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2013.01.18

314 ミュージカル映画 『Les Miserables』を観て

昨年12月から上映され,ゴールデングローブ賞受賞やアカデミー賞にノミネートされ,今,話題のミユージカル映画,158分の大作,『Les Miserable』を観に行った.

言うまでもなく,『Les Miserable』(悲惨な人々,日本タイトルは,ああ無情)は1862年(印象派出現の頃)ビクトル・ユーゴー作のフランス文学の大河小説である.内容は徒刑者ジャンバルジャンの波乱の一生を描いた大作である.このミュージカル映画のあらましは,次の通りである.

フランスのナポレオン1世没落後の1815年からシャルル10世の王政復古までの18年間が舞台である.圧政に苦しんだ貧民の飢餓,犯罪,容赦のない裁判,地獄の監獄生活,等が横行した時代である.

そんな時代の中で,ジャンバルジャンは妹達の空腹を補うためにパンを盗んでしまう.5年の刑を課せられたが,脱獄を繰り返して都合19年間,投獄される事になる.やっと仮釈放されるのだが,ジャンバルジャンは社会から冷遇され,飢餓状態の日々が続く.

そんなジャンバルジャンを司教は暖かく迎い入れ,食事を出すのだが,銀の食器を盗んでしまう.また長い投獄生活が始まるところであったが,司教は,私が与えたものだと申し出て刑を免れる.ジャンバルジャンの人間不信と憎悪の塊は,この司教の慈愛で打ち砕かれるのである.

以来,ジャンバルジャンは『慈愛の心』で生きる事を誓い,事業に専念する.人望を得た人柄が,事業を成功に導き,市長にまで上り詰める事になる.

ある日,自分の工場に勤めていたフォンティーヌが工場を解雇され,売春婦になっている事を知る.彼女は病で命を落とすのだが,責任を感じたジャンバルジャンはその娘コゼットを愛情込めて育てる事をフォンテーヌに誓う.

その後,市長が徒刑中のジャンバルジャンである事を警官ジェルベールに知られ,ジャンバルジャンは地位を捨てて,コゼットと一緒に逃亡生活に入る.

コゼットが年頃になった頃,青年弁護士ボンメルシーと恋に落ちる.ボンメルシーは自由を求める革命組織に属し,やがて組織は決起して,街の一角で籠城する事になる.

その時,ジャンバルジャンを追いかけていた警官のジェルベールが革命組織に拘束される.ジャンバルジャンはジェルベールの処分を自分に預けてもらい,彼を開放したのである.自分を牢獄に送り,長い間苦しめた相手だが,仕事に忠実なだけだったとしたのである.

やがて,革命組織は政府軍に鎮圧される.ジェルベールは多くの青年達の死体を前に,自分の命は慈愛によって救われたのに,彼らは慈愛も受けられず殺された事に心を痛め,法に忠実とは言え,『慈愛の心』が無いままに人々を冷酷に処罰して来た事を懺悔し,命を絶つのである.

この戦いで,娘コゼットの恋人ボンメルシーは重傷を負う.ジャンバルジャンはコゼットの幸せを願って,必死に彼を救い出す.晴れて二人は結ばれるのだが,ジャンバルジャンは自分が徒刑者である事をボンメルシーに明かし,二人から離れる事を告げる.ボンメルシーの引き留めを振り切って,死期を感じていたジャンバルジャンは一人静かに教会に向かう.

ジャンバルジャンは追いかけてきた二人に見とられて人生を終わるのだが,その静かな,安らいだ顔は,人間不信,憎悪を悔い改めて,慈愛を貫いて生きて来た顔であった.二人はジャンバルジャンを神と崇めながら,昇天するジャンバルジャンに手を合わせたのである.

あらましは,ざっと,こんな具合である.子供の頃,知った断片的な物語の記憶が蘇えった感じである.この大河小説は,今まで,多くの映画や舞台で演じられて来たと言う.

残念ながら,この大河小説を読んだ事もないし,過去の映画も,舞台も観ていないので,感想を言う程の知識を持ち合わせていないが,初めてこの映画を観て感じた率直な感想を述べてみたい.

結論から言うと,映像や音響の迫力はすごいが,日本で評判が高いと言う程の感動は受けなかったのである.その理由は次の2点である.

まず,シェークスピアの小説の様な長いセリフをほとんど歌で繋いで行くのだから,どうしても間延びした感じになる.さらに言えば,歌は台詞に抑揚を付けただけに聞こえた事もあって,全く曲の印象が残らなかったのである.

一言で言うと,『ミュージカル映画』と言うより,伝統的な『オペラ映画』である.どうやら,興業的配慮から『オペラ』と言わず,あえて『ミュージカル』とした感じがするのである.

この思い違いもあるが,このオペラ風の映画では,私の趣向や教養では,とても感動には行き着かないのである.

次の理由は,『キリスト教の布教映画』,『キリスト教の宣伝映画』に感じた事である.

キリスト教の信者は,何の違和感もなく,その教えの大切さに,改めて感動するのだと思うが,へそ曲がりの私の感じで言うと,病気を克服して素晴らしい人生を手に入れたドラマを観た後で,それが『青汁の宣伝』だとわかった時の感じに近いのである.

私自身,洋画や洋楽は大好きである.アングロサクソンの多くの洋画や洋楽は,ほとんどキリスト教文化が低辺に流れている事は良く知っている.其の上で,すばらしいと感じる事が多いのである.

それは,決して,青汁の宣伝,キリスト教の宣伝を感じさせないからだと思う.布教,宣伝を目的にする映画なら別だが,娯楽やエンターテイメントの分野で,これが前面に出ると興ざめになるのである.

小説が書かれた1862年の頃なら,宗教的色彩は多くの人々に共感と感名を与えたと思うが,現在の表現としては,場違いの感じがする.むしろ,主人公ジャンバルジャンの不屈の一生を前面に出した方がよかったと思うのである.そんな風に残っている子供の頃の記憶が影響しているのかも知れない.

日本でこの映画が絶賛上映中とされているが,さて,どんなところに絶賛されているのだろうか.それとも,宣伝先行なのだろうか.

この『les miserbles』の映画には,次の様な視点があると思う.

・キリスト教の教えである『慈愛』の視点,
・法と慈愛の葛藤の視点,
・圧政,貧困,荒廃の社会と革命の視点,
・無情を乗り越えたジャンバルジャンの生き方の視点,
・スリルを展開する逃亡者と追跡者の視点,
・貧困と荒廃の中で芽生えたラブストーリーの視点,
・映像や音楽あるいは役者の視点,

さて,感動したと言う人は,どの視点に感動し,絶賛したのだろうか.

今までの『Les Miserables』の映画や演劇がどんな視点で,どんな演出をし,どんな感動を与えて来たのだろうか.昔の小説を映画や演劇にする時,原作のどこに焦点を当てて表現しているのか興味が湧くのである.

何処からか,もっと『素直に映画を見たら』との声が聞こえてきそうである.自分もそう思うが,ついつい,世界的に大作と言われている映画だけに,こだわったのである.

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313 指導者による体罰問題への本質的提言

学校スポーツにおける体罰問題がマスコミ等で大々的に取り上げられ,論議を呼んでいるが,若干,混乱した議論があると感じるので,自分なりに問題点を整理してみた.

先ず,生徒への指導が必要になるケースは,おおよそ次の四つである.

①学級崩壊につながる様な乱暴な生徒への生活指導
②虐めをする生徒への生活指導
③学力向上に関する生徒への学習指導
④競技強化に関するへ生徒へのスポーツ指導

それぞれのケースでの指導方法は,おおよそ次の五つである.

(イ) 口頭注意・説教をする
(ロ) 保護者に報告,相談する
(ハ) ペナルティを課す(罰則,宿題,特訓,しごき)

(ニ) 殴る
,蹴る等の体罰を課す
ホ) 休学,退学,転校,或いは法律で対応する

この中でいくつか課題はある.

まず,(ニ)の体罰であるが,一般社会と同じ様に,その動機,程度,結果によっては犯罪になる行為であり,又,体罰による教育効果はないと言う説も多い.従って,いくら指導の大儀があったとしても,暴力による『愛のムチ』は許されないと言うのが現在の考え方である.

これに異論は無いと思うが,問題は学校のみならず,社会においても,いまだに,精神鍛錬と称して,あるいは,実力向上と称して,軍隊まがいの『スパルタ教育』が残っている事である.又,良い体罰,悪い体罰,等と言いながら,良いとする体罰を許容する風潮もある.

次に(ハ)のペナルティであるが,スポーツで言えば,グランド何周とか,腕立て伏せ何回とか,100本ノックとか,学習で言えば,個別指導や練習問題を課す事,だが,問題になるのは『猛特訓,しごき』である.実質,『リンチ』,『体罰』と変わらない場合があるからである.

以前,相撲部屋で,これで若者が命を落とした事件があった.『特訓』に名を借りた『しごき』,『リンチ』,『体罰』であったと記憶している.この問題も,程度の問題になるかもしれないが,結果責任を考えながら,指導者の良識,指導法が問われる問題である.

次に(イ)の口頭注意,説教であるが,時として人格を無視した叱責をする場合がある.もちろん指導者の指導方法になるのだが,これで,生徒の心に大きな傷を負わせる事もある.いわゆる『言葉の暴力』,『逃げ道のいない叱責』である.その意味では,説教も,事によっては,『見えない体罰』になるのである.

今までの意見を聞いていると,どうやら,体罰も,ペナルティも,言葉の暴力も,『程度の問題』だと言う人が多い.それでは,何も解決しないと思う.本質的には『指導方法の転換』が必要だと思うのである.

ゴルフの岡本プロ,サッカーなでしこジャパンの佐々木監督,野球の桑田プロが言っている事だが,各自が目標を持って,自主的に,本気で練習をし続ける事以外にうまくなる方法はない,強制的な過酷な練習をいくらしても意味がないと.

まさに,教育の原点とは『自主性を引き出す事』にあると言っているのである.この原点に立って指導すれば,体罰など無用なのである.

そこで,伝統的な,『型にはめて,押さえつけて,能力を上げる』指導方から,『自主性を引き出して能力を上げる』指導方に転換しなければならないと思うのである.

ところで,この型にはめる指導法は日本文化と関係していると思う.日本は古来より,滅私,服従,忍耐,忠誠,礼節を重んじる『精神文化』,『修行文化』,『縦社会文化』,で社会を形成してきた.この文化の中で,『体罰文化』が許容され,『問答無用』の指導が当たり前になって来たと思う.

いわゆる『農耕民族の村社会文化』が『個の尊重』,『個の人権』,『個の自主・自立』を『社会にとっては無用』,『仏教で言うと煩悩』として,排除して来たと思うのである.

封建時代や軍国主義時代の『人権意識のない時代』ならいざ知らず,現在においても,上記の様な文化が残っているとしたら『人権の後進国』と言われても反論できないのである.

率直に言えば,『閉鎖的な分野』,『厳しい訓練が伴う分野』,『伝統を重んじる分野』に残っている感じがするのである.その顕著な例がスポーツ分野だと思うのである.

従って,『指導方法を転換』するには,まず『人権に対する意識改革』が必要になる.これなくして,『個の自主・自立』を引き出す指導は出来ないのである.

学校は言うまでもなく,『教育理論の研究と実践の場』である.事もあろうに,その学校で『生徒の人権を軽視』するような指導が行われている事は言語道断である.学校は,文明文化の変化とともに,率先して教育理論を進化させて行かねばならない所である.学校は悪しき文化の継承機関ではないのである.

さらに,もう一つ,対応すべき大きな課題がある.

学校に不祥事が起これば,事実の調査に基づいて,関係者の人事的処分,法的処分,被害者への賠償,クラブ活動停止,廃部,さらに,全教師の異動や入学停止,休校,廃校,等が必要になるし,再発防止も必要になるのである.それほど,教育委員会や学校には,緊張感が必要なのである.

そこで,大きな問題は,教育機関が政治や司法から隔離され,治外法権的に運営されている事から,不祥事を隠ぺいしたり,責任逃れの保身に走ったり,あるいは,子供のいじめ問題のように,見て見ぬふりをする傾向があると言う事である.またしても,『事もあろうに,教育機関が』である.

とりわけスポーツ分野は,学生競技連盟,社会人競技連盟,プロ競技連盟等が組織化され,そこに,指導者,スポーツに進路を決た生徒や父兄,が集まって,大きな閉鎖社会,利権社会が形成されている.従って,不祥事等で秩序が乱れたり,利権が奪われる事を嫌う,まさに,隠蔽体質に陥り易いのである.

この様に考えてくると,『人権意識』や『指導方法』の問題だけではなく,『教育機関の閉鎖性』の問題も議論すべきだと思う.

たまたま,民間のゴルフクラブでの子供の育成をテレビで観た.それによると,小学生から,マナー,スピーチ,英語,を身に付けさせながら,自主的な目標設定と練習,記録,海外での試合,それを通した,コーチによる科学的な問題解決の支援をしていると言うのである.

勿論,プロゴルファーにならなくても,社会人としての人間形成に役立てようとしているのである.この様な民間のクラブが多くあると思うし,これを含めて,『学校や学校スポーツの在り方』の問題も議論が必要なのである.

この様に,広範囲に及ぶ,教育問題は,文化にも関わる,正解も一つではない,大きな問題だけに,『帰納法的発想』での継続的改善が必要だと思うのである.

『演繹法的発想』で,理想的な,あるべき姿を追っても,描ききれないし,描けたとしても,現実と遊離した,『絵に描いた餅』になりかねないからである.

今回の体罰問題でも,学校,塾,クラブ,家庭,のそれぞれの現場で,『帰納法的』に考えて,改善して行く事が大事だと思う.それに取り組んでいるのが,橋下大阪市長だと思う.

教師の体罰による生徒の自殺事件に対し,橋下大阪市長は事の重大性を強く認識し,行政の長としてその責任を深く詫び,同時に,教育委員会や学校に休部,入学試験停止,大幅な人事異動,を要請しているのである.

『帰納法的』な,この突っ込みがなかったら,過去と同じように体罰問題や虐め問題が,闇に消えて行ったと思うのである.

又,『演繹的発想』で『そもそも論』を持ち出して,橋下市長の臨場感と責任感に基づく主張を批判するだけの,『マスコミ,有識者,官僚,政治家』がいるが,その人たちの言動は,問題を先送りするだけで,何の役にもたたないのである.

今後,橋下市長の問題提起を引き金に,多くの体罰事案が明るみに出て来ると思う.これを契機に,『人権意識の問題』,『指導方法の問題』,『教育機関の閉鎖性の問題』,『教育委員会,学校,教師,の在り方の問題』等の議論を進めて欲しいと思うのである.

又,橋下市長は,かねてから,教育委員会,学校に,成績公表問題,勤務評価問題,国歌・国旗問題,や,隠蔽・無責任体質問題,政教分離問題,等を厳しく指摘してきた.これらの問題も含めて,『教育行政の改革』も加速して欲しいと思うのである.

以上,事もあろうに,指導育成を本業とする教育現場で,こんな事が起こるとは,情けない限りだが,教育界は社会と『哲学と価値観』を共有し,徹底した意識改革をして欲しいと思うのである.

そして,教育機関が率先して,『人権の後進国』のレッテルを,一枚一枚剥がすべく,取り組んで欲しいのである.

ところで,2007年10月発覚した相撲部屋のリンチ・殺人事件に対し,当ブログNo117相撲リンチ事件の本質的問題で,日本文化に潜む深刻な問題に触れた.
あれから5年,


・相撲業界に,どんな進化があったのだろうか,
・スポーツ業界に,どんな進化があったのだろうか,
・学校教育は何か変わったのだろうか,

・相撲,スポーツ,学校,も所管する文部省は何をして来たのだろうか.

今度こそ,『人権意識の徹底』,『自主・自立を育てる指導方への転換』,『教育機関の閉鎖性見直し』などに,取り組んで欲しいと思う.

いつの日か,又,うやむやのまま,何も変わらない,日本社会を見る事になるのだろうか.不安が頭をよぎる.

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2013.01.10

312 安倍自民党政権の特徴と課題

安倍自民党政権は党の人材を総動員する形で,内閣及び党内人事を決め一機に新体制に移行した.又,経済財政対策(金融政策,財政政策,成長政策)の司令塔になる経済財政諮問会議と具体的政策に落とし込む,日本経済再生本部(産業競争力会議)も立ち上げた.早速,大型補正予算を組む構えである.

この様に,民主党政権時代とは全く違う,組織力・機動力で政治が動き始めたのである.市場の反応も阿倍政権への期待感から円安,株高が続いているのである.さて,この安倍自民党政権に大いに期待する所であるが,その特徴と課題について,感じた事を述べてみたい.

自民党には小泉改革政権以来,離党者もいるが,守旧派(保守思考・大きな政府)と改革派(新保守思考・小さな政府),が混在している.又,歴史認識・安全保障・教育に関しては,ハト派とタカ派,も混在している.本来なら分離しても,よさそうな派が内在しているのである.この事は,よく言えば,党の幅,国民の支持の幅,維新の会やみんなの党との接点にもなっているのである.

安倍総理自身の中にも,この『守旧的な保守』と『改革的な新保守』の思考が混在し,使い分けている様に見える.小泉改革路線に参画しながら,第一次阿倍政権では保守路線に舵を切った時もそうだったと記憶している.

保守政治批判に対しては改革色をちらつかせ,改革批判に対しては保守色を出してかわす,或いは,改革派・タカ派の凄みをちらつかせて,実際は保守・ハト派の行動をする,領有権問題で言えば,タカ派思考を抑止力として使い,現実はハト派の対応をする,と言った具合である.

どうやら,この二つの思考を持つ事が『政治家の処世術』だと考えている様である.あるいは,思考は改革的だが行動は保守的になる『性格』なのかも知れない.

今回の内閣や党の人事でも,この『総理の処世術』あるいは『性格』が如実に表れている.保守と改革の人材が混在し,『保守路線』なのか『改革路線』なのか,はっきりしない体制になっているのである.

良く言えば,バランスをとった体制である.課題によって使い分けると言う事かもしれない.そんな訳で,安倍政権は保守と改革,タカとハトの『ヤジロベー政権』と言えるのではないかと思う.勿論,ヤジロベーと言っても,批難しているわけではなく,政策のバランスを取る事を意識した政権と言っているのである.

そんな特徴をもって具体的に日本の難題に取り組む事になるのだが,当然,路線が衝突する事になる.積極的財政出動,TPP対応,農政,財政健全化,社会保障改革,離島領有権,集団的自衛権,憲法改定,等でどんな行動にでるのか,興味の湧くところである.

安倍政権は伝統的な保守色を出せば,自民党の先祖帰りだと批判され,改革色を出せば,小泉改革の焼き直しだと批判される.又,集団的自衛権や憲法改正,歴史認識を持ち出せば,タカ派で危険だと内外から批判される,と言った宿命を背負って施策に取り組む事になるのである..

そこで阿倍政権の課題は,政策のバランスを取る為にも,改革色をいかに出すかである.『国土強靭化計画』は公共事業のばら撒きではないと言っても,『自民党の先祖帰り』,『保守回帰』に傾斜する可能性があるからである.

なんとしても,金融緩和,積極的財政出動,成長戦略を進める中に,思い切った改革政策を組み込むべきだと思うのである.例えば,地方分権などによる『行政構造の改革』で無駄な予算を排除し,『規制緩和』,『重点投資』で産業の活性化を進めるべきだと思うのである.

積極的財政出動だけでは,昔の自民党に戻るだけではなく,社会資本投資の限界効用逓減期の現在にはそぐわないし,財政危機が深まるだけになるのである.

其の意味で,日本維新の会,みんなの党もしっかり改革政策を阿倍政権に迫る必要がある.是非,建設的な国会論争を期待したい.

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