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2013.10.31

337 料理の偽装事件に思うこと

2007年10月当ブログ『NO120で食品表示の功罪』で色んな問題を提起した.そこで心配した事だが、今回,有名ホテル・レストランの『料理の偽装問題』が明るみに出た.レストラン側の論理では,偽装の意思はなく,メニュー名やその説明文と実際の食材が違ったのはミスであった,としていたが,いろいろな料理が長期間,間違った表示のままであった事から,単に『ミス』では済まされない問題になったのである.

顧客から,騙されて,高い料理代金を払わされた,と言われても,反論出来ないし,長年培って来た信用も一機に失墜するのである.この事件をきっかけに,多くのレストランでも『同様な事があった』と,次から次に謝罪会見をしているのである.『みんなで渡れば怖くない』現象が全国に蔓延している感じである.

ここで食品表示に関して,私の理解で法制度を簡単に整理してみたい.

・JAS法(農林水産省所管)
農林水産物の規格、品質,の定義と表示に関する制度.あくまでも加工食品が対象でありレストラン等の『料理』は対象外.


・食品表示法(消費者庁所管)
食品衛生法,JAS法、健康増進法(栄養),の表示を統合して消費者に分かりやすくした制度.これも加工食品が対象であり、レストラン等の『料理』は対象外.


この様に,消費者が店頭で買う加工食品に対して,消費者に情報を与える目的で表示制度が作られているのである.

一方『料理』はいろんな食材や調味料を使って調理して出される食品であり,加工食品を対象にした表示法の適用は困難であり,しかも、料理の情報は直接,店に聞く事が出来るとして,食品表示法の対象外にしているのである.

ただ、『弁当』、『おせち料理』は販売店や通販で買えるから,JAS法や食品表示法の対象となるのだが,料理と同じ様に,加工食品ではないし,その適用は困難である.ただし,食材とか消費期間などを値札に表示している『弁当』を見かけた事はある.

私見では,消費者の購入方法ではなく,工場等で,大量に作ったり,輸入される,加工食品』といろんな食材を使って調理する『料理』とを分けて議論すべきだと思うのである.

さて,今回,この料理に頻発している問題は次の三つである.

①料理のメニュー名や説明文と実際の料理の食材が違っていた問題
②未表示のまま加工肉を使っていた問題
③上記①②が多くの有名レストランで行われていた問題

原因はともかく、いずれも『料理の偽装』であり,法的には,人を『騙した行為』である事から,『景品表示法』(民法・優位誤認を招く,不当表示防止),『不当競争防止法』(民法・偽装表示防止),『詐欺』(刑法・個人に対する罰則)等の法律が関係する事になる.

過去に,未表示で『牛脂注入加工肉』を使った料理に『景品表示法違反』が適用されたり、メニュー表示と違う食材を使った料理に『不当競争防止法』が適用された例があると言う.

ところで、『加工食品』や『料理』の事件は後を絶たない.『賞味期限の問題』,『産地・ブランド偽装の問題』,『ブレンド米偽装の問題』,老舗料亭の『食べ残した食材の使い回し問題』,『おせち料理の写真と違っていた問題』,等があった.

しかし,今回,露呈した『料理の偽装事件』は③にあげたよう,特定企業にとどまらず,有名レストランを中心に全国的に行われていたのである.その意味で,今回の事件は,これまでとは全く違った,深刻な問題を社会に投げかけたのである.

そこで,『信用で成り立っている料理』について,次の『二種類のメニュー』に分けて考察してみたい.

①『一般料理名のメニュー』の場合(ステーキ、ハンバーグ,味噌ラーメン、親子どんぶり,等)

料理の内容を示していないのだから,食材、調味料,調理方法,等は自由であり,顧客もそれを信用して食べている.まさにこれが料理の原点である.料理の中身によっては.信用を失う事があるかもしれないが,法に触れる事は無いのである.勿論,違法な食材や表示義務のある食材を未表示で使えば,違法になる.

今回,この一般料理名の料理で発生している問題は『未表示』で,『牛脂注入加工肉』を使用していた事である.味の面では『肉』と区別が付かず,しかも,圧倒的に安い,と言うのだから,『肉と言えば加工肉』が当たり前になっているのかもしれない.表示義務がある事を知らないと言う人も多いと言う.それくらい,『加工肉』は当たり前になっているようである.

そんなわけで,昨今,『安くて旨い肉』が多くなったと感じている消費者は多いと思う.今回の事件で,加工肉の存在を始めて知った人も多いと思う.さて,今後,『加工肉』との表示に,どう反応するのだろうか.知らない方が良かったという人もいるかもしれない.

又,今回,『加工肉』にアレルギー物資があり,アレルギー症状を引き起こす危険性があると言う新たな問題も発覚した.そうなると,『未表示』は単に『景品表示法違反』ではなく,『命に係わる表示違反』になるのである.このことも合って,『加工肉』の表示は徹底される方向になると思う.

では,その他の食材,調味料などに,アレルギー物資が混ざっている場合の表示義務はどうするのか,と言う問題に発展する.アレルギーのある人は店に申し出るような注意書きを貼っている店もあるが,全ての店で表示が義務付けられているわけではない.

さらに言えば,『牛肉以外の肉』たとえば、『ゲテモノの肉』がステーキやハンバーグやラーメンに使われている場合はどうなるのだろうか.

『ゲテモノの肉』を使っていたからと言って,顧客を騙した事にはならない.店側からすれば,『これも料理の内だ』と言うはずである.ならば客が,『どんな食材が入っているのか』と尋ねたら,積極的には答えない事もあるだろうし,『企業秘密』と拒否されるかもしれないのである.

結局『信用出来ないなら食べるな』となるのだと思う.ただし,ステーキやハンバーグ専門店等で,オーストラリア産とかアメリカ産,とか,メニューに表示している店もある.

そこで,『一般料理名のメニュー』の全てに,使っている食材や調味料を表示すべきだという意見もある.又,『加工肉』以外にも,健康被害の可能性がある食材や調味料があれば表示すべきだ,と言う意見もある.はたして,実現性の問題もあり,議論の分かれるところである.

②『特別料理のメニュー』の場合(食材や産地、ブランド等の指定がある場合)

高級レストラン等で,料理の特徴,希少性,高級感,等をアピールする為に,あるいは,顧客に料理の内容を丁寧に説明し,満足度を上げてもらう為に,料理名や料理の説明文・写真に特定食材を指定している場合がある.特に,顧客を引く為に,この『特別料理メニュー』が大流行である.

そんな中で,多くのレストラン等で料理名や説明文と違った食材が当たり前のように長期に亘って,出ていたのである.料理は信頼を前提に成り立っているにもかかわらず,断りなしに,説明と違う食材等を平気で使っていたのである.これだけではなく,『加工肉』を未表示のまま,使っていた事も発覚したのである.

どう考えても,顧客を長期間,騙し続けて来た事になる.法的処罰,損害賠償,だけではなく,店の信用失墜,あげくに,廃業に追い込まれるかも知れない大問題を多くのレストランでやっていたのである.

今回の『料理の偽装問題』は競争激化による価格競争,宣伝合戦,それに伴う原価削減が背景にあって,『意図的に偽装した』と評論家やマスコミが言うのは簡単である.そうかも知れなが,これだけ多くのレストランでやっていた事を見ると,何か別の根本的な問題があるのではないかと感じるのである.

そこで『料理』に関する根本的な事に言及してみたい.

そもそも,料理は『割烹料理』に見られるように,今日,仕入れた食材で,料理や価格を決めて,『今日のメニュー』を作る.中には,客数に限界があり,予約をとる割烹もある.勿論,お客は,『今日の食材』に期待するのである.これが『料理の原点』だと思う.

一方,レストラン等の『一般料理名のメニュー』は食材の市場価格が変わっても,料理は定価である.だから,料理の特徴を出したり,価格競争に負けない,しかも安定的に確保できる食材を必死に選ぶのである.

『特別料理のメニュー』の場合も同じだが,指定した食材を量的にも,価格的にも,安定的に確保する必要がある分,『一般料理のメニュー』の調達より厳しい食材確保になる.

たとえば,客数の変動によって,食材が足りなくなったり,残ったり,指定した食材の良し悪しにばらつきが出たり,市場価格も変化するからである.

そんなわけで,『特別料理のメニュー』は『料理に影響が出ない範囲』で,安くて,量の確保も安定的な食材を使い始めるのだと思う.勿論,そこに,原価を落とす意志も働く.料理人の『違う食材を使っても,料理に違いが出ない』,『料理は食材より腕が大事だ』との風土も加わって,『違う食材』を使う事に『抵抗感がなくなって行く』のかも知れないのである.

もしそうだとすると,『国産の松茸とキノコ,神戸牛で秋の味覚ディナー¥15000』と銘打って,長期間の販売を企画しても,違う食材が入り込む余地が生まれる.

ビジネスモデル風に言えば,『割烹』は食材によって毎日、メニューと価格を変えるビジネスであり,『レストラン』は,メニューと価格を変えずに,食材を変えるビジネスだと言えるのである.

だとすると,レストランの特定の食材を指定する料理メニューは『偽装』と隣り合わせであり,それを避けるには,『指定した食材を変えない事』を徹底して守るか,『食材を指定した料理メニューをやめる』しかないのである.

さて,この『特別料理の偽装』の防止であるが,『一般料理メニュー』に対する意見と同じように,使った食材や調味料を表示すべきだと言う意見がある.少なくとも,『加工肉』以外にも,健康被害の可能性がある食材や調味料に表示義務を負わせるべきだと言う意見もある.しかし,現実的に可能かと言う問題や,『料理』をそこまで規制するのか,と言う意見もある.

さて、今回の『料理の偽装問題』,『加工肉の未表示問題』にどんな処罰が下されるのだろうか.初犯と言う事で指導程度で終わるのだろうか.多くのレストランを持つ企業で,多くの料理が長期間,間違いを繰り返していた事から,もっと厳しい処罰が出るのだろうか.消費者も,業界も,行政も,食文化も,とんでもない事案を抱えた事になったのである.

今回の事で、今後は『料理名や宣伝文・説明文』が慎重になり,微妙な表現も多くなると思う.たとえば,『和風ステーキ』,『和風ハンバーグ』,『秋の味覚ディナー』,これなら『ステーキ』『ハンバーグ』『味噌ラーメン』と同じように,食材が違っても問題にならないし,しかも高級感が出る.ただ『美肌に効く鍋料理』等,効果を誇大に言うメニューには要注意である.

ところで,『食』は法制度以前に,口に入るものだけに,食材,調理,衛生に関して『モラル・信用・信頼』が大前提である.これを失う行為は,『食の文化』ひいては『国全体の文化』にも影響を与えるのである.それゆえ,『モラル・信用・信頼』が『食文化の原点』だと言う事を料理業界は,も意一度,徹底して欲しいのである.

当分日本は,『他国の料理の食材が信じられない』等と言えなくなった.『和食の文化遺産』にも,水を差したと思う.今回の事件の影響は極めて大きいのである.

最後に,記者会見で見る『経営者の資質』についても触れておきたい. 

重大な問題に直面した時,その人の『人格や資質』が露骨に表れるものである.経営者が大問題の報告を受けた時の『第一声』に、まずそれが表れる.たとえば,こんな感じである.

『よくわからん,どうするんだ』(うろたえる経営者)
『うまくやれ,お前らに任せる』(無責任に権限移譲する経営者)
大問題だ,対策チームを作る,出来るだけ早く公表する』(問題解決型経営者)

そして,どのタイプの経営者でも,いずれの日か,記者会見に臨む事になる.勿論,弁護士を交えて,言い方を検討すると思う.多分この時,弁護士は,認めたら終わりだ,強気で行け,くらいの助言をすると思う.『常識と覚悟のない経営者』ほど,弁護士の助言や企業保身,経営者保身が働いて,『企業論理優先』の説明をやってしまうのである.

勿論,このような『企業論理』は概して見え見えで,説得力を欠くし,逆に反感を買って,厳しい質問攻めに合うのである.あげくに,『事実の偽装』や『企業の姿勢』が疑われるようになるのである.

結局,『記者会見場』が『2次遭難現場』になってしまうのである.『企業論理』には,『社会に通用しない危うさ』がある事を忘れてはならないのである.

以前,牛のBSE問題で,症状を隠した畜産農家のご夫婦が責任を取って自害した事があった.田舎の農夫にマスコミが群がって,追求した事も影響したと思うが,夫婦で自害した例は明治天皇崩御で乃木大将夫婦が自害した時,以来である.

田舎の農夫の責任の取り方に驚くが,これは極端な例だとしても,不祥事が発生した時の,経営者に『常識と覚悟』が極めて大事だと思う.これを持たなかった為に,傷口を大きくした企業は多くある.

企業論理や保身に走る事なく,誠意を持って『現象と原因』の『事実』を述べ,『非』に対しては,『率直』に『お詫び』とその『弁済』、『再発防止』をしっかり言うべきなのである.これが経営者の態度だと思うのである.

『二重遭難』に合うのは,修羅場の経験の無い,順調に出世して経営者になった人に多いと思う,そんな経営者ほど,『何で俺の時、不祥事が発覚するんだ』と不運を悔やむのである.

危機の未然防止は当然だが,万が一の準備として,『常識と覚悟を持った経営者』を持つ事も,企業の『リスクマネージメント』では大事である.社長人事にはこの資質を忘れてはならないのである.何と言っても社長は企業危機に対する最終責任者だからである.

もう一つ、『社長の責任(辞任)の取り方』に次の二つがあり,悩む事がある.

①日本文化的には,問題が解明する前に謝罪し辞任する事を表明する.
②海外文化的には,問題が解明するまで謝罪も,辞任も表明しない.

多分、『常識と覚悟を持った経営者』でも,この『文化の狭間』で悩むと思う.感情的な日本文化で謝罪と辞任を表明すると,国民からは,潔いと好感を得るが,海外から見ると,全面的に『非と責任』を認めた事になり,訴訟が起これば企業側が不利になると感じるのである.

そんなわけで,問題が国内に限定されるか,海外にも及んでいるか,によって『文化を使い分ける』事になる.

さらに,日本文化に従って,早々と『辞任を表明』する場合,次の二つの表明の仕方があるが,これも悩むのである.

①問題の解明,顧客への対応,再発防止に見通しが出た段階で辞任する.
②新しい体制に,全て託して,速やかに辞任する.

A.の場合は、社長に信頼感がある場合である.信頼感が感じられないと,反感を買う.その可能性があればB.を選択する事になる.私見で言えば,辞任を表明するのだから、B.の方が明快でスピード感があると思う.問題も引きずらないと思うのである.

国際化が進む中で、海外流の考え方が主流になって行くと思うが,今回の事件を見ていると,国内的には,まだその考え方は非常識に映るのである.

追伸(食品虚偽表示の法的責任について)

2013年11月18日の日経新聞に食品虚偽表示の法的責任について,整理されていたので,ここに,そのダイジェストを掲載しておきたい.

虚偽表示に関係する主な法律は下記である.

・景品表示法の優良誤認
・日本農林規格(JAS)法の品質表示基準
・不正競争防止法の誤認を引き起こす行為
・刑法の詐欺
・民法の契約責任の不完全履行
・消費者契約法の重要事項の不実告知
・会社法の取締役の善管注意義務,内部統制構築義務

一般的に,消費者の合理的選択を阻害する事から,故意・過失に関係なく,景品表示法違反に該当(罰則は行政処分,課徴金はなし).ただし,表示に使う用語が明確に定義されていない場合や,どの程度,優位誤認に影響を与えているのか,等があり,ケースバイケースになる.尚,騙してもうけようとの意志があって販売していれば,刑法の詐欺(ただし個人)が問われる事もあり得る.

民事上の責任は,食べてしまっているので,正しい履行を迫っても実質無理.経営判断で解決金で対応するしかない.ただし虚偽表示で損害が生じていれば,損害賠償請求もあり得る.

信用失墜で業績悪化については,善管注意義務違反で株主代表訴訟になる場合もあり得る.又,内部統制構築義務違反に問われる可能性もある.(以上)

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2013.10.27

336 特定秘密保護法案の論理的な議論を

『特定秘密保護法案』とは特定秘密(防衛・外交・スパイ活動・テロの4分野の内,日本の安全保障に著しい支障を与える恐れがある情報(電子化された情報含む)を秘匿する法案であり,国家公務員が漏洩した時の罰則規定(下記の特別防衛機密の罰則と同じ10年以下の懲役)も定めている法案である.

この法案の目的は特定秘密情報を秘匿する事で国の安全を守る事である.この為に,『国民の知る権利』や『報道の自由』が制約される事があっても,国の安全の方を優先するとしているのである.ただし,秘密保護の対象は公文書であって,私文書は対象外である.従って,法による秘密情報の秘匿にはおのずと限界がある.

ところで,今でも守秘義務の法律がある.国家公務員法では,守秘義務に関する罰則(一年以下の懲役),自衛隊法では,防衛秘密に関する罰則(5年以下の懲役),日米相互防衛援助協定秘密保護法では,『特別防衛秘密』の罰則(最長10年の懲役),がある.今回の法律では,『特別防衛機密』の罰則に合わせたのである.

この法案は設立を予定している『国家安全保障会議』(日本版NSC)や今後,検討されて行く集団的自衛活動における,『外国との秘密情報の共有』の為には不可欠な法案とされているのである.

大筋は以上であるが、一方では次のような『難しい課題』が想定される.

①特定機密の指定や,その妥当性を誰が決めるのか,
正当な取材活動や報道が制約される事はないか、
③電子化された情報を含めて漏洩防止をどうするのか、
④秘密情報の開示及び非開示をどうするのか、
⑤すでにある秘密情報をどう扱うのか


誰もが気になるこれらの『課題』を,声高に言う論者が多いが,次のどの考えで言っているか不明である.

A.この法案は必要だと考える.今後,これらの課題への提案をし,詰めて行きたい.
B.この法案は『国民の知る権利』,『報道の自由』に違反しているから反対だ.
C
.この法案は必要がないと考えるから反対だ.

論理として成り立つ主張はA.とC.である.しかし,日弁連のようにB.を言う人もいる.その法律家の論調にいくつかの疑問を呈したい.

この人達は,この法案の目的に賛成なのか,反対なのか,よくわからないが,『憲法に違反するから反対』だと言っているのである.集団的自衛権についても,憲法に違反しているから反対だ,と言う主張と似ている.

言い換えると,この人達は『国家の安全』より『知る権利』や『報道の自由』の方が大事だと考えているようである.同時に憲法の条文にある理念に『合っている』,『合っていない』と,イチゼロで判断しているようである.

どうやら法律家の頭の中は,『どうあるべきか』とか,『この理念・目的の為に,他の理念が後退する事もある』と言う想像力や思考回路を持っていないと見える.『条文単位に違憲を言う習性』があると感じるのである.法律家の職業病だろうか.

言うまでもなく,憲法の理念は具体的にその実現内容や程度を定義をしているわけではない.例えば,『国民の知る権利』,『法の下の平等』と言っても,何を持って合憲違憲を判断するかの物差しはないのである.

従って,解釈や判例で違憲・合憲の判断をするのだが,それだけではないと思う.目的に応じて,理念が後退する場合もある事を理解すべきだと思うのである.例えば,

『一票の格差で平等が後退するが地域代表の政治家を選ぶ』,
『国民の知る権利や報道の自由が後退するが,国家の安全を守る』,
『報道の自由が後退するがプライバシー,個人の名誉,公序良俗を守る』,
『非摘出子への遺産相続の平等性は後退するが,家族やその財産を優先する』,
『課税の平等性は後退するが累進課税等で税収を確保する』,
『同姓,性転換の婚姻は認めないが,社会の夫婦,家族の秩序を守る』,

の様に,『後退する理念』だけ捉えて,違憲を主張するのは『木を見て森を見ない判断』,『権利だけの主張』になるのである.

『特定機密保護法案』で言えば,『知る権利の後退より,安全保障を優先する』と言うのが法案の目的だと思うが,違憲で反対と言う人は上記のように,『目的の賛否』を言わずに,『知る権利』が後退するから反対だと言うのである.

本当に『安全保障』より『知る権利』,『報道の自由』が大事だと考えているのだろうか.集団安全保障に反対するのも同じだが,『憲法を守って国が滅んだ』では本末転倒だと思うのだが.

そんな理屈に発展しない為にも,法律家は『法案の目的』に『賛・否』を表明すべきである.もし反対ならその理由を主張すれば違憲を言う必要はないのである.賛成なら,権利が著しく後退しないような方策を提案すべきなのである.

中には,目的に生理的に反対する人が,明確な反対理由を言えず,違憲を理由にあげる人がいる.そんな人とも本質的な議論が出来ないのである.

又,メデア,マスコミ,ジャーナリスト,キャスター,コメンティター(いづれも定義が不明だが)の論調にも疑問がある.

今回の法案に対して,法律家と同じように,『報道の自由が規制される』,『国民の知る権利が限りなく制限される』から反対と言う人が多い.ならば,国家が秘密を持つ事に反対なのだろうか,マスコミが特定秘密情報を得た時,報道の自由を傘にして,特ダネとして報道するのだろうか,あるいは,国家の秘密を持つ事に賛成なら,どう秘密情報を運営すれば良いと考えているのだろうか.

今のところ,法律家と同じように,これらの人達からも,『秘密保持』と『報道の自由』についての本質的な主張が聞こえて来ない.あるいは,上記『課題への対策』を持ちさわせていないのかもしれない.だから,時として,反対論者は『稚拙な正義感』に浸っていると見えるのである.これでは,世論誘導が出来ても,本質的な議論は出来ないのである.

ところで,インテリ、リベラルの人は,政府の政策に賛成する事はまずない.かと言って,対案を示すわけでもない.『反対する事が仕事』だと思っているのだろうか,知的に見せたくて反対しているのだろうか.

又,これらの人達は『客観のふり』をして主観を言い,『世論を誘導』しようとする習性もある.自分の言った事に責任も持たず,間違いを訂正する事もない.自由の権利をいかんなく発揮するが,義務を守ることはないのである.すべてとは言わないが,『無責任な言動』が多いように感じるのである.

例えば,政治家もマスコミも,過去に猛烈に反対した法案が何の問題もなく運用されている事に『反対した事は間違いだった』とは絶対言わないのである.逆に,散々賞賛していた人物が問題を起こすと,手のひらを返したようにバッシングが始まる事もある.言論人として恥ずかしくないのだろうか.『間違いを間違いだったと言える言論人』はいないのだろうか.そんな人達が対案もなく問題だと騒ぐ言動に信頼感が沸かないのである.

ところで,この法案に対するアンケートを見ると,『中身を知らない』と言う人が多い上に,『反対も多い』.まさに,本質的な議論がない事と,反対の論調の影響,が出ている感じがするのである.マスコミの我田引水的な恣意的なアンケートのとり方に疑問を感じるのである.真に世論を調査するなら,人気投票の様に抽象的なYES・NOの質問ではダメだと思う.

そんなわけで、政治家も,政党も,法律家も,識者も,報道も、『法案の目的に賛成か反対か』、『賛成』なら『課題に対する対策』を提案し,しっかり議論をして欲しいのである.近々,この法案が国会で審議される.『どんな議論になるのか』,注力して聞きたいと思う.

くれぐれも,『手段の目的化』(課題を挙げて政府を攻撃する事が目的)にならないよう切望するのである.あくまでも議論の目的は『国家の特定機密をどう守るか』である事を忘れないで欲しいと思うのである.

追記(2013・12・05)

この法案は衆議院を通過し,参議院での審議が行われているが、今週の会期末を迎えて,この『特定機密保護法案』がもめている.もともと難しい法案なのだが,残念ながら,上記で取り上げた懸念が起こっている.

具体的には『歯止めのない情報隠しに繋がる恐れがあるから反対だ』,『限りなく国民の知る権利が抑制される恐れがあるから反対だ』と野党は政府に詰めよるが,本文で述べた通り,『法案の目的に賛成なのか,反対なのか』,課題を言うのは,『賛成の上』で言っているのか,『反対の為』に言っているのか,わからないのである.これでは論理的な議論が出来ないのである.

与党はこの問題に対し,内閣府(行政内)でチェック機関を持つとしているが,野党は行政に任せられないというのである.かと言って納得できる対案を示しているわけではないのである.

第三者機関や国会でチェックすべきとの意見もあるが,そんな事になれば秘密が秘密でなくなる恐れがある.特に,日本の場合,国会議員,特に,左派勢力に特定秘密が知れる事が一番危険だと感じる人はいると思う.

そんな判断から,与党は欧米と同じように,内閣府の責任でチェックするとしているのだが,それに変わる案は聞こえてこないのである.

野党は納得を得られそうな対案も示さず,『反対の為の課題』を上げ連ね,『強行採決反対』と叫ぶのだが,その人達ほど,論理的な議論をして来なかった人達だと思うのである.その人達の鬼の首を取った様な,得意満面で課題を上げ連ねる言動に,うんざりするのである.

思わず『それで,国家の特定秘密情報をどうするのか』と,その人達に聞きたくなるのだが,聞いても無駄だと,聞き流すしかないのである.

結局,今国会で,議論がかみ合わないまま,この法案が,成立するのである.私見としてはこの法案の必要性を感じていたのだが,各党の『法案の要否,課題への対案』が聞こえないまま決着する事に『議論の未成熟さ』を感じるのである.私の勘違いだろうか.

今後も重要法案が議論されると思うが,本文の切望にあるように、法案提出者には『法案の目的とその実現に向けた法制度』を,各政党には,『法案の要否とその理由』、『要の場合の課題と対策』を事前に宣言して,議論に入ったらどうだろうか.

これを示さない政党は審議に参加出来ない事にする.このルールで『対案のない反対』や『対策のない課題』による審議時間の無駄を防止できると思うのである.国民も各政党の対案,対策を聞きたいのである.

そうすると各党が必死に対案を考えるはずである.反対の為の反対も出来なくなる.国民も各党の対案を比較し評価できる.議席数に関係なく,対案を出した上で,議論し,決着するのが論理的な,建設的な,議論だと思うのである.これこそが議会制民主主義だと思うのである.これが政治家の基本動作だと思うし,健全な野党とは,これができる政党だと思うのである.

国会議員には言論の自由、結社の自由、選挙で選ばれた権利,不逮捕特権,に見合う『義務』を自覚して欲しいのである.国会議員や政党には『政策や対案のない自由はない』と思うのである.これを自覚できない人に年間1億円の歳費は無駄だと思うのである.

繰り返すが,『対案のない議論』は『時間の無駄』,『議会制民主主義の形骸化』だと思うのである.国民は『各党の対案』を『ぶつけ合った議論』を見て評価したいのである.対案の激突がなく,多数決だけげ決める事を議会制民主主義だとは思わないのである.従って,議席数にかかわらず,野党の『対案』が必要なのである.これなくして政党や政治は成長しないのである.野党が国民を巻き込んで反対デモをやるにしても,対案がなければ単なる扇動でしかないのである.

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335 葛藤する日本文化④

『葛藤する日本文化』に関して、当ブログの『カテゴリーの文化』にあるように,随分多くの事を発信して来た.発信が多くなったのは『日本文化』が時代に合わなくなり、新たな文化の形成が始まっていると感じたからだと思う.

事実,日本人が良さを主張している日本文化も、海外でブームになっている日本文化も,もはや日本では『古典文化』あるいは『文化遺産』になっていて,日常生活から消えている事が多いと思うのである.

そんなわけで,日本文化は時代との葛藤を通り超して『残すべき日本文化とは何か』,『今後,どのような文化を作っていくか』と言う段階に来ていると思う.その意味で,日本は現在,『新文化胎動期』に入っていると思うのである.

ここで,文化について、改めて整理してみたい.文化とは集団の中で『概念や行動や価値観』が共有され,集団生活の中で定着している様式を言うのだと思う.そして,その文化は古今東西を問わず,自然環境や宗教によって形成されて来たと思うのである.

この『宗教』は『社会や集団の統治・秩序を保つ為』,『苦しさや精神的不安,あるいは,死の恐怖を和らげる為』、あるいは,『ものの善悪を決める為』に考えられた偉大なる哲学である.『古代は宗教を作り,中世は芸術を作り,現在は科学を作った』と言われるほど,宗教は『人類の行動を律する存在』だったと思うのである.

この宗教は大きく二つの系統がある.一つはユダ゙ヤ教,キリスト教,イスラム教などのように,超自然的ではあるが意志を持った人格的存在としての神を中心に置いた宗教と,もう一つは神道,仏教,儒教,などのような,法,理,道,を中心に置いた宗教である.

神道は日本古来より,地縁,血縁の共同体を守る目的で自然信仰,民俗信仰,天皇信仰として定着してきた.一方、仏教は釈迦が唱えた仏になる教えとして,飛鳥・奈良時代の伝来以来,今日まで,日本文化の形成に大きな影響を与えて来たのである.

儒教は『孔子』による『道徳,教理の体系』であり,『考,仁,徳,礼中庸,和,義,君子,小人,忠』などの概念で構成されている.宗教特有の『あの世の世界』と言う『超自然的論理』を持ち込んでいない事から『宗教色のない行動規範の教え』として,仏教と併存していた.そして,江戸時代には『儒学』として、又、明治時代には『修身の教え』して,『人間力育成』に使われて来たのである.

日本は農耕民族の持つ,『村社会』と『神道,仏教.儒教』が重なり合って,『日本文化』や『日本的道徳』を形成して来たと思うのである.

この『日本文化』に,いくつかの大きな変化があった.列記しておきたい.

一つは,明治維新と言う『文明・文化の維新』である.

まず,王政復古(立憲君主体制)で『廃仏毀釈』が行われた事である.『祭政一致』による天皇の政治支配を正当化する為に,神道をただ一つの国教として定め,神社を国家統合の機関にしたのである.

次に列強国と伍して行く為に,長い鎖国を止め,『日本の近代化』,『文明開化』に向けて積極的に『西洋文明』を受け入れたのである.

一方,西洋文明・文化や資本主義経済の受け入れで起こっていた『道徳の乱れ』を正す為に政府は,『儒教による修身教育』を行い,二宮尊徳,渋沢栄一,福沢諭吉らが『道徳・経済の合一』,『士魂商才』を啓蒙したのである.(当ブログ『NO295 気になる論語の事』参照).以来,日本では今日に至るまで,『和魂洋才』,『和洋折衷』の文化が広まって行ったのである.

二つ目は先の敗戦による軍国主義と連動した精神文化の排除である.

敗戦によって,『新憲法の制定』,『軍部の断罪』,『国家神道の廃止』,『靖国神社の国営廃止』,『政教分離』,『修身教育の廃止』等が行われた.明治以来続いた軍国主義と連動した精神文化が危険な文化として排除されたのである.

三つ目は,その後の『日本文化の葛藤・漂流』である.

冒頭に述べた通り,米国文化(自由・平等・合理性・競争・個性・自立,寄付,民主主義など)の流入、工業社会化と都会への人口集中,核家族化,経済や科学技術の発展、国際化と価値観の多様化,などで,『日本文化の環境』が激変し、『日本文化の葛藤・漂流』が始まった事のである.

神仏で言えば,明治以前の『神仏習合』,明治維新以降の『神仏分離』,戦後の『神仏不在』と変化して行ったのである.日本文化で言えば,特に,高度成長後の『資産バブルの崩壊』で,これまでの,日本社会や日本的経営に潜む冗長度,無駄,無責任さ,が露呈し,『米国文化』が広まって行ったのである.

同時に日本文化の持つ,村社会,長幼の序,和,恥,滅私,謙虚,配慮,行間の表現,曖昧な合理性,等の文化も,一枚一枚はがれて行ったのである.当ブログNO19葛藤する日本文化②参照

私自身もそうだが、多分多くの国民も、感情的には『日本的文化』を,論理的には合理性を重んじる『米国的文化』を理解しつつ、その間で,『迷える子羊状態』になっていると思うのである.日本人は『和魂洋才』,『和洋折衷』の中で漂流しているのだが、どちらの『和』も,小さくなって行く感じがする.

こんな『文化の葛藤・漂流・胎動』は,あまり各国で見られない事だと思う.何といっても,結婚,七五三は神道、クリスマスはキリスト教、葬式は仏教、神社仏閣は観光資源・歴史遺産,食文化は西洋化,なのだから、日本ならではの現象だと思う.

『精神文化や行動規範』を『教会』が教えていたり,『サイドとノーサイドの文化』がある他国から見れば,日本が『顔の見えない国』,『何を考えているのか分からない国』に見えても不思議でもないのである.

政府の1000兆を超える借金も,日本文化と関係していると思う.

日本文化の持つ『人情,優しさ,和,の精神』が無責任の温床になり,『
内と外を区別する文化』が政治(外)を無関心にさせてき来たと思う.その結果,公金の使い方や借金に寛容になり,政治家も,この性格を利用しして,1000兆円の借金を積み上げたと思うのである.単一民族国家,血統主義国家,農耕民族国家の特徴かも知れない.

一方,欧米社会では『外』に当たる政治(課税制度と公金の使い方)には極めて関心が高い.古来より,『身内の事』以前に,『城壁内の事』に関心を持たざるを得なかったからだと言われている.他民族国家,狩猟民族国家,戦争の絶えない歴史,ならではの習性かもしれないのである.

以上のように、日本の文化は江戸時代までは中国、明治時代はヨーロッパ,戦後は米国,と影響を受けてきたわけだが,まさに『外圧』に後押しされて変化して来たのである.

そもそも、血統で国籍を決める血統主義国家日本は人間には排他的であるが,文明・文化には寛容なのである.ちなみに,誕生地で国籍を決める他民族国家は人間には寛容だが,文明・文化には排他的だと言われている.日本への『外圧』も,日本の『文化への寛容さ』で受け入れられて来たと思うのである.

従って,『文明・文化に寛容な日本』は『世界の文明・文化の終着駅』だと考えると,『世界の文明・文化のエキス』が日本に集まっているとも考えられるのである.だとすると,『文化の葛藤・漂流・胎動』は当然であり,そこから『最も成熟し文化』が生まれて来るかもしれないのである.

このように文化は時代に応じて、自然に変化していくものだと思うが、一方では文化の変化期に起こる『行動規範としての道徳の希薄化』の問題がある.明治時代,『儒教による修身教育』を始めた時と同じような問題である.この問題をどうすればよいのだろうか.

『道徳』の問題を宗教や文化と一体として捉え『思想・信条の自由』に任せるべきなのか,それとも,道徳の問題を『人間の共通の行動規範』として捉え,宗教や文化から切り離して考えるべきなのか,と言う議論になる.

私見によれば,長い歴史の経験を踏まえて,宗教や文化を超えて,日本人が共有できる、『道徳』(人間としての行動規範)を作るべきだと思うのである.

その『道徳の内容』において,『宗教や文化と対立する事』、『現実とアンマッチな事』,『新たな考え方が必要な事』,等があると思うが,世界の文化の終着駅である日本ならばこそ,人類にとって普遍的な『道徳』を作る事は可能だと思うのである.

そんな中で,『文部省の取り組み』に注目したい.

文部省は2002年度から小中生向けに副教材として道徳教育テキスト(心のノート)を全国に配布した.その内容は基本的な人間としての行動規範を教える内容である.自由・平等・人権・自立・友達,などの大切さを,それとなく教えているのである.いじめ防止の意図もあるようである.

そして,この『心のノート』は現在,多くの小中学校で利用していると言う.そして,2015年度より,国語や算数と異なる『特別の教科』として,本格的に『道徳教育を実施』する方針を固めたと言う.是非、道徳の内容や実施要綱に注力したいと思う.

勿論,道徳の啓蒙は学校だけではなく,社会・家庭でも必要である.そして,国,民族,宗教,文化を超えて『人間の行動規範』としての『道徳』を広く世界に発信したいものである.文化を世界から輸入して来た『日本の倍返し』である.

そして,『現代は科学技術を作った』と言われている事に,『宗教を超えた人間の行動規範も作った』と付け加えたいものである.

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