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2013.07.31

329 歴史認識の封印より人類の英知の主張を

7月28日付,日本経済新聞の風見鶏欄に編集委員の西田睦美氏は『慎重運転を切に願う』と言うコラムを載せた.その内容は安部政権に,『不本意であっても,歴史認識を封印して,外交問題にさせない慎重な運転を切に願う』と言うものであった.

私の理解だが,どうやら,西田氏は,『今さら多大なエネルギーをかけて,日本としての歴史認識を主張しても,外交上も,国際世論上も,逆効果になる.そんな事をすれば,『ポツダム宣言』,『東京裁判』,『サンフランシスコ講和条約,』,『憲法第9条』,『お詫び外交』,『村山・河野談話』,などを蒸し返す事になるからである.だから,不本意であっても,自らの歴史認識や靖国参拝も封印し,歴史認識の風波を立てずに,それ以外の重要事項に専念すべきだと言うのである.

西田氏は『戦勝国の歴史認識』に疑念を持つ安倍首相に,従来の日本の姿勢を踏襲するよう主張しているのである.

確かに日本は,戦後,敗戦国として『戦勝国の歴史認識』を飲み込み,平和外交,経済復興,経済発展に努めてきた.しかし,『風波を立てない為の妥協』や『沈黙』を続けるうちに,『歴史的史実の誤認』や『ナショナリズムでゆがめられた歴史認識』に対してまでも,反論せず,封印して来た感じがするのである.

その結果,『戦勝国の歴史認識』の『問題点』や『間違い』までも,史実かのように吹聴されているのである.世に言う『歴史は戦勝国によって作られる』と言う現実を目の当たりにしているのである.

それでも『封印を主張する人たち』は,当面は先送りしろというのだろうか,いつまで封印し続けろと言うのだろうか.封印し続ければそのうち解決すると言うのだろうか.あるいは,日本が悪いのだから相手の言いなりになっても仕方がないと考えているのだろうか.それとも,戦勝国が歴史を作る事に逆らえないとあきらめているのだろうか,どうも本質的なところが見えないのである.

私見でいえば.『日本悪玉論』と言う『戦勝国の歴史認識』を日本が受け入れたとは言え,『個々の史実を明らかにする事』までも放棄したわけではないし,もちろん,『ナショナリズムでゆがめられた歴史的史実』への反論も放棄したわけではないのである.

当然,『ナショナリズムでゆがめられた歴史認識』,『日本への愛国無罪の精神』,『日本への侮辱行為』,『外交・経済遮断行為』に対しては,いかに大きなエネルギーがかかろうとも,毅然として,間違いを世界に発信すべきだと思うのである.

『日本悪玉論』を飲み込んだからと言って,何を言われても反論しない,妥協する,自虐的精神は,潔い『日本の美学』かもしれないが,そんな美学を相手国が尊敬するはずもなく,相手国のナショナリズムを満足させるだけなのである.また,その『謙虚さ』は日本の過去に対しても,日本の未来に対しても,『無責任』になると思うのである.

このように『封印』に潜む日本特有の『沈黙は金』,『曖昧の合理性』,『おとなの対応』,『先送り』,『相手を尊宅する』等の日本文化は,国内で通用しても,国際社会の中では決して理解されないと強く感じるのである.

そんなわけで,西田氏の『封印』には疑義を感じるのである.あえて言えば,切に『封印』をお願いするのは『日本の首相』に対してではなく,『相手国のトップ』に対してではないかと思うのである.

さて,西田氏の提言に対する感想はこれくらいにして,この『悩ましい歴史認識問題』について,自分なりに,改めて考えて見た.

そもそも人類の歴史は戦争や侵略の歴史である.そして,歴史認識の対立が戦争の連鎖を生んでいるのである.この連鎖を立ち切る為に近代では、次の対応をし、国際秩序を維持しているのである.これは、戦争の連鎖から生み出された『人類の英知』だと思う.

①歴史認識の差を政治カードにしない(平和、講和条約で政治決着を図る).
②史実及び歴史認識の検証や他国との差を議論する事は自由である.

しかし,この『人類の英知』を無視して,前近代的な,次のような態度をとる国がある.

・『ナショナリズムでゆがめられた歴史認識』を振りかざし,『歴史認識の差を国家運営の手段にしたり、相手国への政治カードにしている国』(ナショナリズム国家)


・『正しい歴史認識なくして未来は語れない』と言って,暗に,『自国の歴史認識を正として,相手国にそれを認めさせようとする国』(自己中国家)

こんなことが,まかり通れば,国際秩序は崩れるし、国家間に未来は来ないのである.

そこで,今日の歴史認識問題の対立に際し,『封印する』とか,『反論する』とかの前に,上記の『人類の英知』に賛成なのか,反対なのか,まず確認する必要があると思うのである.

日本は戦後,壊滅的な戦災を乗り越えながら,米国にも,アジアの被災国へも,未来志向に立って,国づくりや経済発展に取り組んできたと思う.敗戦国ゆえに,言いたい事も,じっと我慢してきたと思う.

一方,相手国について言えば,今でも露骨に反日感情・行動をむき出しにしている.明らかに,『人類の英知』を認めていない事になる.そこで,改めて,この『人類の英知』の賛否を確認すべきなのである.

もし,相手国が『人類の英知』に賛成できないのであれば,いくら日本が『戦略的互恵関係』と言って,未来を語ろうとしても,『日本のご都合主義』にとられかねないし,かえって溝が深まるばかりなのである.『人類の英知』に賛同して初めて,未来が開けてくるのである.残念ながら,この時が来るまで,待つしかないのである.

最後に気になる事に触れておきたい.

ナショナリズムの対立や歴史認識の対立の根底に『血統主義民族特有の性格』があるのではないかと言う問題である.海外どこへ行っても,チャイナタウン,コリアンタウン,日本人街,を作る民族性の問題である.

国籍を血統で決める血統主義は『同一民族で結束する性格』が強いのである.反面,『似た血統民族同士は排他的になる性格』もあると思う.国籍を出生地で決める国とは随分,文化が違うのである.

西洋人に対して血統民族からすると血統を気にする事はないが,類似する血統主義民族同士は結婚を避けるように,本能的に血統に,こだわり,身構えるのである.身構える裏に,民族の保身や優位性の確保,と言う本能が働いているのかも知れないのである.

さらに言えば,この『類似民族間の排他性』だけでなく,『文化にも.俳他性』があらわれるのである.中国,韓国,日本は儒教文化や仏教文化がそれぞれの国で定着し,変化して来たと思うが,そうなると今度は,他国の文化を異質に感じる様になるのである.

民族意識の高さが『ルーツが同じ事への嫌悪感』,『類似性への嫌悪感』,が働くのかもしれない.その国の文化や性格が露骨に出ると,嫌悪感を覚えるのである.

この様に,『近隣の血統主義国家同士』は『民族も文化』も『相互に排他的』だと感じるのである.もし,こんな事が根底にあるなら,政治や理屈では解決できないことになる.『文化交流,人的交流』を加速させて,血統民族の排他性を低くする事しか道はない事になるのである.

しかし,交流と言っても,50年,100年の話になる.その間,双方が,『むき出しのナショナリズムを封印』できるかと言う問題になる.その為にも,上記の『人類の英知』の共有が不可欠になる.この考え方は『民族の排他性を低くする考え方』,『交流を発展させる考え方』でもあると思うからである.

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