内論争を見たいのである.これに,みごとに答えたのが,小泉総裁を生んだ総裁選だったと思う.今回も『新しい自民党で,日本を変える』との意気ごみで,党首選が行わないと,総選挙の勝利に,つながらないと思うのである.

以上の様な,民主党,自民党を尻目に,『大阪維新の会』が国政政党『日本維新の会』を立ち上げた.大いに暴れまわって,日本の将来について,論戦を広げて欲しいと思う.出来たら,新保守勢力を形成して欲しいのである.そして,日本にわずかに残った選択肢である『小さな政府』に向けて,次のような政策を展開して欲しいのである.

『歳出削減』・・・予算編成改革,行政改革,社会保障改革,地方分権,など
『景気回復』・・・金融緩和,デフレ脱却,円安,規制緩和,輸出・成長分野振興,など
『歳入確保』・・・景気による税収増,回収率向上,資産売却,埋蔵金活用,など
『憲法改正』・・・96条(憲法改正条項)改正に始まって,日本人の覚悟の形成

もう一つ,かき回して欲しい事がある.最近の政党が民主党を筆頭に,政策集団ではなく,政治資金集団,自己保身集団,選挙互助会,に見える問題である.こんな既成政党では日本の国難と対峙出来ないのである.日本改革集団である『日本維新の会』が,そんな日本の政治体制も破壊して欲しいのである.

『大阪維新の会』の刺激を受けて,既成政党が存亡の危機を自覚するなら,『真の政党化』に向けて,『志と政策』による,党員の『踏み絵』から始めるべきだと思う.日本の政治を考えると,党の綱領もない『ごった煮政党の民主党』にも,政党助成金が払われる様な政治体制を許してはならないと思うのである.

そして,ゆくゆくは,当ブログNO186,当ブログNO192で述べた様な政治体制(保守,新保守,リベラル)に向けた政界再編が進めば良いと思うのである.

さて,ちょうど,米国も大統領選に入っている.大統領候補者選びも,大統領選びも,あの熱気は羨ましくさえ思うのである.日本の選挙が,これと比較され,今まで以上に,厳しい目で政治家や政党の言動が評価されると思う.日本の既成政党は,ますます,旧態依然では生き残れないのである.

現在,まだ党首選は始まっていないが,『日本をどうしたいのか』,『政治家,政党の真価』が党首選から問われていると思うのである.

追記(9月15日)

民主党,自民党の党首選が始まった.民主党の党首立候補者は野田,赤松,原口,鹿野,の各氏,自民党の総裁立候補者は町村,阿倍,石原,石破,林,の各氏である.

各党の候補者は記者会見,テレビなどで,所信の発表や討論を行った.それを聞いた感想を述べたい.

①民主党は野田総理の続投がほぼ決まりで党首選は低調,自民党総裁選は日本の危機感と政権奪回の熱意で,過去にない中身のある総裁選を展開していると思う

②民主党は,今も引きずる党内抗争の延長線の様な議論,自民党は党の政策を共有しながら,日本の復活に向けた,外交,安保,経済,社会福祉,エネルギーなどへの各自の取り組みの討議,であったと思う.

③日本の在り方が問われている時に,民主党は相変わらずの何周遅れの党内議論をまだやっている感じである.ごった煮政党ならではの必然かもしれない.従って,依然と与党である所見も,政策も,責任も,欠落している状態が続いている感じである.野田総理も相変わらずの人畜無害の話ばかりである.

④結局,論議の視点で言えば,『民主党は党レベル』,『自民党は国家のレベル』,位の差があったと思う.別の言い方をすれば,『民主党は野党以下のレベル』,『自民党は与党のレベル』であった,とも言える.

⑤自民党の総裁立候補者は総理になる可能性があるのだが,どの候補者も国際政治の中でも引けを取らない貫禄とオーラが少し弱い感じがする.なかでも,阿倍候補は総理経験者であり,一歩長じていると思うが,各氏にそれを身につける事を願うだけである.民主党候補には,失礼ながら,その可能性すら感じられないのである.

以上,雑駁な感想を述べたが,総裁選で自民党が与党にふさわしい議論をしても,解散がなければ,選挙にも,政治にも,反映できず,与党にふさわしくない民主党が後一年も,日本の政権を担う事になる.

解散がしばらくないとすると,国民のフラストレーションや国の危機的状況が耐えられるだろうか.これが一番の心配事である.延命に熱心な民主党はそんな心配を感じないのだろうか.

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